倒産危機に「仕事が楽しくなった」見つめ直した大切なことは「世界ブランド」
株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド
代表取締役社長
寺田 和正
1994年3月10日日本の女性たちを魅了するファッションブランドが誕生した。サマンサタバサである。若き寺田和正は独自のブランド戦略を展開し日本そして世界市場へと進出を図っている。起業して数年後に会社存亡の危機に見舞われるも寺田の周到な海外戦略が功を奏しサマンサタバサはよみがえった。日本初のファッションブランド、サマンサタバサのブランド戦略は果たして世界を席巻することができるだろうか。その戦略に迫る。
寺田はい、すべて一人一人がその4つのキーワードで働いてるんですけども、そのキーワードの中で働いている方々がすべて何か数値化されると、それが勇気に変わるのかなと。
白石番組ではですね、企業のトップとして活躍しているみなさまのビジネスの原点を象徴する思い出の品物をご持参頂いてるんですが、寺田社長は今日は何を。
寺田はい、ちょっと変わってるんですけど、わたくしのビジネス原点というとこの。
蟹瀬立派な絵ですね。
寺田肖像画。
白石こちらの方どなたなんでしょうか?
寺田うちの祖父なんですが、僕は会社を作りたいなという風に思った原点が実は祖父の肖像画で。
蟹瀬でもこのように、肖像画を見て、そうだ僕は仕事をやろうって、そういうわけじゃないんでしょ?
寺田いやそう思ってます。
白石そう思ってたんですか?
蟹瀬何かきっかけってのはどういうとこなんですか?
寺田祖父が早く死んで、父がそのあとを継いでいくんですけど、それをリアルで見てました。父をカッコいいなと思いながら。でも寝るときはおばあちゃんの部屋で、あなたのおじいちゃんはすごかったのよ、というのをずっと言われてたんですね。
幼稚園生とか小学校3年ぐらいだったと思うんですけど、鮮明に覚えていますね。会社を大きくするときに機械を買うことになったんだけど、みたいな話とか。小学生なんですけど、うちのおじいちゃんすごかったんだな、男は勝負するときは勝負しなきゃいけないんだ、と。
蟹瀬どんなお仕事をなさってたんですか?
寺田実家で鉄鋼業をやってまして、加工業なんですけども当時は広島にいまして。そこで会社をすごく大きくしたていう話をずっと僕は聞いていました。祖父のようになって父の会社を継いで、という気持ちで本当に幼稚園、小学生の頃はそう思っていましたので、自分は社長になるんだっていう。
白石強い思い。
寺田いやもうこのころから思ってました。
蟹瀬素晴らしいね、絵1枚からそういう思いが起きてきたっていうのは。
寺田仕事について悩んだりとか、いろんなことがあるときは、会ったことないんですけど話を聞いてもらうんですよね。
白石素晴らしいお話ですよね。
リーダーが決断した次なる変革そのキーワードとは?
寺田とにかく我々は、今ブランドなので日本全体を元気にしたいっていう思いから、会社を「日本一楽しい会社にする」ということを変革の1番に持ってきています。
日本初の世界ブランドを目指す、サマンサタバサ寺田が構築しようとする日本一楽しい会社のその全容とは
白石リーダー&イノベーション賢者の選択、今回お招きしておりますゲストは若い女性に大人気のファッションブランドを展開します。サマンサタバサジャパンリミテッド代表取締役社長の寺田和正さんです。
蟹瀬さて3つ目のキーワードとして日本一楽しい会社これを作りたい。具体的にはどういうことなんですか?社員がいつもニコニコしているって感じですか?
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク