期待半分・不安半分の民主党に不安表面化、日本郵政社長人事は納得できず 亀井郵政・金融担当相はモラトリアム法案含め政策決定に不透明部分が多い

 今年8月の総選挙での民主党圧勝によって政権交代が実現したことで、日本という国が新しい政治の枠組みのもと、閉そく状況に終止符を打ち、経済社会が再び活力を取り戻してほしい、といった気持ちが私には強かった。今もその気持ちは変わらない。しかし、率直に言って、今の民主党政権に関しては期待半分・不安半分というところがある。その不安部分が、今回取り上げる日本郵政の社長人事で表面化した、と思っている。
 脱官僚依存の新しい政治、現役および過去官僚を含めて天下りのあっせん全面禁止を標榜(ひょうぼう)していた民主党政権が、日本郵政の社長に、こともあろうか旧大蔵次官OBの大物を起用したうえ、その決定に至る手続きがこれまた、実に不透明で、到底、国民の共感を得るようなものでなかったかためだ。早い話が、前自民党政権の政治手法と何ら変わるものがなく、新政権への期待を裏切るものになりかねないと言ってもいい。

参院での安定過半数確保最優先のための国民新党取り込み策に無理?
 その原因をつくったのが亀井静香郵政改革・金融担当相の判断だ。今回の日本郵政の社長人事だけでない。銀行の貸し渋り・貸しはがしに対応する中小企業や個人の借金返済猶予(モラトリアム)法案もしかりだ。このいずれについても、民主党政権は政策決定のプロセスを限りなく透明性の高いものにするはずだったが、亀井郵政・金融担当相はそれに逆行することを平然かつ強引に行っている。あとで申し上げるが、参院での安定過半数確保という政治の思惑で国民新党、そして社民党と連立を組んだこと自体に無理があったのでないだろうか。鳩山由紀夫首相自身の政治姿勢が問われる時期が意外に早くやってくるのでないかという気がする。
 さて、日本郵政の社長人事に関しては、すでに新聞などメディアの報道で、よくご存じだろう。おさらい的に申し上げれば、小泉純一郎元首相の自民党政権の「官から民へ」という構造改革路線に沿って、旧郵政事業の民営化が進められ新たに誕生したゆうちょバンク、かんぽ生命、日本郵便など4社を包含するホールディングカンパニー日本郵政の西川善文社長(元三井住友銀頭取)に辞任を求め、10月21日に、後任社長に元大蔵事務次官で、東京金融先物取引所社長の斎藤次郎氏を決めた。
この新社長人事のニュースを知った時は、本当に驚いた。というのも、政権交代したとはいえ、郵政民営化の大きな流れを逆行させる必要はないこと、また日本郵政自体が「かんぽの宿」問題はじめ、いくつかマネージメントの問題が問われたことによって、その経営責任に1つの区切りをつける首脳交代人事が必要になったとしても、政治介入してまで強引にやるべきでないこと、またその後任首脳人事に関しては、民間企業の現場経験を持つ人材の起用が望ましいこと――などが必要と思っていた。

民主党がかつて日銀総裁人事で反対しながら一転財務OB起用は首尾一貫せず
 ところが新社長に就任した斎藤氏は、旧大蔵省時代から指折りのやり手官僚だ。私が毎日新聞経済記者時代に旧大蔵省を担当した際の有力な取材先の1人で、当時、まだ課長時代だったが、そのころから問題意識の希薄な政治家や先輩官僚を遠慮なく批判すると同時に、自らは鋭い問題意識でもって財政政策のあるべき論を打ち出す人だった。取材していて、いろいろな意味で刺戟的であり、個人的にもよくつきあわせてもらった
その斎藤氏は、中枢の主計局長などを経て旧大蔵次官にまで上りつめたが、当時の細川連立政権時代に政権の中核にいた小沢一郎現民主党幹事長(当時は新進党)らと画策した国民福祉税導入が問題を呼んだ。その後の自民党政権のもとで、国民にとって重要課題の増税政策について、十分に議論せずに有力政治家と謀(はか)ってコトを進める手法は問題と批判され、一時は不遇の時代を過ごした。その問題意識や人物をよく知っているだけに、私としては、取り上げにくい面があるが、この斎藤氏の日本郵政社長就任には、率直に言って首をかしげざるを得ない。その理由をいくつか申し上げよう。
 民主党はもともと、官僚の天下りについて、前の自民党政権時代から現役、過去官僚とも事実上の封印を主張した。そして日銀総裁人事に関して、元財務省次官 OBで、日銀前副総裁だった武藤敏郎現大和総研理事長の総裁就任案を福田康夫政権(当時)が国会に提案した際、当時の民主党が天下り反対の主張に沿って退けたのは有名な話。これ以外に、当時の政権が繰り出す財務官僚OBの日銀総裁、副総裁人事案にことごとく反対した。このため、中央銀行の総裁、副総裁ポストが空白のままという異常な状態が続き、当時の内外のマーケットは、日本の政治に対して強い不信感を抱いた。その官僚OBの中でも、ある面で象徴的な存在である斎藤氏を今回、日本郵政社長に選んだこと、しかも斎藤氏と小沢民主党幹事長とが互いに深い関係にあること――などから、民主党は言行不一致と言われかねない、という問題もあった。

田中秀征氏は「官僚天下りあっせん禁止主張を事実上ほご?」など4つの疑念
 そればかりでない。もっと本質的な部分で首をかしげざるを得ないことが多いが、政治評論家の田中秀征氏が10月24日付の朝日新聞オピニオン欄で、極めて的確な問題提起をしている。私の疑問をほぼ代弁してくれているので、ぜひ、引用させていただこう。
田中氏の疑念ポイントは4つある。1つが「民主党が声高に唱えた脱官僚依存は何なのか、本当にそれを追求するつもりがあるのか」、2つが「民主党がマニフェスト(政権公約)にうたった天下りのあっせん全面禁止が、なし崩し的にほごにされるのでないか」、3つが「鳩山由紀夫首相がこれだけ大事な人事について何の条件もつけずに亀井郵政改革・金融担当相に任せた。今後も主要な人事に、首相が責任を持たないのでないか」、そして4つが「重大な政策に関する説明責任のあり方」という点だ。
 私は、この4つの疑念のうち、とくに鳩山首相がこれほど重要な人事案件に関して、亀井郵政改革・金融担当相が担当大臣だったとはいえ、任せきりで、発表の前夜に電話報告を受けた際、鳩山首相が「話を聞いた際には『いわゆる元官僚ではないか』と驚いた」ということ自体に驚きを隠せない。それに、重大な政策に関する説明責任のなさ、もっと言えば、政策決定過程の不透明さがあるという点もおかしいと思っている。とくに、なぜ亀井郵政改革・金融担当相がかかわる案件に関しては、それが集中しているのか理解に苦しむ。民主党政権は政策決定過程の透明性、情報開示に関しては、いろいろルール化しているはずだったのに、いったいどうなっているのか、ということだ。

亀井郵政・金融担当相はモラリアム法案などで「首相とは一致」と譲らず
 この政策決定過程の透明性がすっきりしていないという点に関しては、亀井郵政改革・金融担当相が打ち出したモラトリアム法案でも、それが言える。亀井郵政改革・金融担当相は連立政権を組んだ時点から、国民新党のマニフェストで「困窮する中小零細企業の経営資金の返済について、最長3年間の支払猶予制度を新設する」と政策に盛り込んでいること、鳩山首相とは総選挙前から一致しているし、連立合意でも政策一致していることを盛んにアピールし、自分が担当大臣なのだからすべて決めるのは当たり前と譲らない。
問題は民主党の大塚耕平副大臣ら政務3役、さらには国家戦略室、関係大臣協議などの場を十分に活用せずに、半ば担当大臣の力を誇示して政策決定しているフシがある。このモラトリアム法案に関しても、大方針を自分で決めてから大塚副大臣や政務官に具体的検討、財務省などとの調整を指示しているところもあり、政策決定過程の透明性を全面に押し出した民主党政権とも思えない。
今回の日本郵政の社長人事に関しても、日本郵政はコーポレート・ガバナンスの観点から社長ら役員人事に関しては、社外取締役を中心に構成される人事指名委員会で本来、決めるという手続きになっているのに、亀井郵政改革・金融担当相はルール無視だった。そして事後的に、その手続きを踏んでいるが、形式論に終始してしまっている。
冒頭に、私は、今の民主党政権に関しては期待半分・不安半分というところがあるが、その不安部分が、今回取り上げる日本郵政の社長人事で表面化した、と書いた。この不安部分の最大のポイント部分は、国民新党代表の亀井郵政改革・金融担当相の存在でなかろうか。

鳩山首相の政治的指導力が問われる、連立与党と政策矛盾出れば解消も選択肢
 民主党は総選挙で地滑り的な勝利で衆院を確保しても、肝心の参院では社民党や国民新党の数の力に頼らないと、安定政権となり得ないという厳しい現実がある。今後、民主党としては、政策面で国民新党や社民党と政策面で大きな開きがあっても目をつぶらざるを得ないのか、あるいは最悪の場合、政策面でスジを通して連立の枠組みを解消するかどうか、今回の亀井郵政・金融担当相の問題で、早くも大きな壁に遭遇する情勢だ。その意味で亀井郵政・金融担当相の存在は新政権にとっては何とも危うい存在だ、というふうに思えるが、いかがだろうか。
 その点で、私は鳩山首相の毅然としたリーダーシップ、政治的な指導力が次第に問われてくるような気がする。参院での安定過半数を意識して、国民新党や社民党との連立にこだわるうちに、次々と政策矛盾が露呈して、鳩山首相が優柔不断の姿勢でいたりすると、今度は世論調査での内閣支持率の低落という形で有権者、国民の厳しい評価を受ける事態に追い込まれかねない。その意味でも、鳩山首相が、必要に応じて、政策面で指導力を発揮することが重要だ、もっと言えば、連立与党との間で、仮に政策矛盾が出れば、連立解消ですっきりと民主党固有で臨む、ということも選択肢になることを申し上げたい。

たばこ税、日本人の健康確保といった政策鮮明なら税率引き上げやむなし 吸い続ける喫煙者の「勇気」には敬意、公共の喫煙スペース確保など配慮も必要

 民主党政権が初めて手掛ける2010年度税制改正で、ガソリンにかかる揮発油税や自動車重量税などかつて道路財源確保のためだった暫定税率の廃止の一方、国民の健康確保をねらったたばこ税率引き上げや地球温暖化対策税(仮称)導入の増税案が浮上し、増減税一体の税制改正となりつつある。そこで、今回は、たばこ税にスポットを当て、増税の意味合いが何なのか、取り上げてみよう。
このたばこ税増税、正確にはたばこにかかる税率引き上げについては、鳩山由紀夫首相が政府税制調査会(政府税調)に対して、国民の健康に対する負荷を踏まえた課税という観点で検討を、という諮問を行い、にわかに注目を集めた。早い話が、新政権はマニフェスト(政権公約)に沿って、暫定税率の廃止に踏み切ることで税収が国と地方合わせて2.5兆円ほどの税収減となり、こども手当などの新政策に伴う歳出増をまかなう財源が捻出できないため、穴埋めあるいは調整財源として、たばこ税増税に照準を当てたのでないか、という感じが否めない。

税収確保のための安易な増税では納税者はそっぽを向くのは必至
 結論から先に申し上げれば、新政権は政権交代で過去の呪縛(じゅばく)から解き放たれて新しい制度改革、政策提案を行うのが大事。その延長線上でいえば、たばこ税増税に関して、税収確保のために税金をとりやすいところから安易にとる、というこれまでの自民党政権のような政策手法ではなくて、新政権らしく、この増税によって、国民の健康確保のために政策誘導するのだ、といったハッキリとした政策アピールが必要だ。そのためのさまざまな健康確保対策に関して、たばこ税増税によって健康にマイナスなたばこ消費の抑制を図るといったことをはじめ、数多くの政策メニューを示す必要がある。それが果たしてできるのかどうかだ。
私個人は、そういった増税に関する政策的な意味づけを明確にしたうえで、鳩山政権が、国民に信を問うという強い政策姿勢を示すことができるのならば、たばこ税増税に関しては引き上げることはやむをえない、と思う。地球温暖化対策税に関しても同様で、新政権が強い政策アピールをして、納税者を納得させる、それどころか納税者が新しい政策について、あえて増税を甘受してでも新政策への参加意識を明確に持つことができるかどうかだ。その点が不明確なまま、口先だけの安易な増税だと、納税者の国民は新政権に対してそっぽを向くのは必至だ。新政権は過去の政権と、政治手法や政策手法の面で何の新鮮さも感じられない、といった反発だけが残る結果になりかねない。
かつては、私もヘビー・スモーカーだったが、今は健康とのからみで、まったく吸っていない。しかし最近の喫煙環境を見ていると、公共スペースはもとよりだが、企業内でも喫煙スペース以外では吸うことまかりならぬ、という形で、喫煙者にとっては、肩身の狭い思いでいるどころか、失礼ながら、どちらかと言えば除け者扱いされてしまっている。これだけ健康への影響が言われながら、それでも吸い続ける人たちに関しては、私は最近、吸い続ける「勇気」に敬意を表する。それでと言うわけでないが、仮に民主党新政権がたばこ税増税を決めた場合には、しっかりとした政策説明責任を全うすると同時に、公共スペースなどで喫煙スペースをぐんと増やして、喫煙者への配慮も必要だ。そうでないと、喫煙者の人権を無視するのか、といった造反も起きるリスクがある。

自民党政権時代は葉たばこ農家対策に躍起、民主党政権は説明責任を明確に
 そんなこと、わかりきっていることじゃないか、と言われそうだが、今回とりあげるたばこ税に関しては、過去の自民党政権のもとでは、初めに税収確保ありきで、納税する立場のたばこ喫煙者に対するしっかりとした政策説明などがあったという記憶はない、むしろ、その時々の政権が増税に際して腐心したのは、葉タバコ農家の減収対策だけだった。こういった形で、時の政権が税制を税収確保のために、表現悪いが、もてあそぶような形で扱ってはだめだ。民主党政権は、有権者の国民から、政権交代によって新しい政策姿勢、制度改革を期待されて誕生したのだから、政策の説明責任を明確にし、政策の透明度を高めることが必要だ。
 今回、たばこ税を取り上げようと考えるに際して、たばこ1本に、どれぐらいの税金がかけられているのかと調べてみたら、喫煙者は文字どおり税金を吸っているようなものだということがわかった。驚くなかれ、税金は5つの税目に分かれ、いろいろなところが群がるように課税していた。まず国が1本あたり3.557円、続いて都道府県たばこ税として同じく1本あたり1.074円、そして市町村たばこ税として3.298円、4番目が実にあいまいな「たばこ特別税」という形で1本0.82円が課税され、これが国債整理基金特別会計に入り、要は国債の償還財源となっている。そして5番目が消費税。これらをひっくるめて、標準タイプの20本入りのたばこで換算すると、1箱300円のたばこに対して、たばこ税の形での税金が189.17円かかるそうで、要は約60%が税金分という計算になる。まさに、今の喫煙者は税金を吸っているようなものだ。

厚労省はたばこ1箱500円を要望、鳩山首相は超党派で以前1箱1000円提案
 厚生労働省が政府税調に対して行った2010年度税制改正要望では、健康対策や社会保障費の財源確保を理由に、たばこ税を1本あたり10円の引き上げを求めている。これを1箱300円のたばこに換算すると500円にするというものだ。もし、増税となれば、1本あたり85銭の引き上げを行った06年度以来、4年ぶりのこととなるが、今回はケタ外れの値上げ幅要求となっている。
しかし、以前、鳩山首相がまだ、民主党が野党時代に、自民党の元政調会長や元幹事長だった中川秀直氏らと連携して、このたばこ問題で超党派での議員連盟をつくり、国民の健康維持のための禁煙政策の一環として、たばこ1箱1000円案を打ち出したことがある。その意味で、今回、政府税調に対して、鳩山首相がたばこ税引き上げの諮問を行ったのも実は、かねて用意の政策提案ということなのかもしれない。
 経済のデフレ脱却が難しく、低物価が定着する中で、肝心の所得が伸びないどころか、コストカットがらみで企業の賃金や給与にしわ寄せが来ているそうした状況下でたばこが嗜好品というよりも必需品のようになってしまっている人たちにとっては、1箱500円もさることながら1000円ともなれば死活問題になりかねない。それだけに、新政権としては、増税という形での新政策が、それら喫煙者の生活を奪うのではなくて、本当に健康の維持、確保のためには重要な政策提案なのだということを説明できるかどうかだ。

医師から「人間やめるかたばこ止めるか」警告され1日100本喫煙ストップ決断
 実は、冒頭で申し上げたように、私は毎日新聞記者時代にピーク時、1日5箱、つまり1日100本のたばこを吸うヘビー・スモーカーだった。原稿を書く際に、たばこを吸えばいいアイディアがひらめくのでないか、という、いわばたばことアイディアは関数関係にあるなどと勝手に思い込み、プカプカと吸っているうちに、一時は人間、まさに煙突状態で煙をモクモクと吐き出していた。健康にいいはずがないが、人間ドックでの検査で肺が曇ってしまっていて、医師から「人間やめるか、たばこ止めるかだ」とか「酒を止めるか、たばこを止めるか」といった警告を再三にわたって受け、家族のことも考え、節煙どころか禁煙することにした。
と言っても、この禁煙へのチャレンジは2回目で、以前、私は失敗している。旧大蔵省担当で取材しているうちに、イライラして軽い気持ちで一服、吸ったらこれが裏目に出て弾みがつき、禁煙宣言以前よりの喫煙量が大きくアップしてしまう苦い経験があった。そこで、一計を案じて、周囲に1本でも吸ったら罰金を払う、ただし成功したら逆に目的実現おめでとう賞という形で賞金を支払うという投資ゲームを計画した。計画期間の最大3か月間、悪戦苦闘でがんばった結果、何とか克服できた。それからもう20年がたっており、完全に断ち切れた。

「爆笑問題」の太田さんは「何と言われようとも止める気はない」
 肺がんなどの外科治療の医師、奥仲哲弥さんとテレビで有名なコント「爆笑問題」の太田光さんの2人が対談した「禁煙バトルロワイヤル」(集英社刊新書)がなかなか面白い。自他ともに認めるヘビー・スモーカーの太田さんは、「1日20本、たばこを吸うと、1年でタールが牛乳瓶1本分たまる計算になるんだぞと言われても、それが何か問題でも?という感じなのでしょうか」と聞かれたのに対して「う~ん(笑い)。でも、何と言われようと、現時点では止める気はないんです。禁煙で苦しんでいる人はいっぱいいるけど、僕は止めようと思えば多分、簡単にやめられると思っているんです」とか、「1日に吸うたばこの本数X年数。これはプリンクマン指数と言って、喫煙者ががんにかかる危険度数を表します。この指数が400を超えると危険ゾーン、800を超えると極めて危険ゾーン突入となります。太田さんの場合、吸い始めて25年で1日40本ですから1000の数値で、がんになる可能性が極めて高いです」という話に対しても、太田さんは「とりあえず今のところは体調は悪くないですね」「僕は身体的にも精神的にもストレスがないのです。仕事がつらいと思ったこともないです」といった調子。

政府のたばこ税増税めぐる政策議論の情報開示と同時に科学的データ開示も
 税金を高くすることで、政府の税収は増えるのは間違いない。今回のたばこ税のように仮に1箱1000円ということになれば、約60%が税金だから税収増は大きいが、喫煙者の造反もあり得るので、国民の健康確保を優先した、という明確な首相メッセージが必要だ。その政策決定に至るまで、政策論議の透明性を示すため、情報開示を行うのは当然だが、次世代のことを考えての苦渋の選択をした、ということが説得力を持つかどうか、大きく問われるところだ。「爆笑問題」の太田さんと対談した奥仲さんの話のように、本当に健康に害があるのかどうか、科学的な検証データの開示も当然必要だ。
それに、最初のところで指摘したが、喫煙環境を改善することも重要なことだ。いま、日本では男性の約40%、女性の約12%が喫煙人口であり、とても無視できる数字ではない。ところが、公共の場所では喫煙制限どころか禁煙指定が強く出てきており、またオフィスなどの中でも、喫煙者の喫煙スペースが著しく少ない。これらの人たちは社会の片隅に追いやられてしまっている。たばこを吸わない人たちへの健康配慮と同時に、たばこ増税によって、喫煙者の禁煙を促すことで、国民全体の健康度を高めるのは大事だが、その一方で、これら喫煙者の人たちへの喫煙環境を改善することも案外重要なことだ。

予算ムダチェックの「必殺事業仕分け人」、やりすぎ批判気にせずがんばれ 誰もが納得する予算の廃止や縮減基準必要、後は会計検査院と連携を

鳩山由紀夫首相がテレビ時代劇番組にヒントを得て命名した「必殺事業仕分け人」。その仕分け人たちのムダな国家予算のチェックをめぐって、「よくやっている。官僚の天下り先確保のためにつくられ、その政策効果も未知数の財団法人があるのには驚いた」、「やり過ぎだ。反論のチャンスも与えず、まるで公開処刑に近い」といった形で、賛否両論の声が起きている。そこで、今回は、民主党政権の行政刷新会議が打ち出した新手法の「事業仕分け」問題を取り上げてみたい。
率直に言えば、私は「事業仕分け」に関して、批判を気にせず、がんばれという立場だ。しかし、やり過ぎ批判にはしっかりと耳を傾け、まずは誰もが納得するような基準をつくり、予算のムダ排除という行政刷新につなげることが重要だ。そのためにも、会計検査院という専門家組織をうまく活用することだ。
そのやり過ぎ批判は、具体的には、事業予算の実体把握を十分にせず、わずか1時間ほどの質問攻めのようなヒアリングでもって予算の廃止や縮減、さらには地方自治体や民間への事業移管などの結論を出すのは乱暴だ、という意見、さらには仕分け人には民主党の国会議員のみならず、民間の専門家や有識者も加わっているが、世論受けのポピュリズムに走っているきらいがある、というものだ。当然、これらの批判には応える必要がある。

「こども未来財団」への仕分けは基金300億円を全額国庫返納案
 さて、総論的な話は、これぐらいにして、まずは、「必殺事業仕分け人」の仕事ぶりを見てみよう。メディアの「事業仕分け」報道を見て、好奇心から私が補足的に調べたものの1つに、厚生労働省所管の財団法人「こども未来財団」がある。この財団は、15年前の1994年に社会の少子化現象に対応して、こどもを産み育てやすい環境づくりを進めるという目的でつくられた。ところが、今回の事業仕分けの作業後の結論は、かなり手厳しい。典型的な官僚の天下り財団だとし、その事業資金の原資である「こども未来基金」300億円を全額、国庫に返納する必要がある。その代わり毎年度、国が必要な事業に対して必要額を補助する方式に切り替えるべきだ、というものだ。
 事業運営のもとになる基金を国庫に全額返納すべきだ、というのは、この財団にとっても存続が問われるものになりかねない。その事業仕分けが正しい判断なのかどうかの検証は、もちろん必要だが、具体的に、どういった点にメスが入ったのか、少し見てみよう。複数の新聞報道によると、なかなか問題が多い。予算要求している厚生労働省担当者の説明では、既存の公的サービスで対応が難しい子育て支援事業、たとえば企業など事業所内での保育施設環境づくり、コンサートや講演会場などで安心して講演会に参加できるようにする託児室支援、授乳室やキッズコーナーなどの整備助成といったものへの事業支出が主たるもの、という。

常勤役員4人のうち2人が厚労省元局長、人件費・管理費が全体の3分の1
 さらに、厚生労働省担当者の説明では、この財団は、児童手当制度にもとづく事業主拠出金を財源にした「こども未来基金」300億円で運営され、民間主導の事業だという。ところが実際には、企業の拠出は自主的なものとはほど遠いうえ、この基金の資金運用についても、今のような超低金利状況下では極めて厳しい運用益しか確保できず、国からの補助金、2009年度予算での場合、8億8089万円の補助金に頼らざるを得ない。
しかも、事業仕分け人たちが質疑を経て得た財団の事業の現状は、常勤役員4人のうち理事長が厚生労働省の元職業能力開発局長、常務理事が同じく元労健局長で、年間1600~1200万円の役員報酬を含めた人件費と管理費が5億円を占め、全体予算16億6000万円の3分の1近くに及んでいた。このため、事業仕分け人の判断はガバナンスなどに課題が多く、基金全額を国庫に返納し、必要な事業予算は国のチェックを受けながら、補助金の形でもらえばいいでないか、財団が事業支援するベビーシッター事業の利用者は1000人にも満たない、それらベビーシッターの研修が年間たった600人では話にならないのでないか、国は補助金を出すにしても事業評価をしっかりすべきだ、となった。
この事業仕分け人の評価とは別に、「こども未来基金事業評価委員会」というのがあり、事業評価報告書を出している。公表されている2007年度の事業評価報告書を見たところ、「少子化対策としても、子育ちと子育てを社会全体で支えるとの意識改革は重要な課題だ。意識啓発事業、健全育成事業、出版・調査研究・研修事業の必要性と有効性が認められる」とし、総合判断は「A」となっていた。失礼ながら、この委員会も、今回の事業仕分け人が委員メンバーだったら「B」どころか「C」評価になったのだろう。

基金や補助金使って本当に政策効果上がっているかどうかが問題
 問題は、社会全体の少子化が進み人口減少が日本という国の将来不安を強めている現状で、国が、あるいは自治体が、さらに企業などの事業所、家庭でさまざまな少子化に歯止めをかけるための取組みが重要なことは言うまでもない。この財団が、その役割の一端を担う形で設立され15年間がたった中で、その取組みの重要性を否定する人はいないにしても、今回の事業仕分けの対象になったように、基金や補助金を多く使って、本当に政策効果が上がっているのかどうかだ。
今の若い人たち、とくに女性が結婚後、子供がほしくても果たして産める環境にあるか、あるいは働いて生活環境をよくしたい中で、働きながら子育てするには保育所、託児所が十分に確保されておらず子育てに不安というのが現実。となれば、国は少子化対策の必要性を強調するのならば、こうした財団に頼らず、もっと大胆かつストレートに企業に保育所設置を義務付け、それをスムーズにするための経過措置として補助金でバックアップというやり方の方がいいかもしれない、と私は考える。
 いまは、少子化対策の話をするのが本題ではないので、「こども未来財団」の問題は、ここまでにして、事業仕分けをめぐる問題に戻ろう。ここでの1つの問題は、基金を組成して財団などの事業組織をつくるのはいいにしても、官僚OBの天下りの受け皿づくりのために基金、そして財団がつくられる、という、言ってみれば本末転倒の状況を止めさせるべき点だろう。とくに、今のような超低金利状況のもとで、資金運用で事業予算をひねり出すのは至難のワザだ。挙句の果てが、海外の新興国の高金利通貨への投資話のような誘惑に乗って巨額の運用損を出してしまった、ということになりかねない。それどころか、天下り官僚OBの役員報酬のみならず人件費や管理費などの「カネ食い虫」が元凶になって、肝心の事業などの政策効果どころでなくなっても困る。

国土交通省の下水道事業への補助金は非効率 地方自治体へ移管案
 実は、国土交通省の「まちづくり関連事業」は1821億2500万円の予算をつぎ込んでのものだが、事業仕分け人の評価は「まちづくりに国が関与しなければならない理由が不透明。むしろ地方自治体に任せればいいでないか」だった、その点でハッキリと地方自治体移管の判定が下されたのが、同じ国土交通省所管の下水道事業への補助金5188億円だ。むしろ、国が関与するよりも、自治体にゆだねれば、低コストの浄化槽で対応するなど臨機応変の予算の使い方ができずはず、という評価だ。確かに、自治体に移管したほうが効率的なことも多いように思える。
 ただ、これら事業仕分け人のヒアリングなどの仕方に関して、評価を受ける側の行政官庁、財団関係者らの受け止め方は複雑だ。ある事業関係者は「初めての体験で、とまどうことが多かった。質問は、警察か何かの尋問のような形で、『官僚OBの天下りは何人か』『事業の効果はどこまで上がっていると考えているか』など矢継ぎ早に聞かれる。官僚の天下りにこだわり、それ1つがあるだけで、ああ、この事業は予算削減対象といった姿勢が見受けられた。それに、事業評価と言っても、定量的に数字が出るものでないので、答えに窮することさえある」と述べている。冒頭のやり過ぎ批判の中にあった「反論のチャンスも与えず、まるで公開処刑に近い」ということも、被害者意識が強まれば、そういった受け止め方になりかねないのだろう。

行政刷新会議には予算廃止の権限なく最後は首相官邸、鳩山首相判断に
 しかし、われわれの関心事は、予算の使い方にムダがあるかないか、もっと効率的な使い方はないのか、人件費や管理費などの「カネ食い虫」だけになってしまっていないかどうかが問題なのだ。もっと言えば、前の自民党政権時代に、選挙区の票がらみや利権ほしさで動く族議員、権限拡大に意欲を示したり、官僚の天下り先確保に躍起となる行政官庁などの利害が一致して、不必要な事業を作り出したり予算執行したことは否めない。そうした予算のムダにメスを入れることは、政権交代がない限り、なかなかできないことで、その意味では、今回の事業仕分けには議論があるにしても必要なことだと思う。
こうした問題とは別に、実は、意外に難しい問題がある。それは、政権の行政刷新会議自体には予算を廃止したり縮減、さらには地方自治体、民間への移管といった権限がないことだ。このため、最終的には首相官邸、さらには鳩山首相の判断、そして政権を担う閣議の決定ということになる。だから、「必殺事業仕分け人」の仕事ぶりがセンセーショナルに話題を集めたが、2010年度予算編成の段階での最終決定となり、まだまだ一里塚というところなのかもしれない。

会計検査院は予算ぶんどりに鋭いメスを、決算おざなりでは困る
 そこで、私はかねてから、どうしてもっと活用しないのかと疑問に思っていた会計検査院を、この際、全面に押し出したい。11月11日に公表された会計検査院の2008年度検査報告書では、予算の使い方にムダあり、と指摘された額が実に2364億円にのぼっていた。中でも、今回の事業仕分けで問題になった厚生労働省所管の「こども未来財団」の「こども未来基金」300億円のような基金が経済産業省や農林水産省の公益法人8基金、総額744億円に問題あり、の指摘だった。中には、予算を査定する側にあるはずの財務省傘下の9税関で、電気工事士などが行う岸壁の監視カメラの保守点検工事で、日当の労務単価計算を誤り、相場の5倍以上の日当8~10万円という非常識な労務手当を払っていたことが判明している。2年間で総額8170万円が余分に支払われたという。
 明治大学政治経済学部教授の西川伸一氏が書かれた「この国の政治を変える会計検査院の潜在力」(五月書房刊)を以前、読んだ際、わが意を得たり、と思った。ぜひ、紹介させていただこう。「ポークバレル(ばらまき政治)を見直す仕組みは制度的に存在する。決算である。『予算ぶんどり』の結果を精査して、後年の予算編成に正確に反映させればよい。このフィードバックの回路があまりに貧弱のため、せっかくの予算制度がうまく機能していない。言いかえれば、『惰性のシステム』が断ち切れないのである。予算ぶんどりに対して決算おざなりということであろう」と。要は、西川教授は、会計検査院がフィードバックの機能を発揮すればいい、と言いたいのだ。私も同じ考えでいる。長い間、経済ジャーナリストして、マクロ経済の報道に携わってきたが、この会計検査院の問題をもっと取材して報道すべきだった、と思っている。今回の事業仕分けの問題を見て、民主党政権もぜひ、連携して対応すれば、行政官庁などに対しても説得力ある問題提起ができると思う。

デフレ・スパイラル・リスクだけは要警戒、新政権経済対策の機動性に問題あり スピードの時代への機敏対応こそ最重要だが、大胆な規制改革で需要創出を

民主党政権のマクロ経済対策がやっと動き出した。12月8日に総額7兆2000億円規模の経済対策を決め、景気下支えに踏み出したのがそれだ。きっかけは、11月20日の政府の月例経済報告で、日本経済は緩やかなデフレ状態にある、と「デフレ宣言」したことから、その対策が必要になったためだ。日本銀行が12月1日にデフレと行き過ぎた円高に歯止めをかけるため、10兆円規模の期間3カ月の資金を0.1%の超低利で量的な金融緩和することに踏み切っており、これら財政、金融政策の両面でのデフレ対策がどこまで政策効果を上げるかに、焦点が移ってきた。
 しかし結論から先に申し上げれば、今回の経済対策の規模はそこそこの大きさながら、即効性がすぐに出るとは思えない。それよりも、今回の政策対応で明らかになったのは民主党政権がマーケットの時代、スピードの時代に機動性の面で決定的に弱いことだ。この種の政策はデフレ・スパイラル・リスク、つまりはデフレが悪循環するリスク回避のためには何よりも機動性やスピード性が最重要。ところが現実は11月20日の「デフレ宣言」をした時点で機敏に動いておらず、今回の対策も「宣言」から2週間以上たってしまっているからだ。そこが残念でならない。

2001年に「デフレ宣言」以来、デフレ脱却できないまま今回「再宣言」
 ところで、ご記憶だろうか。政府の「デフレ宣言」は今に始まったことでない。2001年3月に当時の自民党政権が「宣言」し対策に踏み出している。そのころ、日本経済のバブル崩壊の後遺症が長引き、物価が継続的に下落するリスクが実体経済に強まった。そこで自民党政権が強い危機感を持ち、政策対応を余儀なくされた。当時、ケタ外れの財政刺激策をこれでもか、これでもかと繰り返し行ったが、肝心の物価の低落状態になかなか歯止めがかからず、いわゆるデフレ状態は06年6月まで続いた。その代わり大量の国債発行で財政赤字が極度に膨らんだ。金融政策も超低金利政策から抜け出せず、デフレ経済との長い同居生活が続いたのだ。
 だが、ここで忘れてならないことがある。それは、06年6月以降、経済が緩やかに回復したため、デフレを声高に口にすることはなくなったが、デフレ状態は事実上、続いたのだ。というのは、その後の自民党政権のもとで、幾度か「デフレ脱却宣言」チャンスがあったにもかかわらず、問題先送りしたまま、ずっと現在に至っている。早い話がデフレ脱却できずにデフレ状態はなお進行中なのだ。だから、今回の民主党政権の「デフレ宣言」は言ってみれば、01年3月に続く再度の「宣言」とも言える。要は、日本経済のデフレ状態が続いたまま、その脱却がまたまた遠のいた、ということだ。

慢性的デフレ状態は「アラ・ゼロ成長と物価」時代の定着とみるべき?
 もちろん、政策当局としては、デフレ・スパイラル・リスクという、物価が奈落の底に落ちていくように下落を続ける悪循環のリスクだけは、くどいようだが、何としても避けねばならない。そのための政策的な対応は機敏さが必要だ。ただ、これだけ長い物価の低落状態が続き、一種の慢性的なデフレ状態が続くと、われわれとしては、この際、発想の転換が必要になってくるのでないだろうか。つまりは、経済の低成長、いま流行のアラウンド(そのあたり、その前後という意味)で言えば、「アラ・ゼロ成長」、ゼロ近傍のプラス、マイナス成長、それにリンクする「アラ・ゼロ物価」と見ればいい。要は前年比でゼロよりも少し上の小幅プラスか、逆に小幅マイナスの物価状態を与えられた条件としての与件と見て、経済運営していくという発想でいた方がいいのでないか、ということだ。
 日本経済のデフレは、バブル崩壊の後遺症が原因で、とくに金融機関の不良債権処理の対応遅れが金融システム不安を招き、その破たん処理などに追われるうちに、デフレ経済に陥ってしまったと言っていい。そこへ、グローバルな経済がスピードの時代、マーケットの時代のもとで、1つの国や地域の経済現象があっという間に、他の地域に伝播、波及していくフラットな経済の時代になった。とくに、中国やインドなど新興経済国の動き、中でも低コストのさまざまな製品やサービスが低価格を武器に日本はじめ先進国だけでなく世界中に波及し、それが新価格体系をもたらした。その影響をもろに受けたのが当時の日本経済だ。折からのデフレ経済状況のもとで、中国などの低価格の新価格体系は砂漠に水が浸み込むように、経済に浸み込んだ。日本国内の企業にとっては、企業物価やサービス価格を引き上げることで収益確保をといったことは、夢の夢状態になってしまった。

経済の需給ギャップは過去最悪のマイナス7.8%、40兆円の需要不足
 もちろん、それだけでない。日本国内の需要不足も深刻で、これがデフレの長期化を誘発している面もある。内閣府が国内総生産(GDP)をもとに日本経済の需要と供給差を推計する需給ギャップは今年4-6月期時点でマイナス7.8%と言われており、このマイナス幅は過去最低レベル。そして、この需給ギャップは、需要で見た場合、実に40兆円の需要不足状態にある、という計算なのだそうだ。
要は、この需要が高まらないため、物価も勢いを失うどころか、需要喚起のための値下げ競争が活発になり、それが下手をすると物価の押し下げ圧力になってしまうリスクさえ出てくる。しかしマクロ政策面では、放置できなくなり、この需要不足を財政刺激で、という発想になって、かつてはケタ外れの財政資金がつぎ込まれたりする。しかし、過去の政策効果を見た場合、そういったケタ外れの財政資金のつぎ込みは、際立った効果をあげていない。つまりは、需要喚起に財政がどこまで有効なのかどうか、デフレ経済状況のもとで、なかなか見極めがつかないのが偽らざるところだ。だから、冒頭にも述べたが、今回の財政刺激策も、また日銀による金融機関を通じた10兆円の資金供給も即効性はなかなか期待できないように思える。むしろ、ジワリジワリと企業心理などに影響を与え、それが設備投資マインドなどを誘発するのを期待することかもしれない。

省エネのLED電球値下げが需要刺戟の好例、競争のプラス効果を期待
 ただ、これだけデフレ経済の長期化が続いても、経済の先行きが真っ暗で、誰もが浮かぬ顔になり、経済活動も沈滞したままかと言えば、もちろん、そんなことはない。最近も省エネと寿命の長さで話題になっているLED電球が大手電機メーカー間の競争で大幅に値下がりした結果、これが家庭での電気代の節約にもなると、蛍光灯などから需要シフトし、いま、爆発的な需要増になっている。ユニクロが独自のビジネスモデルでコスト削減しながら流行をうまくつかむ低価格の新製品を出して、売上げを伸ばし、収益増を図っている。さらに、大手スーパーのイトーヨーカ堂やイオンも円高還元やキャッシュ・バックの値下げセールをしたら、これが売り上げ増につながっている。値下げで需要喚起するにしても、数量効果が出てこなければ、値下げによる低価格だけが定着し、企業物価のデフレ状況を生み出す結果だけに終わることになるかもしれないが、少なくとも、いま上げた企業の値下げ競争は大きな需要増につながっていることだけは確かだ。
 しかし、ここで、私は言いたいのは、経済のデフレというから、何か経済が委縮するような受け止め方になってしまうが、すでに述べたように、いまの経済は「アラ・ゼロ成長」「アラ・ゼロ物価」の時代で、仮に成長に少し弾みがついたとしても、経済成長や物価の伸びは2%ぐらいか思えば、気が楽になるのでないか、ということだ。経済成長5、6%の経済に持っていかねばならないといったおかしな至上命題をつくったりすると、マクロ政策的に無理が来てしまうのだ。むしろ、今後の人口減少を前提として、日本経済の制度設計を改めると同時に、マクロ経済政策面でも環境にやさしい、そして人口減少に伴って縮小が避けられないマーケットサイズに合わせた経済システムにすることの方が重要でないだろうか。

民間企業も時代先取りチャレンジを、アジア地域統合に関与し拡大内需の発想も
 ただ、それとは別に、規制に関しては、緩和どころか、大胆に撤廃の方向で、新規需要の創出を考える方向に政策を持っていくことも必要だ。タクシー業界に対する規制緩和が思わぬ業界の委縮をもたらし、再び規制の方向に行くチグハグぶりもあるが、今後の規制改革に際しては、こういった事前検証をしながら、規制外しによる新規需要創出をめざすべきだ。需要創出というのは、お上(かみ)にばかり頼るべきでない。むしろ、民間企業の間でも創意工夫やイノベーションでいくらでも需要創出へのチャレンジを行えばいいのだ。
 あとは、私の持論だが、狭い日本国内の内需拡大ではなく、この4文字をひっくり返して拡大内需、つまり世界の成長センターのアジアのそばにいるチャンスを活用して、アジアの地域経済統合に積極的に関与し、アジアの域内地域を日本の拡大内需市場と見て、チャレンジすればいいのだ。その点での需要掘り起こしのチャンスはいっぱいある。こうしてみると、デフレだ、大変だと閉そく状況に陥っていること自体が馬鹿げているということにならないだろうか。

どこへ行った「観光立国・日本」、新設の観光庁の顔が見えず開店休業? 外国人に「日本は魅力に欠ける」と言われるリスク、もっと戦略的工夫を

 閉そく状況に陥っている日本にとって、ゴルフでいうリカバリー・ショットのようなものが、何としても必要だ。そんな時に、政府が打ち出した「観光立国・日本」を思い出し、いったいどうなっているのだろうか、と首をかしげてしまった。というのも、戦略センターとして、政府が2008年10月に国土交通省の外局に観光庁をつくったのだが、顔がまったく見えず、開店休業なのかと思ってしまうからだ。ある関係者が「かんこうちょうっていうのは、官公庁のことかと思った」と皮肉っぽく言うほどだから、推して知るべしだが、その意味でも、観光庁は矢継ぎ早に新戦略を打ち出し、行動に移してほしい。
 ところが、12月9日に、政府は、観光立国推進本部の初会合を開いたのだが、率直に言って、「まだ、そんな議論をしているのか」と感じさせる状況だった。政権交代したこともあっての推進本部の初会合とはいえ、観光庁自体は、1年以上も前に発足していること、民主党政権のもとでの前原誠国土交通相ら政務3役の新体制になっても3カ月たっていることを考えると、その初会合の内容が、何ともスピードの時代に対応しきれていない、スローモーなのだ。

スピードの時代に対応しきれずスローモーなのはなぜ?
 具体的にいえば、推進本部内に3つの部会を置き、このうち中国からの観光客増加をねらった中国人向けの個人観光ビザの発行条件緩和に関しては、年明け1月下旬をめどに、一定の方向付けをするそうだが、それ以外の2つの部会については、都市と農村の交流につながるグリーンツーリズム、環境に配慮したエコツーリズムに関する部会、そして国内の観光需要の拡大をめざした休日の分散取得などを促す制度の枠組み検討の部会はいずれも来年6月までに具体策をまとめるというのだ。
 こんなテーマは、観光庁がスタート後、当然のごとく議論しているべきものばかり。そして政権交代とは無関係に、推進会議初会合と同時に観光庁が取り組み課題、対応方針案を提示できるようにしておくのが行政本来の行動だ。そのこともさることながら、初会合では「観光立国・日本」の方向づけがさっぱり見えてこなかった。たとえば、2007年1月にスタートした観光立国推進基本法、それにからむ基本計画の中身に関して、新政権のもとで、計画目標の前倒しなどスピードアップを図るとか、新たに、この分野の問題を計画に加えて推進体制の強化を図る、といったものが今回の観光立国推進本部の初会合で出てくるべき筋合いのものだった。ところが現実は、それら前向きのものが見受けられなかった。重ねて言えば、信じられないほどのスローモーぶりで、あきれ返るばかり。

そればかりでない。実は、その初会合の2カ月前の10月1日に、前原国土交通相ら政務3役はじめ本保芳明観光庁長官ら政府側と生田正治氏(観光庁アドバイザリーボード)、桑野和泉氏(大分由布院温泉観光協会長)ら民間側関係者による「今後の観光庁および観光政策に関する懇談会」が開催されている。この時が政権交代後の新政権下での担当閣僚らによる実質的な初会合であり、ここをスタートに機敏な行動をとれば、よかったのに、言い放しに終わっているだけだった。

前原国土交通相が「観光分野は成長戦略の核になる」と言い切っているのに、、、
 この懇談会では、それなりに問題提起がされている。観光庁のインターネット上のホームページで議事概要がご覧になれるが、前原国土交通相はこの会合の冒頭あいさつで、「我が国の将来にとって、いかに成長分野をつくり育てていくかが重要であり、観光分野は成長戦略の核となり得る」「国際観光については、2020年までに訪日外国人旅行者数2000万人という目標があるが、達成時期を前倒ししたい。パリは年間6000~7000万人の外国人が訪れている。そのからみで言えば、我が国が(東京などの1都市でなくて)国全体で2000万人という目標は低いのでないかと思っている」と、取り組み姿勢を打ち出している
また、観光庁アドバイザリーボードの生田氏(元日本郵政公社総裁、元商船三井社長)は「今後伸ばすべき産業として、観光の経済的な意義は大きい」と述べると同時に、「観光庁が典型的なタテ割り行政構造になっていて、その弊害によって、権限の範囲が限定的であるため、戦略的な施策がとれない状況だ」とし、民主党政権が政治主導でそれら弊害の除去に取り組むべきだと主張している。  さらに、懇談会に出席した日本経団連観光委員会委員長(JR東日本会長)も「観光に対する意識を変えることが必要だ。観光は物見遊山ではなく、国際平和に寄与するソフトインフラであり、地域活性化へ向けた国家戦略として位置付けるべきだ」と述べている。

観光産業興しは内需振興がらみでも重要だが、外国人との交流が断然プラス
 観光に関しては、内需振興のからみ、とりわけ地域経済再生や地域雇用といった景気対策といった面だけでなく、日本再発見のチャンス、都市と農村との交流を深めながら自然の豊かさの享受など、国内観光1つとっても、いろいろな広がりがあるだけに、取り組むことがもとより重要だ。
しかし、私は、それ以上に、海外から外国人観光客を日本に呼び込み、消費などによって日本でおカネを落としてもらうということよりも、むしろ、日本人とのさまざまな交流チャンスをつくり、それら外国人に日本という国がどんな国なのか、どういったアイデンティティを持った人たちの集まりなのか、まだ、それなりの戦略的な強みを持っていて見捨てがたい国なのか、アニメ、技術力、日本食文化などソフトパワーでは魅力ある国と見るのかどうかなどを率直に見て、評価してもらうこと、もし魅力があれば帰国して口コミで、ぜひ日本という国のことを多くの仲間に語ってもらいたい、そのきっかけを観光というツールで実現したらどうかというのが私の考えだ。

日銀OBの額賀氏は交流・観光を中心にした「交流立国」論を展開
 私の友人で、日銀OBの額賀信氏(ちばぎん総研社長)が同じような問題意識で、観光を通じた交流こそが日本経済の蘇生のカギだと主張されている。額賀氏は著書「『日本病』からの脱出」の中で、交流・観光を中心とする「交流立国」こそ、産業政策のめざすべき1つの方向だ、と述べておられる。その主張ポイントを少し引用させていただこう。
「1990年代以降、日本経済を特色づけた問題は、需要不足だったが、本格的な人口減少が始まると、その需要不足に一段と拍車がかけられる。人口減少社会では需要を補てんし経済活力を維持するためには、おカネを使う人に来てもらうしかない。定住人口は増えないから、交流人口の増加で定住人口の不足を補うのである。人口減少社会の産業政策を考えると、必然的に交流の重視、観光をテコにした所得創出に至る」という。
さらに、額賀氏によると、「観光振興による交流人口の取り込みという分野は、明らかにこれまでの日本が最も遅れ、一方、これからの日本が最も必要とする分野である。交流を通じる幅広い相互理解の向上は、同時に国の安全保障に基礎を強化する。観光産業は、積極的に平和に寄与する平和産業という意味でも、21世紀的な未来を切り開く力を持っている。人口減少社会の経済活力を取り戻すために、国を挙げて、観光・交流による経済振興を柱とする『交流立国』をめざすべきなのである」と。

日本大好きの外国人に海外で「日本観光大使」を任じてもらうのも一案
 共同通信が、11月からカナダの国際オリンピック委員会の広報担当に就任したアンドルー・ミッチェル氏を人物紹介しているが、われわれにとって1つのヒントになる。というのは、ミッチェル氏は、カナダのブリティッシュコロンビア州出身だが、1995年に日本の中学生に英語を教えるプログラムで茨城県かすみがうら市に3年在住、そのあと東京で英字紙の記者となり2005年にはスポーツ担当記者としてサッカーのワールドカップドイツ大会に日本から出張取材するなど、日本在住歴が14年という親日家。もちろん日本語はベラベラ。ラーメンとギョーザが好物で、外見はカナダ人だが、心は日本人という。要は、日本が、このミッチェル氏のような日本大好きの外国人に「駐カナダ・日本観光大使」の肩書を与えて、自ら感じる日本観を多くのカナダ人、あるいはカナダ冬季オリンピックに来るさまざまな人たちへのメッセンジャーになってもらってもいい。その口コミが、日本っていう国は面白そうだなとなってくれればしめたものだ。
 笑うに笑えない話がある。私の友人が実際に経験した話だが、山形県と宮城県の県境に広がる蔵王スキー場のうち、山形県側の蔵王温泉スキー場で、雪に興味を持つ中国のニューリッチの若い人たちがホテルに泊まりがけでスキートレーニングを受けた際のこと。温泉の観光協会はもとよりだが、ホテルも中国語のできる人がほとんどいないうえ、中国語で書かれた案内書もなく大慌て。ところがこのニューリッチの中国人はスキーをマスターしようと躍起ホテルに1週間近く滞在する上客ながら、ホテル側にとっては想定外、逆にホテル側があてこんだ日本人の若者たちはと言えば、ほとんどがゲレンデでスキーはするが、ホテルには宿泊せず、運転してきたワンボックスカーに寝泊まり。日本人の若者は蔵王温泉のホテルにはおカネを落とさずスキーだけ楽しみ、逆に上客であるはずの中国人向けには何の準備もなし。北海道と並んで東北のスキー場が中国人観光客の間では口コミで人気を呼んでいるのに、地元観光協会、それにホテル側の対応が外国人観光客対応になっていないまずさなのだ。

外国人観光客への観光インフラ皆無の悲しさ、観光庁は行政仕分けで「不要」も
 これに似た話は、九州の宮崎県でも聞いた。大分県の別府温泉には韓国人の観光客がよく来ており、地元の観光協会などもハングル文字の案内表示はじめ、さまざまな工夫をしつつある。ところが、宮崎県は、別府からさらに宮崎まで足を延ばす韓国人観光客を呼び込もうと必死ながら、観光地にはまだまだ受け入れ準備体制が整っておらず、おカネを落としてくれる韓国人観光客がまたぜひ来ようという気を起こさせる状況に至っていない、というのだ。これは地方に限らず東京や大阪の大都市でも、最近でこそ、JR東日本の電車、さらに地下鉄で英語のアナウンスをするようになり、少しは観光客にやさしくなってきたが、まだまだ合格点を上げる状況でない。「観光立国・日本」の戦略づくりという以前のお寒い状況なのだ。観光庁はタテ割り組織の弊害で身動きとれずなどと泣いてばかりいると、今度は行政仕分けで「不要」の烙印を押されるリスクがあることに注意を払うべきだ。

どうした民主党政権、「期待・不安半分」がいつの間にか「不安増大」に 内閣支持率の急低下も気になる、鳩山首相が政治的指導力強め求心力を

最近の鳩山民主党政権はいったいどうなっているのだ、と思わず口に出てしまうほど、鳩山由紀夫首相の指導力の欠如ぶり、優柔不断さ、軸ぶれが目立ってきた。とても気になる。そればかりでない。当初から危惧されたことながら、与党民主党の小沢一郎幹事長との二重権力も目立ち、政権基盤が急速に弱くなってきている。私自身、第60回コラムで、連立与党代表の亀井静香郵政・金融担当相の日本郵政の社長人事での強引な振る舞いに関連して「期待半分・不安半分の民主党に不安が表面化してきた」と書いたが、今回は鳩山首相自身の指導力について「不安が増大」と言わざるを得なくなった。
 メディアの内閣支持率に関する最近の世論調査結果も、それを反映している。時事通信が12月18日に発表した調査結果(12月11~14日調査)では、鳩山政権の内閣支持率が2カ月連続で低下したうえ、前月比7.6%ポイント減の大幅ダウンの46.8%と、政権発足以来、初めて50%を割り込んだ。一方で、不支持率は前月比7.5%ポイント増の30.3%と初めて30%台になった。支持と不支持の差がぐんと縮まってきているだけでなく、不支持率が大きく弾みをつけて上昇していることが気になる。

客観性を持たせる意味で、同時期に行われた他のメディアの世論調査結果も見てみよう。まず、読売新聞が時事通信発表の翌日12月19日に出した世論調査(12月18~19日)結果では、鳩山政権の内閣支持率は55%で、前回調査(12月4~6日)から4%ポイント下落した。同じく不支持率も4%ポイント上昇の33%となっている。また、毎日新聞がさらにその翌日の12月20日に発表した世論調査(12月19~20日)結果では鳩山政権の内閣支持率は読売新聞と同じ55%ながら、前回調査(11月21~22日)よりも実に9%ポイント下落した。逆に不支持率は前回比13%ポイントと大きく上昇し34%となっている。毎日新聞調査の場合、支持、不支持とも変動幅が大きい。

不支持率急増は鳩山首相の「リーダーシップがない」「指導力に期待が持てない」
 何が支持率急落、不支持率急上昇の原因か、それぞれのメディアの世論調査から探ってみよう。時事通信調査では、不支持の理由が鳩山首相の「リーダーシップがない」に集中し、前月比10.2%ポイント増と3倍増の14.5%だった。また、「鳩山内閣を実質的に動かしているのは誰か」については、小沢幹事長と答えた人が71.1%にのぼり、鳩山首相は10.6%にとどまった、という。
また読売新聞調査では米軍普天間飛行場移設問題の年内決着断念という政府対応を「評価しない」が51%、「日米関係にマイナスの影響を与える」が68%にのぼり、これが鳩山内閣支持率ダウンの背景になっている、という。また、民主党、社民党、国民新党の3党連立の枠組みを評価するかどうかに関して「評価しない」が64%にのぼり、民主党が国民新党などに振り回されている事態に不満が多いようだ、と読売新聞は分析している。
また、毎日新聞の世論調査も読売新聞と同様、米軍普天間飛行場移設問題の対応を評価しない、との回答が51%、鳩山政権の対米外交に関しても「心配だ」が68%となっており、読売新聞とまったく同じ基調だ。毎日新聞は「普天間問題などをめぐる対応の迷走が鳩山首相の指導力不足を印象付け、支持率低下につながった」と分析している。しかも、不支持の理由は「鳩山首相の指導力に期待が持てない」という回答が前回11月時点の16%から一気に42%に増加している。

政権交代の期待を担っての登場だけに「裏切られた」が強まればこわ~い事態も
 鳩山内閣の支持率が政権発足直後の9月時点では、ほぼ各メディアの世論調査で77%前後の支持率となっており、歴代政権の中では第2位に位置するものだった。もちろん、世論調査の数字に一喜一憂することはない、という見方もあるかもしれないが、わずか4カ月ほどで、30%ポイントもの内閣支持率の数字が落ち込む、と言うのは、どう見ても普通ではない。というよりも、異常な事態だ。
 旧自民党政権でも、似たような落ち込みを見せた不人気政権があったが、鳩山政権の場合、重要なことは、政権交代という言葉が今年の流行語大賞になるほど、有権者や国民の大きな期待を担って政権交代した。言ってみれば、さっそうと、しかも大きな期待を担って登場した政権だけに、その期待の強さが失望、あるいは裏切られた、と言った受け止め方になって、時計の振り子が大きく反対方向に振れると、鳩山政権にとっても、かなり厳しい事態となる。とくに、この裏切られた、といった受け止め方、それを裏付けるおかしな政治状況があと2、3カ月続けば、民主党にとって、アゲインストな状況になる。民主党が必勝を狙う来年2010年7月の参院選での勝利はまず期待できないと言っていい。

鳩山首相の「首相判断」があいまい、優柔不断なのが問題
 それにしても、なぜ、民主党政権は一気に、国民や有権者の支持を失う結果になったのだろうか。私は、経済ジャーナリストなので、主として、経済問題に関する政権の対応を見てみたい。結論から先に言えば、トップリーダーの鳩山首相の「首相判断」があいまいで、発言がぐらつくところに最大の問題があった。各省庁で大臣、副大臣、政務官という政務3役による脱官僚、政治主導の政策決定のシステム導入は、試行錯誤の面もあったが、これまでそれなりに機能し始めていた。ところが、この政策決定システムに連立与党の政策協議などが加わり、とりわけ亀井郵政・金融担当相のような、旧自民党体質丸出しの思いつきでの政策提案などが入り込んできた。このため、政権としては、鳩山首相の裁断を仰ぐという形で「首相判断」に行くケースが増えたが、肝心の鳩山首相の判断が優柔不断であったり、「私が決める」と言いながら、問題先送りするだけだったりケースもあり、次第に不信感を募らせる結果となった、というところでないだろうか。
 いくつか具体例を挙げることができる。マニフェスト(政権公約)の実行をめぐっての鳩山首相の言動だ。まず8月末の総選挙での演説では「マニフェストに書いたこと、約束したことは、民主党は必ず実現する」と言っていた。政権を担当してからの10月28日の衆院本会議での代表質問に対する答弁では、鳩山首相は「マニフェストは国民との契約だ。必ず実現する。仮に達成できない事態に至ったら、私としては責任をとる」と述べた。この間、若干の不規則発言もあったが、大きな流れは、政権公約に沿って政策遂行する姿勢を変えていなかった。

民主党のマニフェストを実行に移すのは重要だが、フレキシブルさも必要
 ところが12月2日の国会内での講演で、鳩山首相は「国民が望まないものを強引に押し付けるのはいかがなものか」とトーンダウン、さらに2週間後の12月17日には「国民の思いや経済状況はいろいろ変化する可能性もある。柔軟性が求められるのが政治でないか」と述べた。聞きようによっては、鳩山首相としては、民主党が総選挙でマニフェストを政権公約として約束したのは事実だが、金科玉条のように断固実行する、というものでもない、国民の受け止め方が重要ながら、状況によってはフレキシブルでもいいのでないか、と言いたげだ。
 同じ政権内部で年金問題のスペシャリストとして厚生労働行政に携わることになった長妻昭厚生労働相は、就任第一声が「私は、大臣として、マニフェストを忠実に実行する」と発言し、厚生労働官僚に対しては、「マニフェストをしっかりと勉強しろ」と指示しただけに、鳩山首相のこの後退ぶりをどう受け止めるのだろうか。
しかし、私は、実は、民主党のマニフェストに関しては、基幹部分に関しては、国民の支持を得て政権交代を果たせたのだから、当然、政策公約として実行に移すのがスジだが、経済状況に応じて柔軟に対応せざるを得ないものに関しては、むしろ、政策の軌道修正も必要だ、と思っている。現実問題として、野党時代につくった政権公約が、いざ、実際に政権を担ってみて、見通し判断が甘かった、という政策、あるいは経済状況が大きく変わっているため、状況に対応して、フレキシブルに対応すべきものといった政策もある。そうしたものまで、マニフェストを民主党憲法のように頑なに守るよりも、まずは経済のデフレ状況に対応した政策を機敏に打った方がいい、という問題もあるはず、と思っている。

鳩山首相は政権のトップリーダーとして緊急記者会見で強いメッセージ発信を
 そこで、私が言いたいのは、鳩山首相が必要に応じて、緊急記者会見を開き、大胆に政策の軌道修正をせざるを得ないものがあれば、有権者や国民に強くアピールすればいいのだ。早い話が、経済の低迷で税収が落ち、新年度の政策需要を満たすためには、「埋蔵金探し」によって新たな財源確保を図るが、緊急避難的には、国債発行に頼らざるを得ない、といったことを記者会見で訴えればいいのだ。このあたりの説明がないまま、平野博文内閣官房長官が定例記者会見で、逃げの姿勢で対応するため、結果的に、鳩山政権の経済政策が混迷状態、という印象だけ与える結果になってしまう。
 要は、鳩山首相は、政権のトップリーダーなのだから、まずは毅然とした政策方針を打ち出し、経済の先行きについて、いい意味での方向づけをすべきだ、と思う。現時点では何のメッセージも発さず、ただただ状況に流されているだけ、という印象を与える。いま多くの有権者や国民が求めているのは、鳩山首相の強いリーダーシップ、とりわけ先を見据えた経済成長戦略、そして日本がどういった道筋をめざしているのか、その方向づけなどを力強くメッセージ発信してほしい、というところでないだろうか。

中国経済がGDP世界第2位になっても驚かず、経済の勢いの差は歴然 日本にとって「追いつき追い越せの時代」は終えん、量よりも質的な成長めざせ

 中国が今年2010年に国内総生産(GDP)で米国に次いで長い間、世界第2位だった日本を追い抜くのは確実、と言われている。GDPをめぐって、日中が地位逆転するのだ。しかし私に言わせれば、中国経済の今の勢いから見て、当然の成り行きであり、何も驚くに当たらない。むしろ、中国が壮大なる途上国から中進国へと、一歩を踏み出したことに拍手喝さいだ。
 日本もかつては「経済成長面で先進国を追いつき追い越せ」をまるで国家目標のようにして、一種の国家主導での供給先行型の経済成長政策をとってきた。しかし、その行き過ぎが、環境破壊や公害はじめ所得分配の不平等への不満など、成長政策のひずみをもたらした。その結果、「くたばれGDP」が1つの時代のテーマになった。

そういった意味で、13億人というケタ外れの巨大人口を抱える中国にとっては、国内の沿海部と内陸部の間の所得、地域格差の是正によって、国民1人当たりの所得水準をどこまで引き上げることができるか、率直に言って、それは今後の大きな政治課題だ。日本との1人あたりの平均国民所得面では、10分の1と、まだかなりの開きがある。中国政府としては、かつての日本が、経済成長のパイを大きくすれば、国民1人あたりの所得水準も上がる、という論理で成長政策をとった政策をそのまま踏襲するだろうが、いずれ量的成長から質的成長への転換を強いられる時期が来る。それは間違いない現実だ。

日本も自らを見つめ直すチャンス、医療など課題を克服し文字どおりの先進国に
 このGDPめぐる日中逆転の問題は、日本にとっても、日本自身を見つめ直すいいチャンスだ。日本はどちらかと言えば、物質的な豊かさに満足してしまうと同時に、状況に流されてしまい、結果として、停滞や衰退を心配するハメになった。この際、成熟国家としての新たな生き方はいったいどんなものなのか、とくに医療や年金、教育など、克服すべきさまざまな課題をしっかりと見定め、古い制度的な枠組みを捨て去って新たな制度設計、社会システムの再構築をどうすればいいか、考えることが大事だ。政治が相変わらず内向きになっているのならば、民間が主導して新たな制度設計をすべきだと思う。私自身もジャーナリストの立場でその役割の一端を担おうと思っている。
 私が日ごろから尊敬する社会システムデザイン研究所長の横山禎徳氏、それに前東大総長で、現在、三菱総研理事長の小宮山宏氏はそれぞれ、似たような問題意識で共通のキーワード、「課題克服先進国」を強くアピールされている。まったく同感で、私自身も、至るところで、そのキーワードを活用させていただいている。

ポイントはこうだ。いま日本が抱える医療や年金などをめぐるさまざまな問題に関しては、中国はじめ欧米諸国のうち、共通の課題を抱える国々が、経済社会の高齢化を通して直面することだが、先行する日本が率先垂範、それらの重い課題に挑戦し、問題や課題の克服を成し遂げることが必要だ。それこそが文字通りの先進国であり、日本は「課題克服先進国」として、胸を張っていける、という考え方だ。いまや量的な成長にこだわるよりも、経済成長の質を高めることに力を注ぐべきだ、と思う。このため、質をめぐる課題を精査すると同時に、その課題克服とからめて制度的な枠組みを再構築する時代に来ていると思う。日本はいまこそ、そのことにチャレンジすることが大事だ、と申し上げたい。

日本は戦略的な強みの見定めを、中国には日本の新制度設計は学習対象に
 このこと自体、中国にとっても、これから国内的にも重要な政策課題であるはず。とくに年金制度に関しては、日本ではさまざまな課題を抱えて四苦八苦しているが、中国は別な意味で、日本の国民皆保険制度に高い関心を示している。中国の大学研究者の友人はいまだに「日本は、社会主義を標榜した中国と比べ物にならない社会主義国だと言っていい。だからこそ、国民皆保険制度を導入できたのだ。中国としては見習うことが多い」と述べている。こんな話を聞くと、気恥ずかしくなるが、中国にとっては、日本がこれから取り組むべき「課題克服先進国」のさまざまなテーマに関しては、多分、身を乗り出してくるだろう。その意味で、中国にとって、日本は極めて重要な学習対象になるのは間違いない。
 そればかりでない。日本は、この機会に、戦略的な強み、弱みを見極め、日本が経済面で強みを活かして、どういった国になっていくのか、その見定めも重要だ。中国にとっても、それは関心事だろう。その場合、私は、日本の強みである技術革新力を駆使して「科学技術立国」を全面に押し出し、とくに省エネや環境などの問題で、日本の存在感をアピールすべきだと思う。

白石アジア経済研所長「日本は先端的な科学技術を活かし縁の下の力持ちに」
 私の友人で、現在、日本貿易振興機構アジア経済研究所長の白石隆氏は1月9日付の読売新聞朝刊企画「日本の進路 第1部 識者は語る」の中で、私が申し上げたいことをしっかりと述べておられるので、ぜひ引用させていただこう。「日本が輝いている部分はたくさんある。省エネで賢い生活スタイルを創り出せるかもしれない。素材や部品も強みだ。電気自動車の時代が来れば、日本のモーターなしには世界は車をつくれなくなるかもしれない」「日本は覇権を求めたり、説教して回ったりする国ではない。しかし先端的な科学技術を活かして縁の下の力持ちになり、人類の生活や安全を支える――そんな役割は日本人の性に合っている。それをこなす力も衰えていないと思う」と。そのとおりだ。
 現に、私が中国の環境・エネルギー問題の調査で2008年に北京を訪れ、発展改革委員会や環境保護総局(当時)、精華大学などで話し合った際、日本は中国との相互補完は十分にあると思った。ある中国人専門家が「中国は今、経済成長によって、日本を含めた海外から環境技術などを買うことができる。しかし、最新鋭の設備などハードウエアを買っても、それをメインテナンス(維持管理)する技術、ソフトウエアの面ではまだまだ立ち遅れており、日本に依存するところ大だ」と述べた点だ。

日本は現代版「三国志型」の日米中連携を、米中に踏みつぶされない戦略軸必要
 さらに、私の「時代刺戟人」精神で言えば、日本は、この際、自らの立ち位置をはっきり決め、そのうえで、中国とはさまざまな連携をしていくことが大事だ。その場合の立ち位置に関しては、この「時代刺戟人」コラムの第2回でも申し上げたが、私の持論は、日本が現代版「三国志」型の日米中連携で臨むべきだ、ということだ。
 「三国志」は、中国の魏と呉、それに蜀という3つの国が、ある時は魏と呉が、またある時は魏と蜀がそれぞれ緊張関係を保ちながら連携、あるいはけん制し合って互いに権謀術数の外交を展開して生き残りを図る、というものだったが、これを現代に置き換えて、日米中の3つの国の関係にも、それを当てはめればいい。
この場合、日本は、仮に中国に問題があれば、中国をけん制し、その行動に自制を求めるため、米国と連携して揺さぶりをかける。逆に米国に問題が生じた場合、日本は躊躇なく中国と連携して米国の行き過ぎた動きにブレーキをかけるようなアクションをとる。最大の問題は、日本に問題が起きた場合、米中が連携すれば、日本は踏みつぶされるリスクがある。そこで、日本は外交の座標軸、戦略基盤を東南アジア諸国連合(ASEAN)に置けばいい、と思っている。しかし、日本は日米同盟を軸に対米依存の強い外交展開だったので、ASEANからは、どう受け止められるかどうか気がかりだ。その意味でも、日本はこの機会に、戦略軸の見直しが必要だ。

マルティール元マレーシア首相は日中連携でアジア経済共同市場づくりを主張
 そうしたことを踏まえて、日本は、GDP第2位となる中国とはアジアで連携するチャンスも大だ。日本は、中国と手を携えて世界の成長センターのアジアの経済「底上げ」、もっと言えばアジア地域経済共同市場づくり、制度的な枠組みづくりで協力しあうことが十分に可能だ。いま、中国は、13億の人口に消費購買力をつけ、いまや「世界の工場」としてよりも「世界の市場」として存在感を強めている。他方で、日本は、すでに述べたように省エネ、環境などの技術面でのサポートのみならず、政策面はじめ、さまざまな分野でアジアに貢献が可能だ
マレーシアの元首相で、いまだに隠然たる力を持っているマハティール・モハマド氏も朝日新聞の今年1月1日付の「ジャパン・アズ・NO3」という企画で、日本と中国が過去の歴史的なわだかまりを捨てて、欧州共同体(EU)市場づくりでライバル同士の連携を見せたドイツとフランスの例を引き合いに「60数年前の過去は過去として受け止め、わだかまりを引きずるべきでない。日中が争えば、このアジア地域のみんなが苦しむことになる。ドイツ、フランスにできたことが、東アジアでできないはずがない。平和があってこそ、経済的にも繁栄できる。日本が中国を恐れず、中国が日本を恐れなくなれば、その時こそ、この地域の本当の発展が見えてくる」と。素晴らしいメッセージだ。

小沢氏の政治とカネ疑惑解明は当然必要、だが東京地検の捜査も異常 正義より組織論理が先行?リクルート事件の江副氏や「国策捜査」の佐藤氏が好例

日本の外ではさまざまな地殻変動が起きつつあるというのに、日本国内は相変わらず内向きになっていて、外に目が行く余裕がない状況だ。その最たるものが、今や日本の最高権力者とも言える小沢一郎民主党幹事長が、東京地検特捜部と全面対決する構えでいることだ。しかも、小沢氏自身の権力志向の強さ、周囲を怖気(おじけ)づかせるような有無を言わせない強引さ、開き直りが災いして、世の中を暗い気分に陥れてしまっている。政治リーダーたるものは、本来ならば、時代の先を見据えて、国民にわくわく感を抱かせる政治ビジョンを高らかに打ち上げるのが責務ではないのか。
 それにしても小沢氏は頑なだ。自身の政治資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる問題が政治資金規正法違反の形で東京地検の強制捜査の対象になったことに対し、小沢氏は1月16日の民主党大会で「到底容認できない。こんな捜査がまかり通れば日本の民主主義は暗たんたるものになる。断固として闘う」と対決姿勢を鮮明にした。しかも民主党が党内に「捜査情報漏えい問題対策チーム」を組織し小沢氏をバックアップする異常さだ。ただ、この問題をめぐる主要メディアの世論調査で、小沢氏辞任を求める世論が一気に高まり、その比率が全体の70%前後という高率に及んだこと、そして民主党政権の内閣支持率も落ち込んだことから、突き放す姿勢だった小沢氏も、7月の参院選への影響を急速に意識したのか、東京地検の事情聴取には応じる姿勢だけは見せている。

私は経済ジャーナリストなので、この「時代刺戟人」コラムの場で、政治や検察の問題に関して、論陣を張れるような材料を十分に持ち合わせていない。とはいえ、政治家と検察の全面対決の動向にはジャーナリスト特有の好奇心と関心があり、とくに政治とカネにまつわる不透明な、もっと言えば暗部(あんぶ)のような部分に関しては、疑惑があれば東京地検に徹底して解明してもらいたいと思っている。ただ、その期待とは別に、東京地検特捜部という、政治権力と相対峙(あいたいじ)する組織には、以前から、いくつか気になる側面があり、この機会に、私なりに、スポットを当ててみたい。

沖縄密約問題での政治混乱避けるため、東京地検が世論を別方向に誘導画策
 「おかしい。東京地検は、法の正義を全面に押し出して巨悪に迫る組織であることを標榜しているのに、実は体制保持のためには、なりふり構わず政治的に動くことが大いにあり得る組織なのだ。国策捜査によって法権力の行使も辞さずとする官僚組織であるというのは言語道断だ」と思わず感じたことがあるからだ。
それは、私がかつて在籍した毎日新聞で、1971年から72年にかけて、政治部記者の西山太吉氏(当時)が沖縄返還時の対米外交密約の存在をスクープ報道したことに対し東京地検特捜部捜査のえげつなさ、なりふり構わぬやり方を、ずっとあとになって知った時だ。この対米外交密約問題に関しては、第45回のコラムで取り上げており、ぜひ、ご覧いただきたいが、東京地検は当時、西山氏を国策捜査で逮捕、そして起訴に追い込むに際して、密約問題をあいまいにするため、西山氏の私的スキャンダル問題にすり替え、世論誘導する巧妙かつしたたかな国家の意思を働かせたのだ。
 具体的に申し上げよう。事件を当時担当した東京地検特捜部の佐藤道夫氏がその後、参院議員に転じてテレビ討論などの場で「外交密約の存在が問題になれば政治混乱が避けられないこと、『国民の知る権利』の封殺、記者逮捕は言論弾圧と騒いでいる知識層やメディアの論調をかわす必要がある、との判断から突如、世論を別方向に持っていくことを思いついた。それは、新聞記者が外務省高官秘書の女性と情を通じて最高機密の電信コピーを入手したのはけしからん、という形での世論誘導だ」と述べた。佐藤氏は昨年(2009年)亡くなったが、そのことを自慢げに話すのを聞くにつけ、当時を知る私などは、本当に悔しい思いをしたのを今でも憶えている。

検察は政治的に中立のはず、今回の小沢氏周辺の強制捜査タイミングに疑念も
 私に言わせれば、東京地検は政治的に中立であるべきだと思っている。ところが、この対米外交密約問題に関するメディアのスクープ報道に関しては、佐藤氏が自慢げに話したように、当時の東京地検は「外交密約の存在が問題になれば政治混乱が避けられないため、世論を別な方向に誘導する」という形で、まずは守るのは当時の政治体制だったのだ。
そのからみで、今回の強制捜査の問題を考えると、何とも奇妙なタイミングとも言える。民主党政権が予算案審議を行う予定の通常国会開会直前の1月15日にあえて強制捜査を行ったこと、しかもその翌日16日には民主党が党大会を開いて今年7月の参院選での党公認候補発表する政治的演出を予定していたことーーなどの出鼻をくじく結果になっている。強制捜査のタイミングからすれば、考えようによっては、東京地検には、ひょっとして旧自民党政権をよしとし、現政権にダメージを与えることに思いが至ったのだろうか、政治的に中立であるべき検察に何かあるのかと、思わず感じさせてしまう部分がある。
 その点で、話は地方政治レベルに移るが、興味深い話がある。元東京地検特捜部検事で、その後の弁護士時代に石橋産業手形詐欺事件に関与して実刑判決を受け弁護士資格をはく奪され収監中の田中森一氏が、ジャーナリストの田原総一朗氏との対談集「検察を支配する『悪魔』」(講談社刊)の中で、こう述べている。「(大阪地検にいた際)大阪府知事の金庫番だった出納長が隠し預金5000万円が岸知事に渡っている事実を内定で固め、汚職事件にしてやろうと意気込んでいました。検事冥利(みょうり)につきるものです。そこで、正式に捜査の許可を求めに上に行ったら、村上流光検事正から『ダメだ。たかだか5000万円で大阪をまた、共産党知事の天下に戻す気か。お前は、どこを向いて仕事しとんじゃ』と怒鳴るのです。大阪では保守系の岸昌知事が当選するまでは長らく共産党系の知事が続いていたため、検察の捜査で大阪府を共産党の政治に戻すのか、というわけです」と。これも政治的中立とは一線画する話で、まったくの驚きだった。

鈴木衆議院議員と外務省・佐藤氏逮捕で東京地検の「国策捜査」が一気に有名に
 国策捜査という点で極め付きは、鈴木宗男衆院議員と一緒に逮捕された元外務省主任分析官だった佐藤優氏の2002年5月の逮捕は、いまだに記憶に新しい。佐藤氏は記憶力抜群に加えて、メモ魔ともいうほど、収監されての取り調べにあたった検察官とのやりとりを克明にメモに残しており、それを後日、「国家の罠(わな)」(新潮社刊)で国策捜査という形で、問題を浮き彫りにしている。このあたりは、佐藤氏自身が著書で描いている東京地検捜査の実体を引用させていただくのがいいと思うので、少し活用させていただく。
 「検察は基本的に世論の目線で動く。小泉政権誕生後の世論はワイドショーと週刊誌で動くので、このレベルの『正義』を実現することが検察にとっては死活的に重要になる。鈴木氏と外務省の間にとてつもない巨悪が存在し、そのつなぎ役になっているのが、ラスプーチン=佐藤優らしいので、これを徹底的にやっつけて世論からの拍手喝さいを受けたいというのが標準的検察官僚の発想だろう」と、佐藤氏は著書で述べている。すごいのはそのあとだ。佐藤氏を取り調べた西村検事は「この事件は横領でも背任でもどっちでもできる。(中略)あんたはわかっていると思うが、これは鈴木宗男を狙った国策捜査だからな」というくだりだ。当時の小泉政権にとっては、田中真紀子外相(当時)と鈴木氏との確執が混乱を招き、鈴木氏周辺にあった対ロシア利権がらみでの問題で、佐藤氏を巻き込んでの国策捜査で政治的排除を図ろうとしたことに対して東京地検特捜部がコミットした、というのが一般的な見方として定着している。

