「やりたい、作りたい」から。ゴールのない気遣いと妥協ない物づくりの共創
リシャールミルジャパン株式会社
代表取締役社長
川﨑 圭太
リシャールミルジャパン株式会社。2010年6月。スイスの時計ブランドリシャールミルの日本販売会社として設立。銀座にある国内唯一のブティックには最低でもおよそ700万円。平均で1,600万円の腕時計が並んでいる。価値観を共有できるファミリーを増やしたい。そう語るのは、代表取締役 川﨑圭太。高級時計をも超える極限を目指したエクストリームウォッチ。川﨑が目指す「新たな価値創造」と「究極のものづくり」とは。
蟹瀬文字盤がないという。
川﨑時計って、文字盤があって、インデックスがあって…。でも時計がわかるようになっていて。時計ってやはり二次元、2Dなのですよね。でもそれが完全に3Dなのです。
蟹瀬だけど、やっぱりその時計を川﨑さんが扱うまでは、相当色々なプロセスがあったと思うのですけれども……。
川﨑はい。最初に出会ったのがケンカ別れしたときの出会いで、それから一年くらいだったと思うのですけど、色々なブランドを探していたのですが、ところがなかなか見つからず。「リシャールっていいな」とは思っていたのですよ。ただ、「電話して」と言ってパッと帰っちゃっただけなので、「やはり電話してみよう」と、一年後くらいに電話をしたのです。「まだ日本の代理店は大丈夫か」と訊いたら、「大丈夫だよ」と簡単に言ったので、すぐに僕も「会いたい」と。
蟹瀬じゃあ、わりと即断即決といった感じだったのですか?リシャールさんも。
川﨑相手も早かったですね。
蟹瀬むしろ川﨑さんのほうが悶々としていた期間が長かったのですね?
川﨑悶々としていた。もっと早く行けばよかったなって思いました。あのとき確かに。
蟹瀬面白いなあ。どんなイメージだったのですか? リシャールさんに会いに行くとき。
川﨑カフェに行って、「コーヒー飲もうぜ」と言って、飲みながら「ここで話す?」「いいよここで」と言って。それで雑談。「ところで時計やりたいんだけどさ」「ああ、お前本当にやりたいの?」「ディストリビューターやりたい。いいか?」と言ったら、すぐにOKって言われたのですよ。
中島早い。
川﨑「え?でもありがとう」って。後で色々と「なんで?」と話を訊いたら、僕もそうだったのですけど、いくらでどのくらいの量をどのようにする話を一切しなかったのです。普通、ビジネスの話って、こうやって年間どのくらい作って、どのくらいの量を日本は期待していて、「広告宣伝はどうなの?」とか、そういう話から入って、「やるかやらないか日本人として検討して考えますと」、普通は言うと思っていたと言うわけです。僕は「どうなんだ」「やりたい」と言っただけなのです。それが、彼もOKと。
蟹瀬これはいわゆる、英語で言うと「ケミストリーが合う」というのだけれど、お二人の性格がピタッと合ったのでしょうね?
川﨑合ったと思いますよ。
蟹瀬だけど日本で扱うには、日本で扱う条件というのが当然あったのではないでしょうか?
川﨑後から出てきましたね(笑) さすがにビジネスマンなので。「3つの条件がある」と。ひとつ「川﨑が独立して、ジャパンという会社を立ち上げて、そこと俺はやる」。2つめは、スポンサーを見つけて、僕がそのスポンサーの会社に入って、そこが取扱いをする。3つめが、「何もわからなければ、自分が日本の会社を見つけて、そこのマネージャーとしてお前を推薦する」と。「その3つから選べ」と言われたのです。
中島どれを選択されたのですか?
川﨑まずお金がないので、あるのだったら自分がやりたかったです。やっぱりお金がすごくかかる。その3つの中に、自分の今所属している会社がなかったのです。それは彼の条件で。それはまた難しいことを…意地悪だったのかもしれませんけど、「どれを選ぶ?」と言われて、ちょっと考えた後、二番目の、自分でまずスポンサーを探して、その会社が自分を受け入れてくれたら、自分がそこに入って取引をさせてほしい、それを選ぶと言ったら、OKと。
中島その後、ご自身で会社を設立されたのですか?
川﨑はい。実はその会社に入るときに、条件として、このビジネスがうまくいったら、ジョイントベンチャーで、リシャールと私とその会社と共同出資で、会社にしてほしいと。これはリシャールも言ってきていて、もちろんちゃんと利益が出たらでいいし、還元もするし、その先もちゃんと利益を還元するという条件で、スタートしたのです。それが2004年の取引。最初は順調ではなかったし厳しかったのですけど、ある程度まで見えてきたので、2010年に、子会社と言うか別会社にさせていただきたいという交渉をして、そこから設立になりました。
中島さてこの番組では、リシャールミルジャパンの今を象徴するものをお持ちいただき、進行させていただきます。今日はどんなものをお持ちいただいたのでしょうか?
川﨑はい。今というか、ブランドを象徴する……恐縮なんですけど。
蟹瀬小さいですね
中島小さい。これはなんですか?
川﨑ええ。これは、チタン製のネジです。
蟹瀬これがなぜリシャール・ミルの今を象徴しているのでしょうか?
川﨑このネジ、グレード5のチタンでできていまして、従来、時計業界はあまりチタンのパーツって作っていなかったのです。彼が、「こだわりの時計を作りたい。軽くて、丈夫で、付け心地が良くて、なおかつ耐久性が良くて、特にネジの部分は、付け外しを何度しても壊れにくい、しかもしっかりと締まる。それにはチタンが良い」と。それで、F1のマシンを作るときって、最高の技術で作るじゃないですか。それと同じような考えで時計を作りたいという最初の原点がこれだったのです。それでこれを開発したのですけど、1キロで220万スイスフラン。
蟹瀬ということは……。
川﨑2億数千万円です。まあ開発費とか当時それだけお金をかけていたのです。
蟹瀬素材のチタンが高いのに、さらに加工も?
川﨑そうです。まさに一言で言うと、うちのブランドの特徴と言いますか、今を象徴……今まで全部を象徴するという一品ですね。
中島その細部のこだわりは良くわかったのですけれども、その他にどんなところにこだわっていらっしゃるのですか?
川﨑高いもので言うと、サファイアクリスタルのケースを作った。
サファイアクリスタルとは、人工サファイアの粉末を溶かし結晶化したもので、リシャール・ミルは、これを時計のフロント、サイド、バック、ケースパーツすべてに使用。究極のスケルトンウォッチを完成させた。
川﨑通常の時計では、ガラス面のみがサファイアクリスタルを多く使っているのです。それを、そっくりそのまま全部をガラスケースにしてこだわって作った。その時計を作りたいと、ずっと昔からリシャールは思っていて、なんとかそれを具現化したいということで。
蟹瀬それは技術的には、ものすごく難しい話ですよね?
川﨑すごく難しい話です。だからみんなに無理だと言われて、その原石ができあがって、加工して削り出して、1000時間くらいかかる。
中島どうしてそれを使おうと思われたのですか?
川﨑どうしてではなくて、クリスタルの時計を作りたいっていうところから入っているから、それが最初に来ているので、なんとかして作れという。リシャールの商売の中に、コスト削減とか効率化って言わないのですよ。一切。作ると決めたら作る。それで「いくらかかったからこのお値段です」という。実は一つここに持ってきておりまして。
蟹瀬あ、やっぱり。この箱、僕見ていたんだ(笑)
川﨑そのサファイアの形成をしているときに、色を付けたもので。後から色を付けたのではないのですけれど。
蟹瀬まさに全体がクリスタルなんだ。
中島本当ですね。本当に宝飾品というか……わあ、綺麗。
蟹瀬本当にガラスの時計ですよね。
中島フォルムがすごく素敵ですね。
蟹瀬やはりこれを作りたいっていう、イメージ。これを拝見するとなんとなく解りますね。これができたとき、やはり、リシャールってどんな感じだったのでしょうね?
川﨑このモデルのみならず、全部彼は、満足したものは感動するって言っていますね。「最高だ」と。でも、満足していないものは「ダメダメ」と。
蟹瀬それが最終的には、成功につながってきたということですものね?
川﨑はい。
斬新、かつ新たな価値の創造。妥協を許さないものづくりへの情熱。それがリシャール・ミルの掲げる信念。
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