時代刺激人 Vol. 176
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
東日本を突然、襲った昨年3月の大震災、それに続く大津波、東京電力福島第1原発事故から1年。日本のみならず世界中を震撼させたが、いまだに、この重い現実が続く。さまざまな現場で、苦労を強いられている人たちのことを考えると、どういった形で貢献ができるか思い悩む。
ダイナミックな危機対応ができず、
リーダー不在の国家経営の縮図とも指摘
野中さんは「今回の原発事故は、想定の甘さに加えて、事故発生後の対応に問題を残した。特に、危機管理の様相は、現実直視を欠いた二元論的なゲームに終始し、安全保障を軽視し、ダイナミックな危機対応ができない、リーダー不在の国家経営の縮図だった。原発事故関連の会議議事録の不作成は、失敗から学ぶことを難しくしている」と結んでいる。
ずっと原発事故の問題をウオッチしてきた私から見れば、野中さんの分析どおりだ。ただ、これだけでは、菅首相の危機管理能力にどう問題があったのか、それが原発事故対応でどんな問題を現場に引き起こした、という点がよく見えてこない。
世の中がすべて自分中心に動くと思い込む菅首相の独善性が最大の問題
今回の原発事故対応での首相官邸の危機管理能力を問題視する場合、私は、野中さんが指摘するとおり、トップリーダーの菅首相に最大の問題があったと思っている。自分中心で世の中が動くと勝手に思い込み、他人の話に聞く耳を持たない独善的なリーダーの悪い面が今回の原発事故対応で起きてしまった、と思っている。
大震災、それに続く原発事故当時、国の現地対策本部長として現地に赴いた経済産業副大臣の池田元久氏は3月12日午前4時過ぎ、原発事故時の現地対策本部のオフサイトセンターで、菅首相が福島第1原発を視察するという連絡を受けた。その時の池田氏の反応は全く正しい。「国のトップリーダーがなぜ、危険を覚悟で原発現場へ来るのだ。震災の人命救助、災害対応は初動の72時間が勝負だ。首相官邸で全体を見て指示を出すべきだ」と猛反対したのだ。
池田現地対策本部長(当時)「指導者の資質を考えざるを得なかった」
池田氏が憤りを隠せずにメモにして書いたA4判数ページの「池田メモ」によると、ヘリコプターで原発現場へ午前7時過ぎにやってきた菅首相は免震重要棟で、武藤栄東電副社長・原子力立地本部長(当時)らに対して「何のために、俺がここに来たと思っているのか。(原子炉の爆発を避けるための放射能の排気による圧力低下を促す)ベントをなぜすぐにやらないのだ」と怒鳴りつける。現場に委ねリーダーは全体状況を把握するという点が決定的に欠ける菅首相について、指導者としての資質を考えざるを得なかった、という。
菅首相の現地応対した武藤現東電顧問が3月14日の国会事故調の参考人聴取で、政治家、とくにトップリーダーの事故現場への介入に立場上、対応を余儀なくされ、結果としてムダなエネルギーや時間を費やさざるを得なくなり事故対応に遅れが生じた不満をぶつけるのかと思ったら、首相の現場視察だからやむを得なかった、という口ぶりだった。
米原子力規制機関元トップ
「大統領が事故対応で政治介入、考えられぬ」
しかし、菅首相は静かなタイプの武藤氏よりも現場を仕切っていた吉田昌郎所長(当時)を評価し、吉田氏の携帯電話番号を聞き出していたと武藤氏は参考人聴取で述べている。菅首相と吉田所長の間での電話ホットラインができてしまい、その後、ことあるたびに直接指示もあったことが考えられ、国会事故調の委員会審議では委員の1人が政治家の現場介入がさまざまな問題を引き起こしかねない、と疑問視した。
同じ国会事故調の2月27日の委員会で参考人聴取に応じた米原子力規制機関の元トップ、メザーブ氏が「日本では事故当時、首相が原子炉のベント指示を原発現場に直接指示したが、米国でオバマ大統領が同じようなことを指示する可能性はあるのか」との質問に対して、驚きの表情を見せ「考えられないことだ」と述べた。私は、この発言を聞いて、わが意を得たり、と思った。
非常事態とはいえ、日本のトップリーダーがまるで万能人間のように、あるいはスーパーマン同然の対応をしていいのか、もっと大きなレベルで全体の危機管理対応があるはず、おかしな国のおかしなリーダーだと思った。
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