毎日1,000通の手紙を読む!「お客さんの声は宝物」の誠実さ
株式会社壱番屋
創業者 特別顧問
宗次 德二
家庭料理の定番、カレーライス。チェーン化は難しいとの世間の常識を打ち破り、夫婦二人三脚経営で成功をつかんだ男がいた。「もう自分がいいと思ったことは、やっぱり社員の人にも味わっていただきたい」。海外合わせて1,000店舗以上にのぼる成功の秘密とは?
宗次愛知県、岐阜県、三重県だけではなくて、徐々にエリアを広げたい、まず京都に出そうと。京都が成功した、次はやはり東京かなということで、荻窪に1号店を出しまして、それまでは地方のCoCo壱番屋、通称ココイチというんですが、ココイチでありたいと、あまり派手に取り上げていただいて真似をされるともうひとたまりもないと思いました。取材は結構です、という施策を取ってやってきたんですが、東京に出した以上はもうそんなことは言っていられないので、積極的に店舗展開しようということになったんですね。
蟹瀬そうすると、もう全国へということになるわけですね。
宗次東京へ出せば、もう後は全国ですね。ただ全国展開を標榜したのは結構早かったんですが、一番の理由は優秀な人材を全国から集めたいな、採用したいなと。それで全国にモデル店をつくろうと、CoCo壱番屋というのはこういうお店なんですよ、こんなお店が2年、3年、4年従事すると、自分の出身地で持てるんですよというのね。
蟹瀬お店が持てますよと。考えたらあの頃はバブル期ですから人材を集めるというのは大変なことだったわけですよね。
宗次ええ、人がいなかった。そうなんです。求人費はどんどん使って求人するんですが、本人はその気になっても親兄弟、友人が「いや、そんなうまい話はないからやめときなさい」ってみんな反対される。そういう人を説得するためにモデル店をつくって、こんな明るい店なんですよということで応援していただかないとね、周りの方に。
蟹瀬そして一つの目標として300店舗というのがあって、それを達成されたときはどんな気持ちだったですか?
宗次いや、もううれしかったですね。初めての目標らしい目標でしたからね。それまで小さな目標は追い続けてきたんですが、全社員集まって万歳三唱して、本当にうれしかったです。涙で万歳なんてできなかった、私。今の社長が代わって「僕やります!」とやってくれたのも、つい昨日のようです、10年ほど前ですね。
蟹瀬そうですか。だけど300で、やっぱりそこで終わるのではなくて、次の目標というのはやっぱり設定するんでしょうね。
宗次そうですね。やっぱり目標は追い続けていかないと
宗次つらいことの連続ですからね、経営って、負けてしまいますから。やっぱり目標がしっかりしていたから乗り越えてこれたのかなという思いですね。
蟹瀬海外の店舗で、ハワイというのは何か理由があるんですか?
宗次ハワイも40を過ぎたときに、ふといろんな方から「ハワイいいですよ」と、「行きませんか」とお誘いを受けていたんです。しかし、「そんな時間ないから」と断っていたんですよね。あるとき、お世話になった人皆さんをお連れしてハワイ旅行をしようかということが持ち上がりまして、それでハワイに行ったら、本当に別天地、楽園みたいな所で、こんな素晴らしい所だったら全社員を連れてきてあげたいと。それで福利厚生的な意味合いで、じゃあお店をつくると皆来やすいからお店つくろうと、福利厚生から。
蟹瀬すごい発想ですね。
宗次そうですよね。
蟹瀬向こうで儲けて社員を呼ぶのではなくて、社員の福利厚生のために取りあえずお店をつくってしまおうと。
宗次ええ。もう自分がいいと思ったことは、やっぱり社員の人にも味わっていただきたいなという思いです。
蟹瀬それだけ成功されたにも関わらず、50歳でもう会長になられた?
宗次そうですね。
蟹瀬これはどういう理由なんですか?
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