マーケットもあっと驚く米国経済の荒療治が必要 株価が落ちる所まで落ちる最悪シナリオ、覚悟も重要に

「時代刺激人」らしくワクワク感のあるテーマを、と思うのだが、米国を起点にした金融危機が、株価下落の形で、世界中を何往復もする現実を見せつけられると、経済ジャーナリストとしても知らぬ顔ができなくなるので、今回も取り上げたい。
 株式市場は、さまざまな投資家の思惑が入り乱れて投機性を帯びていると同時に、マクロの経済指標、ミクロの企業業績などの数字が複雑に投影するため、ヨミが本当に難しい。そこへ持ってきて、今回の場合、世界のマネーセンターであるニューヨーク株式市場の値動きが米国金融危機をつぶさに反映し、それが瞬時に世界中に連鎖していく。各国の株式市場では、それぞれの所で投資家の不安心理が増幅されて、売りが売りを呼ぶ悪循環に陥る。そして誰も予測がつかず、神のみぞ知る世界となる。

G7「5つの行動計画」もその後公表の弱い経済指標であっさり打ち消し
 急落を続けていた主要国の株式市場の株価が、10月11日の主要7カ国財務大臣・中央銀行総裁会議(G7)での「5つの行動計画」を好感して反騰したが、案の定、相場の反発力は弱く、米国企業の業績悪化数字や「9月の経済活動は全米12地区で弱まった」というマクロ経済指標が公表になると、ニューヨーク市場であっさり打ち消されて不安定な動きになってしまった。
東京株式市場の場合、米国を中心にした外国人投資家が60%の保有比率でいるため、運の悪いことに、その投資行動に大きく振り回される。彼ら外国人投資家はニューヨーク市場で株価下落によって損失リスクが出ると、それを最小限に抑えるため、東京市場で見切り売り、損切りする。これが、東京市場の株価を不必要に押し下げる結果になる。このようにニューヨークに連動した東京市場での下げが続くと、上海、シンガポール市場は敏感に反応して同じ動きとなり、さらに欧州市場へとつながって連鎖リスクとなるのだ。
 こうしてみると、たびたび申し上げる「マーケットの時代」「スピードの時代」「グローバルの時代」といった時代状況のもとでは、連鎖に歯止めをかけるのは、震源地の米国の金融システム危機がもう大丈夫、と誰もが判断できる状況になってくること、そしてマクロ、ミクロベース双方で実体経済への影響がなくなって立ち直りが見えてくることしかない。しかし現状では、米国経済が痛みすぎてきており、修復にはかなりの時間が必要だ。となると、落ちる所まで落ちる最悪シナリオをどこまで覚悟できるかだ。

米国では401Kの株式運用がダウン、年金目減りした人たちが真っ青
 最近、米国から帰国した友人の話では、米国の確定拠出型年金の1つである401Kプランに加入している人たちが、今回の米国市場の株価の急落に続く急落で、すっかり元気をなくしているばかりか、真っ青状態だという。無理もない。これから手にするはずの年金額が恐ろしいスピードで目減りしているからだ。401Kプランは、米国では確定給付型年金を上回る勢いで伸び、運用資産総額がケタ外れに膨れ上がっていたが、目減りとなると、個人の消費行動にも大きな影響が出るのは間違いない。
 そればかりでない。米自動車ビッグ3のゼネラル・モーターズ(GM)の株価が今回の急落局面で一時、2ドル台に落ち込んだ。フォードの株価も同じだ。米国自動車文明を担う象徴的な存在の企業の株価がたった2ドルの時価でしかないところに、米国産業が追い詰められている現状をヒシヒシと感じるし、米国経済の先行き不安を増幅させる。

米国経済はかつての日本と同じ「バランスシート不況」に陥るリスク
 私の友人の野村総研主席研究員、リチャード・クーさんは日本経済のバブル崩壊過程で起きた現象を「バランスシート不況」と鋭く指摘したが、今回の米国金融危機に伴う実体経済への影響に関しても同じ状況に陥るリスクがある、という。この「不況」は、民間企業が過剰債務あるいは資産運用ミスに伴う損失リスクの増大などによるバランスシートの悪化に対応して有利子負債の借金返済を優先、そして設備投資を抑え不要な支出を減らす行動に出る結果、それらが経済全体の委縮につながってデフレスパイラル化に陥るリスクだ。現にいま米国経済で、金融機関の貸し渋りなどの信用収縮、GMなどの民間企業や家計でのバランスシート調整の行動が一気に起きつつある、という。
 私も、今後の米国経済に関して、この「バランスシート不況」に陥るリスクが心配だ。日本の場合、その「不況」に対する政策対応を誤って、結果として「失われた10年」どころか、12、3年に及んでデフレの長いトンネルに突っ込んでしまった。米国がここで、同じ過ちを繰り返した場合、世界のマネーセンターだけに、大変な影響が世界中に及んでいくリスクがある。そこで、米国の当局は早めの政策対応、つまりマーケットに疑心暗鬼や不安の心理を起こさせないような素早い政策対応を行うことが必要だ。

金融危機対応のサミット呼びかけても実効性乏しく市場は反応せず
 では、いま、どういった手だてがとれるか。現実問題として、米国だけの対応では不十分として、日米欧、そしてロシアを加えた主要8カ国首脳(G8)が10月16日に金融危機解決のための「共通の責任を果たす」という緊急声明を出した。さらに、フランスのサルコジ大統領が欧州連合(EU)首脳会議の記者会見で、11月中にニューヨークで金融危機対応のためのサミット(首脳会議)開催を呼びかけた。一方で、日本も、麻生首相が同じ金融危機対応のためのサミットを日本で開催する用意がある、と発言した。しかし、率直なところ、G8による緊急声明や会議開催表明だけでは、マーケットは動かない。むしろインパクトのある具体策が必要なのだが、まだ現実化していない。
 ある金融専門家は「サミット・メンバーの欧州や日本からすれば、グローバルな連鎖リスクにクサビを打ち込めるのは、金融危機の震源地の米国でしかない、ということで一致している。ところが、肝心の米国が大統領選という政治の季節に入っていること、市場至上主義を党是とする今の共和党政権のもとで公的資金注入など政府介入には踏ん切りがつかないうえ、公的資金の最終的な額がケタ外れになった場合の財政赤字をどうするか、誰もが自信ない、といった問題がある。マーケットも、そのあたりを読んでいる」という。

確かに、震源地の米国のマーケットに、もうここが底だ、これ以上落ちることはない、という安心感を植え付けるのは、今の状況では並大抵のことではない。この際、第7回のコラムでも申し上げたように、米国が非常事態宣言を発して、マーケットに対して先手、先手の対策を打つことだ。

日本など主要国が米国際買い上げ「再建国会議」で厳しい課題設定
 とくに資本不足に陥っている金融機関対策としての公的資金の注入に関しては、現在の額よりもはるかに多い、ケタ外れの額が必要になるのだろう。しかし、それを使う、使わないは別にして、金融機関の信用収縮、貸し渋りをなくすために、米国政府はこれだけの公的資金を用意している、といった大胆な姿勢を打ち出すしかない。同時に、かつての大恐慌時に行った需要創出のための大型プロジェクトなども必要になるかもしれない。要は、世界のマネーセンターの再建のために、そして米国経済自体の再建のために、ありとあらゆる政策総動員しかないのだろう。
 そこで、日本はじめ欧州主要国、それに中国、産油国もドル暴落リスクに歯止めをかけるため、外貨準備などを使って緊急かつ臨時的に米国債買い上げを行い、財政資金調達のサポートをすることも必要になるかもしれない。

その代わり、ここが重要なところだが、米国に対しては、自分中心に世の中が動くといった錯覚をなくさせ、かつ勝手な政治、経済、軍事行動をとらせないようにするため、サポートに立ちあがった国々で「米国再建国会議」をつくり、新たな世界経済秩序づくりのために、米国にどういった負担を求め、厳しい課題を背負わせるかなども検討していく。突飛な発想かもしれないが、世界のマネーセンターの機能マヒにとどまらず米国の実体経済の機能不全に歯止めをかけるには、これぐらいの荒療治が必要かもしれない。

日本の衰退につながりかねないトップの言動や失言・放言リスク 航空自衛隊前空幕長や前国交相ら「あとを絶たず」がこわい

 最近は、「日本株式会社」といった表現が使われなくなったが、日本という国を株式会社にたとえれば、政治家、官僚、財界人はある意味で経営の任に携わる重役たちである。その言動は当然、極めて重くあるべきだし規律も求められるはずなのに、この国ではトップを極めた人たちの言動にお粗末さどころか、開き直りとも思えるところが時々、見受けられる。日本の衰退につながりかねない文字どおりのリスクなので、一度、取り上げたい。
 「我が国が侵略国家だったなどは濡れ衣(ぬれぎぬ)である」と、航空自衛隊のトップである航空幕僚長が民間の懸賞論文に応募し堂々と論陣を張ったことが最近、表面化したのもその1つだ。
これに関して、麻生首相は、国内で政治問題化しかねないばかりか、中国などとの関係で国際問題にもなりかねないと判断し、論文を書いた田母神(たもがみ)空幕長(当時)の更迭を指示、浜田防衛相が「辞表を出してほしい」と本人に伝えた。ところが田母神氏は「自分からは辞めない」という開き直りだったため、防衛省は解任、そして定年退職という形で追い込み一件落着を図った。しかし参院外交防衛委員会で参考人招致された際の発言を見ても、田母神氏は自説を曲げず、何ら間違っていない、という姿勢だ。

言論の自由が認められていても政府の一角を担う立場わきまえない無神経さ
 この論文での主張は、明らかに政府の統一判断と大きく食い違っている。1995年8月、太平洋戦争から50年たった時点で当時の村山首相が戦前の日本の植民地支配と侵略を認めると同時に、「国策を誤り」「アジア諸国の人々に多大な損害を与えた」ことを痛切に反省し心からおわびする、という談話を発表した。これはその後の歴代首相に引き継がれており、田母神氏の主張は明らかに逸脱しているのは言うまでもない。
 日本国憲法で言論の自由が認められており、田母神氏が個人として、どういった発言をしようが許されてしかるべきだろう。しかし問題は、自衛隊の指揮官トップともいえる現職の航空幕僚長が、自ら身を置く政府の判断や見解を真っ向から否定する言動を平然と行うことだ。

同じことは、閣僚就任してからわずか5日間で「不規則発言」が問題になり辞任を余儀なくされた中山前国土交通相にも通じる。
中山氏は、成田空港拡張工事に反対した住民を「ごね得」と決めつけたり、大分県の教職員採用問題にからめて日教組を手厳しく批判し、とくに日教組批判に関しては、所管外の文部科学省の問題に言及したことが越権行為となって問題になり、最後は引責辞任となった。
この場合も、閣僚という立場を離れて、一政治家あるいは個人の立場での言動ならば、「言論の自由があるから、何を言ってもいいが、馬鹿な発言をするものだ」だけで済まされる。しかし、ひとたび閣僚、大臣という立場で、しかも公式の記者会見などの場で平然と発言するに至っては論外だ。その無神経さが問題になったのだ。

企業トップは「失言」でも企業自身がマーケットから退場求められるのに、、、、
 過去にも、現職閣僚の立場で「問題発言」「不規則発言」をして、中にはせっかく射止めた閣僚の座をあっけなく棒に振るケースは枚挙にいとまがないほどあった。これらの場合、うっかりしてミス発言をしたり言い誤りの「失言」ではなく、確信犯的に、辞書で「思うことを遠慮なく言う」という「放言」である中山前国土交通相の発言のようなケースが多いから始末に困る。
 ご記憶だろうか。雪印乳業の食中毒事件を責任追及するメディアに対して2000年7月、石川社長(当時)がエレベーターに乗り込んだ直後、疲れ切った表情で「私だって寝ていないんだ」と同情を求める発言をしたことを。
これは開き直りでも「放言」でもなく、ちょっと魔がさしての「失言」だったが、この社長のひとことがメディアばかりか、多くの消費者の反発を買って不買運動にまで発展、雪印乳業は一気に経営破たんに追い込まれた。しかし、この石川社長の発言は、いわゆる個人のヒューマンエラーではなくて、雪印乳業という食品業界のリーディングカンパニーの「大企業病」という組織病理がもたらしたことだったかもしれない。

いずれにしても、企業トップの経営者の「失言」、さらには「放言」は間違いなく、マーケットという場で厳しい評価を受け、雪印乳業のようにマーケットから退場を求められるケースがある。ところが、政治家、閣僚、あるいは政府のトップといった「日本株式会社」の重役たちのうち、政治家は、選挙の場で有権者の指弾を受けることもあり得るが、一般的には企業トップの「失言」などによって、その企業の命とりになる、といったことは少ない。それだけに閣僚や政府トップは、身を律しての行動が求められるのに、残念ながら、その自覚に欠けるところが、この国にとってこわいことだ。

決め手となる未然防止策、再発防止策がないのが最大のリスク
 さて、マーケットの時代、スピードの時代、グローバルの時代といった時代のくくりで申上げれば、「日本株式会社」の重役たちの「失言」や「放言」は明らかにリスクであり、何らかの未然防止策、あるいは再発防止策が必要だ。
 ところが、これに関しては、「日本株式会社」の重役たちのことだけに、誰がネコの首に鈴をつけることができるのか、現実問題として、難しい。だからといって、何の方策も講じない、というのもリスクを抱え込む、もっと言えば時限爆弾を抱えるのと同じだ。

閣僚の場合、最近は事前にスキャンダル歴などがないか、米国の事例にならって、こっそり「身体検査」をやるが、この際、リスクになりそうな「不規則発言」歴なども重要な判断材料というふうにするのも一案かもしれない。
しかし、田母神氏の場合、あとで知って驚いたが、記者会見などでも自衛隊トップとして問題になるような発言をしていたというのだ。防衛省自体の「大組織病」という問題に及ぶ話かもしれない。

日銀総裁の笑うに笑えないうっかりミス発言、マーケットに出れば大騒ぎにも
 笑うに笑えない話がある。白川日銀総裁が2008年8月19日の金融政策決定会合後の記者会見で、聞いていた記者団も思わず「エッ?」と声を出しそうな発言ミスをしてしまった。「本日(19日)の金融政策決定会合で、無担保コールレートオーバーナイト物を0.75%前後で維持するよう促すという、これまでの金融市場調節方針を維持することを全員一致で決定した」と述べた。現行の政策金利維持ならば当然0.5%であるはずなのに、0.75%と述べてしまったのだ。
記者団のみならず日銀事務当局もあわてて会見場の白川総裁に駆け寄って発言ミスを伝え、総裁自身も訂正したので、コトなきをえた。それに、記者会見そのものが終了時まで缶詰状態だったので、金融市場を混乱に追い込む事態にならなかった。が、何とも危うい話だ。マーケットの時代、グローバルの時代には中央銀行トップの失言が予期しない混乱を生みだすだけに、細心の注意が必要なことは言うまでもない。
 その点で言えば、故橋本首相が米国訪問中の1997年6月、「米国債を売りたい衝動に駆られる」と発言し米国債価格が急落、ドル売りというハプニングも忘れ難い事件もある。
いずれにしても、「日本株式会社」の重役たちには、厳しい自己規律を求め、その立場や地位にふさわしい言動を求めていくしかない。

銀行に魅力がなく色褪せてしまったのはなぜ?今こそ積極対応を 株式・社債発行の直接金融市場が傷んだ中で企業の期待にも応えず

米国発の金融危機が、まるで燎原(りょうげん)の火のごとく、またたく間に世界中の金融システムをおかしくしているばかりか、実体経済にもジワジワと波及している。国際通貨基金(IMF)見通しでは2009年の米国、欧州、日本の経済成長はいずれもマイナス成長を余儀なくされる、という。そういった厳しい状況の中で、比較的傷みの少ない日本のメガバンクを含めた銀行が、資金を求める側にとって本来ならば、頼れる存在であるべきなのに、そうなっていないばかりか、すっかり魅力を感じさせなくなっている。なぜ色褪(あ)せた存在になってしまったのだろうか。
 ベンチャービジネスで意欲的にビジネス展開している企業経営者が意外な発言をしている。「株式や社債発行による資本調達の場である直接金融市場が傷みに傷んでおり、資金を必要とするわれわれ企業としては間接金融の銀行に走るのだが、何と銀行の高飛車かつ傲慢(ごうまん)なことか。リスクを恐れて融資先の選別をするということもあるが、ライバルの直接金融が身動きとれないこともあって一転、強気姿勢なのだ。それでも銀行かと言いたくなる」というのだ。

銀行が頼れる存在になっていない、と申し上げたのは、こういう背景があってのことだ。別の企業関係者からも似たような銀行の対応姿勢を聞いており間違いない。確かに、大手銀行6グループが発表した2008年9月中間決算で連結純利益が前年同期に比べ57%減と半減した。融資先企業の経営破たんなどによる不良債権の増加、取引先企業と持ち合いで保有する株式の株価下落で含み損が膨らんだことが原因だが、そういったリスクも織り込んでビジネスをするのが本来の金融でないのだろうか。

過去の不良債権リスクの恐さと超金融緩和で「ローリスク・ローリターン」体質に
 日本の銀行は、バブル崩壊後の1997年秋の旧山一証券の自主廃業、旧北海道拓殖銀行の破たんなどに始まる金融危機で2000年代の初めに巨額の不良債権処理に追われ、来る所まで来ていた旧日本長期信用銀行などが国有化された。さらに自己資本比率の低下を余儀なくされた大手銀行が、政府の公的資金注入を含む金融システム改革の対象になった。病院治療にたとえれば、集中治療室に入って徹底治療を受けた。長い、長い治療期間を経て、やっと一般病棟に移り、そして退院する銀行も多かったが、今回の米国発の金融危機のあおりで、再び入院治療などが必要になる銀行も出てくる可能性もないではない。
 バブルを背景に、金融の仲介機能を自らマヒさせるような、さまざまな問題融資を行った日本の銀行の横並び体質が一気に噴き出した結果が10年前の日本の金融システム危機につながった。それを再燃させるような事態は厳に戒め、自己規律を持って金融ビジネスに臨むのは当然、求められることだ。
ただ、日本の金融政策が大きく緩和姿勢に軸を移し、ゼロ金利、さらには量的金融緩和という時期が長く続いた頃に、日本の銀行のほとんどが極めて低利の資金調達コストで資金を得ることができた。預金金利が異常に低い金利になっていたから当然のことだが、問題は、そのころに、いわゆる「ローリスク・ローリターン」経営に甘んじてしまったことだ。いい意味での経営のリスクをとらない、裏返せば、不良債権のババをつかみたくない、という発想から縮み志向でビジネスをするという体質が染み付いてしまったのだ。

冒頭のベンチャー・ビジネスの経営者の不満を代弁するわけでないが、株式や社債発行の直接資本市場が傷んでいて機能しなくなりつつあり、やむなく銀行に駆け込む企業に対して、銀行が存在感を見せつけるためなのか、傲慢あるいは高飛車な姿勢になるのは、何とも納得がいかない。しかも肝心の融資に関して、不良債権化につながる融資を避けようとしてか、事業計画などをしっかり見ないで選別し、リスクをとろうとしない面もある、というのだから、過去の「ローリスク・ローリターン」体質から抜け出せないでいる、ということに等しい。

銀行経営にワクワク感が起きないのはなぜ、、、
 経済ジャーナリストの長い取材を通じて、私は大手銀行などに友人や知り合いが多いが、最近は、以前のようにワクワクして、ぜひこの問題で取材したい、あの人に会って議論してみたいといった気分になれない。会ってもエクスキューズが多かったり、縮み志向で「うちじゃ、それは難しいですな」といった発言が多い。さらには「金融庁がやたらに口出しをしてきて身動きとれない。リスクを冒すな、というのが監督官庁の行政姿勢なのだから、それに乗るしかないでしょう」と金融庁批判でコトを済ませようという姿勢も見受けられるから、ますます取材自体がつまらなくなるのだ。
 ご記憶だろうか。第12回で取り上げた62歳から志を持って起業に立ちあがられた廣瀬さんの話を。廣瀬さんが、ゴルフ場再生ビジネスに関してビジネスモデルをつくり、必用資金を得るため、友人が経営陣にいる国内の3つのメガバンクの1つに持ちかけたら「倒産したゴルフ場に資金をつぎ込んだら、当局ににらまれる。悪いが協力できない」と門前払い。ところが、事業再生が軌道に乗った途端、そのメガバンクが手の平を返したように「そろそろお取引を」という話があり、さすがの廣瀬さんも激怒し「ふざけるな。当時の頭取らが来るならいざしらず、どういうことだ」と突き返した、という話のことだ。

廣瀬さんは「いま米国が金融危機で、傷が浅い日本のメガバンクに出資支援などで熱い視線を集まっているが、リスクをとるべき時にとらないようなビジネスモデルだと、グローバルな競争には勝てないのでないか」と冷ややかだったが、全く同感だ。

東京国際金融市場をめざしても、世界の目は「東京は田舎市場」
 2008年初めにみずほコーポレート銀行が、米メリルリンチに1300億円、7月に三井住友銀行が英バークレイズに1000億円、そして9月には三菱東京UFJ銀行が米モルガン・スタンレーに9000億円の出資を決めた。いま、これらメガバンクはそろって前述の2008年9月中間決算でのきびしい決算で財務内容が悪化したため、一斉に資本増強に踏み切って事態乗り切りを図ろうとしているが、「ローリスク・ローリターン」体質から抜け出せない大手銀行が、いま、欧米の金融機関をどこまで戦略的にマネージメントできるのか、ましてや金融危機で様変わりの状況に追い込まれている相手方の米金融機関の出方をどう読んで戦略展開を考えるのか、どうも危なっかしい気がする。
 余談だが、これら大手銀行の顧客サービスも、俗にいう「ユーザー・フレンドリー」ではないのも問題だ。預金金利と貸出金利の差である預貸金利ざやでは売上げが上がらないと、大手銀行は手数料ビジネスに傾斜しているが、他行への振込手数料ばかりか自行他支店への同じ手数料でも意外に割高で、なぜ、こんなに高いのかと不満どころか、反発をおぼえる。最近、ある大手銀行が総合口座をつくってくれている銀行会員を対象に2009年春から振り込み手数料の無料化を始める、と宣伝していたが、顧客サービスもひどすぎる。まだ、昔の供給先行型企業成長パターン、ビジネスモデルで通用すると思っているところに、大きな経営判断ミスがあるように思う。

ニューヨークやロンドンに比肩する東京国際金融市場を、などと政治も、金融庁も、そして大手銀行も旗を振ったが、いまだに実現していない。ハイリスク・ハイリターンとは言わないが、ミドルリスク・ミドルリターンでさまざまなビジネス展開、戦略展開が見えてくれば、海外の金融機関や投資家の東京金融市場を見る目が変わるかもしれないが、いまの状況では、東京市場は、海外から「あそこは世界の田舎市場だ」と言われているかもしれないのだ。冒頭のベンチャー・ビジネス企業に限らず、直接金融が傷む中で、間接金融に対する企業の期待に応えることができるかどうかが、大手銀行のポイントでないだろうか。

[米国現場レポート]金融危機→経済悪化→再び金融不安の悪循環リスクに カギは時期オバマ政権の大胆な経済政策、それでも全治回復に3年説も

 たまたまチャンスがあって、金融危機に揺れる米国に行き、現場を見ることができた。経済ジャーナリストにとっては、何と言っても現場を踏み、いろいろな人たちの話を聞くことが最重要だ。限られた時間の範囲内であり、すべてを網羅できる状況にないが、ジャーナリストの目線で見た現場レポートをしてみよう。

 結論から先に申し上げれば、米国発の金融危機が、グローバルに影響を与えているのは言うまでもないが、足もとの米国経済への影響が日増しに看過できなくなっており、最悪シナリオである経済の悪循過程に陥るリスクが急速に高まっているのだ。つまり、金融危機に関しては、パッチワークのような対処療法の公的資金注入対策で、辛うじて金融システム全体のリスクにつながる事態を避けることができた。しかし住宅価格下落に歯止めがかからないうえ、株下落も加わって資産価格が急速にダウンし、あおりで米国国内総生産(GDP)の70%を占める個人消費ダウンに波及するなど、実体経済にボディブローのように影響を与えつつある。

しかも、この実体経済の悪化が新たな金融不安問題を引き起こす可能性が高まっているのだ。端的には、以前、住宅価格のインフレ期待(値上がり期待)から資金を追加で借りて新築住宅に買い替えた人たちが金融危機後の住宅価格急落でローン返済できなくなり、そのしわ寄せが金融機関に来て不良債権化してきている。加えて、金融機関にとっては、低所得層向けのサブプライムローン問題の処理を何とか終えたが、新たに、ワンランク上のプライムローン問題がここ1年以内に表面化するのが目に見えており、それへのリスクヘッジから貸し渋りなどの信用収縮に動いている。しかし金融機関の経営問題が再び表面化すると、金融危機→実体経済の悪化→再び金融不安もしくは金融危機という悪循環リスクに陥る可能性がきわめて高くなるのは間違いない。

Xマス・年末商戦初日の「ブラック・フライデー」でもスーパー除いて振るわず

まずは、現場のいくつかの動きをレポートしよう。米国の人たちは、感謝祭祝日をはさんで特別休暇をとることが多いが、祝日明けの11月28日の金曜日は「ブラック・フライデー」と呼ばれる。日本人には「ブラック・マンデー」という、株価が大暴落し金融混乱を引き起こした苦い思い出があり「ブラック」はいい印象を与えない。しかし、お祭り好きの米国では年末商戦、とりわけクリスマス商戦の初日という意味合いを持たせ、派手にセールス展開することで有名。

その日、私は、ロスアンゼルス市内でいくつかのスーパーマーケットなど流通の現場を見て回ったが、安売りスーパーのCOSTCO(コストコもしくはカスコ)、そしてウオールマートでは買い物客で混雑し、消費に影響が出ているという感じがしなかった。
ところが、同じ市内の高級服飾品などの店はさすがに店内に客の姿は少なく、また店によっては30%OFFあるいは50%OFFという値下げのメッセージをウインドーに掲げたりしていたが、いずれも客の入りは多くなかった。
現に、店を開ける直前の高級レストランに飛び込んで、マネージャーに聞いたところ「売上げは今年の夏場ぐらいから落ちている。お客の注文も、以前ならば高額のビーフステーキなどを簡単に注文していたのが、いまは価格先行で、慎重な選び方だ」という。

商戦に冷水浴びせた過去4番目の株安、リセッション認定やゼロ金利示唆

驚かされたのは週明け12月1日の月曜日のことだ。これからクリスマス商戦に入ろうという矢先にもかかわらず、ニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均が急落し、過去4番目の下げ幅となる679ドル安となったのだ。まさに冷水を浴びせられた形だ。

株価急落を誘ういくつかの出来事があった。
米有力シンクタンク、全米経済研究所(NBER)が、米国経済の景気後退(リセッション)は2007年12月から始まり、1年後の現時点でも景気後退が続いている、と認定公表、しかも研究所幹部が「長いリセッションになる可能性が高い」と述べたことだ。
同じころ、米中央銀行の連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長がテキサス州での講演で、厳しい景気認識を示すと同時に、12月15、16日開催の金融政策決定会合である米連邦公開市場委員会(FOMC)で一段の金融緩和もあり得ることを示唆した。明らかに、米国の政策金利が、かつてのバブル崩壊後の日本と同じようにゼロ金利時代に入るメッセージを伝えたと言っていい。
さらに、同じ日公表の11月の製造業景況感指数が26年ぶりの低い水準に落ち込んだことも拍車をかけたが、マクロ経済がらみでのマイナス要因が相次いだことが決定的だ。

メディアのマクロ経済見通し論調は厳しく、ビッグ3への政府支援にも批判的

西海岸のロスアンゼルスから東海岸のニューヨークに移動した日だったが、2日付けの経済専門紙、ウォールストリート・ジャーナルはじめ各紙は、1面トップで取り上げ、いずれの論調も厳しい見通しばかりだった。
しかも、折しも、米議会では12月4、5の両日、経営危機に陥っている米自動車大手3社(ビッグ3)への政府の資金繰り支援をめぐる公聴会が始まるところだった。メディアの論調は、全体としては、ビッグ3が米国文明を支えた象徴的企業との位置づけながら、国民の税金をなぜ特定企業救済に回す必要があるのか、という批判的なものだった。

ただ、12月5日には11月の米雇用統計が公表になり、非農業部門、つまり製造業や小売などサービス産業部門の就業者数が10月に比べて53万人も減り、その減少幅は第1次石油ショック直後の1974年12月以来、34年ぶりの悪さであること、失業率もこれに伴い15年ぶりの悪さである6.7%に達した、という。
私がたまたま米国にいた10日間ばかりの間だけでも、こういった先行き不安を抱かせるマクロ数字が相次いで公表になるのだから、金融危機のさまざまな影響が、実体経済の着実な悪化に及んでいる、ということが理解できる。

最悪のシナリオは泥沼の悪循環過程に入って抜け出せないリスク

そこで、本題の金融危機→実体経済の悪化→再び金融不安もしくは金融危機という悪循環リスクの問題に関して、レポートしよう。

ニューヨークで会った複数の金融専門家らは、とても参考になる話をしてくれた。いくつかの話を総合すれば、米国の金融機関はいまだに3つの問題を抱えている、という。
1つは、各金融機関とも今後、1年ないし1年半以内に、住宅融資のプライムローン問題への対応処理で苦境に立たされるリスクが高い。さすがに、サブプライムローン問題への対処は終わっており、大きな金融リスクにつながることはないが、問題は、これまでどちらかと言えば、後回しになっていたプライムローン問題で、意外にボディー・ブローとなって金融機関経営に影響を与える、という。
いずれもプライムという名前が示すとおり、優良顧客向け融資という位置づけで、最初の数年間は金利支払いゼロなどの優遇措置があったが、これらが今後、1年ないし1年半後に元利の償還を迎える際に返済滞りリスクになる可能性が極めて高い、という。

2つめは、住宅ローンとは別の既存の企業向け運転資金や設備資金、さらに個人向け自動車ローンなどに関して、金融機関にとって、景気後退もからんで返済滞りリスクが増えている。また、3つめは、金融機関が、さまざまな金融証券化商品を帳簿外のオフバランスにしていたのをオンバランスにしてきたため、隠された不良債権の実態が浮き彫りになってきたが、この対処に出遅れた大手金融のシティグループが何とか国からの支援も得て事態乗り切りを図っている。これらオフバランスからオンバランスに切り替える過程で問題が出る可能性も残されている、という 。

250万人雇用創出含め公共事業を計画中の次期オバマ大統領に期待高まる

しかし、すでに申し上げたように一番最初の金融危機が大騒ぎになり、それが実体経済に波及してきているのが今の状況だが、今後は、いま述べた1つめ、2つめの問題が実体経済の悪化とからんで金融機関経営に襲いかかるリスクがあることだ。
一度、金融危機→実体経済の悪化→再び金融不安もしくは金融危機という悪循環リスクに入ると、文字どおりの悪循環が際限なく連鎖的に続く。そうなると、かつての日本経済と同じようにデフレスパイラル・リスクに陥る可能性さえ出てくる。ニューヨークで聞いた専門家の話では、全治3年、あるいはもっと長引くリスクさえある、というのだ。

その反動でか、オバマ次期政権への期待度は高まっている。それに応えるように、オバマ次期大統領は全米で道路網の整備や老朽化した橋など社会資本インフラ整備など大規模な公共事業を実施し、250万人の雇用創出などを実現したい、といった演説をしている。
そういえばニューヨーク州からニュージャージー州へ移動する際に渡った巨大な橋は老朽化がすさまじく補強工事をしていた。昨年のミネソタ州のミシシッピー川にかかる巨大な橋が崩れ落ちた大事故の経験もあり、次期政権は重要課題として取り組むのだろう。

いずれにしても悪循環の連鎖にクサビを打ち込むのは、オバマ次期政権の大胆かつ果敢な経済政策なのかもしれない。しかし、1月20日の大統領就任式までの「政治空白」期間中に何か起きないとも限らない。ジャーナリストとしては、米国の動向に目が離せない。

「シェアは取り過ぎない」「ライバルをわざとつくってるんですよ」に潜む展開力

木村23歳で起業して、今や年商300億円、そんな堀江さんにまずお伺いしたいのは、成功する秘訣というのは一言で何でしょう。

堀江非常に簡単なことなんですけど、常識を疑って、まあ疑ってということはないんですけども、自分の情報を基にしてシンプルに考えて、周りになんと言われようが自分の選択を実行していくということですね。

貫き通すということ?

堀江貫き通すというよりは、自分の選択が世の中の選択と合ってることもあるんですけれども、合ってないときチャンスだということですね。

なるほど。

堀江人の裏をかいたんだけれども、それにはちゃんとした根拠があるというときがチャンスでしょうね。

木村根拠がないといけないんですね。

堀江根拠がないといけないです。

木村単に信じてるだけでは、独り善がりということありますよね。

堀江あまのじゃくなだけですからね。

東京六本木、六本木ヒルズの38階にインターネット企業ライブドアがある。ポータルサイトライブドアのメディア事業をはじめ、ファイナンス、ソフトウェア、コンサルティング、ネットワーク、モバイル、ソリューションとさまざまな事業を展開、今では年商300億円を計上している。また関連会社も30社を超え、その成長はとどまることを知らない。今日、ライブドアの経営秘話が、最高経営責任者・堀江の口から語られる。そこには一体どのような秘密が隠されているのだろうか。

木村インターネットからプロ野球新規加盟まで、昨年は本当に時の人という感じだったんですけれども、これまで歩んでこられた道のりというのは一体どういうものだったのか、ちょっと検証してみましょうか。

1972年10月、福岡県八女市に生まれました。そして91年、久留米大学附設高校を卒業されて東京大学文学部に入学されています。

木村八女市っていうと福岡なんですね?

堀江そうですね。

木村お茶で有名な。

堀江まあ田舎ですね。

木村どういう少年時代を過ごされたんですかね。

堀江どうですかね。どういう局面か、局面というか、いろんな局面で見ると、全く違った子に見えると思いますけど。

木村進学高校なんですか、ここは?

堀江高校は進学校ですね。中高一貫の高校ですね。

木村もうひたすらお勉強ですか?

堀江全然してないです。

木村ああ、全然(笑)。

堀江もともとあんまり勉強好きじゃないですよ。

木村はい。それでどうしてこう進学高校へ?

堀江受かっちゃったからですね。

でも小学生のときは神童と言われるくらい。

堀江それはたまたま田舎の高校ですから(笑)そこで圧倒的1番でも、そんな普通のことですよね、それはね。

木村で、頭のいい子たちが集まる中学へ入られたわけでしょう?

堀江ええ。

木村そこで挫折みたいなものってありました?

堀江ないですね。みんなすごく勉強していてすごいな、ある意味すごいなと、なんでこの人たちは毎日勉強できるんだろうと不思議でしょうがなかった。なんのために毎日勉強してるんだろうと。どうせ大学行くまで何も関門ないのに、中高一貫でエスカレーターですからよっぽど変なことやらない限りは自動的に高校上がれるわけじゃないですか。受験の勉強も必要ないわけでしょ? 勉強する必要ないじゃないですか。

パソコンに中学のときに出会いがあったと。

パソコンとの初めての出会い…

堀江そうですね。多分ちょっとしたブームみたいなのがあったんですよね。第一次パソコンブームみたいなのがあって、そのときに買って、使って、使い倒して、2、3年やったら飽きたみたいな感じですか。

でも少しそのパソコン学習プログラムの制作も手伝われて、少しお金をそこでもう儲けてらっしゃるんですよね?

堀江そうですね、ええ。たまたま通っていた塾でやれと言われてやったら金もらえたと。1日で何万円かもらいましたから。こんなおいしい商売が世の中にあるんだと、一応覚えておこうと。それは後々役に立ったわけですけどね。
要はゲームのソフトとかをつくるのは、すごく天才的なスキルが必要なんですけども、例えば企業用のそういう学習プログラムとか、そういったソフトをつくるのは誰でもできるわけですよ、私から言わせれば。誰でもできる仕事で、こんなに何万円ももらえたら、こんなぼろい商売はないだろうと思いましたね、当時。ただ面白くないですけどね、全然。お金がもらえてうれしい、というのはありましたね。

木村それで東大へお入りになったわけですけども、なかなかやっぱり進学校といえども東大へ行こうと思うと大変ではないですか?

堀江でも一応、1年間に50人ぐらい入るんですよ、東大に。なので、まあ行けるかなと。

木村でも上から50番にいなきゃ入れないんじゃないんですか?

堀江いなくてもいいんですよ、その時点では(笑)。試験のときにそれぐらいの実力があればいいわけじゃないですか。だから6年間ずっと勉強する必要はないんですよ。

受験の前に集中して?

堀江そうです、半年ぐらい集中すればいいんです。

実際そういう勉強法だったんですか?

堀江そうですね。

でもそれでもなかなか東大には入れないと思いますけど。

堀江いや、これはみんな受験に対して戦略を持って考えないんですよ。
言われたとおり6年間真面目にコツコツと勉強しなきゃいけないと思い込んでるんですけれども、そうじゃないですよね。受験も経営も同じなんですけど、戦略を持ってちゃんと考えてやれば、非常に効率的にやる方法はあるんです。日本の受験って英語がポイントなんですよ。逆に言うと英語さえできると非常に楽になるんですよ。
で、英語って言葉じゃないですか。言葉って何を覚えなきゃいけないかというと、単語を覚えなきゃいけないんですよ。逆に言うと単語さえ覚えておけばなんとでもなるわけですよ。あとは国語と一緒ですから。

そのように東京大学へ進学されて東京へやってきた堀江さんですが、ここで堀江さんを待ち受けていた運命がありました。96年、23歳のとき4月、東京大学在学中に有限会社オン・ザ・エッヂを設立されたんですね。

堀江はい。

木村起業ですよね?

堀江そうですね。

木村そのときのその起業の一番の動機というのはどういうことですか?

起業の動機とは…

堀江それはもうインターネットに出会ったことですね。今でこそインターネットといえば誰でも知ってますけど、当時は誰も知らなかったんです。
私が出会ったのは94年なんですよ。会社作る1年半ぐらい前なんですけど、こんな素晴らしい仕組みがあるんだと感動して、世の中に仕組みを変えてしまうと、要は産業革命以来の大革命だと、これは。
だからこの、要は大きなマーケットをこれからインターネットというのは創出してくるわけですけれども、要は何兆円とかというレベルではないわけですよ。何十兆円何百兆円のマーケットがバッと出てくる出でくるわけですよね。その中で1パーセントでもシェアが取れれば世界ナンバーワンレベルの会社にできるじゃないですか。

シェアを1%取るのは努力でできると思った…

堀江で、シェアを1パーセント取るのは努力でできると思ったんですよ。
で、あるマーケットでトップシェアになろうと思ったら、努力だけでは僕はどうにもならないと思うんですよ。運が必要だと思うんですけど、1パーセントのシェアだったら、誰でも努力をすれば、頑張ればそこまで持っていける、つまり非常に確実性が高いわけですよ、自分の気次第ですから。と思ったのが一つと、インターネットという金鉱山を見つけた、金脈を見つけましたよと、大体私の性格からいうと、そういうものを見つけると黙っていられなくなって人に言いたくなってしまうんです、「ここに金講座あるぞー」というふうに叫びたくなるんです。
でも、まあそのときも叫んだんですけど誰も反応しないんですよ。「ここにインターネットあるぞー」と言っても、誰も「知らないよ、そんなの興味ないよ」と言うわけですよね。これはチャンスだと思ったわけですよ。

こんな素晴らしい仕組みで世の中を変える力があるのに

堀江こんな素晴らしい仕組みで世の中を変える力があるのに誰もそのことを知らないと、俺だけしか知らないと、これはチャンスだな、と思うじゃないですか。逆張りの発想で、しかも自分がそれに自信を持てるという、初めての大きなケースですよね。そう思っていろいろやりながら、ある会社でアルバイトをしながらその事業を立ち上げててノウハウを全部つかんで、営業もやっていましたから、何から何までやることやれて、それで会社を作って、3年ぐらいたつとみんながそれに気づいてきて。やっとみんな気づいたわけですよ、3年たって。それでネットバブルが起こったと。会社は作るしかない、という感じでしたね。

こんなにおいしい題材があるのにって。

堀江その頃の自分というのは、もう焦りまくってましたよね。

木村そうですか。

堀江ええ。とにかく手を広げようと。

創業当時

堀江インターネットのマーケットは俺がつくったぐらいの勢いでやりたいなと思っていたんですけど、当時は小さい会社でしたから全然そんなことはなくて、誰にも相手にされずにみたいな感じでしたけど。

木村普通だと、東京大学まで入ったら無事卒業して、キャリアでも目指して、あるいは就職して一流会社にという道を考えるじゃないですか。そういう発想は全くなかったのですか?

堀江なかったですね。

起業を選択した理由とは…

堀江両親がサラリーマンだったんですけど、サラリーマンというのは非常に搾取されていて、なんでわざわざそんな所に飛び込まなきゃいけないんだろうなというふうに思ったわけですね。で、大企業だからといって安心なわけではなくて、今やそんなこと思ってる人は多分一人もいないと思いますけど、いろんな会社がバタバタとやられていきましたよね。だから要はタイタニック号なんですよね。

金融・経済危機にあえぐ米国の「頼みの綱」は中国? 新「プラザ合意」で人民元・中国内需拡大要求も、、、問題は中国の出方

米国経済は間違いなく100年に1度の非常事態にあることがハッキリした。米国の中央銀行にあたる連邦制度準備理事会(FRB)が12月16日に、政策金利の誘導目標を1%から一気に「0-0.25%」へと大幅に引き下げを決め、ついに米国の金融政策史上で初めての金利ゼロ時代に入ったからだ。バブル崩壊後のデフレ経済脱却に苦しんだ日本が2001年3月から06年までゼロ金利政策をとったが、世界のマネーセンターである米国が金利ゼロ経済に突入するというのは、全く意味が違っていて、波及度からみても、影響は計り知れない。

米FRBのゼロ金利政策導入、デフレ回避で「政策総動員」決意表明は異例
 米国金融政策当局が、昨年9月からわずか1年間で実に5%も政策金利を矢継ぎ早やに、かつ大胆に引き下げたのも異常だが、FRBが今回、金融政策決定会合である連邦公開市場委員会(FOMC)後の声明で、「景気回復と物価安定のため、あらゆる政策手段を総動員する」とも宣言したのも異例だ。要は、米国経済がデフレ・スパイラルに陥らないように、打てる手は何でも打つぞ、というもので、金融政策当局としては、なりふりなど構っておれない、というすごい決意表明だ。
 さて、今回は、金融・経済危機にあえぐ米国が今後、どういった政策をとるのかを探っていくうえで、1つの選択肢として「頼みの綱」にするのが、ひょっとしたら中国でないかという問題意識を、私は持っており、それをレポートしてみたい。

次期オバマ政権の経済政策はさまざまなものが想定される。ただ、このうち、対中国政策がどんなものになるか、まだはっきりしないが、結論から先に申上げれば、米国は、中国に対して、これまで以上に為替面で人民元高への調整を求めるとともに、中国国内の消費を活発化するための積極的な内需振興策をとることで、中国が世界の成長センターの役割を担うべきだ、ということを強く求めるのでないか、という気がしている。

中国の巨大内需市場が持つ成長エネルギーを活用して米国の再生狙う?
ルギーを活用して、自ら危機的状況にある米国経済の再生につなげようというもくろみがある。その場合、米国は、中国に対して、すでに民間企業ベースでかなり巨額の直接投資を行ってきており、中国が新たに進めるであろう大胆な内需拡大策に乗って、これまでの投資の果実を摘み取ると同時に、さまざまなプロジェクト投資面での恩恵にあづかろうという考えがあるのでないだろうか。要は、中国頼みによって、米国自身の再生を図る、というところがポイントだ。
 実は、この見方は、それほど的外れではない。私の長年の友人である日銀OBで、現在、外資系証券クレディ・スイス証券経済調査部長兼チーフ・エコノミストの白川浩道さんも同じような見方でいる。

白川さんによると、中国政府は、すでに米国発の金融危機に関連して、2年がかりで総額4兆元(円換算50兆円強)の事業規模の大型経済対策を行う方針を打ち出している。新規事業は1兆元程度だが、それでも中国の国内総生産(GDP)を3ないし4%程度、押し上げる効果が期待できる。
そこで、白川さんは「米国は、この巨額の財政出動による内需拡大策に強い関心を示し、米国の再生に結びつけようとする可能性が高い。その具体的なやり方として、『第2のプラザ合意』によって、中国に人民元の切り上げを求め、中国国内への影響や混乱を避けるために内需刺激策の拡大を求めるのでないか」というものだ。

1985年「プラザ合意」では米国の巨額貿易赤字救済で日本にしわ寄せ
 この場合、キーワードの「プラザ合意」というところがポイントだが、この合意は1985年に主要5カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)で、巨額の貿易赤字に苦しむ米国経済を救済するため、ドル高を是正しドル安に誘導するとともに、逆に巨額の貿易黒字を抱えていた日本の黒字是正のために円高方向に調整することを決めた。極めて主要国、とりわけ米国の思惑が錯そうする合意だった。
当時、日本は1ドル=240円から一気に120円台にまで円高が進み、あおりで円高不況懸念が台頭した。このため政権の座にあった中曽根康弘首相、竹下登蔵相(いずれも当時)は財政・金融政策の総動員で内需拡大策に取り組まざるを得なかった。
 今回の「第2プラザ合意」「新プラザ合意」というのは、かつての日本に迫った為替調整、内需拡大策をいま、米国が中国に求めようとするのでないか、という問題意識だ。

これだけをとると、中国が、金融・経済危機にあえぐ米国の救済の役回りを負わされるわけで、とりわけ人民元高への誘導に関しては、人民元高がもたらす中国の国内経済混乱に強い反発心を持つ中国政府が容易に応じるシナリオでない、ということは想像できる。

中国はいまや世界トップの米国債保有高を武器に逆に米国をけん制?
 ただ、ここで見落とせないのが、過去、米国と中国両政府間で続いている米中戦略経済対話の存在だ。北京とワシントンで1年に2度、経済閣僚が一堂に会して文字どおり、経済問題に関して、密度の濃い戦略対話を行っている。今年も12月4、5日と、米国が金融・経済混乱のさなかにあるというのに、北京で5回目の会合を開いた。
 今回の北京での米中戦略経済対話では、中国側代表の王岐山・副首相が「米国が実体経済と金融市場への対応に関して、米国にある中国の金融資産などの安全をしっかりと守るように希望する」と注文をつけている。
中国政府が2兆ドルに及ぶドル建て資金の運用に関して、米国債を大量に買い上げ、いまや08年9月末時点で5850億ドルの保有高になっている。米国と安全保障面で同盟関係にある日本の5732億ドルを追い抜きトップに立っている。中国政府としてはドル急落などで米国債が大きく目減りするリスクを避けるように、米国政府にクギをさすと同時に、けん制したわけだが、米中間では、こういったことが平然と議論できる関係にあるのだ。

そこで、米国は、こういった状況下で、自らの金融・経済危機からの脱皮のために今や米国の財政赤字のファイナンス(融資)の面倒まで見てくれている中国を「新プラザ合意」のような形で中国が嫌がる人民元高に追い込み、最後は、その国内対策のための内需拡大策を求めることが可能なのだろうか、現実的なシナリオと言えるのか、という疑問になってくる。

中国は国内が不安定だけに「新プラザ合意」と無関係に内需振興が必要
 ただ、中国も今、国内にさまざまな問題を抱えている。胡錦濤中国国家主席は12月18日の改革開放30周年の記念式典での演説で、最近中国国内で頻発しているデモや暴動、汚職、格差問題など改革・開放政策のひずみ部分に関して、危機感を示している。
その一方で、肝心の経済に関しては、これまで10%、11%の2ケタ台の高い伸びを続けた経済成長が失速し始め、社会不安などを引き起こしかねない一種の危機ラインと言われる8%を死守できるかどうかがポイントになっている。
 それだけに、中国政府が打ち出した向こう2年間に総額4兆元の内需振興を軸にした大型景気対策に関しては、米国が金融・経済危機対応のために、中国頼みでコミットしてくるか来ないかは別にして、中国自身が今述べたような中国の国内事情から対応せざるを得ない。

米国個人消費10兆ドルの落ち込みを誰がカバーするかも重要課題
 ただ、世界経済全体の視点でいくと、米国のGDPの70%以上を占める個人消費約10兆ドルの5%が落ち込んでも、世界経済には大変な「穴」が開いてしまう。たかが5%と言っても、5000億ドルという需要の落ち込みは小さな国のGDPに相当するぐらいの規模であり、この空洞化部分を誰が埋めるかとなれば、極めて重要で、その意味で中国が財政出動によって内需振興し、それを求めて米国を含めた国々が中国向けに輸出を行うことで経済が潤うというシナリオは極めて重要でもある。
 その意味で、中国が「新プラザ合意」という形で米国を含めた主要国から人民元高への誘導を求められた場合、それを拒むかどうか別にして、中国にとっては、国際経済社会でリーダーシップをとる役回りになった場合、人民元高という選択肢は重要なポイントになる。

