日本中の「記憶にとどめた」、生活インフラ企業が瀕死から作った奇跡の軌跡
株式会社ウィーヴァジャパン
取締役社長
高岡 本州
瀕死の機械メーカーがある技術の転用で新素材を開発。BtoBからBtoCへと業態を転換しマットレス業界に新規参入した。ハイエンドなユーザーを魅了する新次元マットレスパッドとは。急成長中の株式会社ウィーヴァジャパン取締役社長高岡本州のブランディング戦略に迫る
高岡は、悩んでいた時期に、東京大学が主催する企業人や官僚のためやエグゼプティブマネジメントプログラム「東大EMP」に参加した。
東大EMPは『あなたは何をしらないのか、すら知らない』をモットーに、様々な分野の最先端に触れることで、そこからそれまでにない発想を引き出そうとするプログラムである。
高岡はそのプログラムを通して多様性のある物の考え方を得たという。
横山EMPというのは、みなさんがビジネススクールじゃないのかという風にお考えになりますが、それは全く違っていて、ビジネススクールは過去のケースを追体験することですから。過去の経験を追体験してやれるビジネスの世界というのはそりゃ、まだ8割方あるのでしょう。
しかし2割は全然関係ない世界になっていって、それから世の中今そのそれがもっともっと広がってんだから、それでもわかんないことがまだまだこんなに沢山あったというその驚きをもっていただきたいと。英語で言えば「You don’t know what you don’t know」。あなたは何を知らないのかすら知らないということ。わからないことというのは最先端のことなんですよ。いつものビジネスの仕事と違う頭の使い方をするというのと、新しいビジネスを作るというのはやはり繋がっている所があるんじゃないですか。昔ながらのやり方ではない所を見つけなければいけない。
蟹瀬横山さんは私も存じ上げてるんですけど、非常にユニークで頭脳明晰の方です。例えば、横山さんからのアドバイスで実際にこういうことができるんだ、などその後の決断にすごく影響受けたことはありますか?
高岡当然のことですが、ウィーヴァという会社をやってく上で、いわゆる社会に対してのきちっとした責務、ベネフィットを出していくということ。加えて、それが合理的に運営されるためのは様々な専門的な知識が必要だと。そういったことをこれからやってかないと集めていかないといけないなというのはここにいる間に非常に感じました。
ただですね、よく考えてみると、片方は電力機器で社会インフラの会社を社会インフラの一部を作らせていただく会社で片方は寝具まあマットレスを作るところと思ったわけなんですけども。このマットレスを考えてみれば生活のインフラなんで。
蟹瀬まあ基本的に必要な用品ということですよね。
高岡そうですね。みなさんの睡眠ですから、どちらもインフラですので。そういう面でインフラ事業として、どちらもコツコツやっていこうと思いました。そこだけは一つしか共通点がなかったし、そこを機塾に今までもやってきています。
蟹瀬やはり、その「インフラ」という形にコンセプトを固めたという所が強みでしょうね。
高岡ですからインフラらしくやろうと。つまりインフラ事業というのは長期間のスパンで研究開発、そして誠実な経営をしないといけない。いまだにウィーヴァジャパンの中で一番重要なポイントとしています。
蟹瀬そういう物を基礎にして、あの商品の「エアウィーブ」は空気を編み込むって意味ですよね、日本語で訳したら。
空気を編むというコンセプトのもとに2007年ポリエチレン3次元構造体エアウィーブが誕生した。この新素材マットレスパッドは反発力のある素材だから実現できる素早い復元力。体重が一点に集中しない優れた耐圧分散。さらに従来のマットレスにはない抜群の通気性と水洗いが可能という特徴を併せ持つ。
蟹瀬満を持して作って出して世に通ったわけですよね。これ、売れました。
高岡いや、2007年の6月から売り出したんですけど、1年間準備して全く売れませんでした。
蟹瀬なぜ売れなかったんですか?