リクルート事件での江副氏への東京地検の検事調書取りも問題多かった
 これ以外にも東京地検特捜部がらみで、これは問題だなと思ったのは、リクルート事件捜査だ。最近読んだ「リクルート事件・江副浩正の真実」(中央公論新社刊)で、江副氏自身が、さきほどの外務省の佐藤氏と同様、逮捕こう留中に検察官の取り調べのやりとりを暴露と言うと大げさだが、東京地検の実体を明らかにしている。
このリクルート事件は、朝日新聞の調査報道がきっかけで大きな政治を揺るがす大事件となった。企業が未公開株を株式上場前に日ごろから世話になった関係取引先に配るのは商慣習として許される、というのが証券会社関係者の一般的な受け止め方だったが、リクルートに関しては、グループ企業のうちで非上場企業の株式を政治家や霞ヶ関の高級官僚、さらには財界人に対して、買い付け資金も融資という形で譲渡し、上場後の株価の値上がり益を相手方の懐に、という点はわいろ性が高い、としたのが東京地検の捜査判断だった。
 その点で、江副氏はわきが甘いのか、お人よしだったのか、政治家を中心に、見返り利益なしに配ったことが政治、官僚、財界の政・官・財一体の「日本株式会社」を揺るがす事件となった。間違いなく未公開株を譲渡するのはおかしい。当時、東京地検の捜査は鋭いと評価していたが、最近、江副氏の「リクルート事件・江副浩正の真実」、それにリクルート事件元被告・弁護団の提言「取り調べの『全面可視化』をめざして」(同じく中央公論新社刊)を読んで、東京地検の検事調書の取り方には問題が多いことがよくわかった。

江副氏はこう書いている。「ある時、私は神垣検事に聞いてみた。どうして『新聞にはこう書いてある』とか『夜回りの新聞記者がこう言っていたけれど、どうか』と、新聞記事や記者の話をもとに、私に対して聞かれるのですか」と。(これに対して神垣検事は)『(東京地検)特捜部の人員はたかだか30数名。新聞やテレビ、週刊誌などの記者はわれわれの数十倍いるんだ。特捜部がどこかに犯罪がないかと探しに行ったって見つかるわけがないじゃないか。(中略)リクルート事件も報道が続いているから立件することになった。新聞は世論。特捜部は世論に応えなければ権威が失墜する』と。

この著書の中で、江副氏は、東京地検が巧みにメディアを活用して状況をつくり、あるときには「メディアがこう書いている」といった観測記事をもとに江副氏自身を追い込み、東京地検のシナリオに沿った形での検事調書にサインをすることを強要する箇所が随所にあったことを指摘している。

メディアは結果として情報ほしさに東京地検の手の平に乗せられている?
 さらに、「私の心の動揺を感じとってか、検事は脅すように言った。『長期こう留で君の人が変わるぞ。それよりも、調書にひとまず署名して裁判所で争った方がいい。君のためを考えて言っているんだよ』と。何度も、そう繰り返されるうちに、検事の言うとおりだろうと思うようになり、長期こう留されたくない気持ちも募って調書の署名に応じざるを得ないと思った」と述べている。しかし江副氏はあとで誤算だったと認めているのは、いざ裁判の場では検事調書が裁判官の心証に強く影響し、裁判官に必死で反論してもあまり認めてもらえず悔しい思いをした、と述べている。
 要は東京地検の作戦勝ちだったのだが、メディアも捜査情報欲しさに、東京地検の手の中にうまく乗せられてリークと言う形での情報漏えいはなくても、何となく方向づけする形での情報提供に乗せられた、と言えなくもない。今回の小沢氏周辺の強制捜査に至るまでの土地購入資金に関する疑惑部分で、会計担当者か小沢氏のいずれしか知らない、しかも、その両者ともメディアにベラベラとしゃべるはずがない情報が新聞やテレビの報道に出てきている。これは、ある面でメディアが東京地検のリークと言う形での捜査の状況づくりに巧みに乗せられたか、あるいは表現悪いが、手を貸したとしか思えない。メディアの私の友人たちは「われわれが地検のリークに沿って、ハイ、わかりましたって書くはずがないじゃないか。複数の関係者のウラをとって、これは間違いないと思って書いている」と口をそろえて、メディアの独自取材だと主張するが、こればかりは何とも首をかしげたくなる。
私が申し上げたいのは、東京地検特捜部は政治的には中立で通し、法に沿っての正義を貫く捜査であることを説明できるように、小沢氏の政治手法の問題と同様、限りなく透明性をもってやってほしいということだ。いかがだろうか。

日本航空の法的整理、ハッキリ言って供給先行型企業成長時代の終えん 破たんに追い込んだ行政や運輸族政治も責任、日航は再生の新ビジネスモデルを

「ナショナル・フラッグ・キャリア」の名前を冠して、日本を代表する形で世界中を飛び回っていた日本航空が、何と2兆3221億円にのぼるケタ外れの負債総額、さらにグループ企業連結ベースで8676億円の債務超過という厳しい現実を背負って会社更生法の適用申請を行い、経営破たんした。今後は官民出資の企業再生支援機構のもとで公的支援を得て再建に取り組むという。巨大企業破たんだけに、米ゼネラル・モーターズ(GM)と同じ事前調整型の法的整理となったが、取引先が国内のみならず海外に及び、かつグループ企業を含めて4万8000人という従業員の多さのため雇用不安のリスクがあることなどから、政府としても清算というわけにはいかなかったのだろう。まさに大きくてつぶせない(TOO BIG TO FAIL)典型例だが、ここに至るまでに、もっと早く自助努力で企業再生を図れなかったのか、と思いたくなる。。

供給先行型経営は路線拡大し航空機投入すれば利用者はついてくる、との発想
 その点で、冷酷な言い方かもしれないが、高度成長期に多かった供給先行型企業成長スタイルの企業の終えんと言っていい。しかも日本航空は、過去の成功体験にこだわり、時代の大きな変化、あるいは先行きを見据えて、大胆なビジネスモデル変革へのチャレンジをしなかったこと、問題先送りで来たことのツケがいま、回ってきたと言えないか。私が毎日新聞経済記者時代に旧運輸省に詰めて、旧国鉄や海運業界、それに日本航空を含めた航空業界をカバーしたころから日本航空は、冒頭のナショナル・フラッグ・キャリアを旗印に、国際線で拡大戦略をとり続けていたが、一方で、プライドの高さを背景にした供給先行型の経営スタイルだった。わかりやすく言えば、国際線を中心に路線拡大を図り、そこへ航空機を当てれば、お客は自然に乗ってくる、という発想に終始し、お客のニーズに対応してきめ細かくさまざまな需要創出策を考える、という発想がなかった。
 しかし、今回の事態に至ったことに関して、日本航空に対してだけ、経営責任を求めるのは酷なことだ。経営破たんをきっかけに、メディアが分析しているように、旧運輸省、現国土交通省の行政官僚、それに前自民政権時代の旧運輸族といわれる政治家が群がって日本航空を言いように利用し、結果的に日本航空の経営に責任を押し付けた官僚、政治家たちの罪も大きい。これは何としても指摘しておかねばならない問題だ。

国内不採算路線は日航が撤退図っても政治が関与、身動きとれず赤字背負い込む
 つい最近、私は和歌山県と青森県にそれぞれ農業問題の現地取材で出掛けた際、ともに日本航空便を利用した。いずれも羽田―南紀白浜、羽田―青森と方向は異なるが、飛行機が飛び立ってからの所要時間が1時間という便利さに魅せられての往復利用だったが、羽田―南紀白浜線の座席利用率は半分ぐらいで空席が目立った。羽田―青森も同じだった。あとでチェックしてみたら、このうち羽田―南紀白浜区間は常時、お客が少なく、羽田―山形線に次ぐワースト2の路線だった。明らかに不採算路線で、日本航空にすれば撤収を図りたい路線だった。ところが、旧自民党政権時代に前経済産業相、元運輸相、前自民党総務会長などを歴任した衆院和歌山3区選出の二階俊博衆院議員という実力者がいて、なかなか持ちだせないまま現在に至っている、という。
政権交代に伴う民主党政権のもとで、しかも会社更生法適用申請後の企業再建の延長線上の話だから、不採算の羽田―南紀白浜線の廃止は多分、早い時期に日程にのぼるだろう。前自民党政権時代には、これら運輸族といわれる族議員政治家が空港建設、さらには路線設定時に陰に陽に口出して日本航空の経営を赤字に追い込んだことは否定できない。

官僚の責任も重大、しっかりした需要予測なしに空港建設しツケを航空会社に
 そればかりでない。行政官僚サイドの責任も問われなくてはならない。いま地方空港は98という、47都道府県の倍以上の数の空港があるが、大半は、国土交通省が空港建設に際してはじき出した航空旅客需要予測を下回り、結果的に搭乗率が落ち込んでいるため、そのしわ寄せが日本航空や全日空など航空会社の赤字を加速させる結果になっている。これらの地方空港の建設は、空港整備特別会計などの資金で行われている。
ところが、この特別会計が問題をはらんでおり、航空会社が強制的に支払わねばならない空港の着陸料や航空機燃料税が当てられているのだ。言ってみれば、航空会社は高度成長期の需要が安定的に確保できる時には、就航路線ほしさに、これら割高な空港利用料に甘んじざるを得なかった。一転、低成長期に入って、不採算路線がわかっていても、公共交通機関の宿命と路線認可権を持つ行政官僚にたてつくことはリスクのため、応じざるを得ない。結果は事前予想どおりとなって航空会社に赤字経営を強いても、彼ら官僚には責任が及ばないのだ。それどころか日本航空などはかつて、旧運輸省航空局の幹部の天下りを受け入れざるを得ない弱い立場にあった。私が問題視する供給先行型の企業成長スタイルは、端に日本航空だけの問題でなく、官僚自身がその枠組みを作り出し、自分たちで結果責任もとらず、天下りと言う甘い汁だけを吸うというおかしな構造にあった。

霞ヶ関行政だけでなく地方自治体にも責任、静岡・茨城空港のケースは重大問題
 この地方空港建設にからむ話は、霞ヶ関の中央官庁だけの問題でなく、地方自治体、さらに地方選出の国会議員、地方議会議員らが群がっていることは言うまでもない。2009年6月に開港した静岡空港は、当初から旅客重要予測が甘く、航空会社側には不採算路線になるのが目に見えていた。日本航空は、静岡県側がもし搭乗率が一定比率を下回れば税金で補てんする「搭乗率保証」で面倒をみる、という要請に渋々応じ、就航を決めた。しかし、自らの経営悪化で一転、就航を見合わせることになったが、静岡県側は約束違反だとして日本航空との間で紛糾している。この話も経済原則を無視した話で、安易な発想で空港建設にこだわった行政責任を棚に上げて日本航空だけを責めるのもおかしな話だ。
とはいえ、今回、日本航空自体が巨額の負債総額、さらに債務超過を背負って経営破たんした責任は依然として残るのは言うまでもない。これほどの大企業で、負債総額が2兆3221億円に及び、さらにはグループ企業との連結もあるとはいえ、債務超過額が8676億円もあったというのは本当に驚きだ。要は、売上高に見合った利益を上げられなかったということもさることながら、慢性的な高コスト構造にあったからこそ、こういう経営数字になったのは間違いない。

慢性的な高コスト体質、8労組の存在など日本航空の改革すべき課題は山積
 私の友人で、日本航空OBで、いま航空評論家の秀島一生さんが自らのブログで、この日本航空が経営破たんに至った原因をさまざまな角度から取り上げている。ぜひ、グーグルかヤフーの検索ページで「秀島一生のブログ」とキーワード検索されれば、すぐにネット上に、そのページが出てきて、経営に何が問題、課題があったか克明に描かれているので、ご覧いただきたい。
その日本航空の経営問題に関連して、私も申し上げておきたいのは、パイロット組合から始まって労働組合が8つもある異常さだ。航空会社は、業務分野が多岐にわたっており、タテ割りの職能別組織にせざるを得ない、という一般論があるのはわかる。しかし、私が毎日新聞時代に、航空業界を担当したころからずっと続いている組織の枠組みであり、しかも歴代経営陣は労使紛争を避けるために賃上げはじめ労働条件の改善などをめぐって労組要求を認めていくうちに、一般の人たちからは信じられないような人件費などの面での高コスト構造を作り上げてしまっている。今回の再建に際して、労組を一本化するなどの抜本改革をしない限り、日本航空の再建は望めないだろう。