ところで、こういった米中戦略経済対話の延長線上で「新プラザ合意」などの議論が出ているときに、日本はまったくカヤの外に置かれているな、とさびしく感じるのは私だけだろうか。

日本は時代先取りで地球環境にやさしい電気自動車にチャレンジを オバマ米新政権もグリーンエネルギー・環境政策打ち出し、本気度高い

 最近、ガソリン車に代わる次世代の車、電気自動車の開発に取り組む慶応大学の清水浩教授に開発の現状や抱える課題をお聞きするチャンスがあった。そして百聞は一見に如かずのたとえでないが、まずは試乗を、とワクワクして乗ってみた。
結論から言えば加速性、乗り心地は素晴らしい。製品化、産業化にさまざまな課題を残しているが、この際、地球環境にやさしい車として、日本が率先垂範して技術革新力を背景にいち早く時代を先取りする形で導入、課題の克服に努めることが必要だと感じた。
とくに、米国発の金融危機が実体経済の悪化に及び、日本を含めてグローバルなレベルで100年に1度の危機的な経済状況のもとで、日本が今、経済社会に活力を与えるものに取り組む、という意味では、この電気自動車はチャレンジ課題の1つだ。
 なぜ、そう言うかといえば、米国のオバマ新政権はブッシュ政権とは違って、既存の枠組みにとらわれずチャレンジし、米国を積極的に変えようとしている。オバマ新大統領は米国民の支持率80%という驚異的な期待のもとに、新しい米国づくりをめざし、グリーンエネルギー・環境政策、端的には石油などの化石燃料に頼らず地球環境にやさしいエネルギーの開発に取り組もうとしている。日本もうかうかしてはおれないのだ。

清水慶大教授開発の「エリーカ」は最速370キロ、1回充電後走行300キロ可能
 そこで、まずは、試乗した電気自動車のことを少しお話しておこう。清水教授が開発段階から試行錯誤を繰り返しながら、やっと完成領域に入ってきた車のようで、高加速、高性能を実現した4人乗りのセダンタイプだ。愛称は女性的な名前の「エリーカ」。
全長5.1メートル、幅1.9メートル、高さ1.3メートル。モーター出力が640キロワット。最大の関心事である性能に関しては、最高速度が時速370キロ。最大加速度が0.68G。1回に充電してからの走行距離が300キロ。充電時間が30%。
「エリーカ」のエネルギー源はリチウムイオン電池で、車体の下の部分に内蔵している。100馬力のモーターを8個、車輪に搭載しており、このため普通の車のような4輪車ではなく8輪車であることが特徴。
しかも、電気自動車の欠点とも言われていた1回に充電してからの走行距離に関しては、300キロというから、かなりの航続距離だ。これまでの開発車は100キロ未満で、ガソリンスタンドのような充電するスタンド施設がない場合には、それがネックになると言われていただけに、「エリーカ」は課題を克服しつつある、と言える。

「ル・マンなどの世界自動車レースで優勝すれば優位性、存在感示せる」
 試乗した日は少し小雨の降る日だったが、この8輪のおかげでスリップすることなく、カーブの曲がりもほとんど問題なし。それよりも「すごい」と感じたのは、わずか2秒で一気に加速し、あっという間に170キロぐらいが出た。遊園地のジェットコースターは上り詰めた所から下る際に急にスピードが出るが、「エリーカ」の場合、スピードの出方は同じながら平坦な道で一気に加速する。さすがに電気自動車だと感じた。 清水教授によると、ガソリン車では世界最速を出せるという「ポルシェ911ターボ」と「エリーカ」とで加速性能試験をしてみたところ、スタートから2秒までは「ポルシェ911ターボ」が速かったが、2秒からあとは「エリーカ」が追いつき、その2秒後に加速がついて一気に引き離すパワフルな走り方で、優位性が証明されている、という。
試乗した友人の1人が、その話を聞いて「ル・マン、インディカーのレースに、この電気自動車を出走させたら、時速300キロを出せるかどうかが勝負どころだろうから、スピードの点で優勝間違いなしだ。電気自動車の優位性、そして存在感をアピールできるのでないか」と語っていた。確かに、アピールするにはそれがベストチャンスかもしれない。

CO2出さず地球温暖化防止に最適だが、コスト面で「総論賛成、各論反対」
 しかし、コトはそれほど簡単でない。清水教授は「電気自動車のエネルギー効率はガソリン車に比べて4倍高く、CO2(二酸化炭素)を出さない。CO2削減が地球規模での環境政策課題になっているときに、この電気自動車を積極活用すればいいのだ。地球温暖化に対し、日本がいち早く電気自動車に切り替え課題克服に取り組んでいる、と言われるはず。ところが、現実は『総論賛成、各論反対』の議論が横行している」という。
要は、誰もが試乗すると「素晴らしい」と言いながら、いざ、開発投資していただけるかと聞けば、大半の人が尻ごみしてしまう、というのだ。
清水教授によると、「エリーカ」の開発費は約5億円で、ガソリン車であればその10倍はかかっている。ところが商業ベースに乗せる製品化の段階になると、「エリーカ」の場合、量産できるような体制にないため、現時点で1台8800万円する。この数字を聞いて大半の人が尻ごみするのだ、という。

「塵の川」から「デスバレー」にさしかかったばかり、早く「ダーウィンの海」を
 清水教授は発明発見から産業化までの道のりを研究者らしく面白いたとえで表現する。つまり、発明発見からアイディアを形にする難しさを「魔の川」、試作品を商品にする難しさを「デスバレー(死の谷)」、そして製品化したあと産業化する商品の大量普及の難しさを「ダーウインの海」としたうえで、清水教授は「いまは魔の川を越えてデスバレーにさしかかったところだ。まだダーウインの海を渡り切るには克服すべき課題が多いが、あとは政治や行政、企業、さらには投資家、そして消費者の決断次第だ」と語る。
 電気自動車そのものは、かなり古い歴史を持つ。1900年代はじめガソリンエンジン、蒸気エンジンと並んで電気エンジンがあったが、米国でガソリンエンジンの技術開発が進み、それに石油産出量の多いさのバックアップもあり、電気自動車は後ろに追いやられた。
再登場したのは90年後だ。カリフォルニア州で大気汚染が深刻な社会問題となり州政府が1990年に州内で販売する自動車メーカーに対して2003年までに年間販売台数の10%を排ガス・ゼロにする無公害車を義務付ける州法を制定した。これを受けて米ビッグスリーの1つ、ゼネラルモーターズ(GM)が「EV1」という電気自動車を開発しリース契約制で販売した。

映画にもなった「誰が電気自動車を殺したか」、あとは政府や企業の決断?
 一時は爆発的な人気を呼んだが、なぜか、数年後に姿を消してしまう。その状況をドキュメンタリー映画「誰が電気自動車を殺したか」で描かれ、最近、日本でDVDになって発売されている。関心ある方はぜひ、ご覧になればいい。
ポイントは、電気自動車のライバルともいえる米国の石油業界が「電気を生み出す石炭火力発電は大気汚染の原因でないか」と反対キャンペーンを展開、これが意外にカリフォルニア州内に影響を及ぼし電気自動車人気が下火になっていく。しかもGM自身が自主規制するかのようにリース車の回収をしたため、あっという間に姿を消す。
 ただ、当時のブッシュ政権が自らの支持基盤がテキサスのオイルメジャーであることなどもあって、政府自体も環境課題にチャレンジした電気自動車に冷たかったことも影響している、という。
いま、電気自動車に待ったをかけるのは屋台骨を揺さぶられる石油メーカー、それにガソリン車主体の生産体制を抜本的に変えざるを得ない自動車メーカーなどがあるのは間違いない。しかし時代のキーワードは地球にやさしいエネルギー開発であり環境への取り組みだ。その意味で、この閉そく状況のもとで、政府、企業、政治、そして消費者が、時代を先取りして、次世代の車にチャレンジしていくのも1つの選択肢だと思う。いかがだろうか。

今や貧困問題は最大の政治かつ社会問題、放置は許されぬ 政治は早急に雇用創出目標を、「農業再生で雇用の受け皿」

 昨年末、大都会・東京のど真ん中にある日比谷公園で聞きなれない「年越し派遣村」という名前の「村」が開設された、とのテレビのニュースを見て、とても衝撃を受けた。「村」に集まった人たちは突然の「派遣切り」で職場ばかりか、今まで住んでいた会社の寮からも追い出され、行き場を失って寒空の下で年越しをせざるを得ない人たちだった。
 テレビで、ボランティアの人たちが炊き出しで湯気の出ている食事を振る舞うと同時に、テントでの休息用にと、寒さよけ毛布などを手渡している映像が映し出され、それがまた胸を打つ。地震などの突然の災害で被害にあった人たちとは違って、経済失速状況の中で突然、否応なしに行き場を失って途方に暮れている人たちが対象になっているからだ。
このニュースを他の場所で見ていた似た境遇にある人たち、口コミで伝え聞いた人たちが続々と日比谷公園に集まってきた。当然、臨時寝泊りのためのテントなどの数が足りなくなってしまう。そこで、年明けの1月2日に「年越し派遣村」の村長であるNPO法人、自立生活サポートセンター「もやい」事務局長の湯浅誠さんらが政治に働きかけた。さすがに舛添厚生労働相もこれを見過ごすわけにはいかないと、日比谷公園から目と鼻の先の厚生労働省の講堂を失業者の人たちに開放した。行政も動かざるを得なかったのだ。

