M&Aの成功例・失敗例 シナジー効果を高める企業買収を成功に導く仲介者の信念
株式会社日本M&Aセンター
代表取締役社長
分林 保弘
マスコミでは敵対的買収ばかり取り上げられ、買収の99%を占めるという友好的買収には、ほとんど注目されていない。M&Aの最たるメリットはシナジー効果であるという、株式会社日本M&Aセンター 代表取締役社長(現代表取締役会長)・分林保弘が語る、M&Aの成功法則とは。買う側・買われる側双方の視点から探る。
蟹瀬そして会計事務所の担当マネージャーというのになられていますよね? これは具体的にはどういうことなのですか?
分林一つはTKCという一部上場会社がありますけども、あそこの営業をオリベッティが一時全部引き受けたものですからやったりとか、それから……。
蟹瀬会計の管理システムですよね?
分林そうですね。財務システムだったのですけども、その営業とか、特に多かったのは、やっぱり会計事務所が今まで過去のことの決算をやるだけでなしに、企業の経営計画を作りましょうよと、こういう考え方がやっぱり出てきまして、それをシステム化、ある会計士の方とシステムを作って、それを全国的に販売したら、約1,000万のシステムだったのですが。
蟹瀬どのぐらい売れました?
分林約800台くらい。
津島すごいですね。
分林ええ。だから北海道から沖縄まで講演しに回りまして、どちらかというと機械そのものよりも、これからの会計事務所経営はどうあるべきなのかとか、そこにおける経営計画の必要性であるとか、これもずっと今はそれが続いているのですけど。
蟹瀬そのへんが本当に今、おっしゃったように、次へつながっていくわけですよね。
津島はい、そうですね。
分林ええ。
津島この後、分林さんは、日本M&Aセンターを設立します。1986年、日本事業承継コンサルタント協会を設立します。1991年、株式会社日本M&Aセンター設立、取締役に就任。1992年、代表取締役社長に就任。2000年、日本プライベートエクイティ株式会社取締役に就任。そして2005年、特定非営利活動法人日本企業再生支援機構理事長に就任ということです。
蟹瀬年表順にちょっと伺っていきたいのですけれども、日本事業承継コンサルタント協会、これはどういうものなのですか?
分林それはやっぱりちょうど1980年代後半、ちょうどバブルのときだったですから、株価が上がり土地が上がって、やっぱり相続税がなかなか払うのは大変だという声が全国的に起こってきました。
まして中小企業経営者にとっては売れない株に関して課税されるというわけですから、やっぱり売れる範囲ぐらいにまで節税をしようという感じで、そういった税理士、会計士のかたがたと、そういった運動、勉強会を起こしたのですよね。
蟹瀬じゃ、全国的なネットワークをつくっていこうと思ったのですか?
分林約550名の公認会計士、税理士のかたがたが入っていただきまして、私が発案してというか、いろんな先生方と一緒につくったわけなのですが、それの初代の常務理事をやらせていただいたり、まとめ役をやらせていただいたりとかやっているうちに、今度は各企業の経営者のかたがたから後継者がいない。経営権の承継問題とでもいいますか。
蟹瀬これは難しいですからね。やっぱり財産の問題とか全部、例えば社員が株、買えるかといったら買えないわけでしょうしね。
分林そうなんですよ。ですから今までですと、兄弟が多かったものですから誰かが継ぐというのがあるのですけど、だんだん少子化になってきて、今なんか、去年なんかは1家庭に生まれるのが約1.2人という状況ですから。
そういった面でそういうやっぱり豊かになったから、必ずしも息子さんが継がないとか、あるいは経済環境的に非常に厳しくなってきましたから、多分プロの経営者でしかもうできない時代にやっぱりなってきたという中で、こういうM&Aの組織をつくったら?という……。
蟹瀬そこで気が付かれた?
分林そうですね。皆さんがたから声も起こって、じゃあつくりましょう!というので、まず東京に日本M&Aセンターを資本金1億5,000万でつくりまして、株主の方が150人出資していただきまして、で、北海道から九州に至るまで北海道M&Aセンターから南九州M&Aセンターまで、約50社の会社を一緒に同時に立ち上げたのです。
蟹瀬早いですね。
分林はい。
蟹瀬さっきのコンサルタント協会もそうだけど、全国へ。だけど当時M&Aって言葉もおそらく日本ではあんまり知られてなかったのではないですか?
分林そのとおりで、ほとんどなかったですよね。だから当時、一番東京で大きな本屋さんに行って、社員に「とにかくM&Aの付く本は全部買ってこい」と言っても、15〜16冊しかなかったですね。
蟹瀬ということは、分林さんもよく分かってなかった?
分林実は私、M&Aをやったことなかったのです。
津島そういう状況の中で。
蟹瀬しかしそういうものをつくって、実際にはお客さんがいなければ稼働しないわけですね。お客さんというのはすぐに見つかったのですか?
分林おかげさまで
分林その約50カ所に全国つくりましたし、それを全国やっぱり講演しに回ったり、社員がまだ5人しかいないときに、全国紙に一面広告を出したのですけど。
蟹瀬踏ん張りましたね。
分林で、あなたの会社の後継社をお探ししますと、今も全然タイトルは変わらないのですが。
蟹瀬後継者の者の字が違うのですね?
分林そうなんですよ。後継者も会社の社という字をある社員が「若林さん、こういう社を付けましょうよ」と……。
蟹瀬者(もの)ではなくて、人間ではなくて。
分林そうなんですよ。その月曜日1日だけで150件から電話がありまして。
津島すごいですね。
蟹瀬それだけ、だから悩んでいる、特に中小の経営者の方が多いということですね?
分林そうなんですよ。ましてどこに相談していいか分からない、だからその当時はやっぱり1週間に400件ぐらい電話がかかってましたですね。
蟹瀬それだけの電話がかかったときに、ご自身としてはどういうふうに思われました?
分林これはいけるなと、すごいニーズがあるなと思いましたね。
蟹瀬そして設立記念講演会というものをなさっています。そのときはやっぱり、かなり思い出になることがあったそうで。
分林そうですね。300人ぐらいの税理士、会計士の方とか、金融関係者に集まっていただきまして、基調講演はちょうどオリックスのその当時の社長の宮内さんに、お付き合いがあったのでしていただきまして、ちょうどオリックスさんが阪急ブレーブスを買った頃、後ぐらいなのです。その当時の話もかなり、でもその当時オリックスさんで、やっぱり10社ぐらい証券会社であるとか、いろんなところをやっぱり買っておられましたね。
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク