織田信長家臣から始まる400年企業の、「従業員」と歩んだ変革の歴史とは
綿半ホールディングス株式会社
代表取締役社長
野原 勇
綿半ホールディングス株式会社。1598年初代野原半三郎が長野県飯田市で綿屋として創業。明治に入り綿の商いから金物店へと経営転換。1949年株式会社綿半銅鉄金物店を設立。その後スーパーセンター事業、建設事業、貿易事業など多岐にわたる分野に進出。
2003年組織再編を行い現在の綿半ホールディングス株式会社に改称。創業から420年その歴史を受け継ぐのは代表取締役社長野原勇。
チェルシーフラワーショー2016 ショー・ガーデン部門でシルバーメダルを受賞——チェルシーフラワーショー
野原だいたい200人のデザイナーが競い合ってですねその中で十数名だけが選ばれて出られると言うそういう名誉あるショーがありまして。
中谷サッカーで言うとワールドカップみたいなものですよね?
野原そうですよね。
白石でもどうしてこのメダルが綿半を象徴するものなんですか?
野原綿半はですね、元々先ほど申し上げた通り綿で創業して鉄に変化をしていってるんですけれども、そして今ですね鉄の時代から新たな時代を築こうというのでグリーンライフというのをグループの中で新たな戦略として掲げるということも変革、大きな変革の第一歩と考えております。
中谷変革するためには今の「変えなきゃいけない」けれど、じゃあ何に変えるんですかということが一番大事で、経営者ってやっぱりこの先どうなるかを常に潮目を見ておかないといけないということですよね。
野原そうですね。元々綿の時代というのは綿の栽培を地域に持ってくるということで地域の発展に貢献してきたんですけれども、地域の経済が潤った中で今度は素材と言う鉄という素材あるいはセメントという素材を持ってきて地域を支えるというのをやってきました。ただですね、もう時代というのはバブルの後ですけれどそれまでというのはどちらかというと経済的な豊かさというのを追求する世の中だったんですが。
中谷物はもう行き渡りましたからね。
野原はい。それが今度心の豊かさということで今やってる三つの事業体にも要はグリーンとか自然というキーワードを取り込んでいって、世界に発展するためにどうするかと言うと、やはりこういう権威のあるショーでメダルを取ってしまうのが一番だろうと。準備に時間をかけまして、3年でやっとシルバーメダルまでたどり着いたという流れになってます。
中谷だからそれを目指していくというところで会社が一体化したんだ。ですよね?行くべき方向はここだというところで。
野原はい。
長い歴史の中で繰り返されてきた変革への挑戦。時代のニーズを捉えた様々な提案。それが新たな綿半ブランドになる。
白石さて野原社長のプロフィールを拝見しますと2015年に社長に就任されてますよね。あの初代から数えて何代目になるんですか?
野原私で16代目になります。
中谷16代。
野原ただ私自身もですね、野原姓になったのは実は四年前ですね。
野原養子なんです自分は。入社自体がですね8年前になりますのでそれまでというのは私は全然違う業界にいましてアメリカの系列の日本企業の社長をやっておりました。そのITバブル崩壊の時に親会社がチャプターイレブンという民事再生までしてますので、その時の経験というのが生きてですね、現在の義理の父の会長から、上場にあたっての経営戦略を立てる人間が必要だから手伝ってもらえないかという話があって、入社したのが8年前です。
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