時代刺激人 Vol. 93
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
「エッ?まだ、7月参院選にこだわっているのか」と言われそうだが、今回の参院選でのメディアの世論調査をベースにした政治報道、選挙予測報道を振り返ってみて、私自身、メディアの現場に身を置いた人間の立場で言えば、ちょっとやり過ぎで、課題を残したと感じている。そこで、今回は何が課題だったか、問題提起してみたい。要は、内閣支持率などに関する世論調査の数が異常に多かっただけでなく、その調査結果が、さも民意や世論だと言う形で位置づけられ有権者の投票行動に少なからず影響を与えた。そればかりか政治を振り回してしまい、政治家自身が世論受けするポピュリズム政治に走り、いわゆる冷静な政策論議をどこか遠くに押しやってしまった感じがするのだ。
実は、メディアの世論調査報道のあり方に関して、私は同じような問題意識でもって、ちょうど1年前の37回コラムで、「小沢一郎民主党代表も辞任、世論調査結果が引き金?政治動かす世論調査はあり得るか、メディアの調査方法にさまざまな課題」といったテーマで取り上げている。
昨年も小沢民主党代表(当時)辞任時に「世論調査は政治動かすか」で問題提起
この時の問題意識はこうだった。つまり小沢一郎民主党代表(当時)が、西松建設からの政治献金をめぐって公設第1秘書逮捕という異常事態になり、小沢氏は自身の去就が注目されながら、いつもの不透明な政治姿勢を変えず、政治不信が強まっていた。メディアが世論調査での世論の反発の高まりを背景に、小沢氏の政治姿勢を問う報道姿勢をとったところ、小沢氏が唐突に辞任表明し、緊急記者会見で「メディア批判の矛(ほこ)先の相手が私ということならば、私の辞任によって民主党内に不安定さがなくなり、総選挙に向け挙党一致で闘う態勢が出来上がることを願う」と述べた。
いま振り返ってみれば、政権交代選択の総選挙に向けて、緊急辞任というサプライズで、一気に民主党への世論支持を誘った巧みな政治演出だった気がするが、私は当時、メディアの世論調査結果が政治を動かすことがあり得るか、探ってみようと考えたのだ。とくにその際、世論調査という手法がどこまで民意や世論を探る上で本当に有効なのかも吟味した。
内閣支持率調査で政治を揺さぶるよりも、メディアは政策検証報道が主のはず
今回のコラムでの問題意識は、当時とそれほど違いがない。ただ、今回の場合、メディアの政治報道は、まるで各新聞社、通信社、テレビ局が互いに競い合うように世論調査を行い、政治の現状を民意はどう捉えているかといった点よりも、はっきり言って、内閣の支持率は上がったのか下がったのかどうかという点に異常に集中した。前回のコラムでも少し言及したが、参院選の政治報道としては、政権交代した民主党政権の10カ月の中間決算や政治とカネの問題解明、沖縄普天間基地の移転の行方など、もっと問うべきテーマが多かったはず。メディアの政治報道としては、政策報道に力を注ぐべきなのに、内閣支持率報道に比重をかけ過ぎた。そればかりか半ば興味本位に取り上げるきらいもあった。
消費税率引き上げ問題でも、社説などの論調は将来の社会保障財源確保がらみなどでやむなし、あるいは必要と踏み込んでおきながら、その一方で、菅直人首相の消費税増税提案の唐突さ、それに発言のブレを不必要に問題視し、それを世論調査でフィルターにかけた。私に言わせれば、むしろメディアの報道姿勢として、2大政党の一極にある自民党の消費税率引上げと絡めて、政策の検証をする方に報道の主軸を置くべきだったように思う。
世論調査での消費税増税やむなし過半数を検証せず、首相発言ブレばかり問題視
ところが実際には世論調査で首相の発言のブレをどう思うかといった形で質問をする。質問に答える側は当然、「それはおかしい」と答える確率が高く、現に、メディア報道では世論調査での消費税のブレ発言への反発をクローズアップする。しかしメディアの別の世論調査では消費税率引き上げに関して「やむを得ない」「必要だ」という回答が過半数を示している。
こういった時に、私ならば、首相の消費税率引上げは、自民党案を参考にとしながらも、なぜ10%税率なのか、使い道は何に考えての発言なのか、いますぐの税率引き上げではあり得ないにしても引上げのタイミングはいつなのか、世論はそれをどう受け止めるか、どういった使い道がベストと考えるか、低所得者の税負担の緩和や軽減策をどうすべきと考えるか、といった問題について、世論調査をもからめながら、大胆に企画などで政策検証を行う。
