熊野古道や温泉 観光再生へ一丸(vol.35)

「田辺市は元気です!」。
9月上旬、台風12号の豪雨で甚大な被害を受けた和歌山県田辺市が、市をあげての一大観光キャンペーンに乗り出した。

12月から春の観光シーズンに向けて『台風12号被災復興観光キャンペーン』と題し、さまざまなツアープランや観光イベントを打ち出す。
目的は災害以降激減した観光客を呼び戻すことに尽きる。

真砂台風12号に見舞われたのが9月2日からの3日間。それ以降、9月の観光客数はほとんどゼロ。10月になって幹線道路や宿泊施設の復旧は進みましたが、観光客数は昨年の1割から3割止まりです。今回のキャンペーンで、観光閑散期の冬のうちに、昨年同様の水準に戻したいと思っています。

と田辺市長の真砂充敏(まなごみつとし)さん(54)。
今年は3月に東日本大震災が発生し、以降、世界中の目が東北に集まった。
田辺市を襲った豪雨はその半年後。被害の大きさの差はあれ、観光産業は風評被害に見舞われた。

「道路は開通しているのか」「旅館や店は営業しているのか」。
田辺市熊野ツーリズムビューローには不安な声ばかりが寄せられた。

真砂世界遺産・熊野古道を抱く田辺市は、古くから熊野詣(もう)でに出向く〝よみがえりの地〟です。今回の災害からも必ず再生しますので、ぜひ田辺市へお越しください。

と、市長が先頭に立って呼びかけている。

〝起爆剤〟として用意した観光プランにも気合が入っている。
3万円分の市内限定旅行クーポンや、特産のみかんや梅、市内宿泊無料券など、総額1000万円分のプレゼントを大盤振る舞いする。
そのほか、梅の花が咲く2月には、熊野古道や龍神温泉と梅林をセットにしたツアールートを組み、大阪や和歌山から直通の無料観光バスを走らせる。

真砂これほどの被災は明治3年以来、実に122年ぶりです。でも、11月末には熊野本宮大社や本宮温泉郷を巡る国道311号が完全復旧し、大型バスも運行可能になりました。

と、真砂市長は、アクセスの復旧とともに『田辺市観光安全宣言』を発した。
折りしも来年は辰年。田辺市にある日本三美人の湯「龍神温泉」は、その名前からして縁起よく、タイムリーなスポットとして人気を集めそうだ。

真砂龍神温泉は比較的被害が少なくてすみました。そこに至る高野龍神スカイラインも完全復旧しています。

その昔、弘法大師が灘陀龍王の夢のお告げを受けて開いたとされる「龍神温泉」。元湯は『源泉かけ流し「龍神温泉元湯」』と呼ばれる。

もうすぐ新年。辰年が明けるとともに、復興を祈りつつ龍神の湯に浸る…ご利益があるかもしれませんよ。

一合の純米酒が農家を救う(vol.36)

米どころ秋田県の酒蔵が「大人一人、1日1合の純米酒を飲んで、日本の田んぼを救おう」と呼びかける「純米酒1日1合運動」を始めた。
呼びかけ人は創業約160年の歴史を誇る老舗(しにせ)酒蔵「新政酒蔵」専務の佐藤祐輔(ゆうすけ)さん(36)。

きっかけはフードエディターの山本洋子さんが出版した「純米酒BOOK」(グラフ社)だった。
何気なく手にとったが、冒頭に書かれている一文「田んぼの復権の鍵は純米酒にあり」を目にして、心から共鳴したという。

佐藤まさにその通りだと思いました。私たちは秋田の米でおいしい酒を造るために、この地に酒蔵をつくりました。しかし、農家の皆さんが苦しむ現実を目の当たりにし、農家を救うには米の消費しかないと常々実感していたんです。

日本酒はもともと、米だけで造られていた。
しかし戦後、米不足を補うために醸造用アルコールを添加することが許され、それ以来、純米酒の方が珍しくなってしまった。

一方、米は過不足が起こらないよう農協(現在のJA)が一括で買い取り、質に関係なく平均価格をつけるようになったため、農家の努力は評価されなくなってしまった。
その結果、廃業する農家が増え「減反政策」が敷かれたのである。

この問題を解決するには、地産地消で地元の米を消費するしかなく、純米酒はその大切な役割を担っているという。
新政酒蔵は地元でも有数の老舗だが、現在、酒造り職人の平均年齢は33歳。伝統の銘酒だけでなく、最近は斬新な酒造りにも取り組んでいる。もちろん、味にはとことんこだわっている。

佐藤純米酒は米だけで造るので米と同じです。だから純米酒を1日1合飲むことで、これ以上減反する必要がなくなり、農家を救うことができるんです。私は以前から、酒蔵が自ら行動を起こさなければ何も変わらないと思っていました。そんな時に『純米酒BOOK』に出会ったんです。今、動かなければ手遅れになると思いました。

佐藤さんはさっそく、つくりたての純米酒に『田んぼのために一日一合、燗(かん)がえる』という山本さん直筆のキャッチコピーを書いた首かけ札をかけて売り出した。
そのラベルには『やまユ』の文字がある。佐藤さんの名前・祐輔のユをつけた〝決意の純米酒〟である。

「純米酒BOOK」には「日本の田んぼを救うために、純米酒を飲めない人は米を一日一膳食べてもいい。まさに一日一善ですね」と書かれている。

酒蔵だけでなく国民一人ひとりが、真剣に日本の米づくりを考えなければならない時が来たのかもしれない。

思いやり 癒やしスポット生む(vol.37)

「パワースポット満載の青森県で癒しの神秘体験を」。
今秋、青森県が県内に点在するパワースポットとミステリーゾーンをパンフレットにまとめ、『祈りと癒しの美知の国』として、全国の旅行会社などにプレゼンテーションを始めた。

三村県内には、身近すぎて気づかなかった〝癒しスポット〟がたくさんあります。これを全国に発信して、青森だけでなく東北全体の観光に活気を与えたいと思っています。

と青森県知事の三村申吾さん(55)。現地で開催した発表会では、自ら壇上に立ち、パワースポットの魅力をアピールした。

今回発表されたパワースポットは、世界的に有名な「恐山」をはじめ、およそ40カ所。不思議な雰囲気が漂うミステリーゾーンも多く、合わせて約60カ所を〝癒しスポット〟に認定した。
今後も県内の市町村に呼びかけ、潜在するスポットを発掘していくという。

たとえば、青森駅から車でおよそ1時間。五所川原市の山奥に、なんとも神秘的な巨木が天に向かってそびえている。樹齢約800年、樹高33メートル。幹周り7メートルを超える巨大ヒバで、太い幹から12本の枝が伸びていることから「十二本ヤス」と呼ばれており、「若者が山の魔物を退治したとき、供養のために植えた」という伝説が伝わる。

三村新しい枝が出て13本になると、必ず1本の枝が枯れ、いつも12本を保つ不思議な木です。この『12』は山の神祭日に通じる神聖な数で、神が宿るといわれているんですよ。

観衆を笑わせながら、ポイントをひとことで伝えるコミュニケーションセンスに、思わず引き込まれてしまう。
津軽地方の神社の鳥居には、ユニークな小鬼が座っているという。
その数なんと30カ所以上。
神社へ行くと、まるで相撲のシコを踏んでいるような小さな鬼が、鳥居から参拝する人たちを見下ろしている。

この鬼は「鬼コ」と呼ばれ、魔除けともいわれている。そんな〝鬼信仰〟から、2月3日の節分には「福は内、鬼も内」と唱えるそうだ。たしかに〝癒しスポット〟である。
しかし、雪国の青森県が、なぜこれから本格的な寒さを迎えるこの時期に、新しい観光スポットを打ち出すのか。

三村東日本大震災で家族を失った人たちが、恐山へ会いに来られるのですが、冬になると、雪のため入山できない。だから、この時期に〝癒しスポット〟を発表したんです。

そんな思いで、県内の占い師を紹介した「占いのまちマップ」も制作した。
12月から2月までの3カ月間、青森駅近くの商業ビルに占い師を集めたイベントも開く予定だ。

被災者を思いやる温かい心が、秘められた観光スポットを発掘させたのかもしれない。

蔵元の思い 被災地に(vol.38)

東日本大震災から10カ月になる。酒造りの時期を迎えた東北6県の蔵元が「今年もおいしいお酒ができました」とのメッセージを、1合の純米吟醸酒に込めて販売し、10本売れるごとに1本を被災者に贈るというプロジェクトを始めた。

純米吟醸とグラスを意味する『JUNGIN GLASS PROJECT(純吟グラスプロジェクト)』と名づけられ、被災地の純米酒をPRするとともに、何よりも被災者に〝いつも通りの元気〟を伝えようという活動だ。

佐藤被災地にとって、新酒がいつも通りできることは〝復興〟を意味します。それでこのプロジェクトに感銘し、すぐに参加を決めました。

と話すのは、創業172年の歴史をもつ宮城県の酒蔵「萩野酒造」専務の佐藤曜平さん(32)
震災で伯父を亡くし、酒蔵も大きな損傷を受けた。プロジェクトへの参加は手間のかかる仕事を増やすことになるが、東北にとって必要だと思った。

このプロジェクトを発案したのは食・酒ジャーナリストの山本洋子さん。
純米酒の取材歴20年。『純米酒ブック』(グラフ社)の著者でもあり、純米酒の専門家として全国の蔵元に親しまれている。
山本さんは東京在住だが、昨年3月11日、たまたま東北を取材しているときに被災した。

山本あの日、激しい揺れの後、時が止まったかのように、風景も空気も、何もかもが動かなくなりました。そんな中、顔見知りの店へ行ったら、いつも通り温かいお燗で純米酒を出してくれたんです。ありがたくて、おいしくて…それで何か役に立ちたいとプロジェクトを立ち上げました。
純米酒は透明なグリーンのガラスの1合カップに入れることにしました。被災地には食器もないので、そのまま飲めるようにして、蔵元の〝いつも通り〟のメッセージを伝えたかったのです。

グラスのデザインは、東京・表参道でカフェを経営している川村明子さんに依頼した。
川村さんは1合カップをオシャレなグラスとして使えるように配慮した。

一方、蔵元は酒にこだわった。佐藤さんは宮城でとれた酒造好適米「蔵の華」を使用した逸品「日輪田 蔵の華 純米吟醸生原酒」を選び、2000本作って昨年末に発売した。

佐藤震災はつらかったけど、多くの方々に支えられておいしい新酒を造ることができました。今後は損傷した酒蔵を新築し、新しい時代の蔵元へ飛躍したいです」と佐藤さん。

プロジェクトに参加する蔵元は現在9つ。成人の日に宮城県南三陸町の成人式で240本、石巻市で50本が配られた。
酒どころ東北の元気は、純米酒とともに熟成しつつある。

里山まるごと博物館化計画(vol.40)

里山を展示室に見立てて、広大な地域をまるごとミュージアムにするという日本で初めてのプロジェクトが動き出した。

舞台は兵庫県南東部。宝塚市、三田市、川西市、伊丹市、猪名川町の4市1町に及ぶ「阪神北(北摂)」と呼ばれる地域で、全国でも珍しく都市の近くに数多くの里山を抱く。その里山を生かして地域全体を「北摂里山博物館」(仮称)として整備する構想だ。

里山とは人間の生活と一体になった山のことをいいます。この北摂地域は里山の宝庫で、すばらしい文化が根づいています。その文化に地元の人々はもちろん、観光客にも親しんでもらおうと考えています。

と、プロジェクトを立ち上げた兵庫県阪神北県民局長の森哲男さん(59)。長年にわたって県の観光や広報に携わった経験から、この計画を思いついた。

たとえば〝北摂里山大学〟という里山の文化を知る仕組みをつくったら、それぞれの里山を楽しむプログラムができます。気軽にウォーキングを楽しんだり、子供たちに昆虫採集や植物採集の機会を提供するなど、里山を楽しむ方法はたくさんあります。

