アジアで ASEAN軸に共同経済圏化進む、ハッと気が付いたら日本はカヤの外? 中国やインドが先行し意欲的、日本は内向きに陥らずアジアでリーダーシップを

日本国内が暑い夏場、国政レベルの政治は政権交代をめぐって総選挙モードに入り、内向きの発想に陥っている中で、アジアでは経済の面で大きな地殻変動が起きつつある。直近の動きで言えば、7月13日に東南アジア諸国連合(ASEAN)が、ASEANの枠組みに属さないインドとの間で自由貿易協定(FTA)を結び、消費人口17億人の巨大経済圏を実現させたことだ。さらにASEANはその数日後、バンコクで経済閣僚会議を開催し、経済連携協定(EPA)、つまり貿易自由化に限定せず投資やサービスなど幅広い経済連携を盛り込んだ協定づくりが可能かどうかの検討にも入った。私に言わせれば、これは間違いなく地殻変動が起きつつあるのだ。
 ところが、そのASEAN経済閣僚会議に、日本は二階経済産業相が総選挙にかかわり、それどころでないと、経済産業省審議官を代理で送る始末だ。アジアの重要な経済の枠組みを大きく変える動きが進みつつある中で、本来ならば中国と並んでリーダーシップをとるべき日本が国内事情で経済担当閣僚を送れません、という。このことが、ASEAN、それに中国、韓国、それにオーストラリアなどの会議参加国に対して、どういったインパクトを与えるか、誰が見ても、あるいは考えても、すぐわかることだ。日本は内向き政治に陥らずアジアで、節目の所で、いい意味でのリーダーシップをとることが重要なのだ。

日本は政治や軍事抜きに経済をベースに地域経済統合に向けての役割が重要
 もちろん、閉そく状況に陥る日本にはいま、国の内外で数多くの課題がある。そうした中で、日本の政治指導者が、あるいは行政が、経済界が、ことさらアジアに目線を据えるべきだとは言っていない。ただ、このコラムの第33回で「アジアは世界の成長センター、日本は今こそ内需拡大に積極協力を」という話を書いたとおり、いま米国発の金融・経済危機が最悪期を脱したとはいえ、グローバルリスクが続いている中で、アジアは世界の成長センターとしての勢いがあり、かつアジア域内での貿易はじめさまざまな経済交流を深めることで、文字どおり成長センターとなる可能性を秘めている。そういった時に、日本が政治や軍事を抜きにして経済だけをベースに、共同経済圏、地域経済統合に向けリーダーシップをとることは1つの戦略だ。そこで、今回は再度、問題提起をしてみたいと思う。
 まず、ASEANとインドとのFTA締結の話から始めよう。今回のFTAは、来年2010年1月に協定が発効する。関係者によると、自由貿易協定という名前が示すとおり、双方の貿易の障害になる関税を限りなく撤廃し、自由に貿易が行えるようにするのが最大の協定締結のメリットだが、約5000の貿易品目のうち、13年までに、その71%の品目について関税を撤廃する、続いて残り9%に関して16年までに撤廃する、となっている。 当然、ASEANとインド双方には国産保護のからみなどで関税障壁の維持、つまり適用除外を求める品目を数多く抱えている。今回の場合、関係者によると、その適用除外品目は双方で489品目に及ぶ、という。具体的には農産物が圧倒的に多いが、同時に繊維製品、自動車部品、家電製品、携帯電話なども含まれている。

インド、ASEANの自由貿易協定締結は双方にプラス、17億人の消費市場誕生
 しかし、双方にとって、このFTAの締結メリットは極めて大きい。08年時点で474億ドルだった双方の貿易額が協定締結後には新たに280億ドルにのぼる経済効果が期待できるというのだ。インドは南アジアでは新興経済国として、急拡大してきているが、足元の国々はパキスタン、スリランカ、バングラデシュといった成長スピードが弱く、ベンガル経済圏などの形で広域経済圏をつくっても広がりがない。
それに対して、成長センターのASEANはタイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーのメコン経済圏の枠組み、インドネシア、マレーシア、フィリピンなどの国々を含めた10カ国を加盟国に抱える。地域内では経済的な温度差があるにしても、ASEANの外郭には日本、中国、韓国、さらにはオーストラリアなどの大洋州の国々が顔をそろえており、この経済効果は大きい。とくにASEANに日本、中国、韓国の3カ国を含めたASEAN+3でサミット(首脳会議)のみならず財務相、さらに貿易関係の経済あるいは商務担当相の会議が頻繁に行われ、とくに1997年から98年にかけてのアジア経済・金融危機後は、互いに域内での相互依存が強まり、通貨を相互融通するチェンマイ・イニシアチブ制度やアジア債券市場づくりなど経済面での結束が強まっている。
 それだけに、インドにすれば、ここ数年、急速にASEAN傾斜を進めるが、地域的に東南アジア諸国連合の枠組みから外れるため、仲間入りが認められなかった。そこで、今回のようなASEANとのFTAによって、ASEANとの経済的な結びつきを強めたのだ。しかし同時に、ASEANにもインドという巨大な消費市場は魅力。インド、ASEAN双方の人口を合わせると、17億人の消費人口を抱える巨大な市場となる。いわばこれら地域を拡大経済圏に見立てれば、域内だけで輸出入の貿易が進み、その経済効果ははかり知れない。ある意味で、ASEANにとっては、主たる貿易取引先だった米国の経済回復が遅れ、それがそのまま対米輸出の落ち込みに響いても、今回のインドとの巨大な域内市場取引で、間違いなく経済は潤う。
ASEAN内部のいくつかの小さな国々にとっても、関税障壁という経済の垣根が低くなった分、いろいろなモノが流入し自国経済がダメージを受けるリスクはあるものの、半面でASEANという枠組みを通じて、インドという巨大消費市場にアクセスができるのだから、メリット、デメリット料方があるにしても、間違いなくプラス効果は大きい。

ASEANはEPAでも積極姿勢、日本が総選挙で経済産業相欠席は残念
 さて、こうしてみると、世界の成長センターとなり得るアジアは、ASEANを軸にFTAなどの自由貿易経済圏が出来上がりつつある。もちろん、日本や中国がカウンターパートにいる場合にはASEANが主導的にコトを運べる状況でないが、いまはASEANは中国とは04年11月に、韓国とは05年12月に締結している。肝心の日本は、これら中国、韓国から数年遅れで08年4月にASEANとFTAを締結した。これに今年2月のオーストラリア、ニュージーランドとのFTA、そして今回のインドのFTAという形で、ASEANを基軸にみれば、巨大な自由貿易市場が出来上がりつつある。この持つ意味合いは大きい。
 そうした中で、ASEANは今回、EPAについても、同じ枠組みで貿易自由化に限定せず投資やサービスなど幅広い経済連携を進めようとしている。この EPAは、日本が早い時期に提案し、今や時機到来とばかりASEANも乗り気になっているのだが、まだ、FTAに比べて投資面などでそれぞれの温度差があり、進展度合いが遅い。
しかし、考えようによっては、日本が、こういった時にこそ、主導的に動くチャンスだ。それだけに、総選挙を理由に経済産業相自身が参加せず、経済産業省審議官が対応するというのは、何ともいただけない。

麻生首相が掲げた「アジア経済倍増計画」は国内政局混乱で進展せず?
 日本は、麻生首相が今年4月、日本記者クラブでの会見で2020年までにアジアの経済規模を今よりも倍増させる、という「アジア経済倍増計画」構想を発表した。この構想は、当時の麻生首相の言葉を借りれば、「アジアは21世紀の成長センターだ。この4年間で、人口が1億3000万人も増え日本と同じ人口規模の国が誕生するペースだ。それら人口の中核となる中間所得層が着実に増えつつある。その中間層が安心して消費拡大に取り組めるように、社会保障などのセーフティーネットの充実、教育の充実などが必要だ。日本でかつて、池田勇人内閣が所得倍増計画を打ち出し、高度成長経済へのきっかけをつくった。そこで、日本としてはアジアの内需拡大によって経済を2020年に倍増することをめざし、対等の立場で応援していきたい」と。
麻生首相は会見で、インドのムンバイ――デリー産業大動脈、メコン川流域諸国によるメコン総合開発、インドとメコンをつなぐ産業大動脈、さらにインドネシア、フィリピンなどのBIMP広域開発といったさまざまな地域の開発計画などをつなぎ合わせ一体的に広域インフラの整備などを進めれば、成長の起爆剤になっていく。日本としては、アジアの広域インフラ整備に民間投資資金が向かうように2兆円の貿易保険枠を設ける、と述べた。
しかし、その後、政局が大きく混乱し、この「アジア経済倍増計画」構想も、一気に進展する状況でない。日本の政治のアジアに対する真剣度、本気度が問われるところだ。こうしたなかで、中国やインドは間違いなく、国内にさまざまな課題を抱えており、外部に国民の目を向けさせる狙いもあるのかもしれないが、これらFTAなどに関しては、極めて積極的で、先行している部分も多い。ハッと気が付いたら、日本だけが取り残されていたということは、すぐには考えにくいものの、政治が内向きになり、心ここにあらずのような経済外交姿勢では間違いなく中国やインドにリードされていく。その点が何としても気がかりだ。

日本テレビ「真相報道バンキシャ!」誤報検証いまひとつ、再発防止策が見えず 放送倫理検証委は再度勧告を、ジャーナリズムの信頼確保が今こそ重要

 8月23日午後6時、そして深夜午前零時50分の2度にわたって放送された日本テレビの「真相報道バンキシャ!」誤報検証番組をご覧になられただろうか。生涯現役ジャーナリストの好奇心もあって、私も、その検証番組を見せてもらった。しかし結論から先に申上げれば、検証はとても十分とは言えず、不満が残った。その理由はこうだ。日本テレビ報道局は、誤報を今年3月に認め、事態を重視した首脳の引責辞任に追い込まれたあと、実に半年近くが経過するというのに、今回の検証番組では誤報を引き起こした確認取材の甘さを再度認め、そして報道局組織に幹部と現場のコミュニケーション不足など構造上の問題があった、という指摘に終始しただけ。肝心の再発防止策をどのように大胆に実施したか、それがその後、どのように機能しているかといった検証がいまひとつだったのだ。
 過去に、テレビ朝日やTBSなど他のテレビ局の誤報検証番組を見たが、たとえばテレビ局によっては誤報検証にかなりの時間を割くと同時に、再発防止策に関しても、複数の第3者の評価、コメントを加えたりといった形で、二度と同じ過ちを繰り返さない、といった真摯(しんし)な姿勢が見受けられた局もあった。今回の日本テレビの検証は、そういった点で言えば、あとで申上げるが、再発防止策が不十分で、今後、再発リスクは本当になくなるのか、という不安を感じた。
その点で、ちょっと申し上げたい。日本テレビに検証番組放送を勧告した放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会はこの際、今回の検証番組チェックを入念に行い、場合によっては再度、厳しい勧告をすることも必要だ。そして日本民間放送連盟も、日本テレビの除名処分を見送った際、その理由に関しては「BPOの勧告は極めて重要であり、検証番組の内容をまず見極める」と言っていたのだから、今回、同じく毅然とした姿勢を見せてほしい。

新聞社や出版社の協会組織も同じような検証委つくり自浄に努めるべき
 このBPO放送倫理検証委は、2007年5月の関西テレビの「発掘あるある大事典Ⅱ」ねつ造問題でメディア批判が強まり、とくに政治などの場でメディア規制の動きが出てきたことからNHKや民間放送でつくるBPOの内部に急きょ、つくられた。委員は弁護士、大学教授ら10人で構成されている。テレビ局自身で自浄作用を持とうという発想からだが、私は、日本新聞協会、そして雑誌などの出版社でつくる協会でも同じような自主、自浄のための検証委組織をボランタリーにつくり範を垂れるようにすればいい、と思う。
そして、お行儀が悪いどころか、ジャーナリズムの信頼をなくしかねないような行為のあった新聞社、雑誌などの出版社には除名などの形で退場してもらう措置もとればいいのだ。いま、新聞もテレビも販売、広告両面からの厳しいボディブローにあい、さらにインターネット時代のもとで新聞、テレビ離れが進んで再編・淘汰(とうた)が進む情勢だけに、それに拍車を掛けるジャーナリズムの信頼失墜という問題に、メディアが厳しく対処しなければ、自滅の形で退場、企業破たんといった事態に追い込まれかねないリスクがあることを申し上げておきたい。

久保前社長は「報道局内の報告、連絡など基本中の基本がおろそかに」と謝罪
 本題の日本テレビの「真相報道バンキシャ!」誤報検証番組の中身に入る前に、結論部分に時間を割き過ぎてしまい恐縮だが、ここで、検証番組がどうだったか、述べてみよう。
まず特集の冒頭、引責辞任した久保伸太郎前社長(現相談役)が岐阜県や岐阜県警、さらに視聴者のみなさんに多大のご迷惑をかけたことを深くお詫びします、としたあと、約5分間にわたって、とくに「報道局内の上司と部下との間の報告、連絡、相談のあり方などについて、基本中の基本のことをおろそかにしていました。内部告発に関して、外部のインターネットサイト情報に頼るということも最初から採用すべきでなかったと思います。また報道現場で幹部が部下に対して、情報の検証をどうしたのか、それをもとに、どのように指示したのかなどの面で多くの課題を残しました。率直におわびします」と深々と頭を下げた。そして最後に、「私ども日本テレビは再発防止の徹底に努めます」と述べた。
 この「真相報道バンキシャ!」誤報問題は、第30回コラムで取り上げており、それをご覧いただけば、内容がおわかりいただける。ただ、ここでは簡単に、概要を述べておこう。要は、岐阜県の元建設会社役員がインターネットの情報サイトに「岐阜県内で談合がある」と書き込んだのを、日本テレビの下請け製作会社スタッフが見つけて取材を始め、元役員に当たったところ、脈ありと見て「架空工事を受注したように見せかけ、岐阜県庁職員に200万円の裏金を振り込んだ」と大々的にスクープと報じた。実は、発言をうのみにした裏付け取材なしだったため、誤報に気づかなかったのだが、今回の誤報検証番組では振り込んだといわれる通帳チェックが十分でなかったこと、岐阜県当局への内容確認を怠ったこと、県当局に対しては証拠とおぼしきものを提示したりすれば、かえって証拠隠滅されるリスクがあると考え、あいまいな取材に終始したことなど、結果として確認や裏付け取材を怠ったのがすべての原因だ、と述べている。

取材ディレクター不在で放送にゴーサイン出した組織上の課題も表面化
 同時に、日本テレビは、今回の誤報検証番組で構造問題として、報道局の組織上の判断ミスがあった、という。具体的には、放送日前日の2008年11月22日夜、プロデューサー、デスクら4人が、最終的に放送するかどうかの会議を行った。その際、肝心の取材ディレクターは欠席だったが、議論した結果、元役員の証言は信用できると判断され、誰からも「見送ろう」という意見が出ないまま、ゴーサインを出した。しかし、取材ディレクター欠席のまま見切り発車したのは問題だったというのが1つ。それと、チーフプロデューサーに報告をあげて、放送前に最終的な話し合い、いわば最終決定の御前会議を行うことを怠ったことも問題だった、という。
 こうした問題を踏まえて、日本テレビは、久保前社長が述べた再発防止策に関して、誤報検証番組では1)調査報道に関して今後、時間をかけてきちんと取材し、事前に放送日を特定せず決めないこと、2)番組のプロデュースに関しても、週ごとのタテ割りを止め、毎週議論する大部屋制にすること、3)政治部や社会部など部を越えた「危機管理アドバイザーチーム」を組織し、アドバイザーたちが情報源などに関してチェックを加えるようにすること、4)主に取材記者を対象にした「人材研修制度」をつくり、取材のイロハともいえる基礎取材から実践、応用に至る3段階の研修プログラムを実行に移すことを明らかにした。

誤報発覚半年後に再発防止策は遅い、テレビ局と番組制作会社の問題も不透明
 これらの再発防止策は、何も新たに打ち出すほどのものでなく、当然、取材などの報道の現場ではやっていてしかるべきことで、取材現場経験の長い私からすれば、何をいまさら、という感じがしたのが1つ。それよりも、誤報問題が表面化してから半年近くたつ中で、日本テレビの報道局ではすでに事件後、再発防止にどんどん取り組み、その結果、どういった実績が上がったか、あるいは課題としては、どんなものが新たに出てきたかなどを今回の検証番組で示すべきで、これから再発防止に取り組みます、というのが何ともおかしい、というのが2つだ。
それよりも、検証すべきもっと重要な問題は、テレビ局とテレビ番組下請けを行う制作会社との組織上の関係、とくに取材で得た情報の価値判断を誰が行うのか、その最終責任はどうするのかなどに関して、今回の「真相報道バンキシャ!」取材では大きな課題になっているのに、今回の誤報検証番組では、あまりというか、ほとんど触れられていないのだ。新聞社での記者経験しかない私にとって、実はなかなかうかがいしれない世界だが、いろいろなルートで、テレビ局と制作会社の難しい関係に関しては、いろいろ聞いている。実は誤報のリスクの1つはここにあると思っているのだ。
現に、あるテレビ局関係者によると、テレビ局の報道現場は、量的にも質的にも人材が不足しており、いきおい、番組制作会社にアイディア提供から現場取材までのかなりの作業を頼らざるを得ないこと、今回のような日本テレビの誤報問題が発生すれば最終責任は当然、テレビ局が負うが、現場取材でつかんできた番組制作会社スタッフの1次情報をタイムプレッシャーの中でどう情報価値判断するか悩ましい場合もあること、テレビ局社員と番組制作会社スタッフの給料格差がかなりあり、それらの人たちがチームを組んで現場取材に行った場合に不満や反発が現場で出てきて、リスクになる場合もあることーーなどだという。

週刊新潮誤報事件での編集長「おわび」でのお騒がせジャーナリズムはお断わり
 以前、取り上げた週刊新潮の誤報事件で、当時の早川週刊新潮編集長がおわび記事の最後で「週刊誌の使命は、真偽がはっきりしない段階にある『事象』や『疑惑』にまで踏み込んで報道することにある」と述べ、大きな問題になったのをご記憶だろうか。この発言を見る限り、週刊誌報道は、真偽がはっきりしない段階にあっても、ある面で問題提起の形で取り上げればいい、という安易さと危うさがある。明らかにお騒がせジャーナリズムだが、テレビ局の報道、あるいは新聞社の報道が確認、裏付け取材なしに、ライバルとのタイムプレッシャーのもとで見切り発車されたら、大変なことになる。
その意味でも、今回の日本テレビの誤報検証番組は、もっと再発防止策などに関して、誰もがさすがと感じさせるような対応策を示すべきだった、と思う。肝心の日本テレビ首脳陣や報道局幹部から出る言葉は「本当に申し訳なかった」「事態を重く受け止めている」といったものばかり。それがちょっと残念だった。BPO放送倫理検証委の再度のチェックによって、テレビ局の報道現場の自浄作用につながることを期待したい。

さあ、政権交代した民主党は矢継ぎ早に新政策の方向付け、リセットを マニフェスト実効遅れれば自民党に戻るリスク、政治主導での官僚活用がカギ

 民主党が、念願にしていた政権交代をやっと果たした。それにしても、事前のメディア世論調査どおりの民主党圧勝ぶりには驚かされたが、これは間違いなく有権者の大多数の意識が変わった結果だ。ハッキリ言って、有権者は、自民党政治の制度疲労、金属疲労に失望し、このまま自民党に委ねていては日本という国がマンネリズムに陥って衰退の道を歩む可能性が高いと判断、そして政権担当能力に不安がある民主党だが、ひょっとしたら変えてくれるかもしれない、一度チャンスを与えて政策チャレンジさせてみよう、古びた政策のリセット(新規巻き直し)を期待しようという意思の表れと見ていい。
 実は、この1か月間、農業の現場取材などで地方を歩き回る機会があった。ジャーナリストの好奇心で、タクシー運転手はじめいろいろな人たちに聞いてみたら、自民党への失望が予想外に強く、その裏返しとして民主党に政権交代のチャンスを与えてみるか、という声が強かった。代表的なのは「もともと自民党支持だが、この4年間、首相が相次いで政権の座を投げ出しながら、国民に信を問わないのはおかしいと思った。一度、民主党に政権をとらせて、政策をやらせてみる。ダメなら、自民党に戻せばいい」という声だ。あとは「今の自民党では何も変わらず、悪くなるだけだ。小泉政権時に改革を期待したが、ぶっこわしただけで、格差やひずみが拡大し生活が不安定になってしまった。民主党がどこまでやれるのかわからないが、マニフェスト(政権公約)で提案しているのだから、チャレンジに期待してみよう」という声だ。

民主党への過剰なまでの期待が失望に変わる時がこわい、賞味期限は3ヶ月?
 そういった意味でも、これからの民主党の責任は重大だ。さあ、そこで、民主党がどこまで矢継ぎ早に新政策の方向付けを打ち出せるかどうかだ。マニフェストに掲げた政治公約の実行がモタモタして遅れ、今年中に、政策の方向付けが行えなければ、「な~んだ。せっかく期待したのに、何も変わらないじゃないか」という手厳しい批判が起きやすい。今回の場合、有権者の声にあるように、自民党政治に対する鬱積(うっせき)した不満や反発がベースにあり、それが一転、民主党への過剰なまでの期待となっているのが特徴だ。
この過剰期待は、民主党にとって、とてもこわいことだ。とくに1、2カ月は許容の範囲としても、自民党と同様、旧日本新党や旧自由党、旧社会党などの寄り合い所帯の民主党の悪い面が露呈して、4か月、あるいは5か月たっても、何も動かず、何も変わらずという最悪事態になれば、有権者や世論の動向は間違いなく失望となる。それどころか政治不信から、もう1回、総選挙で国民の信を問い直せ、といったことになりかねない。言わば民主党の政策の賞味期限は3か月、今年末までというところだろうか。
 そこで、まずは次期首相となる民主党の鳩山由紀夫代表は新しい政治リーダーとなったのだから、閉そく状況に陥っている日本という国をたくましい、活力のある国にするための方向付けを行うこと、そしてマニフェストに盛り込んだ政策の実行スケジュール、つまり工程表をいち早く打ち出すことだ、マニフェストはある面で選挙時のスローガンだったが、政権交代した今、新政権を担うリーダーとして、政策実行の優先付けを示すことが必要だ、と思う。

まずは新政治リーダーがたくましい国づくりビジョン、そして政策の工程表を
 端的には、民主党は総選挙時から、生活者目線の政治を強くアピールしている。今回の選挙結果を見ても、少子化に対応した出産育児一時金やこども手当の支給、公立高校生授業料の実質無料化、雇用政策がらみで雇用保険の拡大、最低賃金の引き上げ、高齢者対策としての後期高齢者医療制度の廃止、複雑に絡み合った年金制度の一元化などに関しては有権者の強い関心があり、民主党支持につながった面があるので、早急に、現行制度との食い違いなどを調整し、実行に移す必要がある。
これに対して、マニフェストで大きく掲げた項目のうち、道路建設財源に使われていたガソリン税や自動車重量税などの暫定税率の廃止は過重な税負担だったので廃止は当然にしても、高速道路料金の無料化に関しては、私は異論があり、急いで実施に移す必要はないと思っている。民主党は、無料化で交通量がどうなるかなどの実験を経て、段階的に実施していく、との方針でいるが、それでいい。しかしその実験段階で、自動車交通量が急速に増え、排気ガスの多いさが環境悪化、地球温暖化対策に逆行といったことにつながることが見えた場合、経済成長よりも環境重視の政策を鮮明に打ち出して、高速道路料金の無料化を撤回する柔軟さも必要だ。
いずれにしても、マニフェストは政治スローガンであって、いざ、政権を担当した場合、議論が分かれる政策の実行に関しては、合意形成、つまりコンセンサスをつくり、その見極めがついたら、新政権として果敢、大胆に、かつスピーディーに実行に移す、ということをすればいいのだ。

霞が関官僚に対し政治主導の政策をどう示すかがポイント
 さて、そういった中で、民主党新政権にとって、霞が関の官僚群に対する新たな政策面での仕切りをどうするかが現実問題になっている。具体的には、2010年度予算の概算要求を白紙にし、民主党に政治主導の予算編成権を持たせるかどうかが1つ。それに9月1日にスタートする消費者庁に関して、民主党は初代長官に就任予定の内田俊一元内閣府事務次官の人事が駆け込みの天下り人事であること、また消費者庁の新オフィスが相対的に割高な賃貸料の民間ビルに入ることは生活者や消費者の感覚から言っておかしいこと、といった形で異論を持っており、早急に結論を出さねばならないことだ。もちろん、今後、こういった問題が個別具体的に出てくる。その意味でも、新政治リーダーの鳩山代表がいち早く、新政権の方向付けとなる方針や考え方、ビジョンを打ち出すことが必要だろう。
このうち、官僚制度の問題に関しては、民主党がめざす官僚主導から政治主導への政策決定の枠組みづくりの発想は大いに結構だ。私は、第49回のコラムで「大組織病化した官僚制度改革は絶対必要」としたが、その一方で、「霞が関の巨大シンクタンクの政策立案能力は活用次第、問題は政治の指導力」と指摘した。この考え方は今も変わらない。
つまり、政治が主導で政策の方向付けをすることに関して、大胆にチャレンジしたらいいが、官僚を不必要に、敵に回して行政組織が動かなくなることは避けた方が得策だ。それは明らかにリスクであり、むしろ巨大なシンクタンクの政策立案能力に対して政治のリーダーシップを示し、活用した方が意味がある。

武村元蔵相は政治家大臣が政策選択できるように2つの案提出を求めた
 細川政権時の蔵相(現財務相)だった武村正義氏は、新聞とのインタビューで面白いことを言っている。武村氏によると、自分が大臣の時に、政策案に関して、旧大蔵官僚は役所内で議論したうえでの最終案を1つだけ持ってくる。しかし私に言わせれば、大臣に異論があった場合にぎくしゃくしかねないので、大臣から見てどれがいいか政治判断できるように、2つぐらいの選択肢を持ってこい、といったことがある、というのだ。これは1つの見識だ。
第49回のコラムでも指摘したとおり、今の霞が関の官僚組織、行政機構は各省庁とも「役所益」優先の政策決定の枠組みになってしまっている。民主党が政治主導にこだわる場合、政治家がハッキリした政策の方向付けをしないと、官僚も動かないし、下手をすると「役所益」にこだわり、結果は大臣の政治家と官僚組織との間の対立だけが前面に出てしまい、何も動かないといった最悪のシナリオになりかねない。それだけは避けるべきだ。
 その点に関連して、「官僚支配を打破する技法は川口順子元外相が手本になる」と、ある雑誌で述べている元外務省主任分析官の佐藤優氏の問題提起が興味深く、参考になる。佐藤氏によると、通常の政権交代ならば、自民党内で抗争を展開していても政権運営のために必要な事項は引き継ぐ。しかし民主党政権への引き継ぎの場合、必要な事項の引き継ぎを十分にしない可能性が高い。新政権の閣僚は官僚から引き継ぎを受けることになるが、その場合、3つの可能性がある、という。

佐藤氏は「川口元外相が外務省全職員に義務付けた意見書提出が有効」
 まず第1は、官僚が従来、自民党に行っていたのと同じレベルで、ある程度、自己に都合の悪い情報を含め引き継ぐ可能性、第2は官僚にとって都合がいい情報だけ引き継ぐ可能性、第3は民主党政権をつぶすためにスモーク(歪曲・わいきょく)された情報を流す可能性。佐藤氏によると、当面は第2の、官僚にとって都合がよい情報だけを流して、新政権の対応や出方を見て、民主党に対して、より本腰を入れて協力するか、あるいは政権をつぶして再び自民党が権力に返り咲く方向で誘導するか決めるだろう、というのだ。
そこで、佐藤氏は、かつて2002年2月に川口外相(当時)が用いた手法、つまり外務省本省、在外公館(大使館、総領事館など)に勤務するキャリア、ノンキャリアを問わずすべての職員に対して、A4版の用紙1枚に意見書を書くことを義務付け、官職、氏名を明記したうえで密封して外相に提出させる手法を、今回も導入すればいいという。これによって省庁内部の情報がかなり入り、政治との癒着(ゆちゃく)、パワー・ハラスメント、セクシャル・ハラスメントから始まって企業との不適切な関係までがわかる、というのだ。外務省が自らの省益を守るために、優れた分析官だった佐藤氏を野に放出したのは、明らかに間違いだったが、この分析やアドバイスは民主党にも参考になるのだろう。
 さて、結論だが、民主党は、新しい日本の枠組み作りのために、さまざまな挑戦をやるべきだ。有権者も、それを期待している。しかし、すでに申し上げたとおり、有権者には自民党前政権への失望の反動で過剰な新政権期待があるだけに、賞味期限内に、素早く方向付けが必要だ、とだけ申し上げたい。

自民党の凋落ぶりはひどい、歴史的な敗北で「失敗の研究」を 「敵失」ねらいでの再起では問題解決にならず、病根洗い出して対策必要

 民主党が政権交代で勢いが出てきたのと対照的に、自民党は痛々しいほどの凋落(ちょうらく)ぶりだ。総選挙での歴史的な大敗北をきっかけとはいえ、わずか1カ月前までは、政権与党としての力を誇示していた政党がなぜ、これほどまでに力を落とすものなのか、意外な感じがする。有権者は今回の選挙をきっかけに、2大政党制が定着し政治そのものに緊張感が生まれることを期待したはず。自民党はこの際、なぜ敗れたのか、再生のカギは何かなどに関して「失敗の研究」をしっかり行うべきだ。もし民主党の「敵失」ねらいで再起を図ろうしているならば、自民党は淘汰の憂き目にあうかもしれない。
 9月4日に自民党本部で開催された地方組織のリーダーらによる全国幹事長会議が象徴的だった。麻生太郎首相が冒頭、自民党総裁の立場で、総選挙の敗北について「国会で活躍した多くの同志を失うことになり、残念至極だ。総裁としての責任を強く感じている」と謝ったが、苛立ちを深める地方組織の幹事長らはおさまらなかったようだ。私は、あいにくその会議には入れず、取材できなかったので、会議の中身を報じた新聞記事に頼るしかないが、毎日新聞の報道によると、「これからどこに陳情に行けばいいのか」、「野党経験のない私たちに野党活動ができるのか。中央につながる体制がないと盛り返すのは難しい」などの声が相次いだ。それに対して保利耕輔政調会長が「まだ省庁とのパイプは十分に持っている。信頼関係があるので、大丈夫だ」と説明したが、説得力を欠いた、という。

自民党地方組織は「政策が民主党の後追い」「次の参院選も完敗」と総括
 これら自民党地方組織の幹事長が行った総選挙敗因分析はポイントを突いているので、新聞報道から、いくつか紹介させていただこう。具体的には「政策が民主党と同じで大衆迎合になっている。(民主党との)違いを出さなければ、次の参院選も完敗する」(徳島県連)、「自民党のマニフェストは民主党より後からつくったのに後追いのうえ、わかりにくかった」(福島県連)、「保守政党と(しての自民党と)民主党の対立軸がなくなっている。今の時代に合う新しい保守の理念を打ち立ててほしい」(熊本県連)といったところだ。
みんな、それぞれしっかりとした問題意識で、事態を鋭く見ているではないか。しかも、どの地方組織にも共通して主張しているのは、自民党が掲げた政策公約がほとんど民主党の後追いで、保守政党としての独自性がなかった、と指摘していることだ。こういった地方組織の問題提起や意見を早い時期から吸い上げ、自民党がライバル民主党に対峙(たいじ)する政策を打ち出していれば、もっと有権者の関心を引き付けたかもしれない。
 確かに、今回の総選挙での政権公約と言われるマニフェストと見る限り、自民党が打ち出した政策は、どちらかと言えば、先に出していた民主党の政権公約に引っ張られて精彩を欠いていた。そればかりでない。さすが自民党、次代を引き続き託してみようという魅力のある政策提案に乏しかったことは事実だ。しかし、このことは実は重要な問題をはらんでいる。つまり政党は、政策シンクタンクのようなもので、さまざまな制度改革などに関して、政党内で鋭く議論して結果をもとに立法措置を講じて法律にしていく、といったことが求められているはず。その肝心の部分で、野党の民主党の政策後追いだったりすれば、政党としての存立基盤を失っている、と批判されても返す言葉がない。いったい自民党は、政権与党として、政策立案に関しては、何をしていたのか。ほとんど官僚頼みだったために、政策形成能力を次第に放棄する結果になっていた、ということだろうか。

元自民党幹事長室長の奥島氏も「権力にあぐらをかいていた」と手厳しい
 「自民党幹事長室の30年」の著者で、元自民党幹事長室長の奥島貞雄氏が9月6日付の朝日新聞オピニオンページでインタビューに答え、極めて興味深い話をしている。面白いと思った部分をピックアップさせていただこう。
奥島氏はその中で「冷静に考えてみると、今回の(自民党の)大負けにはそれなりに理由がある。権力にあぐらをかいていたのです。大だんなのような気分になって謙虚さを失った。バッサリとやられ、ぼうぜんとしているのでしょう」と述べる。さらに、政権交代で自民党が過去に下野した1993年の時に、苦渋に満ちた議員生活を強いられた状況について、「自民党は負け慣れていないから、野党になるとこたえます。『非自民』の細川政権ができた際は、しゅんとしたものです。予算の説明に来るのも、役所のトップから課長クラスに格下げ。各種団体の陳情も形ばかり。これは寂しかった」と述べている。
 この奥島氏よりも、東大大学院政治学研究科の北岡伸一教授が8月31日付の毎日新聞で指摘した点は鋭い。北岡教授は「自民党を一般企業に見立てれば、この20年間、不採算部門をそのまま維持し、有望部門も大して力を入れてこなかった、ということ。それではゼロ成長も当然だ」という。北岡教授によると、自民党政治のポイントは、もともと(1)官僚制がさまざまな分野の国民の利害、意見をくみ上げる、(2)政治家も個々の地方や業界などで国民の声を吸い上げ、政治に反映させるーーの2点で、これまでは、それなりに機能してきた。それは成長のパイが拡大したからだが、これが拡大しなくなったら、大胆なスクラップ・アンド・ビルドをしなくてはいけない。ところが官僚・自民党モデルではそれができない。ゼネコンなどとの関係も、利益還流を前提にしたシステムだったため、還流してこなくなったら、うまくいくわけがない、というのだ。

自民党が供給先行型の古い成長モデルにこだわり改革先送りしたことにも問題
 私も同じ問題意識でいる。日本経済は、すでに高成長から低成長へ陥っている、それどころかゼロ成長が当たり前、しかもバブル崩壊の後遺症を引きずったまま、未だにデフレ脱却が出来ていない状況にある。にもかかわらず自民党政治がずっと踏襲してきた政策手法は、供給先行型の成長モデルで、財政資金をつぎ込んでの公共投資主導のマクロ政策運営だった。政治が経済実体を把握せずに古い政策手法にこだわったため、問題が先送りされてしまい、傷口を大きくしてしまっていた、と言えるのでないだろうか。
わずかに危機感を持った橋本龍太郎首相が1997年ごろ、6大改革という形で経済ビッグバンはじめ霞が関の肥大化した行政組織の再編成などに取り組んだが、運悪く経済が大きく落ち込み、しかも金融システム不安を招いてあえなく退陣。それからしばらくして登場した小泉純一郎首相の構造改革も、官主導の経済から民主導の経済へとスローガンはよかったものの、経済特区や規制緩和による需要創出策が中途半端で機能せず、それどころか市場原理主義的な競争自由を強く打ち出し過ぎたため、格差の拡大をもたらし、政治不信を招いてしまった。その後を引き継いだ安倍晋三首相、福田康夫首相は手に負えないと見たのか、わずか1年で政権を放り出してしまった。政権政党としての機能喪失状態が経済をさらにおかしくしてしまった、と言っても過言でない。

企業の「失敗の研究」ではヒューマンエラーよりもほとんどが組織エラー
 そこで、冒頭に申上げたとおり、日本には2大政党政治が定着し、いい意味で政治に緊張感が生まれ、経済政策などでも切磋琢磨(せっさたくま)が必要だ。そのためにも自民党はこの際、歴史的な敗因は何によるものか「失敗の研究」を行えばいい。私は、NPO失敗学会という組織にかかわり、その中で最も活動的な分科会「組織行動分科会」に所属して失敗の事例研究を行っている。この分科会組織には元航空会社の機長だった人や元化学会社の役員、元重機械メーカーの幹部、現大学教授、それに私のような生涯現役ジャーナリストを広言している元新聞記者など、好奇心の強い人たちばかりがいて、企業などの事件や事故の事例をもとに、何が事故につながったか、再発防止策は機能したのか、といった失敗の事例研究を行っている。
結論から申上げよう。事故などには必ず事故そのものを現場で引き起こした電車運転手、機械作業員などのミス、つまりヒューマンエラーの部分がある。しかし、われわれはヒューマンエラーの問題も無視できないことながら、それよりも組織エラー、つまり企業組織に、事故に至る組織的な原因、エラーが必ずある、という形で問題の本質に迫る。これまでの企業が引き起こした失敗事例研究では、ほぼ共通して組織要因がもたらしたケースが多い。自民党も、小泉首相や麻生首相らのヒューマンエラーもあっただろうが、それよりも組織エラーの方が圧倒的に多かったと見るべきだろう。自民党はこの際、歴史的な大敗に関して、徹底して「失敗の研究」に取組んで敗因分析をすれば、構造要因が何かがわかり、戦略の再構築も可能になるかもしれない。自民党という巨大政党が淘汰の憂き目にあわないためにも、ぜひ「失敗の研究」を勧めたい。いかがだろうか。

日本はアジア環境技術先進国?と言っているうちに先を越す動き 何と中国とシンガポールが連携し天津市に「エコシティ」、急な都市化で構想

省エネ技術はじめ、さまざまな環境技術面ではアジアのみならず世界をリードする「環境技術先進国」と胸を張っていた日本だが、最近、その日本の先を越すような動きがアジアで起き始めていることを知り、とても驚いた。9月14日に東京都内で開催された「アジアのイノベーション」というフォーラムで、シンガポールのシンブリッジ・インターナショナル・シンガポールCEOのコー・ケン・ホア氏がアジアの急速な都市化に対応して「未来都市としてのエコシティ」と題した報告が衝撃的だったからだ。そこで、今回は、アジアの環境問題で日本が立ち遅れないよう、どういった役割があるか述べたい。
 驚くきっかけとなったコー・ケン・ホア氏の「エコシティ」はどんなものか、まずお話しよう。この言葉どおり、エコロジー、環境を重視した新都市開発なのだ。ホア氏によると、いま、アジア、とくに中国では急ピッチで都市化が進み、人口100万人都市があっという間に誕生しかねない状況にある。当然、人口の都市集中に伴い、さまざまな問題が起きてきて、とくに自動車などの急増に伴う排気ガスで大気汚染が発生、家庭ゴミや工場廃水などで水質汚染といった形でさまざまな環境悪化の問題が起きてくる。そこで、ホア氏のかかわる都市再開発などのプロジェクト会社が、中国天津市での環境を重視した新都市開発「天津エコシティ」プロジェクトを引き受け、今年6月に立ち上げたというのだ。

シンガポール政府系企業を活用した中国の「大中華圏」プロジェクトに興味
 なぜ、シンガポールのプロジェクト会社が中国の地方都市の巨大開発プロジェクトを請け負うのか、という疑問が起きるが、ここがまたまた興味深いところ。実はホア氏自身はシンガポール政府の経済開発庁幹部として、海外からの投資誘致にかかわると同時に環境ビジネスを手掛けた実績を持つ。そしてホア氏が経営する会社は、シンガポールの政府系複合企業ケッペル・コーポレーションの傘下にあるグループ企業。再生可能エネルギーの利用促進、環境配慮のインフラ整備などの都市づくりを進め、中国では天津市のほかに広州市でも環境配慮型の「エコシティ」プロジェクトを手掛けている、という。
 天津市プロジェクトは中国、シンガポールの両政府、それに天津市、その第3セクターの要請を受けたものというが、中国にとっては、シンガポールは中国の華僑が多く、計画力、技術力などで進んでいる華僑系企業を活用した「大中華圏」内の連携プロジェクトという位置づけでいることは間違いない。あとでも申上げるが、この「大中華圏」内の連携プロジェクトという点は、日本がアジア展開するからみで注目しておく必要がある点だ。

環境配慮型の人口30万ニュータウン、川や水路はエコ回廊、太陽光発電も
 前置きが長くなってしまったが、日本にとって極めて参考になる「天津エコシティ」プロジェクトの話に入ろう。計画では、10~15年かけて天津市の浜海区内の30平方キロメートルの広大な土地に環境配慮型の人口30万人規模のニュータウンを建設するという。ホア氏によれば、シンガポールの公営住宅をモデルにしていて、いたるところに環境重視の住宅設計にするほか、都市を流れる川や水路もエコ回廊とし、都市交通は環境にやさしい鉄道を走らせるといった形。人口が密集して乱開発状態だったこれまでの中国の都市とは100%違った環境配慮をキーワードにしたモデル都市にするのが狙い。しかも産業区画では製造業だけでなく金融、研究開発などサービス関係企業も誘致するが、太陽光発電はじめエネルギーも環境重視した設計になっている、という。
プロジェクトは今年6月にスタートしたばかりで、計画が先行しており、どう変動していくのか、見極めが必要だが、政府や天津市なども環境配慮型「エコシティ」を強く意識し、再生可能エネルギーの使用率20%、廃棄物のリサイクル率60%、鉄道などグリーン交通90%、グリーンビル100%といった形で約20の環境指標も設けている、という。ここでいう「グリーン」とはたぶん、環境にやさしいという意味合いで使っているのだろう。

環境悪化への対応に苦しむ中国が先進モデル事例づくりに取り組んだ点を評価
 中国は、かつての日本と同様、経済の急成長に伴い、さまざまな環境汚染の問題がいたるところで噴出しており、重い課題を背負っている。この中国の環境悪化問題は、中国国内にとどまらず、大気などは風に乗って日本はじめ周辺国にまで影響を及ぼすだけに、国際的にも問われる課題となっている。そういった中で、中国がシンガポールの政府系企業と連携して、急速に進む都市化に伴うさまざまな社会問題に先鞭(せんべん)をつけるモデル的な環境配慮型ニュータウン「エコシティ」建設に着手したというのは、率直に評価していい。
「エコシティ」というのは、中国では初めての試みだが、実は先進、先行例がすでにある。1992年のブラジル・リオデジャネイロでの「地球サミット」で「環境と調和した持続可能な社会づくり」が大きなテーマになったのを受け、ドイツでは「環境首都」コンテストが開催され、フライブルグという都市が「エコシティ」との評価を受けている。そして環境問題に極めて熱心な北欧やドイツなど欧州の自治体では「エコシティ」づくりに向けた取り組みは進んでいる、という。
もちろん、こういった問題は、行政当局といった上から目線での取り組みも必要だが、市民や生活者のサイドからも、そして環境NGOや環境NPOが運動としても必要だ。ところが日本では、どちらかと言えば理念先行で、埼玉県志木市などでまちづくりの一環として取り組みがある程度。

中東アブダビでも「環境都市」計画、一部で世界金融危機の影響受けたのが残念
 そういった点で、急に興味がわいてきたので、いくつか調べたところ、中国では広州市のほかに上海近郊の崇明島の東灘地区で「エコシティ」プロジェクトの計画がある。それよりも意欲的なのが産油国のアラブ首長国連邦のアブダビが2006年から計画している「環境都市マスダールシティ」づくり、さらにオランダの首都アムステルダムにつくる「スマートシティ」、ドイツのハンブルグ郊外の環境配慮型ニュータウン「ハンブルグ=ハールブルク」などだ。これらのうち、「ハンブルグ=ハールブルク」はすでに動き出している。それ以外のうち、いくつかは、昨年の米国発金融危機、経済危機の影響で計画が頓挫(とんざ)したものもあるが、間違いなく着実に動き出している。
 冒頭のフォーラムで、私は、ホア氏に「アジアでエコシティ・プロジェクトが動き出していることは素晴らしい。100%どころか、120%応援したい」と評価したが、その一方で、「アジアで経済成長とともに都市化が進めば進むほど、農村部からの人口移動が急ピッチで進み、結果として、都市のスラム化が先行してしまう。計画的にエコシティ・プロジェクトを進めるにしても、実体に追いつかない問題があるのはどうすればいいとお考えか」と聞いた。ホア氏は「確かに重要な指摘だが、行政当局が計画的に方向付していくしかない」と述べるにとどまった。

日本は環境技術システム売る工夫を、政治主導の民主党政権のお手並み拝見
 しかし、今回、申し上げたいのは、冒頭で述べたとおり、日本は、省エネ技術はじめ、さまざまな環境技術面ではアジアのみならず世界をリードする「環境技術先進国」と胸を張っていたが、いつの間にか、アジアでは時代を先取りする形で動き出していることだ。しかも、中国の場合、シンガポールや香港などの華僑を巻き込んだ「大中華圏」の発想で、仮に人材などの経営資源や技術が中国国内にないとわかると、躊躇(ちゅうちょ)なくアジアの仲間である華僑と連携する機敏さでもって、素早く問題対処しようという動きが感じられる。
アジアにさまざまな環境問題対応のニーズがある場合、日本は、待ちの姿勢でいるのでなく、どんどん積極的に、持てるさまざまな環境技術を駆使してアジアの現場に入り込み、場合によっては技術協力だけでなくビジネスとしても売り込めばいいのだ。とくに、最近思うのは、日本は、個別の技術でその場、その場で対応するのでなく、もっとシステムを、つまり環境技術を体系化してトータルのシステムで対応していけば、大きな強みを発揮するように思えるのだが、いかがだろうか。
民主党政権の鳩山由紀夫新首相が最近、2020年までの日本の温室効果ガスの削減目標について、「1990年比で25%削減」という大胆な数字を打ち出したら、同じく厳しい数値目標を出している欧州から高い評価があった。といっても、日本国内は、まだ10年以上も先の目標値だというのに、ブレーキをかけたり、足を引っ張るような動きがみられるのは本当に残念だ。時代を先取りして、それに向けて積極対応するためにはどうすればいいかを考えることが大事だ。政治主導を打ち出す民主党政権のお手並み拝見だ。

さあ、メディアも意識改革が必要、記者クラブ制度に安住せず独自報道を 政権交代に伴う官僚の会見廃止を「情報統制」と批判するのは筋違い?

有権者の国民が選んだ政権交代で、民主党の新政権がスタートした。大手新聞各社が一斉に行った緊急世論調査では鳩山内閣の支持率はいずれも70%を超えている。日本の再生を託して大丈夫だろうか、との不安が強い半面、頼むぞという国民の期待度がそれ以上に強いわけで、新政権の責任は重大であることは言うまでもない
今回は、新政権をウオッチする重大な役割を持つメディアの問題をぜひ、取り上げたい。というのは、「官僚依存から脱却し政治主導での政策を」スローガンにしている民主党政権がその一環として、霞が関行政官庁トップの事務次官による事務次官会議の廃止、それと併せて、各省庁での事務次官の記者会見を廃止したのだが、これをめぐって、一部のメディアが新聞社説で厳しく批判した。端的には「政治主導をはき違えていないか」(読売新聞)、「情報統制が懸念される」(産経新聞)、「情報公開の流れを止めるな」(東京新聞)との批判論陣を展開しているのがそれだ。
 同じメディアの現場で取材した経験を持つ私は、この論調には反対だ。むしろ、今回の政権交代をきっかけに、メディアも意識改革が必要で、横並び取材や情報を安易に「官」に頼る体質を改め、独自取材力を高める方向に力を注ぐべきだ。とくに、今は、どのメディアも記者クラブ制度に安住してしまい、各省庁の記者クラブ担当記者は担当する行政機関を結果として代弁するような報道姿勢に陥ってしまっている。このあたりについて、あとで、もう少し詳しく申上げよう。

読売新聞は「国民の「知る権利」奪うのであれば容認できず、会見禁止の再考を」
 その前に、議論のとっかかりとして、読売新聞、産経新聞、東京新聞の社説を少し引用させていただこう。
まず、読売新聞は「官僚トップの事務次官会見など、府省幹部の公式会見は、担当行政にかかわる専門的なテーマについて、見解をただす貴重な機会になっている。鳩山内閣が『官僚依存』の政治を『政治主導』へと転換させていくことに異論はない。しかし、その名のもと、報道機関の取材の機会を制限し、国民の『知る権利』を奪うのであれば、容認できない。官僚会見の禁止に再考を求めたい」という。そして、「そもそも、行政機関は、常に国民からよく見える存在でなければならない。報道機関は、国民に代わって行政機関を監視する役割を担っている。記者会見を制限し、政策決定過程の透明性が低下することになれば、新政権が掲げる『官僚支配打破』にも反することになろう」と述べている。

産経新聞も「官僚に取材拒否の口実を与える恐れ、弊害が大きいこと考慮を」
 産経新聞も、ほぼ似たような論調だ。「行政機関への自由な取材を制限するものにほかならず、民主主義社会の根幹である報道の自由に反すると指摘せざるを得ない。到底、受け入れられるものではない」と厳しく批判したあと、こう述べている。「事務次官会見に限らず外局の長にも適用され、気象庁長官の会見も中止された。気象情報が政治主導の問題と、どうつながるのか不明だが、有無を言わせず一律に情報統制するやり方は、新政権が強権的で官僚主義的な体質を持っているとの印象を与える」、さらに「閣僚からも『マスコミの取材の自由を束縛するつもりはない』『事務次官の会見禁止は1つの実験』など、さまざまな意見が出ている。禁止措置は、各省庁に過度な自粛ムードを招いたり、取材拒否の口実を与えたりすることにつながる恐れもある。弊害が大きいことを考慮すべきだ」という。

東京新聞は「官僚が情報隠しの理由にしかねず、政務3役は情報公開に努めよ」
 最後に、東京新聞にも登場願おう。東京新聞は、読売新聞など2紙と違って、新政権の措置に対して理解を示しながらも、情報公開が後退するリスクにつながる恐れを問題視する。具体的には「官僚が政治家の知らないところで情報を発信し、既成事実化するのは避けたいという気持ちは理解できる。官僚が自分たちの言い分を広めるため、会見などを利用してきたことは事実だろう」「記者は会見だけを取材の場としているわけでなく、会見が行われなくても、独自に取材し、情報を集めればいいだけの話だ」という。
しかし、その一方で、東京新聞は「危惧するのは、官僚側が『政治家が責任を持って話すから』と、情報隠しの理由にしたり、政治家の顔色をうかがって取材に口をつぐみ、閉鎖的な空気が広がることだ。密約外交や年金問題などをめぐって官僚を追及する場が制限される可能性も否定できない」「政務3役とされる大臣、副大臣、政務官は、より積極的に取材に応じ、情報公開に努めるべきだ。政治主導への転換で、その責任は重い」という。
 さて、ここで、私の意見だが、読売新聞などの危惧するところは、わからないでもない。読売新聞などの主張は、わかりやすく言えば、メディアが新政権に妙な理解を示して「報道の自由」を半ば放棄し、自己規制するよりも、メディアの立場で堂々と「知る権利」を主張し、官僚による常時の記者会見を求めて情報開示を迫るべきだ、ということだ。

官僚取材の現場は事務次官会見などをほとんど活用せず、鋭い質問もせず
 しかし、私は、冒頭の部分で申上げたように、今回の政権交代をきっかけに、むしろ、メディアもこれまでの取材方法を改めると同時に、意識改革が必要だ。端的には、記者クラブ制度に安住してしまっており、この取材方法を改め、緊張感を持って切っ先鋭い取材をすべきだ、という立場だ。こう申し上げると、「そのことと、今回の官僚の事務次官会見廃止問題に対する読売新聞などの主張とがかみ合わないではないか」と言われそうだ。
そこで、申し上げよう。実は、私も毎日新聞、ロイター通信で主として、経済記者の現場取材に長く携わり、経済官庁を中心に記者クラブで事務次官会見などの記者会見に臨んだ。その経験を踏まえて言えば、メディアが事務次官会見などの場を活用して、ニュースを引っ張り出したことは皆無と言っていい。ほとんどのメディアは、各社が居並ぶ記者会見の場で質問して、自分の、あるいはその社の問題意識、もっと言えば何をテーマにニュースを追いかけているかの手の内を明かすような馬鹿なことはすべきでない、といった姿勢でいることが多い。会見に臨む事務次官も、自分の方から不必要な情報開示は不要とダンマリを決め込む。といった形で、ほとんど記者会見が会見にならず、お座なりになってしまう。

事務次官会見がテーマになるのは官僚スキャンダル追及や政策問題紛糾時のみ
 私などは、そういった状況が我慢ならず、記者会見は事務次官といった官僚トップの発言を引き出すチャンスなのだからと、よく質問したのを憶えている。だが、大半のメディアは、事務次官会見に限らず主要な官僚の会見では鋭く質問せず、それら官僚の自宅の夜回り取材、あるいは役所での官僚への個別取材で情報をとろうとする。もちろん、その個別の独自取材は必要だが、私に言わせれば、公式の記者会見をもっと活用すべきなのだ
ただ、事務次官会見などが大きくクローズアップされた例外がいくつかある。旧大蔵省の幹部官僚のスキャンダル、さらに金融システム不安に関連して、旧大和銀行ニューヨーク支店のスキャンダル問題への対応遅れが大きな波紋を起こし、当時の銀行局長の行政対応に批判が集中した際などの時だ。こういった時は、メディアも、当局追及の絶好のチャンスもあってか、あるいは緊急事態時に事務次官らの発言をとるのはこの記者会見時しかない、となったためか、記者会見の場を必死に活用したケースもあった。
しかし、これで少しはおわかりいただけよう。事務次官会見は確かに1つの重要な取材のツールだが、私に言わせれば、記者クラブに所属するメディアの記者は総じて、これら事務次官会見で鋭く追及すると、あとで個別取材になった際に、名前を憶えられていて、まともに取材に応じてくれず、必要な情報もとれないことを恐れ、さきほど申上げた理由以外にも、事務次官会見などでは踏み込んだ切っ先鋭い質問をしない。これならば、読売新聞などの社説が指摘する問題と現場事情は違うな、とご理解いただけよう。

記者クラブ制度は権力に相対峙するような切っ先鋭い状況でなく、なかよしクラブ
 それに、今の記者クラブ制度は、悲しいかな、なかよしクラブになっている。かつてのような時の権力に相対峙(あいたいじ)し、権力者あるいは日本株式会社の重役たちが今、何を考え、どうしようとしているかを残り95%ほどの庶民や国民の立場に立って、反権力のジャーナリスト精神旺盛に、記者クラブという場を活用し取材する、といった姿勢は、客観的に見ていて見られない。もちろん、問題意識旺盛な記者がいることは全く否定しないが、数が少なく、一握りと言っていい。
私に言わせれば、今の記者クラブ制度が緊張感を欠いて、なれ合いを許すような体質の場になってしまっている。要は、官庁側に対して、記者クラブで、幹事社を通して、記者会見を求めたり、あるいはレクチャーという名の発表会見、背景説明会見を要求してしまうのだ。官庁側も心得たもので、それの方がメディアの独自取材でスクープ取材される恐れもないし、メディアの独断や思い込みでの記事リスクもなくなるうえ、ほぼ、メディアを共通の情報でコントロールもできるので、今や記者クラブとは決して喧嘩(けんか)せず、官庁と記者クラブが仲良しの関係にあることが多い。

朝日新聞がタテ割り取材の弊害なくすため「政権取材センター」つくったのは評価
 だから、私は、今回の政権交代という歴史的な時に、メディアの取材報道体制も、横並び取材や情報を安易に「官」に頼る体質を改め、独自取材力を高める方向に力を注ぐべきだ、と申し上げたいのだ。その点で、朝日新聞が9月1日から、「政権取材センター」と「特別報道センター」をつくって、政治、経済、社会などの取材グループの記者クラブ制度に頼らない独自の取材体制をとったのは、素直に評価したい。
朝日新聞の友人は「まだ試行錯誤で、うまく機能していない」と言っていたが、これは、メディアの側の自己改革へのチャレンジであり、1つの変化だなと思っている。

電気自動車で日米経済戦争?日本は先行き見通し判断誤れば後れも 米国は官民あげ大型リチウムイオン電池開発、標準化で世界を制する狙い

 最近、新聞で報じられた話で、「おやっ、これは面白い」と興味を持ったことがある。それは、9月下旬に開催されたドイツのフランクフルト国際モーターショーで、これまでディーゼル車に力を入れていたドイツのフォルクスワーゲンやBMWなど欧州の自動車メーカーが何と戦略転換し、電気自動車、そして家庭で充電できるプラグイン・ハイブリッド車といった環境対応の新型車に力を注ぎ始めたことだ。
これは確かにサプライズ(驚き)。とはいえフォルクスワーゲンが今回、自慢にした電気自動車「Eアップ」は実際に市場に実用車として出回るのが、何と4年後の2013年というから、まだまだ先の話。これに対して、先行する日本は、たとえば三菱自動車が軽自動車タイプとはいえ、今年から電気自動車を本格的に売り出し始めた。これから見れば、明らかに日本はグンと先を走っており、心強いと胸を張っていい
ところが、今回取り上げたいのは、その日本を驚かす意外な話だ。実は、再建に必死の米GMなどビッグスリー、それに世界市場への本格進出めざす中国がそれぞれ別々に、ライバル日本を凌駕する手段を電気自動車にしぼって着々と攻勢を加えつつある、という点だ。しかも、その攻勢は、電気自動車の生命線とも言われるエネルギー源の大型リチウムイオン電池にターゲットを置き、かなりしたたかな作戦に出てきているというのだ。

人生4毛作の元バンカー、吉田さんの問題指摘は鋭く聞く耳必要
 中でも、今回、ご紹介するエリー・パワー社長の吉田博一さんは、米国が自動車メーカーだけでなく、政府も自動車産業の国際競争力の再生強化をめざし、官民一体の取り組みをしつつある、というのだ。この吉田さんの話については、9月28日発売の週刊エコノミスト誌の「問答有用」という欄で、私がインタビューして詳しく取り上げているので、ぜひ、そこをご覧いただきたい。
吉田さんは、もともとは旧住友銀行で副頭取でまで勤め上げたバンカーで、そのあと住銀リース(現三井住友ファイナンス&リース)社長を経て慶応義塾大政策・メディア研究科教授に就任。大学で電気自動車開発に取り組む清水浩教授と連携、そのプロジェクトがらみで69歳の時に大学発ベンチャー、エリー・パワーを創設し社長に就任、そして教授退官後は、その会社でリチウムイオン電池生産に専念し現在に至る、という波乱にとんだ人生なのだ。ご本人の言葉によれば、4毛作人生だが、リース会社時代に産業廃棄物処理の難しさを経験、それ以来、環境問題に深くかかわることになり、電気自動車に関しても二酸化炭素(CO2)を排出しないという観点から推進しているが、実用化にはエネルギー源の大型リチウムイオン電池の開発による量産化、低価格化が不可欠と、自らリーダーシップをとって、その開発や生産に取り組んでおられる志の高い人なのだ。

「米国の戦略を見据えないと、日本は取り返しつかない事態に」と警告
 前置きが長くなってしまったが、吉田さんが「米国の戦略をしっかりと見据えないと、日本の自動車産業は取り返しのつかない事態に追い込まれる」という点から、具体的にご紹介しよう。
吉田さんによると、米国はいま、政府と産業が連携して電気自動車、大型リチウムイオン電池の開発、そして生産へ次第にシフトし始め、ライバルの日本メーカー追い落としにかかってきているように見える。とくに米国自動車メーカーは2000年ごろから、日本メーカーとの資本、技術提携の関係解消を少しずつ始めている。これは彼らの経営損失の穴埋め対策での資本引き揚げといった目先のことよりも、戦略的に奥深いものがある。主力のGMが経営破たんという屈辱をしのんで、政府の公的資金を仰いだのも考えようによっては、計算のうちだったかもしれない、という。
とくに米国の自動車メーカーからすれば、かつては安く自由に使えたガソリン価格が、今や大元(おおもと)の原油価格自体が行き場のないマネーの投機、それに中国やインドなどの潜在的な需要増で長期的に値上がりが避けられず、ガソリン車に依存すると経営リスクが大きいと見て、環境にもやさしい電気自動車に着実に戦略転換を始めている。そして、現にオバマ政権もグリーン・ニューディール計画とからめて、自動車産業の競争力回復という観点から、最近、電気自動車や大型リチウムイオン電池の開発支援のため、48のプロジェクトに総額24億ドルを助成するとしている、というのだ。

「日本の民主党政権は大型リチウムイオン電池の量産・低価格化で政策判断を」
 吉田さんは「かつて日本が政官産一体の日本株式会社で産業競争力づくりをしている、と米国に批判されたが、その米国は今、自動車産業の競争力回復に関しては必至で、まさに政官産一体の米国株式会社スタイルで臨んでいる。しかも、米国の戦略は、米国自らの手で大型リチウムイオン電池の標準化をいち早く行い、グローバル・スタンダードをつくってしまう可能性が強い。そうなってしまえば、日本の自動車メーカーは電気自動車の生命線の大型リチウムイオン電池で後れをとってしまい、どんなに性能のいい電気自動車を開発しても、大型リチウムイオン電池で主導権を握れず、結果は勝負ありだ」という。
米国ではオイルメジャー、自動車産業が隠然たる力を持っていたが、今や石油やガソリンを湯水のごとく使える時代は終わった、と見て、ガソリン車にも見切りをしている、という戦略判断なのだろうか、と聞いたら、吉田さんは「米国をあなどってはダメ。彼らは危機をチャンスにしようと、電気自動車でソフトランディングを図ろうとしていると見て間違いない。まさにブレークスルーしようとしている。その意味で、日本は、電気自動車の量産、低価格化のカギを握る大型リチウムイオン電池に、政権交代した民主党政権がしっかり目を向ける必要がある」というのだ。
今、電気自動車は、ガソリン車に比べて、ガソリンと電気では燃費が格段に安いメリットがあるうえ、二酸化炭素を出さず環境にやさしいこと、加速性能がすばらしいなどのメリットがある半面、大型リチウムイオン電池の量産化が遅れていて、価格が高く、結果として高コストのため、全体の価格が高い。早い話が割高な大型リチウムイオン電池が実用化を妨げている。

日本の自動車メーカーはガソリン車にこだわりが強い?
 しかし、それだけではない。国内自動車メーカー各社は、本音ベースではガソリン車の生産ラインがしっかりとあるうえ、自動車部品メーカー、その他関係産業のすそ野の広さが、まるでピラミッド構造のような形で厳然と存在しており、この構造を壊したくないという考えが強い。それが結果的に、日本国内での大型リチウムイオン電池の量産化、技術開発を決定的に遅らせている。事実、国内の自動車メーカー各社は、大型リチウムイオン電池を自社生産するリスクは大きい、との判断から、ほとんどが外注に頼っている。
そればかりでない。国産自動車メーカー各社は、エコカーといった形での環境対応のからみで、トヨタ、ホンダのように電気とガソリンの併用といったハイブリッドカーでいくか、三菱、富士重工、そして日産のような電気自動車にシフトといった方向でいくかだが、まだ方向性を絞り切れていないのも現実だ。

中国も日本に対抗意識燃やし電気自動車で戦略的に動く可能性も
 冒頭で、世界市場への本格進出めざす中国がそれぞれ別々に、ライバル日本を凌駕する手段を電気自動車にしぼって着々と攻勢を加えつつあると申し上げながら、米国の話ばかりに終始したが、実は、中国も、ガソリン車では全くの後発で、開発技術力、生産力で日本には歯が立たないと自らの立ち位置を見極めている。そして電気自動車に関しては、米国と同様に大型リチウムイオン電池の技術開発、生産特化に強い意欲を示しているのだ。
 現に中国の自動車メーカーは、中国国内の旺盛な消費市場の潜在的な需要に乗る形で自動車産業の自立に強い闘志を燃やしている。中国が次世代自動車に関しては、明確に戦略を絞り込んでいけば、日本の自動車メーカーにとっては間違いなく脅威だ。中国政府が、国際競争力のある自動車産業育成という明確な産業政策を打ち出し、仮にも日本メーカーを含めた外資規制策に出た場合、どういう結果が出るかは明白だ。

日本は密かに進む地殻変動の見極め必要
 こういった形で海外の動きをみれば、日本の自動車メーカーの座も決して安泰とは言えなくなる。そういった意味でも、冷静に、地殻変動の動きを見極めることが重要だ。
これは、私が妙に危機感をあおっていると受け止められては困る。日本の経済、そして産業を支えてきた自動車産業が今後、方向を見誤ると、取り返しのつかない事態に陥るリスクがある、ということだけを指摘したいのだ。危機意識を持つ吉田さんは、現時点では大型リチウムイオン電池の量産化にメドをつけたが、売れなくては何もならず、そこで、今は太陽光発電ブームに対応し、その蓄電が可能な蓄電池ならば需要がかなり見込める、との判断から、電力貯蔵用の大型リチウムイオン蓄電池で行くことにしている、という。決して電気自動車向けを断念したわけではないが、時機を待とうという判断のようだ。

ロシアはオランダ病?安易なエネルギー資源輸出依存で産業近代化進まず 官僚汚職消えず政治が権力闘争に走ることも問題、壮大なる途上国か

 最近、9月末から10月上旬にかけて1週間ほどロシアのモスクワでさまざまな分野の専門家に会って話を聞いたり議論するチャンスがあったので、今回はロシア経済の問題を取り上げよう。ロシアは、中国やインド、ブラジルと並んでBRICsという呼称で成長著しい新興経済国として評価されるが、結論から先に申上げれば、米国発の金融・経済危機への対応が不十分だったうえ、オランダ病という病気に陥り自動車、航空機、造船など重点産業の近代化がさっぱり進まないでいる。そればかりでない。地方のみならず中央の官僚組織までが平然と汚職に走り、それを改革すべき政治が権力闘争に明け暮れているため、経済の立ち遅れが目立つのだ。ロシアは壮大なる途上国と言っても言い過ぎでない。

オランダは資源の高価格輸出で黒字→為替レート高→輸入急増で国内産業衰退
 えっ、歴史ある大国と思われていたロシアの経済を蝕(むしば)むオランダ病?それって何だ、という疑問をお持ちの方が多いだろう。このオランダ病というのは、ロンドン・エコノミスト誌が名付けた一種の経済事象のことだ。1970年代前半の第1次オイル・ショックで原油価格が高騰した際、天然ガスの産出国だったオランダで天然ガスの輸出価格が連動して値上がりし、予期せざる大幅な貿易黒字、経常黒字となった。ところがオランダ通貨のギルダーの為替レートが一気に上昇、それに伴う輸入品の急増によって競合する国内産業品が苦境に追い込まれたうえ、為替レート高で一気にそれら国内産業が輸出面で価格競争力を失いバタバタとダウン、衰退を余儀なくされた。この動きが際立ったものだったため、オランダにとって不名誉なオランダ病と命名されてしまったのだ。
もしも、当時のオランダ政府が、資源高による輸出代金の外貨収入をうまくマネージし市場介入によって為替レート上昇を抑えると同時に、国内産業のうち重点産業の構造対策に資金をつぎ込んだりすれば、事態乗り切りを図れたかもしれない。同じことがロシアにも言える。原油、天然ガスの資源価格高頼みのロシア経済が過去、こうしたオランダと同じような局面に立ちながら、問題を先送りして現在に至っているため、ロシアでオランダ病がまん延といった言い方をされてしまっている。

ロシア大統領も「天然資源頼みの原始経済から脱却を」と異例の危機表明
 このオランダ病に関しては、ロシア滞在中に複数のロシア人の経済専門家らからも、強い危機感のある話を聞いた。そして、ロシアのメドベージェフ大統領自身も9月10日、インターネット新聞「ガゼータ・ルー」に「ロシアよ、進め」という問題提起型の論文を発表している。今回一緒に旅行したロシア・ウオッチャーのジャーナリストによると、大統領はその論文の中で、天然ガスや原油など天然資源頼みの原始経済から脱却し経済や産業の近代化を早く進めることが大事である、と主張している。そればかりでない。大統領は同じ論文で、国民病としての官僚の汚職の一掃、さらに2大政党制の定着を図ることで民主的な政治体制にすることも主張している。この一連の問題提起は、前大統領で、ロシアでは依然、隠然たるパワーを維持するプーチン首相の過去の政治の枠組みを批判したものと受け止められている、という。
少し余談だが、実は、私にとってはロシアへの旅は、23年ぶりだ。忘れもしないが、1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所爆発事故の2日前まで、日ソ経済合同委員会の取材でモスクワにいた。帰国した直後に、世界中を震撼とさせる原発事故が起き、背筋の寒くなる思いがした。当時、旧ソ連は、民主化などペレストロイカを掲げたゴルバチョフ共産党書記長のもとにあったが、その後、旧ソ連が崩壊し現在に至っているのはご存じのとおりだ。

モスクワに高速道路がゼロ、交通渋滞すさまじく中国とは対照的なのは意外
 私にとっては、今回の旅はモスクワだけの1週間滞在だったが、23年ぶりのことだけに、市場経済化したロシアの経済がどこまで変わったか、またモスクワの市民の生活事情は様変わりかなどを見ることに強い関心があった。再度、結論を先に申上げれば、ロシアの改革は、政治が権力闘争などに明け暮れているため、遅れに遅れている。最も驚いたのは、モスクワがロシアの首都だというのに、市内の道路整備が遅れていて高速道路は1本もないうえ、走っている自動車の量が中途半端な数でないため、いたるところで交通渋滞が慢性化していることだ。中国の首都、北京がオリンピック対応だったとはいえ、社会主義と市場経済化を巧みに使い分けて、社会主義の部分で一気に片道4車線の高速道路を市内中心部を起点に放射線状に走らせ、さらにそれをつなぐ環状線の高速道路が6つほどあるという状況とを比較すれば、政治のリーダーシップやエネルギーがロシアと中国とでは向かう先が大きく違っている、ということを知った。
ただ、さすがに23年前の旧ソ連の配給統制時代のモスクワと違って、米国と並ぶ農業国だけに、現代モスクワでは野菜はじめ食料品の豊富さは見事なほどだった。経済危機の影響で失業率が高いため、市民の人たちの顔の表情などに暗さが残るとはいえ、過去と比べようがないほど、自由さにみなぎっている、という印象を受けた。

下斗米教授は旧ソ連型インフラ荒廃が顕著、危機の重畳構造に問題ありと指摘
 旅行でご一緒したロシア政治研究の専門家で法政大教授の下斗米伸夫さんによると、旧ソ連時代からのツケが一気に回ってきていて、とくに旧ソ連型のインフラの荒廃がいたるところで起きつつある、という。今年8月16日に西シベリアのロシア最大の水力発電所、サヤノ・シュシェンスカヤ発電所での事故で80人近くの人が死亡したが、この事故も設備の老朽化がもたらしたものであることは間違いない。下斗米さんによると、危機の重畳構造ともいうもので、旧ソ連崩壊後のエリツイン大統領時代はIMF(国際通貨基金)型の自由化のひずみが出て格差や腐敗が表面化したこと、続くプーチン大統領時代は権威主義のゆがみが一気に出てきた、とくに原油や天然ガスの資源高価格を背景に「強い国家ロシア」を前面に押し出し、結果としてオランダ病ともいえる資源エネルギ―偏重経済をつくってしまったこと、そして今のメドベージェフ大統領時代になって、プーチン首相との権力の「2頭体制」の間げきのもとで指導力発揮ができないまま、グルジア危機や米金融危機のリーマン・ショックなどへの対応に追われて経済改革が進んでいないことーーなどが問題だ、という。

ロシア統合戦略研所長は「政治が権力握り続けることに躍起。選挙制度改革を」
 さて、本題に戻って、オランダ病について、もう少し述べよう。ロシアで会った独立系総合戦略研究所のオレグ・ヴイカンスキー所長は、私が「オランダ病など問題の所在が明白なのに、ロシア政府がほとんど対応できていない、というのは、戦略性がないということに等しい。克服策はどうすればいいとお考えか」と聞いたことに対して、「ロシアにとって、今の状況を変える力がない。政府、もっと言えば政治家は、経済を救うよりも権力を握り続けることに躍起になってしまっている」と述べた。そして、政治体制について、「今の与党統一ロシアが近々行われるモスクワの選挙に関しても、口封じのような形で野党の対立候補の立候補を、理由にならない理由をつけて立候補登録させないのが問題だ。旧ソ連時代よりも悪くなっている」とし、選挙制度を変えるべきだという指摘だった。

