バイオで“新しい天然物”(vol.2)

自ら機能を高めながらおいしくなる野菜、自ら有効成分を作り出す大豆…そんな夢のような商品が滋賀県長浜市にあるバイオビジネスの集積地「長浜バイオクラスター」で相次いで生まれている。

長浜市、長浜バイオ大学、地元商工会議所などが「長浜バイオクラスターネットワーク」を設立して約2年。
以来、クラスターが急速に形成され始め、バイオビジネスを育成する「長浜バイオインキュベーションセンター」に次々と未来のバイオ企業が入居した。

川瀬ーー入居しているのは、いずれも将来が期待される企業ばかりです。これから長浜から新しいバイオビジネスがたくさん誕生すると思います。

と、長浜市商工振興課主幹の川瀬智久さん(39)。
バイオビジネス創出研究会インキュベーションマネージャーの箕浦淳さん(29)とともに、クラスターについて説明してくれた。

川瀬ーー思えば2000年に『長浜バイオ大学』の進出が決まったときがすべての始まりでした。
長浜市は長い間、大学誘致活動を続けてきましたので、誘致が決まったときは大喜びでした。
そしてこれをきっかけにバイオの町をつくる構想がスタートし、バイオクラスターネットワークの設立が決まったんです。

と川瀬さん。
大学を核に新しいビジネスを創出し、それを町興しにつなごうという構想だ。

かくして、中核となる長浜バイオ大学は見本市の開催が可能な「長浜ドーム」の隣に建設され、その周囲にインキュベーションセンターと工業団地が造られた。
ひと昔前まで一面田園風景だった場所は、たちまち世界最先端のバイオビジネス集積地へ変貌していった。

そこで生まれたのが、冒頭にあげた〝夢のような商品〟である。もちろん少しずつだが販売も始まっている。

箕浦ーーたとえば自ら有効成分を作り出す大豆は、枝豆の代わりにビールのつまみに食べられています。
このほかにも、想像できなかったような技術が日々生まれ、商品化に向けて検討されています。

と箕浦さん。
しかも、それらは人工の手を加えるのではなく、自ら〝新しい天然のもの〟に生まれ変わるのだという。
聞いているうちに、ここのバイオ技術をもってすれば、スーパーマンも生まれるのではないだろうか…と考えてしまった。

箕浦ーー可能だと思いますよ。ただ自然を重んじ、神に背かないのが長浜バイオクラスターの信念です。あくまで自然の可能性を最大限に引き出すことを目標にしています。

驚くほどの技術と目からウロコのバイオビジネス。その商品群については、これからも折りに触れ、このコラムで紹介していきたい。

電話回線でオートロック(vol.3)

何かと物騒な時代だが、古いマンションには無防備な物件が多い。
オートロックにしようとしても、大規模な工事と莫大な費用が必要で、そう簡単にはいかないのが実情だ。

そんな中、大阪の通信設備会社サンノーベルが、手軽にオートロックを設置できるシステムを開発した。「トリムX」という名前で、簡単な工事でどんな古いマンションでも、たちまち〝オートロックマンション〟に様変わりする。

舘➖➖長年、電話事業に取り組んでおり、そのノウハウを応用しました。大規模な工事も必要なく、電話の通信費だけで万全のセキュリティー環境を確保できます。

と舘清通社長(61)。
防犯設備士の資格をもつ後継者の孝明さん(32)とともに開発を進めてきた。

「トリムX」の最大の特長はインターホンを電話回線につなぐ点にある。
そもそもオートロックのしくみは、マンションのエントランスに設置されたインターホンと住居の専用装置をつなぎ、エントランスの扉を住居内から開錠できるもの。

そのため、住居内に専用装置を設置しなければならない。
この点、「トリムX」は電話回線につなぐため、既設の電話で応対することができ、専用装置が必要ない。

来客がエントランスのインターホンで住居番号を押すと、電話が鳴って対話できる。
開錠するときは電話の「♯」を押せばエントランスの扉が開く。電話の転送機能を使えば、携帯電話で対応することも可能だ。

このため、例えば、宅配便の配達時に不在の場合、訪れた配達員と携帯電話で対話でき、外出先で再配達の日時を打ち合わせることもできる。

このシステム、ひょっとしたら、新築マンションに設置されている最新オートロックシステムより便利かもしれない。

舘➖➖開発のきっかけは、ある中古マンションの管理組合の話でした
『建物が古くなるほど資産価値が下がる。せめてオートロックをつけて価値を安定させたいけど、工事費用が莫大なので、規定の管理組合の費用ではまかなえない』という話でした。

