日本は米国や英国の失敗もとに「金融立国」よりも「技術立国」で再生を 環境・省エネ技術含め日本が世界に誇る「技術の強み」活用が重要

今回の米国発の金融危機は、「金融立国」で来た米国経済の破たんだが、京都大の佐伯啓思教授がそのからみで、とても鋭い分析をしておられる。
「米国型資本主義による経済発展の行き詰まりの原因は、1970~80年代に社会が成熟段階に達してしまい、人々がさほどモノを欲しがらなくなった。その結果、製造業に投資しても大きな利潤が出ないので、余ったカネを金融市場に集めてバブルを常に起こすことで、経済発展するしかなかった」点にある、という。
 確かに、そのとおり。米国は、そういった形で「金融立国」型の経済システムにして世界中を巻き込んだが、サブプライムローンを軸にしたさまざまな証券化商品に無理がきて金融システム崩壊に至った。しかし、こと「金融立国」という意味では、それは米国だけでなく英国も同じ。さらにアイスランドなどもそうだ。

「世界を制した『日本的技術発想』――日本人が知らない日本の強み」
 そこで、今回のテーマは、日本が米国や英国の失敗事例をもとに、「金融立国」よりも、日本が世界に誇る強みでもある環境・省エネ技術はじめさまざまな技術を活用して「技術立国」で経済再生をめざしたらどうかという点に関して、ぜひ、述べてみたい。
その話のとっかかりとして、最近、ワクワクして読んだ本を紹介したい。技術ジャーナリストの志村幸雄さんが書かれた「世界を制した『日本的技術発想』―― 日本人が知らない日本の強み」(講談社刊ブルーバックス)だ。なかなか興味深い話が多い。
 志村さんの「日本的技術発想」のヒントになるキーワードをいくつか並べてみよう。「携帯電話の多機能化でケータイをパソコン化する日本発のアイディア」、「ものづくりに宿る『軽薄短小』技術」、「からくりをロボットに変える『合わせ技』」、「模倣を越える『工夫力』と『考案力』」、「軍需に頼らない世界最強の民生技術」、「感性を数値化する製品開発」、「『環境』『安全』を技術の基本機能にしてしまった日本の凄み」などだ。何となくイメージができるのでないかと思う。

日本は技術文化国家、環境技術などをテコに戦略的な技術外交を
 そして、サワリの部分だけを少し引用させていただこう。
「日本の産業技術は、製造技術、すなわち『いかにつくるか』では強いが、『何をつくるか』という製品技術では弱いとされてきた。(中略)しかし私の見るところ『ものづくり』を基盤にした製造技術も、製品技術とは同等の価値のある技術である。実際、日本企業はしばしば、製造技術の革新(プロセス・イノベーション)を製品技術の革新(プロダクト・イノベーション)に転化する離れ技をやってのけている。高解像度のデジタルカメラや、ガソリン車と電気自動車の長所を活用したハイブリッド車が世界市場で存在感を発揮しているのは、その表れだ」
「技術文化国家としての日本に求められているのは、日本が技術力を戦略的に使い、国際貢献していく技術外交でないだろうか。(中略)技術での国際貢献をめざすには環境技術が最有力手段になる。日本が蓄積してきた世界に冠たる環境技術を、技術外交の手段として供与していけば、互いの国益が守られ、結果としての地球規模での利益も確保できる」

日本の戦略的な強み、弱みを探れば、自然に行き着く先は「技術革新力」
 この後段部分が志村さんの指摘したいポイント部分で、私も100%同感する部分だ。これから、私の主張ポイントでもある米国や英国の「金融立国」の失敗事例をもとに、日本は、その拠って立つ基盤を「技術立国」に置いたらどうか、という点について、述べたいと思うが、その結論部分は、この志村さんが主張される「日本が蓄積してきた世界に冠たる環境技術を、技術外交の手段として供与していけば、互いの国益が守られ、結果としての地球規模での利益も確保できる」という点も含まれている。
 コラムの第10回のノーベル賞日本受賞問題に関連して、私は「技術立国」が日本のめざす道であることを書いたので、そのコラムも合わせて、ご覧いただけばと思うが、その場合、なぜ「技術立国」に至ったかという点を述べる必要がある。
私は今、志のある人たちと一緒に社会システムデザイン研究所(横山禎徳代表)のメンバーとして、制度疲労をきたした日本のさまざまな制度、端的には医療制度や年金制度などに関して、新しい発想として社会システムのデザインが必要との立場にたって、制度改革問題に取り組んでいる。
そのうちのメンバーの横山代表、それにフェローの松田学さんらとは言論NPOというNPOで一緒に活動していた際、「日本のパワーアセスメント」、つまり日本という国の実力度はどの程度なのか分析が必要とし、日本の戦略的な強みや弱みの洗い出しをした。

経済、社会・教育、大衆文化、化学・技術、防衛・軍事、政治、エネルギー資源、食料、環境、言論・思想の10分野に関して「先進度」「強靭性」「影響力」の3項目で見たのだが、結論から言えば、戦略的な強みという面では経済の強靭性、大衆文化の影響力、科学・技術の先進度、環境の先進度の4つが日本のパワーとして誇れるものだった。

中国は環境設備機器のメインテナンス、ソフトウェアで日本を頼りに
 大衆文化の影響力はアニメや漫画のいわゆるソフトパワーの部分だが、経済の強靭性は別にして、私の場合、日本が戦略的な強みという形でアピールするならば、科学・技術の先進度、環境の先進度、それらを括った「技術立国」、「環境技術立国」でないかと思っている。
中国の環境・エネルギー問題の調査で昨年2008年に北京を訪れ、発展改革委員会や環境保護総局(当時)、精華大学などと話し合った際、日本が中国と共生していく場合、とくに中国の環境問題に日本がさまざまなレベルで協力していく場合、環境破壊に歯止めをかける技術、省エネ技術などだなと直感した。
その際、興味深かったのは、ある中国人専門家が「中国は今、経済成長によって、日本を含めた海外から環境技術などを買うことができる。しかし、最新鋭の設備などハードウエアを買っても、それをメインテナンス(維持管理)する技術、ソフトウエアの面ではまだまだ立ち遅れており、日本に依存するところ大だ」と述べた点だ。

日本は環境技術への取り組みと経済成長の併存が可能であることを示せ
 かつて日本政府は、国民の巨額の金融資産の活用を含めて、ニューヨークやロンドンに比肩する金融センターを東京に、といった形で「金融立国」を政策的に強く打ち出した時期があった。しかし税制を含めた政策改革を進めないまま、中途半端なものに終わっている。考えようによっては不幸中の幸いというものだ。
それよりも今、米国や英国の「金融立国」が破たんした中で、東京国際金融センターに比重を置くよりも「技術立国」で新たな経済再生をめざすべきでないだろうか。とくに中国との問題に限らず、世界的に環境問題がキーワードになった今、日本が存在感を示せるばかりか、世界に貢献しながら経済再生につなげるチャンスでもある。そして、日本は環境への技術的な取り組みと経済成長は併存できるし、同時に達成可能な問題であることを示せばいいのだ。

政治問題化した「かんぽの宿」売却、ここまで来たら徹底洗い出しを 評価額1万円施設の6000万円転売おかしい、旧資産の売却先例モデルを

ひょんなことから物事は、意外な進展を見せるものだ。鳩山総務相の「その入札、待った!」をきっかけに、株式会社日本郵政(以下日本郵政)の「かんぽの宿」の一括入札方式による売却が宙に浮くどころか、さまざまな問題が表面化して政治問題化したことだ。
私は当初「競争入札での売却なのだから認めざるを得ないのでないか。政治介入こそ問題だ」と思っていた。ところが過去に売却された「かんぽの宿」資産が耳を疑うような価格で転売されていた現実を知り、入札売却以前の問題が数多くあることがわかった。
ここまできたら、すべてを白紙にして、この際、民営化した旧政府系機関の資産売却の先例モデルになるように透明性をもった売却方式にすべきだ、と思う。

譲渡先企業は2年間転売禁止、現従業員の受け入れが条件
 日本郵政は、2007年10月に郵政民営化で正式に発足し、旧特殊法人「簡易保険福祉事業団」保有の「かんぽの宿」などの宿泊施設を旧日本郵政公社の簡易保険事業本部経由で引き継いだ。しかし「かんぽの宿」事業は年間50億円前後の赤字を出している。日本郵政としては、民営化に伴う法律で5年後の12年9月までに売却するか廃止するかを経営判断することになっていたため、最終的に売却に踏み切ることにした。
そこで、日本郵政は昨08年2月、外資系のメリルリンチ日本証券とアドバイザリー契約を結び、そのアドバイスにもとづいて今回の70施設、そして首都圏の従業員社宅9物件の一括売却を決めた。そのさい、競争入札で譲り受ける企業は2年間、すべての施設の転売禁止、事業運営する新会社には転籍を希望する現在の従業員を全員受け入れる、という2つのことが条件だった。

「減損会計」で当初の2400億円がわずか126億円評価に、譲渡額は109億円
 この一括入札方式の公募に応じた企業が投資ファンドや不動産会社など27社。そして昨年12月、オリックスグループ企業のオリックス不動産が競争入札を経て109億円で競り落とした。問題はそこから始まる。
日本郵政が07年10月に旧郵政公社から引き継いだ際の70施設プラス社員寮9物件の評価額は126億5300万円。この評価額に関しては、総務省の「郵政民営化承継財産評価委員会」が民営化時に容認していたのだが、これが問題を大きくする。
というのは70施設のうち、黒字化している11施設を除く立地条件の悪い所の施設の価値評価額に関しては、将来の収益があまり見込めない施設と判断し、民間企業が導入する「減損会計」処理システムに従って、あらかじめ損失を織り込んで計上することにしていた。そして委員会は、その評価額については126億円でOKとしたのだ。
ところが「かんぽの宿」70施設は、土地の取得や建設などの費用が約2400億円もつぎ込まれていたため、現在の評価額との差が大きすぎるのでないかということ、ましてや今回、一括入札での競り落とし額109億円との差もさらに大きく、専門家による委員会評価は厳しすぎる、いや、甘すぎるのでないかとの議論があとで出てくることになる。

鳩山総務相の「その入札、待った!」の背後に4つの「なぜ」
 鳩山総務相の「その入札、待った!」は、こうした背景のもとで出てきた。所管大臣である鳩山総務相は、日本郵政が08年12月26日にオリックス不動産への一括売却を決めたと公表したあと1月6日になって、急に譲渡見直しを求める、と注文をつけた。
そのさい、1)土地取得や建設に要した2400億円に比べて譲渡額109億円は安すぎるのでないか、2)なぜ今のような厳しい経済状況の時に売り急ぐのか、3)なぜ一括売却なのか。個別に売却する方向を打ち出せば地元資本も買いやすくなり地域経済活性化につながるのでないか、4)競争入札でオリックス・グループが落札したとはいえ、一括売却は納得がいかない。グループ代表の宮内義彦氏はかつて政府の総合規制改革会議の議長として郵政民営化の旗を振っていたはず。世間から出来レースでないかと疑われるーーといった4つの「なぜ」を示したのだ。

当初、競争入札で手続き的に問題なく鳩山総務相の政治介入を問題視
 当初は、郵政民営化問題に冷ややかな鳩山総務相がいやがらせの意味合いで横車を押しているのかなという感じがあった。私は冒頭にも述べたとおり、不透明な随意契約ならいざしらず、競争入札なのでオリックス・グループに一括譲渡になっても手続き的には問題なく、やむを得ないのでないかと思っていた。ただ、日本郵政は現時点で3年先の12年のタイムリミットまで時間があるのに、なぜ今のような景気失速の時期に売り急ぐのか、という疑問があった程度。基本は、政治家のおかしな政治介入でないかと思っていた。
複数の関係者が異口同音に、総務省内部で郵政民営化に批判的だった旧郵政官僚が「かんぽの宿」の一括売却について、日本郵政から12月22日に事前報告があったのに、発表当日まで大臣にわざと報告せず、その当日報告の際も異常な安値譲渡であること、宮内氏のいるオリックス・グループへの一括売却であることを耳打ちしたらしい、という。ただ、これは確認できず、真偽のほどが定かでないが、「なるほど、そういう政治的な思惑もあり得るな。大臣は場合によってそれに乗ったのかもしれない」と思った。

実体不明の不動産会社が一括譲り受けと答辞に転売し巨額利益
 しかし、そんなことよりも、メディアの独自取材や国会での与野党論戦の中で、民営化以前の07年3月に旧日本郵政公社が今回と同様に一括資産売却した「かんぽの宿」の施設の中に、信じられない安値評価で売却されたあと、売却から半年後に破格の高値で転売されている事例がいくつかあることが判明したのだ。
その1つが鳥取県岩美町の「かんぽの宿」(面積延べ4219平方メートル)。06年度に4200万円の赤字計上を理由に、資産評価がわずか1万円とはじき出した。一括売却の1つのため、当時の旧日本郵政公社側は、赤字施設を早く処分して、経営的に身軽になりたい、という気持ちがあったのだろう。地元の方々には失礼ながら、多分、「金額評価はいくらでもいいから、早く話をまとめてくれ」ということだったのでないだろうか。
東京新聞「こちら特報部」の取材チームが調査報道の形で調べたら、この施設の購入者は社会福祉法人で、当時、土地代4000万円に建物2000万円の評価を下し、自分たちから購入価格を申し出て買ったのだ、という。そして、あとでそれが半年前には1万円の評価だったと聞かされ、愕然とした、という。
ところが、これら施設を一括譲渡で購入した東京銀座にある不動産会社、レッドスロープは、東京新聞報道によると、この不動産会社は宅建業者の免許を07年に取得したばかり。資本金300万円の会社だが、取材チームが電話しても通じず、住所のビルに行っても不在のまま。文字どおり、この「かんぽの宿」プロジェクトのために急きょ立ち上げた会社なのだろう。私が調べて電話しても通じずで、同じだった。

一括売却でなく個別に公開競争入札でやること、旧郵政官僚の責任も問う必要
 そこで、結論を申し上げよう。まずは、今回の話は白紙に戻し、バルクセールという形で一括売却することは止めるべきだ。いまは、売却時期としてはいいとはいえないので、しばらく様子見にするしかないだろうが、鳥取県のケースように、地元で購入して再利用したい、ということもあり得るのだ。そして、個別ケースでの公開競争入札にしていけばいい。問題は、従業員をどうするかだが、これはケースバイケースで、場合によっては日本郵政が何らかの再就職あっせんをするしかないだろう。
それよりも、今回の問題で明らかになったことは、われわれの財産ともいうべき簡易保険料を使って立地条件の悪い場所に不必要なハコモノをつくり、何ら責任を負わないまま当初の土地取得費や建設費をすべて無駄にしてしまっている現実だ。これに関しては、プランを練った旧郵政官僚、旧特殊法人「簡易保険福祉事業団」関係者の責任を追及することが重要だ。そうでないと、本当の民営化にならないし、民営化した会社がリスクを負わされるだけになる。そうして、旧資産をどう再生するか、どう売却するかの先例モデルにしていけばいいのだ。
日本郵政の西川社長が1月29日の記者会見で、旧郵政省や旧特殊法人「簡易保険福祉事業団」が立地条件の悪い場所に施設を建てた事について「そもそも今あるかんぽの宿の立地を間違えたということもあるでしょう。あるいはまた、お金をかけすぎたということもあるでしょう」「取得原価を見ると、どういう考え方で、そういう大きな投資が行われたのか、よく理解できないところがあります」と述べている。なかなか示唆的だ。

どう考えても麻薬の政府紙幣、一度使えば慢性的依存症に 「戦後最大の経済危機」といえども歯止めなし発行リスクが消えず

トヨタ自動車、ソニーといった主要企業が軒並みケタ外れの損失見通しで、米国発金融危機が日本をボディーブローで直撃してきたなと思っていたら、10-12月期実質GDP(国内総生産)は輸出の大幅な落ち込みが響き、3四半期連続減少のうえ年率換算マイナス12.7%。与謝野経済財政担当相が言うように「戦後最大の経済危機」だ。日本経済は景気失速どころか再びデフレの深い闇に落ち込みかねない。
この事態に対応するため、麻生政権、そして与党自民党内部では2009年度予算案の成立メドもたっていない中で、早くも「20~30兆円規模の大型補正予算で追加経済対策が必要」(菅義偉自民党選挙対策副委員長)といった声が出ている。
昨年12月末時点で麻生政権は09年度経済運営方針に関して、経済成長率を実質0.0%と見て予算編成した。ところが現時点で、このままでは09年度の大幅マイナス成長が避けられず、なりふり構わず大胆に対応しようというものだ。今回は異常事態と言わざるを得ないが、それにしても、わずか2か月前に編成した予算案が根底から揺さぶられるというのでは、政府の見通し判断はいったい何だったのかが問われる。

高橋東洋大教授「100年に1度の大不況時に政府紙幣25兆円発行」主張
 それよりも今、問題なのは、自民党の菅氏らは、20~30兆円規模の予算の財源対策として、政府紙幣の発行、さらに相続税がかからない無利子非課税国債発行を本気で言い始めていることだ。このうち、政府紙幣の発行は、率直に言って麻薬のようなもので、一度使えば麻薬を吸った人たちが止められなくなるように、慢性的な依存症に陥り、節度のない放漫財政に陥りかねないリスクがある。
この政府紙幣発行を強く主張しているのが高橋洋一東洋大教授だ。自民党の菅氏らは共鳴し総選挙対策とからめてぶちあげているフシがあるが、高橋教授は2月13日付の産経新聞「単刀直言」欄で、次のようにアピールしている。少し引用させていただこう。
「10年や20年に1度の不況ならば、政府紙幣の発行は必要ないが、『100年に1度』の大不況となれば別だ。『100年に1度の対応』が当然必要となる」「そこで、私が提案しているのが、政府紙幣25兆円を発行し、日銀の量的緩和で25兆円を供給、さらに『埋蔵金』25兆円を活用し、計75兆円の資金を市中に供給するプランだ。2、3年で集中的に行い、さまざまな政策を組み合わせれば、多方面に効果が出るはずだ」

「大デフレ時のインフレは良薬」「インフレに歯止めというなら物価安定目標を」
 高橋教授はさらにこうも言う。「大デフレ時のインフレは良薬だ。デフレは例えて言えば氷風呂。政府紙幣は熱湯。普段のお湯ならやけどをするが、氷風呂なら熱湯を入れない方が凍え死ぬ。金融政策は本来、日銀の仕事だが、日銀が何もしないのならば、政府がやるしかないのでないか」「インフレ懸念の観点から歯止めが必要、というのならば、『インフレ率3%になれば発行を止める』など物価安定目標をさだめればよい。これは同時に財政規律の確保にもつながる」

霞が関改革めざす「脱藩官僚の会」の行動には共鳴するが、政府紙幣には反対
 この高橋教授は、ご存じの方も多いと思うが、もともとは財務省官僚。旧通産省OBで橋本龍太郎首相(故人)の政務担当秘書官も経験した江田憲司衆院議員らとともに「脱藩官僚の会」をつくり、官僚の前例踏襲主義、リスクをとらない政策対応、霞が関行政官庁の縦割り組織至上主義の弊害を問題視し霞が関改革を主張している。すごく志が高い。
とくに、特別会計のキャッシュフロー分析を行い資産負債差額にあたる余剰資金に関して「埋蔵金」と位置付け、各省庁所管の特別会計の洗い出しによって、財源ねん出に充てるべきことを主張した点でも、間違いなく異色の官僚だ。
私は、これら「脱藩官僚の会」の行動にはとても共鳴し、ジャーナリストの立場で応援もする。しかし、こと、今回の政府紙幣に関しては、はっきり言って、導入に反対だ。
結論から先に言えば、通貨の発行管理、マネーコントロールに関しては、日本銀行という政府から独立した中央銀行に対して金融政策を委ねているのだから、これまでどおり物価安定を軸に、日銀には通貨発行や管理を委ねるべきだ。
高橋教授は「金融政策は本来、日銀の仕事だが、日銀が何もしないのならば、政府がやるしかないのでないか」という。しかし政府が「日本銀行券」とは別に、政府紙幣を発行するということになった場合、通貨の一元管理が行えなくなり、結果として、歯止めなき発行が続いて、デフレ脱却どころかインフレに火をつけかねないこともある。

通貨管理は日銀の専管事項、日銀という歯止め的な存在が重要
 インフレ率、つまり消費者物価上昇率が3%になれば発行を止める、といった歯止めをかければいい、と高橋教授は反論されるかもしれない。しかし、過去に、この種の政策的な歯止め措置がその時々の政治のご都合主義などによって変更されたり、あいまいにされたことが多々ある。
例えばインフレ率が3%台に乗り始めた際に、経済実体が不況下の物価高、つまりスタグフレーションのような状況の時を想定してみよう。政治状況によっては、「確かに物価は政府紙幣発行の歯止めラインにあるが、経済が依然、不況色を脱しきれていない。こんな時には財政出動がもっと必要でないか。政府紙幣発行によって財政出動を優先させるべきだ」といった議論が起こりかねない。その時に、時の政権が毅然とした態度で、発行に歯止めという初志を貫徹できるだろうか、ということだ。
重ねて言うが、政府から独立した立場にある中央銀行の日銀に権限を委ね、財政とは一線を画す形で通貨管理を委ねることがスジだ。もともと通貨管理や金融政策運営は日銀の専管事項だ。財政サイドが政府紙幣発行で仮に放漫財政に陥った場合、金融政策はコントロール力を失ってしまう。日銀という歯止め的な存在を置いておくことは重要だ。