「里山」という言葉からは、森林や段々畑、小川など、手つかずの日本の原風景を連想しがちだが、阪神北地域の里山は少し趣が異なる。
もちろん自然は豊富だが、手入れの行き届いた公園や、美しく整備された遊歩道、小粋なレストランなどが点在し、どこかオシャレな雰囲気が漂う。大阪や神戸の大都市に隣接し、アクセスも便利なことから住宅も多い。里山というより〝郊外のリゾート〟といったほうが実際のイメージに近い。
また、高級住宅街として知られる芦屋市や西宮市にも近く、上品で落ち着いた生活空間がこの地域にも息づいている。そんな独特の環境を考えると、「里山をミュージアムに」という構想も現実味を帯びてくる。

まだ手入れされていない地域も多いので、これから美しい公園を増やしていきたいと考えています。子供たちが伸び伸びと遊べる安全な環境を整えながら、里山のことを学んだり、自然を大切にする心を育んでもらえればと願っています。

阪神北県民局は4月に「北摂里山博物館運営協議会」を立ち上げる。
2013年度をめどにNPOなど法人組織に移行する計画で、現在、協議会を引っ張って「北摂里山大学」や「里山フォーラム」を具体化し、PR活動を推進する役目を担う事務局長を公募している。

地域の活性化やにぎわいづくりの企画や活動に熱意をもち、リーダーシップのある精力的な方に来てほしい。

と森局長。
里山が菜の花で美しく染まるころ、日本初の壮大な計画がいよいよ動き出す。

人間学で心磨き、甲子園へ(vol.41)

「人間学を学んで甲子園へ行こう!」を合言葉に、栃木県立宇都宮清陵高校の野球部員25人が、いっせいに人間学の専門書を読み始めた。

きっかけは『人間学入門』(致知出版社)の刊行。
日ごろから人間学を学んでいた同校野球部監督の教諭、斎藤崇さん(40)が購入し、同書の発刊記念イベント「人間学でつくる創作・座右の銘コンテスト」に部員全員で参加することを決めた。甲子園へ行くために必要だと判断したからだ。

斎藤うちのチームは去年、一昨年とも優勝校にあと一歩のところで負けてしまいました。原因は指導者と選手の精神力の弱さです。強豪校には技術だけでは勝てません。
それをどうにかして克服したいと考えていたところに『人間学入門』が刊行され、コンテストがあると知って、これだ!と思いました。

コンテストは初心者が対象のため、まず書籍を熟読しなければならない。その上で自分の「座右の銘」を作る。

同書には哲学者の森信三さんや仏教詩人の坂村真民さんをはじめ、京セラ名誉会長の稲盛和夫さん、作家の三浦綾子さんらの名言や考え方がぎっしり掲載されていて、人間学の〝醍醐味〟を実感できる。

斎藤今の若者は人間学どころか、叱られることも知りません。私が着任したころは、グランドは荒れ、大会に出ればコールド負けの弱小チームでした。この生徒たちをどうしようかと考えたとき、救ってくれたのが人間学でした。

斎藤さんは大学卒業後、広告会社に勤務したが、夜学に通って教員免許を取得し、高校教師になった。教師こそ、社会の役に立つ仕事だと思った。
しかし現実は甘くなかった。すぐに指導する難しさを知った。
どんなに叱っても、生徒たちは辛いことから逃げてしまう。そして野球部の監督に。長髪に乱れた服装、挨拶もできない生徒たちに直面した。

そんなとき、石川県星稜高校野球部総監督の山下智茂さんのもとに行った際、人間学の話を聞いた。藁をつかむ気持ちでのめりこんだ。

斎藤私は監督であるとともに、人生の先輩の役目を果たさなければならないと思いました。生徒と真正面から向き合い、態度教育や価値観教育に徹底して取り組みました。

すると生徒たちが変わった。野球部も実力をつけ、次第にコールド負けが少なくなって、就任2年目の秋に準優勝し、関東大会まで勝ち進んで、県の21世紀枠候補にも選ばれた。

斎藤着実に力がついてきました。あとは精神力です。人間学で心を磨き、今年こそは生徒たちと甲子園に行きたいです。

今夏、甲子園球場で彼らの姿を見るかもしれない。

食育ビジネス 広がる共感の輪(vol.30)

人生のクライマックスは70代―50代で起業し、60代で「大阪スローフード協会」を立ち上げ、初代理事長に就任した不破三枝子さん(74)は、新しい〝食育ビジネス〟の仕組みを次々と生み出している。

不破さんは40代後半まで専業主婦だったが、ひょんなことから広告代理店に就職し、50代で企画会社をつくって社長に就任した。
不破さんが作り出した仕組みが「若い女性の商品モニター隊」である。

不破その頃、高校生になった子供が、私には理解できない商品を、理解できない方法で使っていたのです。それを見ていて、女子高生自身が商品開発に携われば、その商品は売れるはずだと思いました。

狙いは的中。
大企業から続々と新商品のモニター依頼が舞い込んできた。
不破さんは追われるように「女子高生モニターチーム」を結成し、企業へ連れて行って、直接、商品に対する生の声を聞かせた。
その風景は何度もマスコミで紹介され、「ユーザーの声を生かした商品開発」として絶賛された。

しかし、長くは続かなかった。企画やマーケティングの世界にインターネット調査が浸透してきたためだ。
ネットを活用する方法は格段に費用が安く、調査サンプル数も多い。結果を出す時間も速い。調査を依頼していた企業も次第にネット調査に切り替えていった。

不破時代の流れでインターネットの利用が主流になったので悔しかったですね。でも、そんなことを言っていても仕方ないし、そこで別のことを始めました。

そこで立ち上げたのが「大阪スローフード協会」。
66歳のときだった。
以降、仕事のテーマは「食育」である。  

スローフード協会は全国各地にあるが、イタリアの本部がつくった規定内で活動するのが普通。不破さんは規定ではできない活動をするため、「大阪食育連絡会議」という別組織をつくり、共催の形でユニークな食育イベントを次々と開催した。

たとえば、子供に旬の食材の魅力を伝える「子ども職人チャレンジ」では、参加した子供に「子ども職人認定証」を発行して達成感も経験させた。その意義に共感した官公庁や教育委員会が後援してくれた。また、企業に対しては「こちゃんと」というPR冊子をつくり、「こちゃんと食育サポーターズ」として協賛金を募った。

不破何より嬉しかったのは、以前女子大生モニターだった女性たちが、大人になって再び集まってくれたことです。当時仕事をくれた企業も、協賛企業になってくれています。

いまやPR冊子「こちゃんと」はスーパーやJAに置かれており、発行部数は急増した。
不破さんを中心に「食育」の和が膨らんでいる。

「凡事を極め、100年企業へ」

経営の軸は今も創業者、石橋信夫氏の教え

大和ハウス工業の樋口武男会長が朝、大阪本社に出勤したらまず向かう場所がある。創業者、石橋信夫氏の執務室だった部屋である。2003年に石橋氏が亡くなった後も本社15階の執務室はいまも残されている。そこで石橋氏の遺影を前に経営についての思いを静かに伝え、石橋氏の魂と対話する。

「親子ならば親を大事にするのは当たり前のことです。会社なら創業者を大事にすることもまた当たり前のことです」

樋口氏は社長を経て、04年に会長に就任し今年で14年になる。押しも押されもせぬ実力会長だ。だが経営を語る言葉の大半はさまざまな石橋語録に基づくものである。「多くの経営者に会ってきたが、石橋オーナーを上回る人に会ったことはない」と素直に語る。

石橋氏の教えが、今も大和ハウス工業の経営の軸となり、樋口氏のバックボーンとなっている。
1955年に創業した大和ハウス工業は100周年を迎える2055年に連結売上高を10兆円にするという目標を掲げている。
この目標も石橋氏の遺言となった。石橋氏が亡くなったのは03年2月。その1年ほど前に社長だった樋口氏が石川県羽咋郡で病気療養中だった石橋氏の夢を聞いた。

「創業100周年の時には売上高10兆円の企業群を形成してくれ。それがわしの夢や」

今では4兆円に迫る企業グループだが、当時は1兆5000億円にも手が届いていなかった。とてもチャレンジングな夢だった。今年80歳となる樋口氏が100周年の2055年には117歳。「1周年のころに生きているかはわからんがなあ」と言う樋口氏だが、目標に向けた種まきには余念がない。

人口が減少する国内の既存事業だけでは10兆円という目標の達成は難しい。もちろんコア事業の既存事業を強化するが、新規事業も拡大しなければならない。
樋口氏は社長になる前から新しい事業に積極的に取り組んできた。常務で特建事業部を担当していた89年、宮崎県で老人保健施設の建設を請け負った。入居者の状況をみると、こうした老健施設は全国で不足しているはずだと直感したという。当時、厚生省(現厚生労働省)が発表した「ゴールドプラン」では、今後10年間で28万床が必要と試算されていたのに、その時点では2万8000床しかなかった。大きな需要が見込めた。

樋口氏は役員会で「シルバーエイジ研究所」の設立を提案し、石橋氏が「それ、ええやないか」と即決したという。その部門のノウハウは、高齢化が加速する今に生きている。

長寿企業、成長の種は「ア・ス・フ・カ・ケ・ツ・ノ」

分かりやすいスローガンで経営戦略を浸透

樋口氏の真骨頂は石橋氏がそうだったように、経営戦略を分かりやすいスローガンにして会社全体に浸透させることである。大和ハウスグループを100年続く長寿企業群に育て、売上高を10兆円に引き上げるためのスローガンが「ア・ス・フ・カ・ケ・ツ・ノ(明日、不可欠の)」である。
アは「安心・安全」、スは「スピード・ストック」。「フ・カ・ケ・ツ・ノ」は将来の成長分野である「福祉」「環境」「健康」「通信」「農業」の頭文字である。
東京本社には「ア・ス・フ・カ・ケ・ツ・ノ」の成果の一部が展示されている。

「世の中に役立ちたい」創業者の教えと重なり、即決で出資

超高齢社会で必要な福祉・健康分野で活躍しそうなのがロボットである。医療・介護用ロボットスーツを開発している筑波大学発のロボットベンチャー、サイバーダイン(本社・茨城県つくば市)のロボットが展示されている。ロボット開発者でサイバーダインのCEO(最高経営責任者)の山海嘉之氏に樋口氏が会ったのは06年。樋口氏は一回目の面談で同社への10億円の出資を即決した。「何のためにこの事業に取り組んでいるのですか」と山海氏に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「世の中の役に立ちたいのです」

山海氏のこの言葉が決め手だった。創業者、石橋氏の「世の中の多くの人の役に立ち、喜んでもらう」という教えと重なっていた。
サイバーダインの動作支援ロボットは障害者や高齢者の動作支援や医療・介護従事者の作業支援ロボットとして市場拡大が見込まれている。

世界初の全自動衣類折り畳み機「ランドロイド」を開発したセブンドリーマーズ(本社・東京都)にも出資し、事業化を進めている。人手が足りない医療・介護施設事業での活用も視野に入れた新しい取り組みだ。
樋口氏は「農業はまだ少し先の事業だ」と言うが、すでに植物栽培ユニット「アグリキューブ」を販売し、農業の工業化にも取り組み始めた。農業の工業化の市場は国内市場だけを見ているのではない。

樋口氏は「人口が急増して食料が不足する可能性がある海外での事業展開が最大の課題だ」と言う。
海外での既存事業の展開はもちろんだが、新しい事業でも海外を目指す戦略だ。
創業100年で10兆円という大目標を実現するためには海外事業の強化がなくてはならない。国内の人口減少は歯止めが利かず、市場は縮小していく。「日本だけでは10兆円は難しい。国内で4兆円、海外で6兆円を目指さなければならない」と樋口氏。

海外への展開「150か国への進出が必要」

大和ハウス工業は13年1月に準大手ゼネコンのフジタを約500億円で買収した。なぜ建設会社を買収したのか。フジタは戦前から海外進出を始め、海外事業での経験が豊富だった。フジタを買収したのは、そのノウハウを活かし大和ハウス工業の海外事業の強化という狙いがあった。

大和ハウス工業は現在17カ国30カ所で事業を展開しているが、樋口氏は「150か国ぐらいに進出しなければ目標は達成できない」と見ている。そのためにも既存事業ばかりではなく、環境・エネルギーや医療・介護、農業の工業化といった新規の事業メニューを多く持ち、いろいろな形で海外展開できる経営資源を手に入れようとしているのだ。

こうした新規事業や多角化事業を進めるために積極的なM&Aを進めている大和ハウス工業だが、樋口氏が重視しているのは「共存共栄。ハゲタカのような力ずくの買収や合併はしない。相手をお金で抑え込んでは、相手も喜んではくれません」という点である。
「人の道を外すようなことはするな」という石橋氏の教えを忠実に今でも守っているからだ。

お金の力で抑え込んだM&Aでも、短期的な利益なら確保することはできるだろう。しかし、それでは被買収企業に働く社員は徐々に離反する。100年企業を目指すなら相手企業との関係を良好に保ち、持続的な共存共栄の関係を維持しなければならないのは当然の理である。

石橋氏に経営を学んだ樋口氏のスローガンの一つに「凡事(当たり前のこと)徹底」がある。世の中の人に喜んでもらえる事業に取り組めば、利益は後からついてくるという真っ当な考え方を言わんとした言葉である。そんな愚直な手法で100年企業と10兆円企業群の達成を目指している。

日本は戦略的強みに磨きかけフルモデルチェンジを、勢いある企業が主導役に NHKスペシャル「新たな日本ブランドを売れ」は好企画、活力もらったので再録

 2011年はどんな年になるのだろう。日本は政治のおびただしい劣化で、デフレ脱却どころか閉そく状況に歯止めがかからない不安がある。しかし、ネガティブにモノを見ていても仕方ない。ここは、前回コラムで申し上げた日本のフルモデルチェンジに取り組んでいくべきだ。キーワード的には、さまざまな制度的課題を克服して先進モデル事例をつくって世界中に胸を張れるようにする「課題克服先進国」をめざすことが大事だ。それと同時に、日本の戦略的な強みを見極め、その強みに磨きをかけて世界の成長センター、新興アジアへのアタックをかけることだろう。

そんなことを考えていたら1月1日夜、NHKスペシャルが「新たな日本ブランドを売れ」「中小企業のスピードが時代を開く」などをテーマに、日本はプラス思考で経済活性化に取り組め、という好企画を放送した。2時間に及ぶものだったが、重厚な内容で、私自身が活力をもらった。そこで、登場した5人の専門家のメッセージを、経済ジャーナリストの立場で少し補強しながら再録の形で、お届けしよう。

コマツ会長の坂根さん「日本の強みを生かせ」「傍観者から当事者になれ」
 まず登場したのが建機メーカーとして、世界で米キャタピラーに次ぐ高いシェアを誇るコマツの会長、坂根正弘さんだ。冒頭、日本経済の置かれた閉そく状況を打破するために「日本の強みを生かせ」、「傍観者から当事者になれ」を力説した。さらに「日本は技術で勝ちながらビジネスで負けるケースが多いが、それはマネージメントの責任。経営者がトップダウンで経営判断しないとビジネスは成功しない」と述べた。なかなか鋭い。コマツが1990年代ごろの業績低迷期を脱し経営に弾みがついたのは中国など新興経済国への積極展開だ。企業に勢いがあると、不思議に、トップリーダーの発言にも重みがある。

坂根さんの話で、コマツが円高をモノともせずに海外での競争力を維持し高収益を上げるすごさが見えた。その理由の1つが、現経営陣の執行役員32人のうち、約80%の24人が海外営業現場経験を持っていることだ。坂根さんによると、グローバル展開するコマツ経営にとって、海外での現場経験は経営に携わる者の必要条件で、それなくして昇進もあり得ないのが暗黙のルールだという。

グローバル対応には独自事業モデルが重要、IT駆使して建設機械にGPS搭載
 コマツはIT(情報技術)を駆使して独自の事業モデルを積極展開したのも、経営のひらめきがきっかけ、という。坂根さんによると、日本国内で銀行の無人ATM(自動現金引き出し機)施設がトラック突入で壊されATMを持ち去られる事件が相次いだ際、盗難防止をヒントに、コマツは世界中に販売する20万台の油圧ショベルなどの建設機械にGPS(グローバル測位システム)をとりつけ、経営に活用することを考え出した。

このGPS装備はすごい経営判断だ。今では、コマツは世界中の建設機械の稼働状況にとどまらず、機械の故障状況まで把握可能で、部品の補充などアフターサービスにもつなげている。最大手市場の中国では、現地に出回る粗悪な模造部品が取り付けられるリスクがあり、機械の品質機能にまで影響しコマツブランドのイメージダウンになりかねない。そこで、GPSだけでなく電装品から消耗品にまでICタグもつけることで、日本から、すべてがお見通しとなる。坂根さんがいう「日本は技術で勝ちながらビジネスで負けるケースが多い。トップダウンでの経営判断がなければビジネス成功はない」ことを実践したのだ。

アイディア技術で活躍の中小企業コミー、少量・多品種・高品質・高利潤が強み
 日本のモノづくりの現場、とくに中小企業で、日本の強みである技術力、とりわけすり合わせの技術を武器に、世界でオンリーワン企業となる事例もNHKスペシャルで取り上げているので、紹介しよう。真田幸光さんが紹介役だが、旧東京銀行の銀行マンから愛知淑徳大学ビジネス学部教授に転身され、先端的な中小企業経営の現場を歩いて成果研究という点では素晴らしいものを持っておられる人だ。

紹介事例ですごいなと感じたのは、埼玉県川口市にあるコミー株式会社。もともとは看板製造会社だったそうだが、小宮山栄社長の経営才覚で、ミラー(鏡)メーカーに転進し技術力を武器にアイディアをめぐらし需要掘り起こしを図ったら急成長した。中小企業のビジネスモデルとなるのは、大企業の系列や下請けから離れて独自の技術力で世界的なレベルにまで行く技術企業になったこと、しかも少量・多品種・高品質・高利潤を経営の基軸に置いた点が素晴らしいことだ、という。
コンビニの万引きなどチェックのため、特殊な凸面鏡で広角度に見ることが可能なミラー技術では80%のシェアを持つ。それだけでない。ボーイング航空機からの引き合いで客室乗務員がボックス棚のお客の忘れものチェックを簡単にできる広角ミラーを開発し独自シェアを持つ。社員わずか20人で、今や年間売上高が5億円という高収益企業だ。

強度抜群のシリコン合金でオンリーワン技術企業イスマンジェイ、真田さんは絶賛
 真田さんが紹介したもう1つの事例、神奈川県川崎市の株式会社イスマンジェイも素晴らしい。大手鉄鋼メーカーを辞めて起業した渡辺敏幸社長の技術力で一気に経営が開花した中小企業だが、独自の燃焼合成技術とセラミックスの材料比率によって、鉄鋼の2倍強の強度を持つシリコン合金の新素材の量産に成功した。その燃料合成技術は電力をほとんど使わずに、安全でクリーンな地球環境に優しい素材で、いずれは鉄に代わる次世代素材としても脚光を浴びる可能性もある逸材だ。

ここでの真田さんの指摘ポイントは、「中小企業が大企業の下請けから離れて、直接に優れた技術開発を行い、日本だけなく世界各国に対して製品提案していくすごさだ。日本に居ながら外貨を稼ぎだす強さを持っている。その取引先開拓では、その中小企業がすべてリスクを負う必要はなく、市場開拓力のあるエージェントを探し出して双方ハッピーのWIN・WIN連携をつくりだせばいい」という点だ。

「大紅栄」リンゴは中国向け輸出、藻谷さんは高品質「日本ブランド」勝負を主張
 次にNHKスペシャルに登場したのが、前回コラムで取り上げた日本政策投資銀行の藻谷浩介さんだ。著書「デフレの正体――経済は『人口の波』で動く」(角川書店)が評価の対象になったのだが、藻谷さんは今回、青森県弘前市の工藤清一さんというリンゴ生産農家が、「大紅栄」というブランド名の真っ赤な大玉(おおだま)のリンゴを開発し、中国の富裕層をターゲットに輸出販売している事例を紹介した。
藻谷さんによると、一種の戦略的な生産、そして販売の手法をとるリンゴで、具体的には他のフジや国光の大量生産・大量消費に照準を当てたものと違い、生産を抑えて少量・高品質によって市場でのブランド価値を高めるやり方だ。わっと過当生産競争になって品質を落とさないため弘前の農業協同組合もバックアップする念のいれようだという。

この「大紅栄」が中国上海などで1個148元、日本円換算2000円で売られ、それでもニューリッチと言われる新興富裕層に人気がある。高成長に酔いしれる中国ならではの話だが、テレビでは「味がいいし、しかも高価だから一種のステータスシンボルになる。高くても買いたくなる」という中国の富裕な消費者の声を紹介していた。
藻谷さんは「愛媛のタオル、新潟・燕の爪切りなど、新たな日本ブランドで売っていけばいい。少量生産・売りを貫きながら高利潤確保は、中小企業のみならず日本産業の今後のキーワードだ」という。そして、持論の「日本経済は、個人消費が生産年齢人口の減少によって下ぶれてしまい、企業業績が悪化して、さらに勤労者の所得が減って個人消費が減るという悪循環を何とか断ち切るべきだ」と述べると同時に「景気が悪いなどと景気のせいにする前に、もっと売れるような自助努力をすれば道は開ける」という。

米倉教授は「新興国の追い上げに対応し、日本は産業フルセット装備必要なし」
 次は一橋大学教授の米倉誠一郎さんだ。米倉さんも魅力的な学者で、研究室に閉じこもるタイプではなく現場重視の研究だ。自ら「日本元気塾」というビジネス塾を主宰するほどだ。米倉さんが番組で指摘した点のうち、今後の日本産業や企業の在り方を考える際のポイントだと思ったのは「日本の産業はあらゆる業種をフルセットで抱え込み、何でもつくる必要はない。戦略的に強みのあるものに特化してつくればいい」という点だ。
そして、米倉さんは「世界が何を求めているかニーズの把握を常に考えていないと遅れをとる。それに、日本がどんなに優れた、いい技術を保有していても、使い方が下手であれば同じく遅れをとるだけ。それよりも世界の消費市場にチャレンジすべきだ」と述べた。要は、玄人好みのこだわりの技術でいく日本の携帯電話が標準化モデルに立ち遅れて世界市場では通用しないガラパゴス化現象に陥った事態を回避すべきで、むしろ世界の市場をとるマーケット戦略などが必要だ、という考えだ。

その点に関連して、米倉さんは、いま日本にとって大きな産業戦略課題になっているインフラ産業開発向け輸出にあたって、新幹線の運行システムなどシステム輸出の方が圧倒的な強み部分だという。JR東日本の事例研究を行った結果、新幹線総合指令室の運行管理システムが効果をあげ、新幹線の遅れは平均18秒なのだという。もちろん大雪や地震などを想定して対応する安全運行管理システムで、米倉さんによれば、これこそ日本のソフトパワーで、こういったシステムを売りにするのも一案だという。

ノーベル賞受賞の根岸さんは人工光合成でCO2分解技術が出来つつあると披露
最後に登場したノーベル賞受賞の根岸英一米パデュー大学特別教授の話も刺激的だった。要は、現場の科学技術研究が進み、原子力発電所の燃料となるウランをめぐる争奪戦が世界で起きている中で、何と特殊加工のポリエチレンを使って黒潮の海流が運んでくるウランのうち、原発200年稼働分のウランを回収することが可能な技術もできつつある、という話をされた。また、光合成を人工的に行える光触媒という粉末の開発も進んでいること、これによって環境汚染や地球温暖化の原因とも言えるCO2(二酸化炭素)を効率よく分解させることが可能になるというのだ。

