日本中の「記憶にとどめた」、生活インフラ企業が瀕死から作った奇跡の軌跡
株式会社ウィーヴァジャパン
取締役社長
高岡 本州
瀕死の機械メーカーがある技術の転用で新素材を開発。BtoBからBtoCへと業態を転換しマットレス業界に新規参入した。ハイエンドなユーザーを魅了する新次元マットレスパッドとは。急成長中の株式会社ウィーヴァジャパン取締役社長高岡本州のブランディング戦略に迫る
蟹瀬リーダー&イノベーション賢者の選択ナビゲーターの蟹瀬誠一です。
佐々木佐々木梓です。
蟹瀬佐々木さんね、我々の職業ってのはどうしても時間が不規則になるでしょう、そうすると睡眠時間がとりにくいってことが多いんですけども。
佐々木はい、悩みですね。
蟹瀬佐々木さんってだいたい平均睡眠時間ってどのくらいですか?
佐々木私はですね、たっぷり寝たい派なので平均7,8時間は寝るように心がけています。
蟹瀬まあ健康的。
佐々木はい、蟹瀬さんは?
蟹瀬僕はね朝犬が起こしに来るのもあってだいたい5時間ぐらいですね。
佐々木えー、5時間はちょっと短いんじゃないんですか?
蟹瀬でもね慣れてるからあんまり疲労感はないんですよ。
佐々木あ、そうなんですね。
蟹瀬ただ今の社会ってとってもストレスが多いので睡眠障害に悩んでらっしゃる方多いですよね。
佐々木そうですね、健康にも影響ありますからね。
蟹瀬寝たくても寝られない、これとてもつらいことですね。というわけで今回はマットレスで新しい睡眠環境の実現をしたいと、こういうコンセプトで製品を開発しブランド化を進めている企業に注目します。
佐々木それでは今回のゲストの方にご登場いただきましょう、株式会社ウィーヴァジャパン取締役社長の高岡本州さんです。よろしくお願いいたします。
高岡よろしくお願いします。
佐々木それではさっそくなんですが高岡社長、ウィーヴァジャパンの特徴を一言で表すといかがでしょうか?
高岡新しい素材で新たな睡眠環境を作りたいと思いマットレスパッドを作っております。
蟹瀬今お持ちいただいているのがそれなんですか?
高岡はい、これがその素材です。
蟹瀬ちょっと触ってもいいですか、すごい弾力ありますね。
佐々木ちょっといいですか、こういう素材でできてるんですね。
高岡ポリエチレンという樹脂です。
佐々木では、この番組では企業の変革を象徴する3つのキーワードで進行させていただいてるんですけども。高岡社長、最初のキーワードはなんでしょうか?
高岡はい、「叔父の遺言」です。
蟹瀬遺言、どんな言葉なのかね。
佐々木気になりますね。
蟹瀬じっくり伺いたいと思います、どうぞ。
1960年高岡は名古屋市で生まれる。父親は電力会社に配電機器を製造販売する会社の創業社長だった。高岡は名古屋大学で応用物理学を学びその後、父親の会社を継ぐべく、慶応技術大学の大学院で経営学を学び、さらにアメリカスタンフォード大学で経済システム工学を学ぶ。高岡が日本高圧電気株式会社の2代目社長に就任したのは38歳の時だった。社長に就任して6年目の2004年転機が訪れた、高岡の叔父の経営する工場が倒産の危機に直面したのである。高岡は叔父から工場を引き取ってほしいといわれた。
高岡父の兄である叔父が、ずっと前からプラスティックの細い糸を作る機械の機械製造業の会社をやっておりましたんですが、その経営をなんとか引き取ってほしいと言われまして。
2004年から社長兼務していたということなんですが、ただ兼務して引き取ってその会社をなかなかうまくいきませんでした。その後中部化学機械製作所を現在のウィーヴァジャパンというという会社に切り替えたんですが、ちょうどその会社の社名を変更した日がですね、叔父がなくなった日偶然なんですけど、まあ結局叔父の遺言でこの会社を引き取ったということになるわけですよね。
蟹瀬そうするとおじさまの遺言っていうのは、とにかくこの会社を残してほしいと。
高岡そうですね。
蟹瀬この一言。
高岡そうですね。やっぱり50年以上続いた会社で地元にある工場があったんで、とにかくその場所を何とか残して、それで引き取ってくれとこういうのが叔父からの依頼事項だったわけです。
蟹瀬亡くなられたその瞬間、その言葉っていうのは当然重く心にのしかかったと思うんですけど。
高岡そうですね。
蟹瀬やっぱりやってやるぞって気持ちだったんですか?
高岡やらないといけない。潰せないと。まあ引き取るときに一番簡単だったのは、機械製造業が赤字だったのでこれをやめてしまって、採算性のよい部分だけ残すってのが、あるいは会社そのものを無しにしてしまってですね。土地だけどうか運用したりするっていう方法もあったんですけど。
蟹瀬ですよね。
佐々木その条件の中最初に考え、実行したことはなんだったんですか?
高岡その会社が、射出成型という技術で細い糸をとかをそういったものを作る機械を作っていました。
蟹瀬射出って要するに噴き出す。
高岡吹き出すんですね、その技術でちょっとユニークな技術がございまして。そこで作れるクッション材が当時開発できてたんで、そのクッション材だけでなんとかこの会社を存続させようとこういう風に思いました。
ただ最初は、クッション材をいろんなとこにBtoBで、いわゆる製造業の会社さん、マットレスメーカーさんあるいはその椅子のメーカーさん、緩衝材メーカーさん、こういうとこに売っていったのですが、なかなか評価していただけなくて。
蟹瀬あまりいい反応が来なかったんですね。
高岡はい、結局2年間、そのBtoBとにかく引き取った状態で会社を運営したんですが、上手くいかなくて、結局それをマットレスのウィーヴァジャパンに転換したというのがまあ2007年ということなんですが。
蟹瀬今おっしゃった、その作ったマットレスをもう消費者に直接売るという考え方ですね、とうことはBtoCという。
高岡BtoCですね、はい。
蟹瀬だけどBtoBでやってられた方が急にBtoCに行こうと思うと思うとこれマーケットも違うし…それからいろんなビジネスモデルも違ってくると思うんですけど、その辺の大変さってどうだったと思います。
高岡おっしゃる通りだったと思います。ただBtoBでやってた時はですね、その素材を作ってお出ししてもなかなか素材に対する評価を直接受けない受けられないわけですよね、わたしども。それで技術も磨けないつまりお客様の声を聴かない限り、技術の進歩はなかなか難しいなと思いました。
そのお客さんの声を聴きたいっていうのが、この会社をBtoCに切り替えた一番の強い原因だったと思います。
蟹瀬切り替えてから一番大変だったことはなんですか?
高岡まず、全くやったことのない状態だったので…。私どもは日本高圧電気という、電力機器作る会社なんですけどもこれもBtoBです。ですからBtoCってやったことないまずその常識が違うんですね。販売ルートもない。
蟹瀬そうですよね。
高岡何から何まで初めてですから、切り替えようと思ってから1年間準備かかりました。
蟹瀬途中でやめようと思われなかったですか?
高岡いやまあ、とにかく工場を潰しちゃいけないから…。
蟹瀬遺言があるから。
佐々木そうですよね。
高岡そこの2代目息子が何か新しい仕事をやって失敗したって言われたくないですし、やっぱり悩みました。
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