それなら、管理組合の費用で支払えるオートロックシステムをつくればいい。
その単純な発想が、長年営んできた電話事業の応用を生んだ。
設置費用は従来の工事の4分の1程度ですむという。

また、維持費は電話回線を利用するため、各世帯月150円程度ですむ。
この金額なら毎月の管理費にプラスしても負担にはならず、住民が得るメリットの方が格段に大きい。

舘➖➖今後、古いオフィスビルのセキュリティーにも取り組みたいです。

と舘さん。
電話回線を使ったセキュリティー事業に期待をふくらませている。

美容技術で心身の健康を追求(vol.4)

約30年前、ニューヨークに渡り〝アメリカンドリーム〟を実現した日本人美容師が今月、兵庫県西宮市に日本第1号店をオープンした。
マンハッタンのロックフェラーセンターにある美容室「サロン ヴィジン ニューヨーク」オーナーの南田稔さん(57)である。

渡米したのは1979年、25歳のときだった。
ビザをとるのも大変な時代に単身、異国で苦労を重ね、7年後の86年、ロックフェラーセンターに初めての店舗をオープンした。

その後、日本のストレートパーマ技術を持ち込んで、アメリカ人でも髪の傷まないパーマ液を開発するなど、斬新な活躍で注目を集めた。
91年には日本商工会議所の要請でアトランタにも出店した。

南田ーー美容技術そのものが海外の技術ですから、アメリカに身を置くことで本物の技術が習得できると思いました。

南田さんを頼って、若い日本人美容師たちが渡米してくるようになり、自分の店舗で育てるようになった。
「サロン ヴィジン ニューヨーク」は今、若い日本人美容師たちの熱気であふれている。

南田ーー私はいま、美容師の育成に最も注力しています。その指標にしているのが京セラ創業者の稲盛和夫さんです。
7年前、稲盛さんがニューヨークに開いた盛和塾に入り、『利他の心』を学びました。
この心で若い美容師を育て、世界に通じる本物の美容師を育てたいのです。

日本第1号店のスタッフは全員、英語と日本語が話せる。
南田さんは年に数回カンボジアに出向き、ヘアカットのボランティアもしているが、今後は若い美容師たちも連れていくという。
美容師の仕事は社会に貢献できるものであることを教えるためだ。

南田ーー私は日本に出店するためにアメリカに渡りました。そこで学んだ世界に通じる美容技術と、美を総合プロデュースするという精神を、全国に展開していきたいと考えています。

〝美の総合プロデュース〟とは、外観だけでなく、内面からも美しくなるよう、心身ともに健康な状態をつくっていくという新しい美容の概念である。

この概念は日本第1号店に見事に具現化されている。まず、場所は都心ではなく、西宮市の中でも癒しの風情がある閑静な夙川(しゅくがわ)を選んだ。

店内の環境にもとことんこだわり、壁や床、天井に天然素材を使用しただけでなく、マイナスイオン発生装置も導入した。
使用する美容商品も大半が天然素材。さらに、椅子の座り心地にも妥協せず、一脚60万円前後のコストをかけた。

南田ーーこれからの美容は健康の追求なしに語れません。その意義をこの店舗で体感していただければと思っています。

まさしく新時代の美容院である。

セラミドで「28日後の美肌」(vol.5)

とける唐辛子、スイーツをおいしくする黒にんにく、肌を生まれ変わらせるセラミド飲料・・・
ユニークな新商品を連発するベンチャー企業が三重県松阪市にある。

同市嬉野にある「うれし野ラボ」という製造直販会社で、コーン油の製造で国内トップシェアを誇る辻製油(松阪市)が2年前に設立した。

辻➖➖辻製油は食品メーカーなどに油を原料として納める会社なので、商品が消費者へ届くのを見届けることができません。それで長年育んできた技術を自分の手で商品化し、直接消費者へ届けたくて『うれし野ラボ』を設立しました。