政府にとっては利子負担伴う国債と違って無利子・低コスト発行の誘惑
 ご存じだろうが、財政法では、日銀が政府の発行する国債引き受けを行うことを禁じている。この歯止めを設けることで、財政規律が維持されている。高橋教授が言う「10年や20年に1度の不況ならば、政府紙幣の発行は必要ないが、『100年に1度』の大不況となれば別だ」という理屈でもって、この節度を踏み外すと際限ない、財政および金融の政策混乱が起きると思う。それだけは、この異常事態下でも避けるべきだ。
それに、この政府紙幣は、もし発行された場合、いまわれわれが使っている紙幣の日銀券と等価交換ができることになる。買い物でも何でも政府紙幣と日銀券で自由にできるメリットがあるだろうが、半面で、マネーが市中にあふれかえり、次第に通貨価値が下落するリスクが出る。ある面で、日銀に金融政策面でツケが回りかねない。
そればかりでない。政府にとっては、国債ならば利子をつけて発行するため国債費という形で利子負担が伴うのに、この政府紙幣ならば、無利子で発行できる。コストと言えば紙幣の特殊な紙代、それに印刷代だけで、安くて済む。このため、限りなく発行の誘惑に駆られる。麻薬に似ているというのは、そういう意味からだ。

世界中にあふれかえる過剰流動性を制御できるかどうか、厄介な問題
 与謝野経済財政担当相が言う「戦後最大の経済危機」に対処するには、あらゆるチエを働かさねばならない。モノづくりや技術革新力など、日本の潜在的な強みを生かして、外需に大きく依存せず内需主導の経済構造に変えること、高成長を望まず身の丈に合った経済にしていくことなど、この際、発想の転換で、いろいろ考えていけばいい
ただ、マクロ政策的にはゼロ金利状態の金融の一段緩和は過去のデフレ時代の学習効果で限界があり、財政出動によって需要創出せざるを得ない。私もそう思う。しかし、だからと言って、政府紙幣発行に道を開いて、結果として歯止めがない通貨発行に陥るといったことだけは避けねばならない。
その点で、また、別な機会に申上げたいが、米国発金融危機に対応して、主要国の中央銀行が流動性対策から世界中にまき散らした過剰流動性をどう制御するのかという重大問題のことも考えておかねばならない。景気が好転しだした場合、その過剰流動性が災いして、インフレの火がつくきっかけになるかもしれない。しかし、インフレの火消しで中央銀行が資金回収に踏み出すタイミングを誤ると金利高をもたらし、せっかく回復しかけた景気に水を差すリスクもある。ことほど左様に、マネーはコントロールが難しいのだ。

1人3役の与謝野「経済総理」で戦後最大の危機克服は厳しい 事態招いた中川前財務・金融相の醜態の「罪」重い、日本の政治劣化はひどい

それにしても日本の政治はひどすぎる。とくに政治の劣化がひどい。政権の座をわずか1年で放り出す首相が2度続いたことにもあきれたが、今度はもっと醜態だ。世界の金融危機、デフレ危機への対応を協議する主要7カ国財務相・中央銀行総裁が集まる重要会議に参加した中川昭一前財務・金融担当相が会議直後の記者会見で、明らかに酒を飲みすぎたかのように、ろれつが回らず朦朧(もうろう)状態の醜態を見せ、世界中の主要メディアから冷笑されてしまった。
 引責辞任は当然だが、問題は、これを引き継ぐ羽目になった与謝野馨「経済総理」の荷が重すぎることだ。年率換算マイナス12.7%という非常事態のもと経済財政、金融、そして財務という3つの異なる分野を担当し、機動的な経済のカジ取り、事態乗り切りを図れるだろうか。与謝野氏自身が言う「今は戦後最大の経済危機」は深刻な事態だが、体力的な問題もあり、失礼ながら甚だ心もとない。不安がいっぱいだ。その意味でも中川前財務・金融担当相の「罪」は大きいし重い。
与謝野「経済総理」のマクロ経済運営の問題に入る前に、中川氏の足跡をたどりながら政治家としての生き様(いきざま)に関して述べておきたい。

中川前財務相はかねてから飲酒癖、致命的な重要国際会議に臨む自覚のなさ
 中川氏は1953年生まれで56歳。農林水産相2回のほか経済産業相、自民党政務調査会長、そして今回の財務・金融担当相と、政治家として重要なポストを歴任してきた。しかしその割には、どのポストでも、鋭い政治感覚で閉そく状況に陥る日本の新たな方向づけをした、といった話を聞いたことがない。むしろ飲酒癖などレベルの低い話が多い。 とくに飲酒癖に関しては、経済産業相を担当した時も、その飲み方が度を過ぎ経済産業省内部で顰蹙(ひんしゅく)を買ったほど。経済産業省の幹部や若手は異口同音に「大臣に政策案件のご進講していても酔っ払っていて、ちゃんと聞いていないことが多々あった。官僚の宮仕えの辛さもあるが、さすがに我慢がならなかった」と述べている。
 また、閣議に深酒の臭いをぷんぷんさせて現れ、他の閣僚からブーイングが出たことも有名。財務省記者クラブの担当記者によると、朝方の閣議後の記者会見でも酒の臭いがあり、辟易することがあった、というから、相当なもの。
だから今回の主要7カ国財務相・中央銀行総裁(G7)後の記者会見での朦朧状態での言動に関しても、中川氏は、風邪薬や腰痛止め薬を飲みすぎたと釈明していたが、テレビで映し出される姿は酒と薬の相乗効果による可能性が強い。そういった意味で、重要な会議に臨む日本の経済閣僚として自己管理能力のなさもさることながら、日本が果たさねばならない役割、責任の大きさに対する自覚がなかったことは、政治家として致命傷だ。

故中川一郎氏への恩義で重用との見方も、「麻立会」メンバーが強み?
 なぜ、こういった中川氏を重要ポストに充てるのだろうか。複数の友人政治ジャーナリストによると、小泉純一郎元首相を含め自民党政治家の間では中川氏の父親で政治家としても著名な故中川一郎氏への恩義から息子昭一氏を優遇するのだ、という。あるジャーナリストは「大物面(づら)する割に気が弱い。父親の死が自殺か他殺か真相不明なことがトラウマなのか、あるいは政治的なストレスに耐えかねるのか酒におぼれる」という。
 麻立(まりゅう)会という会をご存じだろうか。名門麻布学園のOB会で、卒業して政治家になった人たちを応援すると同時に、政治家同士も交流する会だ。中川氏はこの麻立会のメンバーで、何と福田康夫元首相、与謝野「経済総理」、平沼赳夫元経済産業相、丹羽雄哉元厚生相、谷垣禎一元財務相らがズラリ顔をそろえる。与謝野氏が今回、後輩の中川氏の尻拭いをさせられるのも奇妙な縁だが、この麻立会が中川氏の存在をバックアップしていることも事実なのだろう。
中川氏は将来の政治リーダーを意識したのか、昨年秋、著書「飛翔する日本」(講談社インターナショナル発行)を出し、その中でこう述べている。「国を衰退させ、国民に不利益をもたらした政治家が『これだけのことをやりました。一生懸命頑張った自分をほめてやりたい』と言っても国民は共感しない。出てくるのはため息だろう。政治に問われるのは『結果』だ」という。その中川氏自身が、そういう前に自滅していてはどうしようもない。

立利害対立する経済3ポストすべて兼務は無理、今は危機対応の機動性が重要
 さて、冒頭に申上げたが、与謝野「経済総理」には、ご苦労なことながら、この非常事態を乗り切れるのかどうか、ということが当面、最大の問題だ。「経済総理」という言葉の響きのよさとは裏腹に、財務省所管の財務担当、内閣府所管の経済財政審諮問会議などマクロ経済全般をカバーする経済財政担当、そして金融庁所管の金融担当の3つをカバーすること自体、政策面で利害がからむこともあり、無理があるのだ。
財政と金融の担当大臣を分離したのも、もともとは旧大蔵省が金融機関とのスキャンダルなどさまざまな問題を引き起こしたため、行政改革で財務省と金融庁に分けた。同様に財務省と経済財政諮問会議との間でも、かつて税制改革1つをめぐって財務省が省益をむき出しにして経済財政諮問会議の民間議員、あるいは内閣府と対立したことがある。そういった状況をすべて呑み込んで、この3つの重要な経済ポストを、今は非常事態だからと1人3役にするのは、どう考えてもおかしい。
 与謝野「経済総理」は最近、テレビのインタビュー番組で、中川氏辞任を受けての経済運営に関し「1人でやった方が決断は早いという場合もあるし、逆に独断でやって問題を引き起こすリスクもある」と率直に述べる一方で、「先発投手が倒れた後のリリーフ(救援)はきちんとやらねばならない」と決意を語った。
しかし与謝野氏自身は、もともと政治家特有の頑強さが見られず線が細いうえ、がん手術後、体力も万全でなく、発言には悲壮感を漂わせる。このため、09年度予算案をめぐる国会審議、さらにそのあとの経済非常事態に対処する09年度の大型補正予算案審議に対応できるのか、という不安が残る。国会の予算委員会などの審議は、大臣経験者によると長時間、座りっぱなしのうえに答弁ミスが許されないため、緊張度が続くという。

麻生首相は早く財務、そして金融担当の専任相を任命し非常事態乗り切りを
 そればかりでない。与謝野「経済総理」は対外的にも課題を多く抱えている。2月22日のASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日本、中国、韓国)財務大臣会合には、国会審議を優先せざるを得ないため欠席し代役を当てた。しかし3月14日のロンドンでの開催されるG7拡大版の20カ国が集まるG20財務相会合、さらに4月2日のロンドンでの麻生首相とともに出席が必要な第2回金融サミットには代理派遣となれば、日本の責任が問われる。
率直に言おう。この際、麻生首相は、財政通のベテラン政治家を起用するのが重要だ。その際、中川氏に任せた財務・金融担当の2ポストを分離し、財政政策運営と、金融機関監督の金融担当は別々の大臣起用にするのが筋だ。麻生政権自体、内閣支持率の急速な低下で、いつまで持つかと言われているが、麻生首相自身が言うように、今は政局よりも危機対応、政策優先だというのならば、政権の保身にエネルギーを割くよりも、財政、そして金融担当の専任大臣起用を優先すべきだろう。
 政治の現状に対する株式や為替マーケットの反応も極めて厳しい。とくに東京株式市場では大きく売り込まれ、バブル崩壊後の最安値のレベルにまで株価の下落が来ている。東京証券取引所によると外国人投資家の今年初めからの売り越し額は、わずか2か月間で昨年1年間の3分の1にあたる1兆2000億円というけたたましい数字になっている、という。ロシアや東欧から外資が逃避し、それが政治や経済の混乱に拍車をかけているようだが、日本も他人事でない。株式の売り越し超過の現実を見る限り、外国人投資家は日本を見限っている、とも言える。

日本は農業でチャンレンジを、発想変えればビジネスチャンスいっぱい 「減反選択制」OK、米価所得補償にしがみつく農業では将来展望見えず

38年も続く米の減反(生産調整)政策の見直しが大きな政治問題になっている。きっかけは、日本農業を方向づける政府の「食料・農業・農村基本計画」を見直して、食料自給率を現行の40%から50%への引き上げをめざす政府審議会議論スタートと同時に米の減反(生産調整)の選択制、つまり農家の自由判断にゆだねるようにする、という構想が出てきたため、政治家が米の水田ならぬ票田を意識して、減反存続を主張し始めたのだ。
 減反政策のあり方、そして閉そく状況に陥っている日本農業をどうしたらいいかの問題に入る前に、最近出会った自称元暴走族の新潟の農業青年が輸出米にチャレンジして見事に成功している話を先にしよう。たぶん、その話を聞かれたら、今後の日本農業を考える際のヒントになると思う。

米価下落で苦しんだ自称元暴走族の専業農家の青年が輸出米にチャレンジ
 この青年は新潟玉木農園の玉木修さんで、いま29歳。ちょうど20歳の時に、実家の米作農業を引き継ぐことにした。田植えから出来秋の収穫まで米づくりに4回取り組んだ時に、玉木さんをショックに陥れる事件が起きた。玉木さんの実家は15.5ヘクタールの水田から年間94トンの銘柄米、コシヒカリを生産する安定した専業農家だが、その4年間に米価が下落を経験して経営を揺るがしたためだ。
 「親父が62歳の現役でがんばっており月給制で経営にかかわっていましたが、24歳の7月に突然、実家が資金ショートし給料支払いが一時的にストップしたのです。理由は、米価下落によって予定した米代金が計画を下回ったためです。新米収穫の9月になれば米代金が入り問題解消するのですが、うちの場合、仮に米価が5%値下がりするだけで数百万円レベルの減収です。専業農家ほど米価値下がりの影響を大きく受けるのはおかしいと思い、そこで、自力で事態打開を図るしかないと考えたのが巨大な潜在的な市場である海外へ米の輸出です」

こう述べる玉木さんは、父親の玉木森雄さんと大激論の末に4年前の25歳の時に、当時アジアで米に対する味の評価があり、そこそこの経済成長を維持していた台湾を輸出先にしようと判断、精米にしたコシヒカリ10キロを持って台湾に単身、売り込みに出けたのだ。事前に台湾で米を取り扱っている貿易専門商社も調べあげ、文字どおり徒手空拳のような形での米を売り込みだが、そこから、さまざまなドラマが始まり、持ち前の反骨心のようなものが運を持ち込む結果になった。

運も幸いしたが、玉木青年は精米10キロ持って単身台湾に行き見事成功
 玉木さんによると、最初に出会った台湾の貿易専門会社の役員との商談がうまく実を結びかけて矢先に、その役員がライバル企業にヘッドハンティングとなった。恐縮するその役員が「申し訳ない」と紹介してくれたのが今、玉木さんのビジネスパートナーとなっているリンさんという米国を拠点に日本、台湾、中国、香港、シンガポール、タイなどと貿易会社社長だった。
人間の運命というのは、本当に面白い。玉木さん自身のからだごとぶつかっていくファイティング・スピリットがプラスに働いたところもあるが、リンさんも面白いやつだ、と評価すると同時に日本のコシヒカリの味ならば十分に台湾国内で売れると考えたのだろう、ビジネス成立となった。スポットでの輸出契約は、玉木さんが翌年26歳の6月に、9月の新米が出るまでの4か月間に2.4トンの精米を輸出した。これが4年後に昨年産のコシヒカリで80トン、実に実家の米収穫量94トンの90%近くを台湾向け輸出に依存するほどになっている。
 国内の生産農家が聞いたら飛び上がるのは、玉木さんが台湾で販売している新潟産コシヒカリの価格だ。聞けば、玉木さんは台湾滞在中に信じられないほどのエネルギーを費やして徹底的にマーケットリサーチした結果決めた価格だが、台湾標準袋づめ単位の2キロベースで720台湾元という値段で売り出した。円換算で1キロベースにすると1325円。当時、日本国内で新潟産コシヒカリが玄米で1キロ310円、精米で白米にしたものが450円だったので、国内の3倍以上の値段で売れたのだ。

日本より数倍の価格で売り込み今も値段浸透、残留農薬ゼロ証明で勝負も効果
 この価格設定は、玉木さんが自ら言うように「台湾での衝撃的なデビューをするつもりで設定したもので、ずっと続けるつもりはなかった」。というのも、台湾は日本と違って米の輸入が自由化され、現地の台湾産以外に米国産、ベトナム産、タイ産の米がひしめきあって価格競争しているからだ。ただ、それでも玉木さんは各国の米を食べ比べたところ、リンさんとも意見一致する点で、日本の米は味の点で群を抜いており、十分な競争力がある、と見ているのだ。このため、価格面で値段のバーを不必要に下げるべきでないと判断、今も円換算で日本国内よりも高い330、480、580台湾元の3種類の価格帯の米を売っている。
 もちろん、玉木さんには言い知れない努力があり、有機肥料と海洋深層水で無農薬化を図り、日本食品分析センターで分析試験をしてもらって残留農薬検出ゼロを3年間、続けて達成しており、その証明書を付けて台湾でコシヒカリを売っている。味だけでなく品質や安全性に厳しい台湾では消費者の人たちへの強いメッセージとなり高い値段のものでも買おう、となると踏んだのだ。

今、米国発の金融危機のあおりで円高が進み、本来ならば、日本からの輸出は逆風。ところが玉木さんは以前からリスクヘッジの布石を打ち、しかもパートナーのリンさんの応援で米国、中国にも輸出を準備中だ。

国内には先進モデル事例も多い、玉木青年も「3年後に世界一の農業マン」めざす
 この1年、私自身、国内のコメ生産農家、農業法人などを訪問し、米を取り巻く厳しい逆境のもとでも、さまざまな付加価値をつけながらチャレンジしている事例を見て、「日本の米生産農家は捨てたものでない。それどころか、たくましい。先進モデル事例となるやる気のある農家や農業法人は、ジャーナリストの役割としてバックアップを」と思っている。もちろん、一方の極にある減反対応でへとへとになったり、高齢化後継者がいなくて愚痴を聞かされる生産農家も多かった。
しかし、この玉木青年の場合、若さと行動力だけでなく、経営判断も素晴らしい。玉木さんは「世界に米を売っていく。3年後に、世界一の日本農業マンと言われるようにがんばる」と語っている。心強い限りだ。
 さて、ここで、冒頭の減反政策をめぐる問題だ。私の意見は、ここまで述べてきたことでおわかりいただけよう。減反政策を一気に廃止というのは、農業生産の現場に大混乱が起きるので、とりあえずは減反選択制で臨めばいい。むしろ、政府の減反政策にとらわれず米生産に積極的にチャレンジしたいので、耕作面積は自らの責任、自由裁量でやらせてくれという、やる気のある生産農家にはその判断を尊重する。ただし、増産に伴う需給バランスの崩れによる市況値崩れで、米代金が十分に確保できない事態に陥っても、政府が減反選択農家に支給する農家所得対策的な交付金は望めないことは言うまでもない。

38年間の減反政策見直しの時期、生産現場のやる気摘むことのリスク
 私も、毎日新聞社で駆け出し記者のころ、米どころ山形県で最初の減反に遭遇し、それ以来、さまざまな生産農家の現場を見てきたが、減反政策は米の需給調整のために強制的に生産調整という名の減反、つまり米をつくるな政策、そして代わりに大豆などの転作奨励する国の政策に反発しながらも泣く泣く応じざるを得ない現実を見てきた。結論から言えば、生産農家に先行き不安感、閉そく感だけを残し、今は耕作放棄地がいたるところに増え、日本農業の生産力構造がガタガタになりつつある。
 こういった意味でも、米生産に誇りを持ち、国内の閉そく状況を見限って海外に米輸出を志して成功している玉木青年の動きをみる限り、生産現場の自主的なやる気の芽をつむような減反政策は見直しが当然だと言いたい。それに米価、あるいは米価での農家所得補償にしがみつくやり方では、永久に、日本農業の将来展望は見えない、とも言いたい。

今や世界中が中国経済頼み?中国は内需拡大期待に応えられるか 課題山積で社会不安リスク消えず、8%成長達成が重要なカギ

 「社会主義中国」と「市場経済中国」の2つを巧みに使い分ける中国はここ数年、年率10、11%という2ケタ台の高成長を続けてきた。ところが米国発金融危機による主要国経済混乱の影響で、輸出不振から経済が大きく失速し、中国経済は今、正念場にある。このため、温家宝首相は3月の全国人民代表大会(全人代)で、今後2年間に4兆元(円換算約58兆円)にのぼる巨額資金投入の内需拡大策によって2009年に「8%程度」の成長を実現すると表明している。
この8%という成長率は、実は、中国経済を見る場合のキーポイントの数字だ。友人の中国人エコノミストや中国ウオッチャーなどが口をそろえて言うのは、中国にとって、もし成長率が8%割れになると、失業や失職による雇用不安が社会不安、そして政治不安に発展するリスクが一気に高まる危機ラインであるためだ、というのだ。
しかし、09年にそろってマイナス成長に陥る見通しの米国、EU(欧州共同体)、それに日本からすれば、8%成長というのは間違いなく高成長。そればかりでない。ややオーバーに言えば、世界中が中国に熱い視線を送り、世界経済を何とか下支えしてくれよ、という中国頼みの気持ちがある。果たして、中国は輸出など外需依存から内需主導の経済への切り替えによって、内外の期待に応えられるのだろうか。

ニューリッチはどこ吹く風、米国不動産買い付けや北海道豪華ツアーの現実
 その前に、最近、中国の動きを見ていて、おやっと思ったことがあるので、ちょっと紹介しよう。中国富裕層、つまりニューリッチを含めた富裕層の海外での行動だ。
まず、2月24日の中国上海の新聞が報じた話は、中国の不動産業者がインターネットで米国のロサンゼルスなど主要5都市の不動産買い付けツアー参加者を募集したら中国各地から約400人の応募が殺到、その中から100万元の個人金融資産、さらに100万ドル以上の外貨資産を持つという40人を選んだ、というものだ。このツアーは、米国金融危機のあおりで競売にかけられた30万ドルから80万ドルの物件を物色するもので、参加者が気に入れば、その場で売買の仮契約を行う、という。
もう1つの話は、読売新聞の3月9日付の経済面で黒川記者が中国人富裕層というテーマで取り上げている。興味深いので、少し引用させていただこう。要は、日本の知床など舞台にした中国の正月映画がヒットし、それをきっかけに中国で日本人気が高まり富裕層がジェット機をチャーターして北海道のロケ地を回るツアーまでがある、というのだ。
そういえば私自身、最近、中国ニューリッチが東京の築地にフグ料理などを食べに来て、その足で北海道にスキー旅行に行った、という贅沢旅行の話を聞いたので、このジェット機チャーター旅行も十分に考えられる話だ。
中国経済の図体がでかすぎて、「群盲、象を評す」という心境になることが多く、この富裕層の動きで中国を決めつけるわけにはいかないが、こうした動きを見る限り、中国そのものが以前と違って、豊かになりつつあることは間違いない。

消費者物価は下落し始めデフレ懸念も、電力消費量も大きくマイナス
 しかし中国経済の現実は、マクロ経済指標で見る限り、ニューリッチと言われる新興富裕層の動きとはかけ離れた所にあると言っていい。
まず最近発表になった09年2月の消費者物価は前年比1.6%の下落で、02年12月以来、実に6年2か月ぶりのマイナスだ。そういえば1年前の2月ごろは、中国経済の過熱が続いていて消費者物価も前年比8%台の高い伸びだった。しかもそれが半年以上続いた記憶があるので、明らかに物価のトレンドが変わってきた。それどころか中国経済の失速に合わせてデフレ懸念も出てきた、と言えるかもしれない。
もう少しマクロ数字をチェックしてみよう。中国ウオッチャーの人たちによると、中国の統計数字は、日本ほど整備されておらず、信ぴょう性に欠ける部分があるが、電力消費量の動きをみると、中国の生産活動の動きがどういった状況にあるか探るヒントになるという。そこで、電力消費量を見ると、08年10月から前年比でマイナスに転じ、とくに11月、12月がそろって前年比で8%台のマイナスだったのが09年1月は12.9%の大幅なマイナスになっている。これは経済失速を裏付ける重要なシグナルだ。

出稼ぎ農民工は1100万人が旧正月後も失業中、社会不安の要因に
 それと冒頭に述べた社会不安につながりかねない失業、とりわけ出稼ぎ農民と言われる農民工の失業状況が気になるので、見てみよう。担当の中国人事社会保障相が3月10日の記者会見で明らかにしたところでは、農民工のうち約1100万人が1月下旬の旧正月後に地方から再び出稼ぎで都市部に戻ったものの、仕事を見つけられず失業状態が続いている、という。
中国政府は、中国の人たちが旧正月で故郷に帰省する人口移動の問題に関連して、リストラなどで失職して故郷に帰る農民工が2000万人と、2月時点で公表していたのが記憶にある。人事社会保障相の記者会見の話とをからませると、少なくとも差し引き1000万人の農民工のひとたちは、旧正月明けとともに都市部に戻っても仕事にありつけない、と判断して地方に残ったと考えられる。
雇用不安の問題は、この農民工だけに限ったことではない。米国向け輸出の落ち込みで沿岸部の輸出企業にしわ寄せがきて、都市部の労働者にも失職の波が来ていることは言うまでもない。さらに、中国政府にとって大きな悩みは、大学などを卒業して企業に就職する予定の新卒者のうち、未だに行き先が定まらない人たちの雇用確保をどうするか、という問題がある。中国社会科学院の調査では今年の大学卒の新卒学生600万人のうち150万人が待機中という。これらは間違いなく潜在的な社会不安の要因と言っていい。

内需拡大策は消費刺激と公共投資に比重、むしろ雇用創出策が重要
 こうした不安要因を抱えながら、中国政府は、温家宝首相の方針どおり巨額の資金を投じて内需拡大に取り組み始めた。問題は、2年間に4兆元(円換算約58兆円)と言われる財政出動を、どういった形で、どの分野に集中的に行うのか、間違いなく内需主導の経済に変わるようなものになっていくかどうかだ。
温家宝首相が3月5日の全人代で行った政府活動報告では5000億元の企業、個人の所得減税、すでに実施している自動車購入に対する補助金を新車だけでなく中古車に、さらにはリース市場にも拡大といった形で消費刺激することに加え、住宅や学校建設、高速鉄道網などのインフラ整備に9080億元、四川大地震などの災害復旧に1300億元、農業や農村基盤整備に7160億元などとなっている。
これで弾みがつけば、中国は国内の社会不安、さらには政治不安に至る事態を未然に防げると同時に、マイナス成長で今後、中国頼みが強くなる主要国にとっても中国向け輸出でひと息つけるのかもしれない。
しかし、中国人の友人のエコノミストは「災害復旧対策は別にして、高速鉄道網や道路など公共投資の比重が依然として多い。しかし、今は農民工などの雇用不安を早く解消するようなさまざまな雇用創出策にもっと比重をかけねばいけない。日本でいうハコもの投資がまだ多いのが気になる」と述べている。この指摘は案外、ポイント部分だ。

北京中央政府が地方の無秩序な動きをマクロ・コントロールできるか
 それと、私が中国を旅行して、かついろいろな人と話をして強く感じるのは、沿岸部の成長地域に比べて成長が立ち遅れている内陸部の地域での成長志向の強さだ。それがバランスよく機能する場合には問題ないが、むしろ心配なのは、広大な中国の至る所の地方政府が、今回の北京の中央政府の巨額内需主導投資に合わせて、無秩序な財政出動を行ってマクロ・コントロールがきかなくなるリスクだ。言ってみれば、制御不能に陥るリスクが消えていないのだ。
これまでは数年前の景気過熱状況でマクロ・コントロールがきかなくなるリスクがあった。しかし、今回も景気浮揚が大きな支えになって、内陸部の地方政府を中心に、それこそ無秩序な財政出動が進めば、あとあとに禍根を残す結果にもなりかねない。北京の中央政府がどこまで秩序だって政策誘導を行えるかどうかだ。

日本の食文化は間違いなくソフトパワー、もっと戦略的な強みに 佐賀のルール破り和牛持ち出しは非常識、食材・食品輸出には課題山積

海外では今や日本食が大変なブーム。とくにスシがSUSHIという名称で広く受け入れられ、モスクワでは中国料理店よりも、スシ店を中心に日本食レストランの数が多いというのだから驚きだ。これまで一般的だった「健康食」に加え、最近は「おいしい」「安全」が大きなポイントになっている。日本食には隠し味を含めて奥深いものがあるが、日本の食文化は漫画やアニメとともに優れた伝播力などがあり日本のソフトパワーと言ってもよい。技術革新力などと並んで日本の戦略的な強みの部分ともいえる。この際、日本は、その強みの部分をおおいにアピールすべきだ。
 ところが、この問題をいろいろ調べてみると、日本が日本食文化、そして日本食そのものを世界に誇れるものにするには、意外に解決すべき問題や課題が多いのだ。たとえば、海外で展開する日本食文化の担い手で、かつメッセンジャー役ともいえる日本食レストランの抱える問題も数え切れないほどある。そればかりでない。農林水産省が日本産食材のもとになる農産物の輸出を2013年に1兆円にするプロジェクトを掲げているが、食品の安全性に絡んで認定が必要な HACCP(ハサップ、危害要因分析にもとづく必須管理)といった法制度への取り組みが遅れるなど、輸出に向けた行政対応の遅れも無視できない。

実は、最近、日本食の国際シンポジウムのプロジェクトにかかわり、いろいろなことを見聞するチャンスがあった。そこで、今回は、ぜひ、ソフトパワーにすべき日本の食文化にはどういった課題があるか、チェックしてみよう。

佐賀牛PR用なので、イスラム教の「ハラール」証明なくてもOKと独断
 まず、愕然とする話から始めよう。東京新聞「こちら特報部」が調査報道によって3月10日付け朝刊でスクープした「佐賀県、イスラム認証不備のまま日本の輸出検疫証明も受けずにUAE(アラブ首長国連邦)へ佐賀牛肉を不正持ち出し、日本総領事公邸などでの食材PRに使用」という見出しの記事だ。同じジャーナリストとして、この「こちら特報部」の取材力、問題意識はとても評価しているが、今回の問題は、和牛輸出に必死ゆえの佐賀県のフライングでは済まされない根深い問題がある。
 その報道によると、佐賀県が、高級な和牛ブランド肉という位置づけで佐賀牛をオイルマネーで潤う中東湾岸諸国へ積極的に売り込むため、2008年11月、アラブ首長国連邦の受け入れ条件を満たさず、かつまた日本の検疫も受けずに、佐賀県の担当職員の手で15キロの牛肉を手荷物に入れて持ち込んだ、というものだ。アラブ首長国連邦はイスラム教国なので、牛肉の持ち込みに際しても条件が厳しい。食べること自体がご法度の豚肉とは明確に区分された処理場で食肉用に処理されるべきであること、さらにイスラム教徒の職員が祈りをささげた「ハラール(合法的な)」牛肉であることが重要なのだ。宗教戒律が経済行為にも影響を及ぼしているのだが、日本から輸出する場合、アラブ首長国連邦が認めたイスラム団体の発行する「ハラール証明書」、さらに日本政府発行の感染病に汚染されていないことを証明する検疫証明書が必要なのだ。

ところが今回の場合、イスラム団体から、佐賀県の食肉センターが牛肉と豚肉の処理設備に明確な分離壁がなかったため「ハラール認定」ができない、と待ったがかかっていたという。にもかかわらず佐賀県側は、日本総領事公邸での単なる食材PR用のものでビジネス業務用でないから大丈夫だろう、との判断で持ち込んだ、というのだ。
しかし、ここで問題がある。日本は海外の日本食ブームに乗って、10年前の1999年ごろには米国や東南アジアなどに対して最大310トンの和牛肉を輸出していたが、口蹄疫、そして狂牛病(BSE)発生で輸出ストップ状態に追い込まれていた。国内の畜産農家には大打撃だったが、その後、BSEは問題なしとなり、2005年12月に日米合意で対米輸出が再開、そして香港、カナダも輸出OKとなった。中国、台湾、シンガポール、アラブ首長国連邦、欧州共同体(EU)などには輸出解禁を要請中だが、未だに進展が見られない。つまり問題になったアラブ首長国連邦は、佐賀県の強い輸出意欲とは別に、政府間ベースでは完全にゴーサインになっていない。佐賀県の勇み足が歴然だ。