高岡通常シングルを買いに来る人は、それを必要としている人なので、寝具売り場に購入見込み客は来ているんです。私たちはこれで間違いなく快眠が得られる確信はあったし、置いてとけば売れるだろう、ぐらいで売り出したので全く売れなかったですね。
蟹瀬いかにいい商品でも、やはりそういうノウハウがないとマーケットでは受け入れてもらえないということですかね。
高岡そうですね、やっぱりいい商品であるということを証明して、認知してもらえないといけない。もう本当にひどいひどい状況でした。
蟹瀬でもやっぱりやらないかん。
高岡そうですね、なんとかやらないといけないなと思って。開発をした当時は1年間に200枚ぐらい、いろんな方に渡しました。モニターを使ってすごくいい評価だったので、いつかは絶対に売れるはずだと。
蟹瀬その希望の糸をこう、手にしっかり握りしめながら行かれたと。
高岡ただいつかは長かったなって感じしますけどね。
佐々木それでは続いての変革。キーワードは何でしょうか?
蟹瀬はい、「お客様との約束」です。
新素材を開発するも、なかなか売れないエアウィーブ、高岡が掲げた次なる変革お客様との約束とは。
高岡お客様との約束を守り続けることがブランドになると思いました。ブランドを作るにはそのためには実績が必要だと、つまりお客様との約束をまもった実績あるいは、そういう我々の製品がどういう風に使われるという実績が必要だと。
蟹瀬具体的にはどういうとこにどういう形でアプローチされたんですか?
高岡この商品はすごく自信をもって世に出したわけですが、その時にあらとあらゆるいろんなデータメカニカルなデータや特性、これをとっていたのですが、最後はやはり人間の体で評価するという部分が絶対必要なんです。いわゆる慣用的な部分ですね。で、そうなったときに誰が一番慣用的な感覚を持ってるかというのを考えて思いついたのが、オリンピックを狙うようなアマチュアのトップアスリート達でした。
蟹瀬なるほどね。
高岡オリンピックの選手は4年に1回しかオリンピックの機会がありません。そこにメダルを取りに行くわけですから、すべてを犠牲にして彼ら体のこと。ですから彼らが選んでくれたら間違いない。
蟹瀬これはもう絶対そう思ったわけですね。だけど、オリンピックのアスリートっていってもそんなに簡単にアプローチできないでしょうし。
高岡そうですね。
蟹瀬いろんなスポーツもある、どうなさってるんですか?
高岡たまたまご縁があった方がいらっしゃいました。私、子供が双子なんですが、子供たちがちっちゃい頃からスキーを習っていまして。そこでスキーを教えてくださっていたのが、2年前にお亡くなりになっていますが、古橋鳶之進さん。彼が腰痛だったので、ちょっと試しに使っていただきました。それから彼らがトレーニングする国立スポーツ科学センターという、宿泊できる国の施設が80床あるのですが、その中の半分に、このマットレスをトライで引いてもらったというわけです。
そこにいたのはオリンピックに出るような優秀な選手たちばかりだったのですが、彼らの評価は非常に高いものでした。しかし、80床のうちエアウィーヴを引いたのは40床で、もう半分は引いてないわけですね。
蟹瀬エアウィーヴを使っている選手と使っていない選手で差が出てくるわけだ。
高岡はい。結果として、半年ぐらいたった時に全部引いてくれと。80枚のうち、残りの40枚はお買い上げいただきました。これが最初の大口注文でしたね。
蟹瀬最初決まったときはどうでしたか?
