「シェアは取り過ぎない」「ライバルをわざとつくってるんですよ」に潜む展開力


株式会社ライブドア
代表取締役社長兼最高経営責任者
堀江 貴文

特選インタビュー

コミュニケーションツールとして社会に定着したインターネット。その世界で風雲を巻き起こす男がいる。堀江はいかにしてブームとなるほど会社を急成長させることができたのか。遥かなる先見性でビジネス界に新風を吹き込む手腕、その背景となっている姿勢とは?

木村23歳で起業して、今や年商300億円、そんな堀江さんにまずお伺いしたいのは、成功する秘訣というのは一言で何でしょう。

堀江非常に簡単なことなんですけど、常識を疑って、まあ疑ってということはないんですけども、自分の情報を基にしてシンプルに考えて、周りになんと言われようが自分の選択を実行していくということですね。

貫き通すということ?

堀江貫き通すというよりは、自分の選択が世の中の選択と合ってることもあるんですけれども、合ってないときチャンスだということですね。

なるほど。

堀江人の裏をかいたんだけれども、それにはちゃんとした根拠があるというときがチャンスでしょうね。

木村根拠がないといけないんですね。

堀江根拠がないといけないです。

木村単に信じてるだけでは、独り善がりということありますよね。

堀江あまのじゃくなだけですからね。

東京六本木、六本木ヒルズの38階にインターネット企業ライブドアがある。ポータルサイトライブドアのメディア事業をはじめ、ファイナンス、ソフトウェア、コンサルティング、ネットワーク、モバイル、ソリューションとさまざまな事業を展開、今では年商300億円を計上している。また関連会社も30社を超え、その成長はとどまることを知らない。今日、ライブドアの経営秘話が、最高経営責任者・堀江の口から語られる。そこには一体どのような秘密が隠されているのだろうか。

木村インターネットからプロ野球新規加盟まで、昨年は本当に時の人という感じだったんですけれども、これまで歩んでこられた道のりというのは一体どういうものだったのか、ちょっと検証してみましょうか。

1972年10月、福岡県八女市に生まれました。そして91年、久留米大学附設高校を卒業されて東京大学文学部に入学されています。

木村八女市っていうと福岡なんですね?

堀江そうですね。

木村お茶で有名な。

堀江まあ田舎ですね。

木村どういう少年時代を過ごされたんですかね。

堀江どうですかね。どういう局面か、局面というか、いろんな局面で見ると、全く違った子に見えると思いますけど。

木村進学高校なんですか、ここは?

堀江高校は進学校ですね。中高一貫の高校ですね。

木村もうひたすらお勉強ですか?

堀江全然してないです。

木村ああ、全然(笑)。

堀江もともとあんまり勉強好きじゃないですよ。

木村はい。それでどうしてこう進学高校へ?

堀江受かっちゃったからですね。

でも小学生のときは神童と言われるくらい。

堀江それはたまたま田舎の高校ですから(笑)そこで圧倒的1番でも、そんな普通のことですよね、それはね。

木村で、頭のいい子たちが集まる中学へ入られたわけでしょう?

堀江ええ。

木村そこで挫折みたいなものってありました?

堀江ないですね。みんなすごく勉強していてすごいな、ある意味すごいなと、なんでこの人たちは毎日勉強できるんだろうと不思議でしょうがなかった。なんのために毎日勉強してるんだろうと。どうせ大学行くまで何も関門ないのに、中高一貫でエスカレーターですからよっぽど変なことやらない限りは自動的に高校上がれるわけじゃないですか。受験の勉強も必要ないわけでしょ? 勉強する必要ないじゃないですか。

パソコンに中学のときに出会いがあったと。

パソコンとの初めての出会い…

堀江そうですね。多分ちょっとしたブームみたいなのがあったんですよね。第一次パソコンブームみたいなのがあって、そのときに買って、使って、使い倒して、2、3年やったら飽きたみたいな感じですか。

でも少しそのパソコン学習プログラムの制作も手伝われて、少しお金をそこでもう儲けてらっしゃるんですよね?

堀江そうですね、ええ。たまたま通っていた塾でやれと言われてやったら金もらえたと。1日で何万円かもらいましたから。こんなおいしい商売が世の中にあるんだと、一応覚えておこうと。それは後々役に立ったわけですけどね。
要はゲームのソフトとかをつくるのは、すごく天才的なスキルが必要なんですけども、例えば企業用のそういう学習プログラムとか、そういったソフトをつくるのは誰でもできるわけですよ、私から言わせれば。誰でもできる仕事で、こんなに何万円ももらえたら、こんなぼろい商売はないだろうと思いましたね、当時。ただ面白くないですけどね、全然。お金がもらえてうれしい、というのはありましたね。

木村それで東大へお入りになったわけですけども、なかなかやっぱり進学校といえども東大へ行こうと思うと大変ではないですか?

堀江でも一応、1年間に50人ぐらい入るんですよ、東大に。なので、まあ行けるかなと。

木村でも上から50番にいなきゃ入れないんじゃないんですか?

堀江いなくてもいいんですよ、その時点では(笑)。試験のときにそれぐらいの実力があればいいわけじゃないですか。だから6年間ずっと勉強する必要はないんですよ。

受験の前に集中して?

堀江そうです、半年ぐらい集中すればいいんです。

実際そういう勉強法だったんですか?

堀江そうですね。

でもそれでもなかなか東大には入れないと思いますけど。

堀江いや、これはみんな受験に対して戦略を持って考えないんですよ。
言われたとおり6年間真面目にコツコツと勉強しなきゃいけないと思い込んでるんですけれども、そうじゃないですよね。受験も経営も同じなんですけど、戦略を持ってちゃんと考えてやれば、非常に効率的にやる方法はあるんです。日本の受験って英語がポイントなんですよ。逆に言うと英語さえできると非常に楽になるんですよ。
で、英語って言葉じゃないですか。言葉って何を覚えなきゃいけないかというと、単語を覚えなきゃいけないんですよ。逆に言うと単語さえ覚えておけばなんとでもなるわけですよ。あとは国語と一緒ですから。

そのように東京大学へ進学されて東京へやってきた堀江さんですが、ここで堀江さんを待ち受けていた運命がありました。96年、23歳のとき4月、東京大学在学中に有限会社オン・ザ・エッヂを設立されたんですね。

堀江はい。

木村起業ですよね?

堀江そうですね。

木村そのときのその起業の一番の動機というのはどういうことですか?

起業の動機とは…

堀江それはもうインターネットに出会ったことですね。今でこそインターネットといえば誰でも知ってますけど、当時は誰も知らなかったんです。
私が出会ったのは94年なんですよ。会社作る1年半ぐらい前なんですけど、こんな素晴らしい仕組みがあるんだと感動して、世の中に仕組みを変えてしまうと、要は産業革命以来の大革命だと、これは。
だからこの、要は大きなマーケットをこれからインターネットというのは創出してくるわけですけれども、要は何兆円とかというレベルではないわけですよ。何十兆円何百兆円のマーケットがバッと出てくる出でくるわけですよね。その中で1パーセントでもシェアが取れれば世界ナンバーワンレベルの会社にできるじゃないですか。

シェアを1%取るのは努力でできると思った…

堀江で、シェアを1パーセント取るのは努力でできると思ったんですよ。
で、あるマーケットでトップシェアになろうと思ったら、努力だけでは僕はどうにもならないと思うんですよ。運が必要だと思うんですけど、1パーセントのシェアだったら、誰でも努力をすれば、頑張ればそこまで持っていける、つまり非常に確実性が高いわけですよ、自分の気次第ですから。と思ったのが一つと、インターネットという金鉱山を見つけた、金脈を見つけましたよと、大体私の性格からいうと、そういうものを見つけると黙っていられなくなって人に言いたくなってしまうんです、「ここに金講座あるぞー」というふうに叫びたくなるんです。
でも、まあそのときも叫んだんですけど誰も反応しないんですよ。「ここにインターネットあるぞー」と言っても、誰も「知らないよ、そんなの興味ないよ」と言うわけですよね。これはチャンスだと思ったわけですよ。

こんな素晴らしい仕組みで世の中を変える力があるのに

堀江こんな素晴らしい仕組みで世の中を変える力があるのに誰もそのことを知らないと、俺だけしか知らないと、これはチャンスだな、と思うじゃないですか。逆張りの発想で、しかも自分がそれに自信を持てるという、初めての大きなケースですよね。そう思っていろいろやりながら、ある会社でアルバイトをしながらその事業を立ち上げててノウハウを全部つかんで、営業もやっていましたから、何から何までやることやれて、それで会社を作って、3年ぐらいたつとみんながそれに気づいてきて。やっとみんな気づいたわけですよ、3年たって。それでネットバブルが起こったと。会社は作るしかない、という感じでしたね。

こんなにおいしい題材があるのにって。

堀江その頃の自分というのは、もう焦りまくってましたよね。

木村そうですか。

堀江ええ。とにかく手を広げようと。

創業当時

堀江インターネットのマーケットは俺がつくったぐらいの勢いでやりたいなと思っていたんですけど、当時は小さい会社でしたから全然そんなことはなくて、誰にも相手にされずにみたいな感じでしたけど。

木村普通だと、東京大学まで入ったら無事卒業して、キャリアでも目指して、あるいは就職して一流会社にという道を考えるじゃないですか。そういう発想は全くなかったのですか?

堀江なかったですね。

起業を選択した理由とは…

堀江両親がサラリーマンだったんですけど、サラリーマンというのは非常に搾取されていて、なんでわざわざそんな所に飛び込まなきゃいけないんだろうなというふうに思ったわけですね。で、大企業だからといって安心なわけではなくて、今やそんなこと思ってる人は多分一人もいないと思いますけど、いろんな会社がバタバタとやられていきましたよね。だから要はタイタニック号なんですよね。

出演者情報

  • 堀江 貴文
  • 1972年
  • 福岡県
  • 東京大学

企業情報

  • 株式会社ライブドア
  • 放送日 2005.02.05

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