翼の再生を納得する「フィロソフィ」の中身とは? 元操縦士の挑戦と行き先
日本航空株式会社
代表取締役社長
植木 義晴
ナショナルフラッグキャリアとして、戦後日本の高度経済成長の一端を担ってきた航空会社、日本航空が2010年1月19日に経営破綻した。JALの再建を請け負った、京セラ名誉会長の稲盛和夫は、破綻後わずか2年8カ月というスピードで、東京証券取引所第1部への再上場を成し遂げた。JAL再生のために稲盛が手掛けた改革の2つの柱。それは「意識改革と部門別採算」であるが、驚異のV字回復を成し遂げるに至ったその原動力は、経営幹部から現場のマネージャークラスまでを対象に行われた、リーダー教育だと言われている。その再建の中心で、稲盛イズムを直接受け継ぎ、生まれ変わった日本航空株式会社代表取締役社長植木義晴が目指す新生JALとは、その全容に迫る。
植木過去日本航空はナショナルフラッグキャリアと呼ばれた。その意識だけはみんな今も継承していると思うんですね。ですからやはり日本が困ったとき、日本の国民のみなさんが困ったときには、われわれが助けに行くんだ、という気持ちが実はあるんですよ。海外で戦争があったり内乱があったりしたときに、必ずレスキューに行くのは日本航空の鶴の翼だと。最近では東日本大震災が発生したり、フィリピンに台風が来たりしたときに、すぐにチャーター便だとかレスキューフライトを出させていただいたり、あとは政府専用機の整備であったり、グランドハンドリングをやらせていただいておりますし、東京オリンピックのときからずっとオリンピック、パラリンピックの協賛をさせていただいている。そういうのが引き継ぐべきものなんだというふうに思います。
蟹瀬いい意味での誇りと責任感ということなんでしょうね。そんな中に稲盛イズムも継承していくと。稲盛さんの植木さんの中で心に残る言葉というのはあったんですか。
植木その折々に付けいろいろな言葉をいただきましたし、私は先ほども言っていましたように、57歳までパイロットの道しか知らずに、たった2年の経営経験で社長になりました。この2年間主としていたのは、稲盛さんであったことは間違いのない事実なのですが、その中でいろいろなことを教えてもらい、いろいろ困難がありましたけれども、1つ言われた言葉の中に「丸腰でお天道様のもとを歩いてゆけ」と言われたんですよ。おわかりになります?
蟹瀬いや、わからないですね。
植木余分な武器は身に付けるなと。丸腰で刀を帯びずに堂々と歩く姿が、一番強いんだというようなことを言われたことがあります。
蟹瀬できそうでできないことですよね。
植木できないことですし、そういった経験を何度もされてきたから、そんな言葉がフッと出るんでしょうね。
蟹瀬今度は植木さんが若い社員に残す言葉というと、まだまだお辞めになるわけではないですけれども、どういう言葉を考えてらっしゃいますか。これだけは言っておきたいよというのは。
植木われわれは本当に地獄の淵を覗いてきたというんでしょうか、明日この会社があるかどうか分からない中で、でも残った3万2000人の社員と一緒に力を合わせてここまでやってきたんですね。別にその苦しみをもう一度君たちもというつもりもないけれど、そういった気持ちでいれば、つまり強い意志と思いがあれば、何でもできるんだと。一人一人が真っ白なキャンバスの中に夢を描いてきてほしい。それを実行する勇気を持ってほしいと、こういうふうに思いますね。
蟹瀬植木さんのあとからすばらしい人財が続いて行って、われわれが本当に気持ちよく乗るジャパンエアーラインにしてもらいたいと思います。どうも今日はありがとうございました。
白石ありがとうございました。
植木ありがとうございました。
植木若いみなさんには夢を持ってもらいたい、そう私は思っています。最近の若者は冷めているなどどいわれることもありますが、決してそうではないと信じています。強い意志と想いさえあれば、必ず夢は実現します。頑張ってください。
※出演者の会社名・役職など掲載情報は、収録当時のものとなります。
※著作権保護の観点から、動画の無断転載・流用などを禁じます。
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク