時代刺激人 Vol. 184
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
新聞にしろ、テレビにしろ、日々のニュースの面白さは何と言っても、誰もが知らない、文字どおりのスクープ記事だ。現場取材に携わる記者の最大の使命は、こうしたスクープニュースを独自取材でつかみ、ニュースとして報じることであるのは言うまでもない。
官邸危機対応を政治家メモや記憶で掘り起し
読み物ふうに連続報道は異色
1回100行近いコラム記事を連続的に読み物ふうに取り上げているのだが、いくつかのコラム記事自体にニュース性があり、それらをつなぎ合わせれば、事故当時の首相官邸の右往左往ぶりがわかる。そればかりでない。政治家の危機対応はこの程度だったのかとか、いや、あの状況下でよくがんばっていたのだな、といったことも読み取れる。1回きりの、いわゆる単発のニュースにするこれまでの新聞報道とは全く異なる。新しい調査報道スタイルと言ったのは、その点だ。
実は、私自身がいま、政府から独立して東電原発事故を原因究明している国会事故調査委員会の仕事にかかわる関係で、メディアのさまざまな報道をウオッチしているが、この「プロメテウスの罠」企画で報じた菅首相や海江田万里経済産業相(いずれも当時)の対応ぶりが参考になるというか、ヒントになることもあった。「時代刺激人ジャーナリスト」の立場で言っても、これまでにない取材、そして報道のやり方に、興味をそそられた。
東電経営陣の福島第1原発からの「一部避難」か「全面撤退」かも
テーマに
東電の清水正孝社長(当時)が、3月14日夜に首相官邸にいる監督官庁の経済産業省の海江田経済産業相に緊急で電話連絡した要請内容、つまり爆発リスクの出てきた福島第1原発から東電スタッフを第2原発へ一時避難させるか、全面撤退させるか、いずれだったのかが危機管理がらみで大きな焦点になっている。
「プロメテウスの罠」で、そのあたりを描いた部分があるので、紹介させていただこう。「清水正孝が海江田万里に連絡をとろうと携帯電話を握りしめていた時間帯は2度ある。(中略)やっと電話がつながったときの清水の言葉を海江田はこう記憶している。『第1原発の作業員を第2原発に退避させたい。なんとかなりませんか』。海江田は『残っていただきたい』と、清水の求めを拒んだ。
話はまだ続く。「首相補佐官の寺田学はこんな光景を記憶している。午後8時過ぎ、官邸5階の官房長官執務室に行くと、枝野幸男が海江田と話していた。海江田の秘書官が『東電からお電話です』と告げた。海江田は『もういいよ、それは。断った話だから』と答えた。『何の話ですか』と尋ねると『東電が原発から撤退したいと言っているんだ』。寺田は驚いた。『大臣、そんな大事な電話なら、ちゃんと断ったほうがいいんじゃないですか』と。
ワンサイドで書くのでなく、調査報道らしくウラとりも重要に
ワンサイドの話だけ書くのではなくて、清水社長から確認取材したのだろうか、ウラをとったのだろうかと思っていたら「プロメテウスの罠」の後段部分でこう書いている。「ちなみに清水が求めた『撤退』について、東電は現在、『作業に直接関係のない一部の社員を一時的に避難させることがいずれ必要となるため、検討したい』というものだったと主張する。だが、清水の要望を聞いた官邸の人間のうち、確認できた5人全員が、清水はそうは言わなかったと話す。肝心の清水は取材に応じていない」と。この取材は重要だ。
この調査報道のテーマからいけば、朝日新聞が編集局の政治部や経済部、社会部、科学部などを総動員して総力をあげて取り組んだ企画かと思ったが、さきほど書いたように、特別報道部の独自取材だった。しかも、特別報道部の担当記者が首相官邸に直接取材を申し入れ、記事に出てくる政治家を個別取材して、しかも政治家のメモも写真にとって取材の裏付けにしたりしている。
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