なぜ「異論」の出ない組織は間違うのか 大組織病にメス、宇田さん著書が面白い

今回は、以前から、ぜひ取り上げてみたいと思っていた問題をテーマにしたい。それは行政や企業の巨大組織にからむ問題だ。東京電力福島第1原発事故調査の国会事故調査委員会(国会事故調)でご一緒した調査統括リーダーの宇田左近さんがこのほど、「なぜ、『異論』の出ない組織は間違うのか」(PHP研究所刊)というテーマの本を出版され、わが意を得たり、という部分があった。そこで、その本で提起されている問題を軸に、日本の巨大組織に巣食う一種の病理ともいえる大組織病の問題を考えてみたい。

責任回避、前例踏襲、問題先送り、
現状維持の体質が大組織病の病理と分析

まず、宇田さんが本の冒頭部分で問題提起している点を少し引用させていただこう。
「組織に属する者として、自分自身も『聞いていない』『知らなかった』と言うことによって責任回避をしていないか。前例踏襲、先送りを当たり前のこととして受け入れてしまっていないか。社会的な責任よりも社内事情を優先していないか。もし問題を把握した時、自分ならどうするのか。その時、上司に異論を唱えられるのか。組織として、一方向に驀進している時に、自分自身を客観的に見ながら、『それは違うのではないか』と言えるだろうか」と。

この問題提起は、日本の巨大組織が抱える問題を考える際のポイント部分で実に鋭い。確かに、日本の巨大組織では図体の大きさが裏目に出て、そこに所属する人も、そして組織自体もリスクをとらず、前例踏襲や問題先送りをしてしまう。その結果、マンネリズムに陥って何も決まらない、何も動かない組織になってしまっている、という点がある。

宇田さんは米マッキンゼーの「異論を唱える義務」
ルール義務付けがカギと問題提起

宇田さんはそこで、かつて所属した米コンサルティング企業、マッキンゼーでの「異論を唱える義務」を参考事例に、大組織病解決のためのカギとなる問題提起を行っている。
ポイント部分はこうだ。マッキンゼーでは「集団思考の愚」に陥ることを避け、また多様な意見を取り入れながら前例踏襲に陥らず、課題をより立体的に捉えられるようにするため、各人に「異論を唱える義務」を課していた。「自由に意見を言っていい」のではなく、違うと思ったら相手の職位や年齢、年次に関係なく「言わなければならない」という規範があった、というのだ。米コンサルティング企業らしい発想だ、と言ってしまえば、それまでだが、企業組織自身が「異論を唱える」ことを義務づけるというのはすごいことだ。

率直に言って、私自身も経済ジャーナリストとして長年の取材の中で、わくわくして取材してみよう、ぜひ話を聞いてみたいといった意欲の湧かない行政組織や企業組織がかなりあった。当然ながら、面白くもないし興味もわかないので、自然と足も遠のく。ジャーナリストの好奇心を誘うような、アクティブな、存在感のある組織が多くなかった。

「国策民営」原発の事故対策は
民間に経営責任求めると同時に国も責任体制必要

その意味で、今回の原発再稼働に向けての動きの中で、優先課題として対応すべきなのは、「国策民営」の原発に関しては民間の電力会社に厳しい過酷事故対策を求めると同時に、国も防災対策、住民避難対策に関しては国が電力会社や自治体に任せず、国が最終責任を負うという新「5層の防御」体制を作り上げることだ。
なぜ、こんなことを申し上げるかと言えば、今回の川内原発に対する原子力規制委の田中俊一委員長が記者会見に関して、誰もが奇異に感じたことがあるからだ。それは、田中委員長が「新規制基準に適合していると判断した」と審査合格理由を述べながら、一方で、これによって川内原発再稼働に際して安全上の問題は確保されたのか、という質問に対しては「安全とは、私からは申し上げられない」と述べた点だ。

時代刺激人流には
「タテ割り巨大組織にヨコ串を刺す組織横断的な土壌づくり」

そこで、大組織病をなくして、組織をアクティブなものにするにはどうしたらいいかについて、私なりの結論を先に申し上げよう。
私は、タテ割りの巨大組織に、ヨコ串を刺して組織横断的な発想、行動がとれるようにすることだと思っている。場合によっては、ヨコ串がうまく機能するように、ユニークな新組織をつくることも必要だ。その場合、新組織には、できるだけ問題意識があって行動力のある人材を派遣し、自由な発想で、これまでのタテ割り組織では生み出せなかった新機軸を構築する。そのためには、組織のトップリーダーが、この新組織の動き、提案してきた新機軸を容認し、率先して方向付けすることだ。

私が、こういった問題提起をするのは、実は過去に成功モデルにかかわったからだ。かつて私が新聞記者として勤務した毎日新聞で、1970年代に政治部、経済部、社会部といった既存の編集局のタテ割り組織の殻を打ち破る新機軸を打ち出そうと、特別報道部を組織した。私が申し上げたタテ割り組織にヨコ串を刺す組織だ。当時、編集局の中核の政治部、経済部、社会部などから中堅の記者が新設の特別報道部に送り込まれた。そして、毎日新聞が独自にキャンペーンを張れるようなテーマを見つけ、それに向けて、特別報道部の名のもとに、編集局横断的に独自取材で記事を書いていこうというものだ。

かつて在籍の毎日新聞編集局で
組織横断的な特別報道部を新設して成功

私は新設から1年後に、経済部兼務のまま特別報道部へ移った。何がキャンペーンできるかいろいろ取材して回った結果、当時、急激な円高のもとで国際電話や航空運賃、輸入牛肉などの為替差益還元策を取り上げるのが面白いと考えた。ところがいずれのテーマとも、当事者の企業はもとよりだが、行政機関も深く関与していた。このため、為替差益の還元をどうするかをめぐる政策判断が問われ、旧郵政省、旧運輸省、旧農林水産省などの記者クラブ詰め記者との間で、テーマのカバーをめぐるバッティング調整が必要だった。

そこで、私は、これこそタテ割りの組織にヨコ串を刺して、組織横断的に取材し、円高下の為替差益を生活者、消費者還元するにはどうすればいいか、という切り口でキャンペーンを張るべきテーマだと主張した。中堅記者として、経済部の旧運輸省、旧農林水産省などの記者クラブ詰め担当者を現場ベースで説得し、経済部の了解もとりつけた。正直なところ、この部分で腰を引いてしまうと、何も変わらないため、当時は必死で対応した。

私は円高差益の還元策でキャンペーン、
記者クラブ制度に風穴も開け効果

早い話が、特別報道部で組織横断的に、この為替差益の還元問題を取り上げなければ、たとえば輸入牛肉の為替差益の還元に関して、当時の農林水産省は輸入元だった旧畜産振興事業団と連携して、差益還元は国内の畜産農家の競争力強化に使うべきだ、という姿勢でいた。農政担当の旧農林水産省記者クラブの担当者は記者クラブ制度に安住して、行政機関を代弁するようなことになりかねなかった。

特別報道部にいた私は、「取材する立ち位置が変わったから、というわけではないが、円高に伴う巨額の為替差益の還元策に関して、国民経済的にどういった使い道が正しいか、しっかりとルールづくりを考えるという意味で、キャンペーンテーマにすべきだ」と主張し、当時、さまざまな角度から記事を書いた。結果は、各行政機関にまたがる問題を組織横断的な切り口で取り上げ、円高差益の生活者への還元の重要性などをキャンペーンの形でアピールしたので反響もあった。

記者クラブ制度の弊害は取材先からのニュース確保優先、
結果的に行政官庁を代弁

当時も今も、日本のメディアは記者クラブ制度に安住している。取材先の行政機関から政策情報を得て、それをニュース仕立てにするため必死になる。私は、毎日新聞で経済部記者として、旧大蔵省(現財務省)詰めになった際、当時のキャップから「政官財一体の日本株式会社の重役たちの一角にいる大蔵省が何を考え、どうしようとしているか、95%の国民の立場で取材し記事を書くのだ。役所の代弁ではダメだ」と言われた。

駆け出し記者の私は、アドバイスに納得して取材したが、問題意識はしっかりしていたものの、日常の報道は代弁する結果でしかなかった。そんな思いもあったので、特別報道部新設は、タテ割りの組織の弊害をなくすだけでなく、記者クラブ制度にも風穴を開けることになると、内心、わくわくして取材に走り回ったのを憶えている。

宇田さんも「異論を唱える義務」
負った新組織をつくれとの問題提起

本題に戻ろう。宇田さんは本の結論部分で、こう述べている。
「対極の『異論を唱える義務』を負った組織を想定し、それが『集団思考型マインドセット』の組織とは異なる結果をもたらす」「前例のない新たな課題に取り組む時に、既存の行動様式に凝り固まった組織とは別に、新組織を組成できるかという問いかけだ。その組織は、可能性を持った若手あるいは多様性を持った人材にとって、自らの力を発揮できるまたとない機会でもあり、挑戦の場ともなる」という。

私が申し上げた毎日新聞の特別報道部の新設と同じ問題意識だ。うまくすれば、タテ割り組織にクサビを打つ形でヨコ串を刺した特別報道部のような組織が、他の巨大組織などにつくられれば、シュンペーター流の創造的破壊、企業革新につながるかもしれない。

「経営トップが新組織創出の重要性を十分に理解すること必要」
と宇田さんは指摘

宇田さんはその際、「経営トップあるいは全体の最終責任者が、この環境創出の重要性を十分に理解している必要がある。そもそもトップが自分の考えに反論を許さない環境では実現は難しい。公的機関あるいは官僚組織などでも、年次が上の人間が、この重要性を本当に理解できない限り、いくら実現を図ろうとしても難しい」と述べている。

しかし宇田さんはその著書の中で、私が申し上げたタテ割りの組織にヨコ串を刺す新組織に関して「この環境創出には、それを周到にデザインする能力と稼働させていくプロジェクトマネジメントのできるリーダーもまた必要となる。組織のトップの決断によって一度動き出せば、その環境を経験した人たちから、その重要性が語られることによって、急速に組織内に拡大していくはずだ」と述べている。そのとおりだと思う。

国会事故調が「異論を唱える義務」負った組織だった、
今後も必要に応じ似た組織を

最後になってしまったが、実は、宇田さんが「なぜ、『異論』の出ない組織は間違うのか」という本で最もアピールしたかったことが、もう1つある、ということを申し上げたい。その点は、私も100%同感だと」思っている点だ。
具体的に申し上げよう。宇田さんは著書の中で、「東電原発事故調査を行った国会事故調が憲政史上初めて、国民の代表である国会に、行政府から独立し、法的に調査権を付与された、民間人からなる調査委員会として設立された。これは言い換えれば、国会事故調が、立法府の国会から、原子力問題に関して、行政を監視し、政府から独立した立場で『異論を唱える義務』を果たす付託を得ていたとも考えられる」と述べている点だ。

国会事故調は、原因究明や真相解明の調査を踏まえて、2012年7月に、衆参両院議長あてに報告書を提出し7つの提言を行った。これまでのコラムで、国会がその報告書をしっかりと受け止めずにいる点を問題視してきた。この点は、世界中に、日本の原発事故の教訓をしっかりと伝えるためにもプッシュすべき問題だが、宇田さんは著書の中で、次のように指摘している。
「報告書の提言で、国民生活に大きな影響のあるような案件に関しては、国会主導で第2、第3の国会事故調のような独立した委員会で議論をし、何らかの提案をしてほしいということが述べられている。(中略)今後、もしもこのような調査委員会が設置される場合には、異論を唱えるための具体的な仕組みについて、(私の問題提起が)よりよい形で反映されることを望みたい」と述べている。
私はさらに、その点に踏み込んで申し上げたい。立法府の国会が行政府を監視するための新たな独立の組織を、たとえば医療制度改革やアベノミクスのマクロ経済政策検証のための組織として設置することが必要だと思う。

川内原発再稼働前にもっとやることある 「5層の防御」策で「安全の証明」が先決

九州電力の川内原子力発電所(原発)1、2号機が国の原子力規制委員会の新規制基準に適合した、とのアナウンスが7月16日にあったのはご存じだろう。これをきっかけに安倍政権は、原発再稼働に向けてぐんと舵を切った。安倍首相がかねてから原子力規制委の安全基準について、東京電力福島第1原発事故の教訓を踏まえた「世界最高水準の安全規制」と述べており、このハードルがクリアとなれば、政権としては、あとは原発立地自治体、住民の最終判断を待つのみだ、と前傾姿勢でいるのは、ほぼ間違いない。

「新規制基準に適合」は5層防御すべてに至らず、
法改正し国が避難対策で対応を

しかし私は、政府がこれまで安全対策上、封印してきた原発の再稼働に問題について、今回の川内原発問題をきっかけに踏み出す前に、もっとやることがある、と言いたい。
結論から先に申し上げよう。原子力規制委が下した「新基準に適合」は、国際原子力機関(IAEA)が原発事故防止のために多重防護安全策として求めた「5層の防御」のすべてに万全とはなっていないのだ。とくに第4層の過酷事故対策がまだ不十分、第5層の事故時に放射性物質が原発敷地外に漏れ出ないようにする防災対策、それに住民避難対策に至ってはもっと問題が多い。中でも住民避難対策は現行法上、自治体まかせになっていて財政負担が大きくて対応しきれないという自治体もあり、何とも危なっかしい状況だ。

そこで、私はこの際、国が法律改正して、第5層部分の原発事故に伴う防災対策や住民避難対策に関しては、自治体任せにせず、国が責任を持つことを明確にすべきだと言いたい。この点は極めて重要なポイントだ。原発再稼働前に誰もが納得する「安全の証明」が重要で、そのためにも国が前面に出て、多重防護安全策をすべてクリアすべきだ。

東電の官僚的な大組織病体質が
「第4層防御」の過酷事故対応を遅らせ事故に

私自身は、反原発の立場ではない。しかし、私は東電原発事故調査を行った国会事故調査委員会(当時、黒川清委員長)にチャンスがあって事務局にかかわった中で、東電のさまざまな現実、さらには事故が引き起こされた現実を知り、考えさせられた。
かつて毎日新聞の現役経済記者時代に取材対象だった東電は、さすがリーディングカンパニーという部分も多かったが、国会事故調の現場で東電に接した人たちの話を聞くと、東電は官僚以上に官僚的で、いわゆる民僚体質が強く、事故を引き起こした責任を感じてすべてをオープンにするというよりも、聞かれたこと以外は、いっさい答える必要なし、といった形で真相解明へのカベが厚かった、という。まさに大組織病体質だった。

これが高じて、原発事故の遠因となったのが、当初の想定以上の津波大予測が出ても、経営は問題を先送りし、結果的に原発稼働率維持を優先させて対策を講じなかったため、津波による全電源喪失に無防備となった。IAEAの「5層の防御」の第4層の過酷事故対策の遅れに帰する問題だ。

「国策民営」原発の事故対策は
民間に経営責任求めると同時に国も責任体制必要

その意味で、今回の原発再稼働に向けての動きの中で、優先課題として対応すべきなのは、「国策民営」の原発に関しては民間の電力会社に厳しい過酷事故対策を求めると同時に、国も防災対策、住民避難対策に関しては国が電力会社や自治体に任せず、国が最終責任を負うという新「5層の防御」体制を作り上げることだ。
なぜ、こんなことを申し上げるかと言えば、今回の川内原発に対する原子力規制委の田中俊一委員長が記者会見に関して、誰もが奇異に感じたことがあるからだ。それは、田中委員長が「新規制基準に適合していると判断した」と審査合格理由を述べながら、一方で、これによって川内原発再稼働に際して安全上の問題は確保されたのか、という質問に対しては「安全とは、私からは申し上げられない」と述べた点だ。

田中原子力規制委員長の
「安全とは、私から申し上げられない」との発言の真意

東電原発事故の教訓として、はっきりしたことは「原発は絶対に安全。事故など起きるはずがない」という絶対安全神話が無残にも崩れたこと、原発事故は今後、起きるものだという前提でさまざまな事故対策、安全確保対策をとるべきだということだった。
とはいうものの、原子力規制委がかなりの長期にわたって入念に審査した結果なのだから、誰もが当然、「安全のお墨付きを与えた」と思うのが当たり前だ。ところが、田中委員長が記者会見で「安全とは、私からは申し上げられない」という言い回しをしたので、じゃ、誰が安全を担保してくれるのだ、ということになりかねない。

当時、英字紙が海外に向けてどう報じたか、私なりにチェックしたところ、記事を日本語に訳せば、「原子力規制委が川内原発1、2号機に関して、東電原発事故の教訓をもとに設定した新安全基準に合致したので、安全との判断を下した」となっていた。原子力規制委として安全は確保されたとは断定できないが、一応、安全審査の基準を合格した、という意味不明な言い方では記事にできないから、英字紙としては、まず事実関係として「安全審査に合格」と書かざるを得なかったのだ。

田中委員長の歯切れの悪さは
「第5層の防御」対応に関与できない苛立ちが原因?

田中原子力規制委員長の歯切れの悪さは何にあるのか。それはIAEAが求めた多重防御の安全対策、つまり第5層の防災対策、住民避難対策に関して、原子力規制委が踏み込めないことに起因するのだ。すでにメディアが厳しく指摘している点だが、日本の場合、現行の災害対策基本法では原発事故に伴う防災対策、住民避難対策はすべて自治体の問題とされていて、今回の原子力規制委の審査からは対象外となっているのだ。このあたりがタテ割り組織の弊害のようなものだと言っていい。

原発事故を回避するための多重防御、深層防御と言われるIAEAの「5層の防御」は国際的にも共通のコンセンサスだ。この多重防御は、原発サイト内では原子炉の炉心に損傷や溶融などの重大事態に発展しないように地震や津波、さらに今回の川内原発で言えば火山爆発などへの防備対策を行うと同時に、非常用電源の確保などに万全を尽くすこと、もし原発事故が起きた場合、作業員の被ばくを避けるとともに放射性物質の外部への流出を防ぐこと、仮に外部への放射能の放出を余儀なくされた場合には周辺住民の避難対策を速やかに実施することなどだ。

米国では原子力規制委が原発事故対応の
防災、住民避難計画を規制対象に

国会事故調時代に私が知ったことだが、米国の場合、このIAEAの多重防御策への対応が原子力規制委、国、電力事業者などでしっかりと対応することが義務付けられている。とくに日本では自治体任せになっている原発事故時の住民避難対策に関しては、連邦政府機関が対応することになっている、際立っているのは、米原子力規制委(NRA)の役割部分で、原発事故など緊急時の防災計画、住民避難計画がすべて規制対象になっていることだ。
今回の川内原発審査でも、米原子力規制委ルールでいけば、田中委員長ら原子力規制委が最悪の事態にも十分に対応できる形になっているかどうかチェックし、そのOKが出ない限り原発再稼働も認めない、というのが米国のIAEA「5層の防御」対応なのだ。
田中委員長が今回の川内原発に関する記者会見で、原発再稼働判断について、「(電力)事業者、地域住民、政府の合意でなされる」と述べ、原子力規制委の機能は、安全絡みの適合基準を待たすものだったかどうかチェックするだけだと言外に、原発再稼働の判断までは責任を負う立場にない、という姿勢を見せたが、ここが米国との決定的な差だ。

日本がタテ割り組織の弊害で法改正困難ならば
立法府がアクション起こせばいい

そこで、私が冒頭に申し上げた第5層の原発事故に対応する防災計画、住民避難計画に関して、自治体任せを止めて、国が前面に出て、国主導で対応できるように災害対策基本法を改正することがポイントになる。同時に、原子力規制委員会設置法も、これに合わせて見直しを行い、米国のケースのように、原発稼働もしくは再稼働にあたって、原発事故など緊急時の防災計画、住民避難計画がすべて規制対象にする、というふうに改正することも重要だ。
これらの点をめぐっては、行政の縦割り組織の弊害で、何も事態が動かない、といった最悪の道に至るリスクがある。そこで、申し上げたい。立法府の出番があるではないかと。要は議員立法で法改正に踏み出せばいいのだ。

立法府は未だに行政監視機能を果たせずにいるのは問題、
議員立法で法改正を

私は、国会事故調にかかわった関係で、国会議員の東電原発事故調査の原因究明、その後のフォローアップに関して、つぶさに見てきたが、結論から先に申し上げれば、立法府の行政府監視機能が十分に機能していないことだ。
衆参両院は2011年秋に政府事故調や東電事故調のような内部調査では東電原発事故の真相解明に至らないとし、国会が憲政史上初めて、政府や電力事業者から独立した調査機関をつくるべしと、全会一致で国会事故調法にもとづき立ち上げた。当時、国会で主導的役割を果たした塩崎恭久自民党代議士が「立法府が国会事故調をきっかけに今後、行政府監視機能を高めていく」と豪語したのを今でも鮮明に憶えている。あの発言はどうなったかと問いたい。

自民党の塩崎政調会長代理は
「第5層の防御」策に積極対応を

その塩崎氏は、現在、自民党政務調査会(政調)会長代理という、自民党サイドの政策立案決定組織のNO2という要職にある。たまたま塩崎氏が7月17日付朝刊の日経新聞の「原子力規制委安全審査のあり方は」という企画でインタビューに応えて述べた部分があるので、引用させていただこう。
塩崎氏は、原発事故に対応する住民の避難計画づくりが自治体任せで、国の関与が乏しい、という批判をどう受け止めるかとの点について、こう述べている。「(米国の積極対応に比べて)日本では自治体任せの色合いが濃く、国の対応が不十分だ。2年前に規制委を設置する法案をつくった際、原発そのものの安全性を確保する仕組みづくりに精いっぱいで余裕がなかった。国の関与を強化する政府での検討作業もあまり進んでおらず残念だ」と。
失礼ながら、塩崎氏は、国会事故調立ち上げで与野党を引っ張り込んで全会一致で国会事故調を立ち上げ、その後も立法府の行政監視を声高に主張してきたのだから、第5層の防御策に関する国の関与に関して、他人事のような言い方をせずに、立法府主導で、端的には議員立法で法改正に踏み出すべきだ。

アジアで日本は何もせず口ばかり「NATO」と言われている、
国会は毅然と対応を

今、新興アジアの現場で、日本が何と言われているかご存じだろうか。最近、東南アジアから帰国した友人の話に思わず苦笑してしまったが、日本はNATOで、ライバル視する中国、韓国に比べて対応が遅すぎる、というのだ。このNATOは、欧州の北大西洋条約機構とは無関係で、「NO ACTION TALKING ONLY(実行が伴わず、口だけ)」ということだ。アジアの現場にいる日本人は、ビジネスチャンスが多いのに、官僚組織も企業も東京におうかがいをたて、会議、会議の連続で、なかなか結論を出さない、と、アジアの人たちは見ているのだ。国会はこの時こそ、原発対応で毅然とすべきだ。

日本農業の先進モデル事例第3弾 建設業からの参入成功は工程管理

 過去2回、連続して「時代刺激人」コラムで、私がジャーナリスト目線で見た日本農業の先進モデル事例はこれだ、と兵庫県姫路市の衣笠さん、そして宮城県仙台市の針生さんの2人のケースをご紹介した。共通しているのは、2人とも農業を株式会社化して、鋭い経営感覚で、しかも独自のビジネスモデルで農業は間違いなく成長産業になる、という信念のもとに経営にあたって成功している点だった。
うれしいことに、読んでくださったいろいろな方々から「こういった人たちに日本農業を託したい」「農業の現場でも頼もしい人たちがいて、日本農業に期待が持てる」といったリアクションをいただいた。そこで、これに気をよくしたから、というわけではないが、あともう1人だけ取り上げたい。さしずめジャーナリストが見立てた日本農業の先進モデル事例第3弾だ。

高山の和仁農園社長和仁さん、
経営管理手法が奏功しうまいコメづくりで連続受賞

今回の事例は、岐阜県高山市の中山間地域で建設業を経営する一方で、農業に参入して見事に成功した株式会社和仁農園社長の和仁松男さんだ。私がいろいろ取材して、この人はすごい、と感じたのは、農業の現場に工程管理、原価管理、品質管理など管理手法を積極的に導入し、それをベースにうまいコメづくりにチャレンジ、試行錯誤を経て、ついに全国食味コンクールで5年連続トップランクの成績をあげたことだ。異業種の建設業から農業に参入し、短期間でプロの稲作専業農家顔負けの農業実績は見事というほかない。

異業種からの企業の農業参入は最近になって、大手スーパーやコンビニ、外食産業が市場流通ルートとは別に新鮮野菜を確保するのだ、と傘下に独自にアグリビジネスの企業を立ち上げての農業参入ケースが出てきて、そう珍しいことではない。しかし和仁さんの場合、農業経営のロジックがしっかりしているうえ、農業でのモノづくりへの取り組みに信念とロマンを持っている点が違うのだ。

農業参入のきっかけは苦境の建設業立て直しと
耕作放棄地の活用支援依頼

和仁さんの場合は2000年ごろ、デフレ長期化で公共事業が減少し、本体の和仁建設の仕事量が減って社員のリストラなどの経営改善を求められたのがきっかけだ。 和仁建設では当時、65歳定年制を導入していたものの、技能を生かして勤めたいなら終身雇用するという経営方針だったため、新規事業に進出して仕事量を増やすしかなかった。そんな中で、地域の兼業農家などの高齢化が進んで耕作放棄地が増え始め「うちの農地を何とかしてくれないか」という耕作依頼が多く、見るに見かねて引き受けざるを得なくなり、農業に参入した、という。

耕作放棄地での農業生産実績あっても
農業者認定まで時間、10年目でやっと参入

ところが、和仁さんによると建設業からの農業参入と言っても参入障壁があり、すぐには無理で、当初は地域内の耕作放棄地の再生や耕作の受託のような形だった。2005年にリース特区による特定法人への認定をめざして事業展開したが、耕作放棄地以外への、いわゆる農業生産できる優良農地への法人参入がなかなか認めてもらえず、規制のカベに苦しんだ。

そうした中で、農業生産への取り組みなど実績が認められ、和仁社長や和仁農園が認定農業者の資格を得て、やっと本格参入が可能になった。参入決意して10年目のことだ。いま、アベノミクスの経済成長戦略の中で農協制度改革を含めた農業の規制改革の方向付けが進んでいるが、規制のカベは農業の現場では本当に岩盤に等しいものだった。

和仁さん「耕作依頼で支援仰ぎながら、
一方で企業参入を警戒して規制は矛盾」

和仁さんは、農業参入を考えてから約10年たった2009年に農業生産法人で株式会社形態の和仁農園を立ち上げた。そして翌2010年に和仁農園が認定農業者と認められたので、やっと本格事業展開を始めることが出来たのだ。

「耕作放棄地での耕作実績があるのに、認定農業者の資格を得ないと、自前の農業に取り組めないというのはおかしな話だと、当時思いました。私たちがいる飛騨高山の中山間地域で、現実問題として、高齢化などで生産の担い手がいなくなり、耕作放棄地が増えて、私たちに耕作の委託などで支援を仰ぐ現実があるのに、いざ企業の農業参入となると、資本の論理で農地を食い散らかすのでないか、と規制を加えて、競争を制限するというのは明らかに矛盾です」と和仁さんは言う。

土木工事手法を活用した工程や
原価などコスト、品質、安全の管理を積極導入

さて、ここから、和仁さんの農業経営手法のどういった点が、日本農業の先進モデル事例にあたるかを申し上げよう。
和仁さんは、農業の現場で農業の強み、弱みを徹底して学習した。その結果、農業に経営管理手法、とくに土木工事の管理手法を使って、厳格に工程管理、コスト管理、品質管理、そして安全管理を農業の現場に取り入れたら、間違いなくうまくいくはずと実践し始めた。ここが企業経営に長年、携わってきた和仁さんの経営者らしい発想だ。

和仁さんによると、土木の工程管理手法の一つに頭(あたま)落としという作業の平準化を積極導入した。具体的には、ある膨大な作業量を5人で分担していかに効率的にやるかを考える管理手法で、水稲作付け作業の場合、時期的にさまざまな作業が集中するのを、この管理手法で効率的に時間配分、作業配分してロスをなくした、という。

売れるコメづくりに力点、味がよく高品質、
ブランド価値を優先、収量確保は二の次

次に和仁さんがポイントに置いたのは、コメづくりにあたって、買ってもらえるコメ、そして売れるコメは何かということだ。端的には食味を最優先にしたコメづくりで、日本国内の大半のコメ生産農家が収量を上げることに躍起になっているのに対して、むしろ味のいい、高品質のコメ、ブランド価値のあるコメの方が結果的に利益増につながる経営だというものだ。
そこで和仁さんは、さきほどの管理手法をもとに、既存のコメ生産農家が行う多収穫米、多収量米をめざす慣行農法とは一線を画した独自農法、言わば自立できる農業を必死で考えた。とくにコメの食味が増す、味のよさが出するのは、稲穂の出る出穂期の温度差が大きい方がよいというデータがあり、その時期を9月中旬に設定、刈取りも1か月遅い10月中旬とした。慣行農法だと17度、和仁農園の場合、21度の温度差だ。それに合わせて、逆算して作付け時期を慣行農法の5月中旬から1か月ずらして6月に田植えした。

コメの苗は種もみ段階から自社育苗、
有機堆肥づくりも、プロ顔負けの生産手法

加えて、和仁さんは、うまいコメづくりに向け自社での育苗にもこだわった。種もみの段階から自社育成し、タネは自然交配して劣化を防ぐため、塩水選という作業も導入した。  また、和仁さんは有機堆肥による土壌づくりもこだわり、高山市内の旅館20軒から出る生ごみ、豆腐屋のおから、米ぬかなどにオガ粉をまぜて発酵させ有機堆肥をつくっている。
これらの努力が実って、和仁農園のコメは、全国食味コンクールで5年連続入賞した。正確には全国米・食味分析鑑定コンクールという名称で、和仁農園は2007年度、08年度、10年度、11年度が総合金賞、2009年度が特別優秀賞を受賞で5年連続受賞だ。2012年度はダイヤモンド褒賞という功労者表彰で、今もチャレンジを続けているが、冒頭に申し上げたように異業種の建設業から農業に参入し、持ち前の経営感覚でプロのコメ生産農家を凌駕する品質評価の高いコメを作り出せる、というのはすごいことだ。

アベノミクス第3の矢の産業競争力はいま1つだが、
和仁さんら先進モデルに期待

政府のアベノミクス成長戦略は、第1の矢の金融の異次元量的緩和政策、そして第2の矢の財政出動の先行で、現時点では行き場のないマネーが株式など金融資産投資に向かい、株価の上昇、円安をもたらしたほか、大企業を中心にした賃上げによる家計所得増が消費税率引き上げ後も個人消費を堅調にしている。最大の問題は、成長戦略の中核にあるはずの第3の矢の産業競争力強化が今1つ力強さに欠ける。官主導から民主道の経済成長戦略にシフトしない限り、本当の意味でのデフレ脱却が実現して成長軌道に、とはいかない。

そんな中で、これまでご紹介した日本農業の先進モデル事例ともいえる衣笠さん、針生さん、そして和仁さんのような農業を成長産業に持ち上げて行こう、という取り組みが極めて重要な意味を持ってくる。これらの先進モデル事例がいい意味で、引き金になって、例えば農業の現場で新たなチャレンジが全国的に広がり、「攻めの農業」に変わってくるのを期待したい、というのが私の偽らざる願いだ。

和仁さんの日本農業の戦略ポイントは
経営管理、IT化ベースの「企業農業」

さて、ここで和仁さんに、自身で構築した農業戦略に関して、再度、おさらい意味を兼ねて聞いてみよう。
和仁さんは最近、頼まれて農業戦略を講演で話す際、企業農業というキーワードを強く力をこめて語る。その際、今の日本農業に欠けているのは、工程、品質、原価、安全、環境などすべてがしっかりとデータ管理された経営管理型農業、農業のIT(情報技術)化、そしてそれぞれが独自のビジネスモデルをもとに経営感覚のある農業経営を行うこと、さらに付け加えれば、儲け、利益が出る販売価格にすることで、それは原価管理に裏打ちされるもので、すべてが経営の目線で農業を行う、言ってみれば、それは企業農業という考え方がぴったり当てはまる、という。

「企業農業」というのはなかなかいい言葉だ。日本農業に一番欠けている経営の視点を最重要に置くキーワードだ。日本農業は本当に「攻めの農業」に見向けてがんばってほしい。

3.11乗越え農業にビッグチャレンジ 仙台で異業種企業と連携する熱血漢

 日本農業は、農業に携わる人たちがしっかりとしたビジネスマインドをもって、産業化につなげていけば、間違いなく成長産業になる。農業の現場で、その先進モデル事例がある、と兵庫県姫路市の農業生産法人、「夢前夢工房(ゆめさきゆめこうぼう)」社長の衣笠愛之さんの取組みを、前回のコラムで取り上げたら、予想外に反響があった。時代の閉そく状況を刺激したいという「時代刺激人」の役割が果たせ、私も正直言ってうれしい。
その評価は、衣笠さんが主導して、兵庫県内に分散する稲作専業農家25人と一緒に稲作株式会社をつくって農地の大規模化のメリットをフルに生かすビジネスモデルをつくりあげた点に対するものだった。「素晴らしい。大組織病に陥る農協を相手にせず、独自のビジネス手法で農業のビジネスチャンスを形にするやり方がたくましい」「農と食のつながりを重視してチャレンジする、こういった人たちにこそ、日本農業を託したい」などだ。

宮城県仙台市でコメ、野菜生産・販売の農業生産法人「舞台ファーム」社長針生さん

そこで今回、もう1人、日本農業の先進モデル事例をつくりだす農業経営者だと言い切っていい人をご紹介したい。宮城県仙台市若林区でコメ、野菜の生産販売を大規模に展開する農業生産法人で株式会社「舞台ファーム」社長の針生信夫さんだ。

針生さんはずっと以前に、このコラムで、3.11の東日本大震災を見事克服した農業経営者として取り上げたので、ご記憶ある方がおられるかもしれない。実は、経済ジャーナリストとして、3.11のフォローアップ取材を行っているが、その一環で最近久しぶりに針生さんと会って話し合ったら、以前よりも一段とたくましくがんばっているどころか、そのビジネスモデルに磨きがかかっているのだ。

日本の食料を消費者へ安定的に供給する農業サプライチェーン化にチャレンジ

結論から先に申し上げれば、針生さんは今、農業の新しいビジネスモデルをつくりあげて、その具体化にチャレンジしている。キーワードは農業のサプライチェ―ン化だ。針生さんによると、野菜やコメなど日本の食料の基幹部分について、農業者主導で生産、加工、販売まで消費者に安定的に供給できるシステムづくりがサプライチェ―ンというのだ。

具体的には主力の野菜に関しては、自身で経営する「舞台ファーム」のハウスなどでの露地栽培以外に、地域の農業者と連携してつくった株式会社「みちさき」の植物工場での栽培、ハウス水耕栽培の生産システムを確立した。3.11の大津波で土地利用型農業のもろさがはっきりしたため、被災した農業者の生産モデル事例にすることをめざして植物工場、鉄筋のハウス水耕栽培施設づくりに取り組んだのだ。国の農業補助金に頼った部分があるが、チャレンジする姿勢が素晴らしい。

カット野菜を無人・無菌の自動化工場で加工し、
コンビニだけでなく流通網で販売

針生さんの野菜サプライチェ―ン化の面白さはここからがスタートだ。とれた野菜は市場流通を通さず直接販売する以外に、カット野菜に加工して販売するシステムを基軸に据えた。そのカット野菜加工に関しては、「舞台ファーム」に新たにつくった無人全自動かつ無菌状態の生産ライン工場でカット野菜化した。しかも配送後まで徹底した低温管理を行い、これまでカット野菜にしてから2日が消費期限だったが、工程管理を厳しくして最長5日間にまで延ばした。
これは今後の新興アジア向け輸出に道筋をつける狙いがある。「舞台ファーム」では毎年、ASEAN(東南アジア諸国連合)から1人ずつ社員を雇い入れているが、日本の農業生産を学んでもらうと同時に、品質管理に工夫をこらしたカット野菜の需要開拓とともに、現地ニーズを探る役割を担ってもらおうというわけだ。

しかし野菜サプライチェ―ン化のポイントは、「舞台ファーム」が大手コンビニ、セブンイレブンと独占供給契約を結び、東北一円のコンビニにカット野菜を供給すること、コメで資本連携したアイリスオーヤマの流通網で販売するシステムをつくりあげたことだ。

コメは東日本の稲作法人とネットワーク、
株式会社化し全体で3300ヘクタールの生産力

なかなかすごい経営感覚だが、コメに関しても、針生さんが主導して宮城県内の4つの農業生産法人や稲作専業農家、岩手県の2生産法人、さらに秋田県、新潟県の生産法人と一緒に株式会社「東日本コメ農業生産者連合会(RIO東日本)」を立ち上げた。前回コラムで取り上げた兵庫県の衣笠さんのケースと同様、生産農地を束ねて東日本地域一帯でコメ生産ネットワークを持つ稲作株式会社を作り生産連携を図るようにしたのだ。

RIO東日本に帰属する保有農地は300ヘクタール、そして委託生産農地がその10倍の3000ヘクタールに及ぶ、という話なので、すごい生産力だ。「舞台ファーム」も自家保有農地35ヘクタールでコメ生産する以外に、周辺の稲作農家の600ヘクタールに生産委託している。
針生さんの発想は、生産力を集約化による大規模経営でコストダウンを図って競争力をつけると同時に、品質のいいコメづくりによって市場での評価を高めるが、販売先の消費需要の掘り起こしがポイントになる。

アイリスオーヤマと連携し大型精米工場、
新鮮で味のいいコメお小分けパック販売

針生さんのコメのサプライチェ―ン取り組みの面白さは野菜のケースと同じように、消費者ニーズの掘り起こしで異業種企業と連携したことだ。
針生さんは同じ仙台を拠点に企業展開するアイリスオーヤマの大山健太郎社長と意気投合し、共同出資で株式会社「舞台アグリイノベーション」という低温精米、そして消費者が買いやすいように3合ぐらいに小分けパック化したコメの販売、さらに農業関連商品の販売を行う会社を立ち上げた。今年7月に完成する低温精米工場は4万2000トンのコメを貯蔵できる日本国内でも最大級の規模だ。その資本連携会社の強みは、大山社長のアドバイスによって、消費者がいつも新鮮で味のいいコメを食べやすい小分けパックで売るシステムを導入したことだ。
「舞台ファーム」は、この販売ルート以外に、外食弁当や学校給食などの独自開発ルートも持って首都圏にもビジネス展開しており、サプライチェ―ンに厚みを加えている。

3.11で農業ビジネスモデル変更を余儀なくされた、
6次産業化は今や古いモデル

針生さんは52歳の若さだが、私の見るところ、間違いなく熱血漢で、発想も鋭く、取り組みのスピードも速い。「3年前の東日本大震災の3.11で、正直なところ、私の人生も、農業に対する取り組みも大きく変わりました」という。その点に関して、針生さんはこうも述べている。「3.11以降、私たちが目指してきた農業のビジネスモデルを根底から変更せざるを得なくなったのです。それまでの生産・加工・販売流通というワンパターンのやり方ではなく、さまざまな組織と連携しながら柔軟な発想で変幻自在にビジネスに取り組む仕組みづくりが必要になったことです」という。

さらに、日本の農業現場が新たなビジネスモデルと捉えている6次産業化についても、古いモデルだ、という。6次産業化は、第1次産業の農業が生産から加工、販売流通にまで主導的に関与するやり方、つまり市場流通に頼らず、独自の産直バイパス流通ルートを確保して利益を求めるやり方だ。
しかし、針生さんは「確かに、農業者が農業生産法人をつくって、農協にも、市場流通にも頼らずに独自に農業展開する1つの先進モデルだと思っていました。しかし、農業者だけでは発想に広がりがなく、ビジネス展開に限界がありました。さまざまなレベルで異業種の人たちとの交流、あるいは連携が必要で、それによって農業に付加価値もつけることが出来る、ということを痛感しました」と。

異業種との資本連携、
東日本の稲作農業生産法人との株式会社化

針生さんの経営手法を見ていると、これまでの6次産業化という第1次、第2次、第3次産業のすべてに農業が主導的にかかわる、という従来パターンの農業ビジネスモデルから一歩も二歩も踏み出したのは間違いない。端的に言えば、アイリスオーヤマという異業種企業との資本連携、さらには東日本の稲作生産者との広域連携によって、兵庫県の衣笠さんと同様、規模拡大のメリットを求めて稲作生産株式会社の組織化などで、農業のサプライチェ―ン化を実現した部分が大きい。

この農業のサプライチェ―ン化の取組みは、これまでの農業者の経営とは180度、異なる。早い話が、大半の農業者は、農協の枠組みに頼って系統出荷するが、農協は何の販売努力もしてくれないまま集荷手数料だけとって卸売市場などの市場流通に売買を委ねるため、需給関係で価格が決まり、農業者の手にする利益はわずか。しかも農協には割高の肥料代や機械代金を持って行かれ、農業の再生産の余力を生み出せない。このシステムにクサビを打たないダメだ、というのが、針生さんの3.11以前からの発想だったが、あの大震災でビジネスモデルの根本変換を迫られた、というわけだ。

大震災だけでなく原発事故による放射能汚染リスクにさらされ植物工場を決断

針生さんは「大地震、そして大津波被害だけでなく、東電原発事故の影響で、宮城県も風向きによっては放射能汚染、あるいは放射能の風評被害リスクにさらされるという現実に直面しました。このため、農産物から放射能がいっさい出ないような、しかも津波被害にも防備できる生産システムということで、植物工場での生産が必須だと判断した。野菜の露地栽培やハウス栽培はこれまでどおり対応しますが、最悪の事態に備えての生産システムづくりは3.11が起きなければ、発送しなかったことです」という。確かにその通りだ。

それにとどまらない。針生さんは、大学との連携も積極的に取り組み、野菜の成分数値の見える化を確立し、健康にプラスになる食材の開発も活発に進めるようになった。すべては3.11がきっかけだが、状況に流されずに、置かれた新たな状況下で、異業種との資本連携などによって、農業のサプライチェーン化という発想をすること自体、優れ者の農業経営者だ。
サプライチェーン化は、もともとは製造業の世界で起きた発想だが、農業もある面で農産物を製造する産業であり、生産から加工、流通、販売までのチェーン化が必要になってきたこと、そこに農業の収益源があると見抜いた針生さんの取組みは素晴らしい、と思う。みなさんはいかがだろうか。

TPPをモノともせずのたくましい農業者 兵庫で稲作専業農家束ねて株式会社化

 日本農業はいま、重大な岐路にある、と言っていい。日本が「守りの農業」にこだわって狭い国内市場に閉じこもるか、あるいは「攻め」の姿勢を打ち出して、国内で成熟社会に対応した新たな「食と農業」の連携ビジネス化など需要拡大はじめ、新興アジアなどの成長市場へ積極的なチャレンジをするか、ということに尽きる。
そのカギを握る環太平洋経済連携協定(TPP)交渉は、日本のみならず関係国間の利害が大きくからみ、こう着状態に陥っている。しかし交渉参加の日米や豪州、ベトナム、マレーシアなどの各国間の貿易関税を限りなくゼロ方向に持っていき、自由な経済の往来をめざすという10年後の大きな流れはたぶん、変わらないだろう。日本としては、その時代変化を改革のチャンスと捉え、中核の農業のみならず、あらゆる産業の競争力強化に向けての布石を打っておくべきだと、私は考えている。

農業生産法人「夢前夢工房」社長の衣笠さんの積極経営は先進モデル事例

冒頭から、重い話を始めてしまい、恐縮だが、実は、今回のコラムで、日本農業の先進モデル事例とも言うべき兵庫県姫路市の農業生産法人、有限会社夢前夢工房(ゆめさきゆめこうぼう)社長の衣笠愛之さんの積極経営を取り上げたいと思った。
衣笠さんはTPP新時代に対応して、さまざまな取り組みをしているが、そのチャレンジぶりが興味深いので、いろいろレポートしてみたい。きっと、みなさんは、私が衣笠さんの取組みを見て感じたと同様、「日本農業の現場には頼もしい人たちがいるな。こういった担い手に農業を託していけば、農業は間違いなく成長産業になる」と思われるのでないかと思う。

まず、衣笠さんがどんな人かお伝えしよう。現在は52歳。兵庫県生まれで、高校時代は物理学に関心を持っていたが、実家が養鶏業であり、いずれは農業の道に飛び込まざるを得ないだろうと、兵庫県から遠隔地の宇都宮大学農学部に入った。持ち前の好奇心で、学生時代は、ありとあらゆるアルバイトを行ってさまざまなビジネスの現場を経験した。

稲作専業大規模経営めざし父親から水田農地買い取って独立、
受委託で規模拡大

ここまでは、どこにでもいる学生の典型例だ。面白いのは、衣笠さんは大学卒業後、実家に戻って養鶏の仕事に携わるうち、養鶏業ビジネスに将来性がないこと、自身でエネルギーを費やす農業分野が他にあるはずと思い、いろいろ考えた末に、地域の主力だった稲作、それも規模拡大の専業農家経営にチャレンジしようと決断したことだ。

そして32歳の時に独立を決め、まず、父親が持っていた42アールの水田を買い取ることにした。親子の間柄で、いずれは継承するだろう自家保有の水田の買い取り契約を結ぶ必要もないだろうと、誰もが思うが、衣笠さんは「自分に負荷をかけゼロから出発するのだ、という決意表明みたいなものです。当時、農協から3000万円の大金を借金しました。貯金も担保もゼロからのスタートは大変でしたが、負けず嫌いの性格ですので、3年間は不眠不休でがんばりました。私の稲作大規模経営化の夢に賛同してくれる人が多く、水田の管理受委託で栽培面積も増えるなど、経営基盤を確立できたのがよかったです」という。

農薬・化学肥料をほとんど使わず、
さまざまな堆肥活用の循環型農業をベース

衣笠さんによると、稲作の大規模経営化は着実に進んでいる。現在、コメに関しては、農薬・化学肥料不使用の水田が10ヘクタールある。兵庫県がコウノトリを育む環境創造型農業を推進し農薬・化学肥料不使用の水田で生産されたコメに「ひょうご安心ブランド認証」を与えているため、衣笠さんも積極的にコミットしている。このほか、衣笠さんは、農薬使用を2分の1以下に抑える水田11ヘクタールでうるち米を、さらにもち米用の水田が8ヘクタール、古代米が3.6ヘクタールという大規模稲作経営だ。また衣笠さんは、小麦15ヘクタール、大豆7ヘクタールについて、それぞれ農薬・化学肥料不使用で取り組んでいる。

ここでお気づきのように、衣笠さんは、完全な有機肥料による有機農業かと言えば、必ずしもそうとは言えないが、環境にも、人体にも影響のある農薬や化学肥料を極力使わず、さまざまな堆肥などを活用した循環型農業をベースにしている。農薬に関しては、娘さんがアトピー性皮膚炎にかかり、農薬散布による影響を回避するため、身近なところから取組む必要があった、という。

兵庫県内の専業農家と連携し稲作株式会社、
1000ヘクタールの大規模集約で効率経営

さて、いよいよ本題だ。私が経済ジャーナリスト目線で、衣笠さんの農業への取り組みは先進モデル事例だと感じたのは、衣笠さんが主導して、2000年に兵庫県内の稲作専業農家に呼びかけて、共同出資の株式会社組織「兵庫大地の会」を設立したことだ。ビジネスモデルとしても興味深いのは、兵庫県内の各地に点在する専業農家25人を束ね、その集約化した水田農地が現在、700ヘクタールに及んでいる。委託契約による生産農地を含めれば1000ヘクタールにのぼる。

早い話が、稲作の大規模経営で効率的な経営をめざすと言っても、単独の農業法人が孤独な闘いをやっていてもダメなので、地域が兵庫県内の全域に分散している農地を一くくりにして集約化すれば、仮に分散していても大規模な稲作専業経営のメリットが発揮できる、ということなのだ。

「兵庫大地の会」共通ブランドでコメ販売、
肥料も大量購入でコストダウンのメリット

現に、衣笠さんは「私たちのビジネスモデルは、特定地域1か所に農地を集約しなくても、社員株主の専業農家がそれぞれの地域で品質に磨きをかけたコメを生産し、それを『兵庫大地の会』の共通ブランドで市場に出せるうえ、大口スーパーや企業と独自販売ルートを構築して付加価値をつけ売り出せる点が最大の強みです。株式会社化したからこそ、パワーが倍加したのです」と述べている。

さらに、株式会社化したメリットに関して、衣笠さんはこうも述べている。
「コスト面で比重の大きい肥料1つをとっても、農協購買部門に頼る必要がないどころか、肥料メーカーの方から必死で売り込みに来ます。購入数量が多いので当然、値引き競争の提案があり、われわれとしても、肥料に関してさまざまな注文を付けることが可能ですし、品質力のあるメーカーを自由に選べます。大量購入による値下げのコストダウン効果は、それまでに比べて各段に大きいです」と。

株式会社の平均年齢は35歳で、60~70歳台がゼロ、
経営に意欲的なのが強み

また、「兵庫大地の会」の日本酒原料の酒米の生産力が高いという評価が広がって、全国から生産依頼が増えている。酒蔵メーカー側にすれば、大規模経営の最大メリットとして、まとまった数量のものを安定的に供給してもらえる点に期待値がある。とくに最近は、米国を中心に海外で日本酒需要が伸び、酒造メーカーとしては輸出用の日本酒生産に力を注ぐ必要があり、生産力のある「兵庫大地の会」が脚光を浴びる結果となった、というのだ。

衣笠さんによると、株式会社の25人の社員株主の平均年齢が35歳で、20代、30代がそれぞれ30%で中核となっており、60代、70代はゼロ。経営陣は、仕掛け人の衣笠さんが代表取締役社長を引き受けているが、副社長、専務など役員が10人いる。経営方針や課題を議論する役員会は毎月1回、衣笠さん自身が経営する「夢前夢工房」そばにつくった本社事務所で、いつも夜8時から深夜の午前零時ぐらいまでになる。スタート時間が遅いのは、兵庫県内各地から車で集まるためだが、それぞれ問題意識があり、また品質管理などの研究にも関心が強く、勢いがあるが強みだ、という。素晴らしいことだ。

株式会社化は迅速な経営対応の判断がベース、
TPPが具体化しても大丈夫

2000年の株式会社化から14年がたち、「兵庫大地の会」の経営基盤も安定してきたが、衣笠さんは「実は、株式会社組織にしたのも、私たちの間で、早い時期から経営判断があったのです。つまり、いずれ農産物貿易も厳しい時代がやってきて、海外からの農産物輸入、とくに米国などの大規模経営に伴うコストダウン化したコメなどが入ってきた場合に備えて、迅速に経営対応できる株式会社で行こうと全員一致したのです」という。まさに先見の明と言える。

今後のTPPが具体化した場合、何も手を打っていなくて、うろたえるよりも、いち早くリスク対応ができるようにしているのとでは、日本農業にとっては段違いだ。衣笠さんは「TPP交渉で、農産物貿易がどうなるか、見極めが必要ですが、関税撤廃など最悪の事態に関しては、10年間の猶予があり、私たちなりにいろいろな対応準備を考えていきます。ただ、そのことよりも、TTPのメリット面は、私たちが新興アジアの富裕層向けに味のいい日本のコメ輸出を今後、活発に行える、という点です。コメ輸出に関しては、すでに台湾などへの輸出が現実化していますが、今後、農産物輸出の面で、TPPの逆活用によって、日本農業にはチャンスがいっぱいでないかと思っています」という。

衣笠さんの経営感覚は素晴らしい、
「農業に夢を、地域に夢を」がモットー

時代の先を見据えた農業経営を考えて、地域に分散する稲作専業農家を束ねていち早く株式会社化に踏み切った衣笠さんの経営判断、行動力などは、私が衣笠さんと話をしていても、なかなかのものだと思う。とくに、日本農業現場に最も欠けていると思われる経営感覚やビジネスマインドを持って取り組んでいること、その場合、とくにマーケットリサーチを独自に行い、確実に売れる農産物、消費者が思わず手を伸ばしたくなる農産物を生産することにこだわりを持っている点も素晴らしい。

衣笠さんが農業生産法人で有限会社の社名を「夢前夢工房」とネーミングしたセンスもなかなか興味深い。衣笠さんは「社名に二つある夢のうち、夢前は地名で、地域アピールのため社名に加えたのです。『夢工房』は文字どおりさまざまな夢を考え出し実現する場所の意味でつけました。自分に夢を、農業に夢を、地域に夢を、というのが常にあり、夢は必ず努力すれば実現可能と思っていました。いろいろな人とつながって行くと形になり、それが夢の実現に結びつくと思っています」というのだ。

しかし衣笠さんの農業者としての経営手腕は、実はもっとある。中でも兵庫県内を走る県道67号線沿いに「夢街道FARM67」という地元野菜の直売店をつくったが、周辺地域の若者の農業生産者に呼びかけて野菜生産を行い、そのとれたての野菜の地産地消をキャッチフレーズに、その店で販売するシステムをつくった。同時に、野菜の宅配サービスも事業化している。若者たちは、衣笠さんのリーダーシップに応えて改革の試みも行っている、というから、衣笠さんの「人を動かし、地域を動かす力」は相当なものだ。
まだまだ、衣笠さんには面白い経営手法があるが、スペースに限りがあってここまでとしたい。もし、興味を持っていただいたならば、衣笠さんに直接、コンタクトをとられるのもいい。それと、私自身は、日本政策金融公庫の雑誌「AFCフォーラム」6月号の「変革は人にあり」企画で取り上げているので、ぜひ、ご覧いただけばと思う。

タイの途上国への逆戻りは許されない 軍部はクーデターに終止符、民政に戻せ

 ASEAN(東南アジア諸国連合)10か国のうち、シンガポールと並んで経済成長の面でバランスのとれた国という評価が定着し始めていたタイで、5月22日に何と軍事クーデターが起きた。率直に言って驚きだ。軍部が民主政治や市場経済に暴力的に介入するのは、発展途上国での話だ。今や「中進国」と言われるタイで起こる事柄ではない。
「国王の軍」という特殊な位置づけにあるタイ国軍が、国内の政治紛争の長期化、それに伴う経済の停滞を憂え、立憲君主制を守るためという大義名分によって、クーデター行動に出たのかもしれない。しかし理由がどうであれ、途上国への逆戻りは許されない。早く民政に戻して挙国一致で難局に立ち向かうべきだ。

そんな思いが私には強い。そこで、今回はもう一度、ASEAN、とくにタイの問題を取り上げ、何が課題かなどをぜひ述べてみたい。私がメコン諸国を歩き回っての8回にわたる報告の番外編ということで、ご了解いただきたい。

労働需給ひっ迫で完全雇用経済、援助国表明のタフな国なのに、
なぜクーデター?

ご記憶だろうか。メコン諸国報告の最初のコラムでも書いたが、タイはいくつかの面で際立ったものがある。私が旅行した昨年11月当時、労働需給ひっ迫によって、タイの失業率はわずか0.5%と完全雇用に近い経済状況だった。スペインやエジプトでの若者を中心にした失業率2ケタの厳しい現実からすれば、すごいことだが、バンコク市内の人々の機敏な動きを見て、経済に勢いがあるので、当然かもしれないと思ったほどだ。

同じ11月当時、タイがこれまでの援助を受ける立場から一転して援助国に回ることを表明した話を聞いた時も、その瞬間はサプライズだった。しかし経済をじっくりと見るにつれて、タイも経済運営に自信を示し、途上国経済から抜け出して「中進国」の道を着実に歩んでおり、経済成長に弾みをつけ、社会の制度設計も整えて先進国入りをめざしたい、という気持ちがあるため、援助国の表明になったのだろう、と考えるようになった。

バンコク周辺に巨大な産業集積、
ASEAN地域統合でサプライ・チェーンの中核に

そればかりでない。首都バンコク周辺には日本企業を中心にアジア随一の巨大な産業集積があり、2015年12月にスタート予定のASEAN地域経済統合でタイがサプライ・チェーンの中核的な存在となるのは間違いないこと、それに関連して都市交通インフラが急速に整い始め、他のメコン諸国とは格段の差があることも実感した。

いずれも、タイに地殻変動が起きていることを印象付けるもので、この動きが周辺各国に連鎖すれば、ASEANは地域経済統合をきっかけに、世界の成長センターになることも夢ではない、と思ったほどだ。

客観情勢から見てクーデターの必然性なし、
むしろ国際社会の反発招くだけ

そのタイで軍事クーデターが起きたのだから、思わず「えっ、本当に?」と言わざるを得ない。今回を含めて19回も軍事クーデターがタイで過去に起きていたことを知って2度びっくりだった。
重ねて申し上げたいが、少なくとも前回2006年に当時のタクシン政権打倒から8年がたっていること、いま申し上げた客観情勢のもとでクーデターの必然性がないこと、むしろ国際社会で厳しい批判を浴び、それはそのままASEANがまだまだ発展途上の国々の集まりなのかと見下されかねない。それにもかかわらずなぜ、軍事クーデターが起きてしまったのか、私にはなかなか理解できない。

ここ数か月、タクシン派と反タクシン派の政治紛争が続き、しかもタクシン元首相の実の妹で、首相のインラック氏の経済運営のまずさも手伝って、不安定な政治状況にあったことは事実だ。しかし、そうだとしても軍事クーデターは明らかに異常な行為だ。いったい何が原因で、そういった事態になったのだろうか。誰もが知りたいのは、その点だ。

今年1-3月期GDP落ち込み、
相次ぐ経済見通し下方修正でタイ国軍に危機意識

そこで、タイ訪問時に知り合った取材先の人たちのネットワークや友人たちにEメールで連絡をとり、情報収集したところ、いくつかのことがポイントとして浮かび上がった。

1つは、政治紛争の長期化で経済停滞が深刻になってきたことに対するタイ国軍トップらの苛立ちが、軍人特有の「自分たちが立ち上がらないと国家経済は大変なことになる」という危機意識の高まりに発展した、という見方だ。
確かに、戒厳令が発令された5月20日の前日19日に公表になったタイの今年1-3月期GDP(国内総生産)が悪すぎた。前期比でマイナス2.1%、前年比でもマイナス0.6%と市場予測を超す悪い数字だった。四半期の瞬間風速数字とはいえ、2011年の大洪水時以来のマイナス成長記録だったことは大きい。

周辺の国々が相対的に高い経済成長続けており、
タイ経済の地盤沈下を懸念?

それに加え、政府の国家経済社会開発委員会がその発表会見で、2014年経済の成長率見通しについて、2月発表時の年率3~4%成長への下方修正を、さらに引き下げて年率で1.5~2.5%と見通した。短期間にこれだけ下方修正するのは、先行きに不安要因を想定しているためであることは間違いなかった。

そこで、タイ国軍トップらは、政治混乱が長引いて経済に影響を及ぼす状況を放置すれば、さらに事態が悪化する。周辺の国々が、成長率に差はあるものの5%前後の相対的に高い数字でいるだけに、このまま政治紛争の長期化はタイ経済の地盤沈下を引き起こしかねないという懸念や危機意識に発展したことは容易に想像できる。

タイ国軍は国際社会の批判回避で周到な準備、
政府・反政府側招いて仲介工作

2つは、2006年のクーデターが欧米からの強い反発を招き、タイの国際的地位の低下につながった、という反省のもとに、タイ国軍内部では今回のクーデターに関して、政治混乱や流血騒ぎを引き起こす事態を避けるため、周到な作戦準備が行われたようだ、と複数の専門家は語っている。

具体的には、まずタイ国軍は5月20日に戒厳令を発令しクーデターでないことを国民に印象付け、続いて21日にプラユット陸軍司令官名でチャイカセム法相ら政府、与党のタイ貢献党、野党の民主党、反独裁民主戦線の通称赤シャツ隊、反政府デモ隊の各代表らを集め、事態収拾策を協議した。プラユット陸軍司令官は内閣総辞職を求めたが、代行内閣は応じる態勢になかったため、「国軍が全権を掌握するしかない」と、クーデターを宣言したという。早い話が、民主的な手続きを踏んだうえで、最終的に国軍が事態収拾にあたるしかなかったという筋書きだ。

タイ国軍が経済の下落リスクに歯止めかける政策力量、
指導力あるかが問題

しかしタイ国軍が政策運営を行える力量があるのかどうか、という問題がある。クーデター劇のリーダー、プラユット陸軍司令官は、経済の下落リスクに歯止めをかけ回復軌道に経済を戻すため、政府や経済界に対しては万全の策をとる、と表明し、支持を得ようとしているが、決め手となる妙手があるわけでないとバンコクの友人専門家は述べている。

とくに、インラック政権時代に行った農民向けの人気取り対策としてのコメ担保の融資という、事実上の政府によるコメ買い上げ政策が財政赤字を膨らませるだけに終わっているうえ、買い上げたコメの在庫が異常に積みあがっている。しかも悪質コメブローカーが周辺国から密輸入したコメまで買い上げせざるを得なくなるなど、制度そのものを見直さざるを得なくなっている。タイ国軍がこれらをうまくさばけるのかというのも難題だ。

非常時対応のリーダーに任命の陸軍司令官は民政移管の総選挙日程を明言せず

問題はまだある。プラユット陸軍司令官がプミボン国王の任命を受け、軍政下の統治機構の国家平和秩序評議会の議長に就任した。非常時対応のリーダーだが、5月26日の就任記者会見の際、「クーデターは軍のためではなく、国民のために実施した」と言っただけで、民政移管のための総選挙のスケジュールなどに関しては、ほとんど明言しなかったと現地からのメディア報道は伝えている。

ここは重要ポイントで、軍事クーデターによってタイ国軍が国家の非常事態宣言を行い、立法府や行政府、さらには司法の3権分立の仕組みに「待った」をかけ、市場経済に動揺を与える状況を続けるのはおかしな話だ。冒頭に申し上げたように、早く秩序の再構築を図り、そのためにも民政移管を速やかに行うことが必要だ。そうでないと「中進国」タイは間違いなく発展途上国に戻ってしまう。それはそのまま、ASEANが2015年12月からスタートさせる地域経済統合をつまずかせることにもなりかねない。

プミポン国王が高齢・病弱な点が気がかり、
早く民政移管してタイ再建の構図を描け

ジャーナリスト感覚で、まだまだ申し上げたい点があるが、スペースも限られているので、1つだけ、ぜひ問題提起しておきたいことがある。タイ国民の中核にあるプミボン国王の問題だ。国王は年齢的にかなりの高齢であるのと、病弱で公式行事も十分にこなせない、とメディア報道でも伝えられている。

もし、国王に、ご不幸があったりした場合、後継の王位継承者を誰にするかで、枢密院会議もかなり苦しみ難航する事態も想定される、といった話を、私がバンコク滞在中にも聞いた。要は、後継と目される息子の王子に課題があり、娘の王女に決めた場合にひと悶着が起きかねない、ということのようだ。その場合、「国王の軍」であるタイ国軍はどういった行動に出るのかが大きな焦点となる。立憲君主制の国とはいえ、今回のようなタイ国軍が軍事クーデターで強引に事態の打開を図ることがあり得るとすれば、タイの将来は不安と言わざるを得ない。
そういった意味でも、今回の軍事クーデターはさまざまな問題を提起した、と言っていい。タイの国民が、今回の問題を教訓にして、どういった再建の手立てをしっかりと講じるかだろう。

 

メコン諸国現場レポート最終回 強国誇示の中国にASEANが異例の結束 地域統合への布石が明白、日本の出番だ

 

 7回にわたってお届けしたメコン諸国現場報告は、今回がいよいよ最後となる。そこで最終回は、ASEANが2015年12月の地域経済統合をきっかけに、本当に経済成長に弾みがつくのか、さまざまな国々の集合体であるASEANが世界の成長センターに向けて1つになり得るのか、また日本にとってASEANとの戦略的連携は可能なのだろうか、といったことに関して、現場の動きを踏まえて、ぜひレポートしてみたい。

ASEANは課題山積で先行き不安材料多いが、
経済成長志向で一致の意味大きい

まず結論から先に申し上げれば、加盟10か国間で政治的、経済的に極めて大きな温度差があり、しかも発展途上部分から先進的な部分までが混在してさまざまな課題や問題を抱えるASEANの先行きに不安材料があるのは、間違いない現実だ。
しかし、これまでのレポートどおり、ASEAN10か国は、こと経済成長志向という1点に関しては、大きなまとまりを見せ、地域経済統合によるヒト、モノ、カネの自由な往来の実現に向けて、CONNECTIVITY(連結性)をキーワードに必死で取り組んでいる。今や新たな地域共同体づくりをめざして、少しずつ結束力を強め、世界に向けて存在感を見せつつあるな、というのが今回、私がメコン諸国を歩いた際の実感だ。

ASEANが中国に対決も辞さずの姿勢は驚き、
国際社会にも存在感アピール

そういった意味では1967年の発足当初のタイ、フィリピン、インドネシアなど5か国による反共産主義国家連合というイメージは現在、全くない。それどころかベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーといった社会主義体制を標榜する国々を抱え込み、巧みに内政不干渉原則を維持し、同時にイスラム教、仏教など宗教や異文化も容認しながら、経済成長の実現という1点で不思議に足並みをそろえつつあるのだ。

そのASEANが最近、これまで脅威の存在として、つかず離れずの関係維持で臨んでいた中国に対し、一転して、一致結束し対決も辞さずの強い姿勢を示した。これは驚きだった。しかし、これは私だけでなく、国際社会も同じで、メディア報道も、強大国を誇示する中国に、欧米諸国も手を焼く中で、弱い立場にあったASEAN10か国が結束して立ち向かった意味は大きい、とサプライズと受け止められており、ASEANが国際社会に存在感をアピールしたのは間違いない。

南シナ海での中国の動きがASEAN首脳会議直前だったことでASEANも強く反発

そのサプライズは、すでにメディア報道でもご存じのように、中国が一方的に領有を主張する南シナ海の西沙(パラセル)諸島近海で、ベトナムの了解なしに海底石油掘削作業を強行したため、それを阻もうとしたベトナム船との衝突事件が1つ。さらに南沙(スプラトリー)諸島でもフィリピン漁船との間で起こした衝突事件の2つに対し、ASEANがアクションを起こしたことだ。

いずれも、ASEANがミャンマーで開催した5月10日のASEAN外相会議直前の動きだったため、ASEANを強く刺激し、中国への反発を強める結果になった。それどころかASEANは外相会議、それに続く11日、12日のASEAN首脳会議、とくに首脳会議を総括する議長国ミャンマーの議長声明で、中国の行き過ぎた動きに警告に近い「イエローカード」を出したのだ。

中国と国境線接するミャンマー、ラオスや援助欲しいカンボジアも脅威

議長声明で「南シナ海で現在進行中の事象に深刻な懸念を表明する」「武力の行使や威嚇をせずに自制して、領有権争いを平和的手段で解決するようにすべての関係国に要請する」と、中国を名指しで非難することを避けたものの、明らかに中国に対する警告だった。しかもASEANが地域の安全保障問題で、中国を強く意識して緊急声明を出したのは明らかに異例なことだ。

中国に対して、これまでASEAN、とりわけ陸のASEANと言われるメコン経済圏諸国は、タイを除いて、中国からの援助資金ほしさの外交姿勢もあってか、正面切って中国に文句をつける力がなかった。とくに中国と国境線を接してさまざまな利害のからむミャンマー、ラオス、また中国からの援助が多いカンボジアは中国とはコトを荒立てたくない、という姿勢でいたが、今回の外相会議、首脳会議ではASEAN結束を優先させた。このことが意味するものは大きい。

中国はASEANや米国まで半ば刃向わせる結果になり、
虎の尾を踏んだ?

一般的に、多くの途上国は、国外に敵をつくって国内の結束力を強める手段にするケースが多い。ところが今回の場合、中国が尖閣諸島に続いて、今度は南シナ海でも領有権を主張して紛争の火種を作り出したため、ASEAN10か国を刃向わせる結果になった。中国国内に、いま、さまざまな社会不安が政治不安にエスカレートしかねない問題があるので、あえて中国の外に国民の不満のガスを吐き出させようとしたのだろうか、もしそうだとしたら、成算のない外交リスクの大きい賭けだな、と思ってしまう。

ただ、米国はフィリピンとの新軍事協定をきっかけに、再びアジアの地域安全保障にコミットし、中国をけん制する動きに出てきている。現に、今回の南シナ海での中国のベトナム船への行動に対して、米国が中国に対して「挑発的で、攻撃的な行動を深く懸念する」と抗議した。石油資源開発という海洋権益への行動は、中国が領有権確保の口実にするためのものか、見極めがつかないが、ASEANの反発のみならず米国までも引っ張り出す結果になった時に、中国は「虎の尾」を踏んでしまい、中国自身が孤立化の道に至るということを気づかないのだろうか、とさえ、感じてしまう。

地域経済統合でASEANにバラ色の世界誕生するとは思えない、
政策対応にも遅れ

さて、最終回のテーマに話を戻そう。ASEANは2015年12月に地域経済統合のスタートを切るが、関税率の撤廃や国境の税関業務のスムーズ化など「経済国境」を一気に引き下げることで、ヒト、モノ、カネの自由な往来が大きく進み、経済成長に弾みがつく、といったバラ色の事態がすぐに現出するとは、失礼ながら、誰も思っていない。

現に、すでに以前のレポートでも述べてきたとおり、自動車の輸入関税1つをとっても、2018年まで大幅引き下げを猶予し、その間にベトナムなど一部の国の国産自動車産業の本格立ち上げを支援する、といった形にしている。しかしベトナムはロシアと同様、産業政策目標を掲げながらも、現実の政策対応が遅々として進まず、外資依存の自動車産業にとどまる可能性が高い。

だが、成長への執着心強く新たなライフスタイル願望が
ASEANにチャンスもたらす

こういった事例は挙げれば、いろいろある。しかし、私は少し楽観主義者でないかと批判されるかもしれないが、陸のASEANのメコン諸国、とくに陸路の南部経済回廊を歩いただけでも感じたのは、どの国も課題山積ながら、日本と違って、経済成長に対する執着心が極めて強く、新たなライフスタイル願望も強い。消費購買力を見ても、中間所得階層が着実に育ちつつあるな、という印象を受けた。この動きが、2015年の地域経済統合をきっかけに、ASEAN10か国全体に広がっていく可能性が高い。6億人の巨大な人口規模を抱える経済が貧困に区切りをつけ、域内消費を軸に成長志向の強い地域になるのでないかという期待を感じさせた。

かつて日本が、1970年の大阪万博で国民の新たなライフスタイル願望によって、多くの国民がテレビ、冷蔵庫、洗濯機の「3種の神器」と言われた消費財購入に目を輝かせ、それを背景に大量生産・大量消費の枠組みが定着して一気に高度成長に弾みがついた、ということをご記憶だろう。いま、ASEANでは地域や国によって、もちろん温度差があるが、これに似たような状況が随所に見受けられる。

6億人の巨大人口の消費力は魅力、
経済統合で地域横断的なプロジェクト展開も

日本の場合、これが狭い日本国内だけの広がりでしかなかったが、ASEANの場合、すでに申し上げているとおり、6億人の消費市場を含めた広範な広がりがある。とくに各国間の「経済国境」が引き下げられ、しかも地域横断的なプロジェクト展開がどんどん進む可能性が高い。
端的には道路、水道、送電線など各国にまたがるプロジェクトへのニーズが広がり、それに伴って共通のモノサシ、例えば道路1つとっても右側走行にするかどうか、自動車の運転ハンドル、さらに交通管制システムを統一するかどうか、必要な部材や部品の共通化を進めて自動車生産のみならずさまざまな関連のすそ野産業の効率生産につなげていくかーーなど地域経済統合に伴うニーズが新たな需要創出のみならず、各国間の行政システム、政策決定にもプラスに作用する。物流センターなどに関しても各国間で重複投資する必要がなく、道路網や消費地の兼ね合いで基幹になる地域に設定する、といったことも地域横断的プロジェクトの典型だ。

日本はASEANとの戦略的連携が必要、
中国や韓国にない「強み」部分に十分活路

さらに、以前のレポートでも申し上げたが、メコン諸国だけをとっても都市化に伴う人口の都市集中が進み、それに伴う道路や水道など物的インフラのみならず、医療や教育などさまざまな社会インフラへのニーズが急速に高まってきている。にもかかわらず中国の地方の大都市と同様、これらインフラの整備が遅れて、問題を引き起こしている。 また、人口の高齢化対応の問題もある。ASEAN各国間ではタイなどのように急速な人口の高齢化が進み、その政策対応の遅れが問われる国、その一方で、まだ高齢社会化対応は必要なく、むしろ経済成長実現が先決という国まで、まちまちながら、医療にとどまらず介護、それに年金などの社会保障の制度設計が緊急課題になりつつあることも事実。

これらの点に関しては、日本は中国にも韓国にもない「強み」部分を持っている。間違いなくASEANのニーズに対応して、期待にもこたえられる。以前もレポートした点なので、ご記憶いただいているかもしれないが、中国や韓国にはモノによっては、価格競争の面で太刀打ちできない分野もある。しかし技術力に裏打ちされた高品質の製品、さらにそのメインテナンスでは日本は圧倒的な強みを持っている、と言っても過言でない。同様に、都市化に対応したさまざまなインフラシステム、医療や教育、介護、年金などの制度設計に関しても同じだ。日本にとって、ASEANとの戦略的連携は十分に可能だ。

ASEANと日本の問題に関しては、今後も定点観測した問題をもとに随時、コラムで取り上げていきたい、と思っている。

どんどん女性起業の先進モデル例を 愛媛の総菜ビジネス藤田さんは全国区

 最初から、ちょっと堅い話になるが、日本の生産年齢人口が先細りというトレンドの中で、海外からの技術人材などの移民受け入れがなかなか認められず、その一方で少子化によって子供たちもなかなか増えない閉そく状況を打開しないと大変なことになる、と前々からずっと思っていた。

私は、その打開策として、人口の半分にあたる女性が、「大阪のおばちゃん」的なバイタリズムで、さまざまなことに好奇心を持ち、行動力を発揮するだけでなく、独自のユニークな発想で起業して、ビジネスチャンスの場をどんどん創出することが必要だ、と考えている。

JR東日本でカリスマ車内販売女性、
米でMBA取得後に起業女性などタフな実例
 そんな中で、最近は、雇われる立場にあるさまざまな女性がタフに存在感を見せている。JR東日本のケース1つとっても、車内販売で巧みなスマイル話術とフットワークのよさで一気に売上げトップの座に立ち、カリスマ車内販売女性と評価されたケースがある。
また、乗降客の多い駅の駅弁売店コーナーでお客に話しかけながら、そのお客のニーズを探り、「この駅弁はあまり脂っこくなくてヘルシーですよ」とその気?にさせて、同じく売上げで群を抜く凄腕ぶりを見せた女性が、ついには経営手腕を評価されてパートタイマーの地位から一気に正社員となって現場の幹部に躍り出るケースなど、いくつか素晴らしい事例を耳にする。いずれも女性の、ちょっとした気遣い、センスがお客の心を動かし、魅了させるのだろう。まさに女性のいい面での特技だ、といっていい。

そればかりでない。私の知っているお友達の女性の中には、もっとタフな女性がいて、ハーバード大学など米国の大学でMBAという経営学修士をとり、マッキンゼーなどのコンサルティング・ファームを経て独立し、日本で起業し経営の才覚を発揮する女性も数多くいる。

人口の半分は女性、
その女性市場をターゲットにしたビジネスモデルでがんばれ
要は、人口の半分は女性なのだから、家庭に閉じこもることなく、家庭と仕事を両立させ、ご主人とワークライフバランスによって役割分担を行うと同時に、女性の独特の感性で商品開発をしたり、また独自のマーケッティング力で時代を凌駕するシステム開発も行うなど、まさに女性の先進モデル事例を作り出すことが大事だ。
男性も、もちろん負けずに張り合ってがんばる。しかし、こういった形で、女性の生産労働力化が実現すれば、人口問題の重要な解決課題の生産年齢人口の減少に歯止めをかけることが出来るのでないだろうか。

しかし、私は、女性がアクティブに働くにしても、ぜひ期待したいのは、女性独自の問題意識、感性、経営センスで、人口の半分の女性市場をターゲットにしたビジネスモデルをつくり、自ら起業して先進モデル例をつくるべきだ、という点だ。
今回は、それにぴったりのたくましい女性の企業経営者と知り合えたので、ぜひ取り上げたい。たまたま、私がメディアコンサルティングにかかわっている政府系金融機関の日本政策金融公庫のオピニオンリーダー向け雑誌AFCフォーラムの企画記事「変革は人にあり」の取材でお会いした人なのだ。

藤田さんはデパ地下総菜店と対照的、
あたたかいもてなしの地域密着の店舗展開
 その人は、株式会社クック・チャムの社長の藤田敏子さんだ。「おかずや 日本のお母さん」、「まちのお総菜屋さん」をキャッチフレーズに、さまざまな種類の総菜を日替わりメニューで売る店を創業の地、愛媛県新居浜市を拠点に四国、九州、関西圏で店舗展開し、最近は東京にも進出している。いわゆるデパ地下の総菜の店とは対照的に、女性の感性や目線で常にメニュー開発を行い、地域密着のあたたかいおもてなしで、女性市場をターゲットにしたビジネスモデルがポイントだ。

私に言わせると、実に目のつけどころがいい。とくに、人口の半分の女性に照準をあて、女性の関心が高い食べものに工夫をこらしてビジネス化する点は素晴らしい。藤田さんは「人口のもう半分の男性も重要なお客さんで、決して忘れていません。ただ、私は女性のうちでも、働く女性と高齢者の女性をターゲットにし、家庭で調理に時間をかける余裕がない人、あるいは年齢的に調理に手間ヒマをかえるのが難しい人たちの日常生活をぜひ、バックアップしようという考えなのです」と述べている。

「パートタイマーは時間の切り売りの感じでダメ」とユニークなパートナー社員制に
 その企画取材で、愛媛県新居浜の本社ビルに行き、同時に、店舗展開しているお店も見学させてもらった。どの店も郊外の住宅街に通じるロードサイドにあるこぎれいな、思わず入って夕食などの総菜を買いたくなるような店だ。確かに、地域密着である点がデパ地下の惣菜店とは大きく違う点だった。

地元愛媛県だけでなく、九州の福岡県、長崎県や関西の大阪府など競争の激しい地域、それに東京都内にまで六七店舗を出しているそうだが、店長の七七%が女性で、それら店長を含めた全従業員ベースで見た場合、パートナー社員を含めれば、女性の比率が九九%にも及ぶ、という。ここで、「えっ、パートナー社員?それはどんな人たち?」と思われるだろう。そう、実は藤田さんに、その意味づけを聞いて、これは素晴らしい、この経営感覚が先進モデル例の1つだと言ってもいいと思った。

働く主婦のパートナー社員のことを考え、
日曜日や祝祭日は店を休業に
 藤田さんによると、パートタイマーの人たちのことをパートナー社員と呼んでいるのだ。
このひとことで、藤田さんは抜群の経営感覚を持つ人だと、思わず感じた。「パートタイマーとか、パートというと、時間の切り売りのような感じで、私は好きではありません。クック・チャムのお店の大切な戦力の人たちであり、私たちのパートナーです。だから、短時間でも必死に働く社員の方をパートナー社員と呼ぼうと思ったのです」と述べている。

さらに興味深いのは、大型スーパーに出店している店以外は、日曜日、さらにゴールデンウイークの休日、地方で祭りのある日、お盆休み、正月休みはすべて店を休業にしている点だ。理由は、パートナー社員を含めて、社員は主婦の人たちが圧倒的に多いので、そういった休日は家庭での団らん、主婦稼業に専念する必要があると判断し、あえて休業にしているという。地域の利用者のお客も、その点はわかってくれている、というのだ。

メニュー開発も独自、
新居浜本社をセントラルキッチンにしてキットで各店舗に配送
 このクック・チャムという会社は、すでに述べた地域をつないで、チェーン展開している。それぞれの店の日替わり希望メニューに対応して、新居浜の本社内にある工場、それと福岡の九州工場の2カ所がセントラル・キッチン役となって、総菜の食材を準備を行う。メニューのたとえば八宝菜のおかす一個分の野菜などを一つのキットにして、それを各店向けにつくり冷蔵車で配送するやり方だ。

顧客のニーズは、それぞれの地域でまちまちなので、現場のお店が調査したデータなどに対応してメニューづくりを行う。藤田さんによると、新居浜の本社と各店とはコンピューターでつながっていて、本社が毎日100種類ほどのメニューを提示する。各店は売れ筋メニューが何かを把握しているので、コンピューターによって注文を出し、それをもとに本社工場で食材をキットにするやり方だ、という。

「毎日、損益決算する感覚で利益の把握を」
「みんなが商売人の発想を」と藤田さん
経済ジャーナリストの好奇心で、「惣菜の食材の単価が相対的に割安なので、たくさんのお客が来て買ってくれる、というボリューム確保をしっかりとする必要があり、経営的にはご苦労が多いのでは?」と聞きにくいことを聞いてしまったら、藤田さんは「そのとおりです。私たちは、日常的に六七店全部の個別チェックなど行えませんが、現場のお店には『日々のメニューの売れ行きによって決算、損益がすぐ出る。だから、毎日、損益決算書をつけて利益の把握をしっかりやってほしい。いい数字を出せるように、みんなが商売人という感覚で日々、対応してほしい』と言っています、と語った。

しかも、藤田さんは「先日、ある店の店長の独立募集を呼びかけたら、12人の人が応募してくれました。うち女性が7人、男性が5人でしたが、面白かったのは、男性の場合、きっとパートナー感覚なのでしょうが、奥さんが一緒に来ていました」とうれしそうに述べていた。自身で起業して、このビジネスに自信があるからこそ言える言葉なのだろう。
さらに、藤田さんは「本社サイドも、ただ要求するだけでなく、社員みんなが楽しく、面白く仕事が出来るようにいろいろ企画もつくっています」と述べ、女性社員を中心にみんなが連帯感を持てるビジネス展開にしているところも素晴らしい。

障がい者雇用を積極的に進め社会的自立支援、
農業法人つくり野菜生産も
藤田さんのビジネスの話に関して、もう少し付け加えておく必要のあるのは、障がい者の就労支援や社会的な自立を促す場づくりということで、クック・チャムmy mamaという会社を2010年につくり、ハンディキャップを持つ障がい者の方々を優先雇用して総菜の下ごしらえや加工・調理に取り組んでもらっている、という。

また、農業にも参入し、新居浜の本社近くの休耕地の畑30アールを借り受けて無農薬のコマツナなどを10アールのハウスで栽培、また残りの畑でサツマイモやナスの露地栽培している。順調に進んでいます。さらに、北海道の帯広市に隣接するめむろ町でも、今年4月に株式会社九神ファームめむろという会社を立ち上げ、農業法人の資格をとって農業生産に かかわっている。男性に全くひけをとらず、タフにビジネス展開をするところが、私からすれば、思わず応援したくなる点だ。

女性の感性や目線で市場開拓すればビジネスチャンスはいっぱい、
という発想がいい
実は、藤田さんは、新居浜で、ご両親を含めて住友企業グループのサラリーマン一家だったが、肉屋さんに嫁いだあと、その肉屋さんで仕事を手伝ううちに、事業経営に目覚めて、ここまで述べてきた総菜ビジネスで起業したユニークな人生だ。
藤田さんは「実家の名前を捨てて他人の家に行くのだから、発想を変えて面白いことをやるしかないと思いました。女性の感性や目線で市場開拓すれば、いろいろビジネスチャンスがあります」と語る。10年ほど前に、こうしたビジネスへの取り組みが評価されて、藤田さんは、女性起業家大賞を受賞、さらに政府から女性チャレンジ賞も受賞している。

私が冒頭から申し上げたように、人口の半分は女性であり、その女性市場をターゲットにしたビジネス展開はいくらでもあるように思える。その女性市場に飛び込んで、女性特有のセンスで起業して、雇用創出のみならず、新たなビジネスモデルの先進例をつくりだす、ということに弾みがついてほしい。

企業はなぜ失敗を繰り返すのか JR北海道やみずほ銀問題は深刻

なぜ企業は同じ失敗を繰り返すのか、と思わず言いたくなるような不祥事が最近、続発している。すでにご存じのJR北海道が鉄道の運行管理上で重要なレールなどの安全管理を長期にわたって怠っていた問題、メガバンクのみずほ銀行が反社会的な暴力団員向け融資を行い、取締役会に報告が上がっていながら対策を講じていなかった問題がそれだ。

いずれの企業とも、過去に企業のガバナンスが問われる列車事故やシステム障害などの問題を経験しており、経営的には問題克服していたはずなのに、またまた同じガバナンスが問われることを繰り返していたわけだ。事態は重大だ、と言わざるを得ない。
コラムでは東日本大震災と東電原発事故の影響を受ける福島県南相馬市の問題をテーマにしているうちに、取り上げるタイミングを失してしまったが、企業のガバナンスの問題は重要なので、今回、正面から向き合ってみたい。

コーポレート・ガバナンスに問題、
背景には経営分割や経営統合の後遺症?
 結論から先に言えば、この2つの企業に共通するのは、経営にとって致命的ともいえるガバナンス欠如があった、と言って間違いない。
コーポレート・ガバナンスは、ネット上の百科事典、ウイキペディアによると、企業が不正行為の防止と競争力や収益力向上を総合的にとらえ、企業価値増大に向けた経営を行う仕組みを言う。要は、経営首脳部で決めた組織改善策などをどう実行するか、その取り組み状況をいかに管理・監督するかの内部統制、さらに企業システムの機能をチェックする監査がポイントになるが、この2社では、どうもそれらが機能していなかった。

問題はまだある。JR北海道の場合、1987年の旧国鉄の分割・民営化に沿って経営分割されたが、東日本、東海、西日本の中軸JR3社と対照的に、乗客人口が少ないうえ、管轄区域が膨大で保守管理負担が大きいこと、さらに労使対立が深刻といった、経営分割の後遺症がガバナンス欠如に結びついてしまったことだ。
みずほ銀も2002年に旧第一勧業銀、旧富士銀、旧日本興業銀の3行の経営統合に伴い、プライドの高いバンカーたちの確執が互いの足の引っ張り合う結果となり、システム障害への対応遅れなどガバナンス欠如の引き金を引いた面がある、と言っていい。

顧客目線が欠け、JR北海道は
労使対立が先行し乗客の生命や安全は二の次
 しかしこの2社の経営にとって、もっと大きな問題は、率直に言えば顧客重視の目線が欠けていたことだろう。
とくにJR北海道は、あとでも述べるが、労使に深いミゾがあり、顧客である乗客の生命重視や安全確保が結果的に二の次、という信じがたい状況にあったことが次第に明らかになってきている。公共輸送機関の経営に携わる資格なし、と言っていいほどだ。コーポレート・ガバナンスが問われる、というのはまさにその点だ。

同様に、みずほ銀も似たような問題がある。巨大メガバンクの一角を担う有力な金融機関なのに、金融システム破たん時のトラウマか、金融庁の厳しい監督の影響で不良債権を発生させないことにエネルギーを注ぎ、個人顧客や中小企業向け融資に厳しい態度をとることが多かった。ところが、系列化した信販会社オリエントコーポレーション(オリコ)の暴力団向け融資に関してはルーズで、問題融資が発覚したあとの対応も、あとで述べるようにコーポレート・ガバナンスが問われるような経営の姿勢で、企業の目線が、肝心の顧客本位でなかったということだ。

JR北海道には安全文化がないのだろうか、
脱線炎上事故も事態改善策が見えず
 まずはJR北海道の問題から見てみよう。農業の取材でJR北海道を利用することが多かったが、今回、安全文化があるのだろうか、と思わず考えざるを得ない事態が相次ぎ、これでも公共輸送機関なのだろうか、と思ってしまった。
2011年の石勝線のトンネルで特急列車が脱線炎上したあと、今年に入って一気に事故が多発している。4月、5月、7月に函館線での特急列車の相次ぐ出火事故、そして8月、9月に同じ函館線で連続して貨物列車の脱線事故がそれだ。

極めつけは、この最後の9月の貨物列車の脱線事故をきっかけに、JR北海道が原因となったレールの補修放置が他の線区であるのかどうか、レール異常の点検を行ったところ97か所の補修放置があったこと、このうち49カ所は実際に乗客を乗せて列車運行させているレールだったことで大騒ぎになった。そこで、国土交通省が鉄道事業法にもとづく特別保安検査を行ったところ、新たに函館線など7路線でレールの異常放置があった個所は驚くことに何と170にのぼったため、問題が一気にエスカレートした。

『安全経営』託して2011年秋に自殺した
中島元社長の遺言メッセージも生かされず
 ところが、経営の最高責任者の野島誠JR北海道社長が9月22日の記者会見で「手が回らず補修を後回しにしていたようだ」と、他人事のようなあいまいな言い方で終始したため、経営のガバナンスが問われる事態になった。私も、この記者会見記事を見て、JR北海道の安全文化の欠ける経営体質に驚かされたが、現場取材に行ける状況でなかったので、メディア報道を注意深くチェックした。

その中で、毎日新聞が10月8日付の朝刊企画「鉄路の背信――JR北海道異常放置」の記事が気になった。JR北海道は2011年5月27日の石勝線での特急列車の脱線炎上事故をきっかけに再発防止の教訓にするため、今年4月から札幌市内の社員研修センターに、その事故車両を展示しているが、教訓が生かされないまま、今回のような異常事態が続いている現実を記事で指摘している。
さらに、その企画記事では、事故当時の社長の中島尚俊氏(故人)が国土交通省からの事業改善命令への対応で、安全性向上のための行動計画に関して担当部局がつくった案に手を入れ「会社発足時、厳しい経営環境の中で緊張感があったが、徐々に体質にゆるみが出ている」と指摘、その行動計画書を政府に提出する直前の2011年9月、「安全を最優先にすることを常に考える組織になってほしい」という遺書を残して自殺した。こうした犠牲を伴っているのに、経営のガバナンスは何も改善していなかった、という。

JR北海道の場合、経営分割時点からの
労使のミゾの深さがガバナンス欠如にも
 問題を浮き彫りにする記事が10月4日付の日経新聞朝刊、10月7日付の産経新聞にも出ていた。それは冒頭部分にも書いたJR北海道での労使のミゾの深さ、さらに相対立する労組が現場でコミュニケーション・ミスをもたらし安全文化が二の次になっている、という指摘を行っていることだ。とくに日経新聞報道によると、中島社長が自殺したあと小池明夫会長(2011年9月当時)が急きょ、社長に復帰した際、JR北海道にとって大きな課題だった労務対策に関して、中島前社長の事態打開策に対して、小池氏は労組問題に干渉しない及び腰の姿勢になり、トラブルも増えた。そして、今年6月に現在の野島社長にバトンタッチとなったが、先ほど述べた9月22日の補修個所の異常放置に関する記者会見発言に見られる経営のガバナンスのなさとなっている。

次に、みずほ銀の暴力団向け融資の問題に移ろう。すでにメディア報道で、概要をご存じだと思うが、2010年12月にみずほ銀はオリコとの提携ローンに暴力団組員らへの約2億円の融資があることを知ったのが発端。その2年後の2012年12月に金融庁検査で、その暴力団組員への融資が発見されたが、金融庁はなぜか今年9月になって、みずほ銀に対してその問題融資を放置したままであることが問題であるとして、業務改善命令を出し、表面化した。

みずほ銀の暴力団向け問題融資放置で
金融庁、メディアを欺く情報開示体質
 しかしみずほ銀の問題は、問題表面化後のメディア対応で、とくに情報開示の面にあった。金融機関のメンツの問題なのか、もともとの閉鎖体質が出たのか見方が分かれるが、本来ならば、企業に姿勢として機敏かつ正確に情報開示し、企業としての問題対応に積極的であるべきなのに、現実はそのことからはほど遠かった。

とくに、この暴力団員への問題融資を放置していたことに関して、法令順守担当の役員どまりで対応していた、という当初の説明から、その後の記者会見で「申し訳なかった。実は、歴代3人の頭取が報告を受けていた」と言い直した。金融庁だけでなく、メディアもミスリードされていた。そればかりでない。問題融資が取締役会で報告されながら、なぜか議論にならなかったことも判明した。何ともメガバンクの一角を担う金融機関とは思えないガバナンスのなさだ。

過去のシステム障害時の教訓生かされず、
3行対等の経営統合で足の引っ張り合い
 みずほ銀は第3者委員会を急きょ設置し、この問題融資がなぜ2年間も放置されなかったのかを含め真相解明に当たるというが、かつての九州電力のケースのように、問題対応でつくった第3者委員会の報告に対して、積極的な改善・対応策をとらず、単なる外部へのポーズでしかなかったため、大きな批判を浴びたことを教訓に、しっかりとした対応をとるように求めたい。とくに、みずほ銀が3行統合時のコンピューターシステム障害で金融混乱を招いた当時のコーポレート・ガバナンスの欠如問題はいまだに記憶にあるだけに、ガバナンスの改善が見ものだ。

さて、今回の2つの企業の問題は、過去にさまざまな問題事例を抱えて、痛い目にあっておきながら、なぜ失敗を繰り返すのか、経営のガバナンスがさっぱり改善、あるいは改革されず、同じような経営組織課題を引きずっているのか、という点に尽きる。
JR北海道の場合、旧国鉄の経営分割で厳しい経営課題を背負ったのは事実だが、当時、国から他のJR分割会社よりも金額が突出する6822億円の経営安定基金を受け、経営支援のバックアップを受けた。むしろ、北海道内でただ1つの長距離路線を持つ鉄道という慢心が経営面で競争意識を欠いた可能性があるし、また労使のミゾの問題にしても、それが経営の先端部分から末端の現場に至るまで安全確保、安全重視の意識の欠如につながっていたとしたら重大問題だ。

大組織病の病根持つ企業は他にもある、
顧客重視を忘れた供給先行型経営は問題
みずほ銀も冒頭に述べたように、3行の経営統合から、すでにかなりの年数がたつというのに、形式的に対等の統合だったことがかえって災いしたのか、未だに一体化、同質化出来ていないとすれば、これまた問題だ。

2つの企業の事例は、たまたま浮かび出てきた問題で、実は、他の数多くの企業にも存在する病根かもしれない。冒頭部分でも述べたように、顧客重視の姿勢が欠如していることが大問題だが、外部の顧客・消費者目線を忘れて自己規律のないまま、供給先行型の企業成長パターンにこだわったりすれば、必ず反発を招き、その企業自身が淘汰を受けると思う。その意味で、今回の2つの企業がコーポレート・ガバナンスの面で、どこまで改革に取り組むかが焦点だ。