

失敗とは無縁!?「最大のリスクは後悔することだ」の前進力
楽天株式会社
代表取締役会長兼社長
三木谷 浩史
「営業は、もうこれはとにかく数と熱意で回る」。IT時代にあって華々しく登場した三木谷。そこには意外な哲学も潜んでいた。数ある同種の事業の中で巨大な存在へと登りつめた戦略、ノウハウとは?
三木谷テニスのプロになりたいなというふうには思ってたんですけども、そこまでは実力がなかったんですね。
河合でも帰国子女でテニス部で、もてたでしょうね?
三木谷もてないです、今でももてないですけどね。本当にどうしましょう。
石丸もてないよと言っている人に限って大体もててることが多いじゃないですか。
三木谷いえ、もてないです(笑)。
石丸さて、この後三木谷さんが社会に出ます。
一橋大学を卒業した後、日本興業銀行に入行、その後アメリカのハーバード大学に留学して、ここでMBAを取得。そして帰国後、メディア関連のM&Aを担当。そして30歳のときに、早くも日本興業銀行を退職しコンサルティング会社を設立します。
石丸独立志向というのはなかったんでしょうかね?
三木谷就職したときは、そもそもベンチャーということも、アントレプレナーという言葉も知らなかったですね。大企業中心のバブル世代ですから。
そして1988年、一橋大学を卒業した三木谷は、ある経緯を経て日本興業銀行に就職することになる。
森永日本興業銀行というのは、産業金融の雄で、ある意味で日本でもっとも給料も高い、それからステータスも高い会社なんですね。私、1991年に中途採用の試験があって1回受けたことあるんですけど、あっという間に面接で蹴られたんですけどね(笑) 。
三木谷見る目ないですね。
森永いえ。それはそれとして、当時から日本興業銀行に入るってものすごく難関中の難関でしたよね? これはどうやって突破されたんですか?
三木谷当時、他のところに行こうかなと思ってたんですけども、就職期間が終わった後に興銀から電話がかかってきまして、1カ月6,000円の寮に住んでたんですよ。電話がなかったのでなかなかリーチできなかったみたいで終わった後に電話がかかってきて、「ようやく捕まえた」と、「とりあえず明日来てくれ」「いやとりあえず明日来てくれって、別に興銀さんには行く気がないんでいいです」って断ったんですよ。「ごちゃごちゃ言わずに1回とりあえず来い」ということで、テニスの大会があったからテニスラケットを担いで学ラン着てトコトコと行ったら、その場で「内定だから来い」と。
森永「入れてくれ」と言ったのではなくて、興銀から「来てください」というふうに?
三木谷そうですね。体育会で天気が良くてリーダーシップがあって、一応金融論も勉強してるやつがいると、なかなかこういう、という評価じゃないですかね?
森永大学のときは金融を勉強されてたんですか?
三木谷勉強していたというか、一応専攻が金融と(笑) 。これも、この前一橋大学の入学式の基調講演をやったんですけど、学長に「いかに君が勉強してなかったことというのは、もうそれは言わないでくれ」という話題に。
森永大学生のときはみんなそれほど勉強しませんけどもね。で、その後MBAを取りに。
1991年、 26歳のとき、三木谷は企業の留学制度を利用して、アメリカのハーバード大学に2年間留学、そこで経営学修士MBAを取得する。この経験が、三木谷のその後の人生に、大きな影響を及ぼすことになる。
三木谷これは本当真面目な話、 1日3時間位、朝は6時とか7時に会社に行って、 LL教室って英語教室みたいなところがあって、そこでひとりで勉強して、業務は業務でしっかりやりつつ、そういうのを2年間位やりましたかね。
森永それはやっぱり三木谷さんの人生の中で、このMBAを取るというところの勉強というのは大きかったですか?
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク