権利は武器だ! その権利で武装しろ!! 知的財産の大切さと今後のあり方について問う
山本特許法律事務所
代表
山本 秀策
男は、知的財産のエキスパートになった。キッコーマン中央研究所の研究職から弁理士の道に進み、スタッフ200人以上の規模を誇る山本特許法律事務所を育て上げた、前代表、山本秀策。知的財産問題に関して国際的に高く評価されるにいたった経緯と、知財の権利について山本の考え方とは?!
山本阪大の理系は行けると、一番入りやすいところどこだろう?と非常に安易な選択だったんですけど。
蟹瀬そのへんは、ちゃんと戦略的に選ばれた。
津島(笑)そうですね。
蟹瀬だけどそれのおかげでといいますか、キッコーマンという世界的に有名な、われわれはおしょうゆってイメージですけども、会社に勤められていますよね? これはやはり、この道を行こう!という感じだったのですか?
山本いえ、むしろ、変な話ですが、ジャーナリストかなんか、そんなのにもなろうかなと、理系を選んでおきながら、どうしても頭の中は人文系の人たちの世界がいつも見たい気持ちで。明けても暮れても数学、物理で生きている人間からすると、いつもそういう文系の人のモノの考え方を、覗いてみたいという気持ちはあったんです。
蟹瀬われわれから見ると、そういう顕微鏡を覗かれるスペシャリストですよね? スペシャリストの方に対する憧れというのは、逆に持つのですけど、逆だったわけですね?
山本そうですね、私は。ただ、恩師の教授が大学院卒で応募があったんですけど「山本君、ぜひここに行ってほしい」ということで、大学も終わりの頃、4年生になったときでしたね。
蟹瀬当時は大学の先生が大体、自分の担当の学生の就職先なんかを決めていくような時代だったですからね。
山本そうですね。
蟹瀬しかし入られて、これは研究所よりも工場勤務を希望されたというのも、これは不思議ですね。
山本そうなんです。私は当時、若かったんですけど、やはり一番出世を狙ってましたですからね。ジェネラリストで勝負だろうな、スペシャリストじゃ駄目だろうという思いがありましたので、「工場に行けるという前提があれば、キッコーマンのその話を受けてもいいです」と教授と交渉したわけです。
蟹瀬なるほど。そういう決断をなさったのですね。
津島はい。この後、山本さんは、ある発明がきっかけで弁理士の道を歩むことになります。
津島1968年、中央研究所配属、新しい麹(こうじ)菌を発明します。1972年、弁理士試験合格。1974年、キッコーマン株式会社退社、東島(ひがしじま)特許事務所入所ということです。
蟹瀬この新しい麹菌を発明って、発明というのはエジソンとかそういう感じですよね? すごいことだと思うのですけども、具体的にはどういうことがあったのですか?
山本そういうことだと思いますね。直線的にその話をしますと、私もいい加減な男ですね、キッコーマン菌なんていうのは、誰もが触ってはならない聖域なんですよね。
蟹瀬キッコーマンにはキッコーマン菌という菌があるのですか?
山本あるんです。歴代、だからああいうキッコーマンの、あのいい香りのしょうゆが出来上がるんですね。
蟹瀬醗酵ですね?
山本はい。あれは麹菌が全てといえば全てです。で、あと作り方というのがありますけれども、その麹菌をちょっと遺伝子を触ることで変えてみようと。で、もう少し別の私のイメージのしょうゆにならないかと。
蟹瀬これ、やっぱり変えなきゃいけない理由というのはあったのです?
山本いや、特にないんです。ただ研究テーマとして、もうちょっと旨みの出るしょうゆ、今のしょうゆでも十分おいしいんですよ。だけど味がいろいろありますけど、アミノ酸のうちのグルタミン酸の菌による製造量が増えれば、ちょっと味が良くなるかなと、もうちょっとまったりしたものになるかなって思って……。
蟹瀬言ってみれば新しい秘伝をそこから作り出したと?
山本出来上がったんです。
津島素晴らしいです、大発明ですね。
山本で、当時ジェネラリストで頑張ろうと思っていましたけど、現場は現場なんですよね。独創的な発想もそれほど要りませんしね。ただ私は顕微鏡ばかり覗いていた学生時代を、人間で勝負!と思っていたところ、現実はもっと単純なんです、人間のね。
蟹瀬だけどそれが山本さんにとっては、発明との出合いということになったわけですよね?
山本まさにそのとおりです。で、研究所に行って、麹を触るようになって、麹菌に至って、で、先ほどのような発明に至ったと、そういう……。
蟹瀬そして、ここで特許という、今なさっいてるお仕事との接点。
山本そうです。
蟹瀬これは山本さんにとってはやはり新たな発見だったわけですか? 特許ビジネスというか。
山本そうです、まさにそうですね。発明しますと、特許出願という手続きをするわけですね。研究者にとっては発明というのは人事考課のポイントにもなるんです。で、企業の責任においてそれを特許出願するんですけど、特許出願の前に、その原稿を見てほしいと言われて見てみましたら、私の思いとちょっと違うようなことがいろいろなっていて、これは誰が作ったんだ?と。そしたら弁理士という職業、外部の人が作ったと。で、弁理士ってなんだ?と調べてみると、工業所有権がどうのこうの、特許法がどうのこうの、そういう知的財産を扱う専門家のことなんです。
蟹瀬それはやっぱり山本さんは、これ面白いな!というふうに思われたのですか?
山本もう特許法というのを開いて読んで、体中しびれましたでね。
蟹瀬どのあたりが面白かったのです?
山本まず一言一句、こんな論理的に正確な表現というのはあるのか。で、特許法をずっと読んで理解してみますと、多元的に見事に論理的につながっているんですね。これが法律というものなんでしょうけど、私は法律というのに接したのが初めてですから、それで、どういう天才がこういうものを作るんだって、乾いた海綿(かいめん)に水が染み込むようにウワー!っと頭に入って夜も寝られなかったです、興奮して。
蟹瀬そうなのですか! では、もうそこで自分はこの弁理士を目指すんだ!という気持ちになられた?
山本ということは、なかったんですけど、この分野も勉強してみようと。若かったですから、睡眠が3時間ぐらいでも十分ですよ。だから昼は思い切り!仕事しましたけど、夜は思い切り!勉強しましたですね。そんなので……。
蟹瀬資格は取りに行ったわけですか?
山本それであっという間に勉強は自分で終えて、それで弁理士試験に通ったという。
蟹瀬簡単におっしゃいますけど、そう簡単に通る試験でもないでしょうからね。
山本当時、2.1パーセントの合格率ですからね。
津島すごい!難しい。
蟹瀬ええ?
山本100人に2人ですよね。
蟹瀬2人しか合格しない。
津島すごいですね。
蟹瀬弁理士の仕事というのは、国際業務だということをよくおっしゃっていますよね?
山本はい。
蟹瀬なんとなく、そのイメージが分からないんですけども。
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