東日本被災地に拡がる心的ストレス 原発事故の南相馬で興味深い取り組み

前回のコラムで、東京電力福島第1原発から15キロ圏の福島県南相馬市小高区出身の東電執行役員OBの半谷(はんがい)栄寿さんが原発事故への贖罪意識もあって、事故後、東電を辞めて、太陽光発電とドーム型ハウスでその電力を活用し農業生産を行う「南相馬ソーラー・アグリパーク」の地域起こしのプロジェクトを展開している、という話を取り上げたら、とても大きな反響があった。

インターネットが大きなコミュニケーション・ツールとなっていることを示すものだ。反響はさまざまだが、「東電にも気骨のある人がいて、うれしい。南相馬市の実家にいた母親が原発事故で避難を余儀なくされ、自身としてもかかわらざるを得ない被害者という立場、そして東電に長年勤めて、原発に直接かかわらなかったが、東電が絶対安全を強調しておきながら事故を引き起こした加害者の立場に悩み、その贖罪意識から南相馬市が新たにめざす未来環境都市づくりのゲートウエー役を担おうとプロジェクトに取り組んだ姿勢が素晴らしい。日本も捨てたものでない」といったものが代表的だ。

南相馬市立総合病院の神経内科医師の小鷹さんの取り組みも「いい話」
私自身は、チャンスがあって半谷さんに会い、現場取材して話をお聞きし、時代刺激人ジャーナリストの立場で応援するならば、こういった生き方があるということを伝えることだと考え、コラムで取り上げさせてもらった。率直に言って、反響が出るのは、私としても、とてもうれしいことだ。いくつかの反響を半谷さんに伝えたら、「ありがたいことです。まだまだ時間のかかる取り組みですが、がんばります」と言っておられた。

そこで、今回のコラムは、南相馬市で半谷さんに会ったあと、被災地でいま起きている心的ストレスの問題に取り組む南相馬市立総合病院の神経内科の医師、小鷹昌明さんにも会って、いろいろ話を聞いた「いい話」を取り上げてみたい。実は、経済ジャーナリストの立場で取り上げたいテーマが他にもあった。しかし、南相馬市で出会った人たちの話をレポートすることがまずは大事と考え、今回は被災地に拡がる被災者の人たちの心的ストレスの問題について、現場でどんな取り組みが行われているか、述べてみよう。

津波、原発事故で仮設住宅生活を送る心的ストレス抱えた中高年男性がターゲット
神経内科の医師、小鷹さんには偶然、出会ったというわけでない。実は、医療制度改革など医療現場のさまざまな問題に取り組んでいる医療ガバナンス学会のメールマガジンで小鷹さんの取り組みを知ってとても興味深く感じ、一度、会ってみたいなと思っていた。たまたま半谷さんに会えるチャンスがあったことから、ジャーナリストの好奇心で、ぶっつけ本番ならぬ、当たって砕けろ式で、南相馬市立総合病院に勤務されている小鷹さんに連絡をとったら「いいですよ」と応じてくださった。半谷さんと同様、志をもって、あるプロジェクトに取り組んでおられ、お会いしてよかったな、というのが率直な気持ちだ。

小鷹さんのプロジェクトは、東日本大震災の津波で被害を受け、さらに東電福島第1原発事故で避難を余儀なくされて仮設住宅住まいをされている人たちのうち、長期間の避難生活、集団生活で次第に心的ストレスを抱え、引きこもりなどの問題を抱えている人たちに手をさしのべ、明るさを取り戻すにはどうしたらいいかということに、ボランティアの立場で取り組んでいる。

引きこもり状態の中高年男性に「男の木工」教室作業通じて次第に心の扉を開ける
そのプロジェクトのネーミングがなかなか面白い。HOPE(希望)という言葉に結び付け、HOHP、つまりHは引きこもり、Oはお父さん、Hは引き寄せ、Pはプロジェクトの頭文字をとったものだ。要は、引きこもり状態に入っている中高年の男性を対象に「男の木工」教室を立ち上げ、さまざまな木工に取り組むことで心的に病んだ気持ちを平常に戻そうという考え方だ。

実は、小鷹さんがこういったプロジェクトに打ち込むきっかけがある。神戸淡路大震災の教訓として、復旧から復興へと段階が進むうちに、地震から3年後ぐらいに孤独死が相次いだり、また心的ストレスによる引きこもりのケースが増えた。東日本大震災で、問題の大震災から丸3年がもう少しすると、やってくる。同じ事態を避けるには孤独や孤立の状態を作り出さないことだ、という気持ちが医師の立場にある小鷹さんの中に強まった。
そこで、小鷹さんは、東日本大震災以前、栃木県内の大学病院で神経内科医師として勤務していた自身の人生に1つの区切りをつけ、極度の医師不足で人材募集をしていた南相馬市立総合病院に飛び込んだ、という。

神経内科の患者の大工さんが小鷹さんのプロジェクトに共鳴し協力を申し出る
小鷹さんは、病院の外でボランティア活動の一環として、津波や原発事故で心的ストレスを抱えて引きこもり状態にある人たちに手を差し伸べるプロジェクトがないだろうか、たとえば木工教室のような、黙々と手作り作業しながら、完成した木工製品に喜びを感じる、他の人たちとその喜びを共有する、といったことも一案だろうかと考えた。 そんな矢先に、たまたま神経内科の患者さんに大工さんがいて相談したら「先生、それはいいアイディアだ。全国総建連という大工など建設職人の全国組織があるので、その会長にも話して、協力できるかどうかやってみよう」という答えが返ってきた。話はトントン拍子に進み、全国総建連の大工さん20人が協力を申し出てきた、という。

今年1月のスタート時、「あまり刺激してくれるな」と意外な反応
 今年1月、小鷹さんは仲間を募って、このプロジェクトを立ち上げた。そして、南相馬市の市報を通じて「男の木工」教室への参加を呼び掛けると同時に、仮設住宅を回ってチラシも配った。毎週日曜日に、南相馬市内の木工場を間借りして、午前中いっぱい、教室を開き、プロの大工さんらがボランティアの形で作業を指導していくシステムにした。

最初は参加者が2人だけだった。さらに呼びかけるため、チラシなどを配る中で、小鷹さんが聞かされたのは「あまり刺激してくれるな。そっとしておいてほしい」という意外な反応だった。神経内科の医師判断としては、今がタイミングかなと思ったが、東北人特有のやや内向き志向の結果なのか、津波災害や原発事故の影響が予想外に被災者の心の奥底深く心を開こうとしないのか、プロジェクト自体が早すぎたのだろうか、悩んだ、という。
ところが、地元メディアが取り上げてくれたり、口コミで次第に広がりが出て、いまは12人が集まってくれている。それでもまだまだ、期待した参加者は少ない。小鷹さんによると、当初の2人は借り上げ住宅と仮設住宅でそれぞれ生活している60歳台と70歳台の男性だったが、いまは33歳から最高齢80歳の人まで広がりが出ている。津波で家をなくして仮設住宅生活が多く、失業中の人が7人、パートタイマーで働いている人が4人、正社員で仕事をしている人が1人という内訳だ。

女性は精神的にタフ、むしろケアが必要なのは男性、
仮設住宅でも孤独生活
なぜプロジェクトの対象を、心的ストレスに伴う引きこもりの男性にしぼったのか、女性は大丈夫というのだろうか、私は気になった。小鷹さんによると、女性は個人差があるものの、意外に苦境のもとでもしっかりと生き抜こうと精神的にたくましい。ところが逆に男性は、仕事を失ったりすると、プライドも強いだけに引きこもりがちになる。とくに熱心に仕事に打ち込んでいた人ほど、それをなくしたショックが大きく、人生の方向性も見いだせなくなってしまう。

定年後、地域社会になじめず自宅にこもりがちの男性が多いのは事実だが、大震災の被災者の場合、仮設住宅でも新たなコミュニティやネットワークをつくろうという意欲がなくなり、結果として、孤独なままアルコールに走ったり、賠償金をパチンコの憂さ晴らしで浪費してしまう。そこで、社会的に自立してもらうターゲットを男性にしぼった、という。

「男の木工」教室で黙々作業だったのが、
製品完成後にそれぞれ達成感と微笑
小鷹さんにとっても、神経内科の専門医とはいえ、こういった木工教室の作業を通じて、男性の社会的自立を促す現場体験は初めてのことだ。「作業中の彼らは、黙々と作業に取り組むだけで、あまり話をしない。津波の惨状や原発事故での放射能被害への不安などについても口を開こうとせず、世間話で談笑することもない。どういった形で心を開いてもらうかなと最初は悩んだ。正直言って、プロジェクトを立ち上げたが、引きこもりがちの生活から男性たちを引き出し、コミュニティを創出させ、他人とのふれあいの場に慣れてもらおう、ということを考えたこと自体が、自分たちの勘違いだったのだろうか、お節介だったのだろうかと悩んだこともあった」という。

ところが毎週日曜日の教室の回数を重ねるにしたがって、小鷹さんは、いろいろな変化に気が付いた。大半の人たちが寡黙、無口ではあるのは間違いなかったが、木工細工に取り組むに際して、正確に寸法を測り、丁寧に印をつけるため、墨を入れ、そしてまっすぐに木を切り、カンナも手際よくかける、さらに垂直にビスを差し込み、塗装も満足がいくまで几帳面に行う。そして作業がうまく行き、なかなかの出来栄えだと講師役のプロの大工さんから声がかかると、思わずうなずき、少し微笑む。達成感のような、声を出して笑いの渦が出来ることは決してないが、自信や手ごたえを感じているのがわかった。

今では「男の料理教室」などプロジェクト展開、
評価を呼んで木工品の依頼も
 小鷹さんは「これでいいのだと思った。東日本大震災と原発事故という2つの大きな衝撃が南相馬市を襲い、引きこもりの人たちだけでなく多くの人たちには元に戻るまで、まだまだ時間が必要なのだと感じた」という。ところが、うれしいことにボランティアの大工さんたちのバックアップもあるが、参加した12人の人たちの作業の出来栄えがよく、南相馬市内のいくつかのところから、市街地の道路を彩る花壇はじめ、いろいろな依頼が入ったのだ。これがまた、この人たちの大きな励みになった。

そこで、小鷹さんらは「男の木工」教室だけでなく、「男の料理教室」など、他のプロジェクトもスタートさせ、これがまた、地域に広がりを見せている、という。素晴らしいことだ。最初にプロジェクトを立ち上げた時の、反応の弱さに、小鷹さんらも悩んだが、わずか8カ月で着実に、南相馬の地域社会に足跡を残すプロジェクトに成長してきている。時間がかかっても、間違いなく大事なプロジェクトだったのだ。

東日本被災自治体で心の病で休職職員の報道、
いまは復興と同時にストレス対策も
 最近、読売新聞が9月30日付の朝刊で、調査報道として、「東日本大震災の被災自治体と原発事故で避難指示区域となった地域の自治体の合計42市町村で、心の病で自治体職員147人が休職 ストレスの高まりで先が見えず脱力感」という見出しの記事を報じた。
実は、南相馬市の復興支援部や経済部の幹部の人たちに、いろいろ話をした際、市職員の人たちの中には同じような悩みを抱えている人がいることを聞いた。この報道記事を見て、やはりなと思った。以前、宮城県南三陸町でも同じような話を聞いた。それぞれの地域の抱える問題には温度差があるが、間違いなく被災地はいまセカンドステージか、あるいはサードステージに来ている、と言っていい。

