時代刺激人 Vol. 80
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
米国が執ように迫る中国の人民元通貨の切り上げ。中国側がこれをどう受け止めるか、大きな関心事となっている。しかしこれだけ人民元切り上げ問題が取りざたされれば、中国も2005年夏以来の再切り上げに踏み切らざるを得ないだろう。あとはいつ、どういったタイミングで、どれほどの通貨切り上げに踏み切るかだが、この問題を見ていると、かつて米国が日本に執ように迫った円切り上げ要求時と状況が酷似している、と思われないだろうか。
でも、結論から先に申し上げれば、中国は今、かつての日本と同じように対米貿易不均衡という経済摩擦問題を抱えているが、当時の日本と違って、極めてしたたかなうえ、プライドの高い国なので、内政干渉のような米国の要求を突っぱねる面があり、一筋縄ではいかない。むしろ、中国は米国に対し巧みに恩を売りながら、政治的に活用する可能性が高い。しかし、そのことよりも、中国がもし人民元切り上げ対策への対応を誤れば、日本が円高不況対策から大胆な内需拡大策に走り、超金融緩和政策によって結果的にバブルを誘発、そのあとバブル崩壊、あおりで「失われた10年」どころか20年という長期デフレに至ったリスクに陥ることを、場合によっては覚悟しなければならない。その意味で、中国は日本の失敗から何を学ぶかが、実は極めて重要だ。
米議会が中間選挙控え強硬ながら米政府は中国を追い詰めずの姿勢
その前に、最近の米国と中国との人民元切り上げ問題をめぐる動きに、ちょっとした変化が起きていることを申し上げておこう。確かに、ここ数カ月間の米中間の人民元切り上げ問題をめぐる動きは、ひと昔前とは様変わりの状況になりつつある。それどころか、米国が日本に対して、円切り上げのみならず、大胆に市場開放策を含む経済構造改革を迫ったころとは大違いのところがある。
具体的に言うとこうだ。以前ならば、米中間選挙を今年秋に控えた政治的季節のもとで、米議会が声高に中国の為替政策、端的には中国がドル買い・人民元売りという通貨介入政策で人民元安状態を作り出していることを批判し、それが中国の対米貿易黒字を生み、米国人労働者の失業をもたらしているかを挙げ、人民元の大幅切り上げを求める。それを受けて米国政府も中国政府を厳しく糾弾し切上げを迫る。これに対して、中国政府は、内政干渉は断じて許されない、と突っぱねるというのがパターンだった。
今回は、米議会の動きは同じだったが、米中両政府の対応に違いが出た。このうち、米上院は米シンクタンクなどの調査データをもとに、人民元相場が40%も過小評価されているとし、中国が為替操作国であるという認定が簡単に出来、対抗的にペナルティ関税などの強硬措置がとれるように超党派で法案を議会に提出した。下院も超党派で130人の議員連名でガイトナー米財務長官に中国への政策対応を求める書簡を送った。
米政府は為替操作国認定などの為替報告の議会提出を先延ばし
これに対する米中両国政府の動きは、以前とは大きく違ったのだが、まず、米国政府はガイトナー長官が米議会公聴会で、人民元相場が中国政府の為替介入によって人為的に過小評価されている、と発言しながらも、他方で「中国政府が市場本位の為替相場を容認することは、世界経済のバランスにとって重要」と述べ、中国政府を追い詰める方策をとらなかった。それどころか、4月3日に柔軟姿勢に転じた。ガイトナー長官が、主要貿易相手国の為替政策を審査する為替報告の議会提出時期について、当初予定の4月15日から3カ月ほど延期する声明を出したのだ。4月末のG20(主要20カ国財務相・中央銀行総裁会議)、5月の米中閣僚レベルによる戦略経済対話の見極めが重要というものだが、米議会が要求する中国を為替操作国とする認定の先延ばし作戦に出たのは明らかだった。
これはオバマ米大統領にとって重要な国際政治イベントである4月12日、13日の「核安全保障サミット」に中国の胡錦涛・国家主席が参加を表明し米中首脳会談開催に応じる姿勢を表明したため、米国政府が対中関係の修復、とくに人民元問題での事態打開に道筋をつけようとしたのは間違いない。当時、米検索大手のグーグル社に対する中国政府の検閲問題、中国の軍事力増強問題などが錯そうして米中関係、とりわけ一時はG2(米中主要2カ国)ともてはやされた蜜月関係に亀裂が生じていただけに、好転の兆しだった。
中国も人民元切り上げに柔軟姿勢中央銀行総裁がタイミング探る発言
中国側にも人民元改革問題で際立った動きが出てきた。国家発展改革委員会が4月6日に公表のマクロ政策報告書で「為替変動にかかわるリスクを適時公開し、中国輸出企業の損失を減らす必要がある」との意味深長なメッセージが打ち出された。人民元の切り上げはある程度、やむを得ないにしても影響を最小限にとどめる手立てが必要とのメッセージだなと受け止められた。また中央銀行の人民銀行の周小川総裁も3月6日の記者会見で「金融危機下での人民元相場に関して、中国は特殊な相場形成メカニズムを採っていた。非常時の政策は遅かれ早かれ正常に戻す必要がある。そのタイミングは早すぎないように慎重に考えねばならない」と再切り上げに含みを残す発言をしており、われわれジャーナリストには中国もタイミングを探っているな、というふうに見えた。
そこへ飛び込んだのが海外訪問中のガイトナー長官が4月8日、帰国途中に急きょ、予定外の中国訪問を行い、北京空港で王岐山副首相と緊急会談を行ったことだ。会談後の声明は特別なものはなかったが、米中双方の歩み寄りは明白だった。現に、核安全保障サミット時の米中首脳会談では、オバマ米大統領の人民元改革要求に対して、胡錦涛・中国主席が外部の圧力で改革を行うことはあり得ないとしながらも、世界経済の変化と中国経済の運営を考慮し自主的に判断していく、と含みを残す発言を行った。間違いなく、以前のように厳しく突っぱねる姿勢ではなかった。
米政権にとって財政赤字ファイナンス輸出先市場として中国を無視できず
この動きをどう見るかがポイントだ。私の見るところ、米オバマ政権は今秋の米中間選挙を意識して議会対策が重要の一方で、米国の財政赤字ファイナンスの担い手、端的には大量発行する米国債の買い手として、経済成長に勢いのついている中国に頼らざるを得ない。そのあたりを勘案すると、かつて米国が日本に対して円切り上げのみならず内政干渉まがいの市場開放策要求、さらにはさまざまな経済構造改革を迫ったようなやり方で中国を追い詰めるのは得策でない、むしろキーワードの戦略的経済パートナー国という位置付けで対応した方がいいと判断したのは間違いない。米国自身、過剰消費体質を抑える一方で、輸出拡大戦略を打ち出しており、その輸出先市場として中国を大事に扱うべきだ、ということだろう。
米国も、かつての日本に強いたマクロ・ミクロ政策面での経済構造改革要求などは、今の米国の経済力の低下のもとでは、とても打ち出せないことだが、それよりも、米国自身が中国を重要視せざるを得ない状況にあることだけは間違いない。
中国も人民元切り上げ狙う投機マネー流入対策ドル建て資産確保対策が必要
他方、中国も実は今、為替政策をめぐってジレンマがある。人民元高を抑えるために行ったドル買い・人民元売りの為替介入でドル資金の外貨準備高は2010年3月時点で2兆4000億ドルというケタ外れの額に及び、とくに最近は急増している。知り合いの国際金融専門家によると、これは、貿易代金の形で今後の人民元切り上げを見越した投機マネーが中国に入り込み、中国政府としては為替介入でそれらドル資金を吸い上げねばならず、ジレンマに陥っている、というのだ。つまり中国政府の内需拡大の財政支出増とからめて、為替介入した人民元が過剰流動性の形で市中に出てしまい、インフレ過熱リスクが高まっている。
そこで、中国政府は米国の動きをにらみながら、人民元切り上げに対する投機筋の思惑を払しょくするためにも早めに手を打つ必要がある。同時に、ケタ外れに膨らむドル資金の運用先としては、米短期、長期問わず米国債買いは重要ながら、ドル下落あるいはドル暴落リスクにも備えねばならない。そのためにも、米国政府の財政赤字のファイナンスを支援しているという恩を売ると同時に、米国のマクロ経済政策にもニラミをきかせることが大事。政治的かつ外交的にうまく活用し、同時に投機マネーの思惑を封じるかタイミングを探っているのでないか。
日本が陥った円高不況回避のための財政・金融政策の失敗をしっかり研究する必要
さて、こうしたことを踏まえて、中国が人民元切り上げに踏み出すのは間違いない。国際金融市場もすでに織り込んでおり、あとはその切り上げタイミングがいつかに関心が移っているように見える。しかし、私の関心は別にある。冒頭に申し上げたように、日本が1985年のG5(主要5カ国会議)プラザ合意で、米国の財政や貿易赤字の救済策の一環として、ドル高是正、つまりドル安政策への政策協調のために旧西ドイツのマルク高と並んで円高を容認した。しかし、日本政府は「先進国クラブ・G5」での政策協調とはいえ、国内的には大わらわで、円高不況対策のために必死の対応を余儀なくされた。それが超金融緩和策などで、そのツケがバブルを生み、さらに一転しての金融引き締めの対応ミスでバブル崩壊、あとは長期のデフレのトンネルに突っ込んで今に至っている。
中国が政策判断ミスで日本と同じ「失われた10年」に陥れば世界中にリスク
中国は、人民元切り上げ後のマクロ政策対応をめぐっては、正直なところ、かつての日本以上に政策のカジ取りが極めて難しい中国国内の経済状況にある。私の知り合いの中国人エコノミストによると、中国国家発展改革委員会のみならず中国社会科学院、それに北京大学などは今、日本の円高不況、円高デフレ回避のために打った財政、金融政策のどこに政策判断ミスがあったか、なぜ長期の「失われた10年」どころか20年に至ったか、かなり専門的に研究している、という。ただ、現実問題として、今のようなグローバルの時代、スピードの時代、マーケットの時代に、「失敗の研究」はもちろん重要ながら、政策発動タイミングが極めてポイントになる。ちょっとした判断ミスも許されないかもしれない。
今、中国自身だけでなく、世界の成長センターのアジア周辺にいる日本やアジア諸国、さらには欧米諸国にとって、中国が、かつての日本と同じような「失われた10年」の道に陥ることは何としても避けねばならない。その意味で、政策協調は、かつてのG5の先進国クラブと違う形できめ細かく協力しあうことが重要だ。今回の中国の人民元切り上げ問題は、そういった意味で、極めて重みのある話だと思う。いかがだろうか。
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