織田信長家臣から始まる400年企業の、「従業員」と歩んだ変革の歴史とは
綿半ホールディングス株式会社
代表取締役社長
野原 勇
綿半ホールディングス株式会社。1598年初代野原半三郎が長野県飯田市で綿屋として創業。明治に入り綿の商いから金物店へと経営転換。1949年株式会社綿半銅鉄金物店を設立。その後スーパーセンター事業、建設事業、貿易事業など多岐にわたる分野に進出。
2003年組織再編を行い現在の綿半ホールディングス株式会社に改称。創業から420年その歴史を受け継ぐのは代表取締役社長野原勇。
中谷理念というのが一番会社の財産だからね。
白石そうですね重要ですよね。
中谷じっくり聞いていきましょう。
白石はい、よろしくお願いいたします。
白石さて冒頭のVTRでもご紹介ありましたけれど綿半ホールディングスは2017年で創業420年なんですよね。
白石どういった経緯で創業されたんですか?
野原祖先がですね元々織田信長の家臣で飯田に駐在しておりましたけれども、本能寺の変の後に苗字帯刀を捨ててですね、飯田の地で綿の栽培を始めたというのが始まり。その当時最初は寺子屋を多分やっていたと思われるんですけれども地域経済の発展のためにですね地域の農家の人に綿の栽培を教えてそれを流通させるっていう流れで当社の綿半という名前の由来というのはそこからきているという風になります。
江戸中期には飯田藩御用達商人となり苗字帯刀を許され野原姓を名乗るようになった。綿業の他に酒造にも商いを拡大。庄屋としての地位を確立した。綿半に最初の大きな転機が訪れたのは明治時代。綿業を譲り金物業へシフトした。なぜ順調だった綿業から金物業へシフトしたのか。創業家の出身で現在は綿半の代表取締役会長を務める野原莞爾に話を聞いた。
野原明治に入ってやっぱりその外国から安いは誰がどんどん入ってきちゃうしそれはちょっと日本の中の規模では太刀打ちできないということで結局はその綿にしがみついていたら自分たちの生活はちょっと難しいんじゃないかということを12代目の野原半三郎数吉って言うこれが中興の祖と言われているんですけど、それをちょうど切り替えてそして新しい時代に向けてそういうふうにしようといわゆる変革をしたと言うことだわね。
さらに近代産業である鉄鋼、セメント、ガラス、石油事業に参入を果たす。
白石これまでも様々な事業を展開されておりますが今現在はどのような事業を展開されてるんですか?
野原今現在はですね主力に三つの事業がありまして。一つ目がまずスーパーセンター事業と言うですねホームセンターで生鮮食品まで扱う事業が一つ目。それから二つ目が建設事業ですね。それから三つ目に貿易事業という三つの事業をしております。
白石さてこの番組では綿半ホールディングスの今を象徴するものをご持参いただき進行させていただきます。今日はどんなものをお持ちいただいたんでしょう?
野原お持ちしたのはこちらです。
白石これはどういうものですか?
野原これはですね、イギリスで行われているチェルシーフラワーショーと言うのがあるんですが。
野原主催がですねエリザベス女王が主催している世界でも一番権威があるガーデニングのショーであります。このショーの中でですねショーガーデン部門と言う一番大きい部門がありまして。
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