常識破り!「前例があるといったら全部やめる」のパワー
エステー株式会社
取締役会会長兼執行役
鈴木 喬
「ものを売る前に自分を売って、それから会社を売って、それから熱意を売って」。少年時代に過ごした戦後すぐの焼け跡がを原点。どんなことをしても生きていけるという自信とともに会社を急成長させた鈴木喬の、ヒット商品を次々に生み出す秘密、経営手法とは?
蟹瀬鈴木さんが会長を務めるエステーは、今年8月にエステー化学から社名を変更しましてエステーとなりました。開発のエステーと言われるぐらいで、消臭芳香剤など数々のヒット商品を生んでいるんですね。まず最初にお伺いしたいなと思ったんですけども、そのアイデアの源泉、次から次に出てきますよね。どのあたりにあるんですか?
鈴木やわらかあたまをつくることなんです。ですから真面目すぎるのもまずいんです。で、不真面目でも駄目なんです。ひ
真面目ぐらいでですね。ですから社内でも冗談だとか大ぼらが通じるような会社じゃないと駄目なんです。
蟹瀬だけどほらばかり吹いてたら駄目だと。
鈴木ええ、それはほら吹きですから。
東京新宿区に本社があるエステー、創業は1946年、防虫剤や家庭用手袋の製造からスタート、1971年に消臭芳香剤『エアーシャルダン』でエアケアの分野に進出、その後、湿気ケア、ホームケアなどの分野で数々のヒット商品を生んでいる。
1991年東証一部上場、2007年8月に社名が『エステー』に変わり、『ここちよさへの新工夫。』を掲げ、世にないことをやる会社として新たな一歩を踏み出した。売上高は452億円。
1935年、東京都渋谷区に生まれます。1954年、東京都立新宿高等学校卒業、1959年、一橋大学商学部卒業、日本生命保険相互会社に入社しました。
蟹瀬今日、鈴木会長とお会いできるというので、我が家の中にどのぐらいエステーの商品があるか、ちょっと見て回ったんですけど結構ありますね。
鈴木うれしいですね。
蟹瀬そういうふうに、やっぱり日用品って普段気が付かないんだけどたくさん身の回りにあるというものが多い。
津島そうなんです。
蟹瀬そういうものをやっぱり作ってらっしゃるというのは、僕は素晴らしいなと思うんですけれども、また生い立ちからこの番組はお伺いするのですが、ご家庭もやはりご商売をなさってたんでしょうか?
鈴木ええ。私の家業は東京の原宿で、今でいうディスカウンターやってたんですね。
蟹瀬日用品をやっぱり売っておられた?
鈴木そうです。私の父がなんとか成功者の部類に入ったところで戦争で爆撃されて、また無一文になったと、こういうことでございます。
蟹瀬そうすると、お子さんの頃の記憶というのはやっぱり結構暗いものが多いんですか?
鈴木ええ。真っ暗けと言ったほうがいいと思います。ちょうど今のイラクの子どもたちを思うと胸が痛いですね。小学校1年のとき太平洋戦争が始まって、3年、4年生と縁故疎開しまして、帰ってきて父が掘っ建て小屋つくって私が唯一の働き手で売り子でして、5年生6年生、青空教室と。それから新制中学第1回生でこれまた青空教室と、学校行ったことないですね。
蟹瀬要するにあまり勉強してなかったという。
鈴木そうです、学校なし。
蟹瀬勉強する場所がなかったということですよね。
鈴木場所なし、それから教科書なし、先生もいない、食べるものもない。
蟹瀬そのときに、そのご商売というか売られていたわけですね、何かを。でも売るものって仕入れてこなければいけないですよね、どういうふうになさったんでしょう?
鈴木父がいろいろな所に行って仕入れてくるんです。で、私は雨戸にそれ並べて、要するに露店ですよ。露店やって食いつないでました。
蟹瀬どうなんでしょう、今振り返って、その子どもの頃に学んで、今のお仕事にも影響を与えていることとかものとかというのはありますかね?
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