南相馬で東電元役員が新プロジェクト 原発事故の「贖罪」で必死に地域起こし

世の中にはさまざまなドラマを持つ人がいる。今回、ご紹介する人もその1人だ。
その人は東京電力の新規事業プロジェクトを担当の執行役員だった人で、2010年に福島第1原発から20キロ圏にある福島県南相馬市の生まれ育った土地で地域起こしのプロジェクトの立ち上げを計画し役員を退任、同時にそのあと関連会社役員も辞める予定でいたら、突然、2011年3月の原発事故に遭遇してしまった。
原発事故そのものは、その人にとっては文字通り予期せざる事態だったが、東電が原発事故を引き起こしてしまったこと、自分が生まれ育った南相馬市からそう遠くない地域で取り返しのつかない事故を引き起こしてしまった、という贖罪意識が強まり、退任が先送りになっていた出向先の関連会社役員を2011年6月に辞め、南相馬市で地域起こしの太陽光発電とドームハウスでの農業生産のプロジェクトを立ち上げ、必死でがんばっている、という。

半谷さん、「被害者と加害者の複雑な立場を運命と考え地域再生に取り組むことに」

 こんな話を聞きこんできた私は、ジャーナリストの好奇心でぜひ一度会ってみたい、と思っていた。すると、最近、運よくチャンスがあり、その人に会えた。半谷(はんがい)栄寿さんという人だ。
半谷さんは「私は、原発事故で南相馬市内にいた実家の母親らを避難させる被災者であると同時に、事故を引き起こした東電の経営に携わっていたという意味で加害者である苦しい立場です。しかし、私はそのことを運命と考え、地域再生のためのプロジェクトに取り組むことにしました」と語る。なかなか気骨のある素晴らしい人物だった。東電の現役、OBの経営者の人たちに聞かせたいと思ったほどだ。

そこで、今回は、この半谷さんにスポットを当てながら、南相馬市で半谷さんが取り組む地域起こしのプロジェクトなどをレポートしてみよう。

南相馬市では代々の政治家家系、
東大卒業後に独自の判断で東電に就職

 まず、半谷さんの話から始めよう。半谷さんは1953年生まれの60歳。南相馬市の中でも南に下がって東電福島第1原発までは15キロという今では立ち入り制限区域になっている小高(おだか)区の出身。実家は、代々が政治家の家系だ。曾祖父が国会議員、祖父が旧小高町長、父が旧小高町議会議長という地域でも抜群の名士の生まれだ。

東大法学部を卒業した半谷さんは政治家の家系を踏襲する道もあったのだろうが、なぜか東電に独自の判断で入社を決めた。小さな時に、父親に連れられて福島第1原発を見学したこともある、という話なので、たぶん、地元に原発立地した東電で働いてみよう、と思ったのかもしれない。
半谷さんは東電入社後、中核部門の総務部に配属となった。ところが興味深いのは、官僚組織ならぬ民僚、つまり民間官僚組織の東電で、入社10年を過ぎたあたりに、半谷さんは当時の直属上司だった勝俣恒久氏(東電元社長、元会長)に対し「総務部の業務とは別に、非営利のNPOを立ち上げ、東電にとっても社会貢献活動という意味でプラスになることをしたい」と申し入れ、渋々と認めさせたことだ。

当初から異色の人生、
エリート職場の総務部とは別に環境NPOを立ち上げ

 そのNPOは、ユニークな発想の環境NPO「オフィス町内会」だった。東京のビジネス街の企業内で吐き出されるさまざまな紙のごみ、たとえばプリントアウトされて会議用に使う紙などのごみが当時、膨大な量にのぼっており、それらをリサイクル用に分別回収するNPOなのだ。シュレッダーで切り刻む紙の処理を含めて、ビジネス街での紙ごみの資源化、リサイクル化をめざしたのだが、東電のような社内競争意識が激しい企業の中で、環境NPOを発想するところが東電エリート社員らしからぬ行動だ。

その後、半谷さんは新規事業部門の担当になり、その延長線上で、福島県内にサッカーのトレーニングセンターとなるJビレッジを計画して実現させた。このJビレッジは原発事故後、危機管理センターの役割を果たせなかったが、逆に、事故の現場対応に追われる作業員の人たちの重要な宿泊や休養の施設となった。

町議会議長の父親の葬儀で地域に足跡残した生き方に刺激受け東電辞める決断

 半谷さんの手掛けた新規事業が東電内部で評価の対象となり、2008年に東電執行役員に就任する。そして2年後にはグループ企業の尾瀬林業の代表取締役常務となる。ところが小高町議会議長だった父親の死に接した際、1000人を超す町民が死を惜しむ姿に父親が地域に残したいろいろな足跡の大きさに強い刺激を受けて、半谷さんは地元の南相馬市で新たな人生の再スタート切る決意をする。それがあとで述べる太陽光発電とドーム型ハウスでの野菜生産をリンクさせた地域再生プロジェクトなどを通じた地域起こしだ。

そして、半谷さんは社長に就任予定だった尾瀬林業常務を退き、同時に東電にも区切りをつけることにし、2011年1月に当時、経営トップの職にあった勝俣会長に了解を求める。勝俣会長からは「東電の看板を外して、肩書もなしに世の中を生きていくのは厳しいぞ」と翻意を求められたが、半谷さんの決意は変わらなかった。

役員辞任了承後に事故に遭遇、全電源喪失にショック、
地域への償いが必要と判断

 ところが、それから2か月後の3月11日に、東日本大震災と同時に福島第1原発は全電源喪失という事態に見舞われ、原発メルトダウンという、決して起きてはならない事故が現実のものになった。半谷さんは「本当にショックでした。私自身は経営の一角にいた時も、原発の安全性に関しては、原子力本部の技術陣を100%、信頼していましたので、 まさか全電源喪失で機能停止し、原子炉がメルトダウンといったことなど、思いもよらぬことだ。しかし東電の責任は免れない。事故処理と同時に何としても償わねばならない」と思った、という。

原発事故の影響で3か月以上たった2011年6月末に尾瀬林業の従業員向けのあいさつの際、東電の結束が重要なときに、役員の「敵前逃亡」のように受け止められるのが辛かった、という。ただ、半谷さんは東電にはすでにけじめをつけており、原発事故が起きるずっと以前から温めていた地域再生、地域起こしのプロジェクトが、この原発事故でますます重要なものになってきたため、必死で取り組むことにした、と述べている。

半谷さんの後半生の仕事は「南相馬ソーラー・アグリ」プロジェクト

 さて、半谷さんが今後の人生を賭して、自身で南相馬市の地域再生のため、と取り組んでいるのは、「南相馬ソーラー・アグリパーク」プロジェクトだ。具体的には南相馬市から借り受けた市有地2.4ヘクタールの土地に太陽光パネル2160枚をちりばめて500キロワット分の電力を起こす太陽光発電所をつくる。
そこで発電される電力のうちの100キロワット分を隣接するドーム型の野菜工場に供給し、地元の農業生産法人がレタス栽培などに活用、出来た生産物を地元のヨークベニマルというスーパーで買い取ってもらう。
また太陽光発電で得た残る400キロワットの電気は、国の新エネルギーの固定買い取り制度を活用して地元の東北電力に売電し、このプロジェクトのためにつくった福島復興ソーラー株式会社の収益にしていく、という。

原発事故きっかけに環境未来都市づくりめざす南相馬市プロジェクトとリンクも

 このプロジェクトは、2013年春にやっとスタートしたものだが、半谷さんによれば、2つポイントがある。1つは、原発事故で大きなダメージを受けた南相馬市が新たに計画中の環境未来都市づくりとリンクさせることだ。南相馬市は今、津波被災地域や山間部を中心に大規模再生可能エネルギー基地をつくる予定で、そのカギを握るのが太陽光発電だが、半谷さんのプロジェクトともリンクさせていく予定だ。

南相馬市は2011年12月に「環境未来都市」の指定を受け、脱原発依存、低炭素型社会をめざしてスマートシティによるエネルギー循環型都市づくりに取り組む、という計画をたてている。この計画では、防災集団移転に伴い、移転先の集落でエコ化を推進し、省エネ集落を増やす。とくに各住宅に太陽光パネルの設置を行い、家庭用エネルギー管理システム(HEMS)を取り入れた省エネ集落にする、という。
私としては、南相馬市が主導して、半谷さんの太陽光パネルを使ったソーラー・アグリパークのプロジェクトとリンクさせ、大型のプロジェクトにするのかな、と期待したが、南相馬市役所の復興支援部の担当者に取材したところ、まだ遅々として進まず、というところだった。

太陽光発電を軸に子供たちに体験学習させる「グリーンアカデミー」事業も始動

 もう1つは、半谷さんが代表理事の一般社団法人の福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会が「グリーンアカデミー」事業と銘打って、南相馬市の小中学生、高校生を対象に太陽光パネルを使った発電の仕組み、電気自動車への電気供給、さらに電気と太陽光を活用しての水耕栽培でなどを体験学習してもらうプロジェクトの展開だ。
半谷さんは、このプロジェクトに強い思いを持っている。「小中学生はもとより、高校生や大学生、さらには社会人までが参画して、太陽光発電やドーム型の植物工場での野菜生産の夢あるプロジェクトの存在を知り、自分たちの地域再生に関して、こういったプロジェクトを推し進めれば、未来が開けてくるかもしれない、と自信や期待を持ってくれればいいのです」という。

企業も復興支援の一環で半谷さんのプロジェクトを積極支援

 「グリーンアカデミー」事業に関しては、半谷さんによると、三菱商事復興支援財団が3000万円の基金を支援、また東芝、大成建設、三井住友海上、三菱自動車、ヨークベニマルなどの企業が全体で2000万円の支援、さらに南相馬市以外に国からも補助金を得て、被災からの立ち直りに必死の子供たちの体験学習に活用される。
半谷さんら役員はすべて無報酬だ。また東京で起業家型リーダーの人材育成や復興支援のための人材派遣を進めるNPO法人ETIC(代表宮城治男代表理事)も、半谷さんの生き方に共鳴し、右腕になるリーダー人材を送り出したい、と協力を申し出ているという。

東電の原発事故が起きる前に東電を辞めた半谷さんは、事故に直接に関与する立場になかったものの、事故現場に近い南相馬市で生まれ育った、しかも歴代、政治家を出して地域に深くかかわった家の出身でもある、ということが半谷さんの背中を押して、地域の新たな再生のためにエネルギーを注ぐのだ、という決断をさせたのかもしれない。半谷さんには今後、まだまだ重い課題が横たわっているかもしれないが、この人にはやり遂げる強い責任感や使命感があるように思える。
東電福島第1原発の事故現場は、目先の汚染水処理を含めて、問題が山積しているが、東電OBの半谷さんに生き方を見習って、被災者目線、国民目線で事故処理に取り組んでほしいと、思わず言いたくなる。みなさんは、半谷さんの生き方をご覧になって、どう思われるだろうか。

東京五輪決定は日本変えるチャンス 原発処理と合わせてソフトパワー発揮を

2020年に東京でオリンピック開催決定、というニュース速報が日本時間9月8日早朝にテレビやインターネットで流れた時はビッグサプライズだった。と同時に、率直に言って、56年ぶりの東京での再開催はうれしかった。

というのも、東京電力福島第1原発での事故処理過程で放射能汚染水の海洋への流出リスクが高まり、外国メディアは東京発の報道で、日本自体の事故処理能力や統治能力を問われる事態になったと報じた。しかも開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)の委員の間でも異論が出ている、との報道が追い打ちをかけるように出たため、東京、というよりも日本でのオリンピック開催に対して厳しい国際世論の高まりが出て、オリンピック開催そのものは無理かな、と思っていたからだ。

安倍首相の原発汚染水処理の国際公約が五輪実現への
「最後のひと押し」?
その後の報道によると、日本代表団の東京招致に関する最終プレゼンテーションにアピール度があったことも大きいが、安倍晋三首相がモスクワでのG20サミット(主要20か国首脳会議)から長躯、アルゼンチンのベノスアイレスに飛び「日本政府が責任を持って放射能汚染水リスクに対応する」と国際公約したことが決め手になった、という。

もし、原発の汚染水処理に日本の政治が責任対応する、という安倍首相の言動がIOCに対する「最後のひと押し」になり、事態がプラスに働いたとするならば、日本の政治が存在感を示すことになったと言える。放射能汚染水対策が、これによって日本の国際公約になったので、日本政府は重大な政治課題を背負ったわけで、最優先で取り組んでほしい。

安倍首相は過去に「消えた年金」でのパフォーマンス政治があったが、
今回は実行を
ただ、気になることがある。それは、安倍首相が過去にパフォーマンス政治先行によって、政治公約を果たせなかった問題があることだ。
ご記憶だろうか。安倍首相は、かつて2007年当時の第1次政権時代に「消えた年金」問題に関して、旧社会保険庁改革を含めて、消失年金を必ず復元させて一挙解決して見せる、と踏み込んで発言した。当時、「安倍首相はなかなかやるではないか。国民の不安を解消してくれそうだ」と期待感が高まったが、結果的に後手後手に回り、それがその後の参院選での大敗北につながり、安倍首相は退陣を決断せざるを得なくなった。

その意味で、今回の汚染水処理は「消えた年金」と同様、技術的にも大変に厄介な問題だけに、安倍首相が指導力を発揮して、何としても国際公約を果たしてほしい。

東京五輪再開催は素直に喜ばしいが、
国威発揚よりも先進モデル事例めざせ
 そこで、本題だ。1964年の東京オリンピック以来、56年ぶりに、同じ東京で開催できるチャンスを得たことは、素直に喜ぶべきだろう。オリンピック憲章のスポーツ精神にのっとり、世界中の人たちがスポーツを通じて平和を高め、平和に貢献することは極めて重要だ。
しかし私は、日本が、この東京オリンピックについて、国威発揚につなげるようなプロジェクトにしたり、あるいは金メダルなどの数値目標を掲げてスポーツ団体を鼓舞するようなことにつなげるべきでない、と思っている。

時代刺激人ジャーナリストの立ち位置で申し上げれば、むしろ、日本を変えるチャンスと捉え、成熟社会国の新しい社会システムを作り出している先進モデル事例の国だといった評価を世界中から受けるようなオリンピックにすべきだ、と思っている。

韓国サムスングループの大胆マーケティング力には負けるが、
日本には強みが多い
 日本は、韓国のサムスングループのような存在を誇示する大胆なマーケッティング力などはないが、半面で、日本人特有のまじめさ、完璧に仕上げようとする誠実さ、そして企画力などで、間違いなく高い評価を受けるオリンピック運営、ゲーム運営を行うだろう。その点に関しては自信を持って言える。
問題は、こんな素晴らしいオリンピック運営の力を示す日本、また成熟国家らしい、至る所に高齢者だけでなくハンディキャップを持った人たちへの心遣い、気遣いが目立つ日本、おもてなしのサービスの素晴らしさが伝わる日本、それに何よりもどこを歩いていても安全で安心できる、テロリスクなどが微塵も見られない日本というのは、どんな国なのか、と好奇心や関心度が高まり、これらはどういったことで生み出されるのか、と多くの外国人の来訪者に思わせることが重要だ。

高齢社会対応の社会システムや、
食文化に代表される高品質社会がアピール材料
 そこからが、本当の勝負どころだ。日本という国は、今後、どの国にも襲来する高齢社会化、あるいは高齢化の「化」がとれた高齢社会に対応する医療や年金などの社会インフラのシステムの構築が出来上がっている、道路、鉄道など物的なインフラに関しても、バリアフリーを含めて高齢社会対応がキメ細かく行われているという点で評価を得ることだ。
また、日本食の食文化の素晴らしさ、端的には味のよさであるおいしさにとどまらず、安全・安心であること、品質のよさが抜群で、素材をここまで活かせる日本の食文化に限らず、モノづくりについても素晴らしいものがある、といった高品質社会を強く印象付けることも大事だ。
そして、東京オリンピックをきっかけに日本を訪れた多くの外国人たちが、自分たちの国の今後を考えた場合、この日本の社会システムなどが、先進モデル事例と言えるかもしれない、日本とさらにつきあって、学んでみようというふうにさせることが必要だ。

キーワードはソフトパワーの発揮だ、
日本の強み・弱みを見極め強みに特化を
 その場合のキーワードは、ソフトパワーの発揮だ。日本は成熟社会国家という位置づけを背景に、ソフトパワーを大いに、日本の強みにすればいいのだ。軍事力などを背景にしたハードパワーに力を注ぐ必要は全くない。
この機会に、日本は、自身のアイデンティティがどこにあるのかを見極めるために、 日本の強みと弱みをチェックし、何を捨てて、何を伸ばすか、あるいは何を強みにして存在感を高めるか、真剣に考えるべきいいチャンスだ。それを経て、日本を変えるとすれば、どんな点なのか、といったことも考えればいい。まさに、東京オリンピックが日本自身を見直すいいチャンスだ、と思えばいいのだ。

重ねて、私の問題意識で言えば、日本は、ソフトパワーを最大の強みにする国であるべきだ、と言いたい。端的には日本自身の強みである技術革新力に磨きをかけると同時に、いまだに制度的にも大きな課題で、見直しが必要な医療や年金などの社会インフラのシステムの再構築、さらに日本の食文化に代表される味のよさにとどまらず、安全・安心であること、品質のよさが抜群であること、おもてなしサービスが飛びぬけていることなど高品質社会を深化させること、さらにアニメなどがつくりだすクール(かっこいい)ジャパンなどの新しい文化を伝統文化に加えてアピールすることだ。これらすべてが、ソフトパワーの強み部分だ。

NHKTV衛星放送番組「かっこいいニッポン再発見」での外国人の目線がヒント
最近読んだ堤和彦氏著の「COOL JAPAN――かっこいいニッポン再発見」(NHK出版刊)にヒントがある。堤氏は、NHK衛星放送の同じタイトルの番組の担当プロデューサーで、8年間に及ぶ番組の中で、外国人の目線から見た日本に焦点を当て、その中から日本の再発見に取り組んだのだ。
ぜひ読まれたらいいと思うが、堤氏の再発見のポイント部分を本でこう書かれている。少し引用させていただくと、NHKとしては当初、取り上げるテーマとして、アニメ、漫画などポップカルチャー、2つめが茶道、華道、日本庭園など伝統文化、そして新幹線やロボットなどのハイテク技術の3つと考えていた。ところが番組で外国人にインタビューしたりしていると、彼らが「クール」というものはその3つにとどまらず、日本の家電や生活用品の品質の良さ、日本式のサービスの細やかさ、モノを大切にすることや暮らし方の合理性に高い評価を持ち、おいしい食べものがあって安全で安心して暮らせる日本を世界一暮らしやすい国と言っていい、という意識を持っていることを知ったと。8年間、番組を続けて、それらの軸がまったく変わらないというのだから、少しうれしくなる話だ。

大事なことは、これらを東京オリンピック時に開花させ、日本が成熟社会国家の先進モデル事例になるさまざまな取り組みをしていると思ってもらい、評価を受けるように、大いにがんばればいい。そのためにも、新社会システムづくりに向けて、制度設計も大いに見直すべきだ。東京オリンピックは格好の機会ともいえる、というのが、私の考えだ。

東京五輪までに東日本大震災で新地域モデルを、
原発事故処理も急げ
 同時に、忘れてならないのは、日本は、2011年3月11日の東日本大震災、それに続く東京電力原発事故という大きな試練を受け、とくに原発事故は世界中を震撼させ、いまだに教訓は何かに関して、日本に強い関心がある。その点でも、日本が9年後の2020年に見事に再生を果たし、とくに大地震や大津波で壊滅的な打撃をこうむった東日本の地域で、新たなモデル事例ともなる地域づくりに取り組んでいる、ということをアピールできるようにすべきことだろう。

このうち原発事故処理に関しては、廃炉に向けた作業が2020年時点で、どのレベルにまで進んでいるのか、現時点で見通せないが、少なくとも、今回の東京オリンピック決定までの段階で大きな懸念材料となった原発事故現場の放射能汚染水の処理、とくに海洋流出に万全の歯止めをかけたということを世界中に見せる必要がある。

日本変える機会とらえメディアも発信を、
五輪決定時に新聞休刊なのは残念
 私が、このコラムで最もアピールしたいのは、東京オリンピックをきっかけに、日本が戦後一貫して得意にしてきた計画目標をたてること、とくにその目標は日本を変えるという点だ。
その点で、やや横道にそれるが、私がかつてかかわった毎日新聞を含めた全国紙、そして地方紙は、運悪く東京オリンピック開催が決まった9月9日付けの朝刊に関しては、一斉に、新聞休刊日ということで、朝刊が休刊になり、一部の新聞社が号外を流すにとどめた。私はかつてと違って、新聞現場の記者ではなく、フリーランスの経済ジャーナリストの立場で、むしろ新聞を読む読者の立場だが、私が疑問に思ったのは、日本にとってビッグニュースとばかり、なぜ新聞休刊日の協定を破棄して自由競争にしなかったのか、という点だ。
日本を変えようという時に、論陣を張る新聞社が、狭い協定枠のレベルにとどまり、国民や読者のニーズに応えて、独自に新聞を発行できなかったのか、もっと読者、国民本位の態勢をとれなかったのかが残念だ。メディアも論陣を張る割合には、足元での対応が出来ていないとなれば、批判を受けるだけだ。発想の転換を期待したい。

東電原発汚染水の海洋流出は大問題 漁業の風評被害に加え国際的反発が心配

 東京電力福島第1原発の事故現場は、2011年3月の事故から2年半がたとうとしている、というのに、いまだに収束に至っていない。それどころか、事態は悪化の一途をたどっている。とくに、高濃度の放射性物質を含んだ汚染水の原発敷地内での水漏れ、そして海洋への流出問題が、とてつもなく厄介な事態に陥らせている。

4月の地下貯水槽の汚染水漏れ、
そして今回のタンクからの汚染300トン漏れ
今年4月、7基あった地下貯水槽のうち2号、そして3号貯水槽で次々と汚染水の水漏れが見つかり、大騒ぎとなった。当時、突貫作業で貯水槽工事した際、3層の防水シートに弱い部分が出て水漏れとなったのでないか、と見られた。しかしもっと根本的な問題は、雨水や山側から流れる地下水が原子炉建屋内に流入し、原子炉の冷却に使っている水と混じりあって放射性物質を含んだ汚染水を大量に生み出したことだ。それが見えない地下の水路で動きまわり、事態を悪化に導いている。対処療法ではなくて抜本対策が必要だ。

ところが、つい最近、今度は、原子炉建屋周辺にあるタンクから高濃度の放射性物質を含んだ汚染水約300トンが流出したうえ、それが地下水と混じって海洋にも流れ出た疑いがある、ということで、さらに大騒ぎとなった。
外国メディアは予想どおり、東京発のニュースで海洋汚染に無神経な日本という形で手厳しく批判した。放射性物質を含んだ汚染水を故意に海へ放出したわけでないが、まずはあってはならないことで、批判が国際的な反発に発展することが重大懸念だ。