海外の「日本産食材や食品使いたい」ニーズに「待った」かける4つの壁
 さて、私が最近かかわったNPO法人、日本食レストラン海外普及推進機構(JRO)の国際シンポジウムの絡みで興味深い話があるので、それをお話しよう。シンポジウムに際して、海外展開する日本食レストラン企業のうち、500社を対象にアンケート調査、そして現場経営者のヒアリングを行い、課題抽出に努めた。日本産の食材や食品をどの程度使っているか、そのうち日本からの輸入割合、現地調達のウエートはそれぞれどのくらいか、ぜひ輸入調達したい日本産食材や食品は何か、輸入したくても難しいものがあるとすれば、何が障害、壁になっているか、政府への注文や要望は何かーーなどを聞いた。
 結論から先に言おう。海外の日本食レストランは、日本食ブームに乗って和牛肉や米、まぐろなど魚介類、ゆず、すだち、生わさびや京野菜など日本産の食材や食品を使いたい、輸入したいーーが多かった。しかし、それを阻む4つの壁が重くのしかかっていて、思うように輸入調達ができない現実があるのだ。
4つの壁は、1)日本食レストランが航空貨物などを使って急いで輸入することで価格が結果的に高くなってしまう価格の壁、2)物流にさまざまなネックがあり、十分かつスムーズに日本産食材や食品を手に出来ない物流の壁、3)日本政府と外国政府との間の法制度上の問題、とくに欧州共同体の食品の安全性に絡んでEU認定が必要なHACCPといった法制度の壁、4)国際マーケットでの商品市況や為替などの変動といったマーケットリスクの壁、現時点では為替の円高の壁だ。

EUのHACCP制度が障害でかつおぶしなどを輸入できず、日本政府が対応の声
 ここでは、第3点の法制度の壁にしぼろう。実は、海外の日本食レストランは、この問題を最もシビアに受け止めていて、現地の各国政府に対する不満よりも、むしろ日本政府が積極的に行動しないことに対する不満が強い。とくに、食品安全や食品衛生という観点から、外国産の農産物、とくに種(タネ)のある野菜、それに原産地証明がない水産物の輸入に対して規制を加える欧州共同体のHACCP承認制度に苦しむ日本食レストランが極めて多いのが印象的だった。
欧州共同体のHACCP承認制度のあおりで、どんな問題があるかというと、欧州の日本食レストランは、日本食のベースになるかつおぶし、あるいはゆずなどが制度にひっかかって日本から輸入できないのだ。
欧州で日本食材・食品を取り扱う企業の経営者は「日本では、かつおぶしの使用を制限、もしくは禁止にしているというわけでない。むしろ安全面で何も問題視していない。それなのに、なぜ、欧州では輸入することすら認めないのか理解に苦しむ。日本政府が日本の水産加工業者にHACCP承認をとりつけるようにバックアップすれば済む話だ」と強い不満を漏らしている。
別の日本食レストラン経営者は「われわれもEUの食品安全に対するこだわりに反対ではない。むしろ、それはそれで重要なことだ。ただ、現場から見ていて、日本の政府サイドが、国内農業の産業保護との絡みか、受身の姿勢になりすぎていて、輸出マインドがほとんどない、輸出に対応する相手国の法規制にどう対応するかといった意識に欠けているのでないか。だから、輸出促進と掛け声はいいが、いざ、われわれのような海外で日本産食材を必要としている輸入サイドの実情把握ができていない。だから分析も不十分、対策の手も行き届かず、ということになる」と述べている。

海外の日本食レストラン、実は中国、韓国系経営者が80%以上という現実
 ところで、日本食文化の担い手の問題として重要な点がある。海外では日本食ブームに乗る中国系、韓国系の企業が実質的に日本食レストランを買収などで手に入れて経営し、現地調達した野菜や魚、肉に調味料をつけ日本食の味を出して売っている面がある。現に、米国にある約1万店の日本食レストランは、日本人経営者が後継者不足、調理人確保の困難さなどを理由に、身売りして経営権を手放し、約80%に及ぶ店が中国系あるいは韓国系米国人の手で経営されている。シンガポールでも同じで、3000ある日本食レストランの90%は中国系シンガポール人が経営、残りがわずか日本人だという。
そうしたレストランは、日本産食材・食品の日本からの輸入には必ずしもこだわらない。むしろコストや採算重視からすれば、日本食レストランの看板を掲げていても、実体は日本食まがいの食べ物になっている現実がある。もちろん、中国系、韓国系の日本食レストランにすべて問題があるわけでないが、われわれが、日本食文化はソフトパワーといった部分にこだわりを持つならば、海外の日本食レストランの経営実態などをしっかり見極め、日本食文化を定着させるにはどうしたらいいか、端的には中国系のレストランの経営者や調理人の人たちに日本食文化、その背景にある調理技術、衛生などにまで気を配る文化などを伝えていく、といったことを、真剣に考える時期に来ているのでないだろうか。

スクープ狙い、タイムプレッシャー、功名心などがメディア誤報を生む 日本テレビ「真相報道バンキシャ!」問題は氷山の一角、再発防止の抜本策なし

 「架空工事を受注したように見せかけ、岐阜県庁職員に200万円の裏金を振り込んだ」との発言を大々的に報じた日本テレビ「真相報道バンキシャ!」のスクープ報道が、実は発言をうのみにした裏付け取材なしの誤報だったことで大騒ぎになっている。2007年に関西テレビ「発掘!あるある大事典Ⅱ」でねつ造問題が発覚してテレビ報道の安易さが問題になったが、メディアの現場に長くいた私に言わせれば、テレビの世界に限ったことでなく新聞社でも同じ問題がある。報道現場は、未だに再発防止に関して抜本策を講じきれないでおり、いつ問題が再燃してもおかしくない組織的な病理があるのだ。
 こう申し上げると、「そんなバカなことはない。報道の使命は厳しい規律と責任感に裏打ちされたものであるべきはず。十分な裏付け取材もしないでスクープ報道に明け暮れているということなど、許されるべきことでない」といったご批判を受けそうだ。もちろん、報道の現場で日夜、必死でがんばっている大多数の人たちにとっては、こういった誤報騒ぎはとても迷惑な話。しかし現実問題として、名前の間違いや数字のケタ間違いといった単純ミスが日々の新聞の「おわび」や「訂正」の形で後を絶たないが、それ以上に問題なのは、錯覚や思い込みだけでなくタイムプレッシャー、ライバル意識、功名心が高じてのスクープ狙いが原因の構造的な誤報リスクがいつも存在することだ。

ネット情報サイトの書き込みに「脈あり」と取材したが、肝心の裏付け取材怠る
 何が報道の現場で起きているかをレポートする前に、今回の「真相報道バンキシャ!」の誤報問題に関して述べておこう。日本テレビが記者会見で明らかにしたところでは、岐阜県の元建設会社役員が昨年11月上旬、インターネットの情報サイトに「岐阜県内で談合がある」と書き込んだのを、日本テレビの下請け製作会社スタッフが見つけて取材を始め、元役員に当たったところ、脈ありと見て番組で取り上げることになった。ところが肝心の振り込んだといわれる通帳チェックや岐阜県当局への内容確認を怠ったこと、とくに県当局に対しては証拠とおぼしきものを提示したりすると証拠隠滅されるリスクがあると考え、あいまいな取材に終始し結果として確認や裏付け取材を怠った、という。
 日本テレビの報道局長は記者会見で「最後の詰めが甘かった」と言い、また引責辞任した久保伸太郎社長は「情報が(報道するに)値するものかどうか、取り上げるなら、どう取材を進めるべきなのかといった(取材の)すべての過程に問題があった」と反省の弁を述べた。そして久保社長は、報道局の幹部から証言者から「虚偽の証言だった」との報告を受けた時点で「この程度(の取材)で番組が出来ているのかと思われかねず、問題の重要性を感じて辞任を決意した」という。

メディアの現場に組織病理があるのに「失敗の研究」せず問題を先送り
 しかし、日本テレビには事後対応でも問題があった。社長辞任会見に関して、やり直し会見をせざるを得なくなったのだが、理由は、最初の会見に関して取材記者を1社1人と制限し、同時にカメラ取材を禁止したためで、他のメディアからの猛反発を受けて3時間後に再度、同じ会見をするというお粗末さだった。読売新聞経済部記者を経験している久保氏は、現場の広報まかせにしていたのかもしれないが、メディアは、取材する時には報道の自由を主張して取材先に鋭く迫るのに、いざ、おわびの記者会見など守りに入ると、信じられないほどの頑なさを見せる。企業のガバナンスを問題視し新聞紙面で正論をぶつけるのに、自らの新聞社の経営スキャンダルになると、ひたすら情報開示を拒む問題姿勢と同じだが、今回の日本テレビの対応には問題が多すぎた。さらに問題なのは、誤報に至った原因は何だったのかの検証、そして再発防止策の公表を行っていないことだ。
 さて、今回、取り上げたいことは、メディアの現場には誤報に至る組織病理があり「失敗の研究」、そして対策が必要なのに、分秒を争う時間勝負の世界の中で、メディアは結果として、状況に流されてしまい、病根を取り除く努力ができず仕舞い、そして問題先送りしてしまっていることだ。なぜ誤報が起きるのだろうか、と思われるかもしれない。メディアも完璧なことはあり得ず、起こるべくして起こる場合もあるが、誤報には、実はさまざまなタイプがある。

朝日新聞長野総局の若い記者による新党づくり「軽井沢会議」ねつ造も深刻
 まず第1は確信的な誤報。ねつ造、虚報など、いろいろあるが、確信犯的に行う誤報は最悪だ。古くは朝日新聞の「地下潜行中の伊藤律共産党幹部独占インタビュー」(1950年)や同じく朝日新聞の写真報道「サンゴ汚したK・Yってだれだ」(89年)が代表的だ。最近では05年に朝日新聞長野総局の若い記者が、本社の政治部からの取材依頼に対応して新党日本づくりの問題で田中康夫長野県知事(当時)と国民新党の亀井静香代議士(当時)が軽井沢で会談した、といううその情報メモをねつ造し、それをもとに大きく報道して誤報となった問題も記憶に新しい。この若い記者は「魔がさした」という弁明だったが、一種の病理で、深刻な問題だ。
 続いて第2は錯覚や思い込み、勘違いによる誤報。これは枚挙に暇(いとま)がないが、センセーショナルだったという点では毎日新聞の「グリコ事件の犯人取調べへ」(89年)や読売新聞の「3幼女殺害で容疑の宮崎勤のアジト発見」(89年)がある。 第3としては、スクープ狙いの功名心による誤報。今回の日本テレビ「真相報道バンキシャ!」報道も、その部類に入るだろうが、米国ワシントンポスト紙の「8歳の少年薬物中毒に陥ったルポ記事」が有名。駆け出しの記者が敏腕記者の評価を得たいがための功名心、結果としてピューリッツアー賞受賞にまで至り、審査した側もだまされたが、経歴詐称から調査が始まり誤報発覚となった。米国のようなジャーナリストのハングリーさが、バイタリズムの源泉になっている社会では一歩間違うと誤報の落とし穴があるのだ。

若い記者の勉強不足は無視できず、座標軸ないうえ「病んだ」記者いるのも問題
 第4はタイムプレッシャーによる誤報だ。新聞社では夕刊、朝刊の締め切り間際に起きるリスクがあり、かつて時事通信が北朝鮮からの拉致被害者の帰国報道で大誤報したのが典型。これ以外には、海外情報など確認がとれない中で、大丈夫だろうという安易な見切り発車による誤報がある。古くは大韓航空機墜落事故、三井物産マニラ支店長の誘拐事件報道などがそれ。
さらに恥ずかしいのは、ジャーナリスト、とりわけ若い記者の勉強不足、消化不良による誤報も無視できない問題。これなどは日常的に起きるリスクだ。情報が洪水のように流れ、それに振り回されることも遠因だが、私に言わせれば、記者が座標軸をしっかりと持つことが大事だ。取材するに際に思い込みではなくて、先行きの見通し感をしっかり持ち、もしその見通し判断に誤りがあれば、躊躇なく座標軸を変える柔軟さを持つこと。それさえしっかりできていれば、情報洪水にもうろたえることないはずだ。
 テレビ局の記者は層が薄く、新聞社のように、いろいろな意味で鍛えられておらず、取材力に欠けるところがあるので、今回の日本テレビ、あるいは関西テレビの誤報、ねつ造問題を起こす素地がある。しかし、今、新聞社の現場でも驚くべきことは、精神的に「病んだ」記者が増えているという現実も無視できない。笑い話みたいだが、ある新聞社の地方支局の若い記者が高校野球の取材に出かけて帰ってこないので、携帯電話で連絡したら「野球部の監督がこわそうなので、取材できないでいる」という。同じように成績優秀で入社した若い記者をいざ現場に出すとストレスかタイムプレッシャーでか、アパートの自室に引きこもって出社拒否症に陥った、という話も聞いた。ひと昔前と違って、「病んだ」記者が増えているのも、誤報を生み出す遠因となりかねない。

取材競争の現場抱えていると全社挙げての再発防止研修を行えない悩み
 こういった話を聞けば、メディアはなぜ、誤報をなくすために組織的な訓練や研修、あるいは再発防止策を講じないのか、といった批判になりかねない。しかし実態を言えば、メディアの現場で誤報など問題が起きた場合、始末書を書かせたり、配転もしくは休職処分、給与カットなどで対応するか、現場指導する立場にあるデスククラスの研修で終始する。結局、全社を挙げて、再発防止のための大研修、特訓プログラムなどを実施するというのは、取材競争している現場を抱えている悲しさから、無理なのだ。だから、事実上、問題先送りのようになってしまい、抜本策を講じられないのだ。
 ただ、この点で、私は評価しているのは、朝日新聞がさきほどの長野総局の情報ねつ造、誤報事件をきっかけに、本社の編集局の大組織改革に取組み、また記者の「コード・オブ・コンダクト」という形で守るべきルールづくりを徹底し違反すれば厳しい処分をする、といった改革に踏み出したことだ。とくに組織改革に関しては、政治部や経済部といったセクショナリズムの弊害をなくすため、部の壁を取り外し取材グループ制にして風通しをよくしようとしたことだ。朝日新聞の友人によると、まだ道半ばという話だが、まずは再発防止のために目に見えるアクションをとることが大事だ。いかがだろうか。

農水省は国民や納税者よりも、どう見ても役所防衛、身内労組が大事 人事政策トップ秘書課長自ら違法な組合ヤミ専従問題で資料改ざんは異常

霞が関の農林水産省でまたまた、国民の信頼を失墜させるような事件が起きた。今回は、地方の農政機関まで含めると巨大な行政組織である農水省の人事政策の頂点に立つ秘書課長が、国家公務員法で禁じられている「ヤミ専従」問題について、調査資料を改ざんして「ヤミ専従」がゼロである、とメディア取材に対しウソの説明をしていた、というのだ。これは間違いなく官僚体質にかかわる問題で、人事政策トップの秘書課長自らが国民や納税者のことよりも、まずは農水省という役所の利益、組織を守ること、そして労働組合配慮を優先させるためにルール違反もやむなし、との感覚でいたということに他ならない。
 納税者の視点を持ち出したのには、もちろん理由がある。国家公務員の給与支払いに関しては、国民の税金である予算を当てているが、「ヤミ専従」は、給与をもらいながら無許可で労働組合活動に専念するもので、国家公務員法では禁止しており、言ってみれば違法な税金使用。年金問題を取り扱う社会保険庁でも、この「ヤミ専従」が明るみに出たため、厚生労働省は昨年12月、違法行為していた社会保険庁職員16人、その上司24人を背任容疑で東京地検に刑事告発した。国民の貴重な税金を間違って使っているとの判断からの告発だが、今回の農水省の事件は、そういった意味で、秘書課長が、納税者の国民よりも役所利益や組織の防衛の立場に立って行政を司っている、としか思えない。

石破農水相は看過できず更迭人事したが、問題の根は深い
 さすがに石破茂農水相は看過できないと、この秘書課長と担当官の2人を更迭した。しかし石破農水相は昨年9月就任以来、農水省内部に若手官僚を中心に改革チームを組織し農水省の行政組織改革、そして農政改革に取り組んできた矢先のことだからショックも大きいのだろうが、言ってみれば行政、そして官僚の体質そのものに構造的問題がある、ということだ。そこで、今回は、農水省の問題を中心に霞が関の行政官庁、官僚に共通する問題を取り上げてみたい。
まずは、今回の農水省秘書課長の「ヤミ専従」問題に関する調査資料改ざんの話を、ご存じない方もおられるだろうから、簡単に触れておこう。インターネット上の農水省ホームページにある3月26日の井出道雄事務次官の「無許可専従問題に関する資料改ざん」での記者会見部分を読まれたらいい。
現場重視の私にとっても、いつもタイムリーに現場に駆け付けるなどということは到底できないので、行政官庁の場合、ホームページ上の大臣会見や事務次官会見などでチェックする。マーケットの時代、スピードの時代に財務相や日銀総裁などの言動が金融マーケットなどに大きな影響を与えることがあるので、こういったインターネット上の記者会見内容は重要な意味合いを持つ。ところが、この井出事務次官の記者会見内容は、次官自身の発言が組織を守る側の発想があって歯切れ悪いうえ、メディアの突っ込みも足りないため、全体としては何ともかったるく、ダラダラ記者会見で、何ともいただけない。

官庁労組への気配りに問題、井出次官が「国民本位の業務を」と言っても説得力なし
 問題はこういうことだ。要は農水省の現場で「ヤミ専従」の実態がある、との告発メールが人事院に投げつけられたのがきっかけ。連絡を受けた農水省秘書課が全国46の地方農政局・事務所などにいる全農林労組の組合幹部を対象に調査したら、142人に、その疑いがあった。そこで、農水省秘書課は組合側に事前通告して再調査を行ったら48人に減っていた、そして組合側に事前通告して3回目の調査を行ったら、長時間にわたって無断で席を外していたりする「ヤミ専従」はなぜかゼロになった。そして、この問題をひそかに取材していた読売新聞に対して、秘書課長は調査の日付けを改ざんしたりして「48人のヤミ専従の疑いがあると見られたが、問題はなかった、ゼロになった」とうその説明をした、というものだ。
秘書課長は全農林労組との間で緊張関係をつくりたくないと判断したのか、調査日などはすべて事前に連絡している。この問題では、全農林労組に話が聞けていないので、いい加減なことは言えないが、常識的に考えて、本省の秘書課から問い合わせが来るとなれば、現場で口裏を合わせるように、という行動に出ることは容易に想像できる。
 しかも産経新聞が3月20日付の朝刊で報じたところによれば、栃木農政事務所で4年前の2005年10月、コメ検査をめぐる不祥事でボーナスなどの減額を受けた職員30人に関して、農政事務所幹部が組合側の補てん要求に対して、トラブルで業務に支障が出るのを恐れて懇親会などのために積み立てていた「部課長会費」から現金54万円を支出して充当していた、という。官庁労組への気配りが優先され、官僚としては本末転倒だ。
井出次官は記者会見で「国民本位の業務を行わなければならない国家公務員として、あってはならないこと」「我が省の中枢の秘書課長で、次官としても最も信頼する課長職ですから、そういう人が私に断りなく、大それたことをしているなんて、つゆ思いませんでした」「食品偽装などを(担当官庁の立場で)暴いていて、その本家本元が偽装や偽造していたのでは話にならないのではないか、というご批判に対しては、頭を下げるしかありません」という言葉に終始した。何ともレベルの低い話だ。

農水省官僚体質には「前科」、三笠フーズやミートホープ不正告発でも後手後手
 それにしても農水省では、こういった行政や官僚体質の面で「前科」があり過ぎる。際立った問題で言えば、昨年9月に事故米でのずさん処理が発覚した問題が1つ。米粉加工の三笠フーズという悪質企業が、農薬やカビ毒で汚染されていた工業用の外国産米について安く払い下げを受けたあと、食品加工用に転売して巨額の利益を得ていた問題だが、福岡農政事務所が現場チェックに行きながら、お座なりの立ち入り検査で不正を見抜けなかった。腹にすえかねた関係者から不正指摘の告発があって、やっと問題の根の深さが浮き彫りになったが、行政対応が後手後手だったことに大きな課題を残した。
もう1つは、食肉処理会社ミートホープの食品偽装事件だ。その会社の元役員が農水省の北海道農政事務所に内部告発したのに、あとでわかったことだが、北海道農政事務所担当者が放置していた。その元役員は優柔不断で問題先送りの行政対応に我慢ならずメディアに持ち込んだ。メディアの独自取材で問題が表面化した途端、行政は一転、批判を恐れて事後的に対応し立ち入り検査し、初めてミートホープの食品偽装が経営者の確信犯的な許されざる行為で、消費者を欺いていたことが判明している。
 霞が関の行政官庁のうち、農水省、厚生労働省、国土交通省といった巨大な現業部門を地方に抱える行政機関にとっては、労組との問題はセンシティブな領域であることは間違いない。現に、厚生労働省傘下の社会保険庁の年金記録記載漏れ問題は、古くは電子計算機導入問題をめぐる労組と行政側の対立が遠因であると言われている。今回の問題も背景を探れば、その問題に及ぶが、より本質的な問題は、霞が関の行政官庁は、どの目線で行政を行っているのかだ。それは言うまでもないことだが、国民目線であることは当然だ。

