地方創生仕掛け人、山崎さんが面白い カギは巧みなコミュニティ・デザイン力

2014年最後の「時代刺激人」コラムは、新しい年の日本の政策テーマになる地方創生にスポットを当て、その地方創生のさまざまなプロジェクトに間違いなくかかわりそうな面白い人物を取り上げてみたい。その人はコミュニティ・デザイナーの山崎亮さんだ。
コミュニティ・デザイナーって、具体的に、どんな仕事をいうのだろうかとか、山崎さんのどんな点が面白いというのか、たぶん、お知りになりたいと思うが、その前に、安倍政権が12月27日の閣議で決定する地方創生の長期ビジョンと総合戦略に関して、全体状況を把握する必要があるので、少し述べておこう。

安倍政権の地方創生総合戦略は
2020年時点の数値目標が柱、計画倒れ懸念も

結論から先に申し上げれば、人口減少や人口の高齢化に伴い地方自治体が地域を支える機能を失い事実上の地方消滅の危機が今後、具体化するという調査研究報告をもとに、安倍政権は危機感を強め、地方創生に力を注ぐのだ、と踏み出したにもかかわらず、2020年時点の数値目標を描いただけで、いまひとつインパクトに欠ける。

その数値目標は、具体的には地方で若者の雇用について、今後5年間で30万人分を創出すること、働く女性が1人目の子どもを出産したあともさまざまな職場で働き続ける割合の就業率を現在の38%から55%に引き上げること、大都市への人口集中に歯止めをかけるため、東京からの転出・東京への転入に関して、現在の10万人超過状態を転出・転入を差し引きゼロにすることなどが盛り込まれている。しかし、こういった目標数字は、過去の経験から言っても単なる計画数字で、具体性に乏しい。まさにアクションプログラムの具体的な裏付けがないと、モノゴトは何も動かないのだ。いわば計画倒れ懸念もある。

政府側は「お上頼み」なくし地方主導計画を期待、
新交付金制も準備というが、、、

この懸念に対して、ある政府関係者は、政府としては、今回の閣議決定を踏まえて、まずは2015年度中に全国の関係する自治体に「地方版総合戦略」を決めてもらう。その際、国は新型の地方交付金制度を創設して、使い道に関して注文をつけたり、制約をつけるようなことをせずに、それぞれの自治体が独自の地域活性化策をつくるようにバックアップしていく、と述べている。

陸の農業とは無縁の海洋学部卒業の学士ばかり、と言う点が何とも興味深いが、持ち前の研究熱心さ、フットワークのよさに加え、農業に対する積極的な取り組み、とくに勘や経験といった伝統的な農業手法に頼らず、むしろデータ管理を含め製造業の経営手法を生かした生産工程管理を導入した点が大きな特徴だ。

要は、これまでのような「お上(かみ)頼み」のプロジェクトにせず、地方自治体、それぞれのコミュニティ、住民がみんなで知恵を出し合って生き残り策を考えていってもらうことが今回の地方創生の基本の基本部分で、国は今後、プロジェクト支援の側に回る。このため、現在1700億円の新交付金を準備するので、文字どおり、自由な発想でイキイキするプロジェクトをつくってくれれば、政府はそのインフラづくりに最大限の協力をする、というのだ。それ自体は、私も異存ない。ただ、問題は、「お上からの指示待ち」「前提踏襲」「横並び」の体質が強かった全国の自治体、それにコミュニティ、住民の人たちがチャンスとばかりに、どこまでアクティブに動き出せるかどうかだ。

地方で組織を動かし人を動かすリーダーを待望、
山崎さんはその期待に応える?

正直言って、農業現場の取材などで毎月、さまざまな地方に出かけるチャンスの多い私から見て、元気で躍動的な農業者に出会うと、まさに拍手喝采で、時代刺激人ジャーナリストの立場で応援しようとなる。ところが地方によっては、シャッターが下りて人の往来も少ない商店街が多く、そういった薄商い閑散状況のもとで、何から手を付ければ、このコミュニティは活性化するのだろうかと考え込んでしまうことも多々あった。組織を動かし、人を動かすリーダーにも事欠くのが偽らざる実情だったからだ。

今回、取り上げるコミュニティ・デザイナーの山崎さんは、そういった問題解決にぴったりの素晴らしい資質を持った人なのだ。実は、農政ジャーナリストの会という、私もメンバーの組織が山崎さんをゲストスピーカーにお招きして、地方創生の現場が今後取り組むべき課題について話をしてもらう、というプロジェクトがあったので、参加したら、これが大当たり。時代が閉そく状況なので、ジャーナリスト目線で時代を刺激する、というのが私のセールスポイント?だったが、私自身が、山崎さんの話を聞いていて、思わずわくわく感が出てくるほど、さまざまな組織や人を動かす現場事例がいっぱいだったのだ。

コミュニティ・デザインは昔の概念と違い、
人が互いにつながりを持つためのデザイン

山崎さんの取組みをご紹介する前に、コミュニティ・デザイナーという仕事の中身を申し上げよう。山崎さんによると、コミュニティ、つまりさまざまな人たちが生活の場に、あるいは仕事場にといった形で人々が集まるコミュニティで、人が互いにつながりを持つためのデザインを行う、というのがコミュニティ・デザイナーの仕事だ、という。

とくに山下さんらが意識したのは、先進事例を学習することだった。葉ネギ栽培でカベにぶつかっていた時に門をたたいたのが静岡県浜松市の有限会社グリンオニオンの河合正博社長だ。河合さんは、葉ネギのブランド化を実現したプロ農業者だが、山下さんらの技術を盗むというよりも、自分たちがカベにぶつかった現実を率直に伝えて教えを乞いたい、という姿勢に納得し積極的に学習指導に協力してくれた。今でも3人の師匠だという。

コミュニティ・デザインそのものは、かつて人口の大都市集中という形で都市化が進んだ際、それらの人口を収容するニュータウン建設が活発化し、それらのニュータウンで住民が互いのつながりをつくりだすための広場や集会所などをどう作り出せばいいのか、といったデザインが必要になり、いわゆる商品などのデザインとは異なるコミュニティ・デザインがあったので、言葉自体はずっと以前からあった。
ただ、山崎さんによると、今では日本の国や地方、コミュニティの至る所で無縁社会化が進んできており、かつてのコミュニティ・デザインの発想でもって住宅の配置や公園づくりなどの物理的なデザインを行うだけでは、人のつながりが生まれず、その意味で新たなデザイン力が求められる時代になった。山崎さん自身はそういった問題意識でデザイナーとして取り組んでいる、というのだ。

香川県観音寺市での「まちなか再生計画」で
ショップ・イン・ショップを提案

山崎さんが具体的に取り組んだ事例は数多くあるが、話を聞いていて、興味深かったのは香川県観音寺市から業務委託を受けた市内の中心部のシャッター通り化した商店街「まちなか再生計画」のプロジェクトだ。

50歳から70歳までの商店主のおじさんたち50人と一緒に議論しながら、2000年以降、灯が消えたように人通りもなく閑散としてしまった商店街の再活性化をめざしてほしい、というものだ。山崎さんの手法はワークショップという形でディスカッションしながら問題を抽出し、自分たちでスクラム組んで何がやれるかなどを次第に浮き彫りにしていくのだが、商店主たちはほとんどがマンネリズムに陥っていて、なかなか積極的にならない。
さすがの山崎さんも苛立ちを隠せなかったが、ワークショップを重ねるうちに、組織や人を動かす、あるひらめきが生じた、という。その1つは、ショップ・イン・ショップ、つまり店の中にもう1つの店をつくる事例が観音寺市の商店街にあり、アイディア次第で面白いビジネス展開になることを提案したのだ。

商店主たちが発想の転換を評価、
マンネリズムを打破するビジネスチャレンジも

具体的には、女性の下着など洋品雑貨を売っている店の中に、その店の経営者夫婦の息子がパティシエ経験を生かしてケーキなどスイーツの店を出してビジネス展開しているのだが、甘いもの好きの女性が下着や洋品雑貨を買うと同時に、同じ店内でスイーツを買うという異業種コラボレーションが山崎さんにしてみれば「面白い」事例で、「まちなか再生計画」の1つとして、それぞれの商店主が同じように、意外性を持たせながら、別のモノを店内で販売するといったショップ・イン・ショップにチャレンジしてみたらいい、という提案だ。
発想の転換の面白さだが、これが1つの刺激になって、マンネリズムに陥っていた商店主たちがやる気を見せた。現に、このショップ・イン・ショップが刺激剤になっていくつかのチャレンジが生まれた。

商店主たちが居酒屋で「今宵も始まりました」と
FB発信したら一気に全国ネットに

もう1つは、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)の1つ、フェースブック(FB)に縁遠かった商店主がちょっとしたきっかけで、このFBを活用し「今宵も始まりました」というネットワークづくりを始めたら、これが全国の関心事となり、今や観音寺が全国区の話題になったが、そのきっかけをつくったのが山崎さんで、商店主たちに自信を植え付けた、という話だ。
これだけの話だと、いったい何の事?と思われるだろう。実は、山崎さんがワークショップを進めていても、50人の商店主の人たちの関心事は、終了後の居酒屋でのノミュニケーション、早い話が酒を酌み交わしながら、みんなでわいわいがやがやコミュニケーションを図ることにあった。
そこで、山崎さんが一喝し、「失礼ながら、ワークショップが本題で、居酒屋会合を楽しむだけの集まりにしてはダメだ。以後、居酒屋の話はご法度」とした。さすがに商店主たちも会合の趣旨を踏まえて、まじめに対応したが、それでもお酒好きの数人が個別にひいきの店に行き、その店からスマートフォーン上のFBを活用して「いま、ここにいるぞ」というシグナルを「今宵も始まりました」という形でFB上に流したら、これが全国のFBを見ている人たちが「いいね」「いいね」のサインを送る結果となり、一気に香川県観音寺市のおじさんたちが面白いアフターファイブ(午後5時以降)プロジェクトを展開していることが評判になった。
山崎さんによると、商店主50人のうちFBを扱えるのがわずか3人だったが、今やそれが大きな輪になり、FBを使っての情報発信、メッセージ発信によって、自分たちをアピールできることがわかった。そればかりでない。この観音寺市商店主の「今宵も始まりました」ネットワークに神田はじめいくつかの所から声がかかり、新たなネットワークづくりになった。

山崎さん「FB使って情報発信したら
外部の人たちとかかわる仕組み発見が成果」

山崎さんは「このFBのネットワークは『まちなか再生計画』とは無関係ですが、結果的に、商店街のおじさんたちがFBというSNSの新ツールを使って、情報発信したら、予期しない人たちとのネットワークづくりにつながるのだ、ということを知ったのです。見もしない、外部の世界の人たちとかかわり得る仕組みづくりがあるのだ、ということを知っただけでなく、これをきっかけに『観音寺市で今、面白いプロジェクトが起きているぞ』などと情報発信すれば、新たな広がりをつくれることを知ったのです。とても重要なことです」と述べる。

これは一例に過ぎない。もっとほかにもあるが、聞いていると、いろいろな地方での仕掛けが大きな広がりを持ってきている。山崎さんは、愛知県東海市の生まれだが、実家の仕事の関係で大阪府枚方市に育った。大阪人特有のフットワークのよさ、誰とでも気軽に話しかけてすぐに仲良くなるコミュニケーション力のよさなどを持ち合わせている。現在、41歳の若さながら、行動力があって日本国内のいろいろな地域の現場で、アクティブに活動されていて、とてもわくわく感のある人だ。

工程管理やデータ駆使で農業に挑戦 脱サラ東海大OB3人が見事に成長経営

私が現場取材して思わず「これは素晴らしい」と思った農業チャレンジの事例があるので、ぜひコラムで取り上げてみたい。大学生時代の仲間3人が、それぞれ別々の道を歩んでいたサラリーマン生活に区切りをつけて再集合し、未体験の農業、それもハウスや露地での野菜栽培にチャレンジして今年で12年になるが、今や収益力ある企業にたくましく成長している事例だ。
今、農業にビジネスチャンスを求めて新規就農するさまざまな脱サラ組の人たちが急速に増えている。正直言って、農業現場をよく歩く私でも、すべてのチャレンジ例を知っているわけでないので、比較評価が難しいが、共通して言えるのは、今の農業の現場経営に欠けているものが何なのかを見抜き、独自の強みづくりにチャレンジしていることだ。

脱サラチャレンジの共通点は農業現場に欠けている
独自経営手法による強みづくり

端的には、「マーケット調査をベースにした顧客ニーズ対応の売れる農産物づくり」は当然だが、「農協系統出荷を通じた卸売市場流通に頼らず、独自のバイパス流通ルートをつくるとともに農業生産加工、場合によっては川下の販売現場までの、いわゆる六次産業化を手掛ける、川上から川中、川下までの一貫経営」、「IT(情報技術)を駆使して共通の品種モデルをつくり、全国生産ネットワークでリレー生産する仕組みを構築して切れ目なく年間供給体制を確立するとともに、農産物のブランド化、マーケッティング力を生かす経営」、さらには「生産や品質、作業などの管理をデータ化して、いわゆる『見える化』によって工程管理も行くことで合理的、効率的な経営をめざす」など企業経営手法を大胆に取り入れる手法が1つの流れだ。
これ以外に、自然環境に配慮してエネルギー源もバイオエナジーや太陽光などを活用する一方、有機質の肥料などに工夫をこらして安全・安心の農産物づくりに徹する農業経営も大きな流れになっている。

鹿児島の大崎農園は勘や経験に頼らず
製造業の経営手法で法人企業と契約生産

今回取り上げるのは、前者の企業的な経営手法を導入したケースだ。具体的には鹿児島県志布志市に隣接する曽於郡大崎町で有限会社大崎農園を経営する東海大海洋学部出身の山下義仁さん、中山清隆さん、佐藤和彦さんの3人の取組みだ。
陸の農業とは無縁の海洋学部卒業の学士ばかり、と言う点が何とも興味深いが、持ち前の研究熱心さ、フットワークのよさに加え、農業に対する積極的な取り組み、とくに勘や経験といった伝統的な農業手法に頼らず、むしろデータ管理を含め製造業の経営手法を生かした生産工程管理を導入した点が大きな特徴だ。