原子力規制委は「重大な異常事象・レベル3」に、
2年前の「収束宣言」は何だった?
 原子力規制委員会は事態を重視し、今回の汚染水漏れ問題に関して、国際的な原発事故のトラブルの規模や深刻度を示す評価レベルを重大な異常事象という「レベル3」に決定し、国際原子力機関(IAEA)に確認を求めた。私は、最悪レベルの「レベル7」がずっと続いたままとばかり思っていたが、原子力規制委は今回、この汚染水に限って「レベル3」という厳しい評価にしたようだ。

ご記憶だろうか。2011年12月16日、当時の民主党政権の野田佳彦首相は、緊急記者会見で東電原発事故の収束宣言を行った。私は当時、テレビで会見の模様を聞いていて、何の根拠があって収束宣言などと言えるのだろうか、と強い憤りを覚えた。野田首相の会見内容は「専門家による緻密な検証作業を経て、安定して冷却水が循環し原子炉の底の部分と格納容器の温度が100度C以下に保たれている」ことを根拠にしたが、事態の鎮静化を図りたいという政治の思惑が先行しただけだ。事故現場の現状を見て、政治家の無責任ぶりをどう考えているのか、思わず聞きたくなるほど、事態は悪化の一途だ。

東電の対応は後手後手、
柏崎刈羽原発再稼働よりも専門家集め総力対応が必要
 私は以前も申し上げたように、東電原発事故調査を行った国会の事故調査委員会(国会事故調)の事務局にかかわった関係で、フォローアップが重要と考え事故処理の動向に強い関心を持っていた。そこで今回、ぜひ汚染水をめぐる問題をコラムで取り上げたい。

結論から先に申し上げれば、事業者の東電の第1義的な責任は果てしなく大きい。事故現場の人たちは、日夜、事故処理に追われ、休む暇もないことを十分に理解した上でのことだが、高濃度の放射性物質を含んだ汚染水の流出騒ぎに関しては、関係者の話を聞く限り、率直に言って、東電の対応は後手後手に回っており、多くの人たちの不安を増幅させている。とくに、当初は応急処理のために仮設のタンクを作ったが、この仮設対応ということに隙(すき)があったのか、注意義務を怠ってきたのでないかという懸念がある。

私は、東電がこの際、福島第2原発のみならず柏崎刈羽原発、さらに火力発電所から、ある程度、原子力のみならず土木などの技術専門家を総動員して、徹底対応すべきだ。そればかりでない。柏崎刈羽原発の再稼働にこだわっている場合でない。それがまず1つだ。

国が乗り出したのは遅きに失したが、
国民に理解を求め予算措置で機動対応を
次の問題は国の責任問題だ。今回、安倍晋三首相が「東電だけに事故処理をゆだねる東電任せではだめだ。国の責任もあり、積極的にかかわっていく」と国が前面に出ることを表明した。担当大臣の茂木敏充経済産業相も現場に出向き、現場指示を行っている。これらに関しては、率直に評価する。
しかし私に言わせれば、国が前面に出るのが、やや遅きに失したと思う。もともと「国策民営」で国が原発対応を民間に都合よく委ねたところに問題があった。原発事故が起きて原発災害の形で大きな広がりを持ったいま、国が廃炉まで全面的に責任を分担することは当然だ。
とくに、かつては隠然たる力を誇示していた東電が原発事故をきっかけに、今や当事者能力を失い、事故処理のみならず賠償責任などでも十分な責任を果たし得なくなっている現実を見ると、「国策民営」の電力経営に対する国の責任という意味でも、今度は国が前面に出るべきだ。その場合、安全対策に関しては、国民に税負担の理解を求めながら、必要な予算措置を講じることは必要だ。

原子力規制委の動きが鈍い、「規制の虜」状態でないはず、
保安基準で厳しく対応を
 この国のかかわりという点で、私は、今回の事故処理を見ていて、新たに政府からも事業者からも独立した規制機関として立ち上がったはずの原子力規制委員会の動きが何とも鈍いという印象が否めない。まさか今でも「規制の虜(とりこ)」状態にあるとは思いたくもないが、汚染水対策有識者会合を組織して対応しているとはいえ、規制機関としての存在感が見えないのだ。
「規制の虜」の問題は、国会事故調報告でも取り上げたように旧原子力安全保安院(現原子力規制庁)の官僚が、原発技術などの専門知識や情報量の面で、かつては東電の現場技術者、専門家群に太刀打ちできず、規制当局が規制を受ける側に言いなりになって本来の機能や役割を果たせない弱みがあった、という問題だ。

原子力規制委の記者会見などに出ていないので、メディア報道を見るしかないのだが、この汚染水処理対応に関して、原子力規制委の踏み込んだ動きが見えてこない。ある専門家は、原子力規制委が厳しい保安基準を大胆につくり、東電に指示してすばやく結果を残せるようにすべきだ、という。確かに、汚染水問題がさまざまな形で長引いているのを見ると、原子力規制委が規制機関として、安全対策を含めてさすがによくやっている、という存在感が必要だ。

国会の原発問題特別委はなぜ動かぬ、
立法府の行政監視こそがミッションでないか
 それと、私が国会事故調にかかわった経緯から、過去のコラムでも幾度か問題提起したことだが、立法府の国会の対応が原子力規制委以上に鈍い。それどころか、今回の東電福島第1原発の汚染水処理対策に関して、国会が現場視察を含め、本格的な対策に乗り出した、といった話を耳にしたことがない。

とくに衆参両院の原子力問題特別委員会が、国会休会中とはいえ、こういった重要な時期にこそ、立法府の行政監視、とくに原子力規制委の活動チェックを厳しく行うと同時に、それら衆参両院の原子力特別調査委員会メンバーが積極的に現場をチェックして何が問題かを浮かび上がらせる具体的なアクションが必要だ。そういったことが見えてこないのが、何とも残念なことだ。メディアは、首相官邸や担当官庁の経済産業省、さらに原子力規制委などの動きを報道するが、私に言わせれば、立法府の国会の動きをウオッチし、なぜ国民目線に立って動こうとしないのか、と手厳しく報じるべきだ。

世界中に、国会の汚染対策など東電原発事故の教訓を情報共有するアクションを
 国会事故調は、立法府の全会一致での国会事故調法にもとづいて立ち上げられ、民間の専門家が政府、そして事業者から独立して独自の立場で原発事故の真相究明に乗り出し、2012年7月5日に衆参両院議長に報告書を提出した。立法府の行政府監視の役割を担ってものだった。しかし国会事故調の7つの提言は、以前のコラムでも問題視したように、野球に例えれば、ボールが外野に転がったのに、当時の与野党を問わず国会はそのボールをしっかりと受け止めず、衆院は今年1月に、また参院は今年8月にそれぞれ原子力問題調査特別委員会をやっと立ち上げるという、信じられないような遅い対応ぶりだった。

政権交代があり、めぐる情勢が変わったとはいえ、世界中を震撼させた東電原発事故の教訓を日本が積極的に世界に発信し、二度と同じような事故を引き起こさないという姿勢を強くアピールすることが大事なのだ。とくに、政府からも、事業者からも独立して、国民目線で立法府が行政府の監視役を担う、と国会事故調立ち上げ当時、国会が強く、胸を張ったのだから、今でも遅くないのだ。アクションを起こすべきだ、と言いたい。

汚染水の海洋流出リスクは依然消えておらず、
東電は重ねて、総力をあげて対応を
 今回の東電福島第1原発での汚染水の水漏れ、さらに海洋への流出リスクの問題は、改めて言うまでもないが早期に完全に水漏れがなくなるように、あらゆる対策が必要だ。3.11の事故後、原子炉に残る核燃料を冷却するため、東電は絶えず注水を続ける必要がある。これ自体が最重要課題だが、原子炉建屋内に、大量の地下水が流れ込み、現時点では毎日400トンものケタはずれの地下水が流入してくる、という。その地下水の水が放射性物質と交じり合って、逃げ場のない汚染水となっている。しかも海洋に流出するリスクが消えていない。

東電経営陣は事故当初、想定外の巨大な津波による全電源喪失が事故を招いたと言ったが、国会事故調が調査した結果、シビアアクシデント(過酷事故)マネージメントのミス、端的には15メートルに及ぶ津波襲来の予測があった際に、しっかりとした対策をとっていれば、こういった事態にならずに済んだわけで、間違いなく経営判断ミスによる人災だと言っても決して言い過ぎでない。現に、東北電力女川原発などが津波対策を講じて、危機を乗り切れている現実を見れば、東電にはエクスキューズの余地はない。その意味でも、東電は事故処理に総力をあげるべきだろう。

不気味な中国「影の銀行」不良債権 金融当局も実体つかめずリスクは大

今回は、中国ウオッチャーとして、中国経済を定点観測してきた私にとって、最近の強い関心事の1つ、シャドーバンキング(影の銀行)のことを取り上げてみたい。
正規の金融取引業務を認められている中国の国有銀行と違って、投資信託会社のようなノンバンクの金融機関がメインになって、信託貸出などさまざまなノンバンキング・ビジネスを行うことで問題が噴出している。そればかりでない。アングラマネーを動かすマフィアがらみの地下金融業のみならず、国有企業が手元の余剰資金の運用先に困って、こっそりとノンバンクビジネスに手を出す、という意味で、影の銀行と呼ばれる不気味な存在になりつつあるのだ。

中国の場合、高貯蓄率を背景に、行き場がなく滞留している個人のマネーが意外に多い。そこで、投資信託会社などノンバンクが、それらの滞留マネーを吸い上げるため「理財商品」という高利回りの財テク金融商品を発行して資金を調達、そのマネーを資金需要のある地方政府や地方の不動産開発会社に高利で貸出し、それが高じて、中国に蔓延する不動産開発ブームに火をつけたのがポイント部分だ。

ノンバンクが財テク「理財商品」の資金で不動産開発向け高利融資、
焦げ付きも
問題は、不動産バブルがはじけて、売れ残り物件の山が至る所に生じて資金回収が困難になると、一気に巨額の融資が不良債権化して金融システム全体を揺るがす問題になりかねない。そのリスクが急速に高まっていているうえ、ケタ外れの不良債権の総額など実体が金融当局でさえ容易につかめないため、大きな問題になっているのだ。

ちょっと余談だが、この「影の銀行」という銀行の存在について、中国の金融専門家に話を聞いていたら、「影の銀行」と「銀行の影」という2つの言い方があって、定義もまちまちなのだ、という。しかも信託財産や資産の管理に関しては、中国銀行業監督管理委員会という当局の管理下に入っており、問題行動を起こしにくい、というのだ。とはいえ、金融当局も実体がつかめないほど肥大化しているのが現実で、その金融専門家の話を聞いていても、2つの区分にどういった違いがあるのか、よくわからなかった。

思い出すのは複雑な金融商品組み込んだ米サブプライム、
日本のノンバンク住専
そんなことよりも、ノンバンクの「影の銀行」のことで2つのことを思い出した。1つは、「理財商品」が引き金になっているのを見て、複雑な仕組みの金融商品をリンクさせて問題を引き起こした米国のサブプライムローンと背景が何となく似ているな、ということだ。ノンバンクの証券会社が投資銀行という形で、住宅ローン融資に手を広げて米国の金融システムを瓦解させる事態に追い込んだ。

もう1つは、ご存じの方も多いはずだろうが、かつて1970年代の日本で大手銀行がなかなか手を付けない住宅ローン融資分野にノンバンクバンクの住宅専門金融機関、いわゆる住専(じゅうせん)が進出して問題を引き起こした話だ。個人向け住宅から次第に不動産融資に傾斜、その後のバブル崩壊、地価下落によって巨額の不良債権を抱え込んでしまった。旧大蔵省(現財務省)が行政権限拡大でノンバンク金融も傘下に収めるため、関与した点が中国の「影の銀行」とはちょっと異なるが、出資参加した金融機関にも波及し、金融システム不安を招いた。

「問題起きても国が公的資金で救済、借り換えで不良債権も処理し大丈夫」との声
さきほどの中国の金融専門家は、日本のジャーナリストが「影の銀行」問題を必要以上に重大視して取り上げ、金融の現場で動揺や混乱が起き、それが金融システム不安の引き金になったりするのを恐れてか、興味深い問題説明をした。
そのポイントはこうだ。中国が日本と違って、資本主義をベースにした市場経済化と社会主義を巧みに使い分け、しかも共産党政権下でマクロ政策運営も行っていること、仮に金融機関の経営破たん問題が起きても、国有銀行はもとよりながら、ノンバンクバンクに対しても国の公的資金で破たん処理し、また預金者保護も積極対応すること、また国民の貯蓄率が高いので、預金者の不安感が充満することはありえるにしても国家が「信用不安を起こさないので、安心せよ」と言明するので、問題は生じない。

そこが日本などと大きく異なる点だ。そして、極めつけは、目先、「影の銀行」に不良債権問題の発生で経営不安が顕在化しても、国家主導で借り換えを行わせるので、流動性危機を回避するのでないか、というのだ。
しかし、現場の中国の金融専門家の楽観論とは対照的に、中国政府が内外でとったここ数か月間のアクションを見る限り、中国政府は「影の銀行」問題をかなり深刻に受け止めているのは間違いない。

中国金融当局が事態重視、
6月に「影の銀行」への締め付けで短期金利が急上昇
まず、6月下旬に上海の短期金融市場で起きた金利高騰が1つだ。金融機関が手元の資金需給に合わせて銀行間取引で翌日物など短期の資金を融通し合う上海銀行間取引金利が6月20日、何と前日比で5.78%急上昇して13.44%という異常な高金利をつけた。当時、その金利高騰原因について、中央銀行にあたる中国人民銀行が手形オペレーションで金融市場から資金の吸い上げを図ったため、資金需給が一気にタイトになったが、その金融政策意図は、どうも「影の銀行」へ資金が流れることに歯止めをかけたいことのようだ、という市場観測が広がった。

この余波は、6月24日の上海株式市場に及び、ベンチマーク指数の上海総合株価指数が5.3%下落して1963.23となり、2000という指数の心理的抵抗ラインを割り込んだ。翌日25日も続落したため、中国人民銀行も神経質になり、人民銀行当局者が上海市内でのフォーラムで事態収拾を図るメッセージを発信したので、26日以降は収まった。

米中戦略・経済対話で米国が「影の銀行」問題にからめ金融制度改革に注文
当時の現地からのメディア報道では、6月末に「影の銀行」の「理財商品」の償還が集中するため、金融当局が短期金融市場での資金供給に揺さぶりをかける、という政策意図を示そうとした。ところが、株式市場の混乱を招いたことで、今後は「マーケットとの対話」を煩雑に行うことで、金融現場にニラミをきかす作戦に切り替えたようだ、といった観測報道が流れた。これ1つとっても、中国人民銀行当局の「影の銀行」の動きに苛立ちを深めているのは間違いない、と言える。

しかし、われわれ経済ジャーナリストが「おやっ」と驚いたことがその後、起こった。それは7月10日、11日の2日間、ワシントンで開いた米国と中国の閣僚らで話し合う5度目の米中戦略・経済対話で、米中間に横たわるさまざまな問題を議論した中で、米国側が「影の銀行」問題を持ち出し、それにリンクする形で中国の金融制度改革に注文を付けたことだ。

サプライズは中国がG20タイミング合わせ突如、
貸出金利の撤廃と自由化を公表
日本はかつて日米経済構造協議を通じて、互いの制度改革に注文を付けるやり方を経験済みだが、米中戦略・経済対話でも米国は平然と持ち出した。一昔前ならば、中国は内政干渉だと突き放しただろう。ところが、今や大人の対話に切り替えたのか、中国は逆に米国の金融緩和の出口政策が中国や新興国市場の金融に混乱を与えていると言い返すほどだった。
ところがサプライズはそのあと、グローバル金融市場で飛び出した。中国はモスクワで7月20日から開催予定の主要20か国・地域の財務相・中央銀行総裁会議(G20)の前日7月19日に、翌日の20日から中国の金融機関が企業などに貸し出す際の規制金利を撤廃し自由化すると発表したのだ。
預金金利に関しては規制を続けるが、貸出金利は自由化に踏み切るというものだ。中国は、海外の主要国の間で「影の銀行」問題への懸念が強まると同時に、不透明な貸出金利規制による部分だと批判されかねないと判断、そこで、G20の場で蒸し返される前に機先を制して対応しようとの意思表示だな、と受け止めたことは間違いない。

「影の銀行」の金融商品残高が円ベースで160兆円説、
一部には583兆円説も
 ここで問題となるのは、中国の「影の銀行」の実体がどうなっているのか、ということだ。正直なところ、イソップ物語のオオカミ少年と同じで、大変だ、大変だと言っているだけに過ぎないと言われそうだが、いろいろな取材ネットワークに聞いてみても、実体はわからない。
ただ、中国銀行業監督管理委員会の尚福林主席が今年4月に、「影の銀行」の「理財商品」などの金融商品残高は8.2兆円(円換算約130兆円)にのぼると公表したのが、ただ1つの手掛かりだ。しかし、米金融大手のJPモルガン・チェースの中国人エコノミストが独自に調べた「影の銀行」の融資残高は36兆元(円換算583兆円)にのぼると試算し、波紋を投じた。共同通信がつい最近、中国メディア報道をキャリーする形で6月末現在での「影の銀行」の融資残高は9兆8500億円(円換算160兆円)にのぼったと伝えた。情報ソースは中国銀行業監督管理委員会の幹部だというから、ほぼこのあたりが実体に近いのかもしれない。

中国の不動産投資・住宅投資バブルがはじけたら「影の銀行」にボディーブロー
 ただ、ここで問題は、「影の銀行」が融資した高利回りの不動産開発投資、マンションなど高層ビル建築融資が売れ残り物件急増で、融資返済が焦げ付くリスクだ。中国からの最近のいろいろな現地報道で、気になるのは、地方都市の高層マンションが建設半ばで工事中断となり、放置されているといったものが目立つ。需要急減で、買い手がつかないまま不動産投資バブルや住宅投資バブルがはじけたりしたら、間違いなく実体経済に大きな影響を与える。
中国共産党政権は、欧米向け輸出のダウンで、内需振興政策に切り替え、何とか7%台半ばのGDP成長を維持しようと必死だが、そんな中で、中国の地方経済で不動産開発投資、住宅投資バブルがはじける事態になれば、それこそ大ごとになるのは間違いない。

中国経済は肥大化しすぎて制御不能に陥るリスク、
「影の銀行」問題に早く対処を
 最近、ある会合で出会った富士通総研の主席研究員の中国人エコノミスト、金堅敏さんと「影の銀行」を含めた中国経済の現状について、話し合った。金堅敏さんは、現在の中国経済には今やさまざまな課題があるため、高成長の夢を捨てて、いかに安定成長にソフトランディング(軟着陸)できるかという点に強い関心がある。
私は、中国の経済規模が肥大化し過ぎていて、地方経済の現場にも目が届かず、一種の制御不能に陥るリスクがあること、とくに今回の「影の銀行」問題はその典型例であること、ノンバンクバンキングの実体は投資信託会社などにとどまらず国有企業にも問題があり、共産党中央がそれら機関を本当に制御できるかが目先のポイントだと述べた。

新興アジア急成長ひずみリスクは深刻 インド大停電などインフラ制度に問題

世界の新成長センターになりつつある中国やインドなど新興アジアで最近、思わず「えっ、本当にそんなことが起きたのか」と声が出てしまうような、経済社会を支えるインフラ部分での大事故が起きている。その最たる例が今年7月末のインド大停電事故だ。そのあと8月に入って、中国で信じられないようなインフラ事故が起きた。完成してまだ1年もたたない高速道路につながる高架橋の一部が突然、崩落し、走っていた自動車が橋の下の一般道路に投げ出されて死傷者を出す大事故になったりしている。

ビジネス展開めざす日本企業にとってはインフラの落とし穴、
看過できず

急速な経済成長に伴う需要増に対して必要な供給体制の整備を読み間違えたという制度設計上のミスがあったのか、スピードの時代、グローバルの時代という時代変化について、新興国の行政が十分に見通せず、結果的に行政対応が遅れてしまったのか、それともインフラ工事にあたって手抜き工事を行政が最終チェックできなかったのか――など、時代刺激人ジャーナリストの好奇心で、いろいろ考えてしまう。

しかし新興アジアでビジネス展開をめざす日本の企業にとっては、急成長の落とし穴ともいえるこれらインフラにかかわるさまざまな問題は看過できないことだ。そこで、私自身も以前から、新興アジアの急速な都市化への対応、インフラ整備対応の問題に強い関心を持っていたので、今回はこの問題を取り上げよう。

インド大停電は7月末の2日間にわたり22州、
人口の半分の6億人に被害

まずは、インドの大停電の問題だ。当時の現地からのメディア報道では、7月30日未明に北部のウッタル・プラデシュ州で電力需要が急増し、需給がひっぱくした。インド全体で6系統ある送電線網のうち、北部系統がこのトラブルによって停電した。このため、電力供給に余力のあった西部の州から送電線を通じて電力融通したところ、今度は送電網に過大な負荷がかかってしまい、停電が一気に広がった。解決に手間取るうちに停電が連鎖的に広がり、デリー首都圏、そして北部6州全域に及ぶ大停電となったという。

ところが、応急措置などで収束しかけた大停電が翌31日午後1時ごろになって再燃、今度は北部の州のみならず東部、東北部にまで連鎖的に波及し、インドの全28州と7つの連邦直轄地域のうち、実に22州、インドの12億人の人口の半分にあたる6億人の人たちに被害が及んだというからケタはずれの大事故だ。

電力需要の急増対応の融通で送電線に過大な負荷かかったのが原因

インド政府の中央電力規制委員会が緊急調査した結果、インド北部の州での電力需要増に伴い、供給余力のあった西部の州から融通したら送電網に過大な負荷がかかり大停電に至った。2度目のケースも同じで、すべてが送電線インフラの問題だったと断じている。

プライドの高いインドにとっては、屈辱的な事態であることは言うまでもない。当然ながら、インド政府は信用回復に躍起で、スタートさせたばかりの第12次5か年計画(2012年~17年)内に、当初目標のインフラ投資1兆ドルの30%相当を電力関連投資に充てる、という。同時に、これまで全28州の電力局に委ねていた電力ネットワークシステムを国家が一括管理する、という。

政府の補助金からめた低料金政策が電力需要増を誘発し
財政負担増

しかしインドのエネルギー政策の現状を知る専門家に言わせれば、根本的な問題が未解決なのだ。インド政府が低所得層対策のため補助金で電力料金を低く抑えているが、これが電力の割安感を誘って需要増を誘発、そして財政負担が恒常的に増えており、改める時期だという。一方で、供給力強化のためのインフラ投資、とくに老朽化もからむ送電線の強化投資が需要増に追い付かず遅れたままなので、大停電は潜在リスクだ、という。

そんな矢先、英フィナンシャルタイムス(FT)紙の調査報道スクープ記事が日経ビジネス誌8月20日号に「大停電で見えたインド構造危機」という形で転載されているのを読んだが、思わずFTの取材力のすごさにうなってしまった。電力を軸にしたエネルギー全般の構造問題に、銀行の融資焦げ付きリスク問題が深くからんでおり、もし対応策を誤れば、成長を急ぐ新興インドにとっては失速しかねない問題に発展する、というのだ。

発電・送電の供給体制に問題山積のうえ金融機関側には
融資焦げ付きリスク

ポイント部分を引用させていただこう。インドの発電会社は28州の電力局に電力を販売することを義務付けられているが、肝心の電力局の多くが政府の低料金政策のあおりで値上げを出来ないなど、いくつかの理由で経営的に破たん状態の州が増えている。このため、民間の発電会社は電力販売代金の回収に苦しみ、厳しい経営を強いられている。

そればかりか発電原料の石炭を供給してくれるはずの政府系企業コール・インディアの経営も不安定で、石炭の安定確保がままならない。これらのあおりで電力向けに巨額の設備投資資金を融資してきた金融機関に返済資金焦げ付きリスクが次第に現実化し、金融システム不安に発展しかねない――というのがFT記事で、構造危機を鋭く描いている。

中国では開通1年未満の高速道路への高架橋で崩落事故、
手抜き工事が有力

次は、中国の高速道路につながる高架橋の崩落事故だ。メディア報道でご存じの方もおられるかもしれないが、今年8月24日、黒龍江省ハルピン市内の高速道路への高架橋の上を走る8車線のうち2車線が何と長さ130メートルにわたって突然、崩れ落ち、走っていたトラック4台が橋の下に投げ出され死傷者の出る大事故となった、というものだ。

この高架橋は、昨年2011年11月に総工費18億元(円換算約234億円)をつぎ込んで完成したばかりの最新鋭の重要インフラだけに、メディアを含め多くの人たちの関心事となったが、崩れ落ちた橋のコンクリート部分から鉄筋以外に、常識では考えられないような木片や合成樹脂の破片が出てきたため、手抜き工事でないかと問題になった。

高速鉄道でも開通前の豪雨で地盤が崩れる事故、
やはり手抜き工事の可能性

中国では今年5月に開業予定だった河北省潜江市内の高速鉄道がその2か月前の3月に、長さ300メートルにわたって基礎工事部分の地盤が崩れる事故があった。豪雨の影響で地盤が軟弱化した、と見られていたが、現地からのメディア報道では地盤を固めるために必要な砕石に代えて土だけが盛られていた結果、軟弱地盤になっていた、という。開通後だったら、もっと大惨事になっていただけに、何とも恐ろしい話だ。

高速鉄道と言えば、昨年7月、中国の浙江省内の高速鉄道で落雷による停電か、信号系統の故障かによって、線路上に停車していた列車に後続の列車が追突し、4両の車両が高架から落下して大事故になった、ということが思い出される。

成長志向強い新興アジアで成長を最優先課題、
あおりで制度設計が伴わず

インドの大停電や中国での高速道路、高速鉄道の地盤工事にからむ問題は、どう見ても偶然の問題ではない。成長志向の強い新興国では成長を最優先課題とするあまり、道路や橋はじめ、電力、ガスなどの物的インフラに関して、新たな巨大需要増に対応するための抜本的な制度設計が後回しになり、まずは目先の問題に対応に終始、結果として前例踏襲でつじつま合わせしてきた可能性も否定できない。タイの洪水問題も川上部分の北部タイでの天候の読み間違いではなく、下流域の治水の制度設計の問題だったと言える。

しかし、新興アジアでの今後の問題は、こうした物的インフラへの対応も重要ながら、急速なテンポで進む都市化のもとで教育、医療、年金などの社会インフラの整備がほぼ共通して二の次になっている。経済の急成長に伴って、農村部から都市への流入人口が急速に増える形で都市化が新興アジアのどの国でも起きている現象だが、それを受け入れる社会のシステムづくりが追いつかないでいる。

電力、道路の物的インフラ問題に加え医療など
社会インフラ未整備が課題に

これまでのところ、どの新興アジアの国々でも成長があり、底辺の人たち、あるいは農村部の所得水準が上がっているので、大きな社会問題に発展していなかった。しかしこれからは違ってくる。現に、中国では上海万博効果が着実に都市化に弾みをつけている。

かつての大阪万博が、日本人全体に対して新たなライフスタイル、豊かさを求める欲求をもたらし、その後の日本の高度成長を誘発したのと同じように、中国では上海万博効果で、大都市にどんどん流入してきた人たちが、都市生活者の豊かなライフスタイルを見てあこがれを抱く。しかし一方で、都市戸籍を持っている人たちが享受する医療や年金、教育を同等に得られない格差の是正を求める動きがデモなどの形で顕在化してきている。

日本企業にとっては物的インフラ落とし穴は潜在リスク、
自衛策も必要に

インド進出の日本企業としては地元評価の高かった自動車のスズキの主力工場でインド人労働者の賃金など待遇改善を求めた暴動に拡大したのも、外資系企業ならば不満をぶつけやすく、政府も敏感に反応するだろうという労働者の狙いがあったかもしれない。

問題は、新興アジアの内需の広がりにコミットし、日本国内のデフレ脱却のきっかけにしたいと考えている日本企業にとって、これらの物的インフラ、社会インフラにからむ潜在リスクにどう対応するかという現実的な問題もある。とくに、インドのような大停電が程度の差を別にして、頻発するようなことになれば、エレクトロニクス製品や精密機器などのような電力の安定的な確保が必要な企業にとっては、他人事ではいられない。場合によっては自家発電という形で自衛策も必要になるかもしれない。

日本政府は先に進んだ「先進国」の立場で
システムづくりサポートし存在感を

しかし、私は言いたい。こういう時こそ日本政府が新興アジアとの連携を深めいい意味でのリーダーとして存在感を示すチャンスだ。以前もこのコラムで、申し上げたことがあるが、日本は先に進んだ「先進国」として、過去の高度成長政策での公害問題はじめさまざまな問題の事例を示しながら、どう課題の克服を果たしたか、また当時の政策面での教訓は何だったかを積極的に事例研究のように出していけばいいのだ。

そして、新興アジアが当面するさまざまなインフラ上の問題でアドバイスすると同時に、新たなインフラづくり、社会システム再構築へのサポートを行えばいい。間違いなく日本は頼もしい兄貴分としての評価を得るだろうし、存在感を持つことが出来る。それが結果として、各国に進出する日本企業をバックアップすることにもつながるだろう。

日本のグローバル人材にぐんと厚み NW誌日本版紹介のトップランナー

硬派の月刊誌や週刊誌はどこもマンネリ企画で、あまり刺激を受けることがなく、わくわくする企画がない。そんな中で最近、何気(なにげ)なく手にした雑誌で、これは面白い、と思ったのが米ニューズウィーク(NW)誌夏季合併号(8月15・22日号)の特集企画「世界を極めた日本人」だ。編集者が書いたキャッチフレーズは「頂点を極めた日本人、世界を魅了するトップランナーたち」と、なかなか刺激的だ。
すでに、目を通されている方もおられるかもしれないが、もし「まだ読んでいない」という方がおられたら、ぜひ、ご覧になることをお勧めする。さまざまな分野でノビノビと活躍されている異能異才の人たちがいて、日本のグローバル人材にぐんと厚みが出てきたな、というのが率直な印象だ。

内向き政治に苛立ち高まっていた時だけに、
日本もまだ捨てたものでないと実感

日本の周辺で地殻変動が起きていても、日本の政治は我、関せず、と内向きに終始し、新興アジアばかりか世界の潮流から取り残される現実に、苛立ちが高まっていた時だけに、日本もまだ捨てたものでない、と実感した。

このNW誌の企画は、日本版だけという地域限定だったのがちょっぴり残念。でも、取り上げられた人たちは、いずれもグローバルな市場をベースに仕事をして、大きな評価を得ており、仮にグローバル版に出ても、何の遜色ない人たちばかりだ。
今回コラムでは、実は一度取り上げてみたいと思っていた人がいたので、その人を中心に、世界中でタフに活躍する人たちを紹介しながら、日本人の生き方を考えてみたい。

まず取り上げたいのは伊藤さん、
米MITメディアラボ所長でスケールの大きさ抜群

取り上げたいと思っていたのは伊藤穣一さんだ。2011年4月、250人を超す候補者の中から、見事に米マサチューセッツ工科大学(MIT)の第4代メディアラボ所長に抜擢された。そればかりでない。今年6月、米ニューヨークタイムズ紙の要請で社外取締役になって、新聞メディアの生き残り戦略の経営を見る立場にある。まだ46歳の若さだが、競争が厳しい米国社会で高い評価を受けている日本人の1人だから素晴らしい。

実は、伊藤さんをよく知る私の友人から「チャンスがあったら、ぜひ会ってみたらいい。発想も行動もスケールの大きい日本人だ」と聞かされていたので、ジャーナリストの好奇心で、特別に関心を持っていた。

米友人教授の伊藤さん評価
「たぐいまれなる人材、メディアラボにぴったり」

NW誌テクノロジー担当のダニエル・ライオンズ記者は伊藤さんについてこう書いている。「いくつもの顔を持ち、ひとことでは表現できない。あるときはDJ(ディスク・ジョッキー)、あるときは起業家、ベンチャーキャピタリストでもある。最も有名なのはネット黎明期の日本でIT(情報技術)企業を次々と立ち上げたキャリアだ。伊藤がいなければ、日本のネット産業はずいぶん違った道筋をたどったことだろう」と。

そして、「メディアラボは世界随一の研究機関MITでも異彩を放つ前衛的な研究所。分子生物学からアート、オペラまで多彩なジャンルを巻き込んだ学際的な研究を通して、人間とテクノロジーの新たな関係を発信し続けている。そのトップ就任について、長年の友人でハーバード法科大学院教授のローレンス・レッシグは『天才的な人事だ。ジョーイ(穣一)はたぐいまれなる人材。ビジネスと非営利の両方の世界を熟知しており、メディアラボにはぴったりだ』という」。何ともすごい評価だ。

現場から国民が自分で判断して発信する「創発民主主義」が
伊藤さんの持論

ただ、これだけでは伊藤さんの考え方がまだつかめない。朝日新聞のインタビューで、伊藤さんが持論「創発民主主義」に関して述べている点が参考になる。「創発というのは、例えば大都市で、トップダウンの都市計画よりも住民の相互作用から生み出された街並みの方がうまくいく、といったようなものです」と。

それを踏まえて、伊藤さんは「従来の代表民主主義は、国民が代理人としての政治家を選挙し、彼らに政策決定を委ねていますが、人々が自分で判断し発信できるようになれば、政治家に何かを決めてもらう必要もなくなってくる。草の根から、現場から、直接民主主義に近い政治的な秩序が生まれてくるようになるんじゃないか。それが創発民主主義の夢です」と。米国で定着している「討論型世論調査」手法が最近、日本で原発依存度をめぐる公開ヒアリング調査ため試験的に行われているが、伊藤さんの考え方はそれに近い。

