「誠心誠意」の対話と「科学の力」で挑戦!世界の生活空間をどう変えた?
リケンテクノス株式会社
代表取締役社長執行役員
常盤和明
リケンテクノス株式会社。1951年、理化学研究所をルーツとする理研ビニル工業株式会社設立。主に塩化ビニル樹脂を中心に、独自の配合、混練技術を軸に業績を伸ばして行く。国内だけでなく海外への輸出も積極的に行い、1989年には、タイに生産拠点を立ち上げる。その後、欧米、インドネシア、中国に生産拠点と販売拠点を設立するなど、グローバル化を図っている。2001年、リケンテクノス株式会社に社名を変更。グローバルな営業戦略で拡販を目指すのは、アメリカ赴任15年、その間5年の経営経験を持つ、代表取締役 社長執行役員 常盤和明。
坪井さて常盤社長のプロフィールを拝見しますと、大学卒業後、すぐにリケンテクノスの前身である理研ビニル工業に入社されました。入社のきっかけはどういったものだったのでしょか?
常盤大学四年次のときに、その当時、特殊法人でありました理化学研究所で研修をしております。一年間かけて、卒業論文を書き上げているわけでございますけれども、本格的な研究機関で研究の厳しさ、ならびに楽しさを勉強させていただいたという状況でございます。その縁もあって理研ビニル工業に入社したという経緯がございます。
宮川冒頭のVTRで、アメリカに15年いらっしゃったと。これはご自身のご希望だったのですか?
常盤はい。1990年に、米国の塩ビのコンパウンドメーカーを買収しまして、そこで事業を立ち上げました。その当時、私はまだ20代で、工場で品質管理を担当しているわけでございますけれども、やはり米国でのモノ作りから日本らしいモノ作りに……「モノ作りの改革をするのだ」ということで、米国に赴任を致しました。初めは2年程度でやるという予定でございましたけれども、足掛け10年、品質保証を5年やり、一時日本に帰ってきましたけれども、また生産の拡大、販売の拡大で、「営業部長を5年やれ」ということで10年おりました。その後、日本の自動車産業が、素材の多様化に進んでいき、エラストマーのコンパウンドを是非北米で作ろうというプロジェクトが立ち上がりまして、その当時、10年アメリカにおりましたので、そろそろ日本に帰れるのかなと思ったのですけれども、「是非お前がやれ」ということで、中東部のケンタッキー州に新しい会社を設立して、会社の設立から、工場の建設から、スタートから5年間、社長としてやらせていただいたというのが背景でございます。
宮川そうすると、そこでいろいろなことを学ばれたと。
常盤はい。やはり双方向のコミュニケーションをきっちり取ること、ならびにディスカッションの大切さ、これを強く感じました。
宮川それは、むこうから学ぶということですか?
常盤はい。文化も言葉も違う国で仕事をするということですから、当然ながら彼らの多様性、彼らの文化を尊重するということはもちろんでございますけれども、やはり物事を進めていく中で、やはりディスカッションが必要だと。
坪井アメリカでいろいろな経験をされたと思うのですけれども、その経験の中で、「今生きているな」と思うことはどんなことですか?
常盤本質を考えるということだと思います。今現在、ここで起こっている現象だけではなくて、その裏にある根幹の部分は、なぜそうなっているのか、それを考える癖がずいぶん付いたと感じております。
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