1990年生まれ20歳の若者に、経済成長への執着心がないという現実 成長未体験世代が増え続けるこわさ、政治や行政、企業経営者の責任は大

私にとって、最近、とてもショックだった話から始めよう。私の友人で、東アジア経済を研究している早稲田大学の深川由紀子政経学部教授が、あるシンポジウムで「私のゼミにいる3年生の20歳の大学生たちは驚くことに、経済成長への執着力が全くと言っていいほどない。勢いある新興アジアについても、ぜひ現地に行って見てみたいという意欲もない」と述べたことだ。深川さんによると、彼らは湾岸戦争の1990年生まれの若者たち。いずれも過去にゼロ成長か1、2%の低成長、場合によってはマイナス成長しか経験しておらず、経済成長とはそんなものと思っているためだ。これから日本を担っていく人たちの人的資源の面での劣化が始まっていることがこわい、という。

ダイナミックに動く新興アジアに全く興味を示さないのも意外
 別の会合で、同じような話を聞いた。やはり旧知の旧大蔵省官僚で主税局長、国税庁長官経験者の大武健一郎さんが「いま、3つほどの日本国内の大学で、若い人たちと接していて驚くのは、そろって好奇心がないことだ。私は年間3回ほど、かかわる仕事の関係でベトナムや中国に出かけるが、ダイナミックに動くアジアの話をしても、興味を示さず、行ってみたいという気持ちも起こさない。とても残念で仕方がない」と述べたことだ。

私個人の話をして、恐縮だが、私自身は大学時代、小田実の「何でもみてやろう」と似たような世代で、海外のいろいろな国に行ってみたいという気持ちが非常に強かった。当時は海外渡航が不自由で、外貨の持ち出しも極度に制限されており、チャンスを探すのに躍起だったが、数少ないチャンスを生かして、いろいろな体験をした。

「何でも見てやろう」式に海外を歩き回ったことが貴重な体験に
 崩壊する前の東西ベルリンの壁を往復し東西冷戦の緊張の一端を肌で感じ取った。そのあとアジアの国々を歩いた際、インドの旧カルカッタ駅頭で中印国境紛争の真っただ中にあったため、中国人と間違えられ、あわやリンチにあう厳しい体験をしながら、難を逃れてインドでがんばっている日本農場の人たちの現場を見に行き、その取組みに刺戟を受けた。また東京オリンピックのころ、ベトナムの旧サイゴンで、バスに乗って出かけたビエンホアという旧南ベトナム空軍基地が襲撃されたのを翌日、香港で知り、ベトナム戦争のこわさを知ったことなど、数知れない経験をした。
当時は、ひたすら好奇心が先行していて、見ること、経験することをまず最優先にした。それが今でも役立っていて、まずは現場に行き自分の目で確かめる習慣が出来たこと、物事の価値判断に関しても、幅広くかつ多様な見方、考え方を踏まえることが大事だという意識行動が自然に出来上がっている。

若者の海外旅行多いのは事実、だがアジア専攻大学生のアジア興味なしが心配
 だから、私も深川さんや大武さんの話を聞いていて、今の若い大学生が海外での異文化体験に興味を示さないことが残念で仕方がない。私自身、彼らに対して、生き方を強要したり、押しつける気は全くないにしても、「いま、世界の成長センターのアジアの現場は面白いぞ。アジアの多くの国々には、まだまだ至る所に生活の貧困がある。しかし彼らは日々の生活に必死というだけでなく、自分たちの国を何とかしなくてはといった立て直しに向けての意欲とか勢いのようなものが出てきている。現代の日本とは違う熱気みたいなものがあり、現地に行けば、何か得るものがあるぞ」と言いたくなる。

もちろん、日本の若い世代が全く海外旅行や生活経験がないのか、と言えば、もとより、そんなことはない。ゴールデンウィークや年末年始の休みなどを使って海外で、という形で旅行体験をしている人たちが多い。とくに中堅サラリーマンが家族ぐるみで海外に出かけ、その旅行に連れだって出かける子どもたちの世代が海外でさまざまな体験をすることで異文化体験をしているので、そんなに心配する話でないだろうと言われそうだ。
しかし私の問題意識は少し違う。最も好奇心旺盛なはずの大学生、とくに深川さんらの東アジア経済を専攻しているゼミの大学生が、なぜ海外、とりわけ新興アジアに自ら出かけて現場を体験したらどうか、という教授側の問いかけにも強い関心を示さないのか、という点が心配なのだ。

「成長に執着しない」世代が人口のボリュームゾーンになるこわさ
 そこで、議論が及ぶのは深川さんの大学ゼミの1990年生まれの20歳の学生に広がる「経済成長への執着心が見られない」という点だ。バブル崩壊後の長いデフレ経済状況のもとで、そこそこの経済成長を体験しない、言ってみれば「成長未体験」世代を作り出してしまったことは大きな問題となってくる。これら世代が今後、人口の大きな塊(かたまり)、人口のボリュームゾーンの中核を占めるようになってくると、経済成長への執着心だけでなく、さまざまな物事への執着心も薄れてくることになるのだろうか。
そういった意味では、バブルを生みだし、そしてそのバブルを巧みに収縮して平時の経済に戻すようなマクロ政策の運営に失敗し、バブル崩壊後のデフレ長期化を引き起こした政治や行政、さらには経済革新へのチャレンジを怠った企業経営などの責任が大きい。「ジャーナリストはすぐ簡単に批判するが、あのバブル経済時、そしてバブル崩壊時のマクロ経済運営で、どういった秘策があったというのだ?」と反論のボールが飛んできそうだが、結果として、「失われた10年」が15年、そして20年と続いてきて、今や1990年生まれの20歳の大学生たちに経済成長への執着心を失わせる結果になったことは、やはり看過できない事態だ。

現実問題として、経済成長がゼロもしくは1、2%成長といった低成長が常態化したことによって、大学生を含めた若者たちの雇用環境が一段と厳しくなり、非正規社員やフリーターといった形での雇用不安定な状況に追い込まれて、次第に閉そく感を強めてしまう。 若者たちの意欲をそぐ事態が常態化すれば、深川さんのゼミの大学生のように、次第に経済成長そのものに対する執着心も希薄になってきてしまうのだろう。そういった意味で、やはり政治や行政が有効な手立てを講じきれないまま現在に至っている責任は大きい。

友人の意外なアドバイス、「親の遺産が転がり込むことを当てにする若者もいる」
 私の親しい友人の1人は面白いことを言っている。「今の若者は、さまざまなタイプがいて、価値観も多様だ。たとえば、周囲の空気を敏感に感じ取り、その場に合わせようという行動パターンが大勢だ。しっかり主張して発言しよう、目立とうといったアクションを好まないのだ。また、エッ?と思うかもしれないが、祖父母の世代、そして親の世代の遺産を当てにして、生活している若者も意外に多い。彼らは年金財政が破たんして、場合によって、自分たちの年金が確保できなくても祖父母、そして親の遺産がいずれ転がり込むと考えるしたたかさもあるのだ」と。でも、こんな世代がさきほどの人口のボリュームゾーンの中核になった時の日本はこわいなと思ってしまう。

毎日新聞7月26日付のキー・パーソン・インタビューで、途上国への技術支援、開発援助などにかかわる国際協力機構(JICA)理事長の緒方貞子さんが興味深いことを言っている。ちょっと引用させていただこう。
「若い人の興味は全体的に減っていると、みなさん、おっしゃる。留学したい人すら減っているとか。生活や将来の不安感はあると思うが、外に出て人を助けることを否定しているわけでないでしょう。日本だけで生きていける時代ではない、相互依存の世界なんだということを、私もよく言っている。ただ、日本で増えるのは青年でなく元気なシニアでしょうね。でも、青年海外協力隊は、元気で活発ないい日本の青年をつくりたいということで始めたのです」

貴重な異文化体験経た青年海外協力隊、企業は中途採用で積極活用を
 この青年海外協力隊制度というのは、国際協力機構の傘下にあり、途上国の地域開発や農業、医療、教育などのプロジェクトに原則2年間かかわるボランティアを派遣する制度だ。1965年にスタートして、45年に及ぶ息の長いプロジェクトだ。20歳から39歳までの青年たちが途上国でさまざまなボランティア経験を通じて、それらの国々との架け橋役、ブリッジ役になっていくのだが、私は、実は冒頭に述べた海外の旅の途中でインドやマレーシアなどで、先行モデルとなった米国ケネディ大統領(当時)が創設した平和部隊のボランティア青年たちの現場で共同生活体験をして、日本にこそ導入すべきだと主張した1人なのだ。

私は、冒頭の深川さんのゼミの学生を含めて、多くの若者たちが日本の国費で途上国に派遣され、貴重なボランティア経験をしたらいいと思う。たぶん、生き方が変わるし、アジアの新興国、途上国への目線も変わってくる。ボランティア経験を経て、たくましい若者がどんどん誕生するだろう。いま、企業は、これら貴重な経験を経てきた青年海外協力隊員を積極的に中途採用すればいい。語学力もあるし、フットワークもよく、そこそこのリーダーシップもある。いま、企業が現場で求めているのはこういった人材でないかと思う。そうした再就職の道筋がつけば、若者たちはこのボランティア活動にチャレンジし貴重な異文化体験を自分たちの財産にするのでないだろうか。

大丈夫?海外原発輸出で官民一体会社創設し再挑戦と言っても難題山積 UAEやベトナムでの連続敗退原因は深刻、国内規制を海外に合わせられるか

 原子力発電所の製造のみならず維持管理技術では今や世界でもトップレベル、と言われる日本。ところが日本は昨年から今年にかけて、アラブ首長国連邦(UAE)やベトナムでの国際受注をめぐって連続敗退した。その敗因が、韓国やロシアの政府の強いテコ入れ支援によるものだったことから、経済産業省が危機感を強め、官民一体の「国際原子力発電開発会社」(仮称)を今年秋に創設して巻き返しの再挑戦を図るという。
オールジャパンでの取組みは、ワールドカップサッカーでの日本チームの結束力、意外なパワーの発揮をイメージさせるが、経済ジャーナリストの問題意識で言えば、この原発輸出の官民一体会社の枠組みに関しては、コトはそれほど簡単でない。それどころか難問山積なのだ。そこで、今回は何が課題か探ってみよう。

韓国は新興国の原発需要への対応に躍起、輸出実績づくりで安値受注
 まずは「失敗の研究」から始めよう。経済産業省や電力、プラント輸出企業関係者の話を総合すると、昨年12月、UAEアブダビに建設予定の4基の原発に関して、韓国国営の韓国電力がフランス、日本・米国連合との国際競争入札の結果、受注したが、その受注額が国際相場よりも30%ほど安い約200億ドル(円換算約1兆7000億円)の安値受注だった、という。
韓国は原発建設では後発国で、輸出実績がないため、一般的に評価が低かったが、ここ数年の新興国を中心にした原発需要の高まりに積極対応するには、まず実績づくりが最重要と位置付け、今回のUAE原発をめぐっても経済界出身の李明博韓国大統領が陣頭指揮で取組み、国営電力のプロジェクトでもあることから安値受注批判を覚悟でなりふり構わずに受注に走ったのは間違いない、という。

問題は「原発運転60年保証」提案、日本は「経営スパン超えたリスク」と敬遠気味
 しかし問題はそれにとどまらない。むしろ、日本、とくに電力やプラント輸出企業関係者にショックを与えたもっと重大なポイント部分がいくつかある。1つは、韓国電力が原発運転中の技術トラブル、事故などを含め運転保証を60年間行う、と提案したこと。もう1つは、原発の設備稼働率に関して、日本の65%に比べ韓国は90%で対応する、それに伴い定期検査期間も短くし効率的な設備稼働をめざすと提案したことだ。
東京電力などの電力関係者は、このうち60年運転保証に神経をとがらせている。「製造物に関するメーカー責任と同様、原発の運転保証はシステムを提供する企業サイドには当然の責務だが、60年という期間の長さは企業の常識を超えている。民間企業としては、到底、そんな長期のリスクに対応しきれない」「韓国が非常識な前例をつくってしまったので、これが今後、国際原発受注競争をめぐって、ひとり歩きしたりすると、大変なことになる。株式会社の経営スパンを超えた運転保証が受注の必要条件になるようであれば、この受注競争から降りざるを得なくなる。新しく創設予定の官民一体の国策会社が出来ても、このリスクをどう背負い込むかは難題だ」という。

官民一体会社が政府貿易保険適用で長期の巨額リスクに対応するかポイント
 国の貿易保険という制度的な手立てがあることは事実。だが、1基数千億円という原発の巨額の損失保証リスクが60年という長期間に及んだ場合、保険がどこまで対応できるかどうかという問題が残っている。官民一体の原発輸出会社とはいえ、民間の電力会社がリスク回避の行動に出た場合、経済産業省など国は貿易保険でどこまで安全を担保するのかがポイント部分だ。
今回のUAEの原発受注をめぐっては、日本側のプラントメーカー日立製作所は沸騰水型原子炉で米ゼネラル・エレクトリック(GE)と技術連携している関係で共同応札に動き、そしてシステム稼働は米電力大手のエクセロンがメインに、東京電力がサブの後方支援というバックアップ体制をとる形で臨んだ。日本側はこの布陣をとれば、輸出実績のない韓国が60年保証をアピールしても十分に勝てると踏んだが、日米という基軸は中東では張り子のトラでしかなかったようだ。

ただ、面白い話がある。日本の大手商社首脳がサウジアラビアの政府関係者と、今回のUAE原発の韓国受注をめぐって話し合った際、サウジ政府関係者は「原発の運転実績やシステム関するノウハウを十分に持ち合わせていないUAEとしては、経験豊富な日米連合の力量を買うべきだったのに、明らかに判断ミスだ」と言ってくれたそうだが、UAEにとっては60年もの運転保証は際立った魅力に映ったのだろう。

韓国は原発設備稼働率90%をアピール、日本は安全検査がらみで65%に
 韓国が売りこんだ、もう1つの原発設備稼働率90%問題も、実は日本の官民一体会社に今後、難しい課題を投げかける。この稼働率というのは、わかりやすく言えば、設備が損傷なく効率的に動いているかを見る際のメルクマールになるものだが、韓国の90%に対して、日本は統括する原子力安全・保安院の検査方針にもとづき65%の低さだ。この理由はいくつかある。
1つは、日本が地震多発国のため、耐震度チェックが重要になり、常に検査回数を多く、また検査期間を長くしていることだ。中越沖地震での東京電力の柏崎原発は地震発生と同時に原子炉が瞬時に止まり、日本の原発安全性の高さを証明したが、原子力安全・保安院は定期検査を13カ月ごとに実施、検査が半年以上に及ぶこともある。逆に韓国は20カ月ごとの検査で、期間も1カ月程度。これが設備稼働率の差となって表われる。

「性能向上で年1回の原発検査は不要」論に対し、国は自治体対策でも慎重
 米国も韓国と同じ90%だが、日本の場合、安全性へのこだわりがその差となっている。しかし電力関係者は「原発のハードウエアとしての性能は技術進歩に伴って格段に上がっている。年間1回の定期検査はもはや不要だと言っていい。米国などで検査制度の合理性が証明されているのだから、90%に引き上げても問題ない」と述べている。
同時に、別の電力関係者も「原発が定期検査中、火力発電などで電力のピーク時需要への対応が必要になるが、火力発電には原油確保が必要で、原油価格高騰時にはその分、大きなコストアップになる。20%稼働率を引き上げるだけで、コスト削減、引いては電気料金の引き下げにもつながる。ましてや原発の国際商戦で原発稼働率の差がポイントになるのなら米国や韓国の基準にスライドさせればいいでないか」とも述べている。

ここ数年の日本国内の電力会社の原発がらみでのデータ隠しなどの不祥事で、原子力安全・保安院が原発検査に厳しい姿勢で臨んでいる。しかし実は、原発立地の自治体、原発周辺住民への安全確保対応をめぐり、原子力安全・保安院としては、「原発の設備稼働率引上げ容認で地域住民への安全を軽視するのか」といった批判を懸念し慎重になっていることも否定できない。

エネルギー白書は「20年後に原発稼働率90%」を提案、国際商戦に勝てる?
 ところで、今回の官民一体の原発輸出会社がらみで官の側の姿勢が問われる問題がある。経済産業省が出した2010年版エネルギー白書では、CO2(二酸化炭素)排出量が少なく地球環境に優しい原子力発電の推進を打ち出し、同時に、2030年に原発の設備稼働率を90%にすること、具体的には「平均18カ月以上の長期サイクル運転、平均2カ月程度以内の定期検査による発電停止期間となることをめざす」としていることだ。
今回、UAEの原発受注をめぐって、日本が敗退した要因の1つに原発設備稼働率の低さがポイントになったというのに、エネルギー白書では20年後に韓国と同じ90%になるようにする、と平然と述べているのには正直、驚いた。
経済産業省は、原発の海外輸出を大きな国家戦略と位置付け、官民一体の会社まで創設して取組もうという時に、この意識のずれは問われる点だ。設備稼働率の関しては海外向けは90%に、国内向けは当面65%にして段階的に20年後に90%へというダブルスタンダードで臨もうということだろうか。

産業構造ビジョンでも「市場機能を最大限に活用した官民連携」を強調したのに、、、
 同じ経済産業省が最近まとめた「産業構造ビジョン」では「市場機能の中で、民は徹底して稼ぐための事業戦略を練り、官がそれを戦略的にサポートし、官は国内雇用の確保に必要な政策を徹底的に打つ。これが官と民の新たな方向性である」として市場機能を最大限に活用した官民連携をうたいあげている。とくに今後の産業政策ともからめて日本がオールジャパンで取り組む戦略分野として、新興アジアなどでの水プロジェクトや原発プロジェクトに関して、設備や製品の単品売りではなく、設計・建設から維持・管理、時には料金徴収などのシステムのニーズに対応すべきだ、とし、官の側の役割として公的金融支援、経済協力の見直し、インフラファンドの活用などを強調している。実現すれば好ましい方向と思うが、エネルギー白書の現実認識のズレからみると、官の対応が問われる。

日本政府は三峡ダムでの国際商慣習ルール破る中国に文句言えず
 この官民一体、オールジャパンの取り組みにはまだまだ課題山積だ。ベトナムの原発受注を巡って、ロシアは軍事協力という奥の手を出し、潜水艦6隻の無償供与を提案し、これがベトナムをロシア受注に決める決定要素となった。日本の原発輸出の官民一体会社はこの現実にどう対抗の切り札を出せるのかがポイントになる。
また、こんな話もある。かつて中国の三峡ダムの第2期国際入札が公開で行われた際、日本企業は1番から3番までの札をすべて引いたので、どう転んでも日本受注間違いなしだった。ところが、最終落札で何と予想外のドイツに行ってしまった。どんな裏ワザか定かでないが、ドイツは巧みなアクションをとったのだ。意気込んでいた日本企業関係者はなぜだと激怒し、日本大使館や経済産業省などに対し「中国は国際商慣習を守らなければ国際社会で生きていけぬぞ、と抗議しろ」とねじこんだ。当時を知る企業関係者は「日本政府は中国に対して、何も言えずだった。だらしがない、の一語に尽きる。官民一体、オールジャパンの掛け声はいいが、ギリギリのところでリスクをとれるのか。民間企業につけ回しだけは止めてほしい」というのだ。国は今回の官民一体のプロジェクトでも、本当にリスクをとる気概があるかどうかだ。

日本が東アジアで取り残される?「アジアと早期にFTA」は掛け声倒れ 中国、韓国は市場拡大益を最優先、国内農業保護にこだわらずFTA締結

 最近、アジアで、それも日本の近くで地殻変動が起きつつあるな、と思わず感じたのは、かつて政治、軍事面で敵対していた中国と台湾が6月29日に経済協力枠組み協定に調印したことだ。協定は、中国と台湾が双方ともWIN、WINの関係になるように、互いに経済協力の枠組みをしっかりつくろう、というものだ。ひと昔前までは、中国が1つの中国論にこだわり台湾を武力介入で併合することも辞さずだったし、他方で台湾も中国共産党政権を敵視し大陸反攻を口にする関係悪化の時期があった。その意味で、これはまさに地殻変動だと言っていい。日本政府は、この動きをどこまで読めていたのだろうか。

そこで、今回は、この経済協力枠組み協定が中国と台湾で取り交わされたことの意味をじっくりと考えたい。それと同時に、世界の成長センターのアジア、とりわけ中国、韓国、日本が大きな経済圏を持つ東アジア地域で、地域経済統合につながる自由貿易協定(FTA)、あるいは経済連携協定(EPA)が急展開しつつあるのに、なぜ日本の取組みが遅々として進まないのか、そこをぜひ問題にしたい。下手をすると、2国間でのFTAにとどまらず広域FTA締結がどんどん進み、そこでも日本の決断遅れによって取り残されてしまう、という最悪のシナリオになりかねないのだ。正直言って、デフレに苦しむ日本が、世界の成長センターから取り残されるリスクは重大だ。

中国は台湾と経済協力枠組み協定に調印、香港含め「2012年対策」が狙い
 中国、台湾の双方に精通している友人の専門家などの話を聞くと、中国の思惑が先行している。中国は2012年の台湾総統選挙を視野に置き、中国との関係強化、融和路線を進める馬英九総統の再選のバックアップのためには、今、経済協力枠組み協定を結んでおけば、選挙時の2年後に大きな経済効果が出てきて、台湾の人たちにとって中国との融和政策は意味があった、と実感させることが可能、との戦略的な判断があったという。
そればかりでない。この2012年は、香港で行政長官と立法議会議員の2つの選挙がおこなわれる重要な年。香港では選挙制度改革をめぐって、香港民主派が1989年の天安門事件以来、中国政府と対立してきたが、今回、中国政府が民主派の改革案を受け入れ事態は急展開し、民主派との関係改善が図られつつある。中国は選挙をしても親中国派の議員が多数派となる布石を打つ必要があると譲歩すると同時に、台湾よりも7年も先行する中国と香港との経済貿易緊密化協定の実を上げ、一体感を強めようとしたのは間違いない、という。

中国は農産物で市場開放、逆に台湾には農産物、労働とも開放を要求せず
 このうち、本題の中国と台湾との経済協力枠組み協定に話をしぼろう。今回の協定では中国側の気遣いは相当なものだ。最大の焦点の関税引き下げに関しては、中国側が台湾の267品目に対して、ほぼ2倍の539品目にまで認めている。とくに台湾の関心品目の農業産品18品目はじめ、漁業産品、産業機械、自動車部品、自転車、鉄鋼、医療機器などに関しては門戸を開放している。そればかりでない。中国側は、台湾に対して農産物輸出の市場開放を求めなかったばかりか、労働市場に関しても要求しなかった。中国と台湾の市場規模の差を考えれば、早い話が「大人の協定」であることは間違いない。

中国は台湾の「香港・マカオ化」によって一国二制度化をめざす?
 私なりに考えてみると、この底流には多分、中国が台湾との経済協調を第一義にして融和を図り、いずれは台湾の「香港・マカオ化」、つまり一国二制度化をめざそうとする狙いがあるのでないかと思う。そして、その先には中国が台湾の再統一を考えるのか、あるいは一国二制度状態にして、シンガポールなどを含めた「大中華圏」の実現という現実的な選択をするのか、いずれかがあることは間違いない。 そのためにも、中国にとっては2012年の台湾総統選挙で中国との融和派の馬英九総統の再選は重要命題であり、バックアップ体制をとるべきだとの判断に至ったのが、今回の歴史的な経済協力枠組み協定の締結でないかと思う。しかし、台湾の独立派の巻き返し攻勢は当然、予想されることで、事態の推移を見守るしかない。

ただ、今回の中国と台湾との経済力枠組み協定の締結で、台湾は早くもシンガポールとの間で今年中に同じような経済協力協定の締結に向け、協議に入ると発表している。これは極めて意味がある。台湾としては、中国との関係改善をきっかけに、今後、海外で台湾の認知をしてもらうことで、一種の「日陰の身」から晴れて海外で動き回ろうという考えがある。問題は、中国がどこまで容認するかだが、2012年問題、さらに将来の一国二制度化を考えれば、柔軟に対応していくのでないか、と私は考える。
それに、現実問題として、中国にとっては、台湾のさまざまな経営資源は今や中国の沿海部を中心に欠くことが出来ないもので、あとで述べるアジア全体を視野に入れた広域FTA戦略の展開上も、台湾には重要な役割を担わせたい、という判断があるのでないかと思う。そういった意味でも、今回の経済力枠組み協定の締結は、戦略的な判断が色濃く伴う地殻変動と言っていい。

日本のFTA締結が遅々として進まないのは国内農業市場開放がネックに
 さて、ここから本題の日本のFTAへの取り組みだ。結論から先に言えば、多くの方はご存じのはずだろうが、日本がFTAはもとよりEPAに関しても、遅々として締結が進んでいないのは、国内農業保護が優先されているからだ。だから、これまで締結が行われたシンガポールなどいくつかの地域や国との締結は大半が農業の市場開放が大きなテーマになりにくい所ばかりだ。

歴代の旧自民党政権は、農業が大きな票田、支持基盤だったため、農業政策に関しては自由化対応を含め政策が後手後手に回ってしまい、結果として、今のようなグローバル化の時代には対応に窮するばかり。政権交代した民主党政権も同じ課題を背負っている。今のところ、民主党政権は、農家への戸別所得補償制度の導入をとっかかりに、局面打開を図ろうとしているが、参院選での民主党大敗に伴う政治のねじれ現象で、農業政策のみならず、あらゆるマクロ政策が身動きとれない状況に陥り、とても大胆な局面打開の政策展開が期待できない悲しい状況になってしまっている。

農業も6次産業化で競争力つく、農業保護優先であらゆるチャンス犠牲は疑問
 しかし、私が全国の農業生産者の現場を歩き回って、いろいろな人たちの取組みを見ていると、農業生産法人化を通じて企業経営手法を取り入れて改革に取り組んでいる事例、さらには第1次産業を中心に、市場流通に頼らずに第2次、第3次の産業分野まで主導的に経営展開する「6次産業論」を実践して、儲かる農業を実現しているたくましい先進モデル事例が成功しており、十分に競争力がつき始めている。
 もちろん、FTA締結をきっかけに、中国が台湾に対して、台湾の強みである農業への配慮もあってか中国農産物市場の開放に応じたように、日本が今後、中国や韓国などとのFTAでは何らかの農産物市場開放は避けて通れない。関税の引き下げも大きな課題になる。当然のことながら、人件費などコスト面で競争力に欠ける日本農業は、安い農産物が流入してきた場合、厳しい競争を強いられる。

その場合、政治が、海外の農産物との競争に耐えるどころか、勝ち抜くための構造改革に取り組めばいい話だ。農業保護のために、あらゆるチャンスを犠牲にして、FTA問題の先延ばしをすることはない。それどころか、日本農業はモノによっては、はるかに大きな付加価値をつけた輸出競争力があり、十分に対抗できる部分もある。この機会に、日本農業の本格改革に取り組むのは、まさに政治の決断だろう。

アジアは広域FTAで成長拡大に弾み、デフレ日本が取り残されるリスク回避を
 それよりも、中国と台湾との経済協力枠組み協定締結で、韓国が強い危機感を持ち、とくに中国市場で台湾と厳しい競争を強いられるとの判断から中国とのFTA交渉に乗り出すという。すでに韓国は、日本よりもずっと先行して、米国やEU(欧州連合)とのFTA交渉を終えて、今や一気に、米国やEUとの貿易自由化による市場拡大のメリットを享受しようとしている。
もし中国と韓国との間で中韓FTAが締結に及べば、東アジアで中国、韓国、そして台湾を含めた大きな共同市場が出来上がり、貿易自由化を背景にした経済交流が進む可能性が高い。中国や韓国はそろって、FTAによる市場拡大のメリットを優先し、課題を背負うそれぞれの国内農業に関しては、別の構造改革で対応しようとの考えなのだ。日本が国内農業保護にこだわってFTAやEPAに踏み切れないのとは対照的だ。

はっきり言って、これら中国や韓国とASEAN(東南諸国連合)、インドとの広域FTAも、その先に見えてきている。アジアは着実に広域市場づくりをめざして動いている。鳩山由紀夫前首相が昨年の政権担当時に提案した東アジ共同体構想は、今や、どこへ行ってしまったのか、という感じになっていて、とても残念だ。日本よりも農業の比重が高いアジアの国々が、リスクをとりながら踏み出していることを考えると、日本は、自らのデフレ脱却のチャンスとの発想でもってFTAやEPAに踏み出し、同時にアジアの地域経済統合に向けてのリーダーシップをとる努力が必要だ。そうでないと、本当に取り残されてしまう。みなさんは、この点、どう受け止められるだろうか。

どうした?立法府の行政府監視機能 衆院原子力問題特別委が問われるぞ

 東京電力福島第1原発の事故現場は、事故から2年以上たった今も、いまだに高濃度の放射能汚染水漏れが起きるかと思えば、ネズミの感電死で30時間に及ぶ停電事故があったりして、事故処理の面で不安定な状況が続いている。4号機の屋上プールから使用済み核燃料を地上プールに下ろす難作業もまだ残っている。この作業中に、最近の淡路島と同規模の大型地震が起きたら高濃度の放射線が大気中に拡散し、新たなリスクに直面する。重い課題が依然、残ったままだ。福島の原発事故は間違いなく、まだ終わっていない。

そんな中で、国会がやっと重い腰を上げた。原子力規制委員会を含めた国の原子力行政を監視するために設置した衆院原子力問題調査特別委員会の初審議を4月8日に行ったのがそれだ。しかし何とも取り組みが遅い。国の内外に日本が今、さまざまな課題を抱え、どれを優先的に行うか、立法府の国会の取り組みは問われるが、原発事故処理、そして他の原発の安全確保への取り組みは依然として最重要課題の1つに変わりがない。

行政府監視は、国会事故調を立ち上げた際の立法府自身の
重要キーメッセージ
 実は、この特別委は、文字どおり特別な意味がある。国会事故調法という超党派の特別議員立法にもとづいて東電原発事故調査に取り組んだ国会事故調(黒川清委員長・当時)が2012年7月5日に報告書を衆参両院議長に提出した際、事故の再発防止のために国会が取り組むべき7つの提言の1つに入っていたもので、それがやっと実行に移された形なのだ。提言から実に9か月、原発事故からは2年1か月ぶりの特別委の初審議だ。

そこで、今回は、私自身が国会事故調にかかわった経緯もあり、この特別委の初審議状況について、少し踏み込んでレポートしながら、立法府の行政府監視機能はいったいどこへ行った?というテーマで、問題提起してみたい。
立法府の行政府監視機能は、あとで詳しく申し上げるが、国会が、東電福島原発事故の原因調査、真相究明にあたって、原子力政策にかかわった政府、それに電力事業者から独立して国民目線で独自に調査すべしと2011年12月に、与野党を含めた超党派の全会一致で国会事故調を立ち上げた際の立法府自身の重要なキーメッセージだったからだ。

特別委は国会事故調の元委員を参考人聴取、
メディアの冷ややか報道には驚き
 特別委は4月8日午前9時半から昼休みをはさみ午後5時過ぎまで行われた。私は衆院TVでメモをとりながら見たが、国会事故調の黒川元委員長はじめ、当時の委員だった石橋克彦氏、崎山比早子氏、櫻井正史氏、田中耕一氏、田中三彦氏、野村修也氏、蜂須賀禮子氏、横山禎徳氏の9氏を招致しての参考人聴取だった。国会事故調が報告書提出に合わせて解散しており、委員も任を解かれ元委員という立場だった。元委員の大島賢三氏は現在、新原子力規制委員会の委員に転出しており、この日の参考人聴取からは除外された。

東電原発事故が風化しかねない中で、やっと衆院特別委で取り組む姿勢が見えたので、政権交代後の国会の原発事故対応に関して、メディアの報道ぶりを期待した。ところが意外に冷ややかな対応には驚いた。私のメディアチェックで見落としがあれば「失礼」となるが、NHKが当日遅くにニュースで取り上げたのと、翌4月9日朝刊で朝日新聞と東京新聞がスペースを割いて取り上げただけ。あとは読売新聞が10行程度のベタ記事、毎日新聞や日経新聞、産経新聞はほとんど無視だった。これには、同じメディアの現場にいるジャーナリストとしては、ニュース判断がおかしいのでないか、と思うものだった。

黒川氏は「原発処理でガバナンス効かす必要。
立法など3権が責任果たせ」と発言
 そこで、コラムを読んでいただいている方々に、簡単な現場レポートで特別委員会の雰囲気をお伝えしよう。まず、特別委の森英介委員長の求めに応じてあいさつした黒川氏は、福島原発現場で事故がまだ収束していないことを指摘すると同時に、「私は、海外でも機会あるごとに、事故原因に関する国会事故調の報告書について説明したが、各国は日本の事故対応に強い関心を持っていた。事故処理に関してガバナンスをどう効かすかが大事だ。立法、行政、司法の3権が互いに独立したプロセスで責任を果たすべきだ」と述べた。

黒川氏は、ストレートな形で厳しく国会批判することは避けたものの、立法府の国会が国権の最高機関を自負するのならば、それに見合った行政府の監視機能を持つことが必要だ、と言おうとしているなと感じ取れた。
この黒川氏の冒頭発言が引き金になったのか、国会事故調委員会主査だった野村氏は「事故処理に関して、国民は、東電と行政府に任せきりになっていることに強い不安を持っている。立法府が国民目線で監視を行うことが求められているのでないか」と述べた。

ノーベル賞受賞の田中氏は
「新幹線などの乗客の監視目線が安全対策に」と名言
このキーワードともいえる立法府の行政監視機能に関して、面白い表現で問題指摘をしたのがノーベル賞受賞者で元委員の田中耕一氏だ。
田中氏によると、東電の原発事故の背景には原発安全神話という形で、科学の世界ではありえない「絶対安全」という考えがまかり通った。しかし新幹線や航空機の分野では、企業は決して安全神話を口にしなかった。なぜか。それは常に乗客の目、監視の目があったからだ。乗客が常に監視しているという、いい意味での緊張感が安全対策にもシビアに生かされていた、という。
この田中氏のメッセージを衆院特別委審議につなげるならば、多分、こういうことだろう。東電の「原発は安全だから大丈夫」という一種の供給先行型の安全神話をうのみにせず監視し、規制を加える役割を果たすべき規制当局の行政が機能していなかったことが国民にとって不幸だった。今後は、立法府が国民の立場に立って行政府の規制対応などの監視を行うことで、原発事故の再発防止にしていくことが大事だ、と。

仮設住宅生活の蜂須賀氏は「国会の原発対応は歯がゆい」と
手厳しい
 このほかに元委員は、それぞれの立場で、国会に対して問題提起したが、立法府が国民目線、もっと言えば被災者目線で事故処理対応を含めて、行政府監視を求めたのが、原発事故後に避難を余儀なくされて福島県会津若松市で仮設住宅住まいを続ける大熊町の町商工会会長の蜂須賀氏の発言だった。

「国会の対応は率直に言って歯がゆい。被災者は不安ばかりで、1つの光が見えたかと思うと黒雲が張り出し、そしてあっという間にまた闇の中に押し込まれる繰り返しだ。事故後も、原発事故現場はトラブルばかり。東電の説明は十分でなく、ただ謝るだけだ。私たちは行政の命令で避難させられたが、国会や政府は事業者の東電の危機管理のなさに対して、厳しく命令を下すべきだ。いまは、正直なところ、心の安心がほしい」と。国会議員にはぐさりと響く言葉ばかりだ。

国会事故調など経緯知るのは自民党塩崎氏のみ、
他委員の「本気度」が見えず
 これらの国会事故調の元委員の発言を受けて、午後からは特別委の委員の質疑に移った。与野党委員は、それなりに事前勉強してきたのか、問題意識を持って審議に参加していたが、結論から先に言えば、委員会の顔ぶれをみると、国会事故調創設に当初から関与して、今回の衆院原子力問題調査特別委にかかわっている特別委・自民党理事の塩崎恭久氏ぐらいで、いわゆる問題山積の東電福島第1原発事故対応を含めて、立法府の行政府監視への「本気度」がまだまだつかめないのだ。

質問トップに立った塩崎氏は冒頭、「この特別委員会の開催がここまで遅くなってしまったことについては、国会としておわび申し上げる」と、参考人招致した国会事故調の元委員に謝った。しかし、国会事故調の黒川氏はじめ元委員にとっては、なかなかすんなりとは受け止めがたい。

国会事故調の7つの提言に対し、
衆参両院の政治対応は本当に遅かった
 冒頭に述べたように、国会事故調が2012年7月5日、衆参両院議長に提出した調査報告書では、原発事故の再発防止のための7つの提言を行った。このうち、新規制委員会などの行政監視のために速やかに衆参両院に常設の特別委員会を設置せよ、とした提言に対して、衆院の特別委が設置されたのは、総選挙を経て政権交代後の2013年1月28日だ。解散総選挙をめぐる政局が長く続き、政治的に対応できなかった、というのが当時の説明だった。しかしその後も開店休業状態で、やっと2か月半ぶりに初審議という、遅れ遅れの対応だった。
問題はそれにとどまらない。参院は未だに特別委さえ設置されていないのだ。現状では7月の参院選後になる可能性さえある。とても原発事故に真正面から向き合う姿勢が感じられない。ましてや、未解明の事故原因を徹底調査するために、第2の国会事故調のような民間の専門家からなる独立の委員会設置をすべきだ、という国会事故調の提案に関しては、ほとんど無反応だ。推して知るべしだ。

塩崎氏の立法府の行政監視論は大賛成、
原発対応でも期待していいの?
塩崎氏が今回の特別委で謝ったのには、「立法府の行政監視のために国会事故調のような民間の専門家による独立の事故調査委員会を憲政史上初めて、ともいえる国会内に創設が必要だ」と、2011年の夏から秋にかけて、盛んにアピールした経緯があるからだ。
とくに、塩崎氏は、自著「『国会原発事故調査委員会』――立法府からの挑戦状」(東京プレスクラブ刊)で、立法府の行政監視に関して、こう述べている。少し引用させていただこう。
「政治的な駆け引きを中心に国会運営を行う『国対政治』を脱却し、改めて国会が本来の立法の府の役割を果たし、政府に対する真の監視役になっていく必要がある。そのためには、国会はバランス感覚などを磨き上げ、自らの専門性や調査能力を高めなければならない。また、組織体としての対応力も一層向上させ、適宜かつ的確に、霞ヶ関のみに頼らずに自らの案を作成できるような体制づくりを行うことが必要だ。同時に、立法や行政監視などに資する調査能力、実行力を飛躍的に強化することも必須だ」と。

政権交代後の自民党や公明党の原子力政策に懸念、
国民の監視目線が大事
 ここまで塩崎氏が発言しているのだから、今回の衆院特別委で、ぜひ、持論を実行に移すのみならず、政権与党の立場で野党をリードして、行政府の監視役と同時に、独自の政策立案、特別立法措置で対応してほしい。期待していいのだろうね、と言いたい。

ただ、正直なところ、私が今、とても心配なことがある。それは、政権交代後の自民党、さらに連立を組む公明党の一部議員の中で、原子力政策に関して、東電原発事故の教訓を生かさないまま、安全基準、規制基準をルーズにする動きが出たりしかねないことだ。
世界中を震撼させた東電原発事故の現実は大きい。世界中が、その事故処理対応に大きな関心を寄せている。あいまいな対応は許されない。ノーベル賞受賞の田中氏が新幹線、航空機の乗客の監視目線と同じように、国民の監視目線は重要で、国民の代表者たる立法府の国会は、その立ち位置だけはしっかりさせる必要がある。

6月に迫った第3の矢は大丈夫か 抵抗勢力跳ね返す政治力が必要

 安倍自民党政権がデフレ脱却をめざして打ち上げたアベノミクスの成長戦略は、現時点でなかなかの出来栄えだ。息切れすることもなく株高、それに過去の円高の大幅修正という形での円安がずっと続き、その相乗効果で、実体経済がプラスに動いている。

新任の黒田日銀総裁が打ち出した異次元の量的金融緩和政策の寄与が大きいが、マーケットなどに、先行き経済はよくなっていくだろうという期待感を増幅させ、それが消費者の消費行動を上向かせる結果につながった、と言っていい。ここまでくれば経済に弾みがついて、歴代政権が長い間やれなかったデフレ脱却を何としても実現してほしいものだ。

安倍首相側近「うまく行きすぎて気味が悪いほど」と言いながら、
第3の矢を懸念
最近出会った安倍首相の側近の政治家が面白いことを言った。「やることなすこと、今はうまくいきすぎて気味が悪いほどだ」と、まじめな顔で言うので、思わず笑ってしまった。政治家にしては珍しく正直だなと思いながらも、「そうか、安倍政権の中枢では、今の実体経済の動きは少し出来過ぎだ、と思っているのだな」ということを実感した。

ところが、その政治家は、6月に公表予定の成長戦略の「第3の矢」の政策の中身が、族議員や行政官庁の一部に抵抗があって、まだ、骨太の矢にならないでいることを懸念しているのだ。「でも大丈夫。最後の段階で、安倍首相が政治指導力を発揮して、大胆に実行に移す」と述べていたが、少し気になる。最終調整まで、1か月しかないからだ。
そこで、私は3月7日の第213回時代刺激人コラムで「期待先行のアベノミクス、デフレ脱却のカギは第3の矢」と書いたのに続いて、今回のコラムで再度、取り上げよう。とくに、何が骨太の第3の矢になりきれない問題なのかを調べて、問題提起してみたい。

デフレは需給ギャップ、とくに需要減少に原因、
成長政策で需要創出が必要だ
 私は、そのコラムで「経済ジャーナリストの職業柄、モノゴトを楽観視せず批判的に見る癖がついており、アベノミクスの『3本の矢』のうち、金融の大胆緩和には、依然、危うさを捨てきれないでいる」と述べた。
その危うさというのは、民間金融機関にジャブジャブに緩和マネーが行っても、肝心の金融機関が、民間企業の投資行動を促す積極融資にアクションを起こさないと、結局、行き場のないマネーは民間金融機関に滞留し、最後は資金運用の国債投資に回って、実体経済の好転にはつながらないリスクがある、というものだ。

ただ、私は「政権の産業競争力会議の打ち出す成長戦略『第3の矢』こそが重要で、積極的にやるべしという立場だ。デフレ原因の需給ギャップの解消が何よりも必要だ。今度こそ、産業の成長戦略を大胆に打ち出して新規の需要創出、そして雇用機会の創出につながる政策を打ち出すことだ」と書いた。その考えは今も変わっていない。

新興アジアに、日本は成長見込める分野多く投資しよう、
と思わせることも必要
3本の矢のうち、第1の矢の金融大胆緩和、第2の矢の財政出動のいずれに関しても、それぞれマクロ政策的に意味あるもので、その効果を否定しない。しかし、デフレがここまで長期にわたった最大の問題は需給ギャップ、とくに需要の縮小が最大の問題で、この需要創出のためには大胆な成長政策を打ち出し、実行に移すことだ、と思っている。

中でも新たな成長が見込める分野に関しては、政府や政治が既得権益を守るのでなく、むしろ大胆に規制を取り外して新規の需要創出につながる仕組みづくりを活発に行うことだ。加えて、新興アジアの投資家向けに「日本は成熟国家ながら、ビジネスチャンスが多そうなので投資しよう」という状況を作り出すことも大事だ。新興アジアから成長マネーを日本に引っ張り込めるように、日本を魅力ある投資対象国にすることだ。そのためにも第3の矢で大胆な枠組みづくりを行うことだ。

歴代政権のデフレ脱却失敗、
成長戦略つくっても政治の指導力なく実行できず
 これまで自民党、そして政権交代後の民主党と、さまざまな政権が入れ代わり立ち代わり政権の座に就いたが、どの政権もデフレ脱却を前面に押し出し、経済成長戦略を掲げながら、なぜか絵に描いた餅に終わった。そこが問題だ。中には成長戦略作文競争だけだった、という政権もあった。

私の見るところ、過去の自民党の小泉政権を除いて、ほとんどが短命政権で、持続力がなかったうえ、決定的なことは、政治指導力に欠けていたことが最大の原因だ。とくに首相官邸主導の政治力を誇示した割合には、首相の指導力に問題があったうえ、首相官邸の中に、さまざまな政策立案のための会議を置き過ぎて、方向付けができないまま、政権の命運が尽きて、結果として、何も実行しなかった、というケースがほとんどだ。

安倍首相も過去の政治的失敗踏まえた学習効果あるが、
問題は指導力発揮だ
 今回の安倍政権がそれをやれるのかどうか。問題はそこだ。ただ、今回の3本の矢のアベノミクス政策に関しては、少なくとも安倍首相が政権の座についてからは、過去の政権運営の失敗を踏まえた学習効果が生きたのか、冒頭の側近の政治家がいうようにうまくコトが運んでいる。あとは第3の矢を打つにあたって、政治家としての指導力をどこまで大胆に発揮できるかどうかだろう。

その点で、安倍首相も政治的な挫折で苦労しただけに、今回は、ひょっとしたら本物かもしれないことをうかがわせる面白い特集記事がある。ぜひ、読まれたらいい。毎日新聞4月28日付の朝刊で政治部デスクの川上克己記者が「安倍首相 雌伏の日々 『地獄』からの5年」と題して書いた記事がそれだ。
丹念な取材をもとに、安倍首相が持病悪化を理由に政権の座を投げ出してから首相の座に返り咲くまでの苦闘の話を「ストーリー」という企画1ページを使って書いたものだ。安倍首相は同じ失敗を繰り返さないため、さまざまな手を打っていることをうかがわせる。「3本の矢」のアベノミクス戦略もそこから出たものだ。

第3の矢にからむ分野にはさまざまな抵抗勢力、
それをどう突き崩すかが勝負
 ただ、政治の世界は冷酷であり、当然のことながら、結果を出さなくてはならない。とくに、第3の矢にからむ産業の競争力強化の分野は、農業や医療制度などの大胆な改革に対して、既得権益を必死で守ろうとする業界団体、それにつながる政治の族議員、さらに役所の省益しか考えない霞ヶ関の行政組織などがいる。問題は、この抵抗勢力をどう突き崩して、日本が変わった、ということを内外に印象付け、存在感をアピールできるかだ。

政治家独特の手法として、敵をつくって、その敵の存在を鮮明に浮き彫りにし、政治的に叩く、というやり方がある。その政治手法で大胆に政治指導力を発揮したのが、自民党政権時代の小泉首相の郵政民営化問題だった。安倍首相は当時、小泉政権の中枢にいたので、その政治手法を十分に学び取っている。

第1の矢の日銀たたきは小泉政権時代の郵政民営化対策での
学習効果?
アベノミクスの第1の矢の金融の大胆緩和に関して、安倍首相は当初から徹底した日銀たたきで終始した。日銀法改正もちらつかせながら、白川前日銀総裁に対して揺さぶりをかけたのも、その一環だったのだろう。問題は、第3の矢で、政権の命運をかけて抵抗勢力を押し切る政治的な指導力を発揮できるかどうかだ。まさに、6月の産業競争力強化策、規制緩和策などの一連の第3の矢戦略の発表時が勝負どころだ。

その点で、安倍政権で経済再生担当、経済財政諮問会議やTPP(環太平洋経済連携)問題担当の甘利内閣府特命問題担当相は最近、興味深いことを言っていた。甘利担当相によると、日本の科学技術政策の司令塔の再構築が必要ということで、総合科学技術会議の大改革に取り組んだ。その際、科学技術政策に関しては文部科学省がすべての権限を持って既得権益を守ろうとするため、この司令塔の改革から手を付けることにした。

甘利内閣府特命担当相も総合科学技術会議の司令塔改革で
文部科学省とバトル
 具体的には、総合科学技術会議の運営にからむ企画立案や予算配分にからむ文部科学省の権限に制限を加えると同時に、会議の委員構成に関しても科学技術の産業化をめざして民間企業などの専門家の数を増やすようにした。当然、抵抗があったが、押し切りつつある。ノーベル賞を受賞した京都大の山中教授のIps細胞の問題も学術的な基礎研究を深化させると同時に、産業化につなげるためには総合科学技術会議の改革が必要だ、という。
そのとおりだ。日本の科学技術政策を方向付ける総合科学技術会議が学者のサロン化し、それにリンクする形で文部科学省が幅をきかせる、といった発想の中からは、次代の科学技術の産業化といったことは出てこない。政治が指導力を発揮して司令塔機能を変えるのは当然だ。

第3の矢めぐり産業競争力会議と経済財政諮問会議が
戦略対立の様相
 しかし、第3の矢戦略に関しては、懸念材料がある。安倍政権内部で、主力の産業競争力会議のほかに規制改革会議、さらにマクロ政策運営を決める経済財政諮問会議の3つがあり、それぞれが互いに張り合う部分があるばかりか、調整が十分に進んでいない問題があるのだ。
具体的には産業競争力会議が東京、大阪、愛知の3大都市圏を軸にした「アベノミクス戦略特区」構想を打ち出した。これはこれで、戦略特区を使ったすごく面白い構想なのだが、経済財政諮問会議の民間議員が中心になって、都道府県ごとに47特区をつくり、戦略的に動かすべきだ、と提案している。

官僚組織は自身の政策領域に手が伸びるのを懸念し必死防衛、
まさに正念場
 これは象徴的な事例だが、官僚組織は、これらの2つの会議の民間議員の動きを横目に見ながら、自分たちの政策領域に手を突っ込まれて規制の枠組みが瓦解するのを恐れて理屈をつけて抵抗している。

甘利内閣府特命問題担当相は、産業競争力会議と経済財政諮問会議にもろにかかわる担当相なので、官僚組織の抵抗をはねつけながら、その一方で、どこまで2つの会議が出して似たような戦略特区案の調整を行うかだ。最後は、かつての小泉首相が大胆に裁断を下したのと同じように、安倍首相が今回のアベノミクスの第3の矢戦略発表時に、政治的な指導力を発揮して裁断を下すかどうかだ。
6月まであと1か月の中で、どう方向付けができるかだろう。最近聞いた話では、与党の自民党内部から、参院選で自民党が勝利を不動のものにするには票田としての農業や医療分野への配慮が必要でないかと、言外に、問題先送りなどを政権に求めているという。政治家のあさはかな目先の利益行動が出始めている。安倍政権としては、間違いなくアベノミクス戦略で懸案のデフレ脱却を果たす正念場だけに、雑音に惑わされてはダメだ。

エネルギー地図変える?シェール革命 LNG大消費国日本は戦略的発想を

米国内での急速な資源開発によって商業化のめどがつき、一気に本格生産に入った天然ガスの一種、シェールガスがエネルギー分野で大きな注目を集め、今や「シェール革命」「シェールガス革命」といった形で、文字どおり革命的な評価を受けている。

米国は中東産原油依存減り逆に天然ガス輸出国に、
戦略的に動く可能性大
 地中深いシェール(頁岩)層にガスの巨大な潜在埋蔵量が確認され、米国ですでに本格的な商業生産に入っている。これが、ケタ外れのエネルギー消費国米国の中東産油国などからの輸入依存引き下げにつながり、世界エネルギー需給に変動をもたらす。米国貿易赤字の解消に向かう。その後は液化天然ガス(LNG)を船で、またパイプラインでガスを、さらにシェールオイルの形で輸出となれば、エネルギー輸出国に転じる。米国は輸出を戦略的に使う可能性が大きく、地政学的に米国がパワーを取り戻す事態になる。当然、世界のエネルギー地図を塗り替えることにもなる。これが「革命」と言われる点だ。

最近、出会った日本政策投資銀行産業調査部の調査役、小野健介氏がこのシェールガス問題に精通しておられ、2年間の経済産業省出向中に得た海外の交渉現場体験、調査研究成果などを聞くと、私にとって勉強になり、新たな好奇心や問題意識が生まれてきた。そこで、今回は、シェール革命が世界のエネルギー地図を塗り替えるインパクトのある問題に本当に広がっていくのか、その場合、エネルギー自給率が極度に低いことが戦略的な弱みの日本は、どう対応していけばいいのか、取り上げてみたい。

経常赤字から解放されドル高へ、
米国は基軸通貨信認回復が自信になる可能性も
 まず、このシェール革命が本格進行した時のことを考えた時に、経済ジャーナリストの立場で咄嗟に思ったのは、米国が長年苦しんできた貿易赤字、経常収支赤字の呪縛から解き放たれて、米国経済には活力が戻ってくるのだろうな、ということだった。

もし米国にとって単年度の貿易収支、経常収支の黒字化だけでなく長期的に黒字が定着すれば、間違いなくプラスに働く。財政赤字と並んだ経常収支赤字の慢性化で、米国は「双子の赤字」を抱える問題経済大国と見られ、ドル安要因となって基軸通貨国の存在が問われていたが、一転、慢性的な通貨安からドル高に大きくシフトする可能性が出てくるからだ。貿易決済面で海外の国々からのシェールガスやLNG買いのためのドル資金需要増によってドル高になっていくのは、基軸通貨国にとってはうれしい話だろう。
半面で、米国ドルにリンクしていた新興国通貨にとっては複雑だ。それぞれの国の通貨高をもたらし輸入メリットが出る一方で、為替面での輸出競争力ダウンの現象が起きる。とはいえ、基軸通貨国ドルへの信認が回復することは米国の経済復権となり、経済運営面で自信回復になるのは確実だ。

米国独り勝ちで覇権主義につながるリスク、
EU、日本、中国も歯止めかけられず?
 そこで問題がいくつかある。米国がかつて経済面で独り勝ちとなった時に見せた驕りと同様、今回の局面でも、経済復権が米国の政治指導者や経済界に自信を持たせ、それ高じると経済覇権志向が頭をもたげ、米国主導でルールを決めてしまうリスクが出てくる。
とくに米国が今後、経済安全保障などとからめて、エネルギーを戦略的に使うような動きに出ることは、過去の米国のケースから見てもあり得る。現に、国際エネルギー機関(IEA)2012年版世界エネルギー見通しでも、多くの国々で原油や天然ガスの輸入依存度が高まっている中で、米国がシェールガス革命によってそれらの流れに逆行し、自給率を上げてエネルギー分野で独り勝ちの状況になる可能性がある、と指摘している。

米国がそういった形で行動し世界経済を仕切ることになれば、危うい事態となる。そんな中で、EU(欧州共同体)が慢性的なユーロ不安、財政や金融面でのリスクを抱え存在感を失っているのが辛いところだ。一方で、日本、それに新興アジア、とくに中国が健全なカウンターベイリングパワー(拮抗力)を発揮できる状況に向かうとも思えない。米国に歯止めをかける国が見当たらないとなった場合が大きな問題だ。

オランダ病リスク、資源輸出で得た外貨で
外国工業製品輸入し製造業がダウン
 もう1つは、いま述べたこととは全く違った側面で、米国にふりかかる問題がある。それは、かつてのオランダ病やロシア病現象が米国に出るのかどうかという問題だ。
1970年代のオイルショック時代に、オランダは国内で偶然、産出された天然ガスを資源価格高に便乗して輸出に舵を切り経済再生した。しかし外貨収入やオランダ通貨ギルダー高を活用して自国工業製品と代替する海外産品の積極輸入に切り替えたため、国内製造業が軒並み力を失った。一方、好況に伴う賃上げでコストプッシュインフレを招いた。
産油国ロシアも同じだ。原油価格高騰時に原油輸出を活発化させ、経済は活況になったが、オランダと同様、外貨収入を使って自動車など外国産品輸入に走ったため、自国製造業が全く育たなくなった。今も、ロシアの資源依存の病気体質は変わっていない。

米国では、これらの国々の教訓をもとに、逆に自国内でのシェールガスコストの安さを武器に、化学品メーカーなどの製造業の競争力強化につなげていく製造業復権シナリオが綿密に検討されている、という話を聞いた。このあたりは、今後の米国製造業の動きをウオッチしていくほかはない。

米国はいずれガスでロシアを、
またオイルでサウジを抜き生産量トップの予測も
冒頭に述べた日本政策投資銀のシェールガス問題専門家、小野氏によると、米国のシェールガスの本格生産に伴う供給増で米国内の基準価格ヘンリー・ハブで見た場合、100万BTUあたり4ドル前後で低迷しているが、今後、緩やかに上昇し2030年過ぎまで6ドルあたりで推移する見通し。そして、生産量ベースでは2015年から2020年代末までの間に、米国はロシアを抜いて世界最大の天然ガス生産国になる。

同時に、タイト・オイルというシェール岩盤層から採取生産される中・軽質油の量が2017年から2020年代半ばまでにサウジアラビアを抜いて米国が世界最大の産油国になる可能性があるとの予測が出ている、という。それでいくと、シェール革命が世界のエネルギー地図を塗り替えるのは確実だろう。

日本はまず現行の原油価格連動のLNG長期契約の見直しで
交渉力発揮を
さて、ここで世界最大のLNG輸入大国の日本が、新たな事態に対応して、どういった戦略的な行動をとれるかどうかだ。結論から先に申し上げよう。日本は、まず、全体輸入量の約65%を占める原油価格連動のLNG輸入長期契約について、中東のカタールなど産ガス国との間で、契約更改時はもとよりだが、現時点でも、世界の市場価格動向を何らかの形で契約に反映させるような交渉を積極提案する交渉力が必要だ。

かつては、日本はLNG輸入確保を最優先にする電力会社や都市ガス会社の判断で、量の確保のために長期契約を最優先したが、シェールガスの市場価格に比べて100万BTUあたり10ドル以上も割高なLNG価格をそのままじっと受け入れる必要はない。もちろんシェールガスの液化でコストアップが発生し、LNG価格ベースに置き換えれば価格差が縮まり単純比較は難しい。しかし大事なことはシェール革命を活用することだ。

カタールなど長期契約の産ガス国と
WIN・WINの関係をつくりあげることが必要
 シェール革命が現実のものになるまでは、LNGの世界は売り手市場だったのは間違いない。しかし米国のシェール革命で世界のエネルギー地図が塗り替えられ一転して、買い手市場に変わってきたのだから、交渉を要求し、主張することは主張すべきだろう。

カタールなどの産ガス国としては、立場上、長期契約の基本を崩せないし、なかなか譲ろうとしないだろう。でも、手をこまねいている必要はない。戦略的に動くことが重要だ。とくに、日本は世界最大のLNG輸入国であるという立場を逆に武器にして、契約更改時に、売り手側、買い手側がWIN・WINになるような状況に持ち込めるような布石を打つとか、いろいろな知恵を出せるはずだ。輸入国、消費国連携ももちろん選択肢だ。

FTA締結国最優先の米国から
シェールガス輸入を認めてもらうことも重要
 このLNG長期契約の見直し問題とは別に、日本がとるべき戦略行動は、もっと数多くある。最大のポイントは、言うまでもなく米国のシェールガスを日本に持ち込めるように米国政府との間で輸出許可交渉することだ。
米国の輸出方針によると、米国エネルギー省の許可が必要で、許可に際しては米国らしく公共の利益に適うかをまず判断する、さらに米国と自由貿易協定(FTA)を締結している韓国などに対しては、この原則、公共の利益に一致する、との立場に立ち、輸出申請があれば遅滞なく許可するという。問題は、日本のような非FTA締結国からの輸出申請に関しては個別審査が必要となっている点だ。

オバマ政権は現時点で、非FTA締結国からの申請のうち、コスタリカなどに認める、という方針を打ち出した、との情報もあり、日本側関係者の間では「日米の同盟関係から見ても、早晩、輸出許可が得られるはずだ」と楽観している。しかし日本にとっては、ここが極めて重要なポイントだ。一早く米国からの許可を得ることによって、他の国々との交渉力に活用するためにも米国との関係強化を図ることが何よりも重要だ。

米国、ロシアなどを含めてエネルギー安全保障づくりに
日本が手つける絶好の機会
しかし同時に、日本が戦略的に考えることは、極東アジア市場への進出計画を模索しているロシアはじめ、いろいろな産ガス国などとも連携し、日本のエネルギーの安全保障をどうつくりあげるかを真剣に考えることだ。
この問題で、たまたまIEA前事務局長で、現日本エネルギー経済研究所特別顧問の田中伸男氏が持論にされている日本のエネルギーの安全保障樹立の話を聞いて、私自身も全く同感だと思ったので、ぜひご紹介したい。
田中氏によると、国内にエネルギー資源が乏しい、いわゆるエネルギー自給率の低い国々においては、さまざまなエネルギーの安全保障の枠組みを構築することが重要だという。田中氏は、その具体例として、欧州が中東北アフリカとの間でガスパイプライン網のネットワークを持っていることを挙げたが、その際、北東アジアのガスパイプラインのインフラ構想が出ていること、また2015年に地域経済統合に踏み出す予定の東南アジア諸国連合(ASEAN)でも加盟国間を結ぶガスパイプライン構想が進んでいることを挙げ、 日本がこれらの構想や計画にどうコミットするか、戦略が必要だという。

日本は、世界最大のLNG輸入国だが、民間の電力やガス会社のLNG調達の長期契約が先行し、大きな戦略展開を考える余裕も準備も進んでいなかった。その点で、米国のシェールガス革命をきっかけに、世界のエネルギー地図が塗り替わりつつある現状を踏まえて、LNGや天然ガスに限らず原油や石炭などさまざまなエネルギーの安全保障を考えるいいチャンスが訪れたと思う。いかがだろうか。

三陸海岸沿いの復興遅れは深刻 人口減少や高齢化で「町が消える」リスク

最近、私は東日本大震災で津波の直撃を受け壊滅的被害にあった岩手県陸前高田市、宮城県の南三陸町など三陸海岸沿いの被災現場に行く機会があった。率直に言って、現場にたたずんで言葉を失った。3.11から2年以上がたつというのに、かつては中心市街地としてにぎわっただろう土地が見渡す限り荒漠としたままで、何も動いていないのだ。

私は3.11以降、三陸海岸沿いのうち北の岩手県宮古市、また南の宮城県石巻市、仙台市の若林区などの被災現場を見てきた。定点観測していれば変化が見えてくる。石巻市や仙台市若林区は、スローテンポながら、着実に復旧から復興へ進んでいた。ところが今回、来るチャンスがなく初めての訪問だった陸前高田と南三陸は、定点観測地域とは全く違っていた。いまだに何も手つかず、と言っていい状況で、時間が止まったままなのだ。そこで、今回は、ジャーナリスト目線で見た現場のレポートをしよう。

陸前高田市の中心部は荒漠としたまま、
奇跡の一本松も風前の灯状態
 中でも陸前高田市が象徴的だった。行政機関や商店街などがあった中心部は依然として惨憺たる状況だ。津波の直撃を受けた建物などが押し流されたままで、かつてJR大船渡線の駅舎、バスロータリーがあったあたりに立って周囲を見渡しても言葉を失い、ただ見守るだけだ。がれき処理は終わっているが、復興を感じさせるものが何もないのだ。

内部が空洞化した3階建ビルの屋上部分に「津波到達水位」と書かれてあるのが目についた。その水位は15メートルほどだったと聞いて、津波のすごさが想像できた。陸前高田の場合、海岸から7キロ奥まった内陸部まで津波が来た、という。7万本の浜辺の松のうち奇跡的に1本だけ残った大きな松も今や風前の灯の状況で、松の周囲を網で囲われ、痛々しさだけがあった。

復興計画はあってもなかなか進まない現実、
指導力あるリーダー不在が原因?
 復興に携わる自治体関係者の話は、時間の関係で残念ながら聞くチャンスがなかった。しかし陸前高田市の復興状況をずっとウオッチしている専門家の話では、津波災害の防止のために防潮堤を海岸線につくる計画をめぐって、反対派の多い住民との調整がついていないこと、高台に住宅、それに学校、病院など公共施設を移転する計画に関しては住民同意を得ているが、災害公営住宅建設のための用地確保がなかなか進まず、住民は仮設住宅住まいの不自由さを強いられたままであること、要は指導力のあるリーダーが不在で将来を見据えた復興計画になかなか取り組めないでいることが決定的だ、というのだ。

現在、陸前高田市は隣接の大船渡市、住田町と一緒に「岩手県気仙地域基本計画」をつくり、地域に根ざした食品産業や山林資源を活用した木材産業、さらに大船渡港を中心に港湾を生かした産業集積で復興をめざす計画でいる。しかし問題は、その進捗度が遅すぎることで、陸前高田の現状を見た場合、ほとんど動いていない、というのが実感だ。

自治体官僚は融通がきかない、
「有事」なのにまだ平時感覚で処理対応
 こと陸前高田市に限って言えば、市が災害復旧に立ち上がった当初、都市計画の専門家や著名な経済人らが意気に感ず、ということで、アドバイザリーの形で復興計画づくりに参画した。ところがさきほどの専門家の話では現場での長引く利害調整に嫌気をさしたり、持ち込んだ復興案が現実性を欠いたりしたことで、次第に離脱してしまう形になって、ますます復興が進まない結果になっている、という話だった。

しかも国や県、地元自治体の官僚が、いまだに「有事」の状況なのに、すべてを「平時」の感覚でコトを進めるため、住民が求める行政処理がさっぱり進まない。これも事態の悪化に拍車をかけている。こんな話を聞いた。宮城県気仙沼大島の離島関係者が、申請書類をほしいと自治体担当者に話したら「インターネットでダウンロードできるので対応してほしい。やりとりもEメールで」と平然と言われた。パソコンを被災で紛失した現実をわかっていない官僚体質に憤りを感じたという。今は三陸沿岸の被災地はまさに「有事」が続いているのに、依然として平時感覚での行政処理なのだ。信じられないことだ。

復興絡みで助成金申請時に、
津波で紛失した財務諸表を3年分出せという現実
 ある復興絡みのプロジェクトで中小企業の人が、宮城県の被災地自治体に助成金申請をしたら、過去3年間の財務諸表や資金繰り計画の提出を求められ、現場で「津波被害で何も経理資料が残っていない。提出できるはずがないでないか」と口論になった、という。復興がらみの助成金を悪用するのでないか、といった警戒心からのか、あるいはあとで問題になった際の責任をとることを回避するためなのか、定かでないが、非常識だ。

