M&Aの成功例・失敗例 シナジー効果を高める企業買収を成功に導く仲介者の信念
株式会社日本M&Aセンター
代表取締役社長
分林 保弘
マスコミでは敵対的買収ばかり取り上げられ、買収の99%を占めるという友好的買収には、ほとんど注目されていない。M&Aの最たるメリットはシナジー効果であるという、株式会社日本M&Aセンター 代表取締役社長(現代表取締役会長)・分林保弘が語る、M&Aの成功法則とは。買う側・買われる側双方の視点から探る。
蟹瀬それで、このアメリカのほうに能楽紹介旅行というので行かれていますよね?
分林ええ。
蟹瀬これはどういうことがきっかけだったのですか?
分林これはたまたま3年生の頃に、小田実(おだまこと)さんの『何でも見てやろう』とか、堀江 謙一(ほりえけんいち)さんの『太平洋ひとりぼっち』なんていうのが、ちょうど前年ぐらいだったのですよね。
蟹瀬大体あの頃の若者は、この2冊にというか、感化されましたね。
津島そうですか。
分林だからもうボロボロになるまでその本とか、いろんな本をやっぱり読んで、夢が膨らんできて、ぜひアメリカに行きたいと。だから私は大学の総長宛てに、今、京都市長とか大学の学長とかの推薦状をもらって全部英訳して、アメリカの演劇学部のある大学の総長宛てに手紙を50通ぐらいお送りしたのですよね。
蟹瀬私はこれから行きたいと、そしてお能を見せたいということですか?
分林そうです。そしたら30校ぐらいからぜひ来ないか?という感じで、貨物船の会社に、親父のコネもあって交渉しまして、名古屋港から大体2週間あまりかけて、アメリカの大学を二十何校公演して回って、1回も飛行機も乗らずに……。
蟹瀬ずっとバス?
分林ずっとバスで35州ぐらい多分回ったんじゃないかと思っています。
蟹瀬その頃大変なエピソードもおありだったそうで?
分林結構やっぱり、見るもの聞くものやっぱり全て珍しいし、非常に楽しかったのですが、結構やっぱり苦しかったことも。その準備期間期はやっぱり1年間は本当に苦しかったし、アメリカ行ってからも結構苦しかったこともありました。
例えば、演目でできるだけ派手なほうがいいだろうといって、『土蜘蛛(つちぐも)』という曲目があるのですが、その『土蜘蛛』のときに、蜘蛛の糸をこうしてまくのですけども。
蟹瀬シャーっと白いのが出てきてですね。
分林そうなんですよ。あれがものすごく受けましてね。そしたらロータリーでやるとかいろんな所からそれ以外に、夜なんかも公演をしてほしいとか、来てほしいという感じで、とうとうなくなってしまって、もう3日後に公演を控えているときに、もう日本から送る暇がないので……。
蟹瀬どうしたのですか?
分林丸2日間、60センチぐらいの紙を15メートルぐらいつないで、そこに鉛を入れて、紙を切って、かつ鉛を切らなければいけないわけですから……。
蟹瀬難しい作業ですよね?
分林非常に難しいのですよ。それを2日間、大学の中に閉じこもって涙が出るぐらいやっぱり結構きつかったのですけども、なんとかやっぱり公演しなければいけないからと、そういうようなことが何回もありました。
蟹瀬アメリカで、今、振り返られて、一番影響を受けたっていうことはどういうことなのですか?
分林やっぱり僕、アメリカ人というのは非常にやっぱり合理的だと思うのです。合理的だし、それからやっぱり生活に関しては、すごくやっぱり快適性といいますか、その面はすごくやっぱり感じました。スーパーも日本になかった頃だし、ハイウェイもなかったですし、外食産業もなかったわけですから、この四十数年間見てきたら、アメリカで起こったことは、こういったことだけでなしに、金融商品から含めて、全てやっぱり日本に影響を受けているということが、非常にやっぱりこの四十数年間、影響は大きかったですね。
蟹瀬なるほどね。それが後に仕事のほうに生かされてくるわけですよね。
津島そうですね。この後、分林さんは就職し、コンピューター販売の仕事に就きます。1966年、立命館大学経営学部を卒業します。日本オリベッティ株式会社入社。そして1981年、会計事務所担当マネージャーに就任ということです。
蟹瀬私なんかの世代ですと、オリベッティというとタイプライターと……。
分林なるほど。
蟹瀬こういうイメージだったのですけど、タイプライターが好きで入られたんですか?
分林いや、タイプライターってあの当時、多分社内のシェアは5パーセントぐらいしかなくって、実際はコンピューターとかコンピューターの端末が中心だったのですよね。
蟹瀬そうですか。そこを選ばれた理由というのは?
分林一つは数学が大嫌いだったのと、機械が嫌いだったんです。で、これはやっぱり自分がこれはちょっとまずいかなと思って、やっぱり数字が扱えて、コンピューターがこれからやっぱり多分主流になるだろうと。
分林自分の苦手を克服するのがいいのではないかと。で、営業に関しては学生時代からアルバイトなんかですごく自信持っていたので、それでカバーできるだろうと。それといつかやっぱり独立しようと思ったので、外資のほうが辞めやすいではないですか。
蟹瀬ええ。
分林それとやっぱり、なんといいますか、京都の企業なんか非常に大企業に多いのは世襲制が多いのですけど……。
蟹瀬オーナー系の企業ですよね?
分林オーナー系の企業だけには絶対にやっぱり行きたくないというのはやっぱりありました。
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