高岡もう本当に、嬉しかったですね。
蟹瀬ずっと売れなかったわけですもんね。
高岡売れませんでした。それが一気に40枚、ご注文いただいということで。その後、隣にナショナルトレセンさんというもっと大きなトレーニングセンターがあるのですが、今年は400枚を追加で納入させていただきましたきました。今は国立スポーツ科学センターとナショナルトレセンは全部私どものマットレス。
蟹瀬すごいですね。
佐々木でもやはり、それだけ製品がいいから結果が出たということですよね。
高岡そうです。色々なご評価やフィードバックも頂いて改良をしたりしていますので、みなさまに育てていただいたということですね。
蟹瀬まあ彼らにとってみては本当に体のメンテナンスの最優先事項だからね。ほんの少しの違いでも気になるでしょう。
高岡国立スポーツ科学センターにマットレスを納入させていただいたところ、水泳チームの方々がこれを北京に持っていきたいというご要請がありました。当時マットレスは丸めれるタイプじゃなかったんですよ。なので、丸めれるようにちょっと特殊な技術開発をしました。
蟹瀬あれも大変みたいですよね。
高岡そうですね、で、それが今エアウィーブポータブルという商品でアスリートの睡眠を支える商品に開発されてなっております。
北島康介選手の指導者でもあり、アテネ、北京、そして2012年ロンドンオリンピックの競泳日本代表ヘッドコーチを務めている平井伯昌コーチに聞いてみた。
平井北京オリンピックは午前に決勝がありましたので、特に夜の睡眠は大切になるんじゃないかと。プレッシャーもあり、いろんな仲間と暮らさなきゃいけないという所でエアウィーブを持っていったわけなんですけども、すごく快適に睡眠とることができました。夜だけじゃなくて昼寝にもね、よく使わせていただいて。選手のコンディション維持に、大いに役に立ったんじゃないかと思います。
今度のロンドンの選手村がちょっと狭いんじゃないかという話を聞いていますので、そういう環境の中で金メダル獲得には影の力になりますけど、夜の時間も1日の3分の1ですから、縁の下の力持ちということで。是非持っていきたいなと思っています。
蟹瀬北島選手が北京で優勝したとき、現地にいらっしゃってたんですって。
高岡そうですね、結局国立スポーツ科学センターに納めさせていただいて選手からの評価があったんで、水泳連盟と陸上連盟さんの選手70名にマットレスを渡した中に北島選手もいました。最初の100mの決勝の場は現地で見てました。
蟹瀬ガッツポーズですか。
高岡北島さんの100mの優勝は結構厳しかったって言われていましたもんね。
蟹瀬そうですね、200mはだいぶ得意でしたけどね。
高岡で、勝った瞬間たぶん会場で一番大きな声で、「やった!これで売れる!」と思って叫びましたね。
蟹瀬記録が出たとかそういんじゃなくて。
高岡いやいや、もうそうですね、隣に子供がいまして、お父さんうるさいって。
佐々木そんなに。
高岡はい。
佐々木喜ばれたんですか?
高岡会場からすぐに日本の会社仲間に電話しました。やった!これで100m金メダルだ、うちのマットレス使ってくれて売れる!と。
蟹瀬これはどんどんっと当然売れると、思われるんですよね。
高岡はい。
蟹瀬実際はどうだったんです?
高岡もう全然売れなかった、2008年の8月に水泳チームと陸上チームにお渡ししたのですが、当時の我々はPRというやり方を知らず、お渡ししたことは黙ってたわけですね。
蟹瀬じゃあ北島選手が、その商品を使ってるってことは世の中が知らなかった。
高岡そうですね、北島さんをはじめとした水泳選手たちも、陸上チームも、全員が私どものマットレス渡したことを僕ら公にしてなかったんですよね。
蟹瀬それは優勝したって駄目ですよね。
高岡いやただその内気づかれるだろうと思ってました自然に。
佐々木気づかれるだろうと。
高岡ですから、社内には逆にかん口令をひいて言うなって言ってました。9月になってそろそろいいだろうと思って色々なところに話したんですけど、「あ、そうだったんですか」ぐらいで終わっちゃって。
蟹瀬それはね、時すでに遅し。
高岡そうですよね、いい勉強させて頂きました。
蟹瀬でもその後どうされたんですか。オリンピックはまたありますしね。
高岡はい、まあ結局売れないでただいつか売れる、選手が良かったって声は聞いてますので、何故よかったかの研究開発をしようと、思って手元の資金も見ながらですね、そうはいいながらも研究しないといけないインフラ事業だと思って大学の先生方にお願いして、このマットレスの睡眠研究なんかもやらさせていただきました。
高岡は早稲田大学スポーツ科学学術院の睡眠医療認定院、内田直教授の協力を得て寝返りのしやすさが睡眠効率の改善につながること、そしてエアウィーブが腰痛を誘発しにくいことなどの研究結果を得た。
蟹瀬やはり、こういう研究でデータが出て初めて、本当に信頼されてくるってところがあると思いますよね。売る方も自信につながりますしね。
高岡そうですね、こういうふうだっていうやっぱりきちっとした根拠になりますしね。
蟹瀬次はっていうとどんな感じだったんですか。
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