時代刺激人 Vol. 27
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
38年も続く米の減反(生産調整)政策の見直しが大きな政治問題になっている。きっかけは、日本農業を方向づける政府の「食料・農業・農村基本計画」を見直して、食料自給率を現行の40%から50%への引き上げをめざす政府審議会議論スタートと同時に米の減反(生産調整)の選択制、つまり農家の自由判断にゆだねるようにする、という構想が出てきたため、政治家が米の水田ならぬ票田を意識して、減反存続を主張し始めたのだ。
減反政策のあり方、そして閉そく状況に陥っている日本農業をどうしたらいいかの問題に入る前に、最近出会った自称元暴走族の新潟の農業青年が輸出米にチャレンジして見事に成功している話を先にしよう。たぶん、その話を聞かれたら、今後の日本農業を考える際のヒントになると思う。
米価下落で苦しんだ自称元暴走族の専業農家の青年が輸出米にチャレンジ
この青年は新潟玉木農園の玉木修さんで、いま29歳。ちょうど20歳の時に、実家の米作農業を引き継ぐことにした。田植えから出来秋の収穫まで米づくりに4回取り組んだ時に、玉木さんをショックに陥れる事件が起きた。玉木さんの実家は15.5ヘクタールの水田から年間94トンの銘柄米、コシヒカリを生産する安定した専業農家だが、その4年間に米価が下落を経験して経営を揺るがしたためだ。
「親父が62歳の現役でがんばっており月給制で経営にかかわっていましたが、24歳の7月に突然、実家が資金ショートし給料支払いが一時的にストップしたのです。理由は、米価下落によって予定した米代金が計画を下回ったためです。新米収穫の9月になれば米代金が入り問題解消するのですが、うちの場合、仮に米価が5%値下がりするだけで数百万円レベルの減収です。専業農家ほど米価値下がりの影響を大きく受けるのはおかしいと思い、そこで、自力で事態打開を図るしかないと考えたのが巨大な潜在的な市場である海外へ米の輸出です」
こう述べる玉木さんは、父親の玉木森雄さんと大激論の末に4年前の25歳の時に、当時アジアで米に対する味の評価があり、そこそこの経済成長を維持していた台湾を輸出先にしようと判断、精米にしたコシヒカリ10キロを持って台湾に単身、売り込みに出けたのだ。事前に台湾で米を取り扱っている貿易専門商社も調べあげ、文字どおり徒手空拳のような形での米を売り込みだが、そこから、さまざまなドラマが始まり、持ち前の反骨心のようなものが運を持ち込む結果になった。
運も幸いしたが、玉木青年は精米10キロ持って単身台湾に行き見事成功
玉木さんによると、最初に出会った台湾の貿易専門会社の役員との商談がうまく実を結びかけて矢先に、その役員がライバル企業にヘッドハンティングとなった。恐縮するその役員が「申し訳ない」と紹介してくれたのが今、玉木さんのビジネスパートナーとなっているリンさんという米国を拠点に日本、台湾、中国、香港、シンガポール、タイなどと貿易会社社長だった。
人間の運命というのは、本当に面白い。玉木さん自身のからだごとぶつかっていくファイティング・スピリットがプラスに働いたところもあるが、リンさんも面白いやつだ、と評価すると同時に日本のコシヒカリの味ならば十分に台湾国内で売れると考えたのだろう、ビジネス成立となった。スポットでの輸出契約は、玉木さんが翌年26歳の6月に、9月の新米が出るまでの4か月間に2.4トンの精米を輸出した。これが4年後に昨年産のコシヒカリで80トン、実に実家の米収穫量94トンの90%近くを台湾向け輸出に依存するほどになっている。
国内の生産農家が聞いたら飛び上がるのは、玉木さんが台湾で販売している新潟産コシヒカリの価格だ。聞けば、玉木さんは台湾滞在中に信じられないほどのエネルギーを費やして徹底的にマーケットリサーチした結果決めた価格だが、台湾標準袋づめ単位の2キロベースで720台湾元という値段で売り出した。円換算で1キロベースにすると1325円。当時、日本国内で新潟産コシヒカリが玄米で1キロ310円、精米で白米にしたものが450円だったので、国内の3倍以上の値段で売れたのだ。
