資源循環型社会の一翼を担う鉄鋼業の老舗企業。そのトップが目指す未来
共英製鋼株式会社
代表取締役社長
廣冨 靖以
大量生産、大量消費の現代において、再生利用可能な資源を有効に活用することは至上命題となっている。共英製鋼株式会社は、70年を超える歴史を持つ老舗鉄鋼メーカーだ。そのトップである代表取締役社長 廣冨靖以は、会社の成長のためには3つの柱が重要と説く。廣冨の未来を見据えた経営哲学と、これからの鉄鋼業界の可能性を紐解く。
鉄作りを通じて、日本の発展に貢献してきた企業がある。
廣冨 日本人として、もう1回世界に認めてもらいたいと、それに自分たちの事業を重ね合わせてですね、そういう思いが大変強かったんじゃないかな。
共英製鋼株式会社 代表取締役社長 廣冨靖以(ひろとみやすゆき)。共英製鋼は、鉄スクラップを電気炉で溶解して再生。ユーザーの多様なニーズに対応した製品の製造を行っている。チャレンジ精神、社員力、現場力を活かした「未来のビジョン」とは。
廣冨 資源循環型の社会の実現に向かって、「つくる責任 つかう責任」をしっかり果たせる。将来の企業像を目指してですね。共英製鋼としての100年企業を作り上げていきたい。
脈々と受け継がれたDNAを胸に、社員一人ひとりが未来へ向かって走り出すとき、そこに新たな価値が生まれる。
賢者の選択 FUSION
蟹瀬 賢者の選択 FUSION、ナビゲーターの蟹瀬誠一です。
福井 福井仁美です。改めまして、本日のゲストをご紹介します。共英製鋼株式会社 代表取締役社長 廣冨靖以さんです。よろしくお願いします。
蟹瀬 どうも、よろしくお願いします。
廣冨 どうぞよろしくお願いいたします。
福井 まずは、共英製鋼の事業と歴史をコンパクトに紹介するショートイントロダクションです。
共英製鋼株式会社は、1947年、戦前に設立した共英鍛工所を母体に、鉄の線材メーカーとして創業。1962年、鉄スクラップを電気で溶解する電炉業に進出。1973年には、日本の鉄鋼メーカーとしては初めて、アメリカへ進出。1990年、経営基盤の強化を目的に、グループ5社が合併し、共英製鋼が誕生。現在は、電気炉を用いた鉄鋼事業、電気炉のアーク熱を利用した環境リサイクル事業を中心に展開している。
福井 共英製鋼は電気炉を用いて事業展開をされていらっしゃるということなんですけれども、そもそも電気炉というのはどういったものなんでしょうか。
廣冨 電気炉というのはスクラップを大きな釜に入れて、そこに電極を差し込んで雷を落とすような形で高熱で溶かして、鉄を作る炉のことを言うわけですね。これが大阪にある当社の枚方事業所でありまして、これが電気炉の全体であります。ここで鉄を溶かすわけですね。
この材料になるのが、世の中で役割を終えた鉄のスクラップを集めてきまして、このクレーンで一つにまとめているところであります。1回役割を終えたものをもう1回利用できるという特徴があるわけです。
全てのスクラップを溶かして、鉄を作っていくということでありまして、そういった意味では高炉よりも、省資源、省エネで鉄が作れるというメリットがあるわけであります。スクラップを再利用して、もう1回世の中にちゃんとした製品として提供する、資源循環型の仕事を我々が担っているということであります。
(インタビュー:製造部 製鋼課長 宮下 直也さん)
宮下 電気炉の方が高炉と違って、原材料が一定ではないスクラップを使っておりますので、成分であったり、形であったり、違う物を使って柔軟に対応できる、そういうところが一番大きな特徴だと思います。
電気炉で溶解された鉄はその後、形を整え圧延、冷却の工程を経て製品になる。こちらの鉄スクラップから作られた鉄筋。
廣冨 高層ビルなんかもこれを繋いで、高層マンションとか高層ビルを造るということができるものも弊社では作っております。こういった土木とか建築に関わる一定強度をしっかり持ったものを作るというのは、電炉の得意とするところであります。
蟹瀬 共英製鋼は2017年に70周年を迎えられた。創業時どういう形で始まったんですか?
廣冨 昭和の22年、戦後の混乱の時期ですね。高島秀次、浩一という親子が伸鉄業をスタートしたのが始まりであります。
共英製鋼は1947年に高島秀次が町工場として設立。しかし、創業者の早逝により長男の高島浩一が弱冠30歳で社長に就任。電炉メーカーとしては後発にも関わらず、全国展開を成し遂げ、1973年には日本企業としてソニーに次いで二番目にアメリカに進出するなど、早くからグローバル化に目を向けていた。
実質的創業者である高島浩一について、長男で、現在の代表取締役会長でもある高島秀一郎に話を聞いた。
(インタビュー:共英製鋼株式会社 代表取締役 会長 高島 秀一郎さん)
高島 それはとても志の高い人だったですね。日本国国民として、また企業経営者として鉄鋼業の経営者として、いつも志高く、チャレンジしてたそんな人だったんですね。いちいち細かい事を教えてもらったって覚えはないんですけど、実際に平成元年より共英製鋼に帰ってきてから、いろんな形で一緒に仕事をしてて、そういうものを見ながらこういうふうに親父は仕事をしてるんだなぁと。いうのは肌身で感じましたね。
僕らは日本の鉄鋼業としては第一番でアメリカに進出をしましたし、ベトナムにも第一番の進出としたんですけども、現状にとどまるっていうのではなくて、やはり高みを目指して、チャレンジしていくというのは本当にこの会社の伝統でもありますしね。DNAでもあると思ってます。
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