新旧分離して経営再建に取り組んだかつての毎日新聞も記者ら社員が結束
 私がかつて所属した毎日新聞も経営悪化で新旧分離し、再建に臨んだが、当時、私を含めて現場の仲間は、毎日新聞にいることを誇りにし、「この会社をつぶしてなるものか」と長い間、ボーナスなしといったことをはじめ厳しい労働条件を甘受した。日本航空の人たちが今後、労組を含めて、どういった再建対応するかは、それぞれの社員の問題だ。
 また、最初から民間企業として立ち上がった全日空と違って、日本航空は半官半民の特殊な経営形態であったことにも問題があるが、全日空がさまざまなサービス対応1つとっても、顧客本位で、私の申し上げる供給先行型の企業成長スタイルではなく、むしろ需要先行型のもので、この取り組みの差が今になって表れていると思う。それに対して、日本航空の場合、いろいろな専門家が指摘するように、「親方日の丸」の経営体質が最大の問題で、赤字懸念が出れば日本政策投資銀行などの政策金融に泣きついてやりくりし、何もなかったように振る舞う体質なども、その典型かもしれない。

「ナショナル・フラッグ・キャリア」の旗印は全日空に譲渡してゼロからスタート
 さて、「時代刺戟人」精神で、この日本航空問題に関して、申し上げるならば、日本航空は今や企業再生支援機構の手に経営再建を委ねているが、内部からも、自由闊達(かったつ)かつ大胆な企業再建につながるビジネスモデルの提案を行って、新しい日本航空をつくりあげるべきだ。今のままでいけば、日本航空のプライドのもとになっていた「ナショナル・フラッグ・キャリア」の旗印は全日空に譲り渡すことも必要だ。そして、ゼロからのスタートにすればいい。妙なプライドを捨てて、冒頭から申し上げる供給先行型の企業成長スタイルを止めて、顧客本位で、新たな需要創出を図れるような、しかも、し烈な国際競争に勝つにはどうしたらいいかを真剣に考えるべきだろう。
 秀島さんと同じく私の長い友人で、やはり日本航空OBでいま、ボストンコンサルティンググループ日本代表の御立尚資さんが面白い話をしている。世界の航空業界でいま、ユニクロ現象が起きている、という。要は、ユニクロのように高品質を売り物にしながら、その一方で低価格で競争に踏み出す航空会社経営が欧米、そしてアジアで起きており、これに日本航空のみならず全日空のような日本の航空会社がどう対応するか、という問題だ。極めて重要なテーマだ。
また、行政責任が問われている国土交通省、さらには政治がいま、真剣に考えねばならないのは、世界の成長センターのアジアの中で今や日本の空港のハブ化、つまりは拠点空港化をどうするか、アジアから人、モノ、カネを日本に引っ張り込む1つの手段として、航空会社経営とリンクした観光サービス、それに対応するさまざまなインフラをどうするか、といった課題への取り組みだ。韓国の仁川空港は日本の空港とは対照的に着陸料などが割安なうえ、世界の127都市の空港、そして路線リンクをしているそうだ。海外の航空会社によっては、空港整備のための特別会計がネックになって割高な空港着陸料などを求める日本の空港を敬遠して、韓国・仁川空港を経由するケースも多いという。日本に降りたたず韓国経由で他のアジアへ、というわけだが、行政が内向きの発想をしていると、海外の人たちはますます日本離れをするリスクがある。

北海道で「地域を光らせる酪農」に取り組む大黒さん、先進農業モデル例 規模拡大よりも大自然生かす経営が素晴らしい、6次産業化で過疎の町にも利益

オホーツク海に面した北海道紋別市の隣、興部(オコッペ)町で、広大な北海道の自然相手に放牧スタイルの酪農、畜産をビジネスモデルにしているノースプレインファームの大黒(だいこく)宏さんという夢多い人を今回、取り上げよう。「時代刺戟人」にこだわる経済ジャーナリストの私としては、さまざまな先進モデル事例を紹介することによって、閉そく状況に陥りかねない日本に歯止めをかけるだけでなく、日本もまだまだ捨てたものでないことをアピールしてみたい、と思うためだ。
 大黒さんの酪農への取り組みは、極めて興味深い。他の酪農家のような規模拡大によってコスト引き下げなどのスケールメリットを得よう、というやり方とは大きく異なる。それでいて、川上から川下までのしっかりした一貫経営によって、今や過疎の町となった興部町で年商7億円の企業経営を行えるほどになっているのだ。
具体的に言おう。大黒さんの会社、ノースプレインファームは30㌶の借地を含め95㌶の草地などで150頭の牛を取り扱っている。このうち、さく乳する乳牛、まだ年齢の若い育成牛がそれぞれ50頭ずつ、残り50頭がオランダ産MRIなどの肉用牛だ。「大地も草も牛も人もみんな健康に」をモットーに放牧を主体にした酪農経営で、牧草は化学肥料をまぜず、育種改良した健康にやさしい草を牛に食べさせている。1頭あたりの乳量は6000キロ程度で、年間の出荷乳量も300~350トンぐらい、という。

大黒さんによると、こうして毎日、乳牛からしぼり出した生乳を、製造部門でびん詰の牛乳、バターやチーズの乳製品、さらに生クリームを使ったキャラメル、パン、菓子にする一方、肉用牛に関しては、直営のレストラン向けハンバーグなど肉製品をつくっている。そして、これらを興部町や紋別市など周辺の市町村で地産地消してもらうと同時に旭川市の系列レストラン、また札幌市、京都市の直営店でも販売している。

千葉の野菜生産集団、和郷園と同じ、市場流通に頼らず農業主導で6次産業化
 ここまで申し上げれば、お気づきだろう。このコラム第3回で取り上げた、これまでの農業のイメージを打ち破るような先進野菜生産農家の集まりである千葉県の農事組合法人、和郷園(木内博一代表理事)のケースと同じで、「6次産業化」を進めているのだ。
 この6次産業化は、第1次産業の農業、第2次産業の製造業、そして第3次産業の流通・サービスの3つを足しても、掛け合わせても6つになることから、その3つの産業を結び付けるという意味で、そう言っている。大事なポイントは、第1次産業の農業が主導して積極的にアクションをとり、3つの産業を結び付けるビジネス展開することだ。端的には農業の現場が農産物の付加価値をつけるためにさまざまな加工を行う。そればかりでない。その付加価値をつけた農産物を自らの手で流通の現場のスーパーマーケットや外食産業、さらにはその先の消費者にまでつなげていく経営手法だ。
卸売市場などの市場流通に頼ると、せっかく丹精こめてつくった農産物が市場の需給関係によって、勝手に値段がつけられ、場合によっては買いたたかれたと同じ価格低落状態に追い込まれる。そのリスクを回避するため、和郷園は、農業主導の6次産業化を積極的に進めることによって、農業自体を産業としての農業にして成功した。大黒さんは「6次産業化を意識したビジネス展開ではない」と語るが、ノースプレインファームの経営手法は事実上、酪農版「6次産業化」と言っていい。

酪農先進国ニュージーランドの現場見て、日本は独自の道で行くべきと判断
 大黒さんは北海道の酪農学園大学で酪農を学んだあと、国家公務員試験に合格して公務員になるか悩んだが、やはり自分の生きる道は酪農と決め、大学卒業後、酪農先進地のニュージーランドやオーストラリアに行く。ところが、スケールの点でもケタ外れの規模拡大経営の酪農現場をニュージーランドで見せつけられ、それにショックを受け、こんな国の大型酪農と勝負しても勝てるはずがない、日本には日本のやり方があるはず、それでいくべきだと現在の経営スタイルを作り上げた、という。
 大黒さんはこう言っている。「ニュージーランドには5年に1回ごとに定点観測という形で、酪農現場を見に行っていますが、10年前に200社あった酪農経営の企業数がいま再編統合で何と1社、フォンテラという巨大企業に集約されてしまっています。ニュージーランド酪農が国際競争力を確保するには、それが最適の決断というわけなのですが、日本の酪農は、これでは太刀打ちできません。それどころか、国内市場が席巻される恐れさえ出てきかねません。そこで、日本は独自の道を歩むべきだと思ったのです」と。

日本には日本のやり方がある、という大黒さん。そのやり方とは、地域に合った、自然を活かした農業経営ということだ。大規模経営化によって生産コストを下げれば日本農業は国際競争力を確保できる、打ち勝てるという考え方があるが、大黒さんの場合、規模拡大を図っても、日本の農業の土地条件はじめ生産をめぐる環境の差は歴然で、張り合うこと自体が無理。それよりも、自然を活かした農業経営に徹することが大事。日本農業は、大自然の基本である太陽の光や水、それに土などをうまく活用し、かつリサイクル型農業というか循環型農業でいけば、大きな強みを確保できると思っている、という考え方だ。

「地域を光らせてみたい」「次世代につなげたい」とのキーメッセージはGOOD
 それと、なかなか面白い、と思うのは、大黒さんのキーメッセージは「酪農で地域を光らせてみたい」という点だ。大黒さんは、「過疎化が進み、一見して価値がないように見える場所でも、取組みようによっては価値を十分に生み出すことができるのだということを証明してみたい、それを次世代にもつなげていきたい、言ってみれば、酪農で地域を光らせてみたいのです」という。この「地域を光らせる」という言葉はなかなか含蓄がある。われわれジャーナリストも言葉を大事にするが、大黒さんの場合、それが行動で裏打ちされているだけに、とてもすばらしいと思う。
 ただ、この大黒さんも当初、経営は順調どころか、かなり厳しかった。とくに2001年のBSE(狂牛病)騒動の時には、オホーツク海沿いの佐呂間町で一頭目、続いて猿仏村で二頭目の狂牛病の疑いがかかった牛が見つかり、オホーツクの牛は危険だ、という風評被害が一気に広がったためだ。そうなると手の打ちようがなく、売上高が激減し、赤字決算となり、当時、3億円の売上高に対し5000万円の赤字で、身動きがとれず、経営は本当に苦しかった、という。
しかし、うれしいことに、BSE騒動がおさまってからは、一転、フォローの風が吹いた。とくに、旭山動物園から旭川市中心部へ向かう道路沿いに立地した系列レストランが同じBSE騒動で一時は厳しい状態だったが、旭山動物園のブームに助けられて、また味のよさにお客が戻ってきてくれた。今では、この旭川の系列店のノースプレインファーム本体への寄与度は大きい、という話だ。

オホーツク自然公園構想はフランスの地域自然公園がベースに
 ところで、ここで、ぜひ、述べておきたいのは大黒さんの夢のある話で、オホーツク自然公園構想のことだ。自然公園というと、一般的には自然が豊かな公園というふうに思うが、大黒さんが描いている構想は、そうではない。10年ぶりに訪れたスイス国境近くのフランスの村で見たものがヒントになっている。そのフランスの村では、地域の経営資源ともいえる自然だけでなく、その地域にある農業、林業、工芸、観光、商店などをすべて保護しながら活用し、都市の人たちのグリーンツーリズム、つまり農村との人たちの出会い空間をつくり休息、観光、さらには農業体験などを行う、そういったことを地域全体で計画的に取り組み、地域自然公園と名付けたプロジェクトにしている。その地域ぐるみの自然公園プロジェクトに深い感動を覚え、日本、とりわけ北海道の大自然をうまく活用した新しい地域づくりを実現したい、と考えた。
それがオホーツク自然公園構想なのだが、大黒さんは「オホーツクは本当に豊かな自然がある理想的な土地なので、大自然との共生を図る日本人の心のよりどころとなる安住の地域づくりを、と思っています。私のかかわりでは、その地域にチーズ学校もつくって、みんなが楽しめるチーズづくりも考えていますが、これは実はフランスの自然公園でチーズ学校にかかわっていた人が応援するよ、と言ってくれたのです」という。
 大国さんはロマンチストであると同時に、なかなか行動的だ。いろいろな人たちに働きかけを行ったところ、かなり多くの賛同者が周囲に集まり、2010年2月22日にオホーツク海沿い紋別市で壮大なプロジェクト立ち上げのためのシンポジウムを行うことになった。シンポジウムにはフランスの地域自然公園運動にかかわっている有名なソルボンヌ大学の元学長のジャン ロベール ピットさんを招いて、いろいろな話を聞くと同時に、フランスの経験を踏まえながら、オホーツク自然公園を具体化する場合の課題は何かなどを議論する、という。また、2日後の24日には札幌の北海道大学でもイベントを行い、アピールしたい、という話だ。
日本の農業の現場では、高齢化にともなう耕作地放棄などの問題が噴出しているが、その一方で、今回の大黒さんのみならず、千葉の和郷園などの6次産業化を含め、いろいろと新しいチャレンジが行われていている。面白いビジネスモデルをもとに、しっかりとした経営計画をたててれば、農業は十分に成長産業になる素地もあるように思うが、いかがだろうか。