アメリカからロシア料理にも!?
「万能調味料」醤油で開く
「挑戦」の経営
キッコーマン株式会社
代表取締役会長
茂木 友三郎
目まぐるしく変化する世界経済と地球環境。かつてない変化とスピードの違いに我々はどう向き合う。時代を牽引する賢者のターニングポイント賢者の選択。日本の食卓には欠かせない醤油を世界ブランドに育て上げた企業がある。老舗醤油メーカーキッコーマン。戦後日本企業の中でもいち早く国際化戦略を打ち出し、1951年のアメリカ市場に進出。それからおよそ半世紀頃現在では世界100カ国以上にその販路を広げている。グローバル展開を加速させ更なる成長戦略を描くキッコーマン株式会社会長茂木友三郎、その経営理念とは。
茂木これね、実は私アメリカのニューヨークから帰りましてね、しばらくたって社長室管理課ってところに配属になったんですね。それでその長期計画の担当になったんですよ。それで色々な分析をいたしますとね、多角化国際化ってこの路線は確かに間違いないということは分かったんですけど、ただその国際化といってもですね、輸出が赤字なんですよ。それで赤字じゃね、将来楽しみじゃない。
蟹瀬それはガンガンいってもね。
茂木ということで、いろいろ検討いたしますと、アメリカで生産する方がいいということになりましてね。やはり海上運賃がゼロになることは大きいんですよね。それと醤油の原料というのは大豆と小麦なんですけどね。これがアメリカ大陸でできるんですね。
蟹瀬もういくらでもありますからね。
茂木僕ら買ってきてるわけですから、そういう意味では原料コストが安くなるということもありまして、アメリカで工場を作ろうということが決まったんですね。でその後じゃあどこへ工場を作ろうかということになりまして、いろいろ検討いたしましてウィスコンシン州という中西部にありますこのウィスコンシン州の南部にうちの工場を作ろうと言うことになったんですね。シカゴからだいたい車で2時間ぐらいですね、まぁそこに工場を作ろうと。
蟹瀬そこがいいと決められた理由は?
茂木決めた理由は一つはやはり市場率と言うか、シカゴの近辺というのはアメリカの交通の中心なんですね。ですからあの辺から全米に製品を運ぶのが一番便利でなおかつコストが安いとシミュレーション行ったんですけどそういう結果が出たんですね。それから原料の大豆小麦、これが割合近くで入手できる。
蟹瀬あの地域はそうですよね。
茂木そうです。それからもう一つ、地域社会がいいんですよ。地域社会が非常フレンドリーなんですね。犯罪が少ない。
蟹瀬それは大事な要素ですね。
茂木あの辺、私どもの工場がある近辺は自動車の鍵をかけないと言いますから。
蟹瀬それはすごいですね。
茂木ですから非常にそういう点でいいところだと言うことでウィスコンシン州にしたんですね。
蟹瀬アメリカでそうスムーズになかなか普通の企業が入っていても行かないんですけどね。
茂木ところがやはり反対があったんですよ。
蟹瀬やはりありました?
茂木それはなぜかと言うと、私どもも選んだ土地が農業地帯の真正中だったんですよ。工場なんてそこらへん見たってないと全然。車30分ぐらい行かないと工場ないと。
蟹瀬こんなところに工場はけしからんという話なんですか。
茂木そこはいかなる工場もダメだと。それから農地を手放したくないと言う農民の素朴な感情がこれはもう世界中どこにでもあるんですね。
蟹瀬そうでしょうね。
茂木それとその二つが主な反対の理由。
蟹瀬それはどうやって乗り越えられたんですか?
茂木私どもは絶対に公害は出しませんと。公害は出しません、これは約束しました。それからもう一つ私どもは大豆小麦を使う農産業なんですと。ですから農家の方々と共存共栄なんだと、私どもが良くなれば農家の方々もプラスになりますよということで説得いたしまして、最終的に納得してもらって。それであの工場が立ったということで。それでその土地で反対があって説得したのは良かったと思うんですよ。地域の人と接触する機会が非常に多くなりまして。雨降って地固まるという言葉ありますけれど、その後非常に有効的な関係になってます。
蟹瀬それは良かったですね。そしてそのアメリカだけでなく今度エリアを広げていくということになるわけですけど、アメリカから今度はどちらへ行かれたんですか?ヨーロッパの方?
茂木1973年昭和48年にアメリカの工場完成させまして次どこやるかと言うとヨーロッパをやろうということになりまして。
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