大型の連続余震で首都東京震災に現実味、広域災害リスクにどう立ち向かうか 「3.11」震災で大都市の弱さ露呈、いつでも機能移管できる副首都建設も課題


時代刺激人 Vol. 130

牧野 義司まきの よしじ

経済ジャーナリスト
1943年大阪府生まれ。
今はメディアオフィス「時代刺戟人」代表。毎日新聞20年、ロイター通信15年の経済記者経験をベースに「生涯現役の経済ジャーナリスト」を公言して現場取材に走り回る。先進モデル事例となる人物などをメディア媒体で取り上げ、閉そく状況の日本を変えることがジャーナリストの役割という立場。1968年早稲田大学大学院卒。

 大震災や原発事故以外のテーマでコラムを、と思いながらも、この問題が今や日本のみならず世界を揺るがす事態に発展していることもあってか、まるで吸い寄せられるように、またまたこのテーマになってしまう。だが、今回取り上げてみたい、と思ったのには実は理由がある。
「3.11」大地震・大津波からわずか1カ月ほどの間に、間断なく大小の地震の揺れが続き、私自身、ずっと不気味な感じを持っていた。ところが、4月7日深夜になって宮城県沖でマグニチュード(M)7.1の大地震が発生、その4日後の11日には福島県東部で夕方遅くM7.0、そして夜に入ってM6.0の大地震がほぼ連続的に発生したのだ。明らかに異常としかいいようがない。被災地の人たちの不安はピークに達したはずだ。

M7クラスの大きな余震が関東や東海地方に今後発生するリスクあり、と気象庁
 気象庁の発表によると、いずれもM9.0の巨大地震だった「3.11」の本震によって誘発されたものだ、という。そればかりでない。本震の規模自体が大きかったため、今後の一定期間は、このM7クラスの大きな余震が発生するうえ、その対象は東北から関東、中部東海地方に至る可能性もあり、警戒が必要だという。要は、広域災害リスクに発展する可能性が否定しきれない、という。

いやはや何とも不気味な話だ。東京電力福島第1原発事故でキーワードになった「想定外」リスクという言葉で片付けられない事態が起きる可能性も出てきた。端的には首都東京という人口の過密集中地域に、大震災の発生することが現実味を帯びてきた、といっても過言でない。もし、そうなれば、これは日本にとって重大リスクだ。

あの「3.11」の時には岩手県、宮城県、福島県、そして茨城県の東日本地域の人たちが恐怖のどん底に追いやられたばかりか、今も苦しんでおられる。それとは比較のしようがないが、さまざまな都市機能が集中する東京で大地震がもし起きた場合、何が起きるかわからない。現に、あの日も「高層難民」「帰宅難民」「介護難民」といった言葉が新聞の見出しになるほど、首都東京は大混乱の事態に陥った。大都市の弱さを露呈している。

「3.11」大地震時に東京で帰宅難民が続出、タクシーで10時間で帰宅ケースも
 私の友人は都心で夜に会食後、一緒にいた人の自家用車で帰宅したが、交通渋滞に巻き込まれて、平時ならば1時間で済むところを何と6時間もかかった、という。もっとすごい話をタクシー運転手さんから聞いた。東京都心の赤坂から神奈川県に隣接する町田市まで乗せた乗客の場合、大渋滞で10時間もかかり、タクシーメーターは4万円をつけた、という。その乗客は、家族が地震で大けがをしたため、帰宅せざるを得なかったのだ。
そればかりでない。東京のベッドタウンとして、埋立地跡に建設された千葉県浦安市の高層マンション群、分譲住宅は地下の土壌が液状化し、あっという間に傾いたり、地面が異常に隆起したりして、大騒ぎとなった。

こんな事例は、枚挙にいとまがないほど、あの「3.11」の東京で起きた。しかし、東電の原発事故で放射能汚染の水道水の話が東京にニュースで流れた時には、わずか1日で、その恐れもなくなったにもかかわらず、一時はミニパニックのような状況だった。大都市の東京は、巨大な人口が集中しているだけに、波紋の広がりはケタ外れなのだ。

