毎日1,000通の手紙を読む!「お客さんの声は宝物」の誠実さ
株式会社壱番屋
創業者 特別顧問
宗次 德二
家庭料理の定番、カレーライス。チェーン化は難しいとの世間の常識を打ち破り、夫婦二人三脚経営で成功をつかんだ男がいた。「もう自分がいいと思ったことは、やっぱり社員の人にも味わっていただきたい」。海外合わせて1,000店舗以上にのぼる成功の秘密とは?
宗次最初の会社の不動産会社は、先輩社員が皆独立をするという、そういう時代でした、まだね。自分も、やはり不動産業で独立をするのかなと、そんな程度の軽い気持ちで。
蟹瀬喫茶店を始めた理由はどういうことだったんですか。
宗次私がやろうというんじゃなくて、うちの嫁さんが社交的だったし、何よりも日銭商売をしたいなと。不動産業というのはお金が入ってくるときはたくさん入ってくるけれども、入らないときは1円のお金も入らないので、「日銭商売魅力あるな、喫茶店でもやったらどう?」と言ったら、「やりたい」と言ってくれまして、じゃあということで知り合いの不動産屋さんに物件を教えてもらって店舗を借りたんです。
蟹瀬実際に喫茶店をやられてどうでしたか?
宗次オープンが昭和49年の10月1日の日で、私は何もできないので、入り口でお客さまをお迎えしようと、背広着たままお店手伝いに行ったんです。ものの15分もしないうちに、いろいろお客さまがお見えになって、すごい商売だな、これは天職だなと思ったんです。理由はよく分からないのですが、たくさんのお客さまに来ていただけるという、それがすごい商売だなと、この商売にかけようとすぐ思ったんですね。
蟹瀬ではやっぱり接客業というのに本当に向いてらっしゃったということですよね。
宗次いや、向いてはない。今でも邪魔者扱いされますけれども、全然私、不器用で駄目なんです。しかし、ただお客さまに来ていただけるのはうれしいことでありがたいなと。それまでは、寝転がってお客さまからの電話をお待ちしているような、いい加減な商売でしたから。もう、いっぺんに魅力に取りつかれてしまいました。
蟹瀬そうなんですね。そしてさらにカレーのほうへ進まれていくということですね。
1978年1月、カレーハウスCoCo壱番屋を創業。80年4月、フランチャイズ第1号店オープン、12月にはフランチャイジー募集一時中断。81年、CoCo壱番屋独自の社員独立システム、ブルームシステムを発足した。
蟹瀬喫茶店始められて、2号店まで出されて非常に順調だった。それなのにカレー屋さんを始めるというのは、どういう決断があったんですか?
宗次喫茶店2軒、やがては超繁盛店にはなりました。もうさんざん苦労はしたのですが。超繁盛店になるのに2年半ほど要しましたけども、その頃3号店の店を考えつつ、売り上げをもっと上げたいなと。どうしたら売り上げもっと伸ばすことができるかという中で、出前をやろうと。これ以上お客さま来ていただける余地はもうそんなにないから・・・。
蟹瀬こっちから出ていくと?
宗次ええ、もう超繁盛していましたから。
蟹瀬コーヒーの出前?
宗次ええ、コーヒーと出前をやる以上はご飯のメニューもあったほうがいいかなと。
蟹瀬なるほど。
宗次食事のメニュー。それについては素人でしたし、いろんなメニューができるわけじゃないので、カレーライスぐらいだったらできるんじゃないかなと、それでメニューにしようと決めたんですね。
蟹瀬なるほど、なんとなく分かりますね。だけど実際にその商売でカレーを扱うとなると、結構大変だと思うんですね、その味だとか仕入れだといろんなことがあると思うんです。どういうことをなさったんですか?
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