人種差別を乗り越えパリ高級洋服店チーフ・カッターの座を得た
鈴木さんもすごい

次に紹介したいのは、パリ随一の高級洋服店の老舗「フランチェスコ・スマルト」のチーフ・カッターの座に上り詰めたとNW誌が高く評価する鈴木健次郎さんだ。
取材した井口景子記者は記事でこう書いている。なかなかうまい表現だ。「ジャケットに袖を通した瞬間、客の表情が変わる。細身のシルエットなのに、ゆとりたっぷりの着心地。空気の層が幾重にも巻き付き、身体を動かすと服がふわっと付いてくるような空気感。鈴木が作るスーツはまさに『服をまとう』という言葉を体現している」という。

でも、35歳の若さでパリの名門店のチーフ・カッターに至るまでの鈴木さんの苦労が実は大変だった。その苦労ぶりを知ると、なぜ高評価につながったかかがわかる。まず、鈴木さんは縫製職人として採用されたパリのある高級洋服店で頭角を現し、入社時に約束された念願のカッターへの異動を申し出たら、人種差別が立ちはだかった。「日本人をカッターにしたら、フランス人の客が1人も来なくなる」と社長に言われた、というのだ。

「日本人カッターは不要」との人種差別、
技術閉鎖社会を独自努力で見事克服

鈴木さんはそれでもくじけなかった。パリ中の高級洋服店に電話をかけて売り込みを図り、「フランチェスコ・スマルト」でカッターとして採用がやっと決まる。ところが、独自の技法を長年守る閉鎖社会に突然入り込んだ日本人に、今度は35人の職人が猛反発。耳の不自由なチーフ・カッターから約1年間、ウソのノウハウばかり教えられた、という。
それでも鈴木さんは必死に努力する。そして、日本人のキメの細かさなどもあってか、技術力が着実に評価され、最後はチーフ・カッターの座を手にする。

職人の世界での最高峰の勲章を手にしながら、鈴木さんは今年春、独立を果たす。自分の店を持つのだ。妻の美希子さんと2人で採寸から縫製まで手掛ける店でのスタートだが、極上の一着に注文は途切れない、という。鈴木さんはNW誌で「『美しいもの』を知りつくし、肩書や肌の色ではなく、本質を見て評価してくれるお客様がパリには大勢いる」と述べている。お客の中には「私が引退する日まで、君にすべて任せるよ」と言ってくれた得意客の期待に応えるために、鈴木はきょうも型紙を引き続ける、と記事は結んでいる。

工業デザイナーの奥山さんも自動車のデザイン力では国際的評価

このほかにも、グローバル社会でタフに、競争力を発揮してがんばっている日本人がいろいろ紹介されている。テーラーの鈴木さんのような努力型の人もいれば、天才肌の優れた能力をいかんなく発揮している人など、さまざまだが、いずれも素晴らしい。
でも、私は、それらの人に、私の友人で、以前のコラムでも少し取り上げた工業デザイナーの奥山清行さんを再度、取り上げてみたい。

私自身、あるイノベーションセミナーで知り合ったが、奥山さんが私の毎日新聞駆け出し記者時代の職場、山形県の出身であることから親近感を覚え、ジャーナリストの好奇心で接するうちに、意気投合してしまった人だ。海外、とくにイタリアで有名自動車フェラーリのデザインなどに関して、抜群のデザイン力を持っている。日本人離れしたデザインのセンスが評価の大きな対象だが、いくつものストーリー、それも国際的なストーリーを持っているところがすごい。

奥山さんは日本のモノづくりを支援し、
地場企業を地方区から一気に国際区へ

その奥山さんは今、日本のモノづくり、とくに郷里の山形を拠点に新潟、岩手などの地場企業の持つ技術力と、奥山さん自身の優れたデザイン力を融合させて、それらモノづくり企業を地方区から一気に国際区へ押し上げる取り組み支援もしている。
以前、NHKスペシャルというTV番組で取り上げられた1つに、新潟県燕市のステンレス加工の三宝産業がつくった切れ目のない優雅なワイングラスがある。奥山さんは工業デザイナーなので、自動車に限らず、あらゆるものを手掛けるが、奥山さん考案のデザインが随所に生きていて、グラスは形の優雅さだけでなく、ワインと氷が溶けにくい特殊な構造になっていて、パリのメゾン・ド・オブジェ展示会で高い国際評価を得た。

「日本の地場産業や企業のモノづくり力は素晴らしく、その技術は宝の宝庫だ。素晴らしい技術の活かし方がわかっていないのが残念だ」と述べる奥山さんはそれら地場企業を支援している。国際的なデザイナーがマーケッティング評価し、優れ者のモノづくり企業と連携すれば、日本のモノづくり企業の底力に磨きがかかる、ということだ。

ジャーナリスト先輩の小島さん指摘の「外向き」「上向き」「前向き」
にぴったり

ジャーナリスト活動の先輩で、日経新聞OBの小島明さんがいろいろな場で、面白い話をされている。いまの日本の状況を語るにぴったりなので、「ぜひ、引用させてほしい」と頼んでいる。それは「内向き」「下向き」「後ろ向き」の3向きのベクトルを「外向き」「上向き」「前向き」に変えようというものだ。

時代刺激人を公言する私からすれば、とても刺激を受けるメッセージだが、今回のNW誌で取り上げている日本人の人たちはいずれも、小島さんから見ても間違いなく合格点の人たちばかりだろう。私のみならず、多くの日本人にとって、こうしたグロバールな評価を受けるたくましい日本人の存在そのものが誇りであり、一段と磨きをかけてほしい。それが「内向き」「下向き」「後ろ向き」になっている政治家らを奮い立たせることになるのは間違いない。

女性パワー見せつけたオリンピック サッカーとバレー勝利から何を学ぶか

テレビ中継だけでなく、インターネット上のソーシャル・ネットワーク効果もあって、世界中を一挙に巻き込んだと言っていいロンドン・オリンピックが終わった。今回のオリンピックにはいくつか感動的なレースや試合があり、ついつい引き込まれてしまった。ウインブルドン方式で大英帝国は今や場所貸し国か、と冷ややかに言われる英国だが、テレビ中継、それにメディア報道で見る限り、今回は開催国としてさまざまな演出が素晴らしかったし、英国の人たちの外国人へのサービスぶりもよかった。
テロリスクのある英国での開催だけに無差別テロを心配したが、それも全くなくてよかった。テロリストも、世界中を敵に回す愚かさを避けたのだろう。どの競技も素晴らしく、スポーツの世界にテロを持ちこむべきでないというブレーキが作動したと言える。

佐々木サッカー、真鍋バレーボール監督とも逆境で人や組織を
動かせる凄み

さて、私自身は今回、日本選手が参加したゲームのうち、女子サッカーのなでしこジャパン、そして女子バレーボールの試合でのひたむきな戦いぶり見て、本当に素晴らしいと思った。彼女らに密着取材したメディアの現場レポートを見て、銀メダル、銅メダルに至るまでの戦いぶり、それに彼女らを引っ張ったリーダーの監督の指導力ぶりがよくわかった。そこで、今回のコラムでは日本女子のサッカーとバレーボールを勝利に導いたリーダーたちにスポットを当て、そこから学ぶものは何か、といったテーマで書いてみたい。

なでしこサッカーの佐々木則夫さん、バレーボールの真鍋政義さんの2人は一見すると、スポーツ監督によくある精神主義先行のタフなリーダーかと思ったら大違い。いずれも優しそうな顔をしていて、あの戦いの修羅場で見せた厳しさはどこにあるのか、本当に指導したあの人たちなのかという印象がある。ところが、2人とも間違いなく優れたリーダーで、独特の指導力を発揮し、とくに逆境でも人や組織を動かすたぐいまれなる力を持っている。オリンピックのように短期決戦ゲームでメダル獲得という至上命題に強いプレシャーを感じながら、結果を出さなくてはならないだけにすごいことだ。

佐々木監督は臨機応変、空気読み米国敗退後のチーム掌握は
宮間選手に委ねる

中でも、佐々木さんの指導力は、とても興味深い。面白かったのは、なでしこチームの戦いぶりを振り返ったNHKTVの特集番組での佐々木さん自身のいくつかの言動に、臨機応変の妙があり、それがチームの選手の信頼を得ているのだなと思った。
たとえば、決勝での米国戦に敗れたなでしこチームがロッカールームで打ちひしがれているときに、キャプテンの宮間選手が独特の口調で「銀メダル、おめでとう。みんなが頑張った成果だよ」と言って鼓舞した途端、そこが若い女性らしく一転、笑顔に変わり、表彰式に向かう晴れ晴れとした明るい顔に戻った。ところが、佐々木さんは「私も宮間の話に聞きほれました。その場ではじっと見守るだけ。そのまま男子ロッカールームに行って、思わず(感動の)涙を拭いて自分も表彰式に向かいました」と述べている。
古いタイプのスポーツ監督ならば、「お前ら、何をめそめそやっているのだ。表彰式があることを忘れるな」と怒鳴り散らすのだろう。中には監督として、その場をすべて仕切ろうとしたのだろうが、佐々木さんはあえて口出しをせず、その場の雰囲気を見て、キャプテンに委ねることが得策と機敏に判断したのだ。なかなかできないことだ。

佐々木監督の友人も「明るく切り替えが早い、憎めない人だ」との評価

日経新聞の企画「駆けたなでしこ」という記事の中で、佐々木さんの人物像を、ある友人がこう言っている。「彼は臨機応変にたけた人だ。『ま、しょうがねえよ』と、明るく切り替えが早い。数日前に言っていたことと違うじゃないか、と思うけれど、『現場では気象条件や選手の調子の変化など、いろいろな変化が起きる。変える勇気も必要なんだ』と言われれば、やむを得ないかと思う。憎めない。得な人です」という。確かに臨機応変がポイントで、ロッカールームでのなでしこチームの雰囲気を察して、ここはキャプテンに委ねた方がいいと判断を変える機敏さも空気が読める、ということにもつながる。

佐々木さんの判断が結果的に多くの人の間で「あれはやむを得ない。それどころか今になって思えば適切かつ高度の判断だった」と評価されているのは、予選最終戦の南アフリカ戦での指揮対応だった。

南ア戦引き分け方針指示も結果は疲労ピークの選手の体力回復策で
理解得る

すでに結果をご存じだろうから、多くは語る必要はない。勝てば、決勝リーグに1位で進むが、対戦会場への移動に8時間かかる。他方で、負けるわけにはいかないにしても引き分けに持ち込めば2位にとどまり、移動せずに済み、選手の体力温存になる。
そこで、佐々木さんは、NHKTV特集で「2日間隔の試合という強行軍のスケジュールのうえに、8時間の移動は疲労がピークの選手にとって大きな身体負担になります。ただでさえ、大柄な外国チームの選手を相手に、倍以上のスピードでパス回しなどに力を費やすとなると無理があります。とくに1位通過で決勝リーグに臨むと米国とあたる可能性があり、批判覚悟で2位に残るために引き分け方針を指示しました」と語っている。

選手交代でピッチに出た選手が、この監督の指示を伝えると、TV画面では明らかに選手のとまどいと、全力で戦うのがスジでないかといった不満そうな表情の選手もいた。しかしキャプテンの宮間選手が監督指示の確認を求め一転、まとまった。結果的に、2日後の決勝リーグまでに体力の回復に努めることが出来て、ブラジル戦、そしてフランス戦での死闘のような戦いをくぐりぬけて勝利し、決勝の米国戦に臨めたのだ。

世代交代見越して沢選手から宮間選手にキャプテンを変えたのも
指導者判断

また、佐々木さんの指導者としての的確な判断はキャプテンをこれまでのリーダー、沢選手から若い宮間選手に切り替え、次の時代にチームの若手を引っ張っていくには世代交代が必要だという意思表示を明確にしたことだ。沢選手は2011年度の世界女子サッカーFIFA世界最優秀選手に選ばれたスターだったが、佐々木さんは今回のオリンピック、その後のワールドサッカー選手権などを考えると世代交代が必要と判断したのだろう。

それを受け入れた沢選手も素晴らしいが、宮間選手も懸命に力を発揮した。とくにエースストライカーの大儀見選手がチーム内で浮き上がっていた時に、宮間選手が現場での指導力を発揮して大儀見選手をチーム全体の要にした。宮間選手の佐々木さん評価は「ついていきたいと思う監督ですし、ついてきてよかったと思うことも多かった。だからこそ、決勝戦まで来ることが出来たのです」と述べている。そこまで選手から信頼を得るところに佐々木さんの指導力のすごさがある。企業の現場でも、リーダーの指示にロジックがあれば、また人を納得させる指導力があれば、組織はついてくることにつながる。

バレーボールの真鍋さんはデータ重視、
科学的情報戦で勝利する点にすごさ

次に、チームを指導するリーダーの素晴らしさという点で、バレーボールチームを銅メダルに導いた真鍋監督のすごさもなかなか興味深い。真鍋さんの場合、分秒単位でゲーム展開がある中で、ノートパソコン代わりの携帯多機能情報端末と言われるiPad(アイパッド)を駆使して、冷静に、データ分析しながら相手チームの弱点を選手に伝えて、それによって勝利につなげるやり方だ。

テレビで見ていると、真鍋さんの左手には常にiPadがあった。この情報端末には、別のところでチームがいて、そこから常に最新情報や過去のデータを入力し、真鍋さんの情勢判断や選手への指示に活用できるようにするのだそうだが、ロンドン・オリンピックは無線LANが十分に使えず、フル稼働しなかったようだ。

iPad駆使して相手チームの弱点を見抜き、
攻撃時に選手にアドバイスや指示

それでも、銅メダルをめぐって戦った韓国戦では、相手エースの金軟景選手の攻撃を封じることが重要、そのために韓国チームのレシーブが弱そうな数人の選手に集中的にサーブで狙いをつけ、エースの金選手にいいトスが行きにくいようにする、またブロック対策にはどうすれば効果的か――などを、すべてこのデータをもとに瞬時にはじきだし、休憩時に真鍋さんが選手に見せて実行に移させるというやり方をした、という。

現に、この攻撃手法が功を奏し、韓国戦はかなりもつれ合いながらも最終的にはエースの金選手封じが成功した。そして3セットをすべて連続とるストレート勝ちだった。緻密なデータ情報をもとにした科学的情報戦での勝利で、見事というほかない。
キャプテンの木村選手はメディアのインタビューに対して「監督の指示どおりにやって成功した実績がありましたので、身長差やパワーの差があるチームとの対戦でも、相手の弱点を見抜いて攻めるやり方でいけば、勝てるチャンスが多い、と思いました」と述べているのが印象的だった。指導者の強み部分を見せることも重要だ、ということだ。

東京オリンピックで日本を金メダルに導いた大松監督の
スパルタ方式と大違い

私自身が不勉強で、このデータを活用してバレーボールに生かすやり方は真鍋さんら日本チームが独自に編み出したものかと思っていたら、何と1984年の米ロサンゼルスでのオリンピックで米男子バレーボールチームがアナリストを採用して科学的なデータ活用し、それ以降、データ活用は定着していた、という。ただ、iPadを活用してバレーボールの試合に生かしたのは日本が昨年から始めたことで、そういった意味では最新鋭の情報端末を駆使した真鍋さんの頭脳プレーの勝利でもある。

女子バレーは、かつて1964年の東京オリンピックで金メダルに導いた大松博文監督のスパルタトレーニング、言ってみれば根性で勝つという古いスタイルが有名だが、真鍋さんはそれとは対照的だ。時代を先取りしたわけで、その意味でも評価されてしかるべきリーダーの1人だ。

女性選手パワーの源泉は指導者によるものか、
潜在的資質なのか探ること重要

今回のロンドン・オリンピックでは日本は女性の活躍が目立ち、そのパワーぶりは頼もしい限りだった。とくに、なでしこサッカーを見ていると、宮間選手、沢選手を中心に、11人の選手全員が明確に自分の役割を自覚するだけでなく、ゲームをつくっていく機敏な行動、それに至る果敢な判断力などがある。思わず、すごいなと思わせる場面が随所にあった。佐々木さんが日ごろの練習時から常に指導してきた成果が試合で自然と出るようになったのかもしれないが、やはり、選手の彼女たち自身に、みなぎる自信を感じた。

日本は今後、女性パワーを活用して、新たな需要創出やビジネスチャンスを生み出す役割を担ってもらうことが重要だ。そのためには、なでしこサッカーチームや日本女子バレーボールをメダル獲得に導いた監督のリーダーたちに、何がこれほどまでに女性を活力ある存在にしたのか、それはリーダーたちの指導力のたまものなのか、それとも女性たちには潜在的な力があったのか、パワーの源泉を探ることも重要になってきたように思える。

中国深セン「山寨」は今や脅威 産業集積で日本企業に揺さぶり

 最近、チャンスがあって、アジア経済研究所の東アジア研究グループ副主任研究員の丁可さんから中国深センの「山寨(さんさい)携帯電話産業」やエレクトロニクス産業集積の最新事情を聞くチャンスがあった。これがなかなか面白い。サプライズなことが多く、時代刺激人ジャーナリストを公言?する私も大いに刺激を受けた。そこで、今回は丁可さんの話を軸に、深センでいま何が起きていて、それが日本、とりわけ中国の影響を直接、間接に受ける産業や企業にどんなインパクトを与え、教訓になるか、取り上げてみたい。
話を聞いていると、なにしろ20年近く前に、私が訪問した経済特区時代の中国深センとは本当に様変わりで、山寨携帯電話のみならずエレクトロニクスを中心にした巨大な産業集積地となっていて、日本企業に対して強烈なインパクトを与える地域に変貌している。聞けば聞くほど、無視できないどころか脅威であり、私自身、そして日本もしっかりと受け止めねばならないすごい現実がある。

「山寨」は中国ではそっくりさんだが、モノマネ、模倣、
ニセモノの代名詞とも

山寨携帯電話のからみで、「山寨」という言葉を初めて耳にされる方もおられるかもしれない。中国では、この言葉は今や有名なキーワードとして定着し、そっくりさんの代名詞のように言われている。しかし日本ではこれが一転、モノマネ、模倣、さらに悪く言えばニセモノの代名詞のように受け止められている。

現に、昨年出版された中国の阿甘さんの著書「中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる『山寨革命』の衝撃」(日経BP社刊)でも、山寨携帯電話をモノマネと位置付けている。しかし、著者の阿甘さんは興味深い切り口で、今やその山寨携帯電話がモノマネから進化して新しい領域にある問題として、とらえているところが興味深い。

阿甘さん「山寨携帯電話にはニセモノもあるが、
『高倣品』もあり買い手は承知」

あとで紹介する丁可さんの最新現場事情の話とも関連するので、阿甘さんが著書でアピールしている話を少し紹介させていただこう。 まずはこうだ。「山寨携帯の中にも『キノア』などというニセモノの名前がついた製品、ブランド品の形状や機能を真似した『高倣品』(高品質の模倣品であるニセモノは『高倣品』と呼ばれ、低品質のものとは区別されている)がある。私は多くの山寨携帯をペテンとみなすことはできないと思う。なぜならば、ニセモノを(北欧携帯電話メーカーの)ノキアと同じ価格で売るのではなく、買い手も『高倣』携帯機であることを知っており、正規品の数分の一しか払わないからだ」という。
さらに「インターネットによっては、人々の山寨携帯に対する印象が以前の低品質だとか(モノマネやニセモノで)不名誉だとかいうものから、時代に先駆けているとか、ワクワクするといったものに変わってきている」とも述べている。

新農業モデルは10次産業化 観光農業で消費者引き込む

 かねてから、私はこの「時代刺激人」コラムで、高齢化や後継者難など、さまざまな課題を抱える日本の農業に関して、ネガティブに考える必要はなく、取り組み方次第で成長産業の一角を担えるので、がんばれと申し上げている。

農業主導で2次、3次に手を広げる6次産業化に
4次として観光加えるのがミソ

そのポイントは、現場の農業者が、状況に流されず戦略的にモノを考える、ということだ。具体的には、志を共有できる人たちと一緒にスクラム組んで、マーケットリサーチを通じて売れる農産物づくりなど、経営感覚を持って農業ビジネス実現にチャレンジすること、とくに卸売市場流通に頼らず独自の産直バイパス流通を開発し、その柳津パイプをベースに、1次産業主導で2次の製造業分野に積極的に踏み込みカット野菜や冷凍野菜を手掛ける、さらにサービス産業の3次分野ではレストランや農産物販売などに手を広げる。こうやって1次、2次、そして3次の産業をつなげた6次産業化のビジネスモデルで臨めばいいのだ。この6次産業化は次第に定着しており、今はむしろモデルの深化、端的にはどこまで収益性の高いビジネスモデルにしているかが問われるほどになりつつある。

戦略ポイントはまだある。今や新興アジアでは日本の食文化に対する評価が定着しており、この新興市場への農産物や加工食品の輸出、さらには外食との連携でビジネス展開を図るのも1つだ。日本の農産物は「おいしい」だけでなく安全・安心、品質のよさなどの評価が高いので、この付加価値部分に磨きをかけ、中間所得層の上のランクの人たちや富裕層をターゲットにして輸出攻勢をかけるのも重要課題だ。

ちょっと発想変えればビジネスチャンスがいっぱい、
農業は成長産業になる

これらの先進モデル事例となるたくましい農業者の人たちを現場取材で知っているので、自信をもって申し上げることが出来る。大事なことは、閉そく状況を切り開くチャレンジ精神だ。そこで、今回は、ちょっと発想を変えれば、さらに面白いビジネスモデルが出来る、ということを取りあげたい。要は、6次産業化に第4次産業部分を加えた10次産業化をビジネスモデルにする、という提案だ。

思わず、「何だ、それ?」と思われるだろう。要は、観光農業を第4次産業と位置付けて、これまでの1次産業の農業、そして農業者主導で行う農業の第2次製造業部分、さらに同じく農業者主導でレストラン展開をしたりする第3次産業部分の延長線上に、観光農園や農業体験、農業ツーリズムなど第4次産業と言える部分を加えて、1次+2次+3次+4次を合算した10次産業化の新ビジネスモデルをつくればいい、というものだ。

たまご直売センターに行列ができる熊本県の中山間地域の
コッコファーム

現場をベースにした時代刺激人ジャーナリストのこだわりで、さっそく、いくつかの事例をご紹介しよう。その実例を見ていただけば、ビジネスチャンスはいっぱいある、要はビジネスモデルづくりとそれを実行に移す行動力だ、ということがわかっていただける。

まず第1に紹介したいのは、熊本県菊池郡の中山間農業地域で鶏卵の生産、販売を手掛ける株式会社コッコファームだ。公益社団法人の日本農業法人協会会長の松岡義博さんが創業者で、現在は会長として経営全体を統括する立場だが、単なる養鶏ファームとはまったく違う。人口が多い都市部や平野部から離れた中山間農業地域だというのに、このコッコファームのたまご直売センターの前には何と毎朝、産みたての新鮮なたまごを買い求める行列ができる、というのだ。