生活の代弁者として提案するアイリスオーヤマのアイデアの源泉とは
アイリスオーヤマ株式会社
代表取締役社長
大山 健太郎
プラスチックがまだ新素材としてもてはやされていた頃、業界で初めて透明なプラスチック、ポリプロピレン樹脂を開発したのが、アイリスオーヤマ株式会社。メーカーベンダーという新しい業態を提唱した代表取締役社長 大山健太郎が語るものづくりとアイデアの源泉とはどのようなものか。グローバルな視点から語る。
大山結局映画もアメニティじゃないですか。
蟹瀬そうですね。
大山で、今までの同業者っていうかほとんどの企業というのは、生活必需品だとか、そういう産業資材だとか、そういう機能だとか、品質中心の要するに経営なさっておられた。私はそうではなく、今、その当時、日本にまだ需要が少なくって将来大きくなる需要というのがアメニティ、快適性、だから家庭にうるおい、安らぎをという形の中で、園芸用品を開発する。おかげさまであっという間に日本でナンバーワンになった。
蟹瀬しかしそれをやっぱりマーケットにアピールしていくっていうと、あまり複雑なものではだめなわけですね?きっと。
大山そうなんです。それで、当社が、われわれがスタートしたときには、マーケットといいますのが、種苗(しゅびょう)店、要するに種だとか花を売るようなお店中心で、ですから店舗面積も50坪とか30坪小さなお店が中心だったのです。そうなりますと、いろいろな園芸の道具というのがかさばる割には、結局毎日売れないわけですから……。
蟹瀬それでホームセンターみたいな、今のああいうふうな大きくなってくれば違いますけどね。
大山そこに私は従来の種苗店のチャネルからホームセンターに目を向けて、その当時のホームセンターも実は日曜大工の店だったのですが、それだけでは品揃えが不足すると。で、今、ホームセンター、DIYですけども、私は園芸もDIYなのだと。
蟹瀬自分でやるのだと。
大山そうなんです。要するに水やり、肥料をやって育てる、これDo It Yourselfじゃないかと、そういうコンセプトでホームセンターさんと一緒になって市場を形成していきました。当社がナンバーワンになったおかげで、園芸の、ようするにマーケットもホームセンターがナンバーワンになったと、お互いそういう持ちつ持たれつの関係になったのです。
津島この後、常識を覆す商品で爆発的なヒット、躍進の原点となります。
津島1989年、クリア収納ケースを開発、爆発的にヒットします。本社を仙台市に移転します。1991年、アイリスオーヤマ株式会社に社名変更。1992年、現主力工場、角田(かくだ)工場完成。1995年、アメリカストックトン工場稼働開始。そして2003年、中国・大連に直営1号店を開店、韓国に物流センター建設ということです。
蟹瀬クリアケースというのは我が家にも随分数あるのですよ。あれ、大山さんのところが最初作ったのですか?
大山そうなんですね。実際私の生活の中から、ちょうど海釣りに行きたい、ちょうど春の初めですね。
蟹瀬釣り友達と釣りに行こうと?
大山そうなんですよ。ですけど、朝早いわけですから、仙台の春いっても寒いわけですから、冬のセーターを出したい、なかなかそれが見つからないということで、友達は外で待っているということでイライラしましてですね。
蟹瀬奥様と一緒に……。
大山そうなんですよ。
蟹瀬箱をひっくり返していたわけですか(笑)?
大山はい(笑)。で、そのときに女房に「なんでちゃんと整理しとかないんだ?」と。
蟹瀬あの当時、だけどそういう所にセーターとなんか書いた紙を貼っていませんでした?
大山そうなんですよ。それは1回目はうまくいくのですが、毎年模様替えのたびに同じ所に同じものが入らないのです。
蟹瀬そうかそうか。
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