織田信長家臣から始まる400年企業の、「従業員」と歩んだ変革の歴史とは
綿半ホールディングス株式会社
代表取締役社長
野原 勇
綿半ホールディングス株式会社。1598年初代野原半三郎が長野県飯田市で綿屋として創業。明治に入り綿の商いから金物店へと経営転換。1949年株式会社綿半銅鉄金物店を設立。その後スーパーセンター事業、建設事業、貿易事業など多岐にわたる分野に進出。
2003年組織再編を行い現在の綿半ホールディングス株式会社に改称。創業から420年その歴史を受け継ぐのは代表取締役社長野原勇。
野原これ自体はですね、江戸時代にやはり会社が発展していく中で暖簾分けというのをやって行く。ただ暖簾分けをあまりしていってしまうと、変わりたい時にその経営の能力を持ってる人間がみんな会社を去ってしまう。それだったら従業員全員で会社を経営していこうという考え方で、株式会社化したときもすぐに従業員即持株制を導入して、今それが持株会と言う形で世の中でも一般的にはなっておりますが、なので弊社の場合はですね、社員が大体多い時だと6割の株式を所有してまして。
中谷多いですね。
野原今でも大体OBも含めると1/3が所有しているという形になってます。なので私ども野原家というのは所有比率としてはそんなに会社は多くないと言う形も一つの特徴になっております。
関係者普通だとだいたいオーナーとして株を大半持って、そして仕事を従業員に行っていただくということをだけれども、そういうことでは世の中やっていけないだろうとそれで思い切って従業員の人たちに一人一人全部株主になってもらって、それで自分の会社でもあるし、それで株主でもあるし、それで会社が良くなれば自分の所に配当と言う余力も出るし、ということでみんなで会社を作っていこうと、のし上げていこうと、そういう思いが非常に強く出てたんですよね。株を持って統治するというと言うか、人柄とか人格だとかでいうようなもので信頼を受けて、そして経営にあたるというような、やっぱりそういう心構えを最初から作ったんじゃないかなあと思っておりますけどね。
中谷これは三方よしの考え方で、売り手よし買い手よし世間よしの中での売り手よしと言うと、つい経営者をイメージするけど、この売り手よしが綿半の場合は従業員が良い状況になるという売り手よしに従業員が入っている。
野原元々の出が武家の考え方なのかなとも思うんで、武家の場合というのは自分たちが納めている地域がどれだけ発展するか、というところでしか存在価値というのはないですから。
野原そう考えるとお金がどれだけ儲かるか、というよりかはみんなでよくしていって、さらに良くなった部分をシェアしていこうという考え方で経営してるというのも、一つ特徴かなと考えております。
野原野原家の中での考え方としては財産を残すというのは下だと、企業を残すのが中で、人を残すのが上だという考え方なので、常に人を残していく。
野原それで会社を残そうと言う概念よりも、人を残して地域の発展を支えていこうと。そのための手段として会社があると言う風に捉えて頂いた方が分かりやすいかもしれません。
中谷ベースとしては持株だけでなくて持株制度やったらいいかではなくて、持ち株制度と他の色んな教育とかをやって、合わせ技でそれが効いてくるということなんですけど。
野原地域に貢献する、私自身長野の出身でもなんでもないんですね、逆に東京の出身なので田舎っていうものがない中でこういう田舎、ふるさとがある会社というところに入って、さらにその中で新しいものをどんどん取り入れていく、要はやはり先々代から引き継いたものを変えるかが主題ではなくて、どう地域にとって良いことをするかという考え方ですね。そのために変えるものは変えていってくれるというのを認めていただけたという部分が大きいんじゃないですかね。
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