河田教授の「もしも東京に大津波が来たら、、、、」での問題指摘はすさまじい
 もし、東日本大災害のような大地震、大津波が東京を襲ったら、いったいどうなるのだろうか。そんな関心から、たまたま読んだ河田恵昭さんという関西大学の教授・社会安全学部長の著書「津波災害――減災社会を築く」(岩波書店刊)に、それに関する話が出ていた。「もしも東京に大津波が来たら、、、」という記述の部分で、思わず吸い寄せられた。ぜひ、その一部を引用させていただこう。なかなかすさまじいのだ。

「市街地はん濫の恐怖がどこから来るか、示してみよう。東京湾に津波が来襲すると、埠頭や桟橋に係留中の船舶が衝突したり乗り上げたり、また直接、津波によって施設の破壊や燃料タンクの破損から火災発生の危険性がある」、「津波はん濫が最初に襲うのは臨海コンビナートである。石油精製施設、化学物資合成施設やそれにつながるパイプ群を破壊し、ここから出火する危険がある。もっと怖いのは致死性の有毒ガスの漏出である」と。

ゼロメートル地帯は一面の海原に、押し流された船舶や壊れた住宅が破壊力
 話はもう少し続く。「ゼロメートル地帯は一面の海原になって、はん濫水の流速が一向に遅くならない。船舶はもとより壊れた住宅や家具、倒れた街路樹や車も一緒に移動するので、極めて大きな破壊力を持っている。この状態が断続的に6時間は続く。(中略)津波は数十分ごとに繰り返し来襲するから、はん濫水や漂流物の移動方向は、時間的に逆転を繰り返す」という。想像しただけで、何とも恐ろしい世界だ。

河田さんは、専門家の1人として、こうした事態回避のために、津波対策や危機管理策を早くやれと政府に提言している。しかし同時に、河田さん自身は、日ごろから津波減災社会、つまり津波で命を失う危険性が高い人たちを何とか失わないようにする社会の実現をめざすことが、まずは大事だ、という。
それを実現するキーワードは、災害文化とユニバーサルデザインだという。このうち、災害文化は、社会の仕組みや生き方の中に津波防災・減災の考え方が入るようにすることが必要だという。またユニバーサルデザインは、それにリンクする考え方で、たとえば地域に傾斜のある避難路を整備する際には階段だけでなく車いすの人が利用しやすいようにスロープも取り付ける、といった都市デザインだという。

社会派作家の吉村昭さん作品「三陸海岸大津波」はすごい、過去3大津波を検証
 この津波のこわさに関して、常識的な知識しか持ち合わせない私自身は、今回の東日本大災害を招いたM9.0というケタ外れの巨大地震が津波とリンクすれば、とてつもない破壊力を持つものだ、ということを初めて知った。ところが、私が日ごろから好きな社会派の作家、吉村昭さんが「三陸海岸大津波」(文春文庫、文芸春秋刊)で明治29年、昭和8年、そして昭和35年と繰り返し三陸、とりわけ田老町を襲った大津波について、現場を歩き、過去の記録や証言などを掘り起こして生々しく描いているのだ。

読んでみたが、実にすばらしい。ジャーナリストになったらいいと思うほど、吉村さんの好奇心に裏打ちされた克明な取材力は迫力がある。過去に度々、大津波被害に遭遇した田老町は過去の教訓から学んで津波から町を守るため、吉村さんが調べたところ、全長1350メートル、海面からの高さ10.6メートル、根幅最大25メートルという大防潮堤を築いた。世界的にも有名になり、見学者が多かった。
ところが、今回の大災害では、その田老町の大防潮堤を飛び越す津波が押し寄せ、ひとたまりもなかった。自然災害のこわさを思い知らされた一瞬だ。こんなケタ外れの大地震・大津波が首都東京を襲ったら、文字どおり壊滅的な甚大な地獄絵を見るような世界が目の前に現れる、ということをさきほどの河田さんは警告しているのだ。

18世紀半ば、ポルトガル首都が地震・津波襲来で人口が3分の1の壊滅的被害
 地震や津波が首都を襲って壊滅的被害を与えた事例としては、18世紀半ばにポルトガルの首都リスボンで起きており、その時は何と人口の約3分の1が亡くなった、という。
歴史家で、大阪大学名誉教授の川北稔さんは4月7日付の朝日新聞オピニオン欄で、「歴史のいま」というテーマ・インタビューに答えて、そのことに言及し「これが、ポルトガル没落の直接の契機だと見るのは正しくありません。震災前から、その地位が低下していたところを襲われたのです。大災害は、すでに起きていた流れ、特に後退気味の傾向を早めてしまうことを、ポルトガルは教えてくれます」と述べている。

ポルトガルがなぜ衰退の道をたどったのか、閉そく状況に陥る成熟国家の日本と重ね合わせながら衰退国家に至る国家の研究をするのも一案かもしれない。しかし川北さんが指摘するように、すでに衰退過程にあったポルトガルが首都リスボンの防災対策に機敏な対応策をとれず、その能力自体を欠いていたから、壊滅的な被害にあったと見た方がいい。

「首都直下地震の復興対策のあり方に関する検討会」報告がめざすものは何か
 そこで、ポルトガルから学ぶ教訓は、最近のM7クラスの余震が次第に首都東京に近づき、大災害が現実味を帯びて来るとしたら、それこそ未曾有の大災害、とくに広域にわたる大災害を巨大なリスクと受け止めることだ。リスクが想定出来るなら当然、早めに手立てを講じることが政治や行政、研究者の大きな課題であることは言うまでもない。

その点に関して、興味がわいてきたので、いろいろ調べたところ、当然のことながら、行政レベルでもいろいろな会議や検討会などが立ちあがっていて、それなりの報告書が出ている。1996年の阪神・淡路大震災での大都市災害に対応して、同じ年に中央防災会議が首都直下地震対策大綱をまとめている。それが内閣府の「首都直下地震の復興対策のあり方に関する検討会」に引き継がれ、今年3月にタイミングよく報告書が出ている。

M7.3大地震で首都は死者1.1万人、経済被害112兆円の広域災害と想定
 それによると、被害想定は、東京北部でM7.3の大地震が発生したというもので、その場合、死者が約1万1000人、建物全壊・火災による建物焼失約85万棟、経済被害約112兆円にのぼると推定している。そして、復興のための体制と手順に関して、網羅的にまとめあげているが、広域での連携対応を軸に、生活復興、産業復興、都市復興に関して、それぞれとるべき必要な対策を挙げている。
同時に、経済・財政対策に関しても「被災後になって初めて財源確保のための国民負担を提案することは、国民感情や経済への悪影響を考えれば、必ずしも適切でなく、円滑な財源確保のためには、被災時に特別な国民負担を強いることを事前に広く周知しておくことも考えられる」と、復旧・復興財源の資金調達に関しては、早めに国民のコンセンサスを得る努力が必要だという。極めて官僚的な発想だが、リスクへの対応という点では、今回の大災害での復興財源確保と連携し、国民全体で考えるチャンスかもしれない。

日銀OB安斎さん、首都復興対策として副首都をつくり災害時に移転を、と提案
 私の友人で、日銀OB、現セブン銀行会長の安斎隆さんは、興味深い提案をしている。福島県出身の安斎さんは、政府が東日本大災害復旧に全力をそそぐことも重要ながら、20年後の東日本、さらには日本という国全体の国づくりの青写真をつくる必要がある、と指摘している。
それと「面白い」と思ったのは、首都東京の機能マヒ対策として副首都をいち早く建設すること、埼玉県小川町は地形的に岩盤が強固なので、早急に建設を計画すべきだ、災害発生と同時に機能移転すればいい、との大胆な発想でいることだ。

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