介護の実体験から社会課題へ。話題の介護業界に安定の枠組みをつくる発想とは?
株式会社アーバンアーキテック
代表取締役社長
川又 則夫
超高齢化社会、要介護人口の増加という社会問題と、ともなっての人材不足などで話題が尽きない介護業界。そのようなマーケットのなかで、月々の年金で賄える程度の金額で入居可能、というサービス付き高齢者住宅事業を営むアーバンアーキテック。入居者にも、働く方にも、そしてこれから社会へ出る若者の未来までも担う挑戦ができる、安定した品質とスケーラブルな仕組みは、どうつくられたのか?代表取締役社長の川又則夫に聞く。
蟹瀬ローコストというのは嬉しいのですが、その一方でやはり、安いと「サービスのほうはどうなの?」というところ、これはすごく気になりますよね。しっかりとしたケアをどこまでやっていただけるのか。
川又特定施設といわれる介護施設があります。手前どもの関連施設にも特養を運営している事業がございますけれども、その特定施設に見劣りしないサービスを提供することをコンセプトにしていますので、そのなかで介護保険を使っていただいて、十分なサービスを提供するということをやっております。
蟹瀬どのレベルの介護まで対応していただけるのですか?
川又私どもの施設では介護度1から介護度5まで、認知症の方でも十分対応できる運営を行っております。
蟹瀬いわゆるターミナルケアの域に入った場合、どのくらいのことをしていただけるのかということは、私も気になるところなのですが。
川又私どもの「ご長寿くらぶ」には介護度5の方も入居しておりまして、ターミナルケア、いわゆる最期の場面ですね。全部の施設ではないのですが、いくつかの施設ではターミナルケアもサービスを提供しております。終の住処(ついのすみか)を提供する。今は病院で最期を迎えるという時代なのですが、これから先、病院も満杯になっていくというなかで、やはり高齢者住宅の果たす役割はこれから非常に重要になってくると思います。
ワンストップで完全サポートすることで、誰もが安心して利用できる施設運営を継続する。「いつか日本から『介護難民』をなくしたい!」。それが、これからも変わらないアーバンアーキテックの想い。
ドーキンズさて、川又社長のプロフィールを拝見しますと、このお仕事の前は銀行員をされていました。どういった経緯で今のお仕事に就かれたのですか?
川又大学を卒業して銀行に勤めたのですが、ちょうど私の実の兄が事故で亡くなるということがありました。それを契機に銀行を辞めて、父親の商売を継ぐという決断をいたしました。不動産業をスタートさせまして、そのあと建築をスタートさせました。それは「アーバンハウジング」という会社なのですが、その「アーバンハウジング」から2009年に分社化・独立したのが「アーバンアーキテック」という、今の会社でございます。
蟹瀬分社化を決断するきっかけというのは何だったのですか?
川又母親の介護ということがありまして、認知症だと診断されたのですが、なかなか施設を探そうと思っても、ない。こういった「高齢者施設が世の中に不足しているんだな」「自分たちが選択することができない」といった事実がありました。
最終的にはグループホームに入れていただいたのですが、当時は私も介護保険のことをよく分かっていませんでしたし、母親が認知症、あるいは持病が悪くなるにつれて、そのグループホームにも入れられないという事態になりました。そして近くのクリニックに入院したのですが、3か月経つと医療保険の点数が下がるものですから「出ていってくれ」と言われました。
そこでまた施設探しをしたのですが、また見つからないということになりました。「なんで、こんなに苦労するんだろうな……」ということを実感として感じました。なかなか医療と介護の連携というのは難しいものがあるという感じはいたしました。
蟹瀬それで、自分でやるしかないと?
川又そうですね。自分たちで何かできることはないのかなと考えたのが、この高齢者住宅の建築ということなのです。
蟹瀬どういう事業にしたいという思いだったのですか、そのときは?
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク