かゆいところに手が届く(vol.29)

『集客しかできないデザイン会社』をキャッチフレーズに、〝かゆいところに手が届くサービス〟を提供している会社がある。
佐賀県伊万里市にある「カスタネット」というデザイン会社だ。

中村不況になると真っ先に削減されるのが広告宣伝費。しかもデザインは一番最初にカットされてしまいます。それでデザインのイノベーションを始めたんです。

と中村碩亨(ひろゆき)社長(49)。
もともとは広告など〝フツーのデザイン〟をしていたが、不況で次第に仕事が減り、「このままではいけない」と奮起。

中村よくよく考えれば、広告デザインの目的もクライアントの集客です。だったら〝集客のためのデザイン〟があってもいいと思ったんです。それで『集客しかできないデザイン会社』と名乗ることにしました。

集客のために用意したデザインメニューは多種多様。
名刺に粋なデザインを加えてインパクトを強める「社長の名刺」、そっくりに描きますと呼びかける「似顔絵」など、9種類を公式サイトに掲げている。

その中には、デザインだけでなく「顧客管理アプリケーション」が無料でダウンロードできる機能も組み込まれている。単に顧客情報を管理するだけでなく、礼状や年賀状がデザインつきで印刷できるよう工夫されている。ダウンロード件数は1500件を超えるという。
無料ではもったいないのでは…と思いきや、

中村いえいえ、これはお得意先の工務店のために作ったもので、その工務店でしか使えないもの。しかも私たちはデザイン屋でアプリケーション屋ではありません。素人が作ったものを有料にはできませんよ。

と中村さん。
徹底したプロ意識が気持ちいい。

そんな中村さんたちが今、最も力を入れているのが「メモ帳つきカレンダー」。
月めくりのカレンダーに、偉人の格言や坂本龍馬の名言、忘れがちな漢字などがデザインされている。一見、普通の格言カレンダーと同じように見えるが、そこに〝かゆいところに手が届くサービス〟ならではのものが…。

中村➖➖このカレンダーは会社やお店のオリジナルカレンダーにできるんです。坂本龍馬の格言やイラストが入ったカレンダーなんて捨てられないし、ちょっとオシャレでしょう。

中村さんの思惑どおり、このカレンダーは地元だけでなく、東京や関西でも人気を呼び、昨年は200社ほどから注文を受けたという。
いま、2012年版のデザインを手に全国へ売り歩いている。

中村とにかくお客さまのところへ参上するのが信条。どんなに遠くでも、まずは会いに行きます。商売は人間関係が一番ですから。

と中村さん。
これからどんなデザインビジネスを展開するのか楽しみだ。

虐待防ぐ 母になる準備(vol.33)

子供への虐待を防ごうと、大阪の助産師がこのほど、若いお母さんたちに、母になるための知識と心構えを教える専門プログラム『おかあさんになるおけいこ』を開発した。
妊娠したら誰でも気軽に参加できるよう工夫されている。

虐待の温床になっているのはお母さんの孤独感です。昔は大家族で支えあってきましたが、いまのお母さんには子育ての悩みを相談する相手がいないのです。

と開発者の岡いくよさん(48)。

岡さんは長年、妊婦や育児の相談にのってきた。その件数は約7000件を数える。
その経験から、出産前後のケアが必要と痛感したという。
岡さんが培ってきた専門知識とノウハウは、妊娠中と育児期のケアに役立つに違いない。

いまのお母さんたちはインターネットや雑誌を通してベースとなる知識は持っています。でも、妊娠中や出産後には予想できない事態がつきもの。そんな時、何でも相談できる専門家が必要なんです。

岡さんが開発したプログラムは〝ドクター未満・姑(しゅうとめ)以上の専門知識〟がコンセプト。若いお母さんたちが「ドクターに相談するほどのことではないけど、どうしたらいいかわからない」と思う悩みに、〝姑以上〟の専門知識で寄り添っていく。

出産準備期の「妊娠中のおけいこ」と、出産後の「乳児期のおけいこ」の2部構成で、それぞれ段階ごとに、さらに細かいプログラムが組まれている。
たとえば、「妊娠中のおけいこ」であれば、「つわり期のおけいこ」「安定期のおけいこ」「出産前のおけいこ」と3段階に分かれており、どの段階からでも気軽に参加できる。

お花やお茶、英会話など、独身時代にやっていたお稽古(けいこ)と同じ感覚で、気軽に参加できるのが最も大きな特徴です。いまの若い人は、個別レッスンだとかえって気を遣う人が多いですから。

お稽古の会場は主に百貨店や文化教室、あるいは自治体主催のイベントを想定。
できるだけに安価に設定し、一度参加したら育児仲間に出会えるようにも工夫している。

お稽古に通っているうちに出産も育児も楽しいと感じてもらえる内容です。そのうえで個別ケアが必要になったり、あるいは安産のためのマッサージなどの必要が出てきたら、私が責任をもって引き受けます。

さすがベテラン助産師。頼もしい限りである。
この『おかあさんになるおけいこ』は新年からスタートする予定で、現在、開催場所を提供してくれる百貨店や文化教室、自治体を募っている。

岡さんが始めた活動がやがて大きなうねりとなって、日本の少子化現象に歯止めがかかることを願ってやまない。

うどんの次の名物は?(vol.22)

香川県で〝うどんの次〟を探るプロジェクトが始まった。
一世を風靡(ふうび)した「さぬきうどん」に続くムーブメントを興そうという取り組みだ。

この8月、プロジェクトのスタートを彩るイベント「さぬきうまいもん祭り」が開幕した。
12月までの約4カ月間、県内各地の食材を生産者が直接、県内の消費者へ販売する。

大川➖➖最大の目的は『県民全員PRマン』の実現。そのためには地元の生産者が心を込めて作った食材を直接、県民に訴えるのが一番効果的です。第1回は高松港を舞台に、漁師が魚の食べ方や調理法を紹介しているんですよ。

と、イベントの指揮をとる香川県政策部県産品振興課の大川俊彦さん(45)。
やってくる客は若い女性が多い。
彼女たちには大川さんも期待しているという。
食への関心が高く、「おいしい」と思ったらブログに書いたり、ツイッターやFacebookでつぶやいたりするからだ。

今や一般消費者が自ら情報を発信する時代。
しかも、食材は地元の住民がPRするほど信頼感を伴って伝わっていくという特性がある。

たとえば百貨店やスーパーではほとんど見かけないセトダイという魚。
大きな縞模様が特徴で、一見熱帯魚のように見えるが、漁師によると調理次第で絶品の魚になるという。
イベントでは「砂糖を多めに、しょうゆで煮つけて」といった具合に漁師が調理法を伝える。
満足した女性たちは、セトダイの写真とともに、調理法を刻々とブログなどで伝える。
そうすると、「食べてみたい」という人が増えていく…。

大川さんは、こうした小さな評判を積み重ねることが、新しいニーズを生むと考えている。

大川➖➖ほかにも『三豊なす』という巨大なナスがあって、これもあまり馴染(なじ)みがないのですが、素揚げにして田楽にすると、ボリュームがあってメーンのおかずにもなります。そういった新しい食べ方を伝えていくことで、食材の魅力が浮き彫りになると考えています。

もちろん、これは県民だけを対象にした取り組みではない。
10月からは「さぬきうまいもん祭り in 東京・大阪」と題して、さまざまなシェフによる〝絶品メニュー〟の開拓も予定している。
シェフの手に馴染み、顧客に受け入れられたレストランは、定番メニューとして導入する。
そうすれば、そこに新しい食材の流通ルートが誕生するというわけだ。

大川➖➖いまは『香川といえばさぬきうどん』ですが、香川にはうどん以外にもおいしいものがたくさんあります。まずは、それを知ってもらえればと思います。

と大川さん。
さぬきうどんの次に名乗りを挙げるものは何か。
いまからドキドキしてしまう。

健康な畳で日本を爽やかに(vol.23)

一昨年から〝信頼できる畳職人〟に「畳ドクター」という称号を全国畳産業振興会が認定している。
その1号が三重県桑名市の畳職人。
この地で100年以上の歴史をもつ小竹畳インテリアの4代目当主の小竹広行(ひろゆき)さん(41)だ。

まだ若いが、1級畳技能士の資格をもつ腕に加え、温和な人柄ときめ細かいサービスで、地元から厚い信頼を得ていることが評価された。

小竹➖➖私はただ、お客様に喜んでいただけるサービスを地道に提供しているだけなんですが、評価されてとても嬉しいです。その分、畳業界に貢献しなければ。

と小竹さん。
1300年の伝統を持つ畳職人には〝頑固一徹〟というイメージを抱きがちだが、小竹さんにはソフトな雰囲気が漂う。

小竹➖➖畳が売れなくなったのは、価格や相談できる店がわからないことが原因だと思います。私はその心配をひとつでも減らそうと努力してきました。

たとえば、梅雨に入ると畳が湿っぽく感じられるため、畳の張り替え需要が増すという。
そこで「畳の張り替え」に絞って、Q&Aや価格を丁寧に説明したチラシを作成した。
この結果、多くの客が相談に訪れた。
〝かゆいところに手が届く〟内容と誠実な説明が人々を動かしたようだ。

信頼できる畳職人「畳ドクター」第1号に選ばれた理由が十分にうなずける。
この「畳ドクター」は、この3年間で全国に広がり、現時点で約1500人が認定されている。

いずれも各地で厚い信頼を得ている畳職人で、「ドクター」の名称には約7~8億枚ともいわれる〝敷きっぱなし〟の畳を診断し、張り替えを推進する使命が託されている。
その合言葉は『健康のために、畳替えしよう』というユニークなもの。

小竹➖➖畳にはイグサが持つ空気清浄効果とリラックス効果があって、体にとても良いのですが、古い畳にはその効果を望めないので、定期的な張り替えが必要なのです。畳にダニが多いといいますが、誤解ですよ。皆無とはいえませんが、畳床の藁(わら)をしっかり乾燥させて作った畳には、ダニが生息するほどの水分がないんです。だから、後に湿気を吸っても、風通しを良くしていれば大丈夫です。

さすがドクター、と感心していると、

小竹➖➖これは上質の畳の場合です。比較的安い畳は、保証の限りではありません。

とズバリときた。
やっぱりさすが、と再び感心した。

ちなみに、全国畳産業振興会が提唱している〝健康に良い畳〟の目安は1畳1万円。
健康のためなら、それほど高いものではないかも。
〝敷きっぱなし〟の方、一度診断を受けてはいかが?。

「福を呼ぶ大福」大阪名物に (vol.24)

「大阪に福を呼ぶ大福」を新しい大阪の名物和菓子にしようというプロジェクトが10月1日スタートする。
大阪府下の和菓子店の若手経営者約110人でつくる「大阪府生菓子青年クラブ」の取り組みだ。

「京セラドーム大阪」で10月1日と2日に開催される同クラブの50周年記念イベント「和菓子 de おおさか」で、さっそく〝名物候補〟の7種類の大福がデビューする。

松田➖➖大阪の和菓子と聞いてピンとくるものがありません。新大阪駅や伊丹空港の土産物店に置いてあるのは、京都の和菓子と神戸の洋菓子ばかり。それが悔しくて。

と同クラブの広報を担当する松田明さん(40)。
松田さんは大阪府羽曳野市で和菓子店「あん庵」を経営している。

松田➖➖大阪府下の和菓子業界全体が活性化することが、うちの店の繁栄につながるんです」と積極的にクラブの活動に取り組んできた。

「大阪に福を呼ぶ大福」の名称は、和菓子の代名詞といっていい「大福」で大阪を元気にしたいという思いを、大阪にひっかけてつけた。

松田➖➖大福が嫌いだという人は少ないし、大福ならどの店でも作れます。それに店ごとに特徴を出すこともできます。『大阪に福を呼ぶ大福』のフレーズは、きっと大阪人に受け入れられると思いますよ。

しかし、ここまでくるには長い時間がかかった。
それぞれが伝統と味を誇る和菓子店約110店舗の意思を統一することがまず一筋縄ではいかない。業界を支えてきた高齢な〝重鎮〟を、若手経営者が説得するのも一苦労だった。

松田さんは仲間の中西真治さん(40)、出口勝正さん(39)らとともにじわじわと〝慎重〟にせまった。専門家のアドバイスを受けるため中小企業基盤整備機構にも通った。

松田➖➖最も壁になったのは、長い間和菓子業界の〝掟〟だった『業界活動で儲けてはいけない』という考え方でした。

という。
それを「みんなで儲ける仕組みを考えよう」というふうに方向転換できたとき、プロジェクトが動き出したという。

松田➖➖これからは業界をあげて『儲かる仕組み』を考えていこうと思っています。

昨年、高校生や専門学校生を対象にした「和菓子甲子園」も始めた。
2回目となる今年は「大阪に福を呼ぶ大福」をテーマに参加者を募ったところ、昨年の1・5倍の約100人が参加。みたらしをかけた大福がグランプリに輝いた。

松田➖➖高校生たちが考えてくれた大福に私たちプロが手を入れて、大阪府下の和菓子店でいっせいに発売する予定です。もちろん『和菓子 de おおさか』にも出品しますよ。

果たしてお客さんの反響はいかに。1日が楽しみである。

ランで癒す“89番巡礼地”(vol.25)

「世界一のランで四国89番目の巡礼地をつくりたい」と、四国に〝ランの癒し空間〟を造っている人がいる。

洋蘭シンビジウムの品種改良と種苗生産で世界一のシェアを誇る「河野(かわの)メリクロン」社長の河野 通郎(みちお)さん(64)である。

河野➖➖初めてランと出合ったのは高校生の時でした。以来40年以上、ラン一筋に生きてまいりました。私が生まれ育った徳島県美馬市をランで彩り、世界中の人々が訪れて幸せを感じる町にしたい。美馬市は〝四国のまほろば〟ですから。

河野さんは1965年、洋蘭シンビジウムの栽培に着手し、77年に「河野メリクロン」を設立した。
以来、シンビジウム種苗の大量生産に取り組み、500種類以上の新品種を開発するとともに、世界一の生産規模を確立し、国内外で数え切れないほど多くの賞を受賞した。

皇室との関わりも深く、河野メリクロンの品種の中には「プリンセスまさこ」や「愛子さま」という名のランもある。

河野さんが美馬市を〝ランの癒し空間〟にしようと思い始めたのは約20年前。
本社の隣にランをテーマにした観光施設「あんみつ館」をオープンしたことがきっかけだった。
当初は、本社を訪れる人を案内するショールームのつもりだったが、次第に一般の観光客が訪れるようになり、いつのまにか県内でも有数の〝観光名所〟になってしまった。

河野➖➖最初はこれが産業観光か、と思っていましたが、そのうち、どうせ観光客を呼ぶなら、四国89番目の巡礼場所にしたらと思うようになりました。

巡礼を終えたお遍路さんに、89番目に美馬市を訪れてもらい、ランで疲れを癒してもらおうと思い立ったのだ。
そして一昨年11月には、本社社屋の1階に「蘭夢美術館」をオープンした。
「あんみつ館」とは目と鼻の距離で、観光客は周遊できる。

一方、観光客へのお土産づくりも本格化した。
ランのワインや麺、化粧品のほか、数年前にはランに育毛成分があることを発見し、「ランの育毛剤」の販売にも乗り出した。

河野さんには、昨今の不況のかげりなど少しも見えない。

河野➖➖私は『お疲れさま』という言葉が嫌いで、『お元気さま』と挨拶します。常に前を向いて歩き続けていくことが人生であり、人生とは魂の移行を楽しむものと思っています。

そこで、不況にあえぐ経営者へ一言アドバイスを願った。

河野➖➖いつと比べて、いまが大変な時代と考えるか、だと思います。大昔や終戦直後に比べたら今はとても恵まれています。それが答えです。

四国巡礼に「89カ所目」として、〝美馬市のラン〟が加えられる日はそう遠くないかもしれない。

カリスマ美容師が婚活支援(vol.26)

カリスマ美容師があなたの「婚活」を支援します。
兵庫県と大阪府に7店舗の直営サロンを展開する総合美容室グループ「クラフト・ワークス」が提供しているサービス『夢を叶えるヘアスタイル 婚活カット』だ。

美容師に理想の結婚相手を言えば、外観やライフステージを考慮して〝最も愛される髪型〟にカットしてくれるという業界初のサービスだ。

飯田➖➖婚活を通して、自分が美しくなる感動を実感してもらえればと思っています。

と、クラフト・ワークス社長の飯田純子さん(56)。

飯田➖➖人の美しさは外観だけでなく、仕事や夢も大きく影響します。私たちはそんな人の美を引き出し、プロデュースするのが仕事です。なかでも結婚は人生を左右する大きな夢ですから、婚活カットという仕組みを作ることで、私たちの技術が役立つと思いました。

とサービスを始めた経緯を話す。

しかし、ライフステージや理想の結婚相手を聞き取るだけで、外観も考慮して〝愛されるヘアスタイル〟を決めるのである。
〝責任〟もあるだろうし、腕に相当の自信がないと…と思ったところ、

飯田➖➖あまり口外していないのですが、うちは全日本理美容選手権で25年連続入賞しているんです。

納得である。
全日本理美容選手権とは、理美容師が腕を競い合う全国大会で、毎年開かれている。
25年も連続入賞した実績を持つ美容室は他にない。

この類稀な技術力には、独自のこだわりと努力が隠されている。
直営サロンで活躍する美容師は全員、自ら実施している教育機関「クラフト・ワークスアカデミー」で教育している。

