「欲なくしてできぬ社会貢献」 天皇執刀医の働く極意


順天堂大学医学部付属順天堂医院
院長
天野篤

SOLOMON

 どんな苦境にもあきらめず、一途に患者の命をつないできた。心臓外科医になって執刀した患者の数は7500例を超えた。天皇陛下もその中の一人である。人間の営為とは思えぬほどの努力を続ける天野篤 氏はAI(人工知能)やロボットとの対峙をどう受け止め、医者として、そして人としてどう働くべきかと考えているのか。その極意を探った。

Chapter2 覚悟のない者は医師になるな

天野篤の「医師道」

返済義務のない9000万円のおかげ

私立大学の場合、学生一人当たり1年間にかかる医学教育費は1850万円、6年間で1億1100万円かかっています。順天堂の学費は6年間で約2000万円ですから、教育経費のうち9000万円は国庫補助金や寄付金 などでまかなわれています。医学生らは返済義務のない9000万円のおかげで医師になっているのです」
 
国公立大学の医学部でも医師一人を育てる 経費は同程度。授業料が安い分、国公立大学出 身の医者には補助金など税金がもっと使われている。いずれにしても「返済義務のないお金のおかげで医師は育てられている」
天野氏は医学部に入るまで3浪をし、苦労して医学部への扉を開けた。医者になり、外科 医として腕を上げてきた天野氏は「若い頃は自分の力で医師になったという思いが強かった」と振り返る。しかし、多くの税金や寄付で医者として育てられたと考えるならば、天野氏は「社会からのサポートがあって医師になったという意識を持たないといけない」と指摘する。もしも医師になるための公的な支援額9000万円の半分、4500万円を借金し、返済するとすれば完済までには20〜30年はかかる計算になる。

「借金を返済するために24歳で医師になったならば40歳半ばから50歳ぐらいまでは義務的に、そして患者のために働かなくてはならない。医学生には第一線の医者になったら世の 中のために働き、恩返しをしろ、と話しています。27歳で医師になった僕の場合は 50歳代の半ばになってようやく恩返しができたのかなあ、と思います」
 
日本には国民みんなが何らかの医療保険に入ることが義務化されている国民皆保険制度 がある。1961年(昭和36年)に始まった制度である。

「国民皆保険が始まった昭和36年に24歳で医者になった人は今年80歳です。80歳以上の医者もいるでしょうがもう少数です。今働いている現役の医師はずっと国民皆保険のもとで医師をし、そのおかげで家族も含めて健康に暮らせているのです。国民みんなが払っている保険料や税金で日本の医療も医者の生活も成り立っているのですから、医師は公務員的に社会のために働かなくてはならないのは当然です」

医師偏在は医師のモラル低下が招いている

「偏差値の水準で自動的に志望校を決める受験生が増えています。都市部から地方の国立大学医学部に進学し、卒業したら都市部に戻り、研修医になる例が多くなりました。その結果、地方で働く医師が少なくなるという医師の偏在が問題になっています。こうした問題が起きるのも医師のモラルの低下が引き起こしているのではないかと思います」
 
戦前の憲法学では国家を法律上の法人として見立て、天皇や議会、裁判所などは法人としての国家の「機関」だという「天皇機関説」があった。天野氏はそれになぞらえて、「医師は社会の中のひとつの機関として活動しなくてはならない」と「医師機関説」を主張する。

「医師になった限りは社会に恩返しをするまでは、労を惜しまずひたすらに努力をする。 そんな覚悟がないようでは医師になるべきではありません」

もちろん若い頃は「自分の力で医者になったと思っていた」という天野氏だから、「社会に恩返し」しなければならないと思い始めたのは、そんなに昔のことではない。
心臓外科医になって駆け出しのころ父を心臓弁膜症の手術で亡くした。「この先生ならなんとかしてくれる」という先輩医師に父を託した結果だった。自分に技量が備わっていれば、救えたかもしれないという思いが心臓外科医を極める道へと導いた。人工心肺装置を使わずに、心臓を動かしたままでバイパス手術を行う「オフポンプ手術」に挑戦したのも、手術を始めて1024例で初めて手術死を迎えたからだった。人工心肺装置を使った手術が患者への負担を重くしていた。「患者を救いたい」という思いが新しい技術の習得や技術の向上をもたらした。
亀田総合病院(千葉県鴨川市) から新東京病院 (千葉県松戸市) に移った30歳代半ばから40歳代にかけてどんどん腕を上げ、結果も出し始めたころを振り返り、天野氏は「自分のためにだけに仕事をしていたのではないかと思う。天狗になっていたかもしれない」と言う。
心臓外科医として名を上げてくれば、有名人が紹介されて手術を受けにやってくる。新東京病院での冠動脈バイパス手術の年間件数は493例となり、症例数としては日本一となった。当時は業者からもチヤホヤされ、体力的にも無理がきいた。自分の力で人生を切り開いてきたという自負が膨らんだ時期だったのかもしれない。だが結果を出し続け、いろんな出会いの中で、天野氏自身も変わっていく。日本では心臓外科医が一生に3000例も手術をすれば多い方といわれる状況で、天野氏の手術例はすでに7500を超えた。

決定的だった順天堂での経験

一人でも多くの患者を救いたいという思いが積み重なった。「一人でも多くの患者を救いたい」が「社会のために」という考え方に昇華されるのは自然の成り行きだったともいえるが、天野氏は「決定的だったのは順天堂にきたことだった」と振り返る。 
順天堂医院は都心の大病院である。政財界のVIPが大勢やってくる。人脈もどんどん広 がった。そんな中で「数多くの結果を出して、期待に応えてきたから今がある」と言う。そして順天堂で働き始めて10年目の2012年、天皇陛下との出会いがあった。

「患者さんがだれであれ自分ができることは全部やってきました。一手間加えることで予後が良くなる可能性があれば、その手間を惜しみはしませんでした」
 
天野氏の医師として働く流儀である。患者の病状が自分しかできない難しい手術を施さないと救えないと知れば、誰であろうと手術をする。こうした「公平の原則」を貫いてきた、と天皇陛下にお会いするまでは思っていた。
 
「天皇、皇后両陛下のお姿をみて、目の前のご公務を分け隔てなく、粛々と遂行され、いろんな方に感謝と敬意をお持ちになっている様子に感銘を受けました。公平の原則で目の前の患者さんに全力を尽くしてきたつもりでしたが、『本当にお前はやっていたのか』とガツンと頭を殴られたような気がしました」
 
天皇陛下との出会いが天野氏をさらなる高みに押し上げる力となった。順天堂大学の定年は65歳。心臓外科医としての残りの時間は少なくなった。「まだ手術の腕は上がっていますか」と聞いてみた。

「今もうまくなっている。衰えているところもあるかもしれないが、結果を出すことでカバーしている。最近も偶発的な事象がおき、患者さんを亡くしたことがあり落ち込んだが、再発を防ぐために何をすべきかを考えている。止まった方が楽ですが、止まったらおしまいです」

天野氏は「今では3年単位で考えている。こんなことはこれまでなかった」と言う。61歳になった今も、もがき、立ち止まらず、間近に迫ったゴールテープを目指している。

出演者情報

  • 天野篤
  • 1955年
  • 埼玉県
  • 日本大学

企業情報

  • 順天堂大学医学部付属順天堂医院
  • 公開日 2016.10.28

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