アメリカからロシア料理にも!?
「万能調味料」醤油で開く
「挑戦」の経営
キッコーマン株式会社
代表取締役会長
茂木 友三郎
目まぐるしく変化する世界経済と地球環境。かつてない変化とスピードの違いに我々はどう向き合う。時代を牽引する賢者のターニングポイント賢者の選択。日本の食卓には欠かせない醤油を世界ブランドに育て上げた企業がある。老舗醤油メーカーキッコーマン。戦後日本企業の中でもいち早く国際化戦略を打ち出し、1951年のアメリカ市場に進出。それからおよそ半世紀頃現在では世界100カ国以上にその販路を広げている。グローバル展開を加速させ更なる成長戦略を描くキッコーマン株式会社会長茂木友三郎、その経営理念とは。
茂木一番効果があったのはインストアデモンストレーションなんですよ。店の中で醤油で味付けした肉を焼きましてね、それでそれをその小さく切って楊子にさして、お客さん食べてくださいと。
蟹瀬今でもやってるやつですよね。
茂木そして、美味しかったら帰りに買ってくださいよと、こういうことやったんですね。わりあい、その評判が良かった。私自身、留学している間にね、手伝ったことがあるんですね。私の感じですとね、トライした人の半分ぐらいね、帰りに買ってくれるんですよ。
蟹瀬半分だったら上々ですよ、それ。
茂木私自身ね、これはいけるよと。醤油は潜在需要ありそうだということを実感したんですね。もう一つね販売促進の方法として効果があったのは、レシピカードなんですね。
蟹瀬こういう料理ができますよとね。
茂木つまりね、アメリカ料理にどうやって醤油を使うんだと。醤油をどう使ったらアメリカ料理がよりうまくなるのか。こういうことを研究したんですね。ホームエコノミストっていう女性のね、アメリカにはおりますけどね。彼女たちを何人かの私どもの販売会社の本社に雇いましてね、それでテストキッチン作ったんですよ。朝から晩までね、彼女たちにどうやってアメリカ人、醤油使うかをね研究してもらったんですよ。それをレシピを開発した。それを新聞社の家庭欄に売り込むとかね。
蟹瀬すごい戦略的ですね。
茂木それであとクックブックを発刊するとかね。小さいね、レシピブックを作りまして、ちょうどビンの首のところにぶらさげて、それで売るとかね。アメリカ人に醤油の使い方を教えてあげるということをいたしましてね。
蟹瀬テレビコマーシャルなんかも流されて?
茂木テレビコマーシャルね、当時360円1ドルでありますし、まだ販売売上高もそんな少ないですからね、数少なく地域を限定して目立つものやろうということで。
茂木その典型的なものとしては、1956年にアイゼンハワー大統領が2期目に選ばれた選挙があったんですよ。
蟹瀬大統領選のときですか。
茂木その大統領選挙の開票速報をね、カルフォルニアで借り切ったんですね。
蟹瀬それ、金かかったわけでしょう。
茂木キッコーマン、キッコーマン、出してったわけです。はじめはテレビ局間違ってマークを逆さに映っちゃったこともあるんですけどね。それがね視聴率が高いんですよ、大統領選挙って。アメリカで最も高い。
蟹瀬全国民が見てるわけですから。
茂木ところがね一年間の宣伝費を全部使っちゃった。つまり、11月までは宣伝ゼロですよ。それを一日で使って、宣伝できないと。ただね、これはかなりインパクトありまして、その宣伝の効果で当時アメリカで西海岸、アメリカ西海岸で一番大きなスーパーマーケットにね、セグウェイという店があって、このセグウェイに私どもの醤油が並べるようになったんですよ。
石田わぁ、ついに。
茂木その翌年に販売会社を作ったんですね、ですから1957年から本格的にアメリカでマーケティング始めたと。ですから、当時、日本の企業としてはわりあい早い方だったですね。
蟹瀬いや,とっても早い方じゃないですか。しかも日本の商品がね、グローバル化されるっていうね、アメリカのマーケットだけでなくいろんな所へ進出されていきますよね。そういう意味ではいろんな企業、今やらなきゃいけないと思ってることを、実はその自然な形でキッコーマンがやってたということになりますよね。
茂木特になんというか、日本に原点を持つといいますか、東洋に原点を持つ商品ですからね、そういう意味では早かったと思いますね。
蟹瀬まあそのアメリカマーケットの可能性、これいけるぞってのでアメリカ進出される、しかし工場作るってことになりますと立地条件とかいろんな条件が出てきますよね。この辺りはどういうふうに考えて選定されたんですか?
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