「やっぱり夢を発信する企業にしたい」。通信販売にかけた男の気迫。
株式会社ジャパネットたかた
代表取締役社長
高田 明
「ショッピングはエンターテインメント性を持たなければ駄目だ」。観光写真撮影販売からスタートし、通信販売事業に乗り出し年商1,000億円を超えるまでに至ることができた理由がどこにあるのか。自らスタジオを作り番組製作にまで乗り出した高田明が語る販売の秘密とは?
高田ええ、白黒からカラーへ。で、現像所というのを早くつくったものですから、ホテルに行って、その宴会所の撮影とか、それを夜中に焼き付けて、朝に販売するという仕事、観光がすごくブームになった頃でしたから、それで僕もちょっと手伝ったんですよ。これまた面白いんですよ。はまってしまいまして、それからいつの間にか、私だけこの写真の道、勉強してないんですけども、そのときも今みたいに続けるとかいうのではなくて、面白いからとにかくやってみようと。それで、やりだしたらいつの間にかこうなってしまったんです。
蟹瀬だけどお父さんの仕事を手伝う前に、やっぱり会社辞めてるわけですから、なんか他の道へ行こうとか、そういうことは全然考えられなかったんですか?
高田ええ、だから普通だったら若いときに、40、50、自分はどんな道を行くんだろうと。でも私は、どちらかといえば、若いときに将来の20年先、30年先は誰も予測できないという、今になって思うんですけど、だからそのように、今というとき、そのときにものすごく集中するんですよ。だからその集中する、英語で集中して勉強して、ヨーロッパへ行かせていただいて集中して、辞めて翻訳に集中して、またそこをやめたら写真で集中して、そうするうちにいろんな方に出会ったりいろんな経験をしながら、だんだん自分の道というのは出てくるのかなという、そんな歩き方ですかね。
蟹瀬ただそのお父さまの仕事を手伝ってらっしゃる、写真というのは長い歴史があるわけですけども、やっぱりどうやったら売れるかとかというのは真剣に考えられました?
高田考えましたね。
高田観光写真というのは実に面白いことでした、当時は。宴会場に500人ぐらいの老人会が全部、宴会場で食事が始まる、終わりまでの1時間の間に500人全部撮影するんですよ、ばーっと。
蟹瀬一人ずつ撮っていくんですか?
高田3名とかですけれど、グループで、そして「こっちを向いてください!」と声を掛けて。それを夜中に焼いて朝の6時の食事時間とか5時の時間に全部並べるんです。買う買われないは、見て気に入った方が買われるわけですからうまく撮らないと。
蟹瀬今、ゴルフ場でやっているみたいに、最初のスイング写真撮られて、上がってきたところで売ってると。
高田スイング分解とか、そうです。
蟹瀬それで事業も拡大して、営業所を出すことになったそうで。
高田ええ。それはちょうど橋が架かる前に、
高田松浦市という隣に市がございまして、そこに私が結婚27になってしたんですけども、出るといったら私と家内が一番出やすかったんですね。長男も次男も、みんなそこで働いていますから、それで松浦という町に2坪半か3坪のお店を、初めて平戸を離れてお店を出しました。
蟹瀬だけど橋がないということは?
高田船で通ってました。
蟹瀬船で。
高田1年間通いました。フェリーで本土に渡って、そして朝9時にそこを開けるわけですから7時半ぐらいに出て、そしてフェリーでまた平戸に帰ってきて、それを1年間二人で通ったんですね。
蟹瀬そうすると売り上げって相当あがらないと割に合わないですよね?
高田そうですね。
蟹瀬どのぐらいの売り上げだったんですか?
高田当時、はっきり覚えているのが、最初のやっぱり2、3ケ月、1ケ月の売り上げが50万60万でしたね。これ、立っていきませんよね? 2人行っていて人件費も出ません。なんとか1年間で、目標を立てて、300万、1日10万にしたいという思いがあった。
蟹瀬月商300万?
高田はい。それは1年後になりましたね。
蟹瀬そうなんですか。どういうことをしてそこまでいったんですか?
高田そのときはやっぱり建設会社さんを回って、定期的に集配に回ってフィルムを頂くとか。それとかカメラを売りに行くときは、近くに島があるんです、鷹島(たかしま)とか、蒙古(もうこ)が来襲(らいしゅう)したという、そこの鷹島なんかに、それとか炭鉱の町に、お隣の宝飾屋さんとか「一緒に販売行きませんか?」と言って、1泊泊まりで行くんですよ。そこで展示をしましたら、やっぱり30万とか50万とか売れちゃうんです、買っていただけるんですよ。だから300万を達成するためにはなんでもやり通すと。
蟹瀬だから、待っていてもお客さんは来ないと、やっぱり自分のほうからお客さんのほうへ出て行くという、この姿勢が大事だということですよね?
高田はい。もちろんお店のほうの活性化というのも、やっぱり売り出しをやる、そしてやっぱり販売のノウハウを磨く、そういうこともやって、やっと300万にこの松浦でなりました。
蟹瀬それで、今度は独立された? その商売をずっと続けていくというよりは、やっぱり独立でしたいという思いが強かったんですか?
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