問題抱えていても原油、天然ガスの資源続く限りは経済改革は後回し?
 しかし、これでは半永久的に政治腐敗などが続き、経済改革は後回しになりかねないリスクをはらんでいる、と言える。だが、メドベージェフ大統領が問題指摘したようにロシアは天然ガスや原油など天然資源頼みの原始経済ながら、資源が続く限り、強気でいられるところが問題なのだ。最近のメディア報道では、ロシアは原油と精製した石油製品の輸出量が2009年後半にもサウジアラビアを抜いて世界トップに躍り出るという。それどころかロシアは、天然ガスでも圧倒的な優位に立ち、今や原油版の天然ガスOPEC(石油輸出国機構)創設に強い意欲を持っている。ただ、原油のようにスポットや先物などさまざまな形態の取引があって、生産あるいは価格カルテルを組むことができるのと違って、天然ガスの場合、顧客企業などとの長期契約取引なので、天然ガスOPECをつくっても優位に立てる保証はない。それがわかっていても、資源にあぐらをかき、経済改革を後回しにし、オランダ病対策を講じないところが最大の問題だろう。

2009年ロシア経済はマイナス7.5%見通し、カギは原油価格上昇の危うさ
 ところで、オランダ病に関連して、下斗米さんは、面白いことを述べている。1998年のロシア債務不履行、ルーブル通貨切り下げ危機という非常事態の際、結果として、ルーブル急落で相対的に輸入品価格が割高となって輸入代替産業が立ちあがったこと、しかも翌年ぐらいから原油価格が大きく上昇したため、外貨収入でロシアの財政が潤い、危機が危機でなくなったこと、結果としてオランダ病が克服できた、という。今回の米国金融・経済危機のあおりで、IMF(国際通貨基金)見通しではロシアの2009年の経済成長率がマイナス7.5%と4カ国の中で最悪の数字となっている。現に今年上半期はマイナス10.4%に落ち込んでおり、仮に下半期に持ち直してIMF予測に近い数字になるとしてもマイナス成長に変わりがない。今回の旅行で専門家らに聞いた限りでは経済がさらに落ち込む二番底はない、という点で一致していたが、その主たる根拠は原油価格の動向、端的には値上がりすれば、という点だ。それによってロシアの内需が回復するばかりか、外貨収入増だけでなく税収増などで財政が潤い、同時に政府や中央銀行の金融危機対策で民間企業部門のバランスシート調整が進み、信用収縮、端的には期限超過債務という借金未払い問題が好転する可能性も出てくる、というのだ。しかし、その処方箋が原油価格上昇という資源価格高期待だから、何とも不安定な状況に変わりがない。

98年危機時と今回とではルーブル下落率に差、輸入代替効果が限定的に
 いずれにしても、1998年危機の時はその後の原油価格急上昇で経済が一気に好転したが、今回の危機局面では、そこがどうなるか、全く見えていない。しかも1998年危機の時と今回とではルーブルの為替レートのうち、インフレ率を加味した実効実質為替レートで見た場合、今回の場合の下落率が小さいことも意外に重要なファクターだという。みずほ総研主任研究員の金野雄五さんによると、かつては40%近いルーブルの下落率で、それによって輸入代替効果が広範な製造業品目で起きたため、1999年の製造業の急回復の原動力になった。早い話がオランダ病は通貨安で危機乗り切りを図れた。ところが今回の危機局面では中央銀行の政策対応の遅れも手伝ってルーブル下落率が2008年11月から2009年2月までの3ヶ月間で16.3%にとどまった。このため、輸入代替効果が限定的で、このことが製造業の生産減少を深刻化させている、という。
少し専門的な話になってしまったが、要は、今回の金融・経済危機局面では、ロシアは相変わらず原油や天然ガスの資源価格高に安易に頼り、その輸出で得た外貨収入を国内の自動車や航空機、造船などの産業の近代化に向けられず、オランダ病という病気に陥ってしまっている、という現実に変わりがない、ということだ。みなさんは、このロシアの現実をどう受け止められるだろうか。やはり、失礼ながら壮大なる途上国と言えまいか。

オバマ米大統領へのノーベル平和賞は驚き、でも受賞辞退したらもっと好評価? 率直にいえば時期尚早、受賞理由の核廃絶を実現したら胸張って受け取ればいい

今年のノーベル平和賞に、米国のオバマ大統領の受賞が決まった、という10月9日のニュースには、正直言って、本当に驚いた。こうした評価を下すノーベル賞委員会の判断自体は素晴らしいものだ。しかし、オバマ大統領がもし、受賞を辞退し「名前を挙げていただいたことを本当に誇りにしたい。ただ、私の仕事はまだ道半ばだ。核廃絶を実現した際に再度、評価していただいたら、今度こそ間違いなく胸を張っていただく」というスピーチをしたら、どうだっただろうか。まず、間違いなく世の中のオバマ評価はもっと高まったのでないだろうか。こんなことを言うと、ジャーナリストっていうのは、本当に素直じゃないな、ひねくれているなということになるだろうか。
 だが、率直に言って、現職の米国大統領へのノーベル賞委員会の授賞は驚きながら、就任して9カ月という短さで、まだ十分な実績をあげておらず、むしろ期待先行という部分が強いこと、オバマ大統領の数々の名スピーチのうち、とくに4月のチェコ・プラハでの演説で、核兵器のない世界の実現を強く訴えたのは素晴らしいが、まだ核の廃絶を実現したわけでないこと、とりわけ核保有大国の米国が率先垂範して核能力の大幅削減というアクションを起こしたら文句なしだが、現実にはまだ行動に移していないこと、それだけに、受賞自体は少し早いのでないだろうか、と思っただけのことだ。
そうしたら案の定、メディアだけでなく、一般の人たちのコメントなどの間でも評価が分かれていた。そこで、今回は、この機会に、ノーベル平和賞っていうのは、過去、どうだったのか、いい機会だからもう一度、検証してみよう。

ノーベル賞委「オバマ大統領の取組みは委員会が108年間、追及してきたこと」
 その前に、今回のノーベル賞委員会の授賞理由を見ておこう。当然ながら、オバマ大統領の取組みを絶賛している。具体的には「核兵器のない世界へ向けたオバマ大統領の理想と行動を重視した」「国連を軸に国際機関の役割を重んじる多国間外交を前面に押し出した」「対話と交渉を重視する新たな政治の取組みや流れを国際政治の世界にもたらした」「気候変動問題への取り組みに関して、オバマ大統領は、米国のこれまでの姿勢を大きく変え建設的な役割を演じている」「民主主義と人権を強化する政治に取り組もうとしている」「よりよい未来に向け、世界中の人々に希望を与えた」「グローバルな問題に取り組むために、みんなが責任を分かち合おうという考えを強く打ち出した」「オバマ大統領の国際的な取り組み、政治姿勢、理想は、ノーベル賞委員会が過去108年間の歴史を通じて、まさしく追求してきた理念だ」としている。
 この授賞理由をご覧になれば、ノーベル賞委員会の判断は極めて明快だ。委員会があえてノーベル平和賞という賞を設けて毎年、さまざまな分野の人たちに授賞しているのは、世界平和の実現に向けてたゆまぬ努力をした人、あるいは多くの人たちに勇気を与えた人、率先垂範して取組み努力をしている人を激励し応援するためのものだ、というメッセージを出そうとしていることは間違いない。そして、今回のオバマ大統領への授賞は、最後の部分の「率先垂範して平和を実現するための取組み努力をしている人を激励し応援する」という部分に該当した、ということだろう。

久保東大教授「ノーベル賞委がオバマ大統領の政策を後押し、理念も評価」
 現に、東京大学教授で米国政治などを研究される久保文明氏は、朝日新聞紙上でこう述べている。「就任後わずか9カ月、まだ成果が見えない段階での授賞は驚きだ。ノーベル賞委員会には4年後、8年後の実績を見てから判断するやり方もあった。委員会は、多国間外交を進めるオバマ大統領の政策を後押しする役割を果たそうとしたのでないか。(中略)基本的に、委員会は、具体的な成果よりも未来への提唱、理念を評価した、と言える」と。
ノーベル賞委員会が、もとより批判されることはない。委員会が授賞理由で述べているとおり、過去108年間、委員会がひたすら追求してきた平和の実現に向けた取り組みに関して、米国の48歳で、さまざまな可能性を秘めているオバマ大統領が就任後、いち早く行動に移し、とくにスピーチを通じて強烈なメッセージ発信をしていることを高く評価したのだ。むしろ、これが弾みになって、オバマ大統領の行動にエンジンがかかり、期待した以上の成果が大きくあがったりすれば、ノーベル賞委員会の判断は極めて適切で、現職の米国大統領を奮い立たせた、ということになる。ノーベル平和賞は、そういった意味で、極めて特別な意味合いを持つ賞とも言える。

英タイムズ紙は逆に「ノーベル平和賞ではなく政治賞だ」と皮肉る
 ところが、英国のタイムズ紙は10月10日付の社説で、「プライズ・フール(平和賞バカ)」という見出しをつけて「ノーベル政治賞だ」と皮肉っている。要は、「ノーベル賞委員会が政治的な党派性が強いことを露呈し、自らの品位を落とした」と手厳しく批判、その理由として、過去2002年にカーター元米大統領に対しノーベル平和賞を授賞した際に、国際紛争の平和的な解決に努めたことを評価した、とする一方で、「(ブッシュ)米政権に対する批判として(の意味合いがあると)解釈されるべきだ」と異例のコメントを出したことを挙げている。
このタイムズ紙社説が今回のオバマ大統領への授賞を政治賞だと皮肉ったことについて、産経新聞は10月19日付のオピニオン欄で「タイムズ紙は(単独行動主義に走った)ブッシュ政権が終わったことへの安堵(あんど)感の表れ、とも述べている。オバマ政権が多国間協調主義に戻ったことは、欧州では歓迎されているが、『賞は今年、平和のために贈られなかった。これはもうノーベル政治賞だ』と締めくくっている」と書いている。

米ニューズウィーク誌はさらに手厳しく「オバマはノーベル賞に値しない」
 これに対して、オバマ大統領のおひざ元の米国のニューズウィーク誌は、もっと手厳しいと同時に痛烈な皮肉を込めた論調でいる。10月21日号の表紙は「オバマはノーベル賞に値しない」というセンセーショナルなタイトルにし、それを裏付けるようにワシントン支局のマイケル・ハーシュ記者の「平和賞はブッシュのおかげ」という記事は、なかなか辛辣(しんらつ)だ。それによると、世界各国の指導者は、オバマ大統領が今もブッシュ前大統領の後始末に追われているのを承知している。アフガニスタンでタリバンが復活したのも、ウオール街が野放し状態になったのも、元はと言えばブッシュ前大統領の責任。これこそ、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した最大の理由かもしれない、という。
 ブッシュ前政権の後始末に追われているケタ外れの努力ぶりが評価された、という皮肉だけでない。ハーシュ記者は「ノーベル賞委員会が平和賞授与に込めたメッセージ『がんばれ、バラク・オバマ!』もむなしく、こうした希望と期待は猛スピードで消え始めている」という。その理由として、オバマ大統領が、次々と待ち受ける難題、端的には金融規制改革、医療制度改革、財政赤字、アフガニスタン問題の泥沼にはまり込み、共和党の抵抗に悩まされている。世界が頼りにした米国は、改革不可能な国になったのではないか。国際社会には、そんな疑惑が芽生えている、というのだ。
こればかりでない。もっと信じられないような受け止め方が米国の政治ジャーナリストの一部にある。ノーベル賞委員会が「よりよい未来に向け、世界中の人々に希望を与えた」と、オバマ大統領の強い志(こころざし)や取組みを評価したにもかかわらず、余計なお世話だと言わんばかりの反応なのだ。10月15日付けの産経新聞によると、米国の民主党系外交コラムニスト、ジム・ホーグランド氏は、米ワシントンポスト紙で「米国の政治への干渉だ」としたうえで「早計な授賞がオバマ氏を過信させ、今後のアフガン作戦などで強硬すぎる行動をとらせかねない」と述べているのだ。ノーベル賞委員会という親の心、子知らずに近いものだ。

