働き方改革も支える!「決断のスピード」で世界のITインフラの中心的存在へ
AvePoint Japan株式会社
CEO
テン イー・ジャン
アブポイント・インク。2001年共同設立者及びCEOであるテン イー・ジャンとシュン カイ・ゴンがアメリカ・ニュージャージー州で設立。現在はマイクロソフト社のパートナーIT企業として、全世界で1万5千社以上、600万人以上のクラウドユーザーに対し、データの移行、運用管理、保護を提供している。その功績により、2014年にはマイクロソフト社が選ぶパートナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。その後2017年まで4年連続で受賞をしている。
蟹瀬賢者の選択Leaders。ナビゲーターの蟹瀬誠一です。
福井福井仁美です。
蟹瀬今回は、情報のセキュリティやデータ管理に特化し、IT環境を整えることで働き方改革に貢献する、ある企業の取り組みに迫ります。
アブポイント・インク。2001年共同設立者及びCEOであるテンイー・ジャンとシュンカイ・ゴンがアメリカ・ニュージャージー州で設立。現在はマイクロソフト社のパートナーIT企業として、全世界で1万5千社以上、600万人以上のクラウドユーザーに対し、データの移行、運用管理、保護を提供している。その功績により、2014年にはマイクロソフト社が選ぶパートナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。その後2017年まで4年連続で受賞をしている。
TJお客様に新しいものに慣れて頂くのではなく今までの使い慣れた環境そのままに仕事のやりやすさを目指しています。
福井それでは本日のゲストをご紹介します。アブポイント・インクCEO、テンイー・ジャンさんです。どうぞよろしくお願いいたします。
蟹瀬よろしくお願いします。
TJよろしくお願いします。どうぞ私のことはTJと呼んでください。
蟹瀬ありがとうございます。TJさん、今はもうITというのは僕らの生活にも、あるいは仕事場でも、とても不可欠な物になっているわけですけれども、その辺のIT環境というのはどういう風に作り出していくのか、あるいは変化していくのか、今日はじっくりお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
蟹瀬さて、TJ。このアブポイントという企業、世界的に展開されているIT企業ですけれども、具体的にどんな事業をなさっているのですか?
TJ国境やカルチャーを乗り越えてデジタルトランスフォーメーションを実現する企業をサポートする会社です。クラウドへのデータの移行や運用管理・保護、コスト削減やデータの利活用の促進など、顧客ニーズに合わせて包括的なサービスを提供しています。
福井先ほどお名刺をちょっと拝見させていただいたのですけれども、このアブポイントのロゴがとても印象的だったのですが、こちらは何か思いを込められて作ったのですか?
TJこのロゴは共同創業者であるシュンカイ・ゴンがデザインしました。山の上に昇る朝日、そして頭を垂れてお辞儀をしている人間を同時に表しています。大きなビジョンを持ち、太陽のように情熱的に目標を追い求めつつ、同時に謙虚に学び続けるというアブポイントの姿勢を表しています。
蟹瀬会社を作る上で経緯があると思うのですけれども、どのような経緯でこの会社というのを作られたのですか?
TJ実は、私はアブポイントの立ち上げ前はウォール街で働いていました。ドイツ銀行やリーマンブラザーズでシステム研究開発を担当していました。9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が起きたとき世界貿易センターの40階で働いていたのですが、サウスタワーへの飛行機の追突をこの目で見て人生観が一変してしまいました。それを機に博士課程に入学し、機械学習の研究を始めることにしました。そのときITバブル崩壊のために転機を迎えていたシュンカイ・ゴンと共に会社を立ち上げることを決めました。運命に翻弄されるのではなく、自分たちで運命を切り拓いていこうと起業しました。
蟹瀬I see. 事業を始められた当初から結構順調に進んだのですか?
TJ起業から3年は全くビジネスになりませんでした。(笑)よく「起業をするなら3年は利益が出ないと思え」と言われますが、まさにその通りになってしまいました。最初の3年間の利益は何とゼロでした。(笑)大きい会社であれば、すべてのチャンスをつかめなくてもまだ次があります。しかし、まだ歴史も信用もない小さな会社はそうではありません。チャンスをつかまなくては、来月も自分たちが存在しているかわかりません。だからこそ顧客の信用を得るのも難しいというジレンマに直面しました。小さなスタートアップ企業は同様の状況を乗り越える必要がありますが、毎月毎月がサバイバルで、非常に困難な時期でした。
蟹瀬しかし、どこかでやっぱりターニングポイントがあったわけですよね。それはどの辺りだったのですか?
TJビジネススクールに入ると、まず叩き込まれるメンタリティが「運と準備ですべてが決まる」というものです。私たちもそのメンタリティで3年間必死に準備をしました。そしてついに運が訪れてくれました。2003年に米国マイクロソフトが新プログラムを発表しましたが、それに移行できるツールを提供できるのがアブポイントだけだったのです。利益を生み出せなかった3年間懸命に準備していた移行ツールが誰も触れようとしなかった分野の先駆的存在となり、成果を生みました。このツールの存在がきっかけとなり、アブポイントの存在を一気に表舞台に押し上げてくれたと言えるかもしれません。
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク