ビジネスモデルがすご~い平田観光農園、広島県の中山間地域で経営成功 インターネット活用効果でマイカー客が大半、時代のニーズ見極めがうまい

 最近、全国いくつか農業の現場を取材で訪れる機会があった中で、広島県の中山間地域で果樹主体の観光農園を経営し「利益あげる農業」の成功モデルとなっている平田克明さんのケースがとても刺激的で、たくましくがんばっておられるので、今回、ぜひ取り上げてご紹介したい。果樹園だけならば、全国いたるところにあるが、平田観光農園の場合、時代のニーズを鋭くつかんだビジネスモデルで、しかもリーダーの平田さんは70歳という年齢を感じさせないタフさと志の高さがあるのだ。そればかりでない。見識を買われて広島県教育委員長を務める活動の幅広さが魅力だ。

平田観光農園がある広島県三次市の中山間地域というのは、どんなところだろうか。中山間地域という呼び方があまり好きでないが、食料・農業・農村基本法という法律では「山間地域およびその周辺地域、その他の地勢などの地理的な条件が悪く、農業の生産条件が不利な地域」となっている。確かに、広島市内から高速バスで三次市中心部のバスセンターに行き、そこからタクシーに乗り換えて約40分、山間部の坂道をのぼり切ったところに平田さんの観光農園があった。

最初は「エッ、こんな立地条件の厳しい所で利益あげる農業?」と思うが、、、、
 「こんな立地条件の厳しい所でも、経営が成り立っているどころか『利益あげる農業』を実現している、という話だが、本当だろうか」と、現場をご覧になった人は誰もが思うだろう。経済ジャーナリストの好奇心で取材してみたいと思った私も、観光農園の入り口に立った時には同じ気持ちだった。ところが取材しているうちに、マイカーで、しかも若い人たちがどんどんやってくる。観光バスで北九州、さらには関西方面からも観光客が来るという話だったが、私が訪問した日は日曜日で、むしろマイカー客が多かった。日本の農業の現場は担い手の高齢化で耕作放棄された農地が目立つ、といった閉そく状況にあることも事実だが、平田観光農園を見ていると、経営者の取組みによっては厳しい立地条件をモノともせず、それどころか利益をしっかりと出すことが出来る、というのが実感だ。

政府系金融機関の日本政策金融公庫発行の月刊誌のうち、農林水産分野の問題を取り上げるAFCフォーラム誌5月号の「変革は人にあり」というインタビュー企画で、私が今回、ご紹介する平田さんを取り上げたので、ぜひご覧いただきたい。しかしこの「時代刺戟人」コラムでもアングルを変えて取り上げ、農業の現場での先進モデル事例としてご紹介し、日本の農業はチャレンジ次第、ビジネスモデル次第で、いくらでも面白い展開が出来る、ということを伝えてみたい。

週休2日制導入時に観光農園を構想、「自然満喫しながらふんだんに旬の果物を」
 ここまで申し上げると、どなたもが広島県の中山間地域の観光農園に、若い人たちがマイカーで遠くから駆けつける魅力って、いったい何なのだろう、と思われるだろう。結論から先に申し上げれば、平田さんの言葉に尽きる。「時代のニーズが何かを探って、それに見合ったビジネスモデルをつくればいいのです。日本農業も同じです。経営規模が小さくてもビジネスモデルがしっかりしていればお客が来てくれますよ」「同じことばかりやっている企業は、大企業といえども、必ずダメになります。私たちの農業だって同じ。大事なのはビジネスモデルであり、利益が上がるような経営の創意工夫です」という。

平田さんの名刺には「自然の語らいとともに、四季を通じてお客様への信頼の味をお届けし、夢のある新しい農業をめざします」とある。平田さんが軍人上がりの父親の取り組むりんごの果樹園の経営を引き継いだ時は25年前の45歳の時だったが、当時、週休2日制が導入されたばかりのころ。そこで、平田さんは週末の休日の過ごし方が定着していない人たちに自然をじっくり満喫してもらいながら、四季折々のもぎたてのリンゴやブドウなどさまざまな旬の果物をふんだんに1年中、食べてもらう観光農園にしたらどうかと考え、今の経営スタイルにしたのだ。ただ、当時としては時代を先取りした発想だっただろうが、今では日本人も週休2日の活用方法に関しては、趣味の領域を広げたりしてうまく過ごしているはず。今の時点での時代を先取りしたビジネスモデルに関心が及ぶ。

中山間地域農業が存在感示せるのはインターネットのおかげ、大自然情報を発信
 そこで、私が「食べ放題の果樹園ということだけならば、全国至る所にあります。よほどの魅力、惹きつける何かがなければ来てくれません。その吸引力は何だと言えばいいですか」と聞いたところ、平田さんから面白い答えがかえってきた。それはインターネットの活用だ、というのだ。平田さんによると、「中山間地域の観光農園が存在感を示せるのは、インターネットのおかげです。情報センスのある若い社員にネット管理はまかせていますが、ネットのホームページ上で『きょう、平田観光農園のリンゴの花が咲きました。かわいいですよ』と、写真添付でメッセージ発信します。思わず行ってみたくなる写真です。これは一例ですが、インターネットで不特定多数の人たちと交流しながら、大自然満喫の魅力をアピールするのが大事です」と。

そればかりでない。70歳という年齢を感じさせない経営者の機敏な判断を感じたのは次のような話からだ。平田さんは「観光農園を訪れた人たちへのアンケートで面白いことがわかったのです。お客さんのニーズを聞くと同時に、来園理由も聞きますと、何と回答者の60%が『友だちから聞いた。よさそうなので、来てみようと思った』という口コミだったのです。平田観光農園は面白い、と満足してくれ人たちが、われわれの最高のセールスマン、セールスウーマンになってくれる、ということがわかりました。それを見て、私は経営者として、すぐに答えを出しました」と。

ネットのホームページのアクセス数で週末の来園者数が読め、対応準備も可能に
 平田さんは、社員の人たちに経営者としての指示を出した、という。それは平田観光農園での四季折々の果物の味のよさを満足していただくように品質管理に磨きをかけること、いつも『いらっしゃいませ』と笑顔で、かつ明るく大きな声を出すこと、果樹園や民芸風のレストランからトイレに至るまで農園全体を清潔にすること、そして最も重要な指示が「お客様に農園の中で自然に触れてリラックスし楽しい時間を過ごしてもらうように、さらにアイディアを出し合って工夫すること」などだったという。

インターネットの効用はこれにとどまらない。平田さんによると、「ホームページのアクセス数、つまり平田観光農園のページを見てくれた人の数で、次の土曜日や日曜日の来園数が把握できるのです。観光客のうち、観光バスで来る人たちとは別に、個人でネットを見る人は最新情報を確認して、行くかどうかの判断をするようです。現に、そのアクセス数にほぼ見合う形で、来園者数が実際にあるので、われわれとしては流れが読めますし、対応準備も可能です。ネットはその面でも極めて重要です」という。

そして、平田さんは重ねて「中山間地域農業で、とくにわれわれのような観光農園形態の農業者にとっては、インターネットを活用するビジネスモデルは重要です」と述べた。確かに、今や市場流通に頼らずインターネットを活用した農産物流通も定着しつつある中で、平田さんのように、中山間地域という立地条件の厳しい地域の農業が自立するためにはどうすればいいか、その1つの手段としてインターネットを素早く経営の武器に活用するところはすごいことだ。時代のニーズを見極め、変化に鋭敏に対応する経営姿勢があれば、農業は十分に産業としての競争力を持つ、ということでもあるように思える。

市場流通に頼らず自ら主導的に経営する「6次産業モデル」がポイント
 しかし、平田観光農園のビジネスモデルは市場流通に頼らない、市場流通で生産物の価格が踏みにじられてしまうリスクから離れた独自の経営スタイルを確立したところがポイントだ。平田さんは「今、成功している全国の農業者は全部と言っていいほど自分で価格を決め、ビジネスモデルも自分でしっかりしたものを持っています」という。平田さんによると、平田観光農園の場合、観光客の人たちがわざわざ遠くから来てくれ、果樹園で果物を摘み取る入園料を支払ってもらい、レストランなどで食事して地産地消のジャムやジュースなどの加工品も買ってもらえる、あとはネット流通などで宅配サービス。平田観光園は農協出荷や市場流通に依存することもない「6次産業モデル」なのだ、という。
この6次産業モデルに関しては、過去のコラムでも取り上げたので、ご記憶の方も多いと思う。1次、2次、3次の産業の3つを足しても、掛けても6つだが、要は、1次産業の農業が主導的に生産物価格を決められるようなビジネスモデルをつくるということ。わかりやすく言えば1次産業段階では市場流通にほとんど頼らずに産地直送スタイルを貫く。生産物の出し手が価格決定を主導し、2次産業の加工段階でもカット野菜はじめ、自分で付加価値をつけられるような加工処理をする、そして3次産業の流通やサービス産業段階では自前の直売所やスーパー、さらにはレストランまで、すべてのレベルで1次産業の農業が法人組織の経営主体で積極的に動くやり方だ。

平田さんの目標は5つ。「ビジネスモデル確立し農業を21世紀最大の産業に」
 平田さんは小さい時から父親の背中を見て育ってきており、いずれは果樹園を引き継ぐというつもりだった。父親が学資を出してくれたおかげで卒業出来た鳥取大学農学部のあと登山の趣味と果樹技術研究で長野県の農業試験場に勤務、リンゴよりもブドウの研究に特化、その技術が評価され地元広島県の果樹試験場に転職した。23年間の公務員生活を経て博士論文を書き、専門研究者でと思った1984年3月、郷里のブドウ生産組合が経営苦で解散する、何とか応援してもらえないだろうか、という話をきっかけに、父親のアドバイスもあって今の観光果樹園経営にかかわることになった、というものだが、平田さんの志は高い。
今は経営の中心部分は息子さんに委ねて、平田さん自身は有限会社平田観光農園の会長という立場で、国の農業関係審議会などを通じて農政に関与したり、また広島県の県教育委員長として県庁に出向いたりする。しかし平田さんは「私の目標は5つ。農業で再生産可能な経営の企業をつくっていくこと、若者に魅力を感じさせる農業にすること、果物をふんだんに使ったテーマパークにしたいこと、担い手を育成し農業経営を引き継ぐこと、最後は地域社会に貢献する農業経営にすることです。農業は21世紀最大の産業にしたいですね。ビジネスモデルさえ、しっかりつくれば十分に競争力のある農業をつくれます」という。話をしていて、年齢を感じさせない発想の若さがあり、しかも行動力があって実践するところが素晴らしい。これほどわくわく感のある人も珍しい。

ギリシャ財政危機は他人事でない、日本国債の「安全神話」が崩れるリスク 「金融資産1400兆円あるので大丈夫」は根拠なし、財政健全化策が重要

 「ギリシャ危機、主要国が拡散を警戒」「ユーロ防衛、異例の政策総動員」「欧州危機は米リーマンショックに酷似」――内外メディアは財政赤字で満身創痍(まんしんそうい)のギリシャ経済危機を連日のように取り上げている。株式や債券、為替などの金融市場は欧州、米国、日本の通貨当局のケタ外れの金融支援をひとまず評価したが、不安定な動きが続いている。問題の根が深いうえ、さまざまな国々の寄り合い所帯の欧州共同体(EU)という不安定構造での問題だけに、いつ何がきっかけでグローバルな連鎖のリスクに発展するか、正直言って、予測がつかない。

こう申し上げると、「ジャーナリストは、いつも『予断を許さない』とか『厳しい事態が避けられない』といった形で、危機をあおり過ぎる」とおしかりを受けるかもしれない。しかし、今回のギリシャ経済危機を見ていると、米国発の世界経済危機に発展した米リーマンショックに匹敵する構造的な危機をはらんでおり、間違いなく細心の注意が必要だ。

ところで実は、今回のコラムで私が取り上げたいと思っているのは、ギリシャ経済危機をきっかけに起きているソブリン(政府や公的機関の国債など債券)・リスクにからめて、日本国債の問題だ。日本国債は巨額の借金構造のもとで、イソップ物語のオオカミ少年のように「大変だ、大変だ」と10年以上も前から危機が言われながら、ギリシャのようにならなかったじゃないか、安全神話は続く、という専門家もいるが、私の見方は違う。日本は家計貯蓄の取り崩しなどをきっかけに「金融資産が1400兆円もあるので国債は大丈夫」といった安全神話の根拠が次第に崩れてきていることを指摘したい。

ギリシャ現政権はEUやECB支援の見返り要求の緊縮財政策、乗り切れるか
 その前に、日本国債とリンクするソブリン・リスクのギリシャ経済危機の問題を述べておこう。危ないな、と思う理由がいくつかある。1つは、ギリシャ自体のリスクだ。ギリシャの現政権は、欧州連合(EU)、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)からの巨額の財政、金融支援の見返りに、財政規律を強めるため公的年金の支払いカットなど緊縮財政、肥大化した官僚組織のリストラなどの荒療治策を受け入れたが、ギリシャ国民の反発が根強いだけに波乱含みだ。政治混乱がおさまらず、もしギリシャがユーロ圏離脱といった事態に発展したりすれば、EU全体の危機に広がる。

2つは、極めてあぶなっかしいジャンクボンドとの位置付けが金融市場にあるギリシャ国債にからむ問題だ。ギリシャと似たような巨額財政赤字を抱えるポルトガルやスペインの国債にまで影響が及び、それら国債の買い手がつかず、価格暴落(逆に利回り高騰)といった事態に陥ればユーロ圏全体の信用不安に発展する。そこで、ECBが異例のユーロ圏諸国の国債買い支えに乗り出したのだ。これは信用第一の中央銀行の屋台骨を揺さぶる問題だ。というのも中央銀行が、財政赤字ファイナンスのための国債を買えば市場リスクにさらされ、価格下落で保有国債の損失が表面化すれば中央銀行のリスクとなる。しかし今回、例外的に、欧州各国の民間金融機関が買取ったユーロ圏諸国の国債を買支える形でギリシャ国債にからむソブリン・リスクの回避を図った。危険な綱渡りだ。

財政赤字で国家発行の国債に信用不安起きればソブリン・リスク
 ソブリン・リスクというのは、国債発行で財政資金調達を図る政府自体に財政危機が表面化、国債の償還といった借金返済がままならず財政破たん、デフォルト(国家の債務不履行)が起きるリスクのことだ。とくにギリシャ危機の問題は、ギリシャという国の財政破たんリスク、それに似たようなリスクを抱えるポルトガルやスペイン、イタリアなどPIIGSというくくりで呼ばれている国々の国債への波及リスク、さらに欧州のユーロ圏諸国16カ国の民間金融機関のうち、これら財政赤字問題を抱える国々の国債を投資運用の面で買っていたのが一転、損失リスク問題が表面化し、金融システム全体の亀裂にリスクが及ぶ問題だ。

さて、ここで本題の日本国債の問題に話を移そう。まず、今回のギリシャ危機騒ぎで、行き場を失ったグローバルマネーが「質への逃避」という形でゴールド(金)に向かうと同時に、日本国債にも及んだ、という話を聞いて、思わず日本国債のどこが安全資産、逃避先なのかと思った。それほど、私にとっては、日本国債はさまざまなリスクを抱えているのだぞ、と思うのだが、めぐる情勢をよくご存じでない海外の投資家の人たちにとっては、これから申し上げる点が日本国債は安全資産と映っているのだろう。

日本国債の安全神話、実は長期デフレによる低金利が支えとは皮肉な話
 いま、日本国債が安全、と言われる理由はいくつかある。1つは、1400兆円にのぼる個人金融資産があり、これが支えになっていること、2つは日本経済が長期にデフレ経済で成長率が1%前後で低迷し、それに見合って超低金利の金融政策が続いていること、このためインフレリスクが少ないこと、もっと言えば期待インフレ率と言われる先行きの長期金利のレベルも1%台の低いレベルで推移し、これが大きく跳ね上がる可能性は低いこと、3つが日本国債の95%が日本郵政の郵貯や簡保生命の資金、民間金融機関の資金、さらに公的年金資金などで保有され、安定的な国内保有構造にある、このためギリシャ国債の70%が外国人投資家保有で、もし何かのきっかけで海外に資金逃避するといった不安定な状況にないこと――などが挙げられている。

バブル崩壊の後遺症で「失われた20年」といった形で経済のデフレが長期化していることが日本国債の安全神話のサポート要因になっている、というのは何とも皮肉な話だ。ところが国債発行元の財務省のある幹部は「デフレで国債の発行コストが少なくて済むといった安易な発想はしていない。デフレ脱却がマクロ政策の最優先課題であることは間違いない」と述べる。そして「それよりもジャーナリストやマーケットの心配性の人たちは、日本政府の財政赤字が膨らみ続け、2010年3月末で国債などの債務残高が過去最大の882兆円に及び先進国中で最悪状態になったことをとらえて、日本国債危機を言うが、結果は、この10年以上、ずっと問題なく事態乗り切りを図れているではないか。それは個人金融資産1400兆円などの支え構造が厳然としてあるからだ」という。

格付け機関も日本国債を格下げ、市場も民主党のバラマキ政策を不安視
 この財務省幹部も、そう開き直りのような発言をしながらも、一方では歴代の自民党、そして政権交代後の民主党の各政権がデフレ脱却のための財政資金確保などを理由に国債増発を強いて、そのツケを財政当局の現場に綱渡り的な国債管理政策に求めていることに対して強い不満があるのは確か。
しかし現実問題として、国際的な格付け機関スタンダード&プアーズ(S&P)が今年1月26日、ギリシャ財政危機が表面化した時期に日本の財政再建への取組みが見えないとして、長期国債格付けを引き下げネガティブ評価としている。ギリシャ危機も、これら格付け機関の厳しい市場の財務評価による格下げがもたらしたもので、日本の財務省だって日本国債の安全神話に強気ではおれないはずだ。

そこで、市場関係者の見方として、日本国債の暴落リスクを問題提起したみずほ証券金融市場調査部の特別レポート「緊急提言 2010年、ついに日本国債は暴落するのか」があるので、少し紹介させていただこう。レポートは、「どこまで国債発行は可能か、金利上昇はどこまでか、国債暴落対策は何か」といった副題がついているものだ。

みずほ証券緊急提言「財政健全化のロードマップ、国債版マニフェストを」
 みずほ証券によると、民主党政権下でバラマキ政策で財政赤字拡大が続くことを直視せざるを得ないこと、足元の政治状況が不安定に変動する中で財政規律の不安が存在すること、また、金融市場における受容力に不安が次第に高まっていることを挙げ、「不安を『オオカミ少年』として済ますことはできない」とし、国債暴落危機回避の対策を求めている。
レポートは確かに「日本は、公的債務残高を上回る個人金融資産と外貨準備を持っているため、国内でマネーフローが完結できる状況にありキャピタル・フライト(資金の海外逃避)が生じるリスクは少ない」としている。しかし、レポートは楽観論を戒めながら「まずは財政の健全化のためのロードマップの策定と実行性が問われる」とし、短期、中期、長期の「国債版マニフェスト」をつくるように求めている。

個人の家計貯蓄の減少は無視できず、個人金融資産は実質500兆円説も
 さて、ここからが私の指摘ポイントだ。日本国債の安全宣言を支える根拠が次第に崩れてきてリスクが増幅しつつあることを指摘したい。まず、人口の高齢化が進む経済社会で金融資産の取り崩しという形で家計貯蓄額の減少が進んでいることだ。総務省が5月に公表した2009年の平均家計調査では1世帯あたりの平均貯蓄額が1638万円となり、前年比で2.5%減となっている。貯蓄額の減少は今に始まったことでなく4年連続であり1つのトレンドとなってきた。米リーマンショックによる株価下落の影響などもあるが、先行き不安からの金融資産取り崩しも無視できない。現にかつては15%もあった日本の貯蓄率は今や3%台というから、個人金融資産1400兆円で安泰という論理にはつながらない。
それよりも個人金融資産1400兆円の数字の大きさが、日本国債の安全神話の支え部分だが、あるメガバンクのマクロ調査の担当者は興味深い話をしている。その担当者によると、住宅ローンなどの負債部分はじめいろいろなものを差し引くと、個人が本当に動かし得る金融資産は実質ベースで500兆円ぐらいかもしれない。日本国債をリアルにサポートできるのはその程度と言っても言い過ぎでない。楽観しない方がいい、という。

金融機関の横並び体質はクレジットリスクが表面化したら一気に国債売却へ
 前慶応大教授で、現在は千葉商科大学の島田晴雄学長も厳しい見方でいる。「日本はかつて、世界最大の貯蓄を持っているので、1990年代末のロシア、アジア危機のアジア諸国のような破たんにはならないと、これまで私たちはタカをくくってきたのでないか。潤沢にあるはずの国民の金融資産だが、住宅ローンや保険などを除いた家計の純粋な金融資産の総額は、実は1063兆円に過ぎない。2008年時点での政府の長期債務残高との差は100兆円を切っている。今のような大量の国債発行を続けると、今から1年半で政府債務が家計の純金融資産を上回ることになる。その場合、日本は事実上、純債務国に転落することだ。こうしたことは多くの関係者はすでに知っている」と、鋭く指摘している。私も同じ見方で、個人金融資産1400兆円あるから大丈夫という建前の論理に過度に頼らない方がいいと考える。

また、財務省などの論理は、日本国債の95%が国内の投資家などの保有構造にあり、70%が外国人保有という不安定なギリシャとは決定的に違うという点がベースにある。しかし、郵貯資金など活用する日本郵政、さらには保守的な民間金融機関は絶対の安定した行動主体かと言えばノーだろう。彼らもクレジット・リスクが不安定になることには神経質で、しかもひとたびリスクが表面化すれば、国債下落もしくは暴落による損失リスク回避のために一気に売却に走る。彼らの横並び体質は実にリスクで、一気に右ならえの行動に走る。みんなで渡れば赤信号でもこわくない、という集団論理で行動していたのが、リスク顕在化と同時に同じように売り逃げに動くからだ。

国債頼みにならず税収増をうむ新成長戦略が事態を変える?
 日本国債は大丈夫、という安全神話が少しずつ崩れる材料がまだまだある。友人のあるエコノミストは「政治的にはタブーだろうが、客観情勢として、ここまで財政が悪化してくると、場合によっては経営再建の一環で日本航空がとったように年金額の切り下げといった政策の選択肢も必要になって来る」という。
民主党政権の菅直人副首相兼財務相は2011年度の国債発行額の抑制を打ち出したが、目先の参院選対策を含めて選挙目当てのバラマキ政策を見直し、財政健全化の道筋をはっきり提示して、市場の信頼を得ることが必要だ。同時に、財政規律と経済成長をどうするか、国債発行に頼らず税収増を生みだすプラス成長の新成長戦略をどうするか明確に打ち出さないと、ジレンマに陥って、日本国債のソブリン・リスクが現実になるかもしれない。

日本の産業競争力低下に歯止めどころか戦略展開が重要だ 超ガラパゴス研究会提言おもしろい、世界の競争力比較で日本は27位に急落

 経済面での国力を示す国際競争力という点で、日本は1980年代から90年代前半にかけてずっと首位の座にあった。ところが驚くなかれ、最近、急速に低下しているのだ。競争力評価で歴史のあるスイスのIMD(経営開発国際研究所)が5月19日に公表した「2010年世界競争力年鑑」では何と日本の競争力が、前年の17位から一気に27位まで落ち込んだ。58カ国・地域を対象に、経済状況、政府の効率性、ビジネスの効率、社会基盤の4分野で約300項目の統計や独自調査をもとに総合評価した結果だそうだ。

日本経済が長期デフレ状況から抜け出せないでいること、少子高齢化に伴い基幹となる労働力人口の減少が進みかねないこと、財政赤字の多さが世界的に際立つこと、法人税率が高く企業の活力がそがれていることなどがマイナスに働いた、という。競争力を測るモノサシは技術革新力など、もっといろいろあるはずで、これで決まりというわけでもないだろうが、アジアではシンガポールが1位、香港が2位、台湾が8位、中国が18位、韓国が23位で、いずれも競争力評価を上げているため、日本のちょう落ぶりが目立つ。知り合いの話によると、韓国では今回、日本を追い抜いた、ということで、メディアも大きく取り上げたそうだ。そんな話を聞くと、やはりくやしいという感じは否定できない。

技術優秀でも世界で孤立すれば無意味、日本産業のガラパゴス化見直しを
 そこで、今回は日本産業の国際競争力の問題を取り上げよう。たまたま最近、超ガラパゴス研究会(IT国際競争力研究会)という、面白い名前の研究会が提言をまとめたので、それを参考にしながら、問題提起してみたい。この研究会は夏野剛慶應大学特別招請教授を委員長に、民間企業や大学の研究者ら30人がかかわっていて、実は、私は友人の芦辺洋司日立コンサルティング社長から誘われて、オブザーバーの形で参加していた。

ガラパゴスというネーミングで、おわかりのように、南米エクアドル領内のガラパゴス諸島に生息するゾウガメ、イグアナ、ペンギンなどの生物が閉鎖された環境のもとで特異な進化をとげている状況に例えて、この研究会は、日本企業のガラパゴス化現象の是非を論じている。
ここでいうガラパゴス化現象というのは、私の理解では次のようなことだ。つまり日本の携帯電話産業が典型例で、ガラパゴス諸島に生息する生物のように、日本の携帯電話企業の技術、サービス、商品自体、レベル的にはとても高度のものがあるにもかかわらず、日本市場だけで特異かつ独自の進化を遂げ過ぎてしまった結果、世界市場でほとんど通用しない、適合しないものになってしまっている。ややオーバーに言えば、グローバル化という時代の流れに対応できないため、世界から取り残され、やがて衰退する可能性が高くなる状況をガラパゴス化現象と言っているのだ。

終身雇用などの経営慣行もグローバルな動きに背を向け見直さずでは問題
 この問題意識を、日本の産業の競争力全般の問題に置き換えると、さらに厳しい事態に直面する。かつては世界に誇った日本のさまざまな戦略的な強み、競争力の強さがいつしかグローバルな変化、時代の流れとかけ離れてしまった結果、今回のIMDの競争力調査のように、相対的な地盤沈下、競争力低下という判断を下され、次第に相手にされなくなってしまう。それでも日本の産業が現状にこだわるのかどうか、たとえば終身雇用制度や年功序列の賃金体系、人事制度など日本独自の経営システムに関して、日本企業がビジネス慣行や制度の見直しに背を向けていたりすると、グローバルな動きから取り残されるリスクが出てくる。さあ、どうすればいいか、という問題に発展していく。

さて、ガラパゴス化現象という問題について、この超ガラパゴス研究会がいくつか提言を行ったうち、携帯電話産業を含めた通信業界に対する5つの提言をみてみよう。それによると、1つは、日本の通信業界は先進的な技術を用いてグローバル展開が出来るポテンシャルがあることを認識すべきだ、ということ。2つが、日本の通信端末メーカーはグローバルに通用するマーケティング力とコスト競争力を保有すべきであること、3つが端末メーカーはハードとソフト、サービスは切り離せないものであることを理解すべきだということ、4つが日本の通信関連企業の経営者は経営陣の多様性を取り入れるべきであるということ、最後の5つは日本の通信キャリア、携帯電話などは海外展開をするのかしないのか、各社のスタンス、考え方、長期戦略を明確にすべきであることを挙げている。

芦辺さん「国内に残すもの、海外に出すもの選別し模倣されない仕掛けを」と強調
 私を研究会に誘ってくれた芦辺さんは著書「超ガラパゴス戦略」(WAVE出版)で、この提言を補強する指摘をしており参考になるので、ご紹介しよう。芦辺さんによると、「グローバル化社会の中で、日本の産業と経済を立て直すために『超ガラパゴス戦略』という戦略フレームワークが必要だ。この戦略は、端的に言えば『国内に残すもの』と『海外に出すもの』を選別し、そして競争力を維持するために『模倣されない仕掛け』を作り出すことに尽きる」という。
さらに、芦辺さんは「日本にはガラパゴス的進化を遂げたモノが豊富にある。産業用ロボット、テレビゲーム、カラオケ、寿司、浮世絵、アニメなど、例を挙げれば数えきれない。ロータリーエンジンや温水洗浄便座のように、発祥は海外であっても、日本で進化を遂げグローバル商品になったものも少なくない。日本のモノづくりの技術や土壌も世界に例がない。このような条件や環境を指して『ガラパゴス』と呼ぶならば、これは日本の強みの部分だ。戦略の定石は強みを生かすことであり、弱点を補強することではない。ガラパゴス的進化を積極的に起こしグローバル展開することこそが今、必要で、それが『超ガラパゴス戦略』だ」と述べている。

提言は「過去の成功体験が通用しない時代になったこと認識し戦略転換を」と指摘
 さきほどの提言では、この「戦略的強み」の部分に関して、「日本の携帯電話技術の多くは、欧米に比べて2~5年先行したものを多く搭載している。しかも日本には目の肥えたユーザーと安価で整備された優れた通信インフラにより鍛えられた技術力がある。にもかかわらずこのポテンシャルや先進性を十分に活用できているとは言い難い。『日本の通信業界はガラパゴス化している』などと悲観的に捉えるのではなく、これらの先進性を生かして世界市場に打って出る戦略性が求められている」「国内市場の急激な成長に合わせて成長を遂げることが出来た時代に成功したやり方は、これからの時代には通用しない。過去の成功体験が通用しない時代に、これまでの価値観にもとづいてマネジメントを行った場合には大きな過ちを犯すことが予想される」

「技術力がありながらビジョンや戦略がないために、それらを生かした活動が伴っておらず、場当たり的な海外進出にとどまってしまっているのが実体でなかろうか。この点、欧州の通信企業は中長期的なビジョンを打ち立て、これに基づく国際展開、戦略展開を行っている。フランステレコムは事業収益のうち半分以上がすでに海外事業からのものだ。日本国内の人口が減少し携帯電話の普及率が100%に近付く中で、国内の通信業界の市場が伸び悩むことは明白で、その点でも新興国をはじめとする海外市場への進出は不可避だ」と提言している。

ただ、日本の通信業界、携帯電話業界の最大の問題は、技術力などでは優れたものを持ちながら、世界標準の取得に先手を打つという戦略をとらず、むしろ1億2000万という日本市場に満足して日本標準にこだわったため、ガラパゴス化現象が生まれ、世界から孤立してしまった、という問題がある。今後、その技術標準で次世代を日本がリードできるものが打ちたてられるかどうか、という点がポイントでないだろうか。

根津さん「日本の技術標準をいち早く世界標準に置き換えるアクションが必要」
 事実、経済産業省OBで、現在、富士通総研取締役エグゼクティブ・フェローの根津利三郎さんは、1990年代以降、日本の産業競争力が長期にわたって衰退してしまった。技術、企業戦略、ビジネスモデル、産業構造などの面で多岐にわたって課題解決に至らず現在に至っているところに問題がある、として、とくに携帯電話業界における戦略ミスの問題の具体例で同じ問題指摘をしている。
根津さんはある講演会で、「日本はNTTを中心に世界で最も進んだPDCと呼ばれる技術標準を開発したのに対して、欧州メーカーは各国に共通のGSMと呼ばれる欧州基準をつくり、その採用を世界に呼び掛けた。結果的に、アジアを含めほとんどの国々で、このGSMが採用され世界標準になったため、日本製の携帯電話は海外に一歩も出られなくなった。日本企業は優秀な技術を持ちながらも、戦略ミスが原因で、大きく立ち遅れてしまった」と述べている。まさに、そのとおりだ。日本の通信業界、携帯電話業界が超ガラパゴス研究会の提言を踏まえて、この技術標準に関して、次世代技術の分野で世界標準を作り出せるかどうかが勝負どころかもしれない。

日本の総合電機は事業範囲が拡大し過ぎて創造破壊的なイノベーション進まず
 超ガラパゴス研究会が行った産業の競争力強化に関する提言では、日本のエレクトロニクス産業の問題についても言及しており、興味深い点があるので、ご紹介しよう。  提言は、日本のエレクトロニクス産業、総合電機産業の弊害部分について、1)事業範囲が拡大し過ぎていて戦略的判断が出来ず、創造破壊的なイノベーションも進まない、2)国際規格・標準に対するアプローチが弱く、自力でデファクト(市場の実勢によって事実上の標準とみなされるようになった規格などのこと)をとる動きが出来ないでいる、といった問題点を指摘し、そのまま放置すると、1)技術開発の人材が韓国のサムスンや中国系、台湾系メーカーに引き抜かれ骨抜き状態になりかねない、2)株価が低迷し続け資本増強も進まない、3)リストラをする原資もやがてなくなる、という。

それを踏まえて、提言は、1)今、大手電機メーカーはさまざまな事業を手掛けるコングロマリット企業が存在するが、どの企業も総花的で、明確な特長が見つけにくい。日本 国内企業とだけでなく海外の企業ともコングロマリット再編に取り組むべきだ、2)とくに国内シェアもさることながら、それ以上に成長もしくは成長が見込めるアジアなどの新 興市場でプレゼンス(存在感)を高めるべきだ。アジアにおいては、製造拠点という位置付けよりも市場の大きさを踏まえて販売拠点にシフトすることが重要、3)日本企業は高品質製品の内需と欧米市場への徹底したマーケティング戦略をとってきたため、新興市場では出遅れてしまい、液晶テレビ1つをとっても日本企業はどこもランクインされていない現実を冷静に見ることが必要だ。日本は技術力が高い製品を保有しているので、マーケティング力、販売力などがカギとなる。そのためには情報発信力を高め、ブランド力の再構築が必要だ、といった点を提言している。

経済産業省の戦略5分野を軸にした産業構造ビジョン、実行を伴うことが必要
 こうした中で、経済産業省が最近、6月に民主党政権が打ち出す予定の日本の成長戦略にからめて産業構造ビジョンを打ち出し、自動車と電機産業に依存した「一本足打法」から戦略5分野を軸にした新産業構造に転換するのだ、ということをアピールしている。この5つとは、原発や鉄道などインフラ輸出、電気自動車や次世代電力網など次世代エネルギー、アニメなど文化・ソフト産業、社会保障関連の医療・介護・健康・子育てなどの産業化、そしてロボットや宇宙産業など先端分野産業だ、という。

霞ヶ関官僚の中でも、経済産業省の巧みさは、こういった政策やビジョン、構想提案のうまさでは定評がある。しかし、いつも実行が伴わず、絵に描いたモチに終わりかねないところが多く、われわれジャーナリストもすぐには飛びつかず、冷静に見極めてから対応するようにしている。今回の産業構造ビジョン自体、興味深いがぜひ、実行を伴うようにしたたかに政治を動かしてほしいものだ。同時に、産業界も独自に、自らの戦略展開を大胆に進め、日本の産業競争力を回復させてほしい。

オールジャパンの水プロジェクト大賛成、世界での潜在需要増にチャレンジを 日本の強みは水処理膜や下水再生の技術だが、全体システムでの勝負が大事

最近お会いした東レ顧問で、水の膜技術などでは専門家の工学博士、栗原優さんが、水にからむことについて、興味をそそられる話をされた。「冗談のような話ですが、昔、サウジアラビアの王族が財力にまかせて『ふんだんに水を飲みたいので、南極から大量の氷を持ってこい』と命じ、周辺を困らせた。そのサウジも今や海水の淡水化技術の恩恵を受けて、安定的に水を飲めるようになったのに、技術支援するわれわれからすれば、未だに乗り越えられないカベがあって困っているのです」という。

イスラム社会では宗教戒律がネック、トイレなど下水は浄化しても受け付けず
 そのカベとは、イスラム社会の宗教戒律にからむ話だ。要は、トイレなどの下水は不浄(ふじょう)のものとされ、どんなに浄化しても口にせず飲もうともしないのだ。栗原さんに言わせれば、日本が圧倒的な強みを持つ水処理膜技術や下水再生技術を駆使すれば、生まれ変わったように清潔な飲料水になる。しかも今や循環型社会システムの考え方を導入して、有限の水を大事に活用することが大事。それなのに「イスラム教の戒律に反することはまかりならぬ」の一点張りだという。
しかし、栗原さんにすれば、中東のみならずアジアでは経済発展や人口増加に伴い上下水道など水にからむ潜在需要が見込める。技術力のある日本にとっては絶好のチャンスだが、これら地域に広がる巨大なイスラム教の人たちの意識が変わらなければ、身動きがとれない。意識改革が今や何よりも重要課題だ、というのだ。

この話を最初に持ちだしたのは、実は最近、チャンスがあって、グローバルなレベルでの水ビジネスをめぐる問題のシンポジウムなどに参加し、パネリストの専門家の人たちにも取材して話を聞いたりした結果、ジャーナリストの立場からすると、わくわくしそうなテーマなので、ぜひ、この「時代刺戟人」コラムで取り上げようと思ったからだ。

グローバルレベルでの水ビジネスは日本にとってさまざまなチャンス
 率直に言って、水ビジネスに関しては、さまざまな問題や課題がある半面、日本にとっては、間違いなくチャレンジングな分野だ。戦略的な取り組みをすれば、日本は世界に対して存在感をアピールするだけでなく、大きなビジネスチャンスがあると感じた。

結論から先に申し上げよう。先行してグローバル展開するヴェオリア、スエズというフランスの水メジャー(国際的有力企業)に正面切って太刀打ちするのは難しい。しかし、日本が圧倒的な強みを持つ海水の淡水化などの水処理膜技術や下水再生技術、さらには漏水防止の管理技術の分野で各企業が連携しトータルのシステムにして、かつ日本連合、オールジャパンという形で中国や中東などでビジネスチャンスの掘り起こしに取り組めば、新興経済国での潜在需要が大きいだけに、世界のインフラに貢献する日本、という評価につながっていくということだ。

三菱商事などが官民連携で豪州の水道事業会社買収しプロジェクト展開
 このからみで面白いと感じたのは、三菱商事が5月11日に発表した豪州の水道事業会社UUA社とその関連企業の買収によって、豪州での上下水道、海水淡水化、工業排水処理など14のプロジェクトに取り組むという話だ。具体的に言うと、三菱商事はフィリピンで自ら出資して水プロジェクト展開するマニラウォーターと連れだって、水インフラプロジェクトや環境分野で実績のある日揮、そして官民出資ファンドの産業革新機構と一緒に、豪州での水道事業では第2位シェアを持つUUA社とその関連企業を2億2500万豪州ドル、円換算約190億円で100%買収し、新会社を設立して、水道事業を継承し、豪州での300万人向けの水供給などのプロジェクトに取組む、という。

ジャーナリストの好奇心でいくと、三菱商事の展開が興味深い。水にからむ世界のインフラビジネス潜在需要の大きさに着目し、総額8000億円の投資能力を持つ官民投資ファンドの産業革新機構と連携したこと、さらに公営水道管理技術で世界的な競争力を持つ東京都水道局傘下の東京水道サービス(TSS)をプロジェクトに巻き込んだことなど、日本企業がややもすれば欠けているトータルなシステムつくりに関して、官のファンドや技術をうまく活用しながら日揮など民間の水ビジネス企業をリンクさせ、最終的に大がかりなプロジェクトにしていったことだ。

和製水メジャーが誕生しフランスのヴェオリア、スエズに対抗できれば面白い
 三菱商事がフランスのヴェオリア、スエズに匹敵する日本の水メジャーになれるかどうかは今後の問題だが、対抗できる存在になれば、日本のグローバルな水ビジネスも面白くなってくる。三菱商事は、すでにフィリピンの首都マニラで盗水や漏水で収入確保できない無収水率が悪く24時間給水の比率も低かった公営水道事業の民営化プロジェクトに参加、1997年にマニラウォーターという会社設立に出資して民営化でリーダーシップを発揮した実績がある。今回の豪州プロジェクトに、このマニラウォーターを参画させている。しかも今年2月には水ビジネスでのエンジニアリング力で定評のある荏原製作所、日揮と海外での水処理で提携している。

フランスのヴェオリアなどの水メジャーの強みは、上下水道での民間事業経営経験が豊富にあり、そのノウハウを生かして水源から水道の蛇口までの水を維持管理するシステム、料金徴収などの経営管理システムといったトータルのシステムに仕立て上げる力を持っていることだ。日本のように、自治体が直接もしくは第3セクターの形で公営水道事業すべてにかかわっているのとは決定的に異なる。とくにフランスの場合、地方自治体の行政サービス能力、財政力に弱さがあったため、上下水道事業の民営化が進み、ヴェオリアなどが事業展開を行って実績をつくると同時に、そのノウハウを他の先進国や途上国で活用し文字通りのメジャーにのし上がった、というわけだ。

海外ではIBMやGEが水量や水質のコンピューター管理など事業分野に参入
 そればかりでない。最近は米IBMや米GE(ゼネラル・エレクトリック)といったコンピューターや総合電機メーカーの進出も目立つ。IBMなどは水道事業そのものではなくて、センサーやモニターなどを活用して貯水設備から配水管に至るまでの水量や水質などコンピューターで自動制御あるいは管理、それによって水事業の経営効率化につなげる事業分野にビジネスチャンスを見出したのだ。強みをいかんなく活用しようというものだが、裏返せば、水ビジネスに潜在的な需要が見込めるとの判断であることは言うまでもないことだ。
それだけでない。水ビジネスのシンポジウムでお会いしたグローバルウォーター・ジャパン代表で、国連の水プロジェクトに関するテクニカルアドバイザーでもある吉村和就さんの話が参考になる。その吉村さんが同じく気候変動や水資源予測分野の専門家、沖大幹さんとの対談集「日本人が知らない巨大市場――水ビジネスに挑む」(技術評論社刊)で、面白い指摘をしているので、ご紹介しよう。「IBMは、水は自分たちにとって最大のビジネスになると思っています。彼らは水情報を収集するデジタルセンサーを世界中にばらまいて、その情報をインターネットや衛星で集めることをやっています。このセンサーシステムが世界中に展開されると、世界の水情報が1社に独占される可能性さえあります」と。

要素技術誇示よりもトータルシステムでチャレンジ必要、行政の縦割りも弊害
 しかし、吉村さんや冒頭の栗原さんら専門家の話を聞いていると、日本の水ビジネスでの最大の課題は、個別企業はどこも水処理膜技術や下水再生技術などで素晴らしい要素技術を持っていながら、それをトータルのシステムにしてビジネスにしていくマネージメント感覚に欠ける、という。フランスのヴェオリアなどのすごさは、水プロジェクトを事業経営の視点で束ね、それをトータルのビジネスモデルにして中国などの新興国に提案しプロジェクト受注していく点だ。
それに日本の場合、行政の対応もタテ割り組織の弊害がある。たとえば上水道は厚生労働省、下水道は国土交通省、農業用水は当然ながら農林水産省、また経済産業省は工業用水にかかわると同時に、ここ数年、アジアを中心にしたインフラプロジェクトがらみで水ビジネスプロジェクトの政策展開にかかわってきた。しかし吉村さんに言わせると、水行政にかかわる行政官庁がバラバラのため、水源が同じなのに水の統合管理が出来ず、結果として、非効率、ムダな財政支出、投資になってしまっている。明らかにに行政サイドに戦略がないことが問題だ、となる。

猪瀬東京都副知事は「システム受注には水道経営経験ある東京都などの活用を」
 そういった行政の対応で意外にがんばっている印象を与えているのが、今回の豪州の官民連携プロジェクトに参画した東京都のケースだ。漏水防止や料金徴収などの面でビジネスノウハウを持つ東京都が第3セクターの東京水道サービスを通じてこの豪州プロジェクトにコンサルティング会社として参画することになったのだが、作家かつノンフィクションライターから道路公団民営化委員などを経て現在、東京都副知事を務める猪瀬直樹さんが最近の著書「東京の副知事になってみたら」(小学館新書)の中で、巨大都市東京の水道管理技術は世界一であることを自慢している。
猪瀬さんによると、東京都の水道事業管理は1300万都民への水を、1日平均430万立法メートル、漏水率わずか3%で供給し、料金徴収率99.9%。この管理システムは十分に国際市場でビジネスとして展開できる、という。さらに、「水メジャーの強みは一貫したシステムとして売るところだろう。日本も、海水の淡水化のための逆浸透膜の技術などでは世界一だし、浄水技術、汚水処理技術も日本のメーカーはトップクラス。だが、個々の技術で強くても、水源から蛇口までを維持管理するシステムとしての水道経営は日本では自治体しかない。システムで受注するには水道経営の経験がある自治体が必要だ」という。

感染拡大が心配な口蹄疫、やはり赤松前農水相の外遊含め危機管理に問題 新型インフルと同じで、予測つかない危機への対応には万全の備えが必要

肉用牛としていずれ市場に売りに出される運命とはいえ、宮崎県で牛の肥育などに携わる畜産経営農家にとって、子牛のころから丹精こめて育ててきた牛を家畜伝染牛だということで大量に殺処分、そして土の中に埋めざるを得なくなるのは、何とも耐えられないことだろう。私は全国の農業現場の取材で、畜産農家の方々にお会いする機会が多いだけに、牛や豚の口蹄疫(こうていえき)問題に突然直面した農家の人たちのことは胸がいたむ。しかし、今回の宮崎県の問題で、見えざるウイルスの伝染、予測のつかない危機に対して、政治が指導力を発揮し、行政も機敏な防疫体制をとっていれば、多くの牛や豚を、とりわけ種牛をむざむざと死に追いやることはなかったという現実が浮かび上がっている。

そこで、今回は、私の関心領域である失敗の研究やリスクマネージメント(危機管理)の観点から、宮崎県の牛や豚の口蹄疫問題を取り上げてみたい。残念ながら今回は、しっかりと現場調査したわけでなく、むしろ東京での取材、それに公開情報やメディア報道などを中心にしたものなので、失敗の事例研究から行けば、不十分と言わざるを得ない。しかし、ジャーナリストの関心事から、何が問題なのか、調査した範囲内で申し上げよう。

3月末の初動はまずまずだったが、その後に楽観が先行、危機意識も希薄
 結論から先に申し上げれば、3月31日に、宮崎県の都農町で水牛に口蹄疫の疑いがあるケースが見つかり、宮崎県当局の担当者が現地で素早く立ち入り調査を行ったまでは、機敏な行動だった。しかし、その後の対応に関して、随所に楽観が先行し、危機対応が後手後手に回ったようだ。まず4月20日に宮崎県、そして国で統括する農林水産省で、それぞれ対策本部が設置された直後に隣接の川南町でも感染の疑いのある牛が見つかった。
本来ならば、ここで緊張感が走り、素早い対応がとられて当然のはず。ところが地元の東国原英夫宮崎県知事から赤松広隆農林水産相(当時)に緊急支援要請が4月27日に行われるまで、地元の対応に意外なほどに時間がかかっていること、それに加えて、もっと問題だったのは肝心の赤松前農水相の危機意識が希薄だったためか、4月30日から5月8日までキューバやメキシコ、コロンビアに外遊してしまい、一気に口蹄疫問題が噴出する5月のゴールデンウイーク中に急きょ帰国するわけでもなく、問題担当のトップリーダーの危機意識に決定的に欠落があったことだ。

振り返ってみれば、5月のゴールデンウイーク中に、あとあと禍根となる問題が起きている。とくに決定的だったのは、4月28日に牛だけでなく感染力の強い豚に感染していることが判明し、牛への波及を抑えるために殺処分の判断を下すべきだったのに、地元宮崎県当局の判断が「経過観察」、早い話が問題先送りで終始したため、5月に入って豚と牛の双方に感染度合いが急ピッチで広がり、手がつけられない事態に及んでしまったことだ。

5月ゴールデンウイーク中に問題噴出、感染力強い豚の処分早ければ、、、
 民放テレビの現場取材に答えて、宮崎県のある獣医師の人がこう述べている。「宮崎県では10年前の2000年に口蹄疫の問題が発生した際、危機意識が強かったのか、先手先手の対応が積極的にとられ、家畜の感染は今と比べものにならないほど、わずかで済んだ。その時のポイントは、感染力の強い豚の殺処分を素早く行って牛に感染波及するのを抑えたことだ。ところが今回、豚への感染が見つかってからも当局の対応にもたつきが見られた。大丈夫かなと不安視していたら、あっという間に豚の感染が膨れ上がり、それに連鎖する形で牛の感染が一気に広域に広がった」というのだ。

感染力の強い豚をいち早く処分したことが前回の2000年の危機克服策だったとすれば、それを先行の成功モデル例として、今回もいち早く実行に移せばよかったのに、どこかのレベルで「まだ大丈夫だろう」という楽観が先行してしまったのに違いない。楽観というのは、急いで大騒ぎする必要はない、まだヤマ場に来ておらず冷静に対応すべきだ、といった情勢判断にもとづく場合もあり得る。しかしその一方で、担当者が責任をとりたくないため、さきほどの豚への感染に際しての「経過観察」と同様、単に問題先送りしてしまう一種の事なかれ主義みたいなものが働いての楽観ということもあり得る。宮崎県の口蹄疫問題は現在進行形の形で進み、すでに都城市などへも飛び火しつつあるので、あいまいな楽観を止め、素早い現場での実行判断が重要になる。

赤松前農水相の資質に問題、菅首相の「口蹄疫は国家的危機」判断と対照的
 この危機状況に対する指導者の危機意識や情勢判断で言えば、すでに辞任したとはいえ、問題表面化当時の赤松農水相の言動にはいま振り返ってみても、問われることが多い。担当閣僚としての記者会見での発言は、農林水産省のネット上のホームページで、「大臣記者会見」という所をクリックされれば、どんな発言をしているか、見ることが出来るので、ぜひご覧になればいい。
鳩山由紀夫首相のあとを引き継いだ菅直人首相がいち早く宮崎県の現場を訪れ「口蹄疫の問題は国家的危機だ」と述べ、課題山積の新政権の最優先課題の1つとして取組む、という決意を示したことを考え合わせれば、赤松農水相が在任当時、素早く直接、現場を訪れることを怠ったことは理由のいかんを問わず問題視されるべき点だろう。

政治リーダーの資質に関して、菅首相の「国家的危機」判断と比較すれば、赤松農水相は4月20日に口蹄疫防疫対策本部が農林水産省に設置され、自ら本部長に就任したあと、記者団に対して「自分が行くと、(メディアも同行して、ぞろぞろ動き回って)騒ぎが大きくなるので、不必要に現場に混乱を与えたくない」と述べている。そのまま東京で対策本部長として対応するが、1週間後の4月27日からキューバなどの訪問旅行に旅立ってしまう。

中南米外遊から帰国後、すぐに宮崎入りせず栃木県の同僚議員後援会会合へ
 赤松前農水相が5月8日の帰国後、現地の宮崎県に入ったのは10日だ。ところが産経新聞報道では帰国後の8日に真っ先に向かったのは栃木県で、民主党議員の後援会会合に出席のためだったというから驚きだ。この件に関して、赤松前農水相は5月25日の衆院本会議で野党の公明党議員から「帰国後すぐに宮崎入りせずに、政務の会合に出席していたのは問題だ」と批判されたが、「何カ月も前からの約束だったので」と釈明する始末だ。
さらに、5月11日の記者会見で「昨日(10日)、秋田に行くのを変更されて、宮崎に急きょ行かれたが、口蹄疫のまん延に対する認識がちょっと甘かったという批判もある。どう受け止められるか」との質問に対し、赤松農水相は「甘いとは思っていません。今、こういう時代ですからリアルタイムで連絡をとりながらやっています。(中略)何を優先させるかの政治判断で(常に)やっていることで、ご理解ください」というだけ。
しかし、極めつけは、5月18日の記者会見で、引責辞任論が出ていることへの受け止め方を聞かれた際、赤松前農水相はまず「ご批判があれば、それは議会ですから不信任案を出すなりされればいい」と述べたあと「私自身がやってきたことについては、反省するところです。(しかし)お詫びするようなところはないというふうに思っています」と。

危機管理専門家の佐々さんは「農水大臣のKY鈍感力は驚くべきもの」と批判
 危機管理の専門家で、初代内閣安全保障室長の佐々淳行さんは産経新聞5月27日付のコラムで手厳しく批判している。まったく同感なので、少し引用させていただこう。「人間は誰でも、楽しいことを優先しがちなものだ。キューバのカストロ議長、コロンビアのウリベ大統領らと会見し、儀仗隊の栄誉礼を受けることの方が、罹患(りかん)した牛や豚を見るよりも楽しいに決まっている。だが、国家危機管理の責任者は、国民の命と財産を守ることを、連休を返上してでも優先させるのが『ノーブレス・オブリージ(権力者の義務)』である」という。
佐々さんは21世紀型機危機管理の対象として、アルファベット表記で「W(戦争)」と「R(革命)」、さらに「ABCD」(核・バイオ・化学・天災地変)」にあるとし、口蹄疫に関しては鳥インフル、新型インフル、狂牛病などに続く「B(バイオ)」の危機だとの位置付けでいる。そして「口蹄疫がどんなに恐ろしいB(バイオ)の危機であるか、農水大臣は当然認識しているべきだ。『知りません』『わかりません』で許されると思っている鳩山総理、小沢一郎民主党幹事長(いずれも当時)に次いで、赤松農水大臣の『KY(空気の読めない)鈍感力』は驚くべきものだ」と、佐々さんは述べている。そのとおりだ。政治リーダーの重さを自覚すべきだろう。
宮崎県の口蹄疫問題をきっかけに、東京都小平市にある防疫関係の研究所には全国の自治体、家畜衛生試験場などから、牛や豚の検体関して、精密検査依頼が殺到している、という。裏返せば、宮崎県に限らず全国の畜産農家にとっては、陽性反応と出るか、あるいは陰性で済むかは死活問題のため、必死にならざるを得ないのだ。
というのも、この口蹄疫は家畜伝染病だが、肝心のウイルスがどうやって伝染、感染するか、未だに確認できない。宮崎県の現場でも家畜運搬車の消毒だけではダメで、畜産に携わることのない第3者の人、それに一般車までも消毒対象にすべきだとか、場合によっては口蹄疫発生地域のみならず周辺地域も、他の地域から隔離すべきだといった対策も真剣に議論されている。そういった意味でも、今回の問題は、初動の段階で、もっと素早く機動的に対策の手を打っておくべきだったのかもしれない。政治リーダーの危機管理の欠如もそういった意味で、大きく問われて当然のことだ。

意外に面白い経産省「産業構造ビジョン」、何が日本産業の行き詰まりか分析 高品質・単品売り産業からシステムを売る産業への脱皮などを提言

経済産業省が最近打ち出した「産業構造ビジョン」は、6月18日に閣議決定となった菅直人民主党政権の新成長戦略に、その一部が反映されているが、日本の産業競争力低下、産業行き詰まりなどに関する分析がなかなかポイントをついており、むしろ、あれも、これもと総花的に対策を盛り込んだ新成長戦略よりも面白い。事実、今回の「ビジョン」は企業の経営戦略担当者の間でも関心を誘っている。そこで、今回は、経済ジャーナリスト的な好奇心で、日本の産業の課題が何か、という問題に迫ってみよう。

「産業構造ビジョン」のポイント部分がいくつかある。まず1つは日本がややウイークだったシステム型産業を、という点だ。日本の産業はこれまで特定分野の技術的な優位を背景に「高機能・単品売り産業」にこだわっていたが、これからは世界の成長センターの中国、インドなど新興アジア諸国をターゲットに「新興経済国が求めるシステムの輸出」、「環境・エネルギー・シルバーなどの社会ニーズの課題解決を図るシステム提供」型産業をめざせ、という。
もう1つは、グローバル市場で競争力を持つ自動車とエレクトロニクスといった特定の産業の「一本足構造」から、今後は原子力発電や水プロジェクトといったインフラ関連産業、ファッションなどソフトパワー的な文化産業、ロボットなどの先端分野産業といった戦略産業5分野の「八ヶ岳構造」への産業シフトも重要。これら新戦略産業分野を軸に官民一体の、いわゆるオールジャパン体制によって世界で存在感を示せる日本産業を、という点だ。

ビジョンづくりのうまさでは霞ヶ関でも1,2を競う経産省だが、、、、
 この後半部分の官民一体の、いわゆるオールジャパン体制の確立が、経済産業省のアピールしたい点であることは明白だ。要は民間の企業や産業にだけ任せてはおけない。この際、国も一枚関与した産業政策的な展開でもって官民一体になってやっていこう。現に米国や韓国などが最近、かつての「日本株式会社」的な政・官・財一体でのスクラム体制を真似て、政府が政策面でバックアップする体制を色濃く出しており、日本もこの際、産業政策を復権させよう、とでも言いたげだ。

ビジョンづくりのうまさでは霞ヶ関の官庁街で1、2を競う経済産業省だが、実行が伴わず絵に描いたモチに終わりかねない、といつも冷笑されていた。しかも、国が産業政策的に、民間の産業や企業の行動にくちばしを入れると、結果的に産業が育たなかったケースも多く、民間側は冷ややかな面もあった。しかし今回の「産業構造ビジョン」で企業の経営戦略担当者らの関心を誘っている日本産業行き詰まりの分析などは、なるほどと感じさせるところがあるので、むしろ、そちらにスポットを当ててみよう。

韓国企業のすごさ、日本企業と対照的に国内消耗戦なしで海外に積極進出
 まず、日本の産業の課題の1つは、国内市場、しかも同一産業内部でのプレイヤーの企業の数が多すぎて、グローバル市場に出る前の国内予選で必要以上に消耗戦を繰り広げてしまっていること、その結果、低収益体質に甘んじている、という点をあげている。
「産業構造ビジョン」によると、液晶テレビではソニー、シャープ、パナソニック、東芝、船井電機などのプレイヤーがひしめきあうのに、韓国はサムスンとLGの2社、中国がTCL、欧州はオランダのフィリップスなど1、2社。また鉄道も日立製作所、川崎重工、日本車両製造、東急車両、近畿車両と競合企業が多いのに対して、韓国が現代ロテム、フランスがALSTOM、ドイツがシーメンスと限られている、という。

とくに韓国企業は、それこそ国内予選なしで、最初からグローバル市場に向けて大胆かつ迅速な投資戦略をとり、それを強みにしている。人口4000万人の国内市場よりも、世界中のグローバル市場で勝負を仕掛けた方が企業収益を確保できる、という発想なのだ。これに対して、日本企業は1億人の、しかも成熟した国内市場に成長のパイがあると国内に力を注ぐ結果、国内での競争で力を消耗して収益力も弱めている。これは日本産業の構造的な問題だ、という分析だ。

旭化成・蛭田氏「日本産業は早くドメスティック・グローバルからの完全脱却を」
 この点に関して、旭化成の前社長で、現在最高顧問の蛭田史郎さんが最近、経済産業研究所で行った「ポートフォリオ転換の経営から見たケミカル産業の将来」という講演で、面白い指摘をしている。
「これまでの日本の産業の成功パターンは、1億人のうるさ型消費人口の国内市場で勝ち抜き、それを武器に欧米中心の10億人の世界の商品市場に進出しシェアを勝ち取ってきた。しかし今や世界は新興国の消費購買力を含めた40億人の市場に急拡大しているのに、日本産業は過去の成功体験をもとに1億人市場での勝利にとどまり、すべてをグローバル基準で対応する態勢にない。私の造語英語で言えば日本産業は早くドメスティック・グローバルからの完全脱却が必要だ」と。
蛭田さんによると、日本産業が1億人の日本国内市場で勝ってもドメスティックな勝利にすぎない。ポートフォリオ転換の経営からすれば今や40億人のグローバル市場を対象にすべての事業の枠組みを組み替え、世界でのシェアをとる戦略展開が必要だ、という。

日本企業の技術裏打ちの製品シェアの急速低下はビジネスモデルに問題あり
 「産業構造ビジョン」では、日本企業が優れた技術を武器に、たとえばDRAMメモリーや液晶パネル、DVDプレイヤー、カーナビなどで製品を世に出した当初、世界市場でも80%から限りなく100%に近いシェアをとるのに、世界市場の拡大とともに、日本企業の製品シェアが急速に縮小する共通現象を問題視し、これは特定の企業、それに製品の問題ではなく、日本産業、企業のビジネスモデルに問題があるからだ、と指摘している。

「産業構造ビジョン」によると、日本企業がここで、学ばねばならないのは、海外の有力プレイヤーの企業は標準戦略の巧みさ、その仕掛けのうまさで競争優位をいち早く構築してしまう点だ、という。たとえば、米インテルの場合、パソコン(PC)に搭載のマイクロプロセッサ(MPU)で、自社ドメインを知財で保護し技術の改版権も独占し、一種のブラックボックス化してしまう。そしてそれ以外の周辺部分に関しては、徹底的に標準化して世界中に開放する、その結果、台湾企業などが参入してコスト競争が激化する。しかし標準化されていない部分に関してはインテルが高利益を確保する。

日本のデジタルカメラは少数成功例、基幹部分のブラックボックス化でシェア
 日本産業が世界市場の伸びのもとでもシェアを維持した競争勝ち抜き例は、デジタルカメラ産業のケース。レンズ、自動焦点化、絞り、シャッタから最後はデジタル信号処理に特化したデジタル・シグナル・プロセッサ(DSP)、画像処理までのデジタルカメラの内部構造が完全ブラックボックス化してあるのが大きな強みになっている。それ以外のカメラ本体の外部インターフェースのみ国際標準化して、韓国など他社による参入を認め、その大量生産効果で市場も拡大するが、インテルのケースと同様、日本のデジタルカメラメーカーはブラックボックス部分で利益をあげ、シェアも維持している、という。

「時代刺戟人」コラムの75回で「トヨタの品質検証どころではない、日本のモノづくりの危機」という問題を取り上げ、その際、カイゼンなどで品質管理に厳しかったトヨタでさえ「設計複雑化」という生産のカベにぶち当たり、日本のモノづくり企業の強みだった職人的な「すり合わせ」技術を駆使した生産が限界にきた可能性があること、しかも中国など新興経済諸国から「モジュール化(部品組み合わせ)」技術による簡単な生産手法によって凌駕(りょうが)されるリスクが強まってくる、と述べた点だ。日本のデジタルカメラと違って、自動車の場合、電気自動車という新たなモジュール化の進展で、これまでのすり合わせなどの強み部分が強みでなくなってくることに、どう対応するかだろう。「産業構造ビジョン」も、その点を危惧している。

日本のビジネス拠点インフラ、外国企業にとって魅力なしと映る
 このほか、「産業構造ビジョン」では日本企業を取り巻くビジネスインフラ、ある意味での産業の立地競争力では興味深いデータがある。外国企業の対日投資関心度調査の結果だが、2007年度と2年後の09年度の2回にわたる拠点機能別評価調査のうち、最初の07年度では、外国企業は日本に関してアジアの統括拠点、研究開発(R&D)拠点では1位をつけ、製造拠点、バックオフィス、物流拠点に関してはバックオフィスのも2位評価だった。それが2年後、何とその調査5項目すべてで中国が1位評価、日本はわずかに研究開発拠点のみ2位だった。何ともショッキングなデータだが、日本はあらゆるビジネスインフラ拠点機能に関して、いまやアジアの中核拠点としての競争力を急激に失った、ということになる。

それ以外に「産業構造ビジョン」は、外国企業がここ数年、日本市場に魅力が薄れたとして高付加価値拠点を求めて日本から離脱しシンガポールや上海など他のアジア地域に移転している事例を紹介している。その問題点としては、日本での法人税率の高さ、税負担の大きさ、空港や港湾など物流インフラの弱さ、グローバルなビジネス競争などに勝ち抜ける日本人の人材競争力のなさ、規制が多くて魅力の乏しい日本の金融市場などがある、という。

日本政府は米国のベンチャー企業成功事例を参考に新産業育成案を
 これ以外に冒頭の原子力発電や水プロジェクトといったインフラ関連産業、ファッションなどソフトパワー的な文化産業、ロボットなどの先端分野産業といった戦略産業5分野の話をすべきだが、ご関心の向きはぜひ、「産業構造ビジョン」を一読されたらいい。

ただ、私は、日本の産業や企業にさまざまな課題があると考えるが、同時に、米国のグーグルなどのように彗星のごとく登場したベンチャー企業があっという間にグローバル企業になっていく状況を見るにつけ、米国政府の規制の柔軟さなども背景にあるのでないかと考える。経済産業省が産業政策の重要性をアピールするのもわかるが、新しい企業、産業が育つ土壌、インフラづくり、そして規制の緩和なども必要のように思う。いかがだろうか。

ユニクロ、楽天の社内公用語の英語化は賛成、いよいよ世界と本気で競争? マネージメントはグローバル対応で必須、しかし日本人社員への義務付け不要

 やっと日本企業もグローバル対応で危機意識が芽生え、世界と本気で競争する気になってきた感じがする。というのは、ユニクロが代名詞のカジュアル衣料品大手ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が最近、毎日新聞とのインタビューで、2012年3月から社内の公用語を英語にする方針を表明したからだ。楽天の三木谷浩史社長は今年5月、社内での英語公用化に向けて朝会という社内の集まりでの英語コミュニケーションに踏み切ったと述べている。カルロス・ゴーン社長が経営トップの日産自動車もすでに英語の公用語化に踏み切っている。グローバル化にエンジンがかかり始めた、といったところだが、これをきっかけに、日本企業には言語コミュニケーションにとどまらず、マネージメント人材に関しても踏み込んだ国際人材の活用を期待したい。

マネージメントは英語でのタフな交渉、素早い経営判断のためにも重要
 私のこの問題に関するポジションは、はっきりしている。日本企業のグローバル化対応という点では、遅きに失したぐらいだと思っている。とくに世界をにらんだ経営に責任を負うマネージメントは、英語を積極的にコミュニケーション手段の1つにすべきだ、と思う。その際、マネージメントは当然、海外でのタフな交渉事に毅然として対応できるように、英語でのコミュニケーション能力を持つことはもとよりだが、取締役会を含めて公的な会議などに関しても、英語で素早く問題の本質を読み取る能力、経営判断を下せる能力を発揮できるようにすべきだ。

ただし、海外の現地法人でのコミュニケーションは現地化対応が必要で、日本人社員といえども英語の公用語化は当然だが、こと日本国内では、すべての日本人社員に英語のコミュニケーションを義務付けたりする必要はない。日本語と英語の併用、つまり社内の公用語はバイリンガルにして、外国人社員がいる場合にのみ、英語でコミュニケーションが出来るようにフレキシブルにすればいい。

ロイター日本法人での編集会議はフレキシブルに英語、日本語で対応
 話のとっかかりとして、私の経験を申し上げよう。第68回の「時代刺戟人」コラムで、日本の新聞社は生き残りを賭けた厳しい競争にさらされるので、部数拡張競争に走るのではなくて、調査報道はじめ、クオリティペーパーに脱皮するチャンスだ、と書いた際、私が毎日新聞からロイター通信に転職した時の経験を書いている。その転職先はロイター通信の日本法人であったため、社内の公用語は英語と日本語だった。

編集局での会議は日本人社員だけの場合、会議をスムーズに、かつスピーディーに進めるため日本語で十分だったが、外国人が1人でも加わっている場合には当然ながら英語でコミュニケーションした。転職当時の私の英語能力は切っ先鋭く議論を闘わすというにはほど遠い状態で、錆びついていた英語のブラッシュアップに必死だった。それでも周囲は外国人が多く、英語で議論する機会も多く、自然に物事の発想の違い、文化の違いを学んだ。
面白かったのは、マカオでアジア各国の編集や取材にかかわる中堅記者の研修に参加した際、サラダ・ボウルという形で、さまざまなテーマに関して議論した時のことだ。ある日、砂漠に航空機が不時着し救援を求めるにはどう対応すべきか、危機管理をめぐる議論ゲームがあった。20キロ離れた村に助けを求めるため、1人の乗客が全員の代表の形で出かける際、3つの道具だけ持っていけるようにする。護身用のナイフや拳銃、延命のための水筒、そして鏡、コンパス、寝袋、防水コートなど数多くの中から何を3つ選ぶか、というものだった。結論は別にして、15人ほどのアジア各国に常駐する多国籍の記者が好き勝手にリスク対応に関して共通言語の英語で意見を述べ合う。いろいろな意見が出て、本当に面白かったが、英語という共通のコミュニケーション手段の重要性を感じた。

ユニクロは英語の公用語化だけでなく給与体系も一元化、新規採用も多国籍化
 冒頭のファーストリテイリングの柳井正会長兼社長はインタビューの中で、日本は人口減少などでいずれ市場規模が頭打ちになり、そのためにも海外出店を加速させていくが、その際、日本の企業が世界企業として生き残るため、英語を社内公用語にすること、さらに幹部社員の給与体系も世界で統一し、店長クラスの海外異動を日常化させること、新入社員採用に関しても2011年度に予定の600人の半数、12年は1000人の3分の2、13年は1500人の4分の3を外国人にする計画だ、と述べている。
数年後にはユニクロのブランドは世界ブランドになるのは間違いない。かつて米国人の子どもたちがエレクトロニクスのソニーは米国企業だと思っていた、という話を聞いて苦笑いしたことがあるが、それと同じで日本企業のグローバル展開が英語の社内公用語化することをきっかけに一気に進む可能性がある、ということだ。

楽天の三木谷社長「日本だけでやっていたら5年はいいが、20年先は暗い」
 楽天の三木谷社長も6月21日号の日経ビジネス誌のインタビューで、かなり大胆に述べている。興味深いので、少し引用させていただこう。「外国人は(社員に)入れないが、うちのつくったものは買えというのは、今後通用しない。世界の人を受け入れていかなくちゃいけない。偉そうかもしれないけれど、楽天という会社が、まずは(手本を)見せてやろうと思っている。そのための社内公用語の英語化だ。いろいろ悩んでいる中で、ふと思った。英語はMUSTだってね」と。
また、こうも述べている。「台湾やタイ、中国、米国、インドネシアと国際展開を始めて、いろんな国に行ってみた。そこに広がる風景は10年前に見た風景じゃない。このスピードこそ、ネットの力だと思った。(中略)楽天市場への出店者に対しても、世界で売れと言っている。日本だけでやっていたら、5年ぐらいはいいかもしれないが、20年先を見たら極めて暗い」とも。

ブログでは「グローバル化はアメリカ化?」「日本語禁止は日本語狩り」の声も
 私も柳井さんや三木谷さんの問題意識に対しては、まったく異存ない。ところがインターネット上のGOO ブログ・ランダムという発言広場で、たまたま楽天の英語公用語化の問題をめぐって賛否両論の意見が出ていた。そのうち、思わず笑ってしまったのは「『グローバル化=英語化』とか、たかが言語で問題が解決すると思うなんて、まさに楽天的」といったものだ。このほか「社内公用語化=英語とは日本語禁止?日本語狩りではありません。日本人の開発メンバー同士でブレーンストーミングやる時は日本語でいいんです。途中でインド人が参入してきたら英語で話せばいい」、さらに「グローバル化がアメリカ化なのかという話は、ここではどうでもよく、むしろ、いま日本は、お尻に火がついているんじゃないの?という感じです。海外市場を重視しないと、日本市場だけじゃ成長に限界があります。その時に、日本語しかしゃべれない人ばかりじゃ優秀な海外人材は入ってこない、という話であって、そこにはアメリカ化の論理は入ってこないと思います」など。ブログはさまざまな意見があって面白い。

経済産業省が最近出した「平成22年版通商白書」では、日本はグローバル化に際して海外の活力を取り込むことが重要とし、「双方向の人の交流の活発化」「高度人材の交流を作り出し活用」を指摘している。

日本企業は社内のさまざまな制度をグローバル化に対応して再設計を
 私は、日本企業は今後、グローバル化への対応に関しては、もっと踏み込んで、たとえば企業自体の社内制度設計を抜本的に変える取組みが必要だと思っている。その点ではユニクロの柳井さんが述べている英語の社内公用語化、給与体系の一元化、さらに新入社員に外国人採用の比率アップにとどまらず、たとえばグローバル展開する企業としては給与体系の一元化に関連する人事評価システム、さらには企業年金、福利厚生などさまざまな社内システムを限りなく、その企業の枠組みでグローバル化に耐えるようにすることだ。

また、三菱商事のようなグローバル展開する大手商社などに言えることだが、これまでのような東京を起点にして日本企業の海外進出、海外ビジネス展開に付随したビジネスを行うのではなく、むしろ今後は、たとえば中国の場合、中国の巨大な国内市場でのビジネス展開を視野に中国現地法人を本格的に立ち上げ、中国人を経営トップに起用して権限もどんどん与える、といった具合だ。役員人事のみならず、さまざまな社内制度の再設計、端的にはグローバル化に対応した制度設計が必要にすべきだ、と申し上げたい。
そんな矢先、日本経済新聞の6月29日付朝刊で、コマツが2012年までに、中国にある主要子会社16社の経営トップ全員を中国人にする方針を決めた、と報じていた。コマツには確認していないが、報道どおりであれば、コマツのグローバル対応に拍手を送りたい。日本中心の、日本だけのマネージメント・システムにこだわっていては、日本は世界市場から取り残されてしまう。

世の中の空気が読めない(KY)日本相撲協会、大相撲改革はまだ途上 一般企業ならばとっくに破たん、公益法人として擁護されている自覚が必要

暴力団がからむ野球賭博に大相撲力士や親方が深く関与していた問題で、日本相撲協会 の武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)は7月5日のNHK特集番組「大相撲は変われるのか」で「戦後最大の危機と感じている。存続できるかどうかの瀬戸際にあり外部の方々の力を借りて対策に取り組みたい」と頭を下げた。しかし暴力団がらみの事件は過去にも多々あったし、それ以外に八百長疑惑の問題、時津風部屋での力士暴行致死事件、横綱朝青龍の暴行事件など枚挙にいとまがない。要は今回が初めてのことではないのだ。それだけに日本相撲協会は世の中の空気が読めない(KY)特殊な事業組織だと言われ続けないように、今度こそ大相撲改革に取り組んでほしい。

私自身、大相撲とも縁がある。大好きというほどではないにしても、本場所を何度か見に行って土俵での迫力に圧倒されたことが多い。そのうえ朝稽古も見るチャンスがたびたびあって、大相撲の面白さを見ている。とくに今回解雇になった大関琴光喜がいた佐渡ケ嶽部屋の朝稽古を以前、見に行って、なかなか興味深かった。それだけに、今回のような事件は残念で仕方がない。
ただ、ジャーナリストの立場で言えば、日本相撲協会は国技の担い手の公益法人として、法人税など税制面で優遇されているだけに、国民感情からしても、ガバナンス(組織統治)機能が厳しく求められて当然で、甘えは許されない。何でも「ごっつあんです」に代表される規律のなさ、あいまいさ、透明性の欠如は今や改めねばならない。出直し改革は至上命題と思うのだ。

作家の野坂さんは「矛盾抱えたまま国技の美名に甘んじてきた」と批判
 作家の野坂昭如さんが毎日新聞に連載中の「七転び八起き」83回(7月3日掲載)で「相撲界の賭博」と題して、今回の問題に鋭く切り込んでいる。ぜひ、その一部を引用させていただこう。
「伝わる食べっぷり、飲みっぷりに感心。また小金(こがね)を持ったタニマチが何かを与えたり、飲み食いに連れ歩いても、あっさり、ごっつあんです、のみ。金(カネ)やモノに執着する世間一般から見れば実に豪快で、自分たちにはかなわない事柄を日々実行している力士は見ていて気分がいい」「だが、このたびの相撲界にまん延する悪習慣は犯罪である。特別な社会にはやくざはいる。相撲も特別という意味では同じ。虚の世界に生きるという点でいえば似ているし、結びつきやすい体質と言えるだろう」「世間も角界も矛盾を抱えたまま、国技という美名に甘んじてきたのではないか。国技というのなら、子どもたちが憧れてこそのこと。(中略)相撲を伝統ある国技として守っていくというのなら、まず子どもたちが楽しめるものでなければならない」

力士暴行死事件の影響か新弟子受検は1人、07年はゼロ、海外でも報道
 確かに、子どもたちの憧れのようなものがあってこそ、大相撲を支えてくれる人口の広がりが出てくるし、大相撲の将来にも期待が持てるのだろう。ところが、ここ数年のさまざまなスキャンダル、事件が子どもたちの興味をなくしているように思う。現に、時津風部屋での若い力士暴行致死事件は影響が大きかったようで、今年の新弟子検査では受検者はたった1人だった、という。2007年のゼロに次ぐ少なさだが、明らかにサッカーや野球などと違って、子どもたち、若者離れが着実に進行しているということだ。

海外の受け止め方もご紹介しておこう。7月6日付の読売新聞が報じたところによると、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「米国でのゴルフのタイガー・ウッズの不倫とほとんど同じ大騒ぎ。大相撲の野球賭博のニュースで、生放送の菅首相の記者会見などが脇に追いやられたほど」と取り上げ、米AP通信は「スモウ・レスリング、スキャンダルと取っ組み合い」と伝えた。また英BBC放送は「相撲界を襲ったスキャンダルの最新版となった」としたうえで、「東京のナイトクラブの外で男性を襲った疑惑に端を発した元横綱朝青龍の引退騒ぎなど、このスポーツの周辺には不透明さがまとわりつく」と報じている。日本の大相撲も、今や世界のスポーツとなった日本の柔道と並んで、大きな話題性をもって海外で受け止められていることは間違いない。

相撲協会理事会に外部の風を注入、議決権持つ外部理事を過半数に
 さて、いよいよ本題の大相撲改革の問題だ。結論から先に言えば、日本相撲協会の執行機関である理事会は、年寄株を持つ親方などの理事だけで意思決定する、というこれまでの仕組みを改め、まず相撲界出身の理事の数を大幅に減らすこと、同時に企業でいう社外取締役など外部の専門家、有識者を増やして議決に加わらせ、重要事項決定のキャスチング・ボートは外部理事が握るようにすることが基本だろう。こうすれば、まず外部の改革志向の風が入ってきて、ガバナンスも透明度も増すだろう。外の世界が何を求め、何を期待しているかなど無関係という、空気が読めない「KY」の風土をなくすことが重要だ。

7月4日の緊急理事会で、大嶽親方(元関脇貴闘力)と大関琴光喜の解雇処分はじめ疑惑力士の名古屋場所の出場停止、さらに一部の親方の謹慎を決め、同時に謹慎処分の武蔵川理事長の代行に外部理事の村山元東京高検検事長を決めた。しかし主要な新聞報道では、協会内部には理事長代行に外部理事を起用することに対して強い抵抗があり、放駒理事(元大関魁傑)案が根強かったようだ。監督官庁の文部科学省が外部理事を通じてテコ入れを図り、最終的には村山氏で決着がついた。しかし、これ1つとっても、相撲協会は閉鎖的で、古い保守体質が強く、まだまだ大相撲改革は道半ばという感じがする。その意味でも、外部の風を吹き込む理事会改革は最重要課題のように思う。

中島慶應大教授の「大相撲の経済学」が面白い、年寄株譲渡益に課税をと指摘
 次に一種の資産バブル化した年寄株の継承をめぐる資産譲渡問題だ。引退した力士が相撲協会に残るためには、この年寄株を取得しなくてはならないが、協会の65歳定年制のもとで高齢化が進んだ結果、定年までしがみつく親方が多い一方でケガなどの故障で若くして引退する力士が多いため、パイが一定、つまり数が決まっている年寄株をめぐっては需要超過になって、この年寄株の取引価格が大幅に上昇、引退の若手力士が2億円とも3億円ともいわれる高額の資金をどこからかかき集めてきて、必死に入手しようとするそうだ。
慶應大学の中島隆信教授の書かれた「大相撲の経済学」(ちくま文庫刊)が抜群に面白い。大相撲の社会を科学する対象にして、経済社会学的に分析されているのだが、この年寄株売買に伴い巨額の売買益が発生しているのに、譲渡所得税という形で納税する考えが希薄なのは問題だ、と指摘している。
興味深いので、少し引用させていただこう。「年寄名跡は力士の引退後30年間の生活を保障してくれる証書のようなものだから、立派な資産である。したがって、その売却益に税金が課せられることは常識と言える。ところがこの社会常識が角界では通用しない。相撲協会の公式見解では『年寄名跡は代々継承していくのがならわし』で、金銭で取引されるものではない、という。(中略)歌舞伎の名跡のように血筋という特殊資産が継承の絶対的条件となるケースと異なり、年寄名跡は基本的に同じ一門に属する力士ならば誰でも継承が可能である。すなわち、市場価値が存在する。それならば、受け渡しの際、価値に応じて(発生した譲渡益は)納税するのが当たり前である」と。

若い理事貴乃花らの大相撲改革案を積極検討し改革に取り組め
 優勝回数の多さ、それに現役横綱時代に大相撲人気を盛り上げた功績によって、貴乃花親方は例外的な一代限りの年寄株を得て、現在、理事になっているが、若さによる改革意識の強さからか、閉鎖的な相撲部屋の透明化、茶屋制度の改革、給与の年俸制などを相撲協会に提案しているそうだ。
とくに、相撲部屋改革に関しては、タニマチや後援会などの資金が不透明なうえ、財政悪化に付け込んで今回のような暴力団が巧みに利権狙いで入り込むリスクがあるため、サポーター制度や会員制度を考えているという。ところが、相撲協会の親方衆、幹部理事は、これら改革提案に対して権益が侵されると考えているのか、ノ―だという。
今回の問題は氷山の一角のようなもので、われわれがうかがい知れないところで、さまざまな病根がまだまだあるのかもしれない。しかし一般企業で、こんなドンブリ勘定の経営、ガバナンス・ゼロの経営などを行っていたら、マーケットなどから厳しき淘汰の対象になり経営破たんとなる。大相撲がこの機会に、いい伝統を維持しながら、大胆に改革に取組み、開かれた面白いスポーツになってほしい。いかがだろうか。

民主党の参院選敗因、消費税よりも10カ月間の政権評価でイエローカード 出口調査では消費税増税賛成が多い、自民党リベラルとの連携にチャレンジも

参院選での民主党の大敗は、選挙前のメディア世論調査での予測を超えるもので、ここまで有権者の厳しい審判が下されたかと驚きだ。菅直人首相は選挙直後の7月12日未明の記者会見で、消費税の説明不足だったことを理由にした。確かに、消費税増税に関して、菅首相が民主党内手続きを踏まず唐突に持ち出したうえ、遊説中での発言にブレがあって政治不信を誘ったことは事実。しかし選挙当日のメディアの出口調査では消費税増税そのものについては、有権者は絶対ノ―どころか賛成が意外に多かった。それに同じく消費税率10%引上げを選挙公約に打ち出した自民党は、民主党とは対照的に大勝している。これをどう見るかだ。

有権者は「期待半分・不安半分」の不安部分が増幅する政権の動きを問題視
 結論から先に申し上げよう。私に言わせれば、今回の参院選は、政権交代した民主党の10カ月間の政権評価がむしろポイントだった。そして有権者は、期待半分・不安半分でスタートした民主党政権の政策にちぐはぐさがあり、時には不安を増幅させる政治も目立ったと判断、そこで、ずばりイエローカードを突きつけ、このまま同じ政治姿勢を続けるようであれば、今度の衆院選総選挙ではレッドカードを出すぞ、というメッセージだった、と思っている。そう考えると、消費税増税問題そのものに対する有権者の意識が「今後の税率引上げはやむを得ない」「賛成だ」といった受け止め方にもかかわらず、民主党が大敗したのもうなずける、と考えられないだろうか。

過去の41回目コラム「新型インフルの感染防止の危機管理で失敗の研究を」で、私は「失敗の研究」を勧めている。過去のさまざまな事故事例を検証し、なぜその事故が起きたのか、現場のヒューマンエラーだったのか、それともエラーを引き起こす組織上の問題があったのかどうかなど、再発を防ぐため事例研究を行うものだ。私自身、NPO「失敗学会」メンバーとして、いろいろな分野の人たちと研究をしており、そこから得た手法だ。

「失敗の研究」で言えばヒューマンエラーよりも民主党の組織行動エラー
 今回の民主党大敗の事例研究に、その手法を当てはめた場合、どうなるだろうか。確かに、鳩山由紀夫前首相、小沢一郎前民主党幹事長の辞任を評価した世論調査で内閣支持率が一気にV字型回復したにもかかわらず、今回の大敗に至ったことを考え合わせれば、菅首相の唐突な消費税率引上げ、それも「自民党案を参考に」といった形で何の議論もなしに税率10%引上げを持ち出した点にヒューマンエラーがあったことは事実。しかし、そのエラーを招いた民主党の組織の体質、組織行動に、もっと問題があり、それらの問題解明と対策に素早く手が打たれなければ、再発する恐れがある、と私は考えている。
端的には鳩山前首相の沖縄普天間基地の移設問題での稚拙な政治手法によって、県外移転を信じてしまった沖縄県民を裏切る結果になったばかりか、小沢前幹事長らの政治とカネの問題の疑惑解明に及び腰だったこと、脱官僚政治や公務員制度改革を大きく掲げながら官僚の天下り禁止問題への対応の後退など言行不一致があったこと、さらには農業の戸別所得補償、子ども手当など家計支援の経済政策もわからないわけでないが、財源確保のめどがないまま政策実行する危うさ、結果として国債増発で財政赤字拡大を引き起こしかねなかったことーーなどが組織行動エラーの部分だ。

朝日新聞・星さんは「民主党の『規律なき体質』が露呈した10カ月だった」と指摘
 私の友人の朝日新聞政治担当編集委員、星浩さんが7月13日付の朝日新聞朝刊「民主党の挫折の先」という企画で、「甘えの政治に決別を」という見出しでポイントをつく指摘をされている。少し引用させていただこう。
「今年度予算の92兆円のうち44兆円が借金だった。膨れる国債残高を減らすメドはたっていない。7兆円規模の無駄を『簡単に割れる』と豪語していたのに、実際は遠く及ばなかった。民主党の現状を見れば、子ども手当をもらっても、国民が『不安になる』のは無理ない」と。この不安とは、もらっている人がいずれ将来、自分たちに財政赤字のツケ回しになって帰ってくると見ているからだ、というわけだ。
さらに星さんは「鳩山由紀夫、小沢一郎両氏の資金疑惑も『辞任で不問』だ。かつては自民党のスキャンダルを執ように追及していたのに、今は身内に甘い。民主党の『規律なき体質』が次々と露呈した10カ月だった。そうした中で菅直人首相が突然持ち出した消費税増税。税金が規律なき政治につぎ込まれることを国民が容認するはずがなかった」と。

政治のねじれ現象はもうたくさん、3年前の党利党略による政治空白は最悪
 この参院選の結果、再び3年前の衆院、参院のねじれ現象が起きることになった。しかし政治のねじれ現象はもうたくさんだ。3年前を思い起こしてほしい。党利党略の政治行動で、日本の政治空白が続き、国会の空転が続いた。しかし日本の周辺地域のアジアで地殻変動が起きている時に、日本の政治が一段と内向きになってしまったら、いったいどうなるのか、日本という国は国内政争に明け暮れてダメな国と烙印を押されかねない。政治家の責任はぐんと重くなってきた。
現実問題として、民主党は負けすぎたために、参院での過半数勢力確保のためには野党との連立の再構築が必要になる。7月13日付の読売新聞が報じたところでは、「菅首相は、与党が過半数割れしたことを受けて、公明党とみんなの党に対し、国会運営での連携を求めていく方針を固めた。首相が12日、周辺に伝えた」という。しかし参院に19議席を持つ公明党は自民党と選挙協力し合った間柄で、にわかに政権党にすり寄る節操のなさを見せるかどうか、またみんなの党も今回の選挙で無党派層の支持をとりつけ11議席を確保したとはいえ、消費税増税に関しては全く反対の立場にあり、政策の部分提携を含めて連携があり得るかどうかだ。

自民党リベラルも党勢弱まっていれば政策連携に耳を傾けたが、現状は厳しい?
 それよりも、こういった異常な政治状況になり、政治そのものが閉そく状況に陥った事態の打開策として、異例中の異例だが、民主党は自民党のリベラル派勢力、端的には加藤紘一元自民党幹事長らに働きかけて、政策連携を通じて、政界再編成につなげるアクションをとるのも一案かな、と私も考えるようになった。とくに、今回の消費税増税問題では菅首相、仙谷由人官房長官、玄葉光一郎内閣府特命担当相らは将来の社会保障財源確保、財政健全化などのために必要との立場で、自民党のリベラル派、マクロ政策重視派の加藤氏らとは同調できる立場にある。
ただ、加藤元幹事長につながる自民党リベラルの中には谷垣禎一現自民党総裁もいるが、谷垣氏自身は今回、自民党大勝で総裁ポスト留任となったので、その職席上、民主党との政策連携に踏み出せるかどうか、極めて難しい。ましてや安倍晋三元首相ら保守派とは民主党現政権は相容れない。同時に、民主党内部でも小沢氏は参院選期間中に「鳩山政権時代に、衆院任期満了までの4年間は消費税率引上げはやらない、と政治公約に掲げたのに、それをホゴにするのは有権者への裏切りだ」と手厳しく批判しており、自民党の一部と消費税増税で政策連携には応じない、といった難しい問題もあるのは確かだ。
ある民主党幹部は「今回の参院選で、民主党がそこそこの勝利をおさめ、逆に自民党が低迷状態だったら、民主党側から、共通の政策部分で連携はどうか、といった働きかけもあり得たが、ここまで大敗してしまうと、自民党を含めた野党側からすれば、解散総選挙に追い込んで一気に政権奪還という行動に移すのが現実的だ」と述べている。

出口調査で消費税増税に過半数が賛成だが、デフレ脱却やムダ歳出削減が先
ところで、今回の参院選で過去にないことが起きたのは、言うまでもなく選挙期間中の増税提案、とくに消費税率引上げは政治的にタブーだったのが、今回、タブー視されなくなったことだ。とくに自民党が選挙公約で10%の消費税率引上げを大胆に掲げ、民主党も菅首相が「自民党案を参考に」と消費税増税に踏み込んだことだ。
それに冒頭に述べたとおり、メディアの出口調査では有権者の過半数が今後の消費税率引き上げについて「賛成」もしくは「やむを得ない」としていることは興味深い。具体的には読売新聞の出口調査で「近い将来、消費税率引上げが必要だ」と答えた有権者が全国で61%にのぼった、という。また朝日新聞の出口調査では必要派が49%、必要ないと答えた不要派が42%ときっ抗したが、東京都内という大都市地域に限定すると消費税増税必要は53%だった。また毎日新聞の出口調査では約60%が消費税率引上げに賛成だった、という。もちろん、私自身、この増税に関してはタイミングが重要で、引上げ前にデフレ脱却が最重要と考えるし、みんなの党が主張するように世論の納得を得るには増税前にしっかりとしたムダな歳出の削減が最重要だ、と思う。

メディアは内閣支持率調査の報道競争で、政治の政局化を期待? 参院選での世論調査の多さはやや異常、本当に「民意」や「世論」探れたか疑問

「エッ?まだ、7月参院選にこだわっているのか」と言われそうだが、今回の参院選でのメディアの世論調査をベースにした政治報道、選挙予測報道を振り返ってみて、私自身、メディアの現場に身を置いた人間の立場で言えば、ちょっとやり過ぎで、課題を残したと感じている。そこで、今回は何が課題だったか、問題提起してみたい。要は、内閣支持率などに関する世論調査の数が異常に多かっただけでなく、その調査結果が、さも民意や世論だと言う形で位置づけられ有権者の投票行動に少なからず影響を与えた。そればかりか政治を振り回してしまい、政治家自身が世論受けするポピュリズム政治に走り、いわゆる冷静な政策論議をどこか遠くに押しやってしまった感じがするのだ。

実は、メディアの世論調査報道のあり方に関して、私は同じような問題意識でもって、ちょうど1年前の37回コラムで、「小沢一郎民主党代表も辞任、世論調査結果が引き金?政治動かす世論調査はあり得るか、メディアの調査方法にさまざまな課題」といったテーマで取り上げている。

昨年も小沢民主党代表(当時)辞任時に「世論調査は政治動かすか」で問題提起
 この時の問題意識はこうだった。つまり小沢一郎民主党代表(当時)が、西松建設からの政治献金をめぐって公設第1秘書逮捕という異常事態になり、小沢氏は自身の去就が注目されながら、いつもの不透明な政治姿勢を変えず、政治不信が強まっていた。メディアが世論調査での世論の反発の高まりを背景に、小沢氏の政治姿勢を問う報道姿勢をとったところ、小沢氏が唐突に辞任表明し、緊急記者会見で「メディア批判の矛(ほこ)先の相手が私ということならば、私の辞任によって民主党内に不安定さがなくなり、総選挙に向け挙党一致で闘う態勢が出来上がることを願う」と述べた。
いま振り返ってみれば、政権交代選択の総選挙に向けて、緊急辞任というサプライズで、一気に民主党への世論支持を誘った巧みな政治演出だった気がするが、私は当時、メディアの世論調査結果が政治を動かすことがあり得るか、探ってみようと考えたのだ。とくにその際、世論調査という手法がどこまで民意や世論を探る上で本当に有効なのかも吟味した。

内閣支持率調査で政治を揺さぶるよりも、メディアは政策検証報道が主のはず
 今回のコラムでの問題意識は、当時とそれほど違いがない。ただ、今回の場合、メディアの政治報道は、まるで各新聞社、通信社、テレビ局が互いに競い合うように世論調査を行い、政治の現状を民意はどう捉えているかといった点よりも、はっきり言って、内閣の支持率は上がったのか下がったのかどうかという点に異常に集中した。前回のコラムでも少し言及したが、参院選の政治報道としては、政権交代した民主党政権の10カ月の中間決算や政治とカネの問題解明、沖縄普天間基地の移転の行方など、もっと問うべきテーマが多かったはず。メディアの政治報道としては、政策報道に力を注ぐべきなのに、内閣支持率報道に比重をかけ過ぎた。そればかりか半ば興味本位に取り上げるきらいもあった。
消費税率引き上げ問題でも、社説などの論調は将来の社会保障財源確保がらみなどでやむなし、あるいは必要と踏み込んでおきながら、その一方で、菅直人首相の消費税増税提案の唐突さ、それに発言のブレを不必要に問題視し、それを世論調査でフィルターにかけた。私に言わせれば、むしろメディアの報道姿勢として、2大政党の一極にある自民党の消費税率引上げと絡めて、政策の検証をする方に報道の主軸を置くべきだったように思う。

世論調査での消費税増税やむなし過半数を検証せず、首相発言ブレばかり問題視
 ところが実際には世論調査で首相の発言のブレをどう思うかといった形で質問をする。質問に答える側は当然、「それはおかしい」と答える確率が高く、現に、メディア報道では世論調査での消費税のブレ発言への反発をクローズアップする。しかしメディアの別の世論調査では消費税率引き上げに関して「やむを得ない」「必要だ」という回答が過半数を示している。
こういった時に、私ならば、首相の消費税率引上げは、自民党案を参考にとしながらも、なぜ10%税率なのか、使い道は何に考えての発言なのか、いますぐの税率引き上げではあり得ないにしても引上げのタイミングはいつなのか、世論はそれをどう受け止めるか、どういった使い道がベストと考えるか、低所得者の税負担の緩和や軽減策をどうすべきと考えるか、といった問題について、世論調査をもからめながら、大胆に企画などで政策検証を行う。
いずれにしてもメディアは世論調査結果の数字を報道して、政治の政局化を作り出したいと考えたのだろうか、と勘ぐってしまうほど、今回の内閣支持率をめぐる世論調査、それをもとにした政治報道過熱ぶりを見ていて、ちょっと異常じゃないかと思うほどだった。

松本埼玉大教授は「世論調査政局、世論調査民主主義は賞味期限切れ」と指摘
 たまたま7月15日に日本プレスセンターで、埼玉大教授の松本正生さんが「世論調査で見る参院選」というテーマで講演される機会があり、とても興味があり参加した。実は、この松本さんは、あるコラムで「あまりに煩雑に行われる世論調査に、国民も食傷気味になってきたのでないだろうか。『世論調査政局』や『世論調査民主主義』(という世論調査を使った政治報道)もそろそろ賞味期限を迎えてきた」と述べているのだ。世論調査がそろそろ賞味期限という発想は面白い。
確かに、世論調査での内閣支持率の数字が一気に20%を割り込み、10%台に入ると、歴代の自民党政権も内閣支持率の急落が国民の間でその内閣に対する不信を生んだと判断されたと見られ、自民党内部でも世論の支持を得ない首相がその座にあるのはふさわしくない、といった形で反対派から後継者擁立の動きが表面化して一気に政治が政局化するケースがあったのは記憶に新しい。そしてその後の国政選挙で自民党が敗退し、首相が引責辞任の形で退陣を余儀なくされるに至ったケースもある。メディアの政治報道姿勢としては、政権がさまざまな形で問われている時に、民意を探るために世論調査で動向を探り、たとえば内閣支持率が急落すれば、それはニュースとして報道せざるを得ない、という発想になるのだろう。しかし、各メディアとも他のライバルメディアとの見合いで過熱報道になるうちに、松本さんが指摘する「世論調査政局」になるリスクがあるのだ。松本さんはその講演の中で、「あるメディアの現場担当者の声として、世論調査が政治部記者のオモチャになっている、という現実もある」と述べていたが、なかなか意味深長な指摘だ。

峰久朝日新聞編集委員は「世論調査が反応調査、感情調査になっている」と指摘
 37回コラムで少し引用させていただいたが、昨年4月24日付の朝日新聞「選択の年 世論調査の質が問われる」というテーマでの座談会で、朝日新聞編集委員の峰久和哲さんが世論調査センター長時代の経験を参考に、今回の話にからむ指摘をされているので、再度、引用させていただこう。それによると、「民意の動向を測る上で世論調査が果たすべき役割はかつてなく重い。(中略)本来、世論調査で数字を出すべき世論には、問題意識を国民みんなで共有していること、その上で議論が行われていること、そのプロセスを経て多数意見が醸成されていることの3つが条件だ。だが、今は、そういうプロセスで世論形成されていないため、世論調査が単なる反応調査、感情調査になってしまっている。非常にお粗末な調査さえある。それでも『世論調査』として、まかり通るのは怖い」という。

その感情調査という表現で思い出した。今年7月10日付の毎日新聞「消費税選挙」と世論をテーマにした「ニュース争論」という座談会企画で、佐藤卓巳京都大准教授は「新聞やテレビに出る世論調査の結果を公的な多数意見と信じていいかどうか、むしろ消費税問題で言えば、世論調査結果の数字は好き嫌いの感情値にすぎない」と指摘し、同じように感情というくくりで、世論調査の数字をとらえている。

菅原東大准教授は「メディアは単純な世論調査数字をゆがめて報道」と批判
佐藤さんは、「輿論(よろん)と世論(せろん)」(新潮社刊)の著者で、その座談会では気分や空気が政治や国の方向づけになるものを左右するのは危険とし、そういった意味での『世論』よりも、むしろ意見を出し合って議論した結果出てくる『輿論』を大事にすべきだ、との持論を述べている。
同じ座談会で、もう1人のディベーター、東京大特任准教授の菅原琢さんは、メディアの政治報道問題について「メディアは政治の情報を有権者に伝える一方、世論調査という形で有権者の情報を政治に伝えようとしているが、実際には単純な数字を独り歩きさせ、情報をゆがめているのでないか」と述べている。
メディアの現場で取材していた立場で言えば、確かに新聞やテレビが報道の形で、世論調査結果がまさに民意であり、有権者の総意のようにエスカレートして報道してしまうと結果として、メディアが選挙の流れ、政治の流れをつくってしまいかねない。これは選挙期間中の報道姿勢としては問題のような気がしている。メディアの政治報道は世論調査数字を使っての政局報道よりも政策検証報道を優先すべきで、そういったテーマはいま、いっぱいあるはずと重ねて申し上げたい。