今回の受賞はさまざまな議論があり、オバマ大統領が授賞式直前に辞退も一案
 私は、冒頭で申し上げたとおり、今回のノーベル賞委員会の判断は素晴らしいものだと思う。オバマ大統領が就任当初からとってきた素早い政治行動は、率直に評価する。イラク戦争などで犯してきた傲慢で思い上がりの強い米国に、新しい風を起こす数少ない政治家になると思う。そういった意味で、ノーベル賞委員会がとった評価は、これまであげてきたいろいろな見方とは別に、やはり素晴らしいと思う。しかし、私からすれば、この授賞は時期尚早だ。私は、オバマ大統領が12月の受賞式を前に、冒頭に述べたような理由で辞退を申し出たら、間違いなく世の中のオバマ評価はもっと高まる、と思う。
それに、過去のノーベル平和賞の受賞者をみると、ポーランドの元自主管理労組「連帯」の議長レフ・ワレサ氏、旧ソ連のペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)に果敢に取り組んだミハイル・ゴルバチョフ元大統領、さらにはミャンマーの民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チーさん、インドで献身的に貧困との闘いにチャレンジしたマザー・テレサさん、米国の人権運動指導者のマーチン・ルーサー・キング牧師らは、文句なしに授賞に値する。ノーベル平和賞という賞の素晴らしさを証明した。その半面で、えっ、なぜこの人が受賞するのだろうか、むしろ在任中に、逆に問われるような言動もあったでないかという人もいる。
そうした中で、今回のオバマ大統領に関しては、繰り返して言えば、期待が強い半面、まだ実績評価が見えないところだけに、もう少し慎重であってもよかったのでないか、という感じもする。ジャーナリスト的には、ノーベル賞委員会の選考過程、結論を下した委員会メンバーの判断などを取材してみたい気もする。
 

日本は東アジア「経済共同体」実現に踏み出せ、政治・軍事抜きがポイント 世界の成長センター・アジアのそばにいること自体が日本のチャンス

鳩山由紀夫首相の提案した「東アジア共同体」構想が、ラッド豪首相提案の「アジア太平洋共同体」構想と一緒に、10月25日にタイで開催の東アジア首脳会議(サミット)で歓迎かつ評価され、サミット議長声明にも盛り込まれた。日本は、これを外交儀礼と捉えずにチャンスと受け止め、実現に向けてアクセルを踏むべきだ。肝心の鳩山首相の「東アジア共同体」構想の具体的な中身がよく見えないのだが、私の場合、はっきりしている。日本は東アジア「経済共同体」という形で、政治抜きの経済にしぼった地域経済統合、地域共同体づくりを進めるべきだ、と考えている。
 私は、この「時代刺戟人」コラムでは、アジアに対する日本の積極的なコミットに強いこだわりを持っている。実は、第33回で「アジアは世界の成長センター、日本は今こそ内需拡大に積極協力を」、また第50回で「アジアでASEAN(東南アジア諸国連合)軸に共同経済圏化進む、ハッと気が付いたら日本はカヤの外?」というテーマで書き、いずれも日本がアジアの中に入って中心的な役割を果たすべきだと主張している。エッ、またかと思われるかもしれないが、今回は、鳩山首相の提案する「東アジア共同体」問題にからめて、もう少し踏み込んだ話をしたいので、ぜひ、おつきあい願いたい。

第50回コラムでアジアの問題を取り上げたのは、ASEANが7月13日にASEANの枠組みに属さないインドとの間で自由貿易協定(FTA)を結び、2010年1月の協定発効をきっかけに、消費人口17億人という巨大な経済圏を実現させた時だ。その数日後、ASEANはタイでの経済閣僚会議で、今度は経済連携協定(EPA)、つまり貿易自由化に限定せず投資やサービスなど幅広い経済連携を盛り込んだ協定づくりが可能かどうかの検討にも入った。これらの動きを見て、私はアジアで間違いなく地殻変動が起きつつある、とみた。ところが、当時の日本の政治は相変わらず内向きだったため、警鐘を鳴らす意味で「ハッと気が付いたら日本はカヤの外?」という事態になるぞ、と指摘したのだ。

東アジア首脳会議で2つの広域自由貿易地域検討に踏み出した点を重視すべき
 しかし、そのわずか3ヶ月後の10月開催の東アジア首脳会議で、アジアはさらに前に進んだ、と言っていい。今回の東アジア首脳会議は7月のASEAN、つまりタイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーのメコン経済圏の枠組みにインドネシア、マレーシア、フィリピン、ブルネイ、シンガポールを加えた東南アジア10カ国に日本、中国、韓国、それにインド、豪州、ニュージーランドの合計16カ国の首脳による会議だが、冒頭にあげた「東アジア共同体」構想の評価と言った問題もさることながら、実質的な前進として2つの広域FTA構想を政府間で協議することで合意した点だ。つまりASEAN+3(日中韓3カ国)を想定した東アジア自由貿易地域(EA FTA)と、今回集まった16カ国すべてを対象にした包括的経済パートナーシップ(CEPEA)の2つへのチャレンジだ。
 これら16カ国の首脳による東アジア首脳会議での動きをとらえて、私が、政治および軍事抜きの経済に限定した東アジアの「経済共同体」づくりに向けて日本が主導的なアクションを、と申し上げたのには、当然、理由がある。つまり、これらの国々は、さまざまな政治的な利害、さらには軍事的な問題で衝突もあり得るが、こと経済に限定すれば利害が一致する可能性が高い。今回の首脳会議で2つのケタ外れの大きな自由貿易地域づくりについて、互いの政府間で協議することで合意している。とくに前者の東アジア自由貿易地域は、2国間、多国間で入り混じって存在するさまざまなFTAを広域の自由貿易地域という形で一本にまとめようというもので、もし実現すれば、画期的なこととなる。

日本が戦略的に経済共同体づくりをリードすればその存在感はアジアで飛躍向上
 ASEAN+3のうち、ASEAN内部のいくつかの小さな国々にとって、関税障壁という経済の垣根が低くなった分、いろいろなモノが流入し自国経済がダメージを受けるリスクはある。しかしその半面、自由貿易地域という枠組みを通じて、ASEANにとっては日本や中国などの巨大消費市場にアクセスができるのだから、間違いなくメリットは測り知れない。それに、これらの国々にとって、これまでは米国が巨大な輸出先だったが、米国発の金融、経済危機をきっかけに、米国経済の落ち込みが続き、不安定な状況にあることを考え合わせれば、東アジア自由貿易地域を一気に自らつくりあげることの意味は極めて大きい。
その機会を日本が巧みに、かつ戦略的に活用して、東アジア自由貿易地域づくりにとどまらずアジア全体の地域経済統合、地域経済共同体という、一歩踏み込んだ経済の枠組みづくりにコミットすれば、日本の存在感、プレゼンスは間違いなく飛躍的に高まるぞ、というのが私の主張だ。
日本は、これまで前自民党政権のもとでアジアとのFTAに関しては、どちらかと言えば、国内の農業保護とのからみで影響が出かねない国などとのFTA締結を先送りしてきたのが現実。民主党政権になって、鳩山首相が「東アジア共同体」構想を提案したものの、肝心の東アジア自由貿易地域づくりにつながる包括的なFTAに踏み込めるかどうか、政治判断が問われている。

中国はASEANとの投資協定締結でFTA完結させ、アジア戦略を着々進める
 それとは対照的に中国は、農業はじめさまざまな国内問題を抱えながらも、大胆にFTA締結に踏み出している。とくに今年8月、ASEANとの間で投資協定締結にこぎつけ、過去2004年のモノ、07年のサービスに関するFTAと合わせて、中国はASEANとのFTAを事実上、完結させた。中国としては、欧米先進国が主導する世界貿易機関(WTO)の枠組みでさまざまな拘束を受けるよりも、ASEANとのFTAによってアジア全体に、自らの市場を主導的に開放し、いずれは人民元決済も可能にするようにする布石を打つ狙いであることは間違いない。そこには中国の強烈な対アジア戦略が見えてくる。韓国も同様に積極的で、アジア以外では米国とのFTAに続いて、欧州共同体(EU)との間でも今年10月15日に仮調印にこぎつけ協定発効から3年以内に90%以上の工業製品などの関税を撤廃する勢いだ。

河合アジア開銀研究所長が東アジア「経済共同体」づくりで4本柱を強調
 そこで、本題の日本の東アジア「経済共同体」実現に向けての話をしよう。その点に関して、私がメディア・コンサルティングでかかわっているアジア開発銀行研究所の河合正弘所長が、この「経済共同体」について、4本柱を主張されているので、ぜひ参考にさせていただこう。河合氏は、1)アジア地域のインフラを整備し切れ目ないアジアづくり、2)貿易や投資などの経済連携協定(EPA)の締結、3)通貨・金融システムの安定(アジア地域での多国間通貨スワップ・システムのチェンマイ・イニシアチブ、アジア債券市場、ACUというアジア共通通貨単位を通じた為替安定システム)、4)その他アジア地域公共財の提供(気候変動、環境・エネルギー、自然災害、感染症などでの広域協力システムづくり)の4つを挙げている。
そして、河合氏は、日本と中国とのEPAをテコにASEAN+3ないしはASEAN+6で広域的なEPAづくり、つまり貿易自由化に限定せず投資やサービスなど幅広い経済連携を盛り込んだ広範なEPA協定づくりを主張している。それをもとに、日本は民間貯蓄をアジアのインフラファンドなどへの投資に回すこと、日本の強みである省エネ、環境技術を駆使してアジア版グリーン・ニューディールに積極協力すること、アジア共通の課題である医療や年金、教育など社会部門保護の強化に先駆的に取り組むこと、アジア域内での通貨、金融システム安定に積極協力すること、今後の米ドル安に備えた為替レートの域内協調のためにアジア共通通貨単位による為替安定システムづくりに積極コミットすること、これらの積み重ねが東アジア「経済共同体」につながる、という主張だ。

民主党は政権交代に伴い積極的かつ戦略的なアジア「経済共同体」プランを
 私自身、アジア開銀研究所にかかわっているからというわけでないが、この河合氏の主張には100%賛成だ。自民党政権時代に、麻生太郎前首相が「アジア経済倍増計画」構想を打ち出した。その際、アジアのさまざまな地域の開発計画などをつなぎ合わせ一体的に広域インフラの整備などを進めれば、成長の起爆剤になっていくので、日本としては、アジアの広域インフラ整備に民間投資資金が向かうように2兆円の貿易保険枠を設ける、と構想を打ち上げた。しかし、政権交代してからは、この「アジア経済倍増計画」がどうなったのか、はっきりしない。むしろ、鳩山首相が新たに打ち出した「東アジア共同体」構想にアジア各国の首脳たちの目が向いている感じだが、政権交代したとはいえ、中身のある計画であれば、日本国内と違って、対アジア、あるいは対世界への日本の公約という意味合いがある場合には、うまく活用すればいい。何も前政権のもの、官僚がつくったものだからと毛嫌いする必要はない。ただ、政権交代したのだから、民主党政権としては、新たな枠組みづくりに積極的に踏み込むべきことだけは確かだ。
 このうち鳩山首相の「東アジア共同体」構想に関しては、過去にマレーシアのマハティール首相(当時)が「東アジア経済圏」構想をいち早く打ち上げたし、小泉純一郎元首相が2002年に「東アジア・コミュニティ」構想を表明、それらに連動する形で日本国内でも「東アジア共同体」構想が民間でも大いに問題提起された。にもかかわらず、いま、なぜ東アジア首脳会議で再び、クローズアップされるかだ。政治や軍事がからむと、この構想は時期尚早と大きく遠のくが、こと経済に限定すれば、にわかに現実味を帯びる。その理由は簡単だ。いまアジアが世界の成長センターとなり、米国発のグローバルな金融、経済危機のもとでも、アジアは中国を中心にプラス成長を続けている。アジアはグローバル経済危機の影響を最小限にとどめて成長する中で、1つの結論を出しつつある。つまりアジアは独自に広域の自由貿易協定づくり、経済連携づくりに踏み出せば、欧米経済に頼らずとも成長を続け得る、という判断なのだ。

日本フードサービス協会長の「アジアに日本食市場拡大を」のメッセージもヒント
 だから、日本は、河合氏が主張するようなシナリオに沿って、東アジアの「経済共同体」実現に向けて主導的な役割を果たせばいい。とくに、私は、日本が、日本国内の狭い内需をどう拡大するかの発想ではなく、アジアの地域経済統合を視野に入れて、それら広域アジアの域内内需を活用する「拡大内需」の発想でもって経済政策を進めればいいのだと思う。
その点で、最近、私がかかわった日本フードサービス協会の国際シンポジウムで、田沼千秋日本フードサービス協会会長が「人口減少という避けて通れない日本の現実のもとで、外食産業が国内の縮小化する内需のパイをめぐって競い合うよりも、日本の食文化が定着しつつあるアジアに日本食市場拡大を求める発想が重要になってくる」と述べた。まさに、私が言う「拡大内需」の発想だ。こうやって、ちょっと発想を変えれば、一気に、世界が広がってくると思う。いかがだろうか。