行政は「パブリック」概念を大事に、供給先行型の企業成長・国家成長は過去の話
 日本の制度設計を社会システムデザインという観点で見直そうと、今、友人たちと社会システムデザイン研究所を組織して、手始めに医療制度改革の問題に取り組んでいるが、友人の松田学さんが極めて興味深い問題提起をしているので、ご紹介しよう。 松田さんによれば、官と民という2つの軸に加え、パブリック、つまり「公」の世界を組み立てることがこれから重要。民が自らの選択で「公」を支えるとともに、そこに、市場とは異なる論理で価値を創造していく営みが、次の社会の設計として不可欠だ、という。そして日本の新たなシステム設計は、「官」、「民」、「公」を水平的に組み合わせるのではなく、「市民社会」を基盤に置いた「公」を上位に置いて考えていくことが大事だ、という。
私も、この松田さんの考えに共鳴しているが、松田さんの説にからめて、今回の問題を考えた場合、行政官庁が言葉としてパブリック概念を改めてしっかり受けとめ、行政を進める際の発想や行動規範などを、市民社会に基盤を置くことだろう。それは納税者としての国民や市民に対しても通じることだ。そういった意識行動でいけば、役所という組織だけを守ることに躍起となったり、官庁労組に気遣いしている状況でなくなる。
それに戦後、これだけ長い時間がたってくると、かつてのような供給先行型の意識行動、政策判断が時代遅れであること、市民目線、国民目線が重要だということがわかってくるはずだ。

G20「金融サミット」は寄り合い所帯、危機克服のエンジンになれるか心配 主導権は新興国に移り始めたが、元凶の米国テコ入れ支援がやはり近道?

「2010年までに合計5兆ドル(円換算500兆円)の財政出動によって、世界の経済成長率の4%押し上げをめざす」「金融危機再発防止のため、金融安定化理事会をつくり国際的な規制・監督の強化に努める」――4月2日、ロンドンに主要国、新興国の20カ国首脳(G20)が集まって開催した第2回金融サミット「首脳宣言」の主要な柱だ。うまく機能すれば、もちろんグローバル・リスクとなっている金融および経済の危機克服も不可能でない。ところがG20は寄り合い所帯会合という致命的欠陥がある。このため、各国の利害が錯そうし、結果的に実効を上げられないのでないか、という懸念が根強い。
 今回のG20は、昨年11月にワシントンで緊急開催した第1回金融サミットに続くもの。第1回の場合、世界のマネーセンター米国の金融システム破たんという生々しい現実を前に、各国首脳が、あらゆる手だてを講じて危機乗り切りを図ろうという点で一致することが重要なことだった。当然のことながら、「あらゆる政策総動員で対処する」ことで一致、文句なくまとまった。しかし半年たっても、世界経済回復の兆しが見えず、閉そく感が強まる。今回の第2回サミットで、もっと具体策に踏み込まないと事態打開には到底、至らない。そこで、水面下で、G20の事務当局がさまざまな議論を行った結果、最終的に冒頭のような首脳宣言となった。問題は、絵に描いた餅では世界中のマーケットが納得せず、株式や債券などの売りにつながりかねないため、サミット合意を実行に移すこと、そのリーダーシップを誰が果たすかがカギを握る。ところが、それが残念なことに今、見えていないのだ。

各国の利害が錯そうし「総論賛成」「各論反対」、実効上がるかどうか
 「ジャーナリストというのは、悲しい性(さが)で、何でも冷めた見方しかしない。そして疑い深い人種だ。政策が効果をあげるためには、どうすればいいか、提言したり、進言すればいいでないか」というお叱りを時々、受ける。しかし、ここは、冷静に現実を見定めないと、大きなリスクを背負うことになる。そこで、各国の利害が錯そうして実効を上げきれないのでないかという現実を申し上げておこう。今回の「金融サミット宣言」は素早く実行に移せば、間違いなく効果をあげるだろう。しかし、現実問題として、「総論賛成」「各論反対」となってしまっている。
 まず、金融危機に続く経済危機、デフレ経済に陥る悪循環リスクに歯止めをかけるための財政、金融政策総動員という「総論」部分では、どの首脳も一致している。ところが、いざ財政出動の具体策をめぐっては米国、日本、中国などの積極財政出動論に対し欧州共同体(EU)が冷ややかだった。とくにEUは、米国が当初主張した国内総生産(GDP)の2%という数値目標を明記することにはノーだった。このため、サミット主催国の英国の苦心の根回しによって「2010年までに、景気刺激のため総額5兆ドルの財政出動を行い、世界全体の経済成長率の4%押し上げ」を宣言に盛り込んだのだ。

米や日、中は財政出動に積極的だが、EUは赤字拡大懸念から冷ややか
 なぜEUは財政出動には冷ややかなのだろうか。理由は、EUのマーストリヒト条約の呪縛があるためだ。この条約は、EU加盟国に対して財政赤字を拡大させることがEUの存立基盤を揺るがす、との観点から厳しい財政規律を課しているからだ。
もちろん、マクロ経済政策で言えば、財政政策は金融政策と両輪。EUのうち、ドイツやフランスなどは当然、財政面でいろいろ手を打っている。しかし米国が主張したGDPの2%にあたる一段の財政出動によって、財政赤字が拡大することのリスクには警戒的で、マーストリヒト条約をタテに冷ややかな姿勢を見せたのだ。
サミット宣言で打ち出した財政出動の積極的な役回りを担うのは、米国、それに日本、中国といったところ。G20としては、これらの国を中心に残る17カ国分を含めて2年間で5兆ドルの財政出動とすることで、格好をつけたのだ。
 逆にEUがものすごく積極的だったのは、金融システム安定化や金融監督規制面での強化だった。このうち金融システム安定化に関しては、すでに存在する「金融安定化フォーラム」という組織に、今回のG20のメンバーを加え、新たに「金融安定化理事会」に格上げして、国際的な金融機関への規制や監督体制を強化することになった。
この金融システム強化に関しては、どの国も異存がない。問題は、ヘッジファンド規制だった。EUは、今回の金融危機に関して、グローバル・リスクの震源地である米国が金融監督規制でルーズな面があり、それが危機の連鎖をもたらしたという不満が強い。

EUはヘッジファンドなどへの金融監督規制を主張、米は海外マネー途絶を懸念
 そこで、EUは、今回のサミットで、ヘッジファンドを金融監督規制の対象にすることを主張し、とくに投資行動などの情報開示、そしてヘッジファンドの税金逃れのモトになっているタックスヘイブン(租税回避地)の規制強化を求めた。
これに対して、米国は、世界中からマネーを集め経済活性化させる金融立国がビジネスモデルとなっているため、ヘッジファンドなどへの過度の規制によって、投資資金を含めたマネー流入の道を断ち切るわけにいかない、という気持ちが強い。この点は、米国と同じ金融立国モデルの英国も同じ。さらに、ロシアも、身から出たさびだが、グルジア進攻で外国資本の総スカンを食い、外資マネーが流出し金融資本市場リスクに苦しんでおり、本音ベースではヘッジファンド規制にはネガティブだ。
しかし、米国としては、金融危機を招いた責任もあり、ヘッジファンド規制反対を強く主張できない。このため、行為規制、たとえば株式投資などでのおかしな取引に対する規制には厳しく対処というところは賛成したようだ。

今やグローバル経済課題決めるのは欧米でなくG20、英首相も会見で認める
 それよりも、今回のG20金融サミットの重要なメッセージは、米国が引き金を引いたグローバルリスクの問題をきっかけに、世界の経済政策を議論し決めるのは欧米を中心にしたG5、G7、G8ではなく、今や中国やインドなど新興国を束ねたG20である、という認識が出来上がったことだ。これはある面で画期的なことだ。
現に、今回の金融サミット主催国の英国のブラウン首相は終了後の記者会見で「グローバルな問題にはグローバルな(国々の政策参加による)解決が必要」と発言している。
 かつてワシントンコンセンサスという言葉が国際政治や経済の世界で幅をきかせた。言うまでもないことだが、政治面、軍事面、経済面で突出した力を持っていた米国が国際的な課題に積極関与するといったことにとどまらず、むしろ米国がすべて主導的に決める、という意味合いを含んでいる。国際通貨基金(IMF)などの国際金融機関についても実質的に米国の政策意図を反映させるため、ワシントンコンセンサスはこれだ、といった使い方をするほどだった。
そういった意味で言えば、今回の米国発の金融危機が招いたグローバルリスクをきっかけに米国主導のG5やG7に代わって、G20が国際政治や経済の全面に出てきたことは間違いなく「世代交代」に似た現象と言える。

中国など新興国がどこまでG20を通じ言動に見合う責任を果たせるかがカギ
 しかし、問題は中国やインドなどの新興国が加わる、あるいは主導権を持つG20になった場合、すんなりと世の中の仕切りができるかどうかだろう。今回の金融サミットで国際通貨基金(IMF)の資金基盤を7500億ドルまで拡大するに際して、中国やインドが拠出額の増大に見合った発言権を求める動きになってきた。米国にすれば、以前ならばノーだろうが、今は米国内の景気刺激のための財政出動に資金が必要で、IMFへの資金拠出を資金力のある新興国が肩代わりしてくれることを容認せざるを得なくなっている。しかしデフォルトリスクに苦しむ東欧などの国々への資金支援が大きくなり、仮に中国の資金負担が強まった場合、継続的に責任を果たし得るのかどうか、といった問題がある。
そればかりでない。今回のサミットに際して、ロシアや中国が米国のドル基軸体制に代わる新しい国際通貨体制づくりが必要との問題提起をして波紋を投げたが、どこまで、その発言に見合う責任を果たせるかどうか、といった問題もある。
 ここは議論の分かれるところだが、新興国にはまだ、それだけの力量が伴わない場合には、今回のグローバルリスクの元凶である米国を、一定の条件付きでテコ入れ支援し、重要な決定にコミットさせる、というのも選択肢だろう。今回の金融サミットでもオバマ米大統領は、常に言葉を選びながら、米国が世界経済に果たす役割が多いこと、貢献もしていくことをアピールしていたのが印象的だった。米国は、さまざまな問題を引き起こしたが、やはり「腐っても鯛」で、今後の世界経済乗り切りのためには、活用していくしかない、という判断を米国を除くG19が持つかどうかだ。