リスクがあっても任せる人材育成。10兆円企業へ、先代から伝承した教えと夢
大和ハウス工業株式会社
代表取締役会長
樋口 武男
男は、創業オーナーの意志を継いで会長となった。赤字の関連会社を立て直し、本社の赤字も解消、大和ハウス工業・樋口武男(ひぐちたけお)代表取締役会長が語る、熱湯経営の哲学とは?
樋口だからうちのオーナーの教えの中に、『スピードは最大のサービスなり』という言葉があるんですよ。
蟹瀬で、実際に黒字化を実現されたわけですよね?
樋口ええ、黒字になりました。
蟹瀬何年ぐらいかかったんですか?
樋口1年ほどで、2年目は黒字になりましたよ。
蟹瀬2年目で黒字? その数字を見て、ご自身は当たり前だといえば当たり前なのかもしれないけども、樋口さんご自身はどう思われました?
樋口それは、やったのは社員だから、
樋口環境をつくろうとしたのは私ですけども、数字つくったのは間違いなく社員ですよね。
蟹瀬なるほどですね。
樋口社員の気持ちを変える努力はしたけども、変えてくれたのは社員です。だからこれはやっぱり、基本的に私は人間の能力、そんなに差はないと思ってるんですよ。
蟹瀬なるほどですね。
樋口気持ちが前向きになったら、同じような力を発揮できるというふうに考えてますね。
津島大和団地の再建を果たした樋口さんに、再び大きな転機が訪れます。
津島2001年、大和ハウス工業株式会社代表取締役社長に就任します。そして、2004年、代表取締役会長兼最高経営責任者に就任ということです。
樋口オーナーに呼ばれて、「樋口君、今度の総会のとき、ハウスの非常勤取締役に入っとけ」と言われたんですよ。で、僕は表面上のことしか考えてない、先のこと考えてないから、もう自分も腹は団地で生涯を全うするというふうに思っていた矢先にそう言われたら、「非常勤なんて何もできません、結構です」と断ったんです。そのときは怒りもなにもせず、「まあそう言わんと入っとけ」と。
蟹瀬とりあえず。
樋口それでもう駄目押しですよね「入っとけ」と。それで就任した、6月でしょう。で、8月頃になったらまた呼ばれて、「樋口君、合併しよう」と「対等合併しよう」と「帰ってこい」と。
蟹瀬団地とハウスと?
樋口それで、「ハウスの社長やってくれ」と、こう言われて。それもあの人はずっと緻密な計算していても、こっちはある日突然呼ばれて言われるわけでしょう?
蟹瀬青天の霹靂(せいてんのへきれき)だったわけです?
樋口行くときも青天の霹靂なら帰るときも同じことでしょう? しかしそのときに、団地行くときも最後言われたのは、「樋口君の宿命やと思うてくれ」と言われたんです。で、今度も同じことだなと。そうはいっても「どちらも一部上場だからそんな簡単にできませんよ」って言ったら「やったらええがな」と。
(一同笑い)
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