日本の老舗製油メーカーが
目指す「小さくて強い会社」
その世界戦略とは
太田油脂株式会社
代表取締役社長
太田 健介
太田油脂株式会社は、1902年に愛知県で創業し、1930年から製油製造業に事業転換を行った老舗製油メーカーだ。その技術力と質は高く評価され、宮内庁や伊勢神宮にも献納されるほどだ。代表取締役社長 太田健介はもともとやっていた音楽活動と経営に相関性を見出し、経営戦略にも取り入れている。その大胆かつ綿密な事業展開は、日本のモノづくりメーカーの道標になる可能性を秘めていた。
蟹瀬 賢者の選択 Leaders、ナビゲーターの蟹瀬誠一です。
坪井 坪井安奈です。
蟹瀬 今回は、「個性的」「健康的」な商品で地方から世界を目指す、ある老舗メーカーの戦略に迫ります。
太田油脂株式会社―1902年、愛知県岡崎市で、種や苗の販売事業を創業。1937年、太田製油所に社名を変更。菜種を絞って油を製造する、油脂製造業に事業を展開。1969年、太田油脂株式会社に社名を変更。太田油脂の製品は、古くから技術力と質の高さが認められ、現在でも宮内庁や伊勢神宮に、御灯明油として献納されている。
油作りにこだわり116年、常にチャレンジし続けるのは、代表取締役社長 太田健介。
太田 創業の地であります愛知県岡崎から、世界を健康で笑顔にする。これを事業の目的としています。そのためには、小さくて強い会社になることが大切であると考えます。
地方から世界へチャレンジする。太田が目指す「小さくて強い会社」とは?
坪井 それでは本日のゲストをご紹介します。太田油脂株式会社 代表取締役社長 太田健介さんです。よろしくお願いいたします。
蟹瀬 どうもよろしくお願いいたします。
太田 本日はよろしくお願いいたします。
蟹瀬 最近は、日本でも地方から世界でチャレンジするっていう企業が、ずいぶん増えてきてますけども、「小さくて強い会社」これはどんなものなのか、今日はじっくりお話をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いします。
太田 よろしくお願いします。
蟹瀬 プロフィールを拝見しますと、2003年に今の太田油脂に入社されている。それ以前は何をなさっていたんですか?
太田 高校時代から、音楽、特にロックバンドが大好きで、大学1年生の時にプロを目指しまして、大学辞めちゃって。
蟹瀬 中退して!?ご両親は、相当反対されたんじゃないですか?
太田 学校辞めるときなんか勘当状態で、仕送りも止まりまして、そこからもアルバイトと音楽の生活をずっと続けていました。20歳ぐらいになった頃に、大手のレコード会社の新人育成部門に所属することになりました。
1992年、太田は念願の大手レコード会社に所属。しかし、メジャーデビューのチャンスは巡ってこなかった。その後、アルバイトをしながら模索するが、夢はかなわず。25歳のとき、プロミュージシャンへの道を断念した。
太田 一旦区切りをつけて、九州の水産加工会社に就職しまして働きながら、時々東京に来てライブをやるっていう生活を繰り返していました。
蟹瀬 まだ夢を諦められなかった?
太田 そうですね、音楽はやっぱり大好きで。1998年だったんですが、ライブハウスでライブやってましたら、「こういうレコード会社の者だけど、お前らデビューしないか?」ってきまして。
蟹瀬 へえ。
太田 そこから2000年にデビューをするという流れで。
蟹瀬 レコードも出て。
太田 そうですね、シングルも出したんですけど、なかなか売れなくて、結局はメジャー契約を切られてしまったっていう。その頃はもう結婚をしまして、子供もいました。
坪井 夢敗れて奥様は何かおっしゃってなかったんですか?
太田 さすがに妻も「もう多分無理だと思うよ」というのを、ピシッと言われました。
蟹瀬 しかしその奥様の一言は重かったですね。
太田 そうですね。冷静でしたね。
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