根岸さんは、「発見の10項目」というのを紹介し、発見に至るまでにはニーズ、知識、アイディア、判断、不屈の行動力、意志力などとともに幸運な発見ということもあるが、しかし同時に競争が原動力になることも間違いない、競争しての刺激が大きな発見を生みだす、と述べた。
以上、いずれも興味深い話ばかりだが、みなさんはどう受け止められるだろうか。

地方紙は地域課題の掘り起こしでガンバリズム発揮を、地域再生の担い手に 全国紙とは異なる独自性で生き残りめざせ、取材力・発信力ある人材獲得も

 全国展開する大手新聞社を含めて、今や厳しい競争にさらされる新聞、テレビ、雑誌などさまざまなメディアは生き残りをかけ必死だ。そうした中で、地方紙ががんばって、それなりに存在感を見せているので、今回、ぜひ取り上げてみたい。地域に現場を持ち、そこに大きな根っこを張って取材する地方紙が今後、さまざまな地域課題の掘り起こしだけでなく課題解決に向けて地域全体を巻き込んだ取り組み提案を行うなど、ガンバリズム(がんばるということが成果を生みだすという発想)で力を発揮してほしい。

実は、私は農業の現場でさまざまな取り組みをすることによって、日本農業の新たなビジネスモデルになる、言ってみれば先進モデル例となる人たちを毎月、取材している。その関係で日本全国に出かける。それぞれの地方に行くと、元毎日新聞記者だったジャーナリストの好奇心や問題意識もあって、必ず地方紙を手にする。最近訪れた新潟でも地元の新潟日報を読んだが、東京では得られない地域の抱える問題や課題を知って、とても勉強になった。

新潟日報の企画記事、地域の抱える課題などを描きとても勉強になった
 その新潟日報記事のうち、1面企画「にいがた着」で、たまたま上越市古川区坪野の集落に首都圏から移住した人たちが、地元の人たちと一緒に「道普請(みちふしん)」という作業に携わる話を取り上げ、よそ者と見られていた人たちが今やすっかり地域集落の人たちと同化、地域再生に向けて互いに協力し合う問題を取り上げていた。
この道普請は、毎年11月末ごろ、集落を流れる水路や側溝にたまった大量のブナの落ち葉をかき出す共同作業だ。放置しておくと、春の雪解けのころに、山から流れ出す水が側溝などであふれ出して道路が水びたしになりかねない。それを防ぐため、雪が本格的に降りだす前に共同で作業するのだが、都会への流出などで人口減少が進む集落に移住してきた都会の人たちの姿を描きながら、地域の抱える課題を取り上げているのだ。

長く東京に住んでいる私にとって、人口減少が進む地域集落の大変さは頭でわかっていても、現場の厳しい現実は把握できていない。それだけに、こうした地元紙の記者が現場に入って、現状をレポートするだけでなく、課題の解決によって地域の再生につなげるには何がポイントかを発信しているのを見て、メディアの役割を自覚して報道する地方紙を心強く思った。

地方紙記事を収録した「日本の現場――地方紙で読む」はなかなか読みごたえ
 この新潟日報の企画記事で、私はふと昨年2010年9月に発刊された「日本の現場――地方紙で読む」(株式会社旬報社刊)という本のことを思い出した。この本は、北海道新聞記者の高田昌幸さんと昭和女子大学人間社会学部教員の清水真さんの2人が編集したもので、日本全国の地方紙の連載企画を中心に、鋭く掘り下げたルポ主体の記事、調査報道記事などのうち、優れた内容のものを収録している。ぜひ読まれたらいい。なかなか鋭く、しかし味わいのある記事が多く、それぞれの地域で抱える課題や問題を新聞記者の目線でしっかりと描いている。地方紙の記者もがんばっている、頼もしいなと感じた本だ。

編集者は冒頭の「はじめに」でこう書いている。「地方紙がよくて全国紙はよくないとか、そんな話ではない。『地方紙の優れた記事を全国の人に読んでもらいたい』、『東京発信の記事では見えてこない、地方の実情、すなわち日本の現場を知ってもらいたい』という、極めてシンプルなものだ。『地域』、『地方』は単なる地理的な概念を指しているのではない。東京にも大都市圏にも『地方』はあるが、いろいろな地方紙を読み込んでいくと、各地域の固有の問題が、実は日本のあちこちで起きているのだ、ということがわかる」と。

輪島塗のモノづくり現場がルイ・ヴィトンと連携し地方区から一気に世界区へ
 経済ジャーナリストの目線で面白いと思った記事があった。石川県に本社を置く北國新聞で2008年1月に掲載の「能登が揺れた――ルイ・ヴィトンとの出会い」という企画記事だ。輪島塗の桐本木工所と世界的な高級ブランド、フランスのルイ・ヴィトンが連携して共同で仕上げた小物ケース「ボワット・ラケ・ワジマ」が話題になり、200個の限定販売だったのが、思わぬ反響で取扱い数の5倍近い予約殺到となったこと、世界的な高級ブランドが価値評価してくれ、その連携で輪島塗が一気に世界ブランドとなって世界の消費者に注目される可能性が高まったこと、能登地震で一時、壊滅的な影響を受けた輪島塗の現場がまた再生のきっかけになったことなどが克明に描かれている。

私の興味は、日本のモノづくりのこだわりの技術が、ちょっとした国際ブランドとの出会いで一気にブランド価値を高めたという点だ。コラム107回で取り上げた韓国のグローバル企業サムスンの国際的なマーケット戦略の話で気付かれたと思うが、サムスンは日本のエレクトロニクス企業と比べて技術開発力や生産性の低さで弱みがあると判断し、逆に「表の競争力」であるマーケッティング、ブランド売り込みで戦略的なアクションをとり見事に成功した。今回の輪島塗の木工所に限らず、モノづくり技術で突出する力を持つ地方企業でも、戦略次第では十分に日本の地方区から一気に世界区に躍り出ることが可能、ということだ。そんなヒントを得ただけでも、この北國新聞記事はとてもプラスだ。

