時代刺激人 Vol. 192
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
日本中のみならず、世界の多くの国々を震撼させた東京電力福島第1原発事故から約1年5か月がたつ。だが、福島の事故現場は、いまだに原子炉周辺が強い放射線量で覆われていて、事故処理が遅々として進んでいない。
東電、規制機関とも「原発安全神話」信仰を捨て去ることが大事だ
さて、今回の原発事故での教訓は何か、という点だが、私は国会事故調や政府事故調の報告書で見る限り、東電のみならず原子力委員会、原子力安全・保安院などの規制機関までが「原発安全神話」を捨てきれないどころか、頑なに、半ば信仰のように組織行動原理にしてしまったところに最大の問題があったと思っている。そこで、日本はこの際「原発安全神話」を捨て去り、安全重視の文化を重視することをアピールすべきだろう。
国会事故調報告では、今回の事故は、東電が主張する想定外の津波による自然災害ではなくて、事前に何度もシビアアクシデント対策を講じる機会があったのに、それを怠った「人災」だと大胆に断じたが、政府事故調報告でも、シビアアクシデントが起きないという思い込み、それにからんで危機管理体制の甘さが原発事故被害を拡大させた、しかも東電が主張する想定外の津波災害に関しても、根拠なき安全神話を前提に、あえて危機を想定してこなかったことによる想定外だったに過ぎない――と指摘している。
細野原発担当相「東電は津波対策やると原発が安全でないと見られること懸念」
細野原発担当相は7月23日夜のNHKのテレビニュース番組で、「東電は、想定外の津波への対策を事前にやれた余地があったのに、やらなかった。それをやると、原発は安全でないのか?と受け取られかねないことを恐れて、あえて手をつけなかったのかもしれない」と述べ、安全神話へのこだわりが安全対策行動を抑え込んでしまったとの見方を示した。興味深い指摘だ。
この点に関連して、政府事故調の畑村委員長は退任後の7月25日の日本プレスセンターでの講演で興味深いことを述べた。「今回の原発事故は組織事故として捉えることが必要だ。東電の誰か特定の人のせいではなく、組織全体が事故を起こした。どの人がどの立場にいても同じ判断をする。その意味で、われわれは国会事故調が示した『人災』を使わず、あえて組織事故とした」と述べると同時に、原発安全神話がその組織原理になったという判断だ。この点は確かに、ポイント部分だ。
東電が原発安全を理由に原発ロボット開発メーカーに開発断念させたのは有名
以前のコラムで取り上げた面白い話を思い出した。阪神淡路大震災の教訓として、政府が災害ロボット開発の政策を掲げ補助金をつけて政策誘導した際、ロボットメーカーが東電の需要を見込んで原発ロボットの試作にとりかったら、東電の担当者がそのメーカーに対し「原発は絶対に安全で、事故が起こることはないので、つくる必要ない」と言ってメーカーに開発断念させた。まさに原発安全神話にこだわった結果のことだが、もし原発ロボットを容認すると、神話が崩れるという懸念が働いたことも事実なのだろう。
いずれにしても、今回の原発事故をきっかけに、東電、規制機関とも世界に向けて、今後は原発安全神話への信仰を捨てて、むしろ安全対策など安全重視の文化を基軸に据えるということをアピールする必要があるだろう。
日本は米国の原発危機対応策を見習う必要、
事故が起きること前提にリスク対策
ところで、私は、日本が原発事故にからむ危機管理策として、米国の対応を学ぶ必要があると思っている。以前、コラムで取り上げた話を憶えておられるかどうか定かでないが、新潟県柏崎市で行われた国際原発シンポジウムで、米国の原発技術者が述べた日米の原発危機管理策の違いを聞いて思わず、日本は米国の手法を導入すべきだ、と思ったのだ。
その技術者によると、米国は原発事故が起きる、という前提で、さまざまなリスク対応策を講じる。事故は起こしてはならないが、絶対に事故が起きないということはあり得ない。ところが日本の電力会社や規制機関は、原発事故は絶対に起こしてはならないものという立場に立ち、そのためにあらゆる法的規制を厳しくしている、という。
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