いずれにしてもメディアは世論調査結果の数字を報道して、政治の政局化を作り出したいと考えたのだろうか、と勘ぐってしまうほど、今回の内閣支持率をめぐる世論調査、それをもとにした政治報道過熱ぶりを見ていて、ちょっと異常じゃないかと思うほどだった。
松本埼玉大教授は「世論調査政局、世論調査民主主義は賞味期限切れ」と指摘
たまたま7月15日に日本プレスセンターで、埼玉大教授の松本正生さんが「世論調査で見る参院選」というテーマで講演される機会があり、とても興味があり参加した。実は、この松本さんは、あるコラムで「あまりに煩雑に行われる世論調査に、国民も食傷気味になってきたのでないだろうか。『世論調査政局』や『世論調査民主主義』(という世論調査を使った政治報道)もそろそろ賞味期限を迎えてきた」と述べているのだ。世論調査がそろそろ賞味期限という発想は面白い。
確かに、世論調査での内閣支持率の数字が一気に20%を割り込み、10%台に入ると、歴代の自民党政権も内閣支持率の急落が国民の間でその内閣に対する不信を生んだと判断されたと見られ、自民党内部でも世論の支持を得ない首相がその座にあるのはふさわしくない、といった形で反対派から後継者擁立の動きが表面化して一気に政治が政局化するケースがあったのは記憶に新しい。そしてその後の国政選挙で自民党が敗退し、首相が引責辞任の形で退陣を余儀なくされるに至ったケースもある。メディアの政治報道姿勢としては、政権がさまざまな形で問われている時に、民意を探るために世論調査で動向を探り、たとえば内閣支持率が急落すれば、それはニュースとして報道せざるを得ない、という発想になるのだろう。しかし、各メディアとも他のライバルメディアとの見合いで過熱報道になるうちに、松本さんが指摘する「世論調査政局」になるリスクがあるのだ。松本さんはその講演の中で、「あるメディアの現場担当者の声として、世論調査が政治部記者のオモチャになっている、という現実もある」と述べていたが、なかなか意味深長な指摘だ。
峰久朝日新聞編集委員は「世論調査が反応調査、感情調査になっている」と指摘
37回コラムで少し引用させていただいたが、昨年4月24日付の朝日新聞「選択の年 世論調査の質が問われる」というテーマでの座談会で、朝日新聞編集委員の峰久和哲さんが世論調査センター長時代の経験を参考に、今回の話にからむ指摘をされているので、再度、引用させていただこう。それによると、「民意の動向を測る上で世論調査が果たすべき役割はかつてなく重い。(中略)本来、世論調査で数字を出すべき世論には、問題意識を国民みんなで共有していること、その上で議論が行われていること、そのプロセスを経て多数意見が醸成されていることの3つが条件だ。だが、今は、そういうプロセスで世論形成されていないため、世論調査が単なる反応調査、感情調査になってしまっている。非常にお粗末な調査さえある。それでも『世論調査』として、まかり通るのは怖い」という。
その感情調査という表現で思い出した。今年7月10日付の毎日新聞「消費税選挙」と世論をテーマにした「ニュース争論」という座談会企画で、佐藤卓巳京都大准教授は「新聞やテレビに出る世論調査の結果を公的な多数意見と信じていいかどうか、むしろ消費税問題で言えば、世論調査結果の数字は好き嫌いの感情値にすぎない」と指摘し、同じように感情というくくりで、世論調査の数字をとらえている。
菅原東大准教授は「メディアは単純な世論調査数字をゆがめて報道」と批判
佐藤さんは、「輿論(よろん)と世論(せろん)」(新潮社刊)の著者で、その座談会では気分や空気が政治や国の方向づけになるものを左右するのは危険とし、そういった意味での『世論』よりも、むしろ意見を出し合って議論した結果出てくる『輿論』を大事にすべきだ、との持論を述べている。
同じ座談会で、もう1人のディベーター、東京大特任准教授の菅原琢さんは、メディアの政治報道問題について「メディアは政治の情報を有権者に伝える一方、世論調査という形で有権者の情報を政治に伝えようとしているが、実際には単純な数字を独り歩きさせ、情報をゆがめているのでないか」と述べている。
メディアの現場で取材していた立場で言えば、確かに新聞やテレビが報道の形で、世論調査結果がまさに民意であり、有権者の総意のようにエスカレートして報道してしまうと結果として、メディアが選挙の流れ、政治の流れをつくってしまいかねない。これは選挙期間中の報道姿勢としては問題のような気がしている。メディアの政治報道は世論調査数字を使っての政局報道よりも政策検証報道を優先すべきで、そういったテーマはいま、いっぱいあるはずと重ねて申し上げたい。
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