日本より数倍の価格で売り込み今も値段浸透、残留農薬ゼロ証明で勝負も効果
この価格設定は、玉木さんが自ら言うように「台湾での衝撃的なデビューをするつもりで設定したもので、ずっと続けるつもりはなかった」。というのも、台湾は日本と違って米の輸入が自由化され、現地の台湾産以外に米国産、ベトナム産、タイ産の米がひしめきあって価格競争しているからだ。ただ、それでも玉木さんは各国の米を食べ比べたところ、リンさんとも意見一致する点で、日本の米は味の点で群を抜いており、十分な競争力がある、と見ているのだ。このため、価格面で値段のバーを不必要に下げるべきでないと判断、今も円換算で日本国内よりも高い330、480、580台湾元の3種類の価格帯の米を売っている。
もちろん、玉木さんには言い知れない努力があり、有機肥料と海洋深層水で無農薬化を図り、日本食品分析センターで分析試験をしてもらって残留農薬検出ゼロを3年間、続けて達成しており、その証明書を付けて台湾でコシヒカリを売っている。味だけでなく品質や安全性に厳しい台湾では消費者の人たちへの強いメッセージとなり高い値段のものでも買おう、となると踏んだのだ。
今、米国発の金融危機のあおりで円高が進み、本来ならば、日本からの輸出は逆風。ところが玉木さんは以前からリスクヘッジの布石を打ち、しかもパートナーのリンさんの応援で米国、中国にも輸出を準備中だ。
国内には先進モデル事例も多い、玉木青年も「3年後に世界一の農業マン」めざす
この1年、私自身、国内のコメ生産農家、農業法人などを訪問し、米を取り巻く厳しい逆境のもとでも、さまざまな付加価値をつけながらチャレンジしている事例を見て、「日本の米生産農家は捨てたものでない。それどころか、たくましい。先進モデル事例となるやる気のある農家や農業法人は、ジャーナリストの役割としてバックアップを」と思っている。もちろん、一方の極にある減反対応でへとへとになったり、高齢化後継者がいなくて愚痴を聞かされる生産農家も多かった。
しかし、この玉木青年の場合、若さと行動力だけでなく、経営判断も素晴らしい。玉木さんは「世界に米を売っていく。3年後に、世界一の日本農業マンと言われるようにがんばる」と語っている。心強い限りだ。
さて、ここで、冒頭の減反政策をめぐる問題だ。私の意見は、ここまで述べてきたことでおわかりいただけよう。減反政策を一気に廃止というのは、農業生産の現場に大混乱が起きるので、とりあえずは減反選択制で臨めばいい。むしろ、政府の減反政策にとらわれず米生産に積極的にチャレンジしたいので、耕作面積は自らの責任、自由裁量でやらせてくれという、やる気のある生産農家にはその判断を尊重する。ただし、増産に伴う需給バランスの崩れによる市況値崩れで、米代金が十分に確保できない事態に陥っても、政府が減反選択農家に支給する農家所得対策的な交付金は望めないことは言うまでもない。
38年間の減反政策見直しの時期、生産現場のやる気摘むことのリスク
私も、毎日新聞社で駆け出し記者のころ、米どころ山形県で最初の減反に遭遇し、それ以来、さまざまな生産農家の現場を見てきたが、減反政策は米の需給調整のために強制的に生産調整という名の減反、つまり米をつくるな政策、そして代わりに大豆などの転作奨励する国の政策に反発しながらも泣く泣く応じざるを得ない現実を見てきた。結論から言えば、生産農家に先行き不安感、閉そく感だけを残し、今は耕作放棄地がいたるところに増え、日本農業の生産力構造がガタガタになりつつある。
こういった意味でも、米生産に誇りを持ち、国内の閉そく状況を見限って海外に米輸出を志して成功している玉木青年の動きをみる限り、生産現場の自主的なやる気の芽をつむような減反政策は見直しが当然だと言いたい。それに米価、あるいは米価での農家所得補償にしがみつくやり方では、永久に、日本農業の将来展望は見えない、とも言いたい。
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