と辻製油社長の辻保彦さん(67)。
「うれし野ラボ」の社長も兼任し、自ら新商品開発にも携わっている。

辻製油といえば、コーン油だけでなく、日本で唯一、水と油をつなぐ高機能素材レシチンの工業向け精製に成功した企業として知られている。

つまり、辻製油のおかげで、レシチンが不可欠なマーガリンの国内生産ができるというわけだ。
その高い技術が「うれし野ラボ」の商品に惜しみもなく注ぎ込まれているという。

たとえば冒頭に紹介した「とける唐辛子」は、レシチンとナノ(微細)化技術を活用して作られたもの。
ラーメンやうどんなどめん類にはもちろん、お酒にも溶けるため、〝辛い焼酎〟といったような新しい味覚も楽しめる。

さらに「セラミド」に至っては、驚くほど徹底したこだわりのもとで製造されている。

辻➖➖たとえばセラミド飲料『セラフル』には、50ミリリットルの中にとうもろこし10本分のセラミドと1万ミリグラムのコラーゲンが配合されています。これだけの有効成分が入った飲料はほかにありません。毎日、寝る前に飲むと28日で美しい肌に生まれ変わります。

と辻さん。

そもそも「うれし野ラボ」は、セラミドをテーマとした事業化に関し、三重大学の研究協力を受け、財団法人三重県産業支援センターからも「2009年度みえベンチャー事業化支援補助金」を受けて設立された。
さらに独立行政法人中小企業基盤整備機構の支援も受けながら、新しい販路開拓や商農工連携にも取り組んでいる。

国や県、大学を巻き込んで品質を高めていく姿勢には「とことん商品の質にこだわる」という辻社長の信念がみえる。

辻➖➖私にとって『うれし野ラボ』は必ず成功させなければならない事業なんです。長年、追求してきた健康と美をダイレクトに商品化できるだけでなく、これまで私たちを育ててくれた地元に貢献できるからです。そんな想いを表したくて、地名を社名にしました。

〝モノづくりニッポン〟の技術と郷土愛が融合した新事業。
今後の展開が楽しみだ。

故人の縁 つなぐことが使命(vol.7)

2万人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災の最中、地震発生直後から無念の死を遂げた遺体と向き合った人たちがいる。
「おくりびと隊」と呼ばれる大阪府八尾市の葬祭サービス会社「八光殿グループ中河内葬祭」の社員である。

トラック2台とバン1台に棺や納体袋、ドライアイスなどを積み込み、大阪から13時間走り続けて仙台市の葬儀社や遺体安置場に駆けつけた。

松村ーー阪神大震災のときも現場で納棺をしましたが、そのときと比べものにならないくらいひどかった。この世の光景とは思えませんでした。

と社長の松村康隆さん(46)は振り返る。
松村さんは遺体安置場に到着すると、いっしょに駆けつけた社員に「必要なものをできるだけたくさん持って来い」と命じて大阪に帰し、自分は現場に残って次々と運ばれてくる遺体の納棺を始めた。

松村ーーほとんどのご遺体は津波による溺死でした。おそらく一瞬のことだったのでしょう。苦しんだ表情のご遺体はそれほどありませんでした。それがせめてもの救いでした。

遺体にはそれぞれの人生が刻まれている。
松村さんはそのすべてを包み込むように体を整え、柔らかな布団を敷いた棺に納めていった。
赤ちゃんを抱きしめたままの女性や、あどけない幼児の遺体もあった。

松村ーー時々、死に化粧を施したご遺体もありました。あまりの惨さにやりきれなかったのかもしれません。

そのうち、全国から棺が届くようになり、すべての遺体を納められるだけの数になった。
支援に来る葬儀社も少しずつ増えたため、松村さんたちは大阪への帰途についた。現場に入ってから5日がたっていた。

松村ーー大災害のときほど、亡くなったままの姿でご遺体を身内に渡すことは残酷です。丁寧に納棺し、整えて初めて身内と再会できると思います。少しでもお役にたてたなら本望です。

この遺体と向き合う真摯な姿勢は、納棺や葬儀のときだけでなく、地元での日頃の地域活動にも息づいている。

松村さんたちは日々地域の清掃活動に励み、祭りなどのイベントにも積極的に協力する。
さらに葬儀社ならではの専門知識を伝えるセミナーを開催したり、思い出が詰まった人形の供養なども手がけている。

すべては、この世に生まれた人の縁を長く繋いでいきたいからだという。

松村ーーたとえ血縁や会社などとの縁が切れたとしても、私たちの手で地域とつながる〝地縁〟は残せるのではないかと思っています。故人の縁をつなぐのは葬儀社の使命ですから。

と松村さん。

〝無縁社会〟などという寒々とした言葉が語られるような昨今、人の縁を繋ぐことの大切さを今一度、考えてみたい。

物語を生む撮影地の宝庫(vol.6)

今年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」。
ドラマの冒頭で、織田信長の妹・お市の方が、美しい琵琶湖を見ながら夫・浅井長政と話すシーンが印象的に描かれた。

その舞台になったのは浅井長政の居城・小谷城址の桜馬場。
琵琶湖北部の小高い山「小谷山」の中腹にあり、ロケ地をコーディネートする「滋賀ロケーションオフィス」の案内で撮影地に決まったという。

大菅➖➖映画とドラマを合わせると年に約100作品を案内し、そのうち7割ほどが実際のロケ地に決まります。

と、同オフォス主査の大菅(おおすが)博樹さん(38)。
滋賀県の職員だが、現在は日々、映画やテレビのロケ隊を撮影地に案内している。

各地の自治体にフィルムコミッション機能が置かれて約10年。
滋賀県にも9年前、映画やドラマのロケを誘致して観光振興につなげようと「滋賀ロケーションオフィス」が立ち上がった。
苦労する自治体が多いなか、同オフィスには当初から多くのロケ依頼が舞い込んだ。

大菅➖➖何より絵になる琵琶湖があって、戦国時代から江戸時代の旧跡が多いため、撮影に向いているのでしょう。また、一度撮影に来られたら、私たちとの信頼関係ができますので、その後も連絡をいただけるようになります。

と大菅さん。

特に時代劇のロケが多く、豊臣秀次ゆかりの八幡堀、「安政の大獄」で知られる井伊直弼の彦根城などが使われる。
ほかにも滋賀県には、織田信長の安土城址をはじめ、戦国時代の足跡を残す場所が多い。まさしく撮影地の宝庫である。

大菅さんたちは、依頼があると、まずストーリーに見合った場所の写真を送る。
その中に撮影にふさわしい場所が見つかると、監督や制作関係者がロケハンにやってくる。
彼らを案内するのも大菅さんの仕事で、自ら車を運転し、その場所を丁寧に案内する。

撮影当日に現場に立ち会うのも大切な仕事だ。
そして、弁当を地元に発注したり、宿泊を地元の宿に設定するなど、地元の人たちの参加も促す。
この取り組みが功を奏し、撮影する側にも「地元がロケ隊を温かく迎えてくれるので、滋賀は撮影がしやすい」と好評だという。

さらに撮影に欠かせないエキストラも県民から募る。

大菅➖➖現在、エキストラは約2700人います。ロケ隊にも滋賀県のエキストラは質が高いと評判なんですよ。

と大菅さん。
今回は江が籠に乗って旅をする行列や、合戦の歩兵などにエキストラが起用された。

大菅➖➖今後は海外の映画やドラマのロケも受け入れたいと思っています。特に東アジアの作品で滋賀県を舞台にした名作をつくりたいですね。

滋賀県を舞台に、まだまだ多くの物語が生まれそうだ。

四国の起点で秘仏写真展(vol.9)

秘仏の写真ばかり約200点を集めた美術館「空海の曼荼羅(まんだら) 風の櫻美術館」が今月18日、徳島県にオープンする。
四国八十八箇所をはじめ、高野山や京都の秘仏写真を収蔵する。
すべて写真家の櫻井恵武(めぐむ)さん(69)の作品である。

櫻井ーー私は49歳のとき大病を患って臨死体験をし、即身定仏の夢を見ました。その夢が忘れられず、その後の人生をかけて秘仏の写真を撮ろうと決意したんです。

と櫻井さん。
そして得度し、4年間高野山で密教を学んだ。

櫻井ーー仏像は人間が持っている心の内面です。目では見えない真理の世界に挑戦しようと思いました。

櫻井さんはもともと東京を拠点に活動する写真家だったが、僧侶になってからはひたすら秘仏を撮り続けた。
僧侶といえども、秘仏の撮影には寺院への説明が欠かせない。
櫻井さんはおよそ15年間かけて四国八十八箇所ひとつひとつを訪ね、丁寧に交渉を重ねた。
その後、京都や高野山の寺院にも足を運び、そうして撮影した写真は200点を超えた。

櫻井ーーこれまでさまざまなところで写真展を開催しましたが、徳島の人たちのご協力をいただいて、美術館を開くことになりました。とてもありがたいことです。私も東京から徳島に居所を移しました。

徳島といえば四国八十八箇所巡りの起点。最初に秘仏の写真を観ることに、どんな意味があるのだろうか。

櫻井ーー徳島の剣山(つるぎさん)に邪馬(やま)台国が存在したという説もあります。もし本当だとすれば、徳島は日本の起源ということもできます。秘仏の写真を公開するのに最もふさわしい場所といえます。

現在、櫻井さんは清流・吉野川の近くに建つ古城「川島城」の正面に住居を構え、開館に向けて準備を進めている。

櫻井ーーそれほど大きな美術館ではないので、写真は季節ごとに40点から50点づつ、入れ替えながら公開しようと思っています。季節ごとに秘仏の魅力を感じてもらえればと思います。

その作品を見せてもらった。
まっすぐに力強い視線を浴びせてくる仏像、穏やかな表情に引き込まれそうになる観音像…まるで生きているような顔である。
じっと見つめていると、語りかけてくるような錯覚さえ覚えた。櫻井さんの写真には魂が入っているようだ。

櫻井ーーこの写真が1人でも多くの人の心を癒(いや)すことができればと願っています。

四国を訪れる人たちとって、心休まるスポットになりそうだ。

自然体で学べる“大人の学校”(vol.8)

50種類もの講座を開き、〝大人の学校〟の異名を持つ小さなカフェが人気を呼んでいる。

岡山市の観光名所「後楽園」の近くにある「ピエニ」という店で、講座の種類はフランス語やスワヒリ語などの語学をはじめ、料理や編み物、ヨガ、フラダンスと実に多彩だ。
講師陣も国際色豊かで、生徒は現在約150人という。

岡野➖➖受講者は大半が会社員の方々です。だから講座は土日とアフター5に開くことが多いですね。

とオーナーの岡野英美さん(39)。
以前はOLだったが、事務の仕事に満足できず海外に留学し、帰国後、海外経験を生かしてカフェを開いた。

店名の「ピエニ」はフィンランド語で〝小さな〟という意味。
その名の通り、店は25席ほどの規模だが、人気の講座には40人もの人がやってくる。

ヨガやフラダンスの教室を開くときは、テーブルと椅子を端に寄せてスペースをつくる。
鏡がないため、講座は日没後。夜に窓ガラスに映る姿を鏡代わりに、外を向いて練習する。

外を通る人は店内が丸見えで、奇妙な光景に見えるが、むしろ「面白そう」と言って店に入ってくる。
そんなアットホームで無邪気な雰囲気が心地よいと評判だ。

岡野➖➖最初はカフェで何か学べたらいいな、くらいの軽い気持ちで始めたのですが、いろんな方から講師を紹介していただいているうちに、気がついたらこんなにたくさんの講座を開くようになっていました。

と笑う。

のびのびと無理せず、お客さんといっしょに自然体で運営しているといった印象だ。

岡野➖➖雰囲気は和やかですが、皆さん、しっかり学ばれていますよ。スワヒリ語など珍しい語学をここでマスターされた方も多いです。

と岡野さん。

そこが単なる教養カフェではなく、〝大人の学校〟と呼ばれるゆえんである。

岡野➖➖これからは海外留学もコーディネートできればいいなと思っています。講座を開いて帰国した先生がたくさんいらっしゃるので、現地での受け入れ体制は整っているのですよ。

岡山をよく知っているからこそ、地元の客が何を求めているのかがカンでわかるという。
このカフェは新しい地域コミュニケーションの形を示唆しているように思える。

「温故知新」の姫路の技(vol.10)

“発祥の地”から“発展の地”へ。
世界文化遺産の姫路城を有する兵庫県姫路市で、未来へ向けた活動が始まっている。
姫路市が発祥の地であるゴルフクラブとなめし革の生産現場の話である。

日本のゴルフの歴史は1901(明治34年)にさかのぼる。
この年、英国人アーサー・H・グルームが神戸・六甲山に「神戸ゴルフクラブ」を開設したのが始まりである。

そして28~29年にかけて、アイアンヘッドの製造の話が、この姫路の名刀鍛冶職人に舞い込んだ。
名刀鍛冶技術はゴルフクラブ製造にはうってつけの技術であり、姫路城下で腕を磨いた職人たちに白羽の矢が立ったというわけである。