私の友人で島田昂一さん、田代祐子さんの2人が財務やコンサルティング経験を被災現場での復興支援に活かそうと、NPO未来開発研究所を立ち上げ、すべて無償で、そうした融通のきかないケースに風穴を開けるためのサポートの仕事を行っている。とても頭の下がる行動だが、島田さんらが宮城県庁に掛け合ったら、「被災にあって紛失したという被害届を出してもらえば自治体もNOとは言えないでしょう」と、傾向と対策のようなものを耳打ちしてくれた。それ自体、オープンにすれば情報なのに、おかしな話だ。

心配なのは人口流出リスク、
復興が見えないため流出続けば計画基盤失う恐れ
 しかし私が危惧するのは、象徴的な陸前高田市のケースで言えば、今は被災されて高台の仮設住宅などに住んでおられる住民の人たちの間で2年たっても何も変わらない状況のもとで、希望が失望に変わり、さらに絶望へと進んだりすると、故郷を捨てるしかないと県外の身寄りを頼って人口流出するリスクだ。高齢化がその背中を押すかもしれない。

東京電力福島第1原発周辺の福島県双葉郡の人たちは、放射能汚染リスクが加わって帰郷もままならない状況だけに、事態はもっと深刻だ。しかし、今回訪れた陸前高田市や南三陸町のような壊滅的な被害を受けた地域で、避難生活の長期化に疲れ、復興計画も全く進まない現実に嫌気して人口流出による人口減少に拍車がかかり、復興計画の基盤そのものが崩れてしまう。復興計画がやっとのとこで立ちあがった時には、地域が閑散とし、市や町自体の存続が危うくなる。町が消えるリスクだ。それだけは避けねばならない。

南三陸町復興遅れは事務処理量の多さがあるが、
津波で失った町職員の多さも
 南三陸町でチャンスがあって出会った、復興支援プロジェクトにかかわる社会福祉法人、南三陸町社会福祉協議会の事務局長、猪又隆弘さんの話も紹介しよう。猪又さんは津波で奥さんを失った厳しい境遇にあるが、今は災害ボランティアのサポート業務も行っている。Eメールでのやりとりなどで、いくつかポイント部分を聞いたが、南三陸町の復興が大幅に遅れていることについて、こう述べている。

「震災後8カ月間で基本計画をつくりあげ、今は中心部の再開発用地の買い上げを行っている。区画整理に(住民の利害調整で)時間を要した面もあるが、復興にからむ事務処理の絶対量の多さがあること、対応する町の行政職員の絶対数が不足していること、生コンなど資機材の高騰でせっかくの入札が不調になることも重なっている。町民の人たちは早く復興を、と願っているが、目に見えない進捗状況の遅さに不安を感じているのも事実だ」と。南三陸町の場合、津波で自治体職員に数多くの犠牲者が出たことが大きい。

チリ政府からのモアイ像寄贈は勇気づけに、
だが周辺地区の空洞化問題は深刻
今回、その南三陸町でチリ政府から、復興支援の証しとして、モアイ像の寄贈の式典があり、ぜひ見てみたいと考え、現地参加した。1960年のチリ地震津波で被災した南三陸町に、当時のチリ政府から、イースター島のモアイ像が贈られ、交流のシンボルとなっていたが、たまたま3.11で大きな像の頭の部分が流され地元高校にあったのを、日本チリ経済委員会の日本側代表の佐々木幹夫会長(三菱商事相談役)が発見、それがチリ側に伝わって、チリのピニェラ大統領が昨年、来日した際、再度の寄贈が約束になり、今回実現した。高さ3メートル、重さ2トンのモアイ像は、南三陸町の人たちには大きな励ましだったことは間違いない。

ただ、式典のあった仮設の商店街から一歩外に出た南三陸町の中心市街地は力前高田市と似たような荒漠とした状況だった。しかし、気仙沼市から南三陸町に入ってから見た歌津地区では国道45号線の道路が寸断されたままで、う回路を通ったが、国道の復旧にはかなりの時間がかかる幹事だった。また、その近くの清水浜地区では高台にあるわずか2戸の農家があるだけで、平場の部分は津波ですべてが流されてしまっていて、大半の人たちは仮設住宅に避難したのだろうが、この孤立状態の2戸の農家はどうやって生活しているのだろうか、と思わず考え込まざるを得なかったほどだ。

人口減少による「町が消える」リスクは重要、
基盤人口失えば復興計画見直しも
人口減少による「町が消える」リスクに関しては、自治体当局者のみならず政治家も、住民の人たちもみんなが真剣にリスクとして捉え、どう対応するか、考えておく必要がある。というのも、仮に復興計画をつくっても、その前提となる基盤人口が櫛の歯が欠けたようにボロボロと崩れたり、あるいは地元商店街が経営の展望をひらけずに廃業を余儀なくされるケースもある。
陸前高田市の場合、北に大船渡港をかかえる大船渡市、また南には気仙沼港を持つ気仙沼市の間にはさまった形になっているため、もし人口減少などで存在感を失ったりすれば、さきほどの「岩手県気仙地域基本計画」は見直しを余儀なくされる。行き場を失った住民の人たちは、仮設住宅での生活を強いられるが、この人たちが地元にとどまって、復興に生きがいを見出す状況に早くなってほしいものだ、と願わざるを得ない。

政権交代効果がプラスに出ているが、政治の課題は山積、
復興現場への視線を
 暗い話ばかりでない。民主党から自民党へ政権交代したことによって、復興の現場では間違いなく政権交代効果が出ている。具体的には「民主党政権時代に比べて、ダンプカーや物資輸送のトラックの走り回る数が10倍ぐらいに増えた実感がある」という話を聞いて驚いた。本当か?と聞くと「10倍と言えば、ものすごく急増したように見えるかもしれないが、元々のベースが小さく、低いので、そう感じるだけ。ただ、自民党政権になって復興予算を大きく増やし、復興庁の現地組織体制強化に踏み切ったことで、いろいろなものが動き出した効果が出ている」という。

ただ、その政治も、国政レベルでは目先の参院選対策のみならず、国の内外をとりまくさまざまな政治課題に対応しきれない状況でいる。デフレ脱却をめざした3本の矢のアベノミクスも、第3の矢の成長戦略は経済の構造改革につなげるものにならなければ、海外投資家を含めてだろうが、市場から失望感も加わって、日本株売りの厳しいしっぺ返しを受ける可能性もある。その意味で政治の課題は多いが、ここまでレポートしたような東日本の三陸沿いの復興遅れにもしっかりと視線を置かないと、復興問題はエンドレス、ということになりかねない。

「第3の矢」は大胆な改革策に欠けた まだチャンス、首相「真剣度」が正念場

アベノミクスと言われる安倍自民党政権の経済成長戦略が6月14日の閣議で正式決定となった。異次元金融緩和の「第1の矢」、財政出動の「第2の矢」、そして今回の「第3の矢」によって、デフレ脱却を目指した「3本の矢」政策が出そろった形だが、多くの人たちの関心事は、民間企業の競争力を高める「日本再興戦略」、それに安倍首相自身が「1丁目1番地の問題」と位置付けた規制改革実施計画の2つの成長戦略がどこまでインパクトあるものになったのか、そして日本を大きく変える起爆剤になるのかどうかだ。

成長戦略は期待外れ、
なぜ「異次元」金融緩和と同じ大胆改革に踏み込めなかった?
 結論から先に申し上げよう。残念ながら「おっ、これはすごい」と思わず声を出せるほどのものではなかった。要は、数多くの対策を盛り込んだ成長戦略にしたが、総花的で、政策がインパクトに欠け、大胆な改革策だと言えるものが乏しかったことだ。しかし世界の主要国はアベノミクスがデフレ脱却の先例となるか注目している。ここまでくれば次々と実行に移すしかないが、まだチャンスはある。安倍首相にとっては正念場だ。

それにしても不思議なのは、安倍首相が「第1の矢」で、日銀から異次元の大胆な金融緩和策を引き出したのに、「第3の矢」でなぜ同じことをやれなかったのだろうか。かつて小泉政権の官房長官時代に郵政改革で学んだ「敵をつくって叩く」政権運営手法を真似て、今回の大胆金融緩和では日銀に揺さぶりをかけ、インフレターゲット派の黒田アジア開銀総裁(当時)を日銀総裁に送り込んでアベノミクスの先鞭をつけさせた。その同じ手法を使って、企業の農業参入などの規制改革についても、大胆に踏み込むべきだったのだ。

参院選対策で改革先送り、
農林族や厚生労働族議員らの「穏便に」主張受け入れ
 政策にかかわった複数の関係者の話を総合すると、7月の参院選を前に、政権与党の自民党、とくに農林分野に支持基盤を持つ農林族議員からの「内閣の高い支持率という支えがあるにしても、参院選で万全な勝利を勝ち取るためには大きな票田となる農協や農業生産者に対してアゲインストとなる政策を回避すべきだ」との声を無視できなかった。その点は厚生労働族議員絡みでの医療制度改革でも同じだった、という。

何のことはない。旧来の自民党体質がまた出てしまった。自民党は昨年の総選挙で、有権者の民主党政権不信が高じたおかげで、3年ぶりに政権奪取したが、得票率で見た場合、自民党が意外に伸びていない。このため参院選に慎重を期したようだ。しかし党利党略でコトを運ぶ時期ではない。いまはデフレ脱却を賭けた安倍政権の成長戦略であり、日本を変えるきっかけにする、という強い決意が政権政党の自民党に必要なのだ。

甘利経済再生相は農業を成長産業とし改革に取り組むと表明していたのに、、、
安倍首相自身は今回、「規制改革は1丁目1番地の重要問題」と発言して強い決意で臨んだはずで、その決意を貫くべきだ。その点で興味深かったのは成長戦略にもろにかかわる甘利経済財政・経済再生担当相だ。当初、「農業を成長産業として捉え、さまざまな改革を試みる。かつて自民党は、農業を政治的な票田として位置付け、結果として農業保護の政策に甘んじたが、これからは攻めの農政に切り替え、輸出産業として対策も講じる」と公言し、それを聞いた私は「おっ、歴代政権と違って、今度は本気かもしれない」と思った。

しかし閣議決定した「日本再興戦略」では「今後10年間で農業所得を倍増させる」「農業構造の改革と生産コスト削減推進のため、農地中間管理機構(仮称)を整備し活用する」「2032年に農産物・食品の輸出額を1兆円とすることをめざす」となった。ほとんど官僚の作文に近いものだ。焦点の企業の農業参入、とくに企業の農地取得に関しては、農地中間管理機構が全国の耕作放棄地を集約し賃借などのあっせんに依存するだけで、問題先送りだ。甘利担当相が公言した「農業を成長産業として捉え改革を試みる」は消えた。

東京株式市場で大幅買い越しの米国ヘッジファンドの失望売りが強烈な影響
この結果、東京株式市場などの金融市場では、失望売りが出て冷ややかだった。期待が先行して株価が大きく上昇していただけに、その期待を増幅させる成長戦略にならなければ、結果は失望売りにつながってしまう。海外、とくに米国のヘッジファンドなどの売り行動が大きかった。彼らの動きは複雑で、株価指数先物を巧みに使い、空売りで仕掛けるやり方もするので、それが現物株の売りを誘ってしまう。日本はヘッジファンドに振り回されているといっても過言でない状況だ。

しかし興味深いのは、米国から最近帰国した友人の話だ。ニューヨークなどでのセミナーで、以前はデフレで停滞した日本経済は見向きもされず、中国や韓国セミナーが大盛況だったが、最近はアベノミクスをテーマにするとヘッジファンドのマネージャーらが数多く集まり、様変わりの状況だ。ただ、彼らは日本経済再興に株式投資チャンスを見出そうとし、その際、景気刺激策ではなくて経済構造改革を期待している、という。その期待が失望に変わって売りに転じたのだが、日本はこの際、アベノミクスで構造改革に着手したと、彼らに思わせる大胆さも必要でないだろうか。

欧州、アジアが米に追随買いで一時は日本株高演出、
日本人投資家は売り越し
野村資本市場研究所の友人によると、米国のヘッジファンドなどがアベノミクス期待で昨年秋から日本株投資に動き、10兆円もの買い越し、つまりは買いが売りを上回って、そのレベルに及んだ。この米国投資家の動きに刺激された欧州、新興アジアのヘッジファンドがあわてて追随買いに走り、それが異常な短期間での急速な株高を誘発したという。

ところが日本国内の個人投資家や法人は、この間、逆に株式の売り越しだった。過去の株価低落で塩漬けにしていた保有株が、突然の外国人投資家主導のアベノミクス相場で株価上昇となったため、一斉に売りに走ってキャピタルゲインを得たのだ。その後も積極的な買いに動いていない。何のことはない。日本人投資家は安倍政権の成長戦略に連動して民間企業への株式投資をする動きになっていない。むしろ東京株式市場の株価は60%を超す外国人投資家の動向に左右されたままだ。決算情報を対外広報する上場企業のIR担当者は、国内投資家よりも海外ヘッジファンドなどを重視せざるを得ないのが現実だ。

安倍首相は抵抗勢力と徹底勝負を、
投資減税策めぐり財務省が一時は抵抗
こうした金融市場の冷ややかな動きに危機感を持った安倍首相は、閣議決定した「日本再興戦略」に、当初案になかった民間企業の設備投資を促すための投資減税を盛り込み、法人企業の税負担の軽減を図って競争力確保策に加えた。「民間設備投資を今後3年間で10%増やし、リーマンショック時以前の年間70兆円水準に回復させる」という当初案に、なぜ投資減税を盛り込まなかったのか、と不思議に思う。税収減を危惧する財務省の強い抵抗が背景にあった、というが、いま大事なのは、最大限で効果を上げ得ることだ。政治主導で次々と実行に移し、まずは実績を積み上げてこそ、内外の評価につながる。

最近、首相官邸で安倍首相側近として切り盛りする政治家から政策決定現場の生々しい話を聞いて驚いた。成長戦略に政策が組み込まれることで権益を失いかねないことを危惧して抵抗する行政省庁の官僚、業界団体、族議員の抵抗勢力が依然として多く、首相官邸とそれら抵抗勢力との水面下での闘いが未だに続いているのだ。重ねて言えば、ここは日本を変えるという強い決意で、安倍首相は踏ん張るしかない。間違いなく正念場だ。

産業競争力会議には大胆な構造対策を打ち出してほしかった、
継続して取り組みを
 民間の企業トップらをメンバーにした産業競争力会議が「日本再興戦略」に深く関与したが、率直なところ、もっと大胆な日本経済のシステム改革、さらには産業の構造改革につながる改革案を打ち出してほしかった。
メンバーの1人、竹中平蔵慶応大教授は6月16日のNHK討論番組で「さまざまな抵抗勢力と闘いながら、今までにない改革の基盤づくりをやれたと思っている。これから秋にかけて、対策の具体化をしっかりとやっていくことで、成果につなげる」と述べていた。  ただ、竹中氏が事例として挙げた3大都市圏での国家戦略特区も、税制面はじめさまざまな政策面で規制の対象外の政策特別区にするのだが、官僚の強い抵抗が予想される。そこで、この際、対象地域や特区の中身を早く決めて先行事例をつくり、それをもとに他の地域に広げていくことが重要だ。

安倍首相の「切れ目なく改革努力続ける」は重要、
対策具体化で骨抜きチェックを
ところが、東京都の企画担当者によると、東京の丸の内などビジネス街に国家戦略特区を設け、欧米や新興アジアから企業を呼び込むにしても、法人税をどこまで特例減税でいくのか、所得控除をどうするのかといった税制面でメリットを与えないと、見向きもされかねないため、財務省とやりあわねばならず、政治の助けが必要だ、という。

確かに、そのとおりだ。閣議決定された「日本再興戦略」などの成長戦略は、私から言わせればインパクトに欠け物足りないものが多いが、まずは実行に移し、実績をつくっていくことだ。安倍首相も、「改革は切れ目なく続けていく」と発言しているので、それを信じよう。これからの重要作業は、対策の具体化段階で骨抜きになり、たとえば国家戦略特区が「名ばかり特区」と言われないようにするため、フォローアップが重要になる。

民間競争力会議はお役御免にせずフォローアップ役を、
「第4の矢」で財政規律も
それと今後、秋にかけての重要な問題がいくつかある。日本が具体的な交渉に入るTPP(環太平洋経済連携)の問題もその1つだ。農業問題はじめ国内の政策との整合性をどうとるか、成長戦略とからめて、しっかりとした取り組み努力が必要になる。

また、成長戦略のフォローアップという点では、産業競争力会議を、お役御免にせずに、メンバー全員に権限を与えて、それぞれの政策の点検評価、さらに、これまで取り組めなかった重要案件など追加対策の策定などを求めることだ。私がかかわった東電原発事故調査の国会事故調のケースでも、国会事故調法では衆参両院議長への報告書提出と同時に黒川清委員長らの委員は任を解かれ、フォローアップも何もできなかった。おかしな話で、法律が許容限度を与え、実行責任のチェックも求めるのも一案だったが、今回の民間競争力会議は、そういった点で追加対策策定などの権限を与えるべきだ。

そして、もっと重要なのはアベノミクスの副作用点検がらみで、財政規律をしっかりと確保する問題が残されている。場合によっては「第4の矢」に、財政規律の確保、財政再建との両立問題を加えて、取り組みの継続を図るべきだろう。

国会事故調提言お蔵入りを危惧 立法府は超党派で原発対策の法制化を(Vol.191)

政権政党の民主党で離党騒ぎが続き、あおりで野田政権の政治基盤が極度に不安定になるなど、政治が混迷を極めている。日本の内外で重要政策課題がいっぱいあり、早く取り組まねばならない状況なのに、政治がこんな状況を続けていると、日本はどうなっていくのか、心配でならない。

実は私自身、その政治混迷で、とても危惧することがある。前回のコラムで取り上げた東電原発事故調査を行う国会事故調査委員会(国会事故調、黒川清委員長)の最終報告書について、報告書提出を受けた立法府の国会の対応が宙に浮きかねない恐れがあるからだ。世界中を震撼させた原発事故を、日本が二度と引き起こさないようにと、新たな対応策を求めた7つの提言だというのに、もし、国会がしっかりと受け止めきれないまま、お蔵入りにしたりすれば、それこそ日本という国そのものが問われかねない。

政府も政府事故調報告書への対応と同時に、
国会事故調提言への対応が焦点

 そればかりでない。7月23日には、国会事故調と同じように東電原発事故の真相究明調査を行っていた政府の事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)の最終報告書が発表になる。政府としても当然、この政府事故調の最終報告書を受けての対応が焦点となる。しかし同時に、政府は、立法府がバックに立つ国会事故調の最終報告書の提言も国会重視ということで尊重せざるを得ず、どう受け止めるかが焦点だ。

 問題は、この政治混迷状況で、立法府の国会のみならず、政府自身も対応しきれないまま事実上、原発事故対策そのものが棚上げにされてしまったりするリスクがあることだ。それこそ大問題だ。その意味でも、この政治混迷が政局化を誘い解散総選挙によって、あらゆる政治決定が中断し政治空白状態に陥る事態だけは避けねばならない。。

 そこで、今回のコラムでは、憲政史上初というふれ込みで立法府が政府の原発政策の検証のためにつくった国会事故調、そして7つの提言を含む最終報告書を、国会自体がどう受け止めるのか、特別委員会を組織して議員立法でどんどん法制化する積極的な取り組み姿勢があるのかどうかなどを見ていきたい。

黒川さんは調査現場を陣頭指揮、
行動力や問題提起力はすばらしい

 しかし、黒川さんは75歳という年齢を感じさせない精力的な行動力で調査現場を指導し、640ページにのぼる膨大な最終報告書のリーダーシップをとった。東大医学部卒業後、古い医局制度に反発して米国に渡り、米UCLA教授などを歴任したが、本業の医学者にとどまらず、その行動力、人脈形成力、問題提起力によってグローバルベースでも著名な日本人だ。帰国後、日本学術会議会長としても活躍したが、昨年の原発事故直後から、国会が、政府から独立して事故調査と同時に政策提言を行う民間専門家による調査組織をつくるべきだと主張したら、自身で国会事故調委員長を引き受ける羽目になった。

 実は、私自身が昨年末、黒川さんから依頼を受け、メディアコンサルタントの立場で、国会事故調にフルにかかわり、その活動ぶりをそばでずっと見ていたので、率直に言えるが、掛け値なしに、黒川さんがいなければ、今回の最終報告書のメッセージのような「事故は人災によるもの」といった大胆な結論を引き出せなかった、と思う。そこで、今回のコラムでは、この国会事故調問題を取り上げてみたい。

「福島原発事故は終わっていない」は的確、
3.11並み大地震あれば恐ろしい事態に

 黒川さんは、これまで「日本が原発事故でメルトダウンした」といった形で、ポイントをつくキーメッセージを巧みに発信できる人だ。今回の最終報告書の「はじめに」の冒頭部分でも、「福島原子力発電所事故は終わっていない」と、簡潔に、ワンセンテンスの文章を書いて、鋭く問題提起した。このメッセージは的確だ。
 福島第1原発の事故現場はいまだに惨憺たる状況だ。強濃度の放射能がある原子炉の中に入ることもできず、ロボットによる遠隔操作などでこわごわと状況を探るのが現実だ。水素爆発で無残にも壊れた建屋も、原子炉や格納容器を十分かつ完璧に覆う機能を果たせていない。建物地下の構造がどうなっているか、いまだ確認できない部分もある。

 もし昨年の3.11クラスの大地震、大津波が再度、襲ってきた場合、この無防備に近い原発施設はどうなるか、想像しただけでも恐ろしい。政府は昨年12月、原発事故の収束宣言を行ったが、まだレベル7(セブン)という最悪の事故状態の解除には至っていない。黒川さんが述べるとおり「福島原子力発電所事故は終わっていない」のは明らかだ。

東電原発事故の「人災」原因説は正しい
 まず、私は前回コラムでも申し上げたように、メディアコンサルタントの立場でかかわったからというわけではないが、国会事故調の報告書が指摘した「東電福島第1原発事故は、東電が主張する想定外の津波などによる自然災害ではなくて、事前に何度もシビアアクシデント(過酷事故)対策を講じる機会があったのに、それを怠ったことによる明らかな人災だ」という点は、私が取材してもポイント部分であり、正しいと思っている。

 というのも、ずっと以前のコラムで取り上げたが、東北電力の女川原発は、原発建設当時の総責任者の副社長(故人)が過去の大津波記録をもとに、社内の反対を押し切って原発の高さをかさ上げしたおかげで、3.11大津波から原発サイトを守れた。また日本原子力発電の茨城県東海村にある東海第2原発も、事前の津波対策で非常用ディーゼルエンジンが全電源喪失に至らずに済んだ。この危機回避事例を見ても、東電、それに規制機関の原子力安全・保安院が最悪のリスクシナリオを想定してシビアアクシデント対策に取り組んでいれば、世界中を震撼させた東電原発事故は防げた、と言っていいのだ。

国会が超党派でつくった国会事故調対応で
「取り組む余裕ない」では済まされない

 国会事故調報告では、この人災原因説にもとづいて、国会に原子力規制当局を監視する常設の委員会を設けるほか、今後、国会事故調と同じような、政府や原子力事業者から独立した、民間の専門家で構成される第3者機関を設け、まだ未解明部分の東電原発事故原因の継続的な究明や廃炉への安全な道筋を探る調査を行うべきであること、新規制機関もこれまでの原子力安全・保安院に決定的に欠けていた独立性、透明性、専門能力を持つ人材装備など7つの提言を行っている。示唆に富む部分が多く、ぜひ読まれたらいい。

 率直に言って、国会が憲法で国権の最高機関として規定する限りは、しかも、その国会が自ら超党派で国会事故調法を立法化して立ち上げた国会事故調自体の提言を早期に実現する責務がある、と言える。原発事故再発防止策という重い課題を十分に承知しているが、政治が惨憺たる状況なので、取り組む余裕がない、といった姿勢では済まされない。

国会は提言受け原子力専門委設置方針決めたが、
問題は具体的アクション

 国会の現状はどうだろうか。国会事故調が7月5日に衆参両院議長に対して最終報告書を提出した後、ボールは国会に投げられたが、その日の午後5時過ぎ、衆院第1議員会館の会議室で、衆参両院議員を対象に、黒川委員長ら委員全員の報告会が行われた。私も興味があったので、その会合に参加したが、80人ほどの国会議員が参加し、最終報告書の中身の報告を聞いたあと、そのうち10人ほどの議員が次々に立ち上がって、国会としても、与野党問わずしっかりと受け止める必要がある、とアピールした。

 また、翌日6日には衆院議院運営委員会の理事会が開かれ、国会内に新たな原子力専門の委員会を設置する方針を確認した。衆院議院運営委の国会事故調問題ワーキンググループのリーダーの1人、自民党の塩崎恭久衆院議員は7月18日の国会事故調問題の特集テレビ番組で、視聴者からの「国会はどう対応するのか」との質問に答える形で「最終報告書の提言に1つ1つ答えていく必要がある。とくに常設の監視委員会などに関しては真剣に議論していく」と述べていた。

民主党は国会事故調の参考人招致が
政争の具になるのを恐れ慎重姿勢

 これら国会議員の受け止め方はもちろん、重要だ。ただ、「国会事故調報告や提言を重く受け止めて、しっかり対応していきたい」ということは総論として、誰でもいえる。問題は、それを受けてどう具体的なアクションをとるかどうかだ。

 ところが、友人のある政治ジャーナリストに聞いた話で、興味深かったことがある。民主党の政治家の話として、与党民主党が野党の参考人招致の要求を受け入れて、国会事故調の黒川委員長(正確には報告書提出で任を解かれたため、肩書は前委員長に)を参院の予算委員会、あるいは環境委員会など関係する委員会に招致して質疑に入った場合、本来の原発事故の再発防止策をめぐる議論よりも、野党側から、原発事故当時の首相官邸の危機管理対応、とくに過剰な政治介入問題、さらに原発の安全基準がらみで大飯原発再稼働問題に集中し、結果として政争の具にされ、政権揺さぶりの材料にされるリスクがある。
このため、野田政権としては、火中のクリを拾いたくないので、国会事故調問題への対応に関しては慎重にならざるを得ない面がある。ましてや政府としては政府事故調への対応の方が政府という立場上、優先課題だ、という。

国会事故調法での「報告書は内閣に送付」規定が
意外や問題残す

 この後者の政府の政府事故調への対応をめぐる問題も、実は議論すべきポイント部分だ。政府をマネージする民主党政権としては、昨年5月に原発事故調査のため、政府事故調を立ち上げ、畑村委員長らに真相究明を依頼した。その7か月後に、国会が国会事故調を別途、立ち上げ、政府から独立して独自に原発事故原因の調査を行うと同時に、政府の原子力政策も検証するよう依頼した。

結果的に、東電原発事故調査に関する公的機関が2つ、競合する形となった。ところが問題は、そこから始まる。国会事故調法16条では、国会事故調が最終報告書を両院議長に提出後、両院議長は協議して、その報告書を内閣に送付する、となっているのだ。要は、立法府としては、両院本会議で報告を受けたあと、衆院、参院それぞれに特別委員会を設けて議員立法で法制化に取り組む、とすべきだったのに、内閣に送付して政府対応を求める、いわばゲタを預けたような形にしてしまったのだ。明らかに欠陥部分だ。

政府が冷ややか対応のうえ、国会も総選挙対応で
動かなければ大問題に

 これに対して、枝野幸男経済産業相がその後の記者会見で政府の対応を聞かれた際、「政府としては政府事故調の提言などを実行する義務がある。しかし、国会事故調の報告や提言に関しては尊重するが義務はないと考える」という趣旨の発言を行った。政府の閣僚としては当然の発言かもしれないが、国会から内閣に送付された国会事故調報告は、野球に例えれば、三遊間を抜けてボールが外野へ転々と転がっていき、最悪の場合、誰もがそのボールの処理をしない、という最悪のケースが起きかねないのだ。

 もし、そんな最悪の事態になれば、政治家へのしっぺ返しが大きくなるだろう。国民が注視している原発事故問題、とりわけ、いまだに福島県双葉郡の原発立地自治体から避難を余儀なくされ避難所生活を送っている大熊町、浪江町、双葉町などの人たちにとっては、国会事故調が政府事故調に比べて、被災者目線、国民目線での調査をしたことへの評価、それに最終報告書の中身に対する評価も高いだけに、政治への反発は強まるだろう。加えて、東日本大震災の復興への政治の対応の遅さに対する苛立ち、反発を根強いだけに、一気に政治不信に発展していく。それは総選挙で有権者の厳しい審判につながる。

今こそ国会が国権の最高機関の見識を示すべきだ、
超党派でスクラム対応を

 私は、冒頭の見出しにあるように、二度と原発事故を引き起こさないための国会事故調の7つの提言など最終報告書の問題提起をお蔵入りさせてはならない。そして、立法府が毅然とした姿勢で、超党派でスクラム組んで議員立法による事故防止対策の法制化を大胆に進めること、また政府に対しても、立法府の権限を行使して、法的対応、政策対応を促すことだ――などが必要だと言いたい。

 最後に、私の友人の毎日新聞論説委員長の倉重篤郎さんが、7月14日付の毎日新聞朝刊コラム「論説室から」で「黒川委員会を歴史に残そう」という話を書いていて、時代刺激人を公言する私が逆に、とても刺激を受けたので、ぜひ、ご紹介したい。

米議会のペコラ委員会の先例をもとに、
国会も国権の最高機関らしい対応を

 米国で1929年の大恐慌の原因究明のために、米上院に民間の弁護士ペコラ氏をトップに据えて徹底した調査を行うペコラ委員会が設置され、大きな歴史的な実績を残した先例をヒントにしたものだが、ペコラ委員会は、2年間かけて、証券市場関係者を議会喚問し、銀行が証券市場関係者を使って投機的行為、株価操作などを行ったため、それによって株価が暴落した、と結論付けた。米議会では、その調査結果をきっかけに、銀行と証券の分離を定めたグラス・スティーガル法の制定に及んだ。

 米議会主導で民間の専門家に調査を委ねる専門調査機関の設置、その調査結果をもとに法制化に踏み切った点が、日本にも大きなヒントになるというのが倉重さんのメッセージだが、米国のペコラ委員会並みに、黒川委員会の名前が歴史に残すような取り組みを国会が率先して行うべきである、という。確かに、そのとおりで、日本の国会が今こそ、国権の最高機関を自負するならば、米国の先例に学べと言いたい。

アジア危機対応で新プラットフォームを アジア・シンクタンク・サミットがヒント

いま中国で「シャドーバンキング(影の金融取引)」という聞きなれない金融取引が肥大化し、不気味な存在になりつつある。事態を重く見た中国政府の銀行業監督管理委員会は厳しい監視対象にすると同時に、中央銀行にあたる中国人民銀行も金融政策面で規制に動きだした。このため、中国の金融市場では短期金利が過剰反応して急上昇し株価が一時、急落した。それがそのまま「マーケットの時代」「スピードの時代」「グローバルの時代」のもとで世界中に波及し、金融関係者の間で中国金融リスクへの不安感が広がった。

中国「シャドーバンキング」に金融不安リスク、
不気味な存在でウオッチが必要
この金融取引は、名前のとおり、銀行経由の正規のものと違って、信託会社などノンバンクが高利回りで誘いをかけた金融商品で、行き場のない中国国内のマネーを吸い上げ、それらを地方政府や地方の不動産開発業者に高利で融資しているものだ。典型的な財テク商品で、中国名では理財商品と呼ばれているそうだが、中国銀行業監督管理委員会の尚福林主任が6月29日に公表したところでは、その残高が8兆2000億元(日本円換算で約130兆円)というケタ外れの金額に上っている。

しかし中国からの現地報道では、その残高規模は公表数字の4倍ほどに膨れ上がっている、という。公表数字だけをとっても中国GDP(国内総生産)の約16%に及ぶため、金融当局にとっては看過できない数字だ。仮に不動産開発業者への高利のノンバック融資が焦げ付いたりしたら、金融不安、信用不安に一気に波及し大変な事態に発展しかねない。不動産投資バブルが消えない中国の地方経済のリスクを考えると、間違いなくウオッチが必要と言っていい。不気味な存在になりつつある、というのは、そういう意味だ。

アジア開銀研サミット会合は政策連携に向けたプラットフォームづくりで成果
 そこで、今回のコラムに移ろう。実は最近、私がメディアコンサルティングでかかわるアジア開発銀行研究所で、この中国の「シャドーバンキング」リスクのような問題が仮に現実味を帯びた場合、アジア各国の政策シンクタンクはリスク回避のために、政策連携を通じて当事者の国の政策当局に共同で提案行動がとれるだろうか、ということを議論する会合が開かれた。アジア・シンクタンク・サミットと呼ばれるもので、21か国・地域の41の政策シンクタンクが初めて東京に集まり、2日間かけ、さまざまな議論を行った。

サミット会合の目的は、こうだ。アジア開銀が行った2050年時点でのアジア経済の動向を予測した調査によると、中国、インド、ASEAN(東南アジア諸国連合)10か国・地域を含めたアジアのGDPが世界の過半数を占める世界の成長センターになる。世界への影響力が各段に上がるアジアで今後、経済・金融危機が起きたら、世界中にリスクが波及する恐れがある。それを未然防止するため、各国の政策シンクタンクがヨコの連携を強められないか、言ってみれば政策調整や政策連携のプラットフォームをつくれないだろうか、というものだ。

経済・金融危機のリスク管理にとどまらず成長拡大のための政策連携もテーマ
もちろん、今回のアジア・シンクタンク・サミットはリスク対応、危機管理だけでなく、成長を加速するためにはマクロ政策連携だけでなく、都市化などに伴う物的インフラの整備、それに医療や教育、年金、介護など社会インフラの充実をはかるための政策情報共有、さらに大気汚染や環境破壊などアジアの地域全体に及ぶ経済社会への影響対策に関する政策提案など、成長の芽を広げ、地域連携を広げることに伴うスケールメリットを得るためにはどうすればいいか、といったことも議論のテーマだった。

しかし最大の関心事は期待対応のための政策連携などのプラットフォームづくりにあった。率直に言って、2日間、ずっと議論を聞いた感じでは、アジア各国のシンクタンクには温度差があり、一気に方向付けが出来たというところまでは至っていない。しかし、問題意識がかなり共有できたことは間違いない。というのも、目先の中国の「シャドーバンキング」リスクの問題もさることながら、アジアでは1997年のアジア通貨危機、さらにその後、2007年から08年にかけての米国リーマンショックに端を発したグローバル金融危機のアジアへの影響があった。

アジア各国間のヨコの政策連携を期待、
過去の政策成功例や失敗経験の共有も
各政策シンクタンクにしてみれば、今後、アジアが震源地となって世界中に影響を与えるような経済、金融リスクが現実のものになった場合、その影響がはかりしれず、対応しきれるだろうか、という危機感が極めて強い。このため、リスクが顕在化する前に、危機管理や予防対応がどこまでできるか、そのノウハウをできれば共有したいのが本音だ。

その意味で、今回のようなアジア・シンクタンク・サミットは、願ってもないものだと言える。というのも当事者の国のシンクタンクだけでなく、各国間でのヨコの連携が必要になると同時に当然、過去の事例や政策実行の経験、あるいは失敗の経験を知りたくなる。そこから、対応策を学び取ることができるし、政策ツールの準備もできるからだ。

中立的な地域開発機関主導での組織化が重要、
メディアが報道しないのが残念
公的な地域開発金融機関のアジア開銀の戦略シンクタンク、アジア開銀研のような中立機関が各国に働きかけて、今回、初のアジア版シンクタンク・サミットが実現したことは意味があった。正確に言えば、実は米国ペンシルバニア大学のシンクタンク&市民社会プログラム(TTCSP)との連携で実現した。TTCSPがグローバルレベルで、地域シンクタンクのサミット会合を開催、アジア開銀研がそのアジア・大洋州版会合に呼応したのだが、今後は、世界でアジアの存在感が強まっていること、成長センターのアジアでの危機へのリスク対応が重要であることから、この地域に精通しているアジア開銀研主導で恒常的に毎年でもシンクタンク・サミットを開催すればいいと思う。

今後のアジアを見据えた時に、こういった政策連携のプラットフォームづくりで動き出したことに関して、なぜかメディアがあまり取り上げなかった。私がメディアコンサルティングに携わっているからというわけでないが、メディアも単なるレポーターにとどまらず、また世の中の事象を批判することに終始せず、こういった流れを変える新たな動きをしっかりと分析し報道することが重要だ。

中国では政策シンクタンクの独立性確保が課題、
各国との連携でパワー確保を
 そこで、今回のサミット会合での議論で、興味深い発言をレポートしてみよう。中国シンクタンク、開発研究基金のマイ・ルーさんの発言が率直で面白かった。今回のサミット会合を評価したうえで「アジアの世紀が今後、中国の台頭で中国の世紀になると考えるか、といったことを聞かれるが、中国はまだまだ学習しなくてはならないことが多い。現に、東京大や東京財団などと互いに協力し合っている」という。

また、政策シンクタンクの役割について「中国では政府系のみならず民間も含めシンクタンクが数多くあり、いろいろな活動を行っている。ただ、政府系シンクタンクが政府の政策を批判すると、なぜ政府批判を行うのかと反発を浴びることがある。政策研究の自由度を高めるには独立性をどう担保できるかなど、課題が多い」とも述べた。 確かに、政府系の政策シンクタンクは、どの国でも政府から予算をもらっての研究が多く、マイ・ルーさんの発言のように、政府からにらまれて、予算減額の圧力を加えられるリスクがある。その意味で、アジア各国の政策シンクタンクがヨコの連携をとって、政策連携のパワーで危機時にリスク回避策を提案するフレームワークをつくることが重要だ。

韓国KDIは政府から独立し政策関与、
日本は霞ヶ関が最大の政策シンクタンク?
 また韓国開発研究院(KDI)のジョー・キムさんの発言も政策シンクタンクの独立性という点で、興味深かった。42年前の朴政権時代に、政府の政策立案に協力する研究所ということでKDIがつくられ、政府への政策提言も行った。ところが当時の朴大統領が、なぜかKDIを政府の外に出せと主張し、その後は政府の外で、独立した形で政策立案することになった。結果的に、その大統領判断に支えられ、独立の立場を貫けているうえ、提案した政策が批判を招かないように、政策内容の精度を上げている、という。

日本では霞ヶ関の行政官庁が、最大の政策シンクタンク化している。韓国KDIのように、独立の政策シンクタンクをつくる必要があるが、現状では民間の場合、銀行や証券系のシンクタンクとは別に、構想日本や言論NPOなどが独自の政策提案を大胆に行えるほど育っていないのが現実だ。私はかねてから主張しているが、立法府が国民目線で行政府の行政監視をしっかりと行い、政策や制度設計に問題がないかチェックすればいいのだ。

立法府が行政府監視で、
国会事故調のような新たな政策調査委立ち上げも

アジアには政策連携が必要な課題が山積、
日本は先進モデル事例提供して貢献を
アジアではマクロ経済政策課題のみならず、すでに申し上げたように経済社会問題で共通に政策情報を共有していいテーマが数多くある。とくに都市化などに伴う物的インフラの整備のみならず医療や教育、年金、介護など社会インフラの充実をはかるための政策、さらに大気汚染や環境破壊などアジアの地域全体に及ぶ対策に関する政策などがそれだ。

日本は、先進モデル事例を持っているのが大きな強みだ。その意味でも日本が政策シンクタンクの陣容を整え、今回のアジア・シンクタンク・サミットに参加したアジアの政策シンクタンクと連携し、新たな政策連携や政策調整のプラットフォームづくりに踏み出してほしい、と思う。