麻生首相が「年越し派遣村」で「派遣切り」の現実に接すれば政治不信は薄れた
 結論から先に申上げよう。これら派遣労働などで働いていた人たちが突然、企業の都合でいとも簡単に切り捨てられホームレス化して公園のベンチなどで寝泊りを余儀なくされたりとか、ネットカフェで疲れた身体を休める間もなく朝方から新たな職探しのために動き回らざるを得ない、といったことは明らかに異常事態だ。
豊かさを背景に成熟した国家になったと政治家が自負していた日本で、今や貧困問題が、社会問題であると同時に政治問題になってきている。政治がこういった状態を放置することは許されない。
 内閣支持率が急降下している麻生首相は、政治家得意のパフォーマンスでもって、居酒屋で若者たちのサークルに合流して気勢を上げたりとか、下町の店にぶらりと入ってテレビカメラを意識しながらお年寄りの客に声をかけてポーズをとる。
しかし、私に言わせれば、麻生首相が冒頭の日比谷公園の「年越し派遣村」に飛び込んで派遣切りの現実にしっかりと耳を傾け「この現実は看過できない。日本の政治指導者として、貧困問題を放置せず、今すぐにも手をつける」といったことを約束すれば、政治に対する不信の目も少しは薄れたかもしれない。

社会活動家の湯浅さんは演出家、行政を動かす「計算」「戦略」があった?
 それに比べてNPO法人、自立生活サポートセンター「もやい」事務局長の湯浅誠さんの活動には敬服する。今回の「年越し派遣村」の問題は、私の勝手な見方だが、活動家の湯浅さんには「計算」あるいは「戦略」があったのでないかと思う。
早い話が、年越し、そして新年という日本人が一時的にせよ、お祝い気分にひたるタイミングを狙いメディアを通じて厳しい現実を浮かび上がらせる、国民のだれもが知っている日比谷公園を使って、派遣労働や非正規雇用の問題などを行政課題にする厚生労働省に揺さぶりをかける、衆院総選挙を控える政治に対しても「国民はあなたがたの行動をじっと見ていますよ。貧困問題に真っ正面からの取り組みを期待していますよ」という無言のメッセージを出そうとしたのでないだろうか。なかなかの演出家であり、戦略家だ。
 この湯浅さんの著書、「反貧困」(岩波書店刊)という新書版の本がベストセラーになっている。湯浅さん自身、東大大学院法学政治学研究科博士課程を途中で止め、1995年、つまり14年前から、自らホームレス支援活動に乗り出してNPO法人のほかに反貧困ネットワークの事務局長などを兼務している。

日本は一度転んだらどん底まですべり落ちてしまう「すべり台社会」
 かつての学生運動のアジテーターのような反体制の活動家とは全く異なる。既存の労働組合の労働運動リーダーなどとも、もとより違う。市民や住民の中に入り込んで、自ら先頭になって活動しながら静かに市民レベルでのネットワークをつくりあげていく。間違いなく新しいタイプの社会活動家であり、社会派リーダーだ。
「反貧困」はぜひ読まれたらいい。「一度転んだらどん底まですべり落ちていってしまう『すべり台社会』の中で、『このままいったら日本はどうなってしまうのか』という不安が社会全体に充満している、と感じる」と湯浅さんは述べている。
さらに、「私たちは大きく社会を変えた経験を持たず、(中略)社会連帯を築きにくい状況にある。しかし他方で、アメリカ合衆国のように貧富の差が極端に激しい社会に突入することには、多くの人が抵抗感を持っているはずだ」「『このままではまずい』と『どうせ無駄』の間をつなぐ活動を見つけなければならない。そうした活動が社会全体に広がることで、政治もまた貧困問題への注目を高めるだろう」と。
この最後のくだりを読まれて、私が言った「湯浅さんは新しいタイプの社会活動家であり、かつ演出家、戦略家だ」という意味がご理解いただけよう。

「雇用の保険」など抽象論ではなく「300万人JOB創出」といった具体的数字を
本題に戻って、政治がどういったアクションを取るべきか。実は、そのことで申上げたいのは、欧米の政治は、実にリアルに問題対処しており、これを見習うべきだ。たとえばオバマ次期米大統領は2年間に300万人の雇用創出、正確には300万人分のJOBを生み出すという言い方をしている。そして政権スタートと同時に、それに見合った具体策をこれから打ち出す。ところが日本の政治家は、ほぼ間違いなく官僚の作文をそのまま使い「雇用の確保」「雇用不安の解消」といった抽象的な言い方ばかりなのだ。欧米がすべてベストとは思わないが、こと、失業問題、貧困問題に対する政治の取り組み姿勢に関しては、欧米の方に力強い期待が持てるような気がする。いかがだろうか。
 そこで、最後に、政治は問題になっている製造業派遣制度の見直しなど取り組み課題が多いが、私はJOBの創出という点で、1つの提案をしたい。
農村高齢化に伴い耕作放棄地が増えるなど荒廃懸念が強まる日本の農業再生のために、さらには日本の食料自給率向上のために、冒頭の人たちに、農業の現場で働く場を提供し農業の新たな担い手になってもらうことだ。

農業の担い手確保や食料自給率向上ともからめ農業の現場に就業機会を
 当然、後継者がいない農家に入り込んでも給与の支払いでカベにぶつかる問題が出かねないので、受け皿となる官民合同の組織をつくり、そこが就職あっせんから、さまざまな生活バックアップの仕事を行う。政治がバックアップする形で所得補助もする。
それに合わせて、企業の農業への新規参入も大胆に認める。今ある農業生産法人ともども株式会社あるいは法人組織にして、農業をアクティブなものにする。第1次産業の農業が主導して第2次の製造加工、さらに第3次のサービスや流通までを結ぶ第6次産業の発想でいけば、他産業で仕事をしていた人たちの力量が生かされるかもしれない。
 農業は発想を変えれば、さまざまなビジネスチャンスがある。今回の問題をきっかけに農林水産省が農林畜産、そして漁業の後継者含みで、若者や失業者の人たちに就業機会を提供する、という「田舎で働き隊」事業構想を打ち出している。1年間の派遣期間というが、もっと大胆にやればいい。
貧困の問題が、こういったことで100%解消されることはない。しかし少なくとも、今回の景気失速をきっかけにした企業の現場での「派遣切り」問題で大きく政治、そして社会問題になった貧困問題に、政治がまず真っ正面から大胆に取り組むことが必要だ。

電気自動車は加速性などで優位性あるのに、なぜ普及しないのか 経産省幹部「課題克服されれば推進」、自動車メーカー「目先の不況対策が先決」

うれしいことに、「時代刺激人」コラムを読んでいただいている方々から2008年12月26日付「日本は時代先取りで地球環境にやさしい電気自動車にチャレンジを」というコラムに関して、いろいろ反響があった。
読んでいただいた方々のコメントは、電気自動車が今のガソリン車に代わって新たな時代の担い手になることを予感する、あるいは地球環境にやさしいことが時代のキーワードであり日本は時代を先取りする形で推進すべきだ、といったコメントが多かった。ただ、その一方で、加速性、乗り心地が素晴らしいなどのメリットがありながら、なぜ、電気自動車が普及しないのか、日本政府が電気自動車導入で打撃を受ける石油産業や自動車産業への政策配慮が原因なのか、あるいは石油産業や自動車産業の抵抗や反発が強いためなのか、ジャーナリストの立場で問題究明してほしい、というコメントもあった。
そこで、今回は、再度、電気自動車の問題を取り上げ、何が課題なのかなどについて、取材結果を踏まえ、レポートしよう。

急速充電スタンドの整備、リチウムイオン電池開発などに課題
 まず、政府サイドは、この電気自動車をどう受け止めているのか。
経済産業省産業政策局幹部は、「まだ経済産業省として政策的にどう位置付けるか最終的判断に至っていないので、個人的な見解」としながらも「推進していくべきだ」という。
その産業政策局幹部によると、20世紀は間違いなく化石燃料の石油をベースに自動車産業の時代だったが、21世紀はむしろ環境がポイントになっており、 CO2(二酸化炭素)を排出しない電気自動車はガソリン車に代わる有力な輸送手段になる。あとは、燃料源のリチウムイオン電池の開発がどこまで進みコスト的に引き合うか、また安全性確保の面で問題がないか、さらにガソリンスタンドに代わる急速充電設備のスタンド設置がどこまで進むかといったインフラ整備の問題だけだ、という。
 ただ、自動車産業という機械産業の中軸にあって雇用吸収力も大きく技術開発力もすごい産業の根底を揺るがすことになり、産業政策的にリスクを取りたくない、という考えがあるのでないか、という気もする。
産業政策局幹部にその疑問をぶつけたところ、「自動車部品産業を含めて、自動車産業のすそ野は間違いなく大きく、電気自動車へ流れがシフトすれば影響は避けられない。ただ、自動車産業そのものは、われわれの政策対象であっても行政面で規制が大きくからむような産業でない。むしろ自動車産業が電気自動車をどこまで受け入れるかだろう。しかし、内燃機関のガソリンの問題か、電気のモーターかの問題で、自動車の機械の部分は変わらないので、石油産業と違って死命を制するという問題ではないはず」と述べている。

石油メーカー「電気自動車がすべてガソリン車に変わるとは、、、」
 確かに、石油産業の方が石油製品としてのガソリン需要が電気自動車への利用者シフトが起きれば、打撃は大きい。
ある大手石油元売り企業の幹部は「電気自動車がガソリン車とどこまで価格面で競合出来るかによるが、電気自動車がすべてとって代わるというオール・オア・ナッシングという話でない。ただ、われわれ石油企業にとって、厳しい時代が来ることは、いずれ避けられないと思っている」という。
ご記憶だろうか。12月26日付コラムで電気自動車の問題を取り上げた際、米国カリフォルニア州政府が大気汚染対応から1990年に自動車メーカーに対し2003年までに年間販売台数の10%を排ガス・ゼロにする無公害車を義務付ける州法を制定、そこで米ゼネラルモーターズ(GM)が「EV1」という電気自動車を開発しリース契約制で販売したが、その際、危機感を持った米国の石油業界の対応を書いた話のことだ。
石油業界は当時、「電気を生み出す石炭火力発電は大気汚染の原因でないか」と反対キャンペーンを行い、これが意外に影響を及ぼし電気自動車人気が下火になっていく。しかもGM自身が自主規制するかのようにリース車の回収をしてしまった。ドキュメンタリー映画「誰が電気自動車を殺したか」でその模様が描かれたが、業界は必死だったのだ。

「開発・設備投資規模が大きく、踏み込めない」のが自動車メーカーの本音
 さらに最大手のトヨタも、2010年に現在の環境対応車、ハイブリッド車とは別に電気自動車を市場投入する、と表明している。ハイブリッド車はガソリンでエンジンを動かしている間に発電し電池に電気がたまるとモーターを動かして走行する仕組みだが、新たな電気自動車は、電気コンセントから充電して走るプラグイン・ハイブリッド車で、これまでのガソリンエンジンを積んだハイブリッド車戦略から切り替えつつある。トヨタの場合、電気自動車の比重をどこまで高めるかがポイント、と言える。
 12月26日付コラムで紹介した自主開発に取り組む慶応大学の清水浩教授の開発車「エリーカ」はリチウムイオン電池車で、100馬力のモーターを8個、車輪に搭載し普通の4輪車ではなく8輪車。最高速度が時速370キロ。最大加速度が0.68G。1回に充電してからの走行距離が300キロ。充電時間が30%というすごい車だが、問題は量産に至る状況でないため、清水教授によると現時点で1台あたり8800万円という。

国や自治体補助を活用したら神奈川県の場合、三菱の電気自動車は163万円
 この金額の高さに「えっ」と驚く一般の利用者の反応が電気自動車の普及度合いのカギを握りそうだが、自動車評論家で、しかも日本EV(電気自動車)クラブ代表の舘内 端氏の話を聞くチャンスがあった際、舘内氏の話では国や自治体の補助金バックアップによって、ガソリン車とはわずかの価格差だという。
それによると、神奈川県で今年発売予定の三菱自動車の電気自動車を買う場合、本体の軽自動車の価格が400万円として、国の補助金137.5万円、神奈川県68.75万円、そして横浜市30万円を差し引くと163.75万円で、ガソリン車の同型車とはわずかに38.75万円の差だという。確かに、この価格水準ならば、射程距離と言える。
舘内氏はEV推進者の立場もあってか、「今年11月に、東京~大阪600キロを日本EVクラブの仲間でつくる軽・電気自動車で無充電で走る計画だ。一晩、充電すれば、翌日も600キロ走行が可能で、EVの実用性を証明すると同時に、地球温暖化防止で世界に貢献したい」と述べている。
 前述の清水慶応大教授は、月刊誌VOICE2月号(PHP研究所刊)での「切り拓け!電気自動車社会――いまこそ自動車会社の本気度が問われる」の中で「各自動車メーカーは(世界的な経済危機で)苦境に立たされている。しかし、この苦境を経済環境のせいにしてはいけない。いま自動車が売れないのは、商品としての魅力がないからだ。まったく新しい魅力ある自動車を作り出し市場そのものを活性化していくべきなのだ」と述べている。
自動車メーカーは、この清水教授の問題提起をどう受け止めるだろうか。

オバマ米大統領の演説、首都に集まった200万人を感動させる凄味 新政治リーダーに課題山積、でも人、組織、そして国を動かすパワーに魅力

米国の若き新大統領バラク・フセイン・オバマ氏の就任演説は、聞く者の心を強く打ち感動させる、スケールの大きいものだった。ジャーナリストの仕事柄、多くの政治家、企業人などのさまざまなスピーチを聞く機会が多いが、その私にとっても、今回のオバマ大統領の就任演説は、聞くに値(あたい)するものだった。
冒頭に、こんなメッセージがある。「米国全土に広がる自信の喪失。それは、米国の衰退が不可避で、次の世代は目標を下げなければいけないことにつきまとう恐怖だ。これらの難問は間違いなく現実のものだ。短期間では簡単に対処できない。しかし、アメリカよ、それは解決できる」と。
病める米国、自信喪失の米国、経済危機のがけっぷちに立たされている米国だけに、オバマ大統領の前途は誰もが見るように多難だ。しかし、演説を聞いていると、この新政治リーダーの存在が人を動かし、組織を動かし、そして国を動かすのでないかという期待感がある。ひょっとしたら、米国は、このリーダーのもとで求心力を強め、これから時間がかかるにしても、時計の振子と同じように大きく反対方向の「米国再生」方向に振れていくかもしれない。

就任演説に集まり興奮する人たちの熱気は「米国再生」への期待?
 首都ワシントンはマイナス7度という、凍てつく寒さがあった。それにもかかわらず、何と200万人という前例のない数の人たちが首都ワシントンに全米各地から集まった、というのだ。この政治ドラマの歴史的な現場に、という理由だけで200万人も集まるというのはすごいことだ。
とくに、これまで人種差別などで苦しんできた黒人が多く集まり、米国で初の黒人大統領の誕生を素直に喜んだが、白人、ヒスパニック、アジア系米国人などさまざまな人たちも、人種の壁を越えて「CHANGE(変革)」意欲に燃える若き黒人リーダーのこの演説に耳を傾け興奮する姿、その熱気が、実況中継するテレビから伝わった。
 成熟した国家では情報通信、とりわけテレビの普及もあいまって、多くの人たちは仕事を抱えていることを理由に、就任演説の現場には足を運ばず、テレビの映像で新大統領の誕生を見る、というケースが多い。とくに日本では、政治不信も加わってか、そういう状況が想定される。
ところが、テレビの中継報道を見て、本当に驚いた。日本の国会にあたる連邦議会議事堂前からパレードが行われるペンシルベニア通り、そしてホワイトハウスに至る道はびっしりと人、人、人で埋め尽くされている。しかも、黒人だけでなく白人の多くも特設の大型スクリーンに映し出されたオバマ大統領の演説に聞き入りながら、大きくうなずくだけでなく盛んに拍手を送っている。白人主導の社会にさっそうと登場した若き黒人リーダーにすべてを託すという、米国のような人種差別の激しい国では考えられない光景だ。間違いなく既存の枠組みから離れて新しい枠組みをめざそうということへの熱気とも言える。

宗教や言語の多様性は米国の弱みではなく、むしろ強みと言い切る強さ
 ところで、オバマ大統領の演説について、もう少し述べたい。
オバマ大統領は演説の中で、米国の多様性は弱みでなく強みだ、と述べている。「私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ。世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私たちだ」と。仏教徒が抜けているのは重要でない。あらゆる宗派の人たちが1つの屋根の下で同居することの重要性を強調しているのだ。
 次期大統領に決まった際の演説でも「若者と高齢者、富める者と貧しい者、民主党と共和党、黒人と白人、そしてヒスパニック、アジア系、アメリカ先住民、同性愛者とそうでない人など、この国が寄せ集め(の集団)でなく、(さまざまな力を結集して変革を起こす)アメリカ合衆国だというメッセージを世界に伝えた」と述べている。
米国の多様性は下手をすると、さまざまなものがバラバラになり互いに反発のエネルギーだけが増殖されて社会不安に発展するリスクにつながりかねない。しかしオバマ大統領は危機的な経済状況のもとで、むしろ、一体感を演出することで、その多様性を弱みでなく強みにしていこう、としているのは間違いない。

演説の次のようなくだりも印象に残った。「私たちが今日、問わなくてはならないことは、政府が大き過ぎるか、小さ過ぎるかではなくて、それが機能するかどうかだ。まっとうな賃金の仕事や、支払い可能な医療・福祉、尊厳をもった引退生活を各家庭が見つけられるよう、政府が支援するのかどうかだ。答えがイエスなら前に進もう。ノーならば、そこで終わりだ。私たち公金(税金)を扱う者は、賢明に支出し、悪弊を改め、外から見える形で仕事し説明責任を求められる。それによって政府と国民との信頼関係を再構築することができる」と。

「オバマ演説は言葉の力そのもの」「ついていけば明日はよくなると思わせる説得力」
 クリントン元大統領以来、米国大統領の演説や会見などの同時通訳してきた、という東京外語大教授の鶴田知佳子さんが、1月22日付の朝日新聞の「私の視点」欄で、同時通訳者という立場での専門家から見たオバマ演説を書いておられる。
いくつかポイントをつく点があるので、引用させていただこう。「オバマ大統領は若々しくさっそうとしている。バリトンの声はよく響き、間(ま)の取り方もうまい。だが、彼の演説の一番の特徴は言葉の力そのものにある」「雄弁さと巧みなレトリックは、下手をすると大衆をあおるような演説になりがちだ。しかし彼の場合、そうはならない。語り口はクールであり、激こうしたり叫んだりすることがほとんどない。自己陶酔に陥らず、むしろ常に聴衆を見ている。抑制した話し方が、かえって説得力、信頼性を増している」と。
そして、鶴田さんは最後に「この人についていけば明日はよくなる、と思わせる説得力、そして聞いている人たちを自分も(米国社会という)統一体の一部と思わせる力だ」と述べている。

日本の政治リーダーから感動的なメッセージ受け止めた記憶ないのが残念
 政治リーダーにとっては言葉の力、演説でのメッセージ発信の持つ力は最大の武器だ。オバマ大統領の演説を聞いていると、この新政治リーダーの存在が人を動かし、組織を動かし、そして国を動かすのでないかという期待感がある、と冒頭に申上げたが、力強いメッセージ、感動的な言葉に接すると、人間は限りなく気持ちが高揚し奮い立つもので、その意味では、いま逆境にある米国の人たちは、この若き黒人リーダーに自分たちの運命を託してみよう、という気持ちになっているのだろう。
日本の国民は最近の政治リーダーから、オバマ大統領と似たような感動的なメッセージを受け止めた記憶がないのが残念だ。それが日本の閉そく感をさらに強めている、とまでは言わないが、世代交代が進み力強い政治リーダーが生まれることを望むしかない。
 今回は、角度を変えて、オバマ大統領の就任演説にからめて政治リーダーの演説、メッセージ発信の重要性を指摘したかったのだが、オバマ大統領にとっては、これからが勝負だ。スピードの時代、マーケットの時代、グローバルの時代というもとで、オバマ大統領が「米国再生」のために果敢に政治決断し実行していくか、その取り組みをウオッチしていくしかない。