原発事故の収束宣言はまだ早い 安全面で不安多いのに何を急ぐ


時代刺激人 Vol. 165

牧野 義司まきの よしじ

経済ジャーナリスト
1943年大阪府生まれ。
今はメディアオフィス「時代刺戟人」代表。毎日新聞20年、ロイター通信15年の経済記者経験をベースに「生涯現役の経済ジャーナリスト」を公言して現場取材に走り回る。先進モデル事例となる人物などをメディア媒体で取り上げ、閉そく状況の日本を変えることがジャーナリストの役割という立場。1968年早稲田大学大学院卒。

 時の政権が、仮に、事実認識や情勢分析の面で判断ミスを行い、それをもとにメッセージ発信したことで、結果として国民をミスリードする形になった場合、当然ながら、政治不信は一気に高まる。とくに、その問題が、国民の生活や安全に深くかかわることだった場合には政権批判に発展しかねない。ましてや、強い関心を示していた海外に向けて、同じメッセージ発信をした場合には日本不信が高まることは言うまでもない。

何とおおげさな、おどろおどろしい言い方だな、と思われるかもしれない。しかし野田佳彦首相が12月16日の記者会見で、水素爆発事故を起こして後遺症が広がる東京電力福島第1原子力発電所の原子炉について、「冷温停止状態」を達成したため、事故収束をめざしたロードマップ(工程表)のステップ2を完了した、と「原発事故収束」を宣言した問題が、まさにそれにあたるのではないか、と私は思っているのだ。

野田首相会見のポイントは「原子炉は冷温停止状態に達した」
という点
 テレビに映し出された野田首相の会見の模様を聞いていると、ポイント部分はこうだ。原発の原子炉自体は、冷却水が循環し、原子炉の底の部分と格納容器内の温度が100度以下に保たれており、万一、トラブルが発生しても、敷地内の放射線量は十分に低く保たれている。原子炉は冷温停止状態に達し、原発事故が収束に向かったことが確認された。そこで事故収束に向けた道筋のステップ2が完了したと宣言する、というものだ。

この会見での野田首相の力点の置き方、発信メッセージが原発事故収束にあったため、これを報じたメディアは、どこもそろって、ほぼ「原子炉は『冷温停止状態』、首相は事故収束を宣言」(日経新聞)といった形で1面トップの大見出しの記事となった。
新聞メディアは、この1面トップ記事を受けた社説、論説では「『収束』は早すぎる」(朝日新聞]、「収束の正念場はこれから」(毎日新聞)、「幕引きとはあきれ返る」(東京新聞)、「『事故収束』宣言、完全封じ込めへ全力を挙げよ」(読売新聞)と手厳しかった。

「事故収束宣言」が妙にひっかかる、
私自身は「エッ、本当に収束したと言える?」
 野田首相は、会見で「原発事故との闘いがすべて終わるわけでない。ロードマップを明確にし、原子炉の廃炉に至る最後の最後まで全力をあげて取り組む。今後は、除線、健康管理、賠償の3点を徹底し、住民が以前の生活を再現できる環境を1日も早くつくりあげる。政府はこのための予算を大規模に投入する」と述べた。そんなことは当然だ。

この後段の発言は、政治の取組み姿勢として当たり前のことだが、むしろ、私自身も、野田首相が会見冒頭部分で言及した「事故収束宣言」が妙にひっかかった。「えっ、本当に事故は収束したと言えるのか。原子炉の中はまだ課題山積だし、放射能を含んだ汚染水処理も進んでいないではないか。政治は何を急ぐのだ」と思わず感じたからだ。

地元首長は一斉反発、
「炉心や燃料を完全コントロールできたと言えるのか」
 この受け止め方は、やはり私ひとりではなかった。朝日新聞はじめ各新聞の報道によると、福島県南相馬市の桜井勝延市長は記者会見で「早期に冷温停止状態になることは歓迎する」と述べたが、その一方で「炉心や燃料の問題などが完全にコントロール出来ていると言えるのか。明確に原発事故が収束したとは言えないのではないか。早計な発言だ」と述べている。

同じ福島県内の川内村の遠藤雄幸村長も「収束という場合、原子炉内の燃料を取り出して廃炉にし、住民の帰還が終わった場合のことを言うのだ。現状は、溶解した燃料に水を注入し続けるという、極めてアナログ的な形でかろうじて冷温を保っているだけじゃないか。とても収束とは言えない」と反発している。なかなか鋭い問題指摘だ。

原発現場作業員
「日本語の意味がわからない。何を焦って年内にこだわったのか」
 もっと強い反応を示したのが、東電福島第1原発の事故現場で働く作業員の人たちの受け止め方だ。東京新聞がしっかりとした現場取材をしていて、とても迫力があった。少し引用させていただこう。

東京新聞の12月17日付け朝刊によると、作業を終え首相会見をテレビで見た男性作業員は「俺は、日本語の意味がわからなくなったのか。(首相の)言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態から見て、ありえない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわるのか」とあきれかえった、という。

さらに、ベテラン作業員は「(野田首相の事故収束宣言を)どう理解していいのか、わからない。今も被ばくと闘いながら作業している。また地震が起きたり、冷やせなくなったりしたら(それこそ原子炉は)終わりだ。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のごみはどうするのか。(政府は)状況を軽く見ているとしか思えない」と憤った、という。

海外も厳しい評価、
NYタイムス「専門家の多くは原発が安定状態に懐疑的」
 時代刺激人コラムなのに、メディアに出た記事をつなぎあわせているだけか、とお叱りを受けそうだが、さまざまなメディアの記事などを網羅的に見てチェックしながら、その中でキラリと光るような記事を紹介して、問題の所在を浮き彫りにするのも1つのやり方なので、今回は、お許しいただきたい。

さて、そこで、野田政権の「原発事故収束宣言」のメッセージ発信が海外メディアではどう受け止められたかも、見逃せないポイントだ。代表的なのは、米ニューヨークタイムスで、「専門家の多くは『東京電力福島第1原発が安定した状態になった』とする日本政府の主張には懐疑的だ。(事故収束という)勝利宣言は、原発事故に対する世論の怒りを鎮めるためのものと思っている」といった批判的な記事だ。
大震災・大津波で壊滅的な被害を受けた3.11の翌日に起きた原発事故以降、日本政府や東電の情報開示が国内向けのみならず、海外に向けても遅いうえに、中身が不透明でわかりにくいこと、さらにあとになって「実は、、、」といった形で修正や訂正の発表があったりして批判が絶えなかった。そんな延長線上で、今回のような野田首相の「原発事故収束宣言」メッセージが出てくると、海外メディアは反発が先になってしまうのだろう。

野田首相が収束宣言にこだわったのは、
9月国連総会での国際公約にある?
 問題は、なぜ、野田首相が、原子炉自体にはまだまだ問題が数多く残されている、というのに、冷温停止状態を達成した、と断言し、さらに議論を呼んでいる「原発事故収束宣言」とまで踏み込んだのか、という点が何とも気になる。

友人の政治ジャーナリストによると、いくつか理由が考えられるが、野田首相が就任直後の9月に国連に出向いての総会演説の中で、事故収束に向けてのロードマップのうち、節目の原子炉の冷温停止状態達成というステップ2に関して、年内、つまり今年末までに達成を内外に表明する、と公約したので、政治的な思惑でもって、何としても12月中にということにこだわったのでないかという。

重要政策先送りで支持率低下に苛立ち?
パフォーマンス政治は止めてほしい
 確かに、そういえば、9月の国連総会演説で、野田首相は各国の最大関心事に早めに答えを出すと言っていた。しかも12月16日時点で、そのあとには日韓首脳会談、日中首脳会談など周辺国の首脳との会談が当時、控えていた。そこで、野田首相自身が存在感をアピールするためには格好のテーマだと考えたのだろうか。

そればかりでない。野田政権としては、政権内部の閣僚2人の参議院での問責決議可決、さらには消費税率引上げを織り込んだ税と財政・社会保障の一体改革や公務員給与引き下げ問題などに関しての政治決断がなかなかつけられずにいる。あおりで内閣支持率もこれまでの民主党政権と同様、下降線を描いてきていた。
そんな中での、ゴルフでいう事態打開のリカバリーショットのつもりでのパフォーマンス政治だとしたら、本当に政治不信がさらに強まる。そこには被災者目線がどこまであったのか、現に南相馬市長ら現場首長らの苦悩を思えば、野田首相としては、軽々しく「原発事故収束宣言」といった言い方をすべきでなかったように思う。いかがだろうか。

国会要請の事故調査委の黒川委員長
「事故収束発言は納得がいかない」
 ところで、いま、私は、政府の事故調査・検証委員会(委員長=畑村洋太郎東大名誉教授)とは別に、政府から独立して国会の要請で組織された東電福島原発事故調査委員会(委員長=黒川清・元日本学術会議議長)に強い期待を抱いている。

この委員会に、何を期待しているか、別の機会に、必ず取り上げたいと思っているが、今回、この委員会を引き合いにしたのは、黒川委員長が12月18日、委員会スタート後の最初の仕事として、福島原発事故現場を視察したあとの記者会見で、今回の問題に関して、鋭い指摘をしている。具体的には、黒川委員長は、野田首相の事故収束宣言について「納得がいかない。(原発事故収束に向けての)第一歩というならいいが、(首相の)言いぶりが、国民の受け取り方とギャップがある」と批判した。この委員長発言だけを取り出しても、私が、政府から独立して原因調査にあたる委員会に対する期待の一端がおわかりいただけるはずだ。

細野原発担当相が福島県の首長たちにおわびでは済まされない
 最後に、野田首相の記者会見にも同席した細野豪志原発担当相(環境相兼務)が12月18日、福島県知事はじめ福島県内の首長に対して、今回のステップ2達成と原発事故収束宣言に関して、あいさつを兼ねて訪問をした際、予想どおり、現場首長らから厳しい批判を浴びた。そして細野原発担当相は「『収束』という言葉を使うことで、原発事故自体がおさまったかのような印象を持たれたとすれば、表現が至らなかったと反省している」とわびた。

しかし、私に言わせれば、言葉、さらには政治のメッセージは、政治家にとっては命(いのち)のようなものだ。それを軽率に言ってしまったとか、表現が至らなかった、という形のわびで済まされるものではない。とりわけ、被災現場のみならず、海外の受け取り方も厳しいだけに、政治の姿勢が問われていること、それに政局に振り回されて本来やるべき被災地対応、事故処理の迅速化などにもっとふみこむべきでないのだろうか。

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