サービスを始めてから2年半ほどの間に、何名もの男女が「婚活カット」を体験した。
実施している直営サロンは、神戸と大阪で展開する「ラ・シェンテ」と、大阪府高槻市や兵庫県宝塚市、同川西市で展開している「エイジア」。

いずれも理美容選手権で何度も優勝した実績を持つカリスマ美容師が担当したという。
結果は〝掛け値なし〟に全員が大満足という。
「婚活に前向きな気持ちになれた」と大喜びで、評価も上々だ。

この「婚活カット」を中心に「婚活」を接点にして他産業からコラボレーションのオファーが複数あり、次なる新しいビジネスが誕生するという。
非常に楽しみである。

廃プラ分解技術 実用化へ(vol.27)

「廃プラスチックを水と二酸化炭素に分解して、跡形もなく消し去る」という夢のような特許技術の実用化をめざしている会社がある。

滋賀県草津市にあるベンチャー企業「RAPAS」である。
日の目を見ずに消えてしまいそうだったこの特許技術を守ろうと、2009年10月、現経営陣が立ち上げた。

この特許技術は「廃プラスチック・有機物の分解方法、分解装置及び分解システム」「触媒循環型廃プラスチック・有機物の分解装置及び分解システム」。
10年ほど前、技術者の樫本逸志(いつし)専務(54)が偶然発見した現象をもとに研究を重ね、発明した。

樫本➖➖たとえば、注射器などの医療廃棄物はプラスチックでできていますが、使用後は処理に困っています。この技術を使えば水と二酸化炭素に分解されて消えてしまうのです。

???…にわかには信じ難い話である。
当時、樫本さんが在籍していた会社は、長引く不況を理由に研究の継続を認めなかった。
樫本さんは大学教授ら多くの人から「この技術を埋もれさせては社会の損失だ」といわれ、なんとか実用化したいと、現社長の北村啓子さんの力を得て新会社を立ち上げた。

樫本➖➖特許がからむと簡単にはいかないことが多いのですが、北村社長が並々ならぬ尽力で周囲を説得してくれたおかげで、会社を立ち上げることができました。

という。
ところが、新会社には技術とノウハウはあっても、実用するための装置を作ることができない。
実用化に向けた装置を製造するには、相当の資金と製作スタッフが必要だった。

そこで樫本さんたちは日本を代表する企業に特許技術の活用を持ちかけ、たちまち数社とのライセンス契約が実現した。
大企業が技術の有効性を認め、現在、医療廃棄物処理装置や産業用有機物分解・無機物回収装置が作られ、実用化に向けて動き出している。

ただ、樫本さんはこの技術は廃プラ処理の他にも応用が可能で、もう一段の可能性があると確信している。
当初の発明時からこの技術に注目してきた滋賀医科大学の谷徹教授は話す。

谷➖➖この技術は実際にこの目で見るまで信じられませんでした。それほど驚異的な技術です。こうした技術こそ、公共の手で大きく育て、1つの産業にしていく必要があると思います。

現在、国内外で新たなプロジェクトの構想が立ち上がり、早ければ11月にもスタートする予定だ。
いったん消えかかった技術がベンチャー企業の努力によって、世に出ようとしている。大きな社会的価値のある技術だけに、1日も早い実用化を期待したい。

正夢になった「近大マグロ」(vol.28)

「魚が獲れないのなら、魚をつくればいい」。
近畿大学を創設した世耕弘一初代総長が第二次大戦後、領海制限に悩む漁師にいった言葉だ。

その精神を受け継ぐ同大水産研究所の大島実験場(和歌山県串本町)に2007年、人工孵化(ふか)マグロの第3世代が誕生。7年前、世界で始めて誕生した完全養殖マグロ「近大マグロ」。
「日本でマグロが食べられなくなる」というリスクが指摘される中、この“第3世代の誕生”は日本人にとって注目すべき朗報であった。

現在、日本のマグロ漁が危機に陥っている。
2006年10月に「みなみまぐろ保存委員会(CCSBT)」が2007年から5年間、インドマグロの漁獲量をこれまでの半分に制限したのに続き、その翌月には「大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)」が、大西洋の本マグロ漁獲量を昨年までに2割減らすと発表。