岩手日報「SOS地域医療」、南日本新聞「故郷かごしま地域再生」など重厚企画
 「日本の現場――地方紙で読む」の本のうち、企画記事タイトルだけを取り出しても、たとえば岩手日報の「SOS地域医療」、岐阜新聞の「命をつなぐ――岐阜の医療の現場から」といった地域医療や高齢化社会の介護、福祉の抱える問題から、南日本新聞の「故郷かごしま地域再生――担い手の形」、高知新聞の「500人の村がゆく」といった地域再生などの問題まで、さまざまな現場の実態を知ることが出来る。とても貴重な問題提起集だ。

この本を読んでいて、もう1つ、参考になったのは「ネット時代の地方紙」という関連コラム記事だ。読売新聞記者を辞めて、今はインターネットのポータルサイト「ヤフー・ジャパン」でメディア編集部長の奥村倫弘さんが書いている。

ネット時代に地方紙情報は世界中に、戦時中の供給先行型の伝達情報と大違い
 要は「インターネットのすごいところは、都道府県や市町村という枠を越えて世界中を情報が行き交うことです。沖縄県のニュースが北海道にいながらにして読め、ニューヨークで四国4県のニュースが読めるのです。こんなことは、10年前には考えられなかったことです。そこには中央と地方という対立軸で語られる『地方』ではなく、広い地域としての『地方』があります。その地方からの情報発信を追求していきたいです。個人ホームページやブログに代表されるネットメディアから発せられた地域や個人の小さな声がいつの間にか大きなうねりになって全国に届くようになっています」という点だ。

地方紙が1県1紙体制になったのは、太平洋戦争中に軍部・大本営が全国紙とは別に、各県・各地域に軍部の意向を伝え戦争指導するツールとして活用するためだったと聞いている。その地方紙は、戦後の長い間、地域の土着権力化して、つくればモノは売れるという供給先行型成長パターンにならって情報も供給サイドの発想、中央の政治や行政の情報伝達役を担っていたが、今や、そこが大きく変わってきた、ということだろう。

信濃毎日新聞論説主幹・中馬さんの「狩猟型と農耕型」取材の指摘は興味深い
 朝日新聞の政治部記者を経て論説主幹まで昇り詰めた中馬清福さんが現在、信濃毎日新聞主筆に転じて新聞の現場にこだわっている。新聞記者OBとして、素晴らしい生き方だと思うが、この中馬さんが、オピニオンリーダー向け「ジャーナリズム」誌2010年4月号の「地方報道の可能性」という特集の中で、「地方報道はどうあるべきか――『狩猟型』と『農耕型』取材を考える」と題して、なかなか興味深い指摘をしている。引用させていただこう。
東京で政治や行政の中枢を取材対象にしている全国紙の新聞記者、地方の現場取材に走り回る地方紙の記者との差をうまく浮き彫りにしている。「東京から現地を訪れて取材するにしても、さっと来てさっと帰る、いわゆる『狩猟型』である。厄介なのは、たまにだが、思いこみ先行、事前に『枠をはめて』取材に乗り込む記者がいることだ。中央での取材や読書で得た知識をもとに『こうあるべきだ』と考え、それに合った方向へ持っていこうとする。これでは正しい姿は描けない」という。

中馬さんの話はさらに続く。「地方紙はそうはいかない。(たとえば)町村合併で、旧町村部は行政と住民の連帯が弱まり、周辺部の衰退が進んでいる。それが地方の記者にはよく見える。それはそのまま暮らしに直結しているから、(全国紙記者が往々にして書くような町村合併歓迎の記事と違って)大合併が一段落したあとも、なお新しい問題(としてフォローアップを続ける問題)なのだ。地方紙は『農耕型』の取材でないと、読者に相手にしてもらえない」と。
中馬さんはいま、信濃毎日新聞をベースに仕事をしておられるので、『農耕型』取材の必要性を強調し、地方紙の存在感はその取材方法で出てくる記事、情報発信だ、ということは言うまでもない。

地方紙、全国紙とも取材力ある人材の戦略的補強を、人材の流動化が重要に

 私は、この中馬さんの話に関連して、考えたことがある。地方紙には優秀で問題意識を持って取材にあたる人も多いと思うが、地方紙は今後、鋭い問題意識をもとに取材力や情報発信力がある現役記者やOB記者を全国紙からスカウトや中途採用で陣容を豊富にすればいい。同時に、問題意識、それにいい意味での上昇志向の強い人は全国紙でチャレンジしたらいい。私自身、毎日新聞からロイター通信に転職して、さまざまな勉強をすると同時に、自分の生き方に広がりを感じた経験を踏まえれば、全国紙と地方紙で人材の転職を含めて流動化の道筋をもっと大胆につくればいい。同時に、年俸制で、仕事の評価システムも厳しくして、戦略的に弱い取材分野があれば躊躇なく外部から戦力人材をとるような経営手法をとることで、地方紙はすごい存在感があるイメージを作り上げることだ。信濃毎日新聞はまさにそういった狙いもあって中馬さんを引っ張ったのでないかと思う。

地方紙の若手の優秀な記者をスカウトするというのは、全国紙、とりわけ朝日新聞がかなり以前から行っていることだが、朝日新聞は、そのおかげで、下野新聞から引き抜いた板橋洋佳さんという記者の取材力が功を奏し、2010年度の日本新聞協会賞を受賞している。私に言わせれば、こういった形での人材の流動化は、私がいたロイター通信にとどまらず、外国メディアでは当然のこととなっていた。地方紙、そして全国紙も人材の交流、あるいは中途採用で優秀な人材採用によって、常に組織の活性化、取材力の強化を図ることで、ニュース報道のみならず分析報道、調査報道、さらには政策提言報道まで、戦力活用の成果が及び、存在感が強まって来ると考える。とくに地方紙は地域課題の掘り起こし、課題解決への取り組み提案では今後、重要な役割を担うべき時期に来ている。