山下さんらは、鹿児島の風土に合った適地適作方針に沿った畑作で、ダイコン、ネギ、キャベツなど品目をしぼっての安定生産で、しかも市場流通に頼らず、大手スーパーマーケットなどとの企業の業務用野菜の供給契約を結んでいる。法人との契約率が80%に及んでいる。これによって、農業体験なしのゼロスタートなのに、今や社員1人あたりの売上高が年間1500万円に行くほどで、当然、1人あたりの生産性が高い。年商も5億円にのぼり、資本金660万円の有限会社としては、優れた成長企業と言える。

山下社長「学生時代に、将来、3人で一緒に
仕事しようと約束、それが農業だった」

誰もが関心を持つのは、東海大海洋学部の友人仲間とはいえ、それぞれ卒業後、企業に就職しサリーマン社員として独自の道を歩んでいたはずなのに、再集合して簡単にサラリーマン生活に区切りをつけ、農業へのチャレンジの道に踏み出したのか、しかも農業にはさまざまなリスクがあるのに、どのようにして克服できたのか、という点だろう。
3人のうち、社長になったリーダーの山下さんに聞いてみよう。

「私がニチロという水産会社でのサラリーマン生活に区切りをつけたあと、鹿児島の私の実家の山下水産に1997年に転職したのです。ところが、漁業の先行きが先細りで展望がなかったため、1年中働ける仕事はないかと始めたのが農業だったのです」という。

山下さんは、東海大のクラブ活動仲間だった中山さん、佐藤さんとの間で、将来、一緒にやれる仕事を見つけてチャレンジしようという約束し合っていたため、焼津の水産会社にいた中山さん、東京の道路会社に勤務していた佐藤さんに「一緒にやる仕事は農業だ。苦労は多いが、面白い仕事になるかもしれない」と話を持ちかけた。2人ともそれぞれ自分たちの仕事、家庭を持っていたにもかかわらず、学生時代の約束を優先したのか、「わかった。やろう」となって、山下さんが2002年に立ち上げた有限会社大崎農園に合流する形になった、という。言ってみれば、3人に強い農業への使命感があって、新しい農業づくりにチャレンジしよう、といったものでなかったことだけは間違いない。

農業へのチャレンジ精神がすごい、
イロハからどん欲に学び先進農家にも教え乞う

ところが興味深いのは、そのチャレンジ精神だ。山下さんは、中山さんらを代弁する形で「ゼロからのスタートでしたので、農業のイロハを知るため必死で学び取る努力を行いました。種まきから土壌、肥料、水などの管理まで、すべて実践しました。同時に、いろいろな先進事例を学ぶため先進農家に行って教えを乞うたほか、研究所など書物を読んで実践してみることも必死で繰り返しました」という。
とくに山下さんらが意識したのは、先進事例を学習することだった。葉ネギ栽培でカベにぶつかっていた時に門をたたいたのが静岡県浜松市の有限会社グリンオニオンの河合正博社長だ。河合さんは、葉ネギのブランド化を実現したプロ農業者だが、山下さんらの技術を盗むというよりも、自分たちがカベにぶつかった現実を率直に伝えて教えを乞いたい、という姿勢に納得し積極的に学習指導に協力してくれた。今でも3人の師匠だという。

山下さんによると、鹿児島の畑の土は桜島の噴火降灰によって黒ぼく土壌という、リン酸吸収係数が高くて、しかもクセのある土壌だそうだ。葉ネギにはあまり向いている土質ではなく、かなりの問題土壌のため、対応に苦しみ、本当に数多くの関係図書を読み漁りました。作物に適した土壌改善として葉ネギの好む粘土分のある土への改善がポイントとわかり、いろいろ検討した結果、黒ぼく土壌の下にある粘土質のカマ土を掘り起し、天地返しといって粘土分の多い土を上に持ってくる作業を行った。するとネギの葉肉や品質の改善が顕著に出た、という。

経営の強みポイントは生産工程管理の導入、
飛騨高山の和仁農園と同じ手法

さて、山下さんらの経営の最大ポイントである生産工程管理の話を申し上げよう。農業に工程管理手法を導入して成功した事例として、以前のコラムで取り上げた岐阜県高山市の株式会社和仁農園がある。本業の土木建設会社を経営する和仁松男社長が、地元の飛騨高山地域の耕作放棄地の土地活用を委ねられて農業経営に乗り出し、いまやおいしいコメづくりでは全国表彰を受けるほどの本格経営だが、和仁さんのすごさは、土木経営分野では当たり前の工程管理を積極導入して時間や機材、人繰りのロス、ムダを省いたばかりか効率的な生産手法を定着させた。

山下さんの場合、和仁さんのようなプロ経営には至っていなかったが、山下さんによると、さまざまな生産データをすべてデータ管理して一目瞭然に「見える化」すること、毎日、担当者それぞれの作業工程をすべて示した農作業マニュアル表を配って役割分担を明確にすること、それに合わせて作業時間管理、そして全体の生産工程管理ができるようにした、という。
また、山下さんらは、一品目ごとの販売計画をつくり、それらを束ねた全体の年間生産計画をたてること、同時に月間、週間の作業計画もたてて作業の平準化、必要資材の確認、土壌分析、薬剤散布などの手順を決める。そのあとは作業実績から収穫実績、出荷・販売実績と進むが、これらの工程管理をしっかりと行うと同時に、品目ごとのコスト管理も厳しく行った。

首都圏スーパーなど法人契約は80%で安定、
地元に大消費地ないハンディを克服

大崎農園が立地する鹿児島県志布志市周辺は、畑作に適した地域だが、大消費地がないため、いわゆる川上から川中、川下に至る6次産業化といった一貫農業経営はできない。北海道などと同じだ。このため、ビジネスモデルとしては、農協の系統出荷を通した卸売市場への出荷でいくか、首都圏や関西地域の大消費地の大手スーパー、コンビニ向け、さらに地元のスーパーにも契約で出荷する、というやり方などが考えられるが、大崎農園の場合、市場流通には頼らず、大消費地の大手スーパー、コンビニなどとの契約栽培で臨んだ。
大崎農園の強みは冬場露地ダイコンなど季節性を生かした生産だ。山下さんによると、ダイコン、キャベツなどの露地野菜は冬場の鹿児島の温暖な気候を生かした生産力があるため、業務加工業者や小売業などの契約企業先からの注文ニーズが高い。一方、葉ネギは周年栽培で年間を通し安定的に生産・出荷が可能なので、この葉ネギをベースにしているが、法人企業からの注文は品質評価をもとに、伸びているのが何ともうれしい、という。

大崎農園は新興アジアのASEANでの
現地農業生産にも夢、チャンスは広がる?

ところで、大崎農園には今後、世界の成長センターになる余地を十分に持っているASEAN(東南アジア諸国連合)で現地生産して事業展開する、という夢も持っている。3人のうち、積極経営の中山さんが以前、マレーシアに農業指導に行く機会があった際、マレーシアの高冷地のキャメロン高原などいくつか生産適地の場所があること、またアジアで経済成長に弾みがついており野菜などへの消費需要が見込めること、高品質で安全・安心の日本食文化に広がりが出る可能性が大きいことから、アジア進出を主張している、という。
ただ、山下社長自身は、「今は日本国内での経営展開があり、足元を固める必要が先決ですが、将来的にはアジア展開は十分、視野にあります。夢だけは持っておきたいです」と語っている。要は、大崎農園としては、将来への布石として、ASEANを中心に新興アジア市場研究を続けるが、いまは国内市場で経営基盤をもっと固めておきたい、ということだと、私は理解した。でも、この山下さんらの好奇心の強さ、フットワークのよさ、常に市場動向などの研究を怠りなく続ける研究熱心さを見ると、もちろん、課題は新たな経営人材の確保といった問題があるにしても、何かやるのじゃないかな、という期待感を抱かせるところが頼もしい。

農業現場での人口高齢化や離農ケースの中で、
新規チャレンジ者には大いに期待

農業の現場、とくに中山間地域のみならず平場の農業地帯でも、人口の高齢化が進むと同時に、後継者難で耕作放棄地を野放しにしたり、あるいは離農していくケースも多い。そうした中で、新たな戦力として、脱サラ組に限らず、新規就農に取り組む人たちが増えていることは、農業を支えていく基盤確保になるわけだから、大歓迎だ。ただ、問題は、今回取り上げた大崎農園の山下さんらのケースのように、歯を食いしばって現場経験を踏み、また先進農家に積極的に教えを乞うてがんばる、という姿勢がどこまであるかだろう。でも、社会現象として農業の現場が壊れつつあるだけに、新規就農している人たちには、本当にチャレンジ精神旺盛な取り組みを期待したい。

エボラ出血熱危機管理体制に大問題 免疫法と感染症法がタテ割りで連携せず

世界中を震撼させている西アフリカのエボラ出血熱が、何かのはずみで、もし日本に飛び火したら、いったいどういった事態が起きるだろうか。想定したくもない問題だが、その時は、間違いなくパニック状態になるだろう。
その先例が最近、米国にあった。2001年9.11同時多発テロ以来、米国はテロリスクに異常なまでの危機管理体制を敷いているが、ニューヨークで10月23日、西アフリカ・ギニアから欧州経由で帰国した男性医師に、何と帰国後6日たってから高熱症状が起き、チェックしたらエボラ出血熱感染の陽性反応が出たため、大騒ぎになった。

米ニューヨークで先例、男性医師に発症までの
潜伏見抜けず一時はミニパニック

医師は帰国の検疫時、発熱症状がなかったので、当局も大丈夫と見たのだろう。医師は普段通りの生活だったので、接触した人が多かった。このため、突然の発症が情報開示された途端、ひょっとして感染したのでは?という不安心理が広がり、巨大都市ニューヨークは一時、ミニパニック化した。これが米国の恐れる生物兵器のバイオ・テロにつながるものだったら、騒ぎはもっと大変だったはずだ。
致死率の高いエボラ出血熱には、実は最大21日間の潜伏期間があるため、発症するには時間がかかる。この点を軽視してしまったことが、米国の危機管理ミスの最大のポイントだったのだ。しかし日本でも同じことが十分に起こり得る。

そこで今回は、このエボラ出血熱の危機管理の問題を取り上げてみたい。経済ジャーナリストの私がなぜ専門外の問題に関心を、と思われるだろう。実は、エボラ出血熱に関する日本の危機管理体制は大問題、という元厚生労働省技官で、パブリック・ヘルス(公衆衛生)問題専門家、内科医の木村もりよさんと最近、知り合う機会があった。とても刺激を受けて問題意識を共有させていただくうちに、木村さんから緊急セミナーを開催したいので協力を、との依頼があり、私がセミナーの司会役を引き受けてしまった。そんな経緯もあり今回、私なりにジャーナリスト目線でエボラ出血熱の危機管理問題をコラムで取り上げてみることにした。ぜひ、ご覧いただきたい。

2009年新型インフル時の失敗教訓生かせ、
「水際作戦」より危機管理体制が重要

専門家の木村さんの興味深い問題提起をご紹介する前に、私が考えたエボラ出血熱対応に必要な日本の危機管理のポイント部分を先に申し上げよう。
まず、2009年のメキシコ由来の新型インフルエンザ対応で、当時の成田空港での検疫対策の「水際作戦」失敗の教訓を今回、どう生かすかだ。ご記憶だろうか。到着した飛行機内に防護服姿の人たちが入って必死で検疫チェックしたにもかかわらず、関西地区の高校生がすでに別ルートで帰国してしまっていて感染リスクを防ぎ切れなかった問題だ。要は「水際作戦」は根本対策にならなかった。同じ過ちを繰り返すな、ということだ。

そこで2つめの問題は、空港などの水際で食い止めることにエネルギー集中するよりも、エボラ出血熱がいずれ日本国内に入り込むことを前提に、それに対応する広範な危機管理体制を構築する方が先決だ。あとで申し上げるが、日本は、その点に関して課題山積だ。
3つめは、日本が主導してアジアでの広域危機管理ネットワークづくりを行うことだ。日中韓3か国の保健大臣(日本は塩崎恭久厚生労働大臣)が最近11月23日、北京でエボラ出血熱対策に関する緊急会合を開催、患者発生時の情報共有などに取り組む共同声明を出した。もろ手を挙げて賛成だが、日本は今後、巨大人口を抱える中国で感染症が発生した場合の日本やアジア全体へ波及するリスクを考え、危機管理システム構築などの情報提供を行い、未然防止に協力することが必要だ。

専門家の木村さん「有事と平時の危機管理区別が
あいまい、結果は希薄な体制」

さて、ここで専門家の木村もりよさんに登場願おう。木村さんは現場経験を踏まえて、日本のエボラ出血熱など感染症危機管理体制が十分に機能していないこと、とくに有事(緊急事態)と平時の管理体制の区別があいまいで、結果的に、危機管理という概念が極めて希薄なシステムになっていることが問題だ、と警鐘乱打している。
とくに感染症対応の法律として検疫法と感染症法、さらに緊急事態対応の新型インフルエンザ法があるが、互いにリンクしないことが問題という。たとえば検疫法は、感染症が日本国内に入るのを防ぐ法律で、厚労省の出先機関、検疫所が日本への玄関口の成田国際空港や横浜港などで検疫対応する。しかし感染症が国内に入ってしまうと、検疫法領域から国内法の感染症法管轄となったと地方自治体に対策を委ねるチグハグさだ、という。

木村さんはわかりやすい例をあげる。羽田空港国際線ターミナルで問題が生じた場合、検疫所職員は制限区域を含めて自由に立ち入りできるが、もし乗客が国内線ターミナルに移動すると法的に立ち入りができず、東京都の担当職員に対応を委ねる仕組みだという。確かに法律の立てつけがおかしい。緊急事態時に法律をタテに責任逃れしたりした場合、どうするのだろうかと思ってしまう。タテ割りの組織、それにからむ法律が互いに縄張り争いしている形だ。木村さんが危惧する危機管理の現実は確かに問題だ。

感染症受け入れの医療機関が貧弱、
全国45機関、ベッド数80、医師不足と指摘

木村さんの話をもう少し紹介しよう。エボラ出血熱が現実化した場合、政府は危機管理体制として、内閣危機管理監をリーダーとする初動体制を敷く。各省庁に、それぞれの行政に即した分担を委ね、エボラ出血熱の場合、厚労省が中心となる。ところが、厚労省は平時の場合と同様、国内への感染症侵入を食い止める「水際作戦」に過度に力を注ぎ、肝心の国内対策は地方自治体に依存するだけ。役所はどこも法令順守が第一で、危機の時にさまざまな法体系がフルに機動的連携する仕組みになっていない点が問題だ、という。

さらに木村さんが問題視するのは、エボラ出血熱患者を受け入れる日本国内の医療機関の体制の脆弱さだ。現在、特定感染症指定医療機関と第1種感染症指定医療機関を合わせて全国に45しかなく、ベッド数でいくとわずか80床、それに対応する専門医療スタッフも大きく不足している。しかも全国47都道府県のうち青森、鹿児島など9県にはまだ、これら第1種感染症指定医療機関すらない。危機への体制づくりがお粗末なのだ。

エボラウイルス研究の国立BSL4施設が
住民の反対で30年以上も立ち上がらず

問題はまだある。エボラウイルスなど危険な感染症を引き起こす病原体の封じ込め対策の研究を行うバイオセーフティ・レベル4(BSL4)という国立感染症研究所の特別施設が周辺住民の反対運動で、1981年以後、30年以上全く機能していない。ウイルス研究が出来ないため、医薬品開発も遅れたままだという。国はなぜ、住民の利害とからまない新たな土地を探して研究施設を立ち上げないのか、という疑問も起きる。

ここで、私が問題提起した3つの点を中心に危機管理体制の在り方を申し上げよう。
まず1つ目の「水際作戦」の限界問題だ。厚労省は現在、エボラ出血熱対策のために、成田国際空港など国内主要空港で海外からの旅行客を対象に熱エネルギー検知のサーモスタット装置での体温チェック、帰国者全員に発症国の西アフリカ4か国での滞在歴がある場合、その滞在期間などを自主申告してもらうなど、海外からの外国人旅行者、日本人帰国者が入国する前に感染症リスクを発見する「水際作戦」に全力投球している。

「水際作戦」の限界見極め、むしろ
エボラ感染症侵入を前提に危機管理体制を

しかし、冒頭に挙げた米国の事例のように、エボラ出血熱には最大21日間の潜伏期間があるため、「水際作戦」では十分にチェックできないのが現実だ。仮にギニアからインド、タイを経て中国の会議に出た後、日本に来たという場合、直行で日本に来ていないので、チェック側に緊張度が欠けるリスクがある上、いくつかの国を迂回しているため、発熱リスクがなければチェックもおろそかになる。

となれば、誰もが当然、考えることだが、「水際作戦」にエネルギーを集中するよりも、まずは広範な危機管理体制を整備することだ。つまり、エボラ出血熱はいずれ日本に入り込む、と危機を想定すること、そしてそれを前提にした体制づくりを急ぐことだ。
そこで思い出すことがある。中越沖地震後、私は新潟県柏崎市で開催された原発危機管理をめぐる国際シンポジウムに参加したが、米国の原発危機管理の専門家が指摘した問題意識は、私には目からウロコだった。要は、米国は原発事故が起きるという前提でそれに対応する危機管理体制を敷いているのに、日本は、原発事故を起こしてはならない、起きるはずがない、という「原発安全神話」前提でコトにあたり、危機管理体制が出来てないのは問題だ、という話だ。
結果的に、それから数年後、東京電力福島第1原発事故が起きたが、その時の危機管理体制の脆弱さがさまざまな問題を引き起こし、被害を甚大化させてしまった。米国専門家の指摘どおりだった。エボラ出血熱対応もこれと全く同じだ。水際で侵入を防ぐのだ、ということよりも、侵入を前提に、それに対応する危機管理体制の構築こそが重要だ。

今こそ立法府の政治の出番、
解散総選挙にエネルギー費やす場合でない

そうしてみると、木村さんが指摘した検疫法と感染症法が一本化出来ていない問題、このため、法律が違うことを理由に厚労省と地方自治体がうまく危機連携を機動的に行わないばかりか、下手をすると責任のなすりつけあい、といった危機管理の現実になりかねないことをまず直すことに取り組むべきだ。それを行えるのは立法府の政治で、党利党略で解散総選挙などを行っている場合でない、と言いたい。
さらに、危機管理体制の構築ということで言えば、木村さんが問題提起したエボラ出血熱患者を受け入れる日本国内の医療機関体制を早く立て直すことだ。全国の9つの県に未だに、第1種感染症指定医療機関が置かれていないというのも国や自治体双方の問題だが、たとえば、まだ未設定の青森県で、仮に青森空港にエボラ出血熱感染リスクが表面化した場合、隣接する岩手県などに助けを求め、断られた際の「たらいまわし」リスクにどう対応するのか、といった問題などのことを想定して早めに対応することが必要だ。

エボラウイルスなど危険な感染症対策研究を行うバイオセーフティ・レベル4に関しても、住民の反対運動で30年以上、封印されたままというのも問題だ。対案を考えるべきだ。先進国で立ち上がっていないのは日本だけというのを今回、知って驚いた。

日本が人口多いアジアでの感染症リスク未然防止のため
危機管理体制づくりを

世界的に人口集中するアジアではいま、成長志向が高まり、経済成長優先政策が高じて、結果的に環境問題への対応や医療体制整備の遅れが次第に重大問題化しつつある。こういった時にこそ、日本は、エボラ出血熱など感染症リスク対応に関して、アジアで主導的な活動を、と言う点はすでに申し上げたとおりだ。
この点に関連して、エボラ出血熱の震源地の西アフリカで根源部分を封じ込める対策がますます重要になってくる。日本は、相変わらずカネを出すが、専門研究チームや医療チームの組織的派遣が極度に遅れている、という話を聞くと、日本国内の危機管理体制づくりも重要ながら、国際貢献という意味で、西アフリカでの各国との連携対応はもっと重要だと思う。バイオテロを封じ込める国際的な研究連携もさらに重要だ。まさに課題山積だ。

中国がAPEC対策で北京「青空創出」 強権発動でやれるなら環境抜本対策を

中国が米国、ロシアのみならずアジア、太平洋の21か国・地域の首脳を北京に招き11月10日、11日と開催したアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議は、ジャーナリスト目線で申し上げれば、各国首脳のさまざまな思惑がこもり、かつ主導権争いが目立つ会議だったと言える。
というのも、主催する中国自身にとって、海洋覇権を含めた「強大国」誇示の動きに対するASEAN(東南アジア諸国連合)や日本、米国からの警戒心や反発を払しょくする必要がある一方で、アジアの新リーダーの存在感アピールという点が最重要。他方で、日本は会議の場を利用して日中、日ロ、日米、日韓首脳会談の実現、中でも凍結状態だった日中首脳会談の実現が政治・外交課題だった。
米国やロシアも同じく中国とのつかず離れずの関係維持しながらも、リーダーの立場をめぐって中国とせめぎ合いがあった。それに、韓国は中国と米国との間に挟まれたサンドイッチ状態の中で中国傾斜を強めているが、米国、さらにはロシアが自身の動きをどう見ているのか、値踏みも必要などがそれだ。

工場の一時操業停止や北京乗り入れ車の
走行半減指示などの強引な対策が効果

しかし今回のコラムでぜひ書きたいのは、実はこうした思惑いっぱいの首脳会議のことではない。中国共産党政府が、APEC首脳会議開催にあたって強権発動し北京に青空を人為的に創出させたことだ。つまり権謀術数渦巻く首脳会議のカゲで、意外に見過ごされがちだった環境問題にスポットを当てようということだ。

大気汚染の元凶だったPM2.5(微小粒子状物質)を取り除くため、中国政府は工場の一時操業停止や北京に乗り入れる自動車に関して排気ガス抑制のため偶数・奇数車の交互走行指示といった、さまざまな対策を講じた。おかげで北京に青空が一時的によみがえった。北京の市民にとっては、強引な規制を受けて不満がいっぱいであるのは間違いないが、同時に、待望した青空を目にすれば、我慢したかいがあった、というところだろう。
だが、首脳会議の夜に、大量の花火が打ち上げられた。雰囲気を盛り上げる演出だったのだろうが、その映像を東京のテレビニュースで見て、私は驚いた。北京市民のみならず北京周辺地域の住民にまで、たき火やわらを燃やす野焼き、爆竹鳴らしなどはいっさい禁止と命令を下し、市民生活を徹底的に抑え込んでいながら、ひどい話だと思った。首脳会議のための特別措置だ、と開き直ったのだろうが、市民に強い不満が残ったのは事実だ。

「APEC後、工場は損失取戻しで一斉稼働、
汚染再発リスク懸念」と松野氏が指摘

現場取材重視の私も、今回ばかりは現場には行けなかったので、中国にいる友人にEメール連絡で情報収集した。そのうちの1人、精華大学・野村総研中国研究センター理事・副センター長の松野豊さんが興味深い話をしてくれたので、少しご紹介しよう。

「北京市民は大気汚染を極めて問題視している。1か月前も重度汚染状態が続いた。外国人が妻子を帰国させるとか、中国人の金持ちが北京脱出をしている、といったうわさが流れたため、中国政府も当時、危機感を強め、APEC対策も兼ねて、それまでの対策に加え、古い車の走行禁止など10か条に及ぶ対策を打ち出し、財政支出も大規模に実施した。APECで青空が戻ったのは工場の一時操業停止や自動車の走行量半減の指示など、国家行事優先の無茶な対策を打ち出した結果だ。北京市民は、対策を打てば青空を取り戻せるのだ、という実感を持っただろうが、恒久的にできるとは誰も思っていない。むしろ、APEC終了後は、操業停止を命じられた工場が損失を取り戻すために一斉稼働するだろうから、かえって重大な大気汚染になるのでないか、と市民は心配している」と。

北京オリンピック時に私も「青空創出」を実感したが、
中国環境汚染はその後本格化

中国共産党政府による強権発動による首都・北京の青空「創出」作戦は、今回に始まったことではない。2008年8月の北京オリンピックの時から始まっている。その7か月前の1月に、中国の省エネ問題調査取材で、私の先輩ジャーナリストと2人で北京に滞在した際、当時はPM2.5よりも、やや緩やかなPM10という基準値が議論の対象だったが、冬場の北京ながら1日も晴れ間がなく、どんよりして空気も重い感じがした。
私は帰国して成田空港で久しぶりの快晴に接して、空が青いというのはいいなと実感したが、そのあとの北京オリンピックで今回と同じ対策の結果、青空が実現した。当時、東京でテレビを見て北京滞在時との差を実感しただけだが、強権発動のすごさを感じた。

しかし中国の環境汚染が深刻さを加えるのはそのあとだ。北京オリンピック直後の2008年9月に、米国で大手投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破たんし金融システム不安に発展、いわゆるリーマンショックが世界中を震撼させた。当時、中国共産党政府は4兆元(円換算約72兆円)にのぼる巨額財政資金を使って公共投資を中心に景気対策を行ったが、成長のひずみともいえる環境汚染や公害問題が本格化した。その後遺症が今も大気汚染はじめさまざまな形で続いているのだ。

中国は経済大国誇示するならばそれに見合う
「責任大国」としての環境対策を

そこで、私は先に、中国の大気汚染など環境対策に関する問題提起したい。結論から言えば、中国はPM2.5に象徴される大気汚染に関して、周辺国の日本や韓国などに大きな影響を及ぼしている。中国は急速な経済成長を志向した結果、さまざまな環境破壊を引き起こしたため、危機意識をもとに、遅まきながら対策を講じつつあることは認める。
しかし、中国のアクションにはスピード感がない。速やかに、さまざまな対策を大胆に打てば、今回のAPEC首脳会議で見せたような形で効果が出てくる。問題は有事になった時に、あわてて実施するのでなく、平時から対策を計画的に講じることが必要だ。中国は、国内総生産(GDP)世界第2位の経済大国を誇示するのならば、それに見合った「責任大国」として、大気汚染はじめ環境対策を実施してほしい、ということだ。

日本もこれまでも中国に対し、日本自身の強みである環境制御技術、省エネ技術などを対中供与してきた。しかし中国が本気で取り組むならば、日本は世界の成長センターになり得るアジア全体の環境対策の意味合いもあり、中国を含めたアジア全体に対し、環境問題先進国として積極協力するし国際的な監視モニター役も務める気概で臨むと言いたい。

李克強首相は今年3月
「深刻化する大気汚染に宣戦布告」と言ったが、、、

中国共産党政府が対策に乗り出したというのは、2014年3月13日、中国国会にあたる全国人民代表大会終了後の記者会見で、李克強首相が「中国は深刻化する大気汚染に宣戦布告する」と強い表現で語った点だ。社会不安が政治不安になるリスクが高まったため、重い腰を上げたと言っていいが、問題は本気度で、それを監視する必要がある。
李克強首相は具体的には「昨年(2013年)、総合的な大気汚染対策を打ち出したが、すでに161都市でPM2.5の濃度を検出した。この数値は途上国で最も多い。環境悪化の現状に対し、政府は規制と同時に対策を強める。2014年に関してエネルギー消費を3.9%減らす。二酸化炭素(CO2)を排出する石炭2億2000万トンの消費削減に相当するが、違法行為があれば強力な手段と規制で徹底的に処罰する」と当時、述べた。

李克強首相が言及した中国の総合的な大気汚染対策は、昨年9月公表の「大気汚染防止行動計画」がそれで、具体的には今後5年間で北京や天津のPM2.5濃度を25%削減する。とくに汚染物質の排出源の鉄鋼業など国有企業を対象に排出削減目標を課す。中央・地方政府、国有企業など社会全体で4年後の2017年度までに総額1兆7000億元(円換算約29兆円)超の対策資金をつぎこむ――などとなっている。しかし私が中国共産党政府の本気度にこだわるのは過去、法改正したり、それに伴って計画や対策を打ち出しても、その場をとりつくろうだけのもので、着実な成果を挙げていなかったからだ。

中国の「責任大国」論は早く豊かな大国になること、
そのためには成長が必要の考え

中国にいる友人は興味深い話をしている。「共産党政府には、経済成長を抑えてでも人民の生命を守るという発想はない。持続的な経済成長が止まれば、あらゆる社会問題が噴出し社会不安から政治不安に拡大し国が崩壊するからだ。だから、政府は、環境汚染を制御しCO2(二酸化炭素)も抑制しエネルギーも節約する努力を続けるが、同時に経済成長も持続させる、という政策判断だ。初めに成長政策ありきだ。これは譲れない」という。
さらに、私がこだわった「責任大国」論に関しても、その友人は鋭い指摘をしている。「中国政府や共産党のエリート層の『責任大国』に関する概念が全く異なる。中国は早く豊かな強国になりたい、それが出来て初めて周辺国に対して責任ある国家になる、という論理だ。つまり、中国が主体となってアジア全体を豊かにすることが重要なので、中国はそのためにも成長政策によって豊かになる必要がある、という発想だ」と述べている。

中国が短期間の急成長政策の結果、PM2.5など大気汚染やさまざまな問題で周辺国に迷惑を及ぼしているのでないか、という指摘に対しても、これまでの先進国の資源浪費、さらには先進国が中国への資本進出などで環境問題を中国に持ち込んだのであって、迷惑を蒙っているのは中国自身だ、という被害者意識が先行するので注意が必要だ」と述べている。となると、日本としては、あまりギリギリと中国を追い詰めず、大国意識をくすぐりながら、環境政策対応で応分の責任を果たせ、と責任論を展開することなのだろうか。実に悩ましいところだ。

米中首脳会談で温室効果ガス削減新目標?
実現すればすごいがまずお手並み拝見

このあたりの原則論は、これまで中国が国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で主張していた論理と同じだが、今回のAPEC首脳会議終了後に行われた米中首脳会議で、ちょっとこれまでと異なる事態になった。米中首脳が地球上の温室効果ガス削減の新たな目標づくりで合意したのだ。これは正直言って、ビッグサプライズだ。
具体的には、米国は2025年までに2005年比で温室効果ガスを26~28%削減すると公表。同時に、中国も2030年ごろまでをCO2排出のピークとし、中国国内のエネルギー消費に占める石炭、石油など化石燃料以外の燃料の比率を約20%とする目標を掲げたのだ。しかも、米中両国首脳会議の共同声明で、世界の3分の1以上の温室効果ガスを排出する米国と中国という2大排出国が、世界の気候変動問題で主導的な役割を果たす時代に来た、と言及している。

習近平中国国家主席が、もし本気で気候変動問題で米国と一緒に主導的な役割を果たすと踏み込んだのならば、さきほどの手前勝手な中国の「責任大国」論から、一歩も二歩も踏み出すことになる。となれば、PM2.5問題を含む大気汚染はじめ、さまざまな環境破壊問題に関しても、中国は「責任大国」の責任を果たす必要が出てくる。過去に、これらの話では、期待先行で裏切られることが多かったが、米中首脳会談で、まさに「瓢箪から駒」状態となったのならば、こんなにハッピーなことはない。とはいえ、まずはお手並み拝見というところだろうか。

AIIBに加え、BRICS5か国による新開発銀行誕生、今後は開発金融摩擦も

ただ、現実問題として、今回のAIIBと先行して、今年7月に中国、ロシア、ブラジル、インドなど5か国によるBRICS新開発銀行が動き出している。この開発金融にかかわる新銀行もAIIBと同様、具体的に、どんな運営、事業形態になるのか、はっきりしない。
しかし中国が他のインドやブラジルなどと一緒に、仮に、世界銀行やアジア開発銀行などによる戦後の地域開発金融機関体制などに対する戦後レジームへの挑戦、新たな対抗軸の構築を全面に押し出して、アクションを起こした場合、政治的な思惑が強い実効性の弱い金融機関だと突き放してもいられない。それどころか、既存の世界銀行やADBなど地域開発金融機関との間で開発金融の手法をめぐって、深刻な摩擦が起きる可能性さえある。

貸し込み競争で開発金融基盤が損なわれる事態回避のため、
日本が先進事例を

私自身は、日本の外交戦略軸としては、以前から、2015年12月のASEAN地域経済市場統合をきっかけに、ASEANとの連携軸を強めるべきだという考えでいるが、その面で今後、ASEAN向けプロジェクトをめぐって、今回の中国主導のAIIBなどと開発金融の現場で摩擦もあり得るかもしれない。ただ、その場合、AIIBがインフラ融資の、いわゆる貸し込み競争に陥って、開発金融の基盤を損なうようにしてしまいかねないことだ。そのためにも、日本はADBで培った開発金融ノウハウをベースに、途上国向けのインフラ融資などが健全に運営され、それぞれの国で発展の軸足になるようなモデル事例をつくり、AIIBなどに事例説明していくリーダーシップが必要だ。いかがだろうか。

政治思惑満載のアジアインフラ投資銀 中国は開発金融でも新たな覇権狙い?

ある国が主導して、これから立ち上げようとする国際金融機関に関して、運営システムなどがまだ定まっていない時点から、世界の主要国の間で、そこに参加する国々はいったいどこなのだろうか、その最終的な参加国数はどれぐらいにのぼるのか、さらに、その金融機関が今後取り組む事業の中身がどういったものになるのかなどに関して、異常なほどに関心が高まった。過去にもあまり例のないことだった。その金融機関とは、中国が主導して2015年末に設立をめざすアジアインフラ投資銀行(AIIB)のことだ。
このAIIBは、主要国の関心事になったように、ジャーナリスト目線で申し上げても、なかなか興味深い問題をはらんでいる。私自身が、この金融機関の対極にあるアジア開発銀行(ADB)の戦略シンクタンク、アジア開発銀行研究所のメディアコンサルティングに携わっているので、コラムを読んでいただく方の中には、バランスを欠くのでないか、と思われるかもしれないが、ジャーナリストの立場で何がポイントか、出来るだけ客観的に問題を取り上げてみるので、ぜひ、ご覧いただきたい。

途上国泣き所インフラ資金の支援で、
中国がAIIB最大出資者の強み発揮に意味

結論から先に申し上げよう。海洋覇権で強大国を誇示する中国が、AIIB立ち上げによって、今度は電力、鉄道、道路、水などのインフラ整備の資金手当てに苦しむ発展途上国、とりわけASEAN(東南アジア諸国連合)のうち、ベトナム、カンボジアやラオス、ミャンマーなどの発展途上国に対し、それらの国がノドから手が出るほど泣き所のインフラ開発資金について、最大の出資者となる中国が資金力の強みを生かして支援・協力を打ち出し、開発金融分野でも新たな覇権をめざそうとしているのでないか、という点だ。

そういった取り組みは、中国単独で援助によっても行える話だが、ジャーナリスト目線で言えば、ここは、中国が参加呼びかけを行って束ねたAIIBの中で、中心的なリーダーシップをとりながら存在感を示すことに意味がある。とりわけ開発金融分野で、中国が金融覇権などと名指し批判されないように、AIIBを活用する点に重要な意味がある。

中国が戦後の国際金融秩序に挑戦の可能性も、
逆にOECD未加盟が問われる?

また、中国は、このAIIBをテコにして第2次世界大戦戦後の米国ドル基軸の通貨システム、関連する国際通貨基金(IMF)、世界銀行を軸にした国際金融秩序維持のブレトンウッズ体制、関連してその後に出来たアジア開発銀行など地域開発金融機関体制などに対して、ひょっとしたら本気で戦後レジームへの挑戦、新たな対抗軸の構築という壮大な意図を持っているのかもしれない。現に、そういったフシもある。

こうしてみると、政治的な思惑満載の中国主導のAIIBと言えそうだが、問題はうまく機能するのだろうか、という点だ。中国は今、国内外でさまざまな政治や経済、外交面で課題を抱えている。率直に言って、課題山積の中で、中国がAIIBを立ち上げて、本当に、発展途上国向け開発金融の分野で中国自身の意図どおりの実績をあげ、存在感をアピールできるのだろうか、と疑問符がつくことは間違いない。
そればかりでない。中国はGDPで世界第2位の経済大国になりつつあるが、「先進国の証明」ともいえる経済協力開発機構(OECD)にまだ未加盟なことも問題になっている。アジアで加盟する日本と韓国は、貿易金融やプロジェクト金融などに関して、「OECDルール」順守を義務付けられているが、中国は対象外ということで、主要国からひんしゅくを受けかねない貿易金融、援助などを強行し、根強い反発があるのも事実。

21か国が参加し10月にAIIB設立覚書に調印、
当初は500億ドルでスタート

さて、中国の呼びかけで、さる10月24日、AIIB設立に向けての覚書調印式が北京で行われ、参加表明していた21か国の代表が、1年後の設立に向けての覚書に調印した。参加したのはインド、タイ、ベトナム、フィリピン、マレーシア、シンガポール、それに中東からサウジアラビア、クウェートなどで、私自身がサプライズだったのはタイやサウジアラビア、インドの参加だ。あとでも申し上げるが、ぎりぎりまで参加が焦点だった韓国、オーストラリア、インドネシアは参加を見送っている。

中国国営通信新華社はじめいくつかのメディア報道を総合すると、AIIBは2015年末に設立予定で、本部を北京に置き、初代の総裁には元中国財政次官、元ADB副総裁などを歴任した国際金融のベテラン、金立群氏があたる見通し。資本金は現時点で500億ドル、このうち中国が半分を負担、残りを参加各国で応分の負担となっているが、最終的には1000億ドルの資本金規模をめざす、という。
中国国家主席の習近平氏が21か国代表を前に行ったあいさつでは、このAIIBについて、アジア地域の道路、鉄道、港湾、電力などのインフラ整備へのニーズが高まっていることを指摘したあと「(世界銀行やADBなど)既存の開発金融機構との相互補完、協力強化によって、アジア経済の繁栄を推し進めたい」と述べた。

11月北京で開催のAPEC首脳会議で
AIIBアピールのため中国が見切り発車説も

中国経済をウオッチしている中国問題専門家によると、中国としては、今回、参加に至らなかった韓国、オーストラリアなどをギリギリまで説得して取り込む意向が強かった。しかし、一方で11月7日から同じ北京で開催予定のアジア太平洋経済協力会議(APEC)に集まる米国、ロシア、日本など関係各国の首脳に向け、中国が世界の成長センターともいえるASEANなどアジア地域でのインフラ資金ニーズに対応するため、AIIBの設立に踏み切ったとアピールしたかった。このため、10月24日の設立覚書調印で見切り発車したのでないか、という。確かに、APEC首脳会議で中国の存在感をアピールするのは重要なことなので、見切り発車した可能性も否定できない。

韓国のAIIB不参加のカゲで中国が執拗な説得?
韓国の動向は大きな関心事

中国の政治的な思惑満載のAIIBと、すでに申し上げたが、実は、中国は、日本と米国が大株主として主導権を持つADBの枠組みにクサビを打ち込むには韓国をAIIBに取り込むことが必要と、執拗に韓国に参加を求めたフシがある。韓国の中央日報紙が6月28日に報じたところでは、中国の王毅外相が今年6月の韓国訪問時に、1か月後の7月3、4日に行われる習近平中国国家主席と韓国の朴クネ大統領との首脳会談でAIIBへの韓国参加を表明してもらえないかと打診した。これに対し米国政府は在韓国米国大使館を通じて「韓国のAIIB参加に深い懸念を表明する」と伝えた、という。

そんな中で、10月のAPEC財務大臣会合後の記者会見で、崔経済担当副首相兼企画財政相が「AIIBに韓国が参加できない理由はない」と、受け取りようによっては参加判断もあり得る発言を行った、というメディア報道があった。崔経済担当副首相は朴大統領の信任厚く、景気低迷下にある韓国経済の政策運営を委ねているだけに、中国の水面下での説得工作があったのかと思ったほどだ。結果的に、韓国は不参加だったが、前回コラムでも書いたように、韓国が政治、外交面で米国と中国との「サンドイッチ状態」にある中で最近、急速に中国接近を続けている現状からみれば、韓国の動向は関心事だ。

中国は巨額外貨準備の運用先にAIIB活用の可能性大、
信頼得る仕組みづくり重要

率直に言って、中国のAIIBには政治的な思惑だけでなく、経済的な思惑も強くある。さきほどの中国経済ウオッチの専門家とも意見一致したが、中国は、人民元高を押さえるためのドル買い・人民元売りの為替介入によって得たドル建て外貨準備が今や4兆ドルに及び、そのドル建て資産の運用先として、このAIIBが登場したことは明白だ。
しかもOECD未加盟のまま、AIIBという国際開発金融機関のフィルターを通して中国主導で仮にルーズなインフラプロジェクト金融が行われると、国際金融秩序を乱しかねない。これに対して、どういった歯止めをかけるかが今後の大きなポイントだ。

インフラ資金がノドから手が出るほどほしい発展途上国側にすれば世界銀行、ADB、あるいはAIIB、さらには日本など個別の国の援助資金でも、資金さえあればいいので、注文をつけることはないが、ADBなどは融資にあたって、どういった資金活用なのか、その効果はどこまで出たか、あるいは返済にあたっての資金確保の態勢はどうなっているかなど、健全性を求める。その点、AIIBは今後、21か国間での話し合いで、どういった資金の運用基準にするのかなど、多くの国々から「これならば安心。あとは任せる」と評価を受けるシステムをつくり得るかどうかが重要になる。

日本は、ADBへの積極的コミットを続ければいい、
AIIBとの二股は考えられない

そこで、日本の立ち位置がポイントになる。私は、日本が経済大国として、戦後のアジアの地域開発金融を担うため、米国と並んで15%の出資比率で大株主としてADBにかかわっている以上、AIIBと二股をかける必要はなく、日本自身の無償や有償の援助、技術協力などを織り込んだODA(政府開発援助)と並んで、ADBの開発金融などにも積極的にコミットしていく現在のポジションを維持していけばいいと思う。

麻生財務相はAIIBに関して、10月24日の記者会見で「AIIBのインフラ支援の考え方自体、悪いことではない。ただ、ADBや世界銀行との役割(分担)をどうすみ分けるのか、運営の仕組みが明らかでない。その保証がないと、大丈夫かなという話になるのでないか」と述べていたが、日本の財政責任者としてはそれ以上踏み込めないだろう。

AIIBに加え、BRICS5か国による新開発銀行誕生、今後は開発金融摩擦も

ただ、現実問題として、今回のAIIBと先行して、今年7月に中国、ロシア、ブラジル、インドなど5か国によるBRICS新開発銀行が動き出している。この開発金融にかかわる新銀行もAIIBと同様、具体的に、どんな運営、事業形態になるのか、はっきりしない。
しかし中国が他のインドやブラジルなどと一緒に、仮に、世界銀行やアジア開発銀行などによる戦後の地域開発金融機関体制などに対する戦後レジームへの挑戦、新たな対抗軸の構築を全面に押し出して、アクションを起こした場合、政治的な思惑が強い実効性の弱い金融機関だと突き放してもいられない。それどころか、既存の世界銀行やADBなど地域開発金融機関との間で開発金融の手法をめぐって、深刻な摩擦が起きる可能性さえある。

貸し込み競争で開発金融基盤が損なわれる事態回避のため、
日本が先進事例を

私自身は、日本の外交戦略軸としては、以前から、2015年12月のASEAN地域経済市場統合をきっかけに、ASEANとの連携軸を強めるべきだという考えでいるが、その面で今後、ASEAN向けプロジェクトをめぐって、今回の中国主導のAIIBなどと開発金融の現場で摩擦もあり得るかもしれない。ただ、その場合、AIIBがインフラ融資の、いわゆる貸し込み競争に陥って、開発金融の基盤を損なうようにしてしまいかねないことだ。そのためにも、日本はADBで培った開発金融ノウハウをベースに、途上国向けのインフラ融資などが健全に運営され、それぞれの国で発展の軸足になるようなモデル事例をつくり、AIIBなどに事例説明していくリーダーシップが必要だ。いかがだろうか。

韓国経済ビジネスモデルは正念場 ウオン高に中国追い上げで苦境?

ぜひ取り上げたいと以前から思っていたテーマがある。韓国経済の問題だ。折しも最近、韓国GDP(国内総生産)の20%超を占める巨額の連結売上高を持つサムスン企業グループの中核企業、サムスン電子経営に赤信号がつき、その収益悪化が韓国経済のダウンサイドリスクを増幅させかねない事態となった。韓国経済に計り知れない影響力を持つサムスン電子の今回の収益悪化は、私の見るところ、構造的な問題をはらんでいる。そこで、この際、正念場に来た韓国経済のビジネスモデルといった視点で取り上げたい。

中国企業がスマホ低価格攻勢、
サムスン電子が中国市場シェア食われ収益悪化

具体的に申し上げよう。今回のサムスン電子の経営悪化は、ウォン高による輸出価格面での競争力低下だけでなく、急速に追い上げてきた中国企業の低価格スマホの販売攻勢に対応できず、販売シェアを奪われたことが響いた。このため最近公表になった今年7-9月期の連結営業利益は、過去最高益だった前年同期に比べ60%ダウンした。しかも前年実績を下回ったのが今回を含めて4四半期連続となった。事態は深刻なのだ。

サムスン電子経営をウオッチしている、ある専門家の話によると、収益悪化の最大の原因は、サムスン電子が中国市場で圧倒的シェアを誇っていたギャラクシーシリーズの機種に対し、中国企業が低価格帯のスマホ新機種を次々に出し、シェアを着実に奪い始めたためだ。とくに、中国聯想(レノボ)、中国小米科技(シャオミ)、さらに中国華為技術(ファーウェイ)が競い合うように低価格で、しかも品質や技術面でサムスン電子と大差がない機種で迫った、という。中国ファーウェイは9月下旬に韓国市場での新機種発売を表明し、国産志向が強い韓国で積極販売攻勢をかける、という。中国の攻勢は相当なものだ。

中国が韓国ビジネスモデルを真似て、
「サンドイッチ状態」の韓国の背後で揺さぶり

サムスン電子にとって、今回のことは構造問題をはらんでいる、と冒頭に申し上げたが、それは、中国の民間企業が相対的に割安な中国国内の労働力や設備という武器を活用するだけでなく、水平分業によって他の国の技術力も駆使して低価格スマホを生みだし、高価格機種にこだわる韓国のすぐ背後にまで迫って揺さぶりをかける事態に至ったのだ。

韓国はこれまで、行く手に常に厳しい競争を強いられるライバル日本企業がいる一方、すぐ後ろに、自分たちのビジネスモデルを真似て追い上げる中国がいて一種の挟み撃ち状態、つまり「サンドイッチ状態」に陥っていたのは事実。
ところがサムスン電子は「中国企業は恐れるに足らず」と過信したのが判断ミスとなった。スマホはサムスン電子の最大収益源だっただけに、中国とのシェア争いに敗れたりすれば悲惨な事態になりかねない。しかし日本企業が高みの見物をしている余裕はない。食うか食われるかのグローバル競争のもとで、日本も生き残る戦略を見つけることが重要だ。

韓国シンクタンク幹部が以前指摘していた
「韓国サンドイッチ状態」説に現実味

この韓国の「サンドイッチ状態」問題については以前、私がメディアコンサルティングでかかわるアジア開発銀行研究所主催のアジアシンクタンクサミットで、韓国シンクタンクの幹部が今回のサムスン電子の事態を予言するかのように話したのを憶えている。

その幹部によると、韓国は、「サンドイッチ状態」のうち日本に関して、サムスン電子が技術力のある日本企業をターゲットに、追いつき・追い越せ作戦で必死に取り組んだが、現実問題として、基礎技術力などで日本とは決定的な差があることを知り、技術の模倣に切り替えた。その代わりグローバル市場で現地ニーズに対応したマーケッティング力、ブランディング力を生かした販売戦略によって独自のビジネスモデルをつくりあげ、見事、テレビなど家電製品分野でグローバルシェアを確保した、という。
日本には技術力で差がついていても、水平分業で日本やそれ以外の国の技術の模倣を行うことで十分。むしろグローバル市場でのマーケッティング力など、日本の弱み部分でリードしてシェアをとる作戦が功を奏した、と述べたのが印象的だった。

韓国企業が日本の技術力ある企業を物色?
とくに非上場、財務体質悪い企業を

ところが、そのシンクタンク幹部によると、韓国は「サンドイッチ状態」のもう一方の側にいる中国企業を軽視する姿勢があるのは気になると当時、言っていた。いずれ中国が、割安の労働コストなどを武器に低価格攻勢で来ることは分かっていたが、価格競争要因以外の分野で、まだまだ勝てるという判断が韓国企業にあった。韓国は中国の巨大な消費市場に地理的にも近いメリットことに目を奪われ、市場攻略に力を注ぎ、中国企業の追い上げに関して、十分な対策を講じなかった。中国企業の追い上げを軽く見ていると、いずれ苦境に立つリスクがある、と当時、語っていた。それが今、現実化しつつあるのだ。

その時、韓国シンクタンク幹部は、ジャーナリスト感覚で言うと、極めて興味深い面白い話をしていた。ちょっと紹介しよう。韓国企業のうち、サムスン電子など資金力ある企業は優秀な技術者をヘッドハンティングしたり、研究開発投資に資金をつぎ込んだりして技術力確保に走るが、その余力が十分でない企業は、いずれ中国企業の追い上げに直面するのを意識して、対策として、技術力のある日本の中堅企業を探し出し、買収をかけずに互いに連携しようと持ちかける可能性がある。その場合、ねらい目は非上場の同族企業で、財務体質がよくなく、後継者難にあえいでいる企業だ。弱みに付け込む、というわけではないが、連携交渉するにしても攻めやすいのでないか、と言うのだ。

韓国サムスン電子のイ・ゴンヒ実力会長が
2007年に「サンドイッチ」論を展開

そんな中で、林廣茂同志社大学大学院教授が書かれた「日韓企業戦争――生き残るのは日本か韓国か」(阪急コミュニケーションズ刊)をたまたま読んでいたら、サムスン電子のイ・ゴンヒ会長が2007年1月の記者会見で「サムスン電子が大きくなったのはいいことだが、20年後が心配だ。中国が追い上げ、日本は先に行く状態で、韓国はサンドイッチ国家になりかねない」と発言した、というのだ。この点は何とも興味深い。

林教授によると、当時のサムスン電子は半導体、液晶テレビに偏った経営で、それなりの利益を出していたが、イ・ゴンヒ会長は、この偏りが不満だったようで、韓国サンドイッチ国家論を持ち出し、以前から声高に主張していた「妻と子供以外は全て変えよ」という革新経営の徹底を求め、技術優位や商品デザイン優位のイノベーションを現場に迫ったのでないか、という。ただ、現在は体調を崩して入院中のイ・ゴンヒ会長が「20年後が心配だ」と言ったことが、2007年当時から8年後に現実化し、サムスン電子そのものビジネスモデルが問われる結果になっている。

サムスン電子など韓国企業が事態放置すれば、
ビジネスモデル自体が問われる

今回のサムスン電子の経営赤信号の問題は、圧倒的シェアを誇っていた中国などのスマホ市場で、中国が激しい追い上げを見せ、とくに低コストの労働力などの活用と合わせて、他の国々のスマホ技術を巧みに使って一定の品質も維持したうえで低価格機種体系をつくりあげて、韓国の牙城である高価格のギャラクシーシリーズのスマホ分野に攻め込んで販売シェアを上げてきたことにポイントがある。サムスン電子もこのまま指をくわえて、じっとしていることはありえないだろうが、レノボ、シャオミ、さらにファーウェイといったスマホ分野で着実に力をつけるこれら中国企業が、新興アジアに対して、一定の品質を維持しながら低価格を売り物にして攻勢をかけたら、間違いなくサムスン電子のシェアが切り崩される可能性も出てくる。まさに、韓国企業のビジネスモデル自体が問われる、という事態になるかもしれない。

官民一体の輸出立国政策で来た韓国政府にあせり、
「日本病」化を恐れる?

この財閥系企業グループ、サムスン電子の経営赤信号は、韓国経済全体の浮沈にかかわる。韓国政府は、狭い国内市場に頼っていては先行き展望がない、と輸出立国政策を前面に押し出し、時に市場介入による通貨ウォン安誘導を行ってサムスン電子などの輸出戦略に同調するなど、官民一体の成長政策で経済運営してきた。ところがここで主力輸出企業の落ち込みが目立つと経済にはボディブローとなってくるのだ。

そればかりでない。悲惨なセウォル号沈没事件で、犠牲者への哀悼の気持ちが多くの国民の贅沢消費自粛をもたらし、内需全体を押し下げる事態になってしまった。そこへ、サムスン電子など輸出企業の経営悪化によるマクロ経済への影響は深刻視せざるを得ない。いま、韓国政府当局者が恐れているのは、日本がバブル崩壊後に長期経済停滞に陥ってデフレ脱却に苦しんだ「日本病」に、韓国も次第に巻き込まれるリスクだ。
現に、朴韓国大統領の強い要請で今年七月、緊急経済対策を託され就任した崔経済担当副首相兼企画財政相は、総額四〇兆ウオン(円換算四兆円)の財政資金でテコ入れに踏み出した。その際、崔副首相は「韓国経済の現状は、低物価や低成長という日本の『失われた二〇年』の初期のころに似ている」と述べたのだ。それだけに、今回のサムスン電子収益悪化は経済にダウンサイドリスクをもたらしかねず、韓国政府当局としては、苛立っているのは間違いない。

サムスン電子役員経験した吉川氏
「日本のものづくりは市場ニーズ対応が重要」

さて、日本企業の今後の対応は、どうすればいいのか、しっかりと考える必要がある。なにしろ、「サンドイッチ状態」にあった韓国企業が中国企業の追い上げによって、グローバル市場でのシェアを仮に大きく落とした場合、これまでのビジネスモデルをどう再構築するのかが問われてくるが、日本にとっても、その問題は他人事ではないからだ。

日立製作所などでの勤務体験がサムスン電子から評価を受け、ヘッドハンティングによってサムスン電子の経営にかかわったあと、東京大ものづくり経営研究センター特任研究員で日本の製造業の在り方を研究しておられる吉川良三氏は最近の著書「ものづくり維新」(日経BP社刊)の中で、興味深い指摘をされているので、少し引用させていただこう。
「日本のものづくりは、技術力を売りにしてきただけあって『秘伝のタレ』のような技術を持っている企業が多数あります。それを上手に活用して、利益を生み出すことが出来なかったのは、市場のニーズを見て、利用したがっている人たちに届けるための戦略がなかったからだ」という。

経営の意志決定を速めよなど
「世界で勝ち抜く10か条」提案が参考になる

そして、吉川氏は「世界で勝ち抜くための10か条」として次の点を挙げている。1)「どう造るか」よりも「何を造るか」を重視すべし、2)(経営の)意志決定を速めよ、3)品質は松竹梅を造り分けよ、4)市場となる地域を根本から理解せよ、5)特殊部品へのこだわりを捨て、汎用品で製品を売れ、6)リバース・エンジニアリングはクリエイティブである、7)検査は「不良コスト」と考えよ、8)QCDの考えは造り手の都合にすぎないことを自覚せよ、9)海外に技術を積極的に出して仲間を増やせ、10)「個」の強い人財を育てよーーという。
なかなか参考になることが多いが、日本のものづくりがたくましい競争力をつけて、世界で羽ばたくことには誰も異存がない。問題は、韓国や中国にない独自の強みを生かして、どうタフなものづくり企業を生み出すかだろう。

安倍政権の地方創生策、本気度に期待 人口減少と闘う島根県もモデル事例

今回のコラムで再び、250回、251回コラムで取り上げた人口減少リスクにあえぐ地方の問題を取り上げてみたい。折しも、安倍首相が9月29日開会の臨時国会の冒頭の所信表明演説で、地方創生問題を前面に押し出し、若者にとって魅力ある町づくり、人づくり、仕事づくりを進めるため、「まち・ひと・しごと創生本部」を創設し、これまでとは次元の異なる大胆な政策を実行していく、と述べた。政治が取り組むにしては遅きに失した、ともいえるが、地方の現実は待ったなしの状況なので、政権の本気度に期待したい。

来春地方総選挙対策という面あるが、
まずは地方創生策のお手並み拝見

ただ、首相の所信表明演説は、臨時国会に提案する重要政策、その裏付けとなる法案について政権としての取組み姿勢を述べるものだが、安倍首相がこの演説の中で「デフレ脱却をめざし、引き続き経済最優先で政権運営にあたっていく」と述べたのは当然としても、前国会で政治姿勢を鮮明にした集団的安全保障や原発再稼動の問題などについては、ほとんど言及しなかったのは意外だった。
国民の間で議論が大きく分かれる問題に関して、政治エネルギーを費消するよりも、まずは消費税率引き上げ後の反動で落ち込み始めた個人消費など内需を押し上げ、アベノミクスを再浮揚させること、それに懸案の地方創生問題で政治が事態打開策を打ち出すことで、来年春の地方総選挙に向けて、内閣支持率アップにつながるようにしたい、という本音が見え隠れする演説だった。

首相の所信表明で海士町の町おこしに言及、
スピーチライターのサポート?

ジャーナリストは、ひとこと何か言わないと気がすまない人種なので、お許しいただきたいが、そのことよりも、翌日の新聞に掲載された安倍首相演説全文を読んだ結果、ぜひ申し上げたいことがある。今回の地方創生にからめた部分に関して「これは安倍首相では出てこない発想だ。演説に振り付けがあったな」と思った点があったのだ。
たぶん、現在、スピーチライターの力量が認められて首相演説をバックアップしている谷口智彦内閣官房参与が書いたのだろう。谷口さんは、私が民間の言論NPO活動で知り合った日経ビジネス誌OBのジャーナリストだが、問題意識だけでなく表現力、メッセージ発信などの面でなかなかの人物だ。少し引用させてもらおう。

「『ないものはない』。隠岐の海に浮かぶ島根県(隠岐郡)海士(あま)町では、この言葉がロゴマークになっています。都会のような便利さはない。しかし海士町の未来のために大事なものは、すべてここにある、というメッセージです。『この島にしかない』ものを生かすことで、大きな成功をおさめています」

離島に移住した若者が島の海産物を活用して
「サザエカレー」など商品化事例も

「大きな都市をまねるのではなく、その個性を最大限に生かしていく。発想の転換が必要です。それぞれの町が、『本物はここにしかない』という気概を持てば、景色は一変するに違いありません。(海士町の)島のサザエカレーを年間2万食も売れる商品へと変えたのは、島にやってきた若者です。若者たちのアイデアが次々とヒット商品につながり、人口2400人ほどの島には、10年間で400人を超える若者たちがIターンでやってきています」
「やれば、できる。人口減少や超高齢化など、地方が直面する構造的な課題は深刻です。しかし、若者が、将来に夢や希望を抱き、その場所でチャレンジしたいと願う。そうした『若者』こそが、危機に歯止めをかける鍵であると、私は確信しています。(中略)伝統あるふるさとを守り、美しい日本を支えているのは、中山間地域や離島はじめ、地方におすまいの皆さんです。そうしたふるさとを、消滅させてはならない。もはや時間の猶予はありません」

富山市のコンパクトシティ化、
コマツの本社機能の小松市への移転に並ぶ活性化例

首相演説を披露するのが本意ではないが、安倍政権が地方創生問題にからめて、島根県の隠岐の海に浮かぶ中ノ島の1つ、海士町という自治体が人口減少問題と必死で闘う事例を「先進モデル事例」として取り上げたのは、正しい判断だと思う。
と申し上げるのも、私自身のジャーナリスト目線で見た場合、この海士町の事例は、わくわく感のある話が満載で、これまでのコラムで取り上げた富山市のコンパクトシティ化、建設機械大手のコマツが本社機能の一部を石川県小松市に移して成功している新たな地域活性化の事例に加えていいものだからだ。

ただ、私は現場取材にこだわっていながら、残念なことに離島ともいえる中ノ島の海士町にはまだ行くことが出来ていない。しかし最近、日本記者クラブでの講演で話を聞いた島根県中山間地域研究センター研究統括監で、島根県立大教授の藤山浩さん、さらに日本政策金融公庫の農業オピニオン雑誌「AFCフォーラム」の記事編集でかかわりのある海士町役場の地産地商課長の沼田洋一さんらの島のプロジェクトに関する問題提起に共感し、補強取材してみた。それを踏まえて、新たな地域創生のヒントともいえる「先進モデル事例」が具体的にはどんな点かレポートしてみよう。

海士町の成功事例は山内町長の
危機意識バネのプロジェクト展開の指導力など

正直言って、首相演説部分だけでは、海士町のプロジェクトのイメージが湧かないので、概要を申し上げよう。中ノ島自体は島根半島の沖合60キロの海上にあり、高速船で鳥取県境港などから約2時間かかる。一島一町で人口2339人の小さな島だが、なぜ全国的にクローズアップされたかがポイントだ。
結論から先に申し上げれば、海士町の場合、人口減少に歯止めをかけたいという強烈な危機意識をバネにさまざまなプロジェクト展開した山内道雄町長のリーダーシップ、それに共鳴して動いた町役場の職員の動きが軸にある。加えて、町のプロジェクトの呼びかけに呼応して全国各地からUターン、あるいはIターンという形で若者がはせ参じる魅力、言ってみれば大都市、大企業での生活から離脱して自然をベースに人間らしい生き方をしてみたい欲求、経済成長やモノにあふれる環境が幸せの尺度とは言えず、むしろ島の人たちと一緒に限られた資源をうまく活用して産業モデルをつくってみようといった気持を起こさせる魅力がこの島にあった、ということだ。

Iターン、Uターンの若者呼び込むため月給支給、
住居提供の「商品開発研修制度」

もともとは、海士町が「町の自立促進プラン」をつくり、それをベースに、全国に働きかけて、島の自然資源を活用して何が作り出せるか、1年間かけて調査研究、そして商品開発をしてもらい、場合によっては事業化のめどがつけば、移住含みで起業もOK。町当局は月給15万円支給、1か月1万円の家賃で電化製品などがついた住居も用意する「商品開発研修制度」を設けた。1998年から制度スタートし毎年2人程度を受け入れているが、これまで27人が終了し、うち7人が島に移住を決めた、という。

首相演説にあったサザエカレーの事例で申し上げよう。この商品開発制度の産物だが、カレーライスに肉ではなく、島で豊富にとれるサザエを具に入れる食文化が話題になり、県外から研修で来た人から商品化をしようということになり、試行錯誤の末にいまはレトルト食品「島じゃ常識――サザエカレー」という形で商品化に至った。味もいいということで、年間2万食も売れるヒット商品になった。
町役場の沼田地産地商課長によると、これがきっかけになって、町民の間ではそれまで商品価値のあることすら気づかなかったものが島外の人たちのアドバイスで商品価値を生むことを知らされた。同時に、IターンやUターンで島に来た人たちも、自分たちの起業の面白さだけでなく、島の人たちとの一体感、自然との共生の魅力を感じて次第に定住を決めるケースが増えたというのだ。

島外の若者と地元漁師で
岩ガキ養殖・加工会社つくり事業が大当たり

Iターンで来た若者が地元漁師と取り組んだ養殖の「隠岐海士の岩ガキ・春香」という商品化も聞いてみると面白い。東京の築地卸売市場やカキを取り扱うオイスターバーでは東北などの岩ガキと旬の時期が異なる海士町のカキを端境期に出荷すれば間違いなく高値の取引になるという島外の若者の提案を受け入れ、岩ガキの養殖に踏み切ったら目算どおりに進んだ。そして若者や地元漁師で会社組織にして、国の補助事業7000万円で加工施設をつくった。そのうち町からの補助は2800万円だったそうだが、今や年間30万個、売上げ金額にして7500万円というから、これまた大当たりの商品開発研修制度だ。

海士町には過去9年間で437人が移住し
262人が定住、人口の若返りも

町当局によると、島の現時点での人口はすでに述べた2339人で、世帯数が1140だが、2005年3月から9年後の2014年3月までの間に、延べ437人が研修制度の活用などで移住してきたが、そのうち262人が定着している。2010年の国勢調査では海士町の高齢化率は39%と異常に高かったが、移住してきた人たちの定着率60%に支えられており、若返りも少しずつ図られている。しかも島の海産物資源などを活用した起業、産業創出で島の経済自体に活気が出ているのがすごいことだ。

海士町には特筆すべき話が数多くある。スペースの関係ですべてをご紹介できないが、山内町長らのプロジェクト力の面白さでいくつか、ご報告しておきたいことがある。
1つは、地方公務員の兼業を認め、「半官半X」制度をつくりあげたことだ。要は、町役場の職員が役場に務めると同時に、半分は農業や漁業、新たなベンチャービジネスを行うことを容認するシステムで、人口の少なさ、仕事量の多さなどを満たすためには公務員の兼業禁止にはこだわっておられない、というわけだ。内閣府はこの海士町のアクティブな動きを評価し「持続可能な未来をつくる学びの島」プロジェクトに組み入れ、地域活性化のモデルケースとしている。このため、この公務員兼業問題も、容認せざるを得ない、としている。人口減少との闘いに必死で取り組んでいる海士町の現実が規制の岩盤を崩す事例になるかもしれない。

学生数の減少で廃校寸前リスクの島前高校を
ユニークプロジェクトで活性化

もう1つは、海士町の隠岐島前(どうぜん)高校の生徒数減少に伴う廃校リスク阻止のプロジェクトだ。町当局は当初、県や高校と一緒になって県外からの就学を認める「島留学」制度、その際、留学したまま県外の国立大学などにも進学できる教育プログラムもつくったほか、少人数指導の独自カリキュラムの教育制度、島の自然を生かしたユニークな教育プログラムなど、島前高校に入学すれば、さまざまな魅力、恩典があるという高校の魅力化プロジェクトをアピールした。
さらに、首都圏や関西地域の大学生に働きかけて島の子どもたちとの交流を図る「AMAワゴンプロジェクト」をつくり、大学生らをすべて招待する代わりに、島前高校での出前授業と称して臨時教師役を担わせたりした。これも結果は大当たりで、島外からも入学希望の生徒が増えて、結果として、廃校どころか存在感を持つ高校になった。
これまで述べてきた海士町の事例以外に、もっと興味深い事例がある。こうしてみると、みなさんも地域創生というのはアイデア、プロジェクト次第だと思われるのでないか。

朝日新聞炎上、2つの誤報対応遅すぎた メディア戦争への守り固執も信頼喪失に

信頼の厚かった新聞社で、誤ったニュース判断や確認取材不足によって記事を書いて報道したことが判明した時、あるいは誤報の指摘を外部から受けて問題が表面化した時などに、新聞社がどういった対応をするかによって、その新聞社の「顔」が見えてくる。
たとえば報道現場で事実の再確認や検証の作業に躊躇が出ると事実上、問題先送り状態になってしまう。逆に確認不足や思い込み取材による誤報の可能性が高いことが判明しても、今度は新聞社のメンツが出てしまい、守り姿勢に入ることが往々にしてある。当然、読者を含めた世の中から対応の遅さに対する批判が強まり、謝罪会見が避けられなくなる。

ところが大組織病体質が強い新聞社の場合、社内議論に時間がかかり、謝罪会見が行われた時はタイミングを失してしまう。そういった場合、新聞社がどんな外部評価を受けるか、結果は歴然としている。信頼度の高かった新聞社であればあるだけ、その批判は高じて、バッシングに発展しかねない。朝日新聞は、まさに、こうした誤報対応の遅れがあったため、批判の集中砲火を浴び、今、文字どおり炎上状態にある。

従軍慰安婦記事を33年たった今年8月検証で
記事取り消し、ただ謝罪なく問題に

朝日新聞の木村伊量社長が9月11日夜の緊急記者会見で2つの記事の誤報に関して謝罪し、改革見極め後の引責辞任を表明したことは、ご存じの方も多いだろうが、このコラムで取り上げる関係上、その概要を申し上げておこう。

2つのうちの1つは、1982年9月に朝日新聞大阪本社版朝刊で報じた「第2次大戦中の韓国・済州島で吉田清治氏(故人)が200人の若い朝鮮人の女性を日本軍の現場に強制連行することに関与したと証言した」という記事に関するものだ。吉田証言そのものが虚偽だったことが判明したため、33年たった今年8月5日付、6日付朝刊での「慰安婦問題を考える」と題した過去の慰安婦報道検証記事で朝日新聞が「記事を取り消す」と表明した。ところが記事取り消しに言及しながら、誤報に対するおわびや謝罪がなかったため、大問題になった。

独自入手の福島第1原発の「吉田調書」ベースの
「所長命令に反し全面撤退」が誤報

もう1つの記事は、今年5月20日の朝日新聞東京本社朝刊で、東京電力福島第1原発事故の現場所長だった吉田昌郎氏(故人)に対する政府事故調の聴取記録「吉田調書」を朝日新聞が独自入手、そして調書をベースに、別の独自入手した東電現場の時系列資料などと状況分析した結果、当時の原発所員の9割にあたる約650人が吉田氏の命令に反して約10キロ南の福島第2原発に撤退していたことが判明したというものだ。ところが産経新聞など他のメディアが後日入手した同じ「吉田調書」をチェックしたところ、「命令違反」や「撤退」という認識がなく、一時退避だったと見る方が正確だということが明らかになった。このため、朝日新聞は社内調査をもとに誤報と判断、謝罪に至った。

ジャーナリスト池上氏が朝日新聞連載コラムで
批判したことで掲載拒否も大問題に

この2つだけでも重大事で、報道機関として、致命傷になる問題だが、もう1つ、大きな問題が噴出した。朝日新聞オピニオンページに連載していたNHKのOBで著名なジャーナリスト、池上彰氏のコラム「新聞ななめ読み」で、池上氏がさきほど述べた8月5日付、6日付の慰安婦問題検証記事に関して、誤報という過ちがあったのならば率直にそれを認め、謝罪もすべきであるのに、訂正自体が遅きに失した上に謝罪しないのは問題だ、とずばりポイント部分を指摘した。

ところが記事掲載前の段階でコラム原稿に目を通した朝日新聞編集局幹部は、対応姿勢を批判されたことに不満を示して掲載見合わせを判断、正しくはコラムの掲載拒否に及んだ。これが表面化したため、言論の自由を標榜するメディアにあるまじき重大な判断ミスと外部批判が集中した。一転して掲載判断に踏み切ったが、このコラム対応はお粗末どころか、日ごろ、言論の自由を標榜している朝日新聞が「異論」に拒否反応を見せたこと自体に致命的なミスがあった。木村社長が謝罪するのは当然だった。

朝日新聞リベラル派の友人たちが
なぜ批判行動に出なかったか不思議、大組織病?

私はかつて朝日新聞のライバル紙、毎日新聞に20年間在籍し、その後、ロイター通信、フリーランスの生涯現役経済ジャーナリストと、取材拠点を変えたが、数あるメディア企業の世界で朝日新聞には圧倒的に友人が多い。朝日新聞の独特のプライドの高さ、民僚体質、大組織病体質に染まる人たちよりも、リベラルな問題意識を持つ人とだけ気脈を通じた友人関係だが、その中には今回の謝罪会見に出た社長の木村氏も含まれる。それらリベラルで問題意識ある人たちは、誤報が明らかになった時に、なぜ機敏に行動して謝罪、そして再発防止策などへのリーダーシップをとらないのだろうかと不思議に思ったほどだ。

朝日新聞の複数の友人が異口同音に言っていたのを紹介すると「従軍慰安婦、吉田調書の2つの誤報、それに池上氏のコラム対応を加えた3点セットによって、朝日新聞攻撃のメディア戦争に発展したため、経営陣や編集局幹部が守りの姿勢に入ってしまった。情勢判断ミスだ。われわれ現場も、もっと早く批判行動に出るべきで反省している。ただ、池上氏コラム掲載拒否の対応をめぐって編集局内部で批判が噴出し、若手記者もツイッターで社外の人たちに伝わるように自社批判を展開したので、今後に望みをつないだ」と。

朝日新聞は過去に長野総局ねつ造・誤報事件、
メディアは誤報リスクと背中合わせ

ただ、朝日新聞は2005年8月、長野総局で上昇志向の強い若手記者が当時の田中長野県知事に取材しないまま、本社政治部からの取材要請に応えて記事情報をねつ造、しかも政治部サイドも鵜呑みにして情報チェックを怠る二重ミスで誤報記事に発展した忌まわしい事件がある。当時の東京本社編集局長が皮肉にも今回の木村社長で、編集局の大胆な改革を指示して引責辞任せざるを得なかった。

こういった誤報問題は、私がいた毎日新聞を含めて、メディア全体に共通する問題で、現場記者の事実確認不足の思い込み取材にとどまらず、ライバルメディアとの過剰な競争意識、タイムプレプレッシャーなどさまざまな要因があり、誤報に至るリスクとは常に背中合わせだ。しかし朝日新聞の場合、エクスキューズの如何を問わず、今回の2つの重大誤報事件を引き起こした今、徹底した編集現場改革をしない限り、信頼回復にはならない。

誤報指摘はいずれも産経新聞、
朝日新聞誤報が海外に波紋を与えた責任も大きい

ところで今回、朝日新聞の2つの異なる記事のいずれについても誤報だとして、問題に火をつけたのは産経新聞だった。その問題意識、取材力は間違いなく評価していい。特に従軍慰安婦問題に関しては、産経新聞は実に23年前の1992年に誤報を指摘している。それに対して、当初から頑な姿勢を取り続けた朝日新聞の姿勢こそが問われてしかるべきだ。なぜ、長期にわたって再確認取材、検証取材を怠ったのか、朝日新聞の今年8月5日、6日付の検証記事を見ても、エクスキューズが多くて、すっきりしない。
「吉田調書」にからめて朝日新聞がスクープ報道とした5月20日付の1面トップ記事に関しても、産経新聞の後追い報道とはいえ、誤報指摘がなければ、安倍政権も政府事故調の聴取記録の一部公開には踏み切らなかっただろう。

いずれの記事も、海外に反響を呼び、とくに従軍慰安婦問題は日韓外交関係を複雑化させ、韓国民の反日キャンペーンの材料になってしまったばかりか、日本が女性の人権を無視して戦時中に性奴隷化したひどい国というラベルを張られる形になった。
また、東電福島第1原発事故現場から所長の命令に反して、約10キロ離れた福島第2原発に全面撤退という形で逃避した、という形で、朝日新聞報道時に外国メディアが一斉に記事発信、しかも韓国の客船沈没事故から乗客を放置して逃避した船長や乗務員と同じ行動だとの批判記事に発展したため、朝日新聞の誤報の責任は間違いなく大きい。

産経・読売新聞や週刊誌の朝日新聞誤報追及が
メディア戦争に発展したのは残念

特に従軍慰安婦問題に関しては、産経新聞は1992年に誤報を指摘、その後、対韓国の外交問題もからむため、産経新聞は執拗にキャンペーンを張って、朝日新聞自体の報道体質を問うた。これに呼応したのが読売新聞で、朝日新聞報道を検証する企画まで展開した。加えて、出版社系の週刊誌が格好の部数増期待を見込めるテーマと、朝日新聞批判を繰り広げたため、一気にメディア戦争となった。その原因をつくった朝日新聞にすべての責任があることは間違いない。とくに、誤報指摘に対して、逆に朝日新聞が他のメディアに対して、名誉棄損などの法的処理も辞さずと強気の抗議行動をとったりしたため、メディア戦争の火に油をそそいだことも事実だ。
私自身は、これらのメディア戦争がエスカレートするのを見て、いま、メディアが泥仕合を演じている場合でない。むしろ、メディアの信頼低下につながる問題を互いにどう克服するか、という視点で考えるべきでないのだろうか、とも思ったぐらいだ。それに、率直に言って、産経新聞にも読売新聞にも過去に重大な誤報事件があり、自身の非をタナに上げての批判はおかしいぞ、とも思ったが、とはいえ、朝日新聞の対応姿勢の遅さ、頑な反発姿勢が事態を悪化させたことは事実だ。その点で、メディア戦争に追い込まれた朝日新聞を同情する気持ちはもちろん、なかった。

朝日新聞は第3者調査委で誤報原因の徹底調査を、
海外メディアに謝罪広告も

さて、今回の朝日新聞の2つの大きな誤報事件、そして連載中の池上氏のコラムで誤報対応を批判されたことに過剰反応して「異論」を一時は退けて朝日新聞の狭量な体質を見せつけたコラム掲載拒否事件は、いずれも同情の余地がない。それどころか、日本の新聞メディアの中でもオピニオンリーダーの一角を担う新聞社だけに、しっかりと反省してもらうのは当然だが、何をどう反省して今後の信頼回復につながる回答を出すのか、まだはっきりしない。

とくに、2つの誤報記事がなぜ生じたのかという点に関する本格的な検証が行われていない。朝日新聞の木村社長は謝罪会見の席上で、社内の紙面調査委員会とは別に、外部の有識者やジャーナリスト、弁護士らによる専門的な第3者調査委員会組織を立ち上げ、なぜ誤報に至ったかの検証を行うと表明したが、その検証内容に関しては、すべて公表すべきだろう。
それだけでない。朝日新聞は英語などで海外に謝罪の情報発信を行う必要があったが、この点に関しては危機意識もあったのか、積極的に情報発信を始めたのは一応、評価する。しかし外交問題、さらに国連の人権委員会にまで問題が波及している従軍慰安婦問題に関しては、朝日新聞は、韓国の新聞のみならず欧米の新聞に謝罪広告を出すと同時に、女性の人権問題に関する朝日新聞の立ち位置も理解を得るようなキャンペーンも行うべきだと思う。みなさんは、これらの点に関して、どうお考えだろうか。

力ある企業主導で新地域主権めざせ コマツが小松市で実績、先行モデルに

女性の晩婚化・少子化や若者の流出など社会現象による人口減少で、地方自治体は危機的状況にあり、今後しっかりとした対策を講じなければ、896の自治体に消滅リスクがある、という今年5月の民間研究機関調査結果は、未だにショッキングな話だ。
そのことで、興味深い話がある。8月27日に日本記者クラブで講演した片山善博慶応大教授(元鳥取県知事、元総務相)が、この調査結果に触れ「安倍政権の地方創成プロジェクトと巧みにリンクさせた部分がある」と意外な話を持ち出した。

消滅自治体調査話から安倍政権の
地域創成本部までは巧妙な出来レース?

片山教授によると、「私の昔の旧自治省時代の官僚経験からいくと、民間機関の調査結果公表と合わせて問題提起があった場合、官僚はあれこれ理由をつけて問題先送りするのが通例だ。ところが今回は、民間発表と同時に、関係各省庁が異口同音に『抜本的な対策が必要だ』と合唱し、全国知事会も同時に動いた。極めつけは安倍首相が素早く対策本部設置をアピールし実行に移したことだ」という。確かに、出来レースと言えなくもない。
ただ、片山教授は同時に、「仕掛けがあったかもしれないが、人口減少問題に危機感を強め、一早く対策を講じるのは間違いなく重要だ」と、付け加えるのを忘れなかった。

さて、本題だ。前回コラムで、その事態打開策には先進・先行モデル作りが必要と、富山市が行政主導で取り組む中心市街地を中核としたコンパクトシティ化事例を取り上げた。このプロジェクトをめぐっては議論があるようだが、大事なのはモデル事例づくりだ。

東京本社機能の一部地方移転でも地域再生だけでなく
モノづくり強化にプラス

そこで今回は、違うアングルでモデル事例を取り上げてみたい。ポイントは、企業経営面で力のある企業が、本社機能の一部を東京から地方拠点に移し、生産拠点化、現地雇用の積極創出などによって、企業主導での新地域主権の枠組みを定着させる、という話だ。
政治の側も動き出した。安倍政権は、さまざまな政治課題に取り組みながら、アベノミクスの成長戦略を含めて、期待先行の政治に終わってしまっており、何とかここでリカバリーショットを打たざるを得ない、ということで、安倍首相が指示して政府部内に省庁横断的に地域振興策をとりまとめる「まち・ひと・しごと創成本部」(本部長・安倍首相)の準備室を立ち上げた。取り組みが遅すぎたきらいがあるが、前回のコラムで取り上げた大組織病の最大のポイント部分のタテ割り組織の弊害をなくすヨコ串を刺す組織づくりに踏み切ったのだから、お手並み拝見と行きたい。
力ある企業こそが地域再生の担い手になるべきだ、というのが重要な点だが、中でもモノづくり企業にとっては大きなメリットがある。つまり物価や生活費のレベルが相対的に安い地方での企業活動はコスト競争力を回復できるし、インターネットによって世界中とリンク可能な現代には、地方拠点で活動しても時間や距離のハンディは十分に克服できる。それに、地方を新たな戦略拠点にすることで、数多くのライバル企業の中で埋没しかねない大都市よりも、存在感をアピールできる、という点があることも申し上げたい。

コマツは2002年から
創業の地・小松市の主力粟津工場に移転作戦

そのモデル事例になるのが、今回申し上げる建設機械メーカーのコマツのケースだ。すでにメディアで、コマツが創業の地、石川県小松市で思い切った取り組みを行っているのを、ご存じかもしれない。ただ、私は最近、チャンスがあって、このモデル事例づくりに強い指導力を発揮されたコマツの坂根正弘現相談役(元社長、前会長)にいくつかの場で話し合うことが出来、改めて、その取り組みの重要さがわかった。そこで、ジャーナリスト目線で、コマツの取り組みのどういった部分が、冒頭の人口減少問題の事態打開だけでなく、製造業自体の競争力強化にもつながったか、レポートしてみよう。

コマツによると、2002年に、まず東京本社内にあった生産資材などの買い付けを行う購買・調達本部を石川県小松市に移した。小松市内には主力工場の粟津工場はじめ、生産に必要なさまざまな工場があるが、生産現場にリンクさることで、調達の意思決定も現場で素早く行うことが出来、きめ細かくコストダウンを図る狙いがあった。

老朽化工場は次世代型工場に変身、
省エネや太陽光発電で電力消費を90%削減

また、コマツは国内の生産能力調整の一環で、主力工場の1つ、小松工場の生産性が低いため、閉鎖に踏み切ったが、その工場跡地に、2011年には東京本社や国内工場で分散していた研修・教育機能を集約し、世界中のコマツの拠点から集めた技術人材など社員の教育研修センターも移転させた。年間延べ2万人の教育・研修を行うため、地域との交流も進み、地元経済も潤った、という。

コマツは、日本国内工場のうち、建築してから40年以上経過した、いわゆる老朽化工場の建屋、生産設備の更新するプロジェクトをスタートさせ、2014年5月に粟津工場に関して、最新の省エネ、ICT(情報通信技術)、生産技術を備えた次世代の組み立て工場を完成させた。具体的には建屋統合による床面積の削減効果に加え、最新の省エネ技術を採用したことで2010年度に比べ電力消費量が半減させたが、2014年12月にバイオマス発電や太陽光パネルなどを活用して、コマツ工場独自の電力創出を行う予定でおり、その生産性向上分を含めると電力消費量は実に2010年度比で90%も削減効果が出る、という。この粟津工場方式を2014年度中に、栃木県小山工場、栃木工場、その後は大阪工場にも導入し、一気に省エネ工場化を進める、という。
これら生産力増強、省エネ投資に伴う工事は、建設資材調達や地元建設業者への請負い契約などで地元還元になるだけでなく、地元労働力の雇用にもつながり、コマツにとっても地元経済にとってもプラス効果が出たのは言うまでもない。

大卒新入社員の地元採用で若者に活気、
既婚女性社員の子どもの数も増える効果

このほか、コマツは2011年4月入社の新入社員から、大卒社員採用に関して、小松市で地元採用に踏み切り、それから3年間、連続して採用人数も増やしている。
地元雇用を増やすだけでなく、東京、大阪、小松などの勤務場所に関係なく、コマツの場合、全国一律賃金体系で臨んでおり、東京に比べて相対的に生活費が割安な小松など地方都市勤務の場合、生活がしやすいというメリットもある。

坂根さんは「コマツの小松市への生産拠点移転に伴うメリットについて、社内で、いろいろ調査してもらったところ、面白い結果が出た。コマツの既婚女性社員の子どもの数は、東京の0.7人に対して石川では1.9人、うち課長など管理職の平均は2.8人だという。そればかりでない。女性社員の既婚率は東京が50%で、石川は90%だった。女性にとっては、間違いなく石川でのコマツの会社生活のよさがあるということに他ならない。コマツに限って言えば、少子化の問題解決に貢献している」と述べている。

この点に関して、坂根さんは「人手不足が今後、深刻化しても、コマツの地元採用への取り組みを知っている人たちが多いので、積極的に門をたたいてくる人が多いはずで、雇用確保には困らないと思う。企業サイドにとっても、地方回帰は、地方での物価水準の相対的な安さなどによって、企業のコスト削減を含めた自衛策にもなる」という。

坂根さん「創業以来初の赤字で徹底して
競争力分析、固定費削減に照準」

コマツがこういった形で、地方回帰を進めたのは、坂根さんによると、理由がある。社長就任時の2001年、運悪く創業以来初めての赤字に遭遇した。坂根さんにとっては出鼻をくじかれる思いだったが、「コマツは、本当に本業のモノづくりのコスト競争力の部分で負けたのだろうかどうか、徹底的に調べ上げることが必要だった」という。その結果、根本的な原因が、企業コストの重要部分を占める固定費と変動費のうち、コマツの場合、生産量の増減に関係なく常に発生する固定費、つまり人件費や設備償却費などに加えて採算の悪い事業や慢性的な赤字子会社群を放置してきたことに原因があった。

そこで、坂根さんは、「大手術は1回限り」という原則をもとに、断腸の思いで子会社整理など大胆なリストラ策に取り組む荒療治を行った。しかし同時に、後ろ向きの対策だけでなく、グローバル化に対応して積極的な競争力強化策を打ち出した。たまたま新興アジアに検閲機械の需要増が見込め、コマツにとってはフォローの風が吹き、リストラ効果と合わせて危機乗り切りを図れた、という。

