リスクがあっても任せる人材育成。10兆円企業へ、先代から伝承した教えと夢
大和ハウス工業株式会社
代表取締役会長
樋口 武男
男は、創業オーナーの意志を継いで会長となった。赤字の関連会社を立て直し、本社の赤字も解消、大和ハウス工業・樋口武男(ひぐちたけお)代表取締役会長が語る、熱湯経営の哲学とは?
津島今回の賢者の選択は、赤字の子会社を再生し、本社社長就任後は数々の改革で、住宅業界トップとなりました、大和ハウス工業株式会社・樋口武男会長です。
蟹瀬樋口さんは大和ハウス工業の創業者、石橋信夫さんの後に社長を務め、最近は『熱湯経営』というご著書も書かれております。その経営哲学などは後ほどじっくりお伺いしたいと思ってるんですけども、やっぱりいろんな場面で経営者としては決断をしなきゃいけない、選択をしなきゃいけないっていう状況ありますよね? そういうときに賢い選択というの基準はなんになるんですかね?
樋口それは、会社が将来発展していくため。
樋口社員が幸せになるため。そして、
樋口株主さんにとって喜ばれる、そうするために、どうしなければならないかということでいろいろ考えて、全役を落とすという決断をしたんですね。それから後、結果としてはV字回復なんですね。だから足かせが着いたままはいかん!ということですね。
蟹瀬なるほどね。
津島はい。そんな樋口さんが、いかにして経営者として成功を収めたのか、その秘密に迫ります。
大阪、北区に本社を置く大和ハウス工業は、1955年に石橋信夫により創業。台風に負けない鉄パイプを使った住宅は、日本の住宅を大きく進化させた発明だった。創業以来、建築の工業化のパイオニアとして、常に安全で快適な住まいづくりを追求し、住宅業界のトップメーカーとして君臨している。さらに街づくり、店舗やビル建築、都市再開発なども手がけている。連結売上高は1兆 6,184億円を超える。
津島樋口さんは、現場に知恵がある、とのお考えをお持ちです。樋口さんが今までどのような人生を歩んでこられたのか、年表にまとめましたので、こちらをご覧ください。
津島1938年、兵庫県尼崎市に生まれます。1954年、兵庫県立尼崎高等学校入学。1957年、関西(かんせい)学院大学法学部入学。1961年、関西学院大学法学部卒業、大源(だいげん)株式会社入社。そして1963年、大源株式会社退職ということです。
蟹瀬この番組では、大体一番最初に幼い頃のお話を伺ってるんですけども、お父さまは新聞社にお勤めだった?
樋口そうです、毎日新聞。
樋口もうずっと一筋でしたね。技術屋でしたけどね。
蟹瀬そうなんですか。実際に取材したりとかそういうほうではなくて?
樋口いや、そうじゃない、技術屋、印刷、輪転機の技術屋ですね。
蟹瀬それで、樋口少年のしつけというのはおばあさまが主になされたと伺ってるんですが。
樋口そうですね。私の今日あるのもルーツはそこにあると思いますね。大変、明治生まれの郷の虎のおばあちゃんでね。
蟹瀬僕も郷の虎なんですけど、だいぶ後ですが。
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