リスクがあっても任せる人材育成。10兆円企業へ、先代から伝承した教えと夢
大和ハウス工業株式会社
代表取締役会長
樋口 武男
男は、創業オーナーの意志を継いで会長となった。赤字の関連会社を立て直し、本社の赤字も解消、大和ハウス工業・樋口武男(ひぐちたけお)代表取締役会長が語る、熱湯経営の哲学とは?
樋口だから買いから売りにポッと変わって、そこでもいろいろ苦労したんですけども。
蟹瀬嬉しかったですか?支店長に、と言われたときは?
樋口支店長になったときは、大阪を離れるの初めてだったから、そちらの寂しさが先にきました。
蟹瀬うれしいというよりは、昇進して。
樋口よりも、ええ。それで、支店制でしたから。
樋口支店長は社長の代理人だということで、ものすごく張り切ったんですよ。張り切ってやったら往復ビンタをくらわすは……。
蟹瀬ちょっと待ってください(笑)社員に往復ビンタをって、今さらっと言われたけども。
津島くらわす(笑)。
樋口で、今だったら絶対通用しないです。
蟹瀬大変ですよ、それはも社内暴力になってしまいますから、パワハラとかいろんなのありますから。
樋口パワハラでも危ないのにね。しかし、そういうことで半年ぐらいたったら、怖がって後ろを向いたらいないでしょう? 四面楚歌ですよ。その頃にオーナーが来て目いっぱい愚痴ったんですよね。
蟹瀬オーナーに対して?
樋口「風呂に一緒に入ろう」言うから風呂に入って、風呂で。そしたらじっと聞いてくれて、私の話終わったときに一言、「樋口君、長たるもの一番大事なのは”決断”やで」と。こう言われたんですよ。
それで、私の愚痴に答えになってないと思ったんだけども、なんかそれでそれ以上突っ込む気になれなかったんです。それからどうしたかというのは、もうコミュニケーションしかないと、で、自分は胸筋を開いて目いっぱい自分の思いを言うでしょう。それでマンツーマンで朝と夕方……。
津島この後、樋口さんは、グループ会社の社長に就任、赤字会社を再建します。1984年、取締役に就任します。1989年、常務取締役に就任。1991年、専務取締役に就任。そして1993年、大和団地株式会社代表取締役社長に就任ということです。
蟹瀬取締役になられるというのは今のお話伺ってたら、それだけの熱意をこめて、いろんなことを失敗もしながら学んでこられて、経営者としての手腕を付けられてるから、僕は当たり前だろうなと思うんですけども、グループ会社の社長に抜てきされたわけですよね?「団地の社長をやってくれ」と、こういうふうなおっしゃり方をされたそうで。
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