ライバルとの変動費部分での競争力は
最悪1ドル70円の超円高でも勝てる自信

ただ、ここからが、坂根さんというトップリーダーの問題意識のすごさだな、と感じたのは、「コマツは、内外のライバル企業との競争力分析を行った結果、とくに変動費の部分ではコマツは、仮にドル円の為替レートが最悪1ドル=70円という超円高になっても、米国最大手の企業にも負けない競争力を持っていた。ところが固定費部分では明らかに競争力に課題を残した。そこで、徹底して固定費の圧縮対策を行ったが、地方回帰もその一環だと言っていい」という点だ。

坂根さんは「日本の中央集権体制、東京への一極集中が限界に達し、その反動で地方が衰退している。コマツは、かつて創業の地から東京に本社機能を移した。今は経営トップが中央の行政や財界とのからみで日常的に対応せざるを得ないことや経営の意思決定を東京でせざるを得ない問題があるが、それらを除けば、地方回帰しても十分にグローバル戦略にも対応できるので、今後は、コマツが、新たな地方主権の時代づくりに対応できるように貢献していきたい」という。

「日本は東京への企業集中に問題、
ドイツ企業の地方分散に学べ」と坂根さん

坂根さんは、ドイツが第2次世界大戦後、旧西ドイツを中心に、さまざまな企業がそれぞれいろいろな地域で独自の企業活動を展開し、いわゆる地方分散を行い、日本のような企業の東京への一極集中とは対照的な地方主権体制をつくりあげたことを高く評価し、「ドイツに学べ」という考えを持っているという。

安倍政権は、冒頭の人口減少に伴う自治体の消滅リスクや地方再生に本格対応するため、9月3日に「まち・ひと・しごと創成本部」を発足させたが、具体的に、どういったことに取り組むのか、まだ定かではない。

片山慶応大教授「首都機能の地方移転進めれば
企業の地方分散に弾みも」と指摘

コマツが自身の企業防衛策、競争力強化策を兼ねて、地方回帰に取り組んでいるのは、冒頭に申し上げたように、先行モデル事例であることは間違いない。今後、東京に集中するさまざまな企業が、すべての本社機能を地方に移転させる、というのは現実的でないかもしれないが、コマツのように、少しずつでもメリハリつけて地方再生に取り組み、結果として、それぞれの地方で存在感を見せることで、結果的に、ドイツの企業が作り出した企業主導の地方主権というのも決して夢物語ではない。

富山市には私は過去に観光で行く機会が多かったが、ここ数年の「コンパクトシティ戦略による富山型都市経営」の実態を見るチャンスがまだないので、現場重視の私としても辛いものがあるが、富山市内に住む私の友人に最近、聞いたところでは「以前と違って行政主導で新しい町づくりに取り組んでいる、という実感がある」と述べているので、成功事例であることは間違いない。

冒頭の日本記者クラブでの片山慶応大教授の講演後の質疑で、コマツの事例をもとに、企業の地域回帰の可能性について質問したら、片山教授は「コマツの企業としての取組みは評価する。ただ、極端に東京集中した大企業などの地方分散がどこまで実現可能かと言えば、なかなか難しい。むしろ、企業の背中を押すには首都機能の地方移転がポイントだ。安倍政権が地方創成対策で、首都機能移転にまで手をつけるのか、わからないが、本気で考えるのも一案だ」と述べた。
確かに、企業の横並び体質を改めさせ、東京から地方へ本社機能の移転を含めて分散っせるならば、首都機能移転は弾みをつけることにもなる。

人口減少での自治体消滅話は深刻 富山市の先進事例がすごく興味深い

全国約1万8000ある大小の自治体のうち、896市町村が人口減少によって消滅するかもしれない、というビッグサプライズの試算結果が今年5月に民間研究機関「日本創成会議」(座長・増田寛也元総務相、元岩手県知事)から出されたのを、みなさん、ご記憶だろう。

日本創成会議予測では全国の896市町村が
手を打たなければ消滅の可能性

人口減少という社会現象によって消滅自治体が出るかもしれない、との厳しい未来予測を「消滅」といったセンセーショナルな言葉でメッセージ発信があったので、多くの人たちに衝撃を与えたのは間違いない。私自身も、この国の将来を考えた時に、何も手立てを講じなければ、さまざまな社会問題が噴出するだろうなと思っていたが、いざ予測調査をベースに自治体消滅の可能性を出されると、率直に言ってショックだった。

名指しされた自治体はもっと厳しい立場に追い込まれただろう。とくに首長はじめ政策立案にかかわる人たちの間で、若者の都市への流出などによる人口減少に危機感を持ちながらも、財政難やさまざまな理由で手をこまねいていただけに、ずばり指摘されると自身の無能ぶりをさらけ出すことになり、いたたまれない気持ちになったのは想像に難くない。

政府が省庁横断的な「まち・ひと・しごと創成本部」立ち上げ、
まずはお手並み拝見

これをきっかけに、メディアでも「人口減少社会」の特集企画を展開せざるを得なかった。メディアとしては、当然のことだが、その結果、いい意味で危機感が作り出され、政治にも、行政にも、さらには自治体にも緊張感が出てきた。
政治の側も動き出した。安倍政権は、さまざまな政治課題に取り組みながら、アベノミクスの成長戦略を含めて、期待先行の政治に終わってしまっており、何とかここでリカバリーショットを打たざるを得ない、ということで、安倍首相が指示して政府部内に省庁横断的に地域振興策をとりまとめる「まち・ひと・しごと創成本部」(本部長・安倍首相)の準備室を立ち上げた。取り組みが遅すぎたきらいがあるが、前回のコラムで取り上げた大組織病の最大のポイント部分のタテ割り組織の弊害をなくすヨコ串を刺す組織づくりに踏み切ったのだから、お手並み拝見と行きたい。

「コンパクトシティ戦略による富山型都市経営」は
間違いなく先進モデル事例の1つ

ということで、前置きが長くなってしまったが、今回のコラムでは、以前から一度、取り上げたいと考えていた人口減少社会の問題に踏み込んでみたい。ただ、理屈をいろいろ申し上げても、「そんなことはわかっている。要は、どうすればいいのだ」と言われかねないので、私の現場感覚、ジャーナリスト感覚で、「これは先進モデル事例なので、ぜひ参考にしてほしい」という事例を申し上げよう。
その先進モデル事例は、北陸の富山市が進めている「コンパクトシティ戦略による富山型都市経営」というものだ。実は、その推進役の森雅志市長から、ある研究会合で聞く機会があり、いろいろ取り組みを聞いていると、人口40万都市での取り組みとしては、卓抜したものがあると思った。

コンパクトシティ化は、欧州にモデル事例があり、日本では国土交通省が中心になって自治体に導入を呼びかけた。日本の場合のポイントは、1990年代から地方の主要都市で中心市街地の空洞化現象が起きたことで、地域によっては商店街の一部がシャッターのおりてしまった閉店もしくは休業の商店が相次ぎ始めた。その一方で、郊外部にはショッピングセンターが出来、そこには自動車で買物や食事に立ち寄ることが多くなり、一種のドーナツ状の中心部空洞化現象が定着し始めた。そこで、中心市街地活性化の1つとして、 このコンパクトシティ化が具体化した。

コンパクトシティ化は中心市街地に居住人口を集め
新生活コミュニティ圏にする狙い

早い話が、中心市街地に住民が集まりやすくするため、地域を巻き込んだイベントなどを行える地域センターをつくったり、病院や老人介護施設など公共性の高い施設も集中化、もしくはネットワーク化すること、商店街も人通りを多くし、かつ賑わいを取り戻すため、さまざまな工夫をこらした地域展開にすることーーなどに取り組み、中心市街地を軸に、その一帯を生活コミュニティ圏とし、自動車に乗らずに路面電車や乗りやすいバスを使うか、あるいは歩いてゆっくり動き回れるコンパクトな町にする、というものだ。
と言っても、大きな地域的な広がりのある都市の場合、中心市街地を軸にコンパクトな町づくりにすると言っても、都市大改造を伴う話で、とくに、新たな町づくりには財政資金がかかること、地域の利害調整に時間がかかること、住民の移動を必要とする場合、合意形成にもエネルギーが必要なことなど、なかなか難問が前に立ちはだかるような気もしてしまう。富山市の場合、それらの問題に関して、どう取り組んだかだ。

森市長「富山市のコンパクトシティ化は
公共交通ネットワークを軸に対策講じた」

私が参加した研究会合で、富山市の森市長がどんなプレゼンテーションを行ったか、いくつかのポイントとなる事例を取り上げよう。まず、森市長は冒頭、富山市が直面する問題として、1)人口減少と高齢化 2)過度な自動車依存による公共交通の衰退 3)中心市街地の魅力喪失 4)割高な都市管理の行政コスト 5)社会資本の適切な維持管理などの課題を掲げ「20年、30年先を見据えて将来の世代に責任が持てる、しかも持続可能な都市運営、町づくりが必要だ」と述べた。

その問題意識をもとに、森市長が述べたところによると、富山市のコンパクトな町づくりの基本は、JR北陸本線富山駅を中心にJRの鉄道、富山地方鉄道市内軌道線、それに富山ライトレールという軽量の車体を使った都市型軌道システムなど6つの路線鉄軌道をはじめとした公共交通をつなげてネットワーク化すること、とくに、市内中心部を走るライトレールトレイン(LRT)をネットワーク化の中核にし、過度に自動車に依存したライフスタイルを見直して歩いて動き回り、かつ暮らせるように、LRTの沿線に居住、商業、業務、文化などの都市機能を集積させることだ、という。

富山市は公共交通沿線への住民の居住推進のため
住宅建設助成などに対策

この富山ライトレールは、乗客減少で身動きのとれなかったJR富山港線の鉄道に富山市がテコ入れして公設民営の経営にし、2両1編成で軽量の電車を走らせるのだが、今では富山市内の市内電車環状線化が実現した。この環状線以外に既存線、公共バスも加わって、中心市街地に来る利便性が増した、という。
森市長によると、富山市のコンパクトな町づくりは、この公共交通機関の整備がベースになっているが、同時に公共交通沿線への住民の居住推進も政策の柱になっている。具体的には中心市街地への郊外地域からの移住、転居を推進するため、良質な住宅をつくる建設事業者に限ってマンションなどの共同住宅や優良住宅への建設費や改修費の助成、店舗や医療、福祉施設の整備費用への助成、また一戸建て住宅や共同住宅の購入費用の借入金への助成などを行った、という。

また、中心市街地の活性化策として導入したプロジェクトがいろいろある。森市長によると、7年前に富山市が事業主体になって建設したガラス張りの全天候型の多目的広場グランドプラザがメインプロジェクトで、今では市民のさまざまなイベントに活用され、年間では休日100%、平日73%で、平均82%の利用率だという。中心市街地には「地場もん屋総本店」という地元農水産物の地産地消の拠点をつくった。180店舗が加盟店となり、その共同出資による「株式会社まちづくりとやま」が運営主体だが、60歳以上の年齢層がとれたて野菜などを買い求めに来る、という。

富山市への外部からの転出入は転入超、
周辺部から中心市街地へも同じく転入超

このほか富山市は高齢者が中心市街地で快適な生活を送れるように医療や介護の施設を充実させた。それら施設への就業を含めて、若者や女性が中心市街地で働けるように産業や企業の誘致も活発に行っているが、コンパクトシティ化をきっかけに、中心市街地で居住者が増えただけでなく、公共投資も増えたことで市街地再開発のプロジェクトに民間投資が増えるという好循環現象が起きた。それが雇用創出にもつながっている。また農業に携わる人材育成のために富山市が「とやま楽農学園」などをつくったりした、という。

問題は、富山市のコンパクトな町づくり効果がどこまで出たかだろう。森市長によると、2012年4月から翌年3月末までの1年間の富山市全体の転入、転出を見た場合、差し引き300人の転入超過となっていること、また富山市内での人口移動として、中心市街地では6年前から住民の転入超過に転じ、今もその傾向が続いていること、中心市街地の歩行者数が着実に増え、それに合わせて空き店舗が減少していること、また中心市街地の小学校児童数が5年連続して増加傾向を続けていることなどを挙げ、「間違いなく政策効果は出ている」と強調した。
ただ、森市長は、市の周辺部や中山間地域の人たちに対しては、中心市街地を軸にしたコンパクトシティ化のメリットを伝えるが、市の中心部への移住や転居を強制することは行っていない、という。確かに、このあたりはジレンマと言えそうだ。

人口減少による自治体消滅危機の回避策、
成功モデルを次々に出す以外にない

さて、私は冒頭の人口減少による自治体消滅危機の問題に対する1つの処方箋を言うならば、富山市のコンパクトシティ化と言った形で人口減少に歯止めをかけるために魅力ある町づくりを進め、人口流入を引き起こすことしかない。同時に、地方自治体が共通して抱える課題である高齢化対応についても、富山市のように、中心市街地に高齢者を呼び込むための生きがい実現策を含めたさまざまな対策をどのように講じるかだろう、と思う。

富山市には私は過去に観光で行く機会が多かったが、ここ数年の「コンパクトシティ戦略による富山型都市経営」の実態を見るチャンスがまだないので、現場重視の私としても辛いものがあるが、富山市内に住む私の友人に最近、聞いたところでは「以前と違って行政主導で新しい町づくりに取り組んでいる、という実感がある」と述べているので、成功事例であることは間違いない。

コンパクトシティ化を現在、積極的に導入しているのは、主要な自治体のうちでは富山市以外に、北から順番に行くと札幌市、稚内市、青森市、仙台市、豊橋市、神戸市、北九州市などだという。
このうち、青森市の場合、地方都市再生問題を健祐しているある専門家によると、コンパクトシティ化にいち早く取り組んだ青森市の場合、青森駅前の「しんまち商店街」の入り口付近に「アウガ」という商業施設を建設し集客効果が出たため、成功例と見られたが、その「アウガ」周辺部分を除けば、「しんまち商店街」全体では歩行者数が増えておらず、コンパクトシティ化の波及効果は大きくなかったので、政策効果は限られている、という。
こうしてみると、人口減少に歯止めをかける地域活性化としては、コンパクトシティ化は絶対的なものではなく、もっと知恵を出し合って、新たな成功モデル事例をどんどん作り出すしかない、ということかもしれない。