こうして日本初のゴルフクラブは姫路で生産され、その後、全国にゴルフ文化が浸透していくことになる。

未来へ向けた活動というのは、ゴルフクラブ生産の原点に戻ろうという活動である。
ゴルフクラブの製作技術そのものを〝芸術〟としてアピールしようと、それぞれの工程で熟練の技を持つ職人を選定し、その道の「匠」と名づけて専用のホームページを立ち上げた。

名刀鍛冶技術がゴルフクラブを生んだ歴史に立ち返り、その技術をいま一度〝芸術〟として再認識し、新たな用途を探ろうというのだ。

もうひとつのなめし革にも、大きな門出が訪れる。

なめし革はバッグなどの素材として女性には親しみ深い柔らかい革だ。
姫路市ではこれまで「鞄作り教室」を開講したり、専用ロゴマークを作って姫路ブランドをアピールするなど、さまざまな取り組みに次々と挑戦してきた。

この「鞄作り教室」は安定した人気を誇り、この間、常時100人近い生徒が着々と鞄作り技術を磨いてきた。

そして2006年4月、この教室の中からプロ職人を目指す生徒が現れ、共同で『革工房BAIMO』を設立。
地元の山陽百貨店にファッション性の高いレギュラーショップ『革工房BAIMO』を出店。
2010年3月に姫路市南駅前町に移転し、リニューアルオープンした。

伝統産業がファッション産業に生まれ変わる第一歩を踏み出した。

こうした活動に400年以上もの間、いつの時代も〝古い〟と感じさせない姫路城の優美な姿が重なってみえる。言葉で表すなら「温故知新」だろうか。
伝統産業を守りつつ、時代に応じて常に新しさを求める風土があるのかもしれない。

社員を信じ、すべて自社製(vol.12)

不況下でも「人を信じ、雇用を促進する」をモットーに発展してきた企業がある。長野県飯綱町でジャムやワインなどを生産するサンクゼールである。
約30年前、ペンションとして創業したが、手づくりジャムの製造販売などで全国展開に乗り出し、リーマン・ショックをものともせず、順調に増収増益を続けている。

現在、社員は約230人。
長野県内に本社と工場、ワイナリー、レストラン、ワイン用ぶどう畑などを運営するほか、全国約30カ所に直営店舗を展開。売上高は30億円を超える。
そこには、どんな戦略があるのだろうか。

久世ーーべつに大それた戦略などありません。私たちはただ、お客さまに感動を売りたいから、すべてを社員で内製化しているんです。

と取締役の久世良太さん(34)。創業者の久世良三社長のご子息である。

しかし、いまのご時世、できるだけアウトソーシング(業務の外部委託)をした方が効率的と考える企業が多い。
そんな中、ジャムやワイン作りはもちろん、通常は外注する直営店舗の設計からデザインまでも、あえて自社で手がけている。

久世ーー建築部という部署があって、直営店舗はすべてここで設計しています。一級建築士の資格を持つ社員もいて、技術的にも信頼できるんです。

と久世さん。どうやら、このあたりに発展の秘訣がありそうだ。

また、テーマを決めて社員と経営者が車座で意見を交換する時間を毎週設けているという。
どんなに忙しくても、この時間を削ることはないらしい。

久世ーーたとえば、国際情勢など大きなニュースがあったときは、それをテーマにしたり、身近な人が亡くなったときは死をテーマにしたりして、社員が自分の意見を自由に発表するんです。
この会議を定期的にするようになってから、経営者と社員の距離が縮まり、社員同士の信頼関係も深まりました。

この〝車座会議〟は8年前、久世社長の呼びかけで始まったという。
社員は当初、とても面倒くさそうだったが、次第に打ち解けて、今では楽しみにするようになったという。
そして、この会議と平行するように業績が伸びていった。

久世ーーかつて、借金で倒産の危機に瀕した時期がありました。そのとき、社長が社員の人間的な成長こそが肝心と気付いたんです。
私たちは会社でありながら大きな家族と思っています。その温かい心をお客さまにも伝えたいと思って、すべて自分たちの手でやっているんです。

どんなに苦しい状況も、社員が人間的な成長を遂げることで乗り越えられる。〝効率至上主義〟の世の中、最も大切なことが置き去りにされているような気がする。