つまり、日本はこれまでのように遠洋漁業でマグロが獲れず、輸入にも頼れないという時代に突入したのだ。

和歌山港で水揚げされた完全養殖の「近大マグロ」。
将来、トロがサンマのような安値で食べられる日がくるかもしれない=和歌山市 世耕氏が近大水産研究所(設立当初は臨海研究所)を設立した1948(昭和23)年も、戦後の食糧難の中、敗戦の影響で漁業の領海を制限され、漁師たちが困り果てていた。

世耕➖➖いつか安い魚を食べさせてやる。

世耕氏は養殖の気鋭をスカウトして研究を開始、やがて和歌山県の漁港で「小割式」と呼ばれる養殖法が誕生した。
この養殖法は日本の養殖ハマチの生産量を数十万トンまで押し上げただけでなく、今や世界のスタンダードになっている。

そして2002年、その近大水産研究所から「近大マグロ」が誕生した。
「近大マグロ」の生態サイクルが確立され、遠洋漁業や輸入に頼らなくても、日本でマグロを食べ続けることが可能になる。

また、バイオテクノロジーを駆使した品種改良への取り組みも進められている。
将来、マグロのトロがサンマのような安値で食べられる日がくるかもしれないのである。

「魚をつくる」夢は、和歌山県の漁港で、世耕氏が漁師に出合ったことから始まった。
大学と地方の出合いが生んだビジネスアイデアだが、その夢の実現に向け、地元の人たちが協力したことは見逃せない。

世耕➖➖大学の研究は社会に役立ってこそ価値がある。

世耕氏のこの言葉は「実学」の精神として、今も近畿大学に脈々と受け継がれている。
地域活性化のために、今、各地で盛んに行われている産官学連携プロジェクトの原点ともいえそうだ。

チェコから日本に愛を(vol.31)

「チェコの音楽で日本人を幸せにしたい」と、日本に定住を決めたチェコの作曲家がいる。
岐阜県各務原市(かかみがはら)に住むダニエル・フォルローさん(53)。
1970年に開催された大阪万博のとき、チェコで放送された日本特集を観て以来、日本のことが忘れられず、2003年、満を持して日本へやってきた。

きっかけになったのが、当時留学生としてチェコに滞在していた小島千絵子さん(37)。
ダニエルさんと恋におちて結婚し、日本へ導いた。現在、小島さんの故郷である岐阜県を拠点に音楽活動を展開している。

小島故郷の人たちは心から歓迎してくれました。現在、数多くのコンサートなどを開催し、ダニエルを応援する会もあるんですよ。

と小島さん。彼女はコンサートの企画から作詞作曲のマネージメントまでを一手に手がけるマネージャーでもある。

小島私は大したことはしていません。ただ、ダニエルは私をとても大切にしてくれるので、彼の夢をかなえたくて日々、がんばっています。

と笑う。
小島さんはダニエルさんの音楽を広めるために、機関紙「倶楽部ダニエル通信」を作り、編集長をしている。目的はダニエルさんを支援する人々へ彼の近況を伝えることだが、その内容が機関紙の枠を超えている。名だたる著名人が続々と登場しているのだ。

たとえばチェコ共和国親善大使を務める歌手の岩崎宏美さん。
ダニエルさんと同じ年の生まれで、ダニエルさんがチェコの音楽院に入った年に歌手デビューを果たした〝不思議な縁〟を背景に、ダニエルさんと語る様子が掲載されている。

また、大蔵流狂言師の茂山宗彦さんと、チェコ語の狂言師オンジェイ・ヒーブルさんとの三者対談も掲載されている。チェコでは狂言が人気を集めているらしく、両国の文化についての熱い論議が興味深い。

小島狂言は室町時代から脈々と受け継がれてきた日本の伝統文化です。音楽を学んできたダニエルが日本に惹(ひ)かれたように、日本とチェコはどこか引き合うものがあるのかもしれません。

ダニエルさんの活動は音楽ばかりではない。
クリスマスにはサンタクロースに扮装(ふんそう)して地元の子供たちにプレゼントを届けに行く。
まるで外国の絵本から抜け出たようなダニエルさんのサンタクロース姿に、子供たちは大喜びという。

東日本大震災で多くの子供たちが傷ついた今年、小島さんはダニエルさんの音楽で子供たちを癒(いや)したいと考えている。

小島音楽にも感動にも国境はありません。私はダニエルとともに、一人でも多くの日本人に感動を与えたいと思っています。

今年のクリスマス、ダニエルさんのサンタクロースが全国に出没するかもしれない。