時代やニーズを先取り!「変化なくして進化もない」の発想力
株式会社タカラレーベン
代表取締役社長
島田 和一
打ち出した複数のプロジェクトが数々の賞を受賞するなど、競合他社ひしめく不動産デベロッパーの中にあって独自の営業力と柔軟な発想で事業を展開し、存在感を発揮している企業がある。差別化の成功へとつながった独自性と創造力が生まれた理由とは?
ドーキンズまずはじめにお伺いしたいのですが、株式会社タカラレーベンはどのような経営ビジョンを掲げられているのでしょうか?
島田ビジョンは「幸せを考える。幸せをつくる。」を掲げております。
宮川幸せということが重要なキーワードということですね。
ドーキンズさて、この番組ではタカラレーベンの今を象徴するものをお持ちいただき、進行させていただきます。今日は何をお持ちいただいたのでしょうか?
島田はい。こちらです。
宮川これは……社章ですか。
島田はい。創業、立ち上げ当時の社章ですね。
宮川そうですか。これは真ん中に「宝」という字が……。
島田今はタカラレーベンという社名ですけれども、当時、宝工務店という、漢字で宝工務店なのですが、その宝の社名をバッジにそのまま漢字で表現しています。
宮川この頃はどういう事業展開をしていらっしゃったのですか?
島田工務店といいながら、業態としては不動産業ですね。東京板橋の中板橋という東武東上線の駅の前で創業して、沿線上の不動産を分譲したり、開発したり、新築一戸建ての開発から販売、中古住宅の買取りをして、リフォームをして、再販するというようなことを中心にやっていました。
島田1980年代後半ですね、1990年前後にまったくマンション事業をやったことのない会社がマンション事業をやってみようということでやった経緯はありました。あったんですけれども……。バブル崩壊後、2年ぐらい、非常に厳しい時期があって、不動産としての根幹である、土地の仕入れもできない状況の中で、あるきっかけがあって、従来の戸建てからマンション事業に本格参入したと。
宮川今、タカラレーベンというと、マンションというイメージなのですが、これは、転換するときには何があったのですか?
島田創業者、当時、社長の同級生の会社が建設会社だったんですね。もちろん、そこの会社もマンション事業をやっていました。で、そこと共同で事業をやれることで、1994年に新たな展開として、マンション事業に本格参入したということなんですね。
宮川地域的にはどこを中心にやられていたのですか?
島田もともと創業時から都心中央部というよりは、その周辺部、もしくは、埼玉、千葉、郊外部ですね。郊外部で初めて、不動産を買う方、住まいを買う方をターゲットにしてきました。そういった取得者向けの実需のマンションを供給していこうということはブレずに行こうっていうのもありまして